かつてナポレオン・ヒルは、偉大な多くの成功者たちにインタビューすることで、成功哲学を築き、世の中に広められました。私Johnも、経営者やイノベーター支援者などとの対談を通じて、ビジョンや戦略、成功だけではなく、失敗から再チャレンジに挑んだマインドを聞き出し、「イノベーション哲学」を体系化し、皆さまのお役に立ちたいと思います。
第23回に登場していただきましたのは、世界へ羽ばたくスタートアップ企業の創出を目指し、福岡県商工部新事業支援課・事務主査を務めながら、一般社団法人ベンチャー型事業承継のエヴァンジェリストを兼任されている、山岸 勇太氏(以下インタビューでは「山岸」)です。
1 「1社で勤め上げることはもちろんすばらしいのですが、自分は会社に頼らない道を探してみようと思ったのです」(山岸)
John
勇太さん、本日はお忙しい中、お時間をいただき本当に愛りがとう(愛+ありがとう)ございます!
早速ですが、自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?
山岸
福岡県商工部新事業支援課の山岸といいます。
石川県の小松市で生まれ、大学入学と共に上京しました。卒業後はNTT西日本へ就職し、8年勤めて退職。今から9年前に福岡へ移住しました。
県庁で今のポジションになってからは今年6年目になります。福岡県内のスタートアップやベンチャーの支援をするのが僕のミッションです。
県内のベンチャーの皆さまが主となりますが、福岡への参入を目指されているベンチャーの皆さまのご支援も行っています。
公務員なので副業はできないのですが、自分のライフワークとして、一般社団法人ベンチャー型事業承継というところで、エヴァンジェリストという肩書きをいただいて活動しています。
これは全国で家業を継ごうとされている若手の皆さまがイノベーションを起こすのを支援する社団法人でして、僕は全国の後継ぎの皆さまの壁打ち相手となったりして、日々お手伝いをさせていただいています。
John
ご出身は石川県なのですね!
公私ともにイノベーション創出のためにご尽力されている勇太さんですが、まずは現在のお立場になるまでのご経歴について、ぜひ詳しくお聞かせください。
山岸
父は建築関係の会社を営む経営者で、曽祖父や祖父、叔父まで一族全員大工の家系に生まれました。
昔から「自分もいつか父の会社を継ぐのだろうな」と漠然と考えていましたが、都会へ出たいという想いから、東京の大学へ進学しました。
そこでさまざまな価値観の人と出会い、「ファーストキャリアは世の中にインパクトを与えられるような会社がいい」と考えるようになりました。就職活動の末、縁あって入社したのがNTT西日本でした。
NTT西日本へ入社したのは2005年。インターネットが日本のインフラになってきた時期だったため、「インターネットを通じて何かおもしろいことをしたい」と思ったのが、入社の決め手でした。
NTT西日本には8年間在籍していましたが、2年に1回異動する文化の会社でしたので、静岡・熊本・東京・大阪と、各地へ赴任して経験を積みました。
前半の4年間は官公庁系の実証実験のお手伝いをしており、熊本ではIoTの実証実験に県庁と共同で取り組んでいました。今ではIoTと言われますが、当時はユビキタスなどと言われていましたね。
後半4年間は自社商品開発のプロジェクトに携わっていました。
昨今、Apple TVなどTVに接続して使用するセットトップボックスと呼ばれるものが浸透していますが、その頃、NTTも和製セットトップボックスの開発に取り組んでいて、僕もプロジェクトの一員だったのです。
当時はアナログから地デジへの転換が終わった頃で、全国でTVの買い替えが起こっていました。そんな中でマーケティング調査を行ったところ、「日本にあるTVのうち6000万台には、インターネット接続の機能がない」ということがわかりました。
そこで僕らは「その6000万台をターゲットとし、インターネット接続を可能にする装置を開発できれば、NTTは次のステージにいけるのではないか」と考え、海外のスタートアップなどと組んで、商品開発にあたりました。2年ほどで開発を終えて販売を開始し、今も「光BOX」という商品名で世に出ています。
家庭のTVで動画サービスを楽しめる環境をつくるということを目標とし、日本に上陸したばかりのHuluや、ニコニコ動画を運営しているドワンゴとも提携していました。
仕事は非常に楽しく充実した日々でしたが、2年に1度の異動というのが決まっている会社だったので、自分の人生にモヤがかかっているような感覚があって…。
プライベートで子どもが生まれたタイミングも重なり、30歳で退職を決意しました。
John
まず、様々な人々との出会いを通して「世の中にインパクトを与えたい」という思いが湧いてきたというのが素晴らしいです。ずっと地元にいたら気がつかないことってありますよね。私も、海外留学したことで視野が広がり、自分のこと、日本のこと、世界のことへと関心が広がっていきました。なので、勇太さんが「世の中」を意識するようになられた気持ちがよくわかります。
そして、仕事内容自体は充実していたものの、人生にモヤがかかっていたと。
具体的にどのような感覚だったのでしょうか?
