かつてナポレオン・ヒルは、偉大な多くの成功者たちにインタビューすることで、成功哲学を築き、世の中に広められました。私Johnも、経営者やイノベーター支援者などとの対談を通じて、ビジョンや戦略、成功だけではなく、失敗から再チャレンジに挑んだマインドを聞き出し、「イノベーション哲学」を体系化し、皆さまのお役に立ちたいと思います。
第27回に登場していただきましたのは、大阪ガスで海外スタートアップとの協業、複数の新規プロジェクト立ち上げを経験され