山岸
うーん。自分の人生のはずなのに、自分で決められないというもどかしさを感じました。
1社で勤め上げることはもちろんすばらしいのですが、自分は会社に頼らない道を探してみようと思ったのです。
2 「新事業支援課での僕の最も大切なミッションは、福岡・九州のベンチャーエコシステムを盛り上げること。」(山岸)
John
自分らしい生き方のために、NTT西日本を退職された勇太さん。そこでなぜ福岡移住を選ばれたのでしょうか?
今でこそ福岡は海外からも注目され、日本各地にあるエコシステムの中でも最も成功している都市の1つとなっていますが、9年前移住された当時は、まだ盛り上がりはじめたころですよね。
山岸
そうですね。当時はスタートアップブームが始まろうとしている時期でした。
NTT西日本を退職し、東京で別のキャリアを探すという道もあったのですが、福岡出身の妻が「福岡が今、日本のシリコンバレーをつくろうとしているらしいよ」と教えてくれたのです。
実際、当時の福岡ではゲームやコンテンツ産業を振興していて、知事もそうしたスタートアップの支援に力を入れており、現在僕がいる新事業支援課を立ち上げようとしている時でした。
妻がそんな話を聞きつけ、「前職でもスタートアップの方々と楽しそうに仕事をしていたし、福岡に行けば楽しく仕事ができそうじゃない?」と声をかけてくれたのが、僕の中では大きなきっかけとなりました。
John
奥さまは、勇太さんが一番楽しそうに働かれている瞬間をご理解されていたんですね!
しかし、新しく魅力的なプロジェクトですから、倍率もかなり高かったのではないですか?
山岸
公表されている数値では、倍率は100倍だったそうです。
と言っても、僕が受けたのは社会人採用枠でしたので、これまでの経歴を問われるような試験内容が多かったですね。
小論文や面談が中心で、グループディスカッションなどもありました。
福岡県の社会人採用は、「多様な人材を採用する」というのがコンセプトのようで、さまざまなキャリアの方がいらっしゃいますよ。
もともと日経新聞で記者をされていた方、トヨタのエンジニア、BEAMSのディレクター……本当に多様なメンバーが集まっています。
John
ダイバーシティ溢れるチームなのですね。
それぞれ、どのような業務を担当されるのですか?
山岸
まずはそれまでの経歴を生かせるようなプロジェクトにアサインされることが多いですね。
例えばBEAMS出身のメンバーは、ファッションイベントの「福岡アジアコレクション」の責任者をしていました。
とはいえ、県庁職員として3~5年のスパンでジョブローテーションというものもあります。異動によって、前職での経験とはあまり関係のないところにアサインされることもありますね。
もともと多様な考え方を持つ方々の集まりですから、どこへ異動となっても事業の中心となって活躍されていますよ。
John
勇太さんの、入庁後のキャリアについても教えて頂けますか。
やはり、スタートアップ支援に関わられたのは、ご自身のご希望ですか?
山岸
はじめは、NTT出身ということで情報システム部門の配属となり、県庁のサーバーの保守などに3年ほど従事していました。
しかし、やはりスタートアップ支援がやりたいと思っていましたので、自ら希望して新事業支援課へ移り、今に至ります。
新事業支援課での僕の最も大切なミッションは、福岡・九州のベンチャーエコシステムを盛り上げること。
上長にあたる新事業支援課の課長からも、チームに入ってすぐに「福岡・九州のベンチャーエコシステムを盛り上げることであれば、何でも好きにやっていい」と言ってもらっていました。
「もっと外に出て、いろんな人と会って話してきてほしいし、そこに君の価値がある」と、僕のことを認めてくれていたので、やりにくさはなかったですね。
現在、チームのメンバーは15名。中小企業支援の中でもいわゆる前のめりで企業を支援するチームですので、それを支援する我々も、「デザイン経営をやってみよう」「海外展開を支援しよう」など、日々チャレンジしています。
John
すばらしい環境ですね!福岡県庁が、ここまで多様なメンバーの個性を輝かせるチーム作りを進めていると知ることができて勉強になりました。
勇太さんが、スタートアップ市場を盛り上げるためにされている取り組みについて、教えて頂けますか。
山岸
僕が日々行っているのは、福岡でビジネスをしたいと考えている県内外のスタートアップや、地元の大手企業など、さまざまな経営者の皆さんと対話して情報収集をし、適切なビジネスマッチングを行うことです。
まず、福岡でビジネスをしたいと考えている県内外のスタートアップの方々に対しては、「FVM(フクオカベンチャーマーケット)」というイベントを毎月開催し、ビジネスマッチングを行っています。
地元の大手企業の方々や、おもしろい事業をされている地元中小企業の方々とも日々対話をし、彼らの事業や課題の把握に努めています。
僕の強みは、とにかくそうした地元企業の経営者の方々と関係性を築けていることです。そして、それをスタートアップの方々に還元するというのを得意としています。
今の形をつくるために、1年目には毎日のように新しい方と会っていましたし、数珠つなぎに他の企業の方をご紹介いただいて、また人と会って…という動きを2〜3年続けていましたね。
John
さすが、勇太さん、すごい営業力、行動力ですね。「スタートアップ業界を盛り上げるために、多くの人と話して来てほしい」と期待をかけてくれた課長さんも喜ばれているのではないでしょうか。
ちなみに、企業のどんなポジションの方とお会いして、どのように企業の経営課題を聞き出されているのですか?
山岸
僕がこの仕事を始めた頃は、ちょうど福岡でオープンイノベーションの波が来ていた時期。
大手企業の中でも、新規事業部門の方などとお話をすることが多かったです。
どのような領域の事業を立ち上げようとされていて、自社の課題は何だと思われているのか。解決のために、どのようなスタートアップと出会いたいのか。そんな話をしていました。
企業の課題に合わせて、そのお悩みを解決できそうなスタートアップを紹介するのです。
自分自身のトレーニングの意味も兼ねて、お会いしたら必ず誰かをご紹介するというのを習慣にしていました。
もちろん、ただご紹介するだけでは何も起こりませんので、可能な限り同席させていただきました。
大企業とスタートアップでは話の仕方から違います。私は大企業出身ですが、スタートアップについても理解しているという自負があるので、双方のトランスレーターとなれるよう努めています。
スタートアップの言葉が足りなければ補足して、大企業が一方的な言い方になってしまっていたら和らげて伝えるとか、そんなことをしていました。
企業の方々にもとても喜んでいただけましたし、それをずっと繰り返して今に至っています。
John
ここで、大手企業で働かれていた経験が活かされているのですね。勇太さんのように、大企業とスタートアップ間のギャップを埋められる人材は、今の日本のスタートアップ業界に必要不可欠ですよね。
私には、イノベーション創出を影から支える勇太さんのような名コーディネーターの存在をもっと世の中の人たちに知って頂きたいという思いがありますので、今回インタビューさせて頂けて、本当に嬉しいです。
スタートアップだけでなく、面白い事業をされている地元中小企業との交流も大切にされているということですが、これまで進められたプロジェクトの中で、特に印象深い事例はどのようなものでしょうか?
山岸
ユニバーサルサウンド・デザインというスピーカーをつくる会社さんの福岡参入をご支援したケースは、印象に残っています。
同社は、難聴の方・ご高齢の方など、聴こえにくいといったトラブルを持つ方々に、より聴き取りやすい音域で音声を届けるためのソリューションを提供されている会社でした。
もともとは医療施設や介護施設への導入がメインだったのですが、より広く社会に知ってもらうため、西日本鉄道などと提携して、バスの中や駅構内で使用してもらいたいという想いを持っていたのです。
そこで、ユニバーサル・サウンドデザインの経営者の方と僕が一緒になって鉄道会社と話をし、駅構内での実証実験を行うことが決まりました。
駅の雑踏の中でも音声が聴こえやすいということで、駅を利用する高齢者の方々などからも喜んでいただけました。
John
地元の大手企業と関係性を築けているからこそできたご支援ですね。
スタートアップを育てるというよりも、エコシステムをつくることで、大企業のご支援もされているのですね。
山岸
ありがとうございます。まさに、おっしゃる通りです。
スタートアップと仕事をすることで、大企業の成長も促せたらと考えています。
僕は大企業出身ですし、スタートアップの気持ちもわかるので、これが自分の強みであり活躍できる場なのです。
John
本当に、それは勇太さんの強みだと思います。勇太さんは、経営者の視線に立って真剣にお話しを聴いてくださるので、私自身もすごく話しやすいですし、皆様もそう思われてると思います。また、最高の笑顔をしてくださるし、人生についても語り合えます。私も友人としても感謝しております。
3 「地方の布団屋さんや呉服屋さんが、そんな変革を起こせるのかというのを見せつけられて、『ああ、これが僕のやるべき地方でのベンチャー支援だ』と思いました。」(山岸)
John
ここまでお聞きしたように、精力的にスタートアップの支援をされている勇太さんですが、良い意味で県庁っぽくない雰囲気がありますし、経営者の心を開かせる力があります。
勇太さんの今の姿は、やはり代々経営者の家系で育ったことも関係しているのではと個人的に思うのですが、いかがですか。
我が家も祖父の代から経営者で、親戚一同、経営者や政治家、アーティスト……など好き勝手な人たちで。僕もそうですが(笑)。
ご実家を継がなかったことも、もしかしたら経営者を支援したい想いにつながっているのではと想像しています。
山岸
ありがとうございます。
今引き出していただいて気がつきましたが、僕がスタートアップや後継ぎの経営者たちを支援するのは、「自分が実家を継いでいない」という負い目を感じている、というのは大いにあります。
大学時代、父からは「大した商売じゃないから継がなくていい」と常々言われていて、僕も若かったので「そうなのか」と素直に受け止めてしまっていて。
卒業後はNTTに就職して、福岡県庁への転職も父へ特に相談せずにしてしまいましたけど、3年ほど前に、実家で父とお酒を飲んでいた時に「いつかは戻ってきて継いでくれると思っていた」と言われたのです。その時に、「ああ、そうだったのか」と思いました。
父の会社は今すごく業績も伸びていて、まだまだ働こうと考えてはいるようですが、継ぐ人間がいないというのが悩みだったようです。
John
なるほど。それが後継ぎ経営者を支援する、県庁とは別のご活動につながってらっしゃるのですね。
山岸
そうですね。
また、後継ぎ支援に関しては、地方におけるスタートアップ支援のあり方に悩んでいたことも、きっかけの1つです。
スタートアップというのは、ユニコーンに例えられるように、市場の大きなところでどんどん成長していく生き物のようなもの。そんな彼らを地方に留めておくということに、矛盾を感じていました。
世界に羽ばたいてほしいと思いつつ、福岡に根付いてもらう活動をすることへの葛藤ですね。
そして、行政のやるべきベンチャー支援とは何かを考えるようになりました。
そんな中、たまたまイベントに参加して出会ったのが、一般社団法人ベンチャー型事業承継だったのです。
当時「ベンチャー」と名がつくイベントなら何でも参加していたので、ベンチャー型事業承継のイベントにも興味本位で参加してみました。
すると、想像していた話とは全く違う話を聞くことができたのです。
岐阜の布団屋さんが世界的アパレルメーカーに変革した事例、京都の西陣織のメーカーさんが企業価値200億円のウェアラブルデバイスメーカーに成長した事例……。
地方の布団屋さんや呉服屋さんが、そんな変革を起こせるのかというのを見せつけられて、「ああ、これが僕のやるべき地方でのスタートアップ支援、ベンチャー支援だ」と思いました。
実家を継がなかったというモヤモヤ、地方でのスタートアップ支援に感じていた矛盾や葛藤、それを解決するのはこれだ、と。
そのイベントには一般社団法人ベンチャー型事業承継の代表の方もいらしていたので、「僕が求めていたスタートアップ支援はここにありました。何でもいいから関わらせてほしい」と直談判し、今のエヴァンジェリストという肩書きをいただきました。
John
市場の大きさというのは、地方でスタートアップ支援をする際にぶつかる大きな壁ですよね。そこに、一般社団法人ベンチャー型事業承継と出会って光が差したわけですね。
もう少し、活動内容について詳しく教えていただけますか?とても興味があります。
山岸
これは、いわゆるファミリービジネスをされている皆さまを支援するための事業です。
その中でもベンチャー型事業承継では「U34」というキーワードを掲げていて、34歳未満の家業を承継予定の皆さまを応援しています。
今現在、家業には入っているけれども代表権は持っておらず、何となくくすぶっている人たち、というのをターゲットに定めています。
なぜ34歳なのかと言いますと、日本の事業承継の平均値として、40歳前後くらいになりますと代表権を持つ方が増えてくるのです。
40歳となり会社を継ぐ段階となってくると、新しい事業を始めようとしてもリソースが足りないことが多いし、既存の家業に全力で向き合わなくてはいけない状況になってしまう。
34歳という少し早い段階で、かつ家業に対しても少し距離のある状態で、新規事業を考えてほしいと考えています。
もちろん各地域の商工会議所なども後継ぎ育成に力を入れているところはありますが、イノベーションを起こすためのコミュニティではないケースが多いので、僕らはそこを支援したいのです。
John
大企業の下請けをしていても先細りしてしまうのは目に見えていますので、中小企業が生き残るためには、スタートアップ型で自ら事業を立ち上げていく必要があると思います。
まさに勇太さんが言われたように、地方の中小企業こそイノベーションが必要な時代ですよね。
山岸
ありがとうございます。
まさにこれまで下請け中心にやってきた地方企業は、この先50年を考えると生き残っていけないのが目に見えていて、本当に厳しい時代に入っていると思います。
僕たちベンチャー型事業承継は、これからの時代に生き残る中小企業を増やすため、スタートアップ的なアプローチを大切にしていますし、新たな時代をつくる34歳未満の方々が憧れるような存在をより多くつくっていくことを目指しています。
34歳未満のコミュニティをつくり、40~50代くらいの家業からの変革を成し遂げた方々に、彼らのメンターかつ憧れの存在となってもらう。これを両軸でやっているところです。
具体的な活動としては、34歳未満の方々に、新たな時代に向けて家業をどうスイッチしていくかを考えてもらい、僕らが壁打ち相手になります。
そして考えた事業を披露する場としてのイベントを全国で開催しています。
まずは「家業を継ぐことでもイノベーティブなことはできるのだ」というカルチャーをつくりたいのです。
John
「事業継承」のイメージが変わる、すばらしい取り組みですね。
家業を継ぐ上で、「人」の悩みというのも尽きないのではと感じています。イノベーティブなことをしようとすればするほど、現行の経営者からの理解が得られるか、優秀な人材の採用、既存社員間の人間関係などの課題も出てきます。
また、スタートアップとは違った、家族だからこその悩みもあるのではないかと思いますが、その辺りの相談に乗られることはあるのですか?
山岸
そうですね。月に1度後継ぎの方々を集めて会議をしているのですが、人に関する悩みというのは本当によく聞きます。
「現行の経営者である父が新規事業に慎重すぎて進まない」といったものから、「彼女を紹介したら、後継ぎの嫁に相応しくないと否定された」というような生々しい話まで、いろいろ出てきますよ(笑)。
でも、後継ぎというのはスタートアップのように教科書があるものではないですよね。ご家庭の事情、会社の状況など本当に千差万別なのです。
僕らにできることは、それに寄り添うためにできるだけたくさんのケースを蓄積し、共有していくこと。
「そういうケース、他でもあったよ。その会社はこうしていたよ」というのをできるだけ話せるようにしています。
John
近いケースの話をしていただけるのは、嬉しいですね。私も家業と起業、両方に携わっているのでわかりますが、継承者は創業者とは違った心理的プレッシャーを抱えていたりしますし、それを他者に理解してもらうことが難しかったりもします。
そんな中で、「寄り添う」勇太さんたちの存在はとても心強いと思います。
4 「スタートアップと聞くとどこか遠い世界のように感じられる方もいるかもしれませんが、ハーバード出身だからとか、東京でスタートアップをやっていたからできるというのではなく、誰もがトライできるのです。」(山岸)
John
勇太さんが見てきた中で、家業からの変革を見事に成し遂げた事例があれば教えてください。
山岸
アニマルフリーのダウンジャケットをつくっている大阪の婦人服メーカーさんの事例は非常におもしろいですよ。
プロジェクトを進めているのは、現在30歳の深井喜翔さんという家業を継ぐ予定の方。彼は大学卒業後、大手の繊維商社に入り、その後スタートアップを経て、家業へ入ったというキャリアです。
そして今、家業からのスピンオフでカポックジャパンというスタートアップを立ち上げています。
カポックとは、東南アジア原産のふわふわの繊維が詰まった木の実のこと。
群生力が非常に強いのですが、繊維としては活用しにくいということで、現地では食料の緩衝材などに使われている程度だったそうです。
深井さんはその木の実に目をつけ、ファーストキャリアの旭化成と共同で、カポックの繊維をダウンジャケットにできないかと研究開発を行いました。
結果的に、カポックは繊維として機能性も大変優れていることがわかり、保温性・吸湿性なども通常のフェザーのダウンと遜色なく、その上圧倒的に軽い素材ができあがりました。
婦人服メーカーが、新素材を使ったアニマルフリーのダウンジャケットを全世界に向けて販売するスタートアップへと大変革した事例です。
John
大企業→スタートアップ→家業という深井さんのキャリアもユニークですし、その強みを最大限に活かした集大成とも言えるスピンオフですね。
現行の経営者は、家業の発展のためにも、承継者にあえて別の場所でキャリアを積ませるようにしてもいいですね。日本もすごい時代になってきましたね。
山岸
非常におもしろいですよね。
あとは、南福岡自動車学校という自動車教習所を運営している会社さんの事例。
同社の経営者は、もともとスタートアップの経営などを経験され、30歳でご実家に帰ってこられました。家業に戻って今年で10年目、まだ40歳くらいの若い後継ぎの方です。
その方は、初めから「自動車教習所はこれから廃れていく産業だ」と考えていました。免許の取得率の低下、高齢者の免許返納、自動運転の普及……30年後を考えた時に、国内市場は確実に縮小していきます。
その前提で、新たな事業を組み立てたのです。
新たな事業を考える上で、彼がまず目をつけたのが、自動車教習所という既存事業の特異性と強みでした。
自動車免許自体が衰退していくのは避けられませんが、そうは言っても、自動車教習所は日本国民の多くが1つのライセンスを取得しに行く、特殊な場所です。
であれば、自動車に限らず免許に特化した、「免許の専門組織」を目指そうと考えました。
わかりやすいところで言いますと、ドローンの免許取得などには既に取り組んでいます。
また、地方の大手企業が大きくなる手法としてM&Aは一般的になっていますが、彼の場合はそこからもう1段上の発想で、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)を立ち上げました。
これは自動車免許がなくなることを見越し、次の業態の柱を探すためのものです。
John
地方で城取り合戦をして自分たちの利益を守るのではなく、世界や東京の良いスタートアップに投資をして情報収集することで、新規事業の種を探しつつ、上場してくれたら自社にもキャッシュが還ってくる方法を選んだわけですか。
大企業が先を見てやっているようなことを、中小企業でもできるのですね。
山岸
まさに、そういうことです。
今はAIの会社に投資をされていて、AIを使った自動車教習所をつくろうとしています。隣に教官を乗せて運転しなくても、AIにガイドしてもらって免許が取得できるそうですよ。
他にも、街のお醤油屋さんがイノベーティブな事業をつくった事例などもありますし、後継ぎベンチャーの世界は非常におもしろいのです。
スタートアップと聞くとどこか遠い世界のように感じられる方もいるかもしれませんが、誰もがトライできるのです。
「自分たちでもできるかも」と思ってもらえるよう、良い事例を増やしていきたいです。
John
すばらしい事例をお聞かせいただきました。日本の中小企業の未来を見たようです。
家業を継いで、スタートアップ的なアプローチで新たな事業を立ち上げる人が増えてほしいと心から思います。
5 「挑戦するプレーヤーを増やしたいし、挑戦し続けられる環境をつくりたいというのが今の僕の原動力になっています。」(山岸)
John
たくさんの事例を日々目の当たりにされている勇太さんから見て、成功する起業の共通点はありますか。
山岸
まず後継ぎの新規事業のところでお話しますと、初めから世界を目指して逆算している事業でないと、成功しないと感じています。
初めから世界を目指している人たちはやはりとても未来志向ですよね。
地域を盛り上げたいという目線でやっている方も増えてきていますが、正直、それはもう当たり前という段階に入ってきている。
僕たちベンチャー型事業承継としても、地方創生というよりは世界から逆算して大きな成長を目指す後継ぎを応援したいと考えています。
僕やジョンさんのように、1980年代前後に生まれた世代は、ここから30~40年先の日本をつくっていかないといけない世代ですよね。
この世代が世界から逆算して、未来を見ながら事業をつくっていかないと、勝てる産業はできないし、ひいては日本の未来をつくっていくことができないと考えています。
John
地方の中小企業では、地方創生という方に意識がいきがちですが、世界から一目置かれるために何をすべきかを考えていけるかどうかが40年後の成功を左右する要因な訳ですね。
世界を相手に事業をして、本社は地元においてもいいわけですからね。中小企業も、スタートアップのように世界を見て、未来を作っていこうと。
山岸
僕たちの後継ぎ向けのプログラムでも、スタートアップ的な思考で事業を考える習慣を身につけてもらうことを重視しているのです。
それさえ身につけてくれたら、僕らのプログラムを卒業した後もそういう思考習慣が残り、自立して事業を立ち上げられるようになるはずですから。
John
世の中に新しい価値を生み出すスタートアップの思考習慣は、この先行き不透明なVUCA時代を乗り切るすべての人たちにぜひ身につけて欲しいものですね。
Volatility(変動性)Uncertainty(不確実性)Complexity(複雑性)Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったVUCA時代は、1987年にWatten Bennis氏とBurt nanus氏のリーダーシップ理論に登場した言葉ですが、確かに日本経済が失われた30年となっていく間に、世界に存在感を示してきたのはシリコンバレーの企業です。
このコロナ渦でも成長を続けているところを見ても、時代の変化を味方につけるためには「自ら新しい価値を生み出す力」を身に着ける必要があり、スタートアップの思考習慣はその力を養うのに役に立ちますね。
山岸
おっしゃる通りですね。スタートアップも事業承継もそうですが、挑戦できる人を増やす必要性を感じています。
挑戦するプレーヤーを増やしたいし、挑戦し続けられる環境をつくりたいというのが今の僕の原動力になっています。
僕は今、県庁職員ではありますが、「福岡から日本を盛り上げるのだ」という想いを持って活動しています。
なので、まずは九州全体と周辺都市を巻き込んで、福岡市150万人ではなく九州・山口1500万人を見て、挑戦できる人を増やすための活動をしていきたい。
福岡では、挑戦できる環境・文化ができてきていると思いますが、僕の役割は今後5年、10年先にも挑戦し続けられるようにする仕組みづくりだと思っています。
そのためにアクセラレーションプログラムをつくったり、いろいろな方を招致したりということに注力しています。
僕が県庁内の人事異動などで現在のポジションでなくなったとしても、うまく回っていく仕組みをつくっていくつもりです。
John
どんなに良いプロジェクトも、良い仕組みがなければ、キープレイヤーがいなくなった時点で途絶えてしまいますからね。「継承」のプロ、勇太さんなら、最高の仕組みを作られることと思います。
そして、勇太さんのビジョンやパッションも継承されるといいですね。
そのためには、カルチャーづくりができたらいいと思います。
シリコンバレー発の世界600都市、125カ国で開催し、350万人を繋ぐ起業家コミュニティStartup Grindの福岡チャプター Startup Grind Fukuokaを立ち上げたのも、シリコンバレーのカルチャーを根付かせたいと考えたからです。
現地のStartup Grind のカンファレンスに参加して感動したのが、「破壊的イノベーション」で有名なハーバードビジネススクールのクリステンセン教授、元Appleのエバンジェリストのガイカワサキ氏、Linkedin創業者のリードホフマン氏などの話を直接聞けたことです。彼らとStartup GrindのファウンダーであるDerek Andersen氏が対談するのですが、Startup Grindでは対談のことを「Fireside Chat(暖炉の前のおしゃべり)」と呼んでいます。
尖った話題をしながらも、堅苦しくないラフな雰囲気で、偶然性も大切にしながら会話を進めていくスタイルになんとも言えないかっこよさがあります。
私たちのバリューは、自分より人を助けること、得ることではなく与えること、人脈ではなく友達を作ることなんですが、このようなマインドが参加者の方々にも伝染していったら嬉しいと感じています。そのためにはノウハウを伝えるだけでは足りなくて、カルチャーを作る必要があると考えています。
その土台づくりとして、現在はオンラインですが、毎月イベントを開催しています。
山岸
すばらしい取り組みですね。
僕も、カルチャーづくりは非常に重要だと思います。
John
スタートアップを応援するカルチャーがあれば、エンジェル投資家が増えていくし、CVCやVCが自然とできていく。やり続けることに意味がありますよね。
後継ぎに関しても、これまでの地方中小企業における事業承継のイメージを変革することがまずは重要で、勇太さんたちが変えてくれるのではと感じています。
山岸
ありがとうございます。
福岡のようにスタートアップが生まれる土壌ができているところに、アトツギベンチャーという新しいムーブメントが入ることによって、さらに刺激を与え、スタートアップとの相乗効果が生まれると思うのです。
後継ぎのイメージ変革のためにできることはどんどんやっていきたいですね。
John
県庁の職員というのは一側面であって、全国・海外を視野に入れていらっしゃるところが、勇太さんのすばらしいところですね。
勇太さんのような働き方・考え方の人がこれから各県庁、学校、会社などさまざまな場面で必要とされてくると思います。
今日はいろいろ勉強になるお話を、愛りがとうございました!
最後の質問となりますが、なぜそんなに人や企業を応援したいと思えるのか、源泉となっている勇太さんの「イノベーションの哲学」を教えてください。
山岸
僕のイノベーションの哲学は「プルス・ウルトラ」です。
ラテン語で、「一歩先へ」とか「その先の未来へ」という意味を持つ言葉です。
スタートアップは1歩先の未来を感じさせてくれる存在だし、アトツギの支援もこの先50年100年で日本が変わっていくのを予感させてくれる。
僕はそこに関わることがとてもおもしろいし、そんな世界のプレーヤーでいたいのです。
John
WOW、プルス・ウルトラ! すごくかっこいいですね。
本日は勇太さん、貴重なお話を本当に愛りがとうございました!
以上
※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2021年8月31日時点のものであり、将来変更される可能性があります。
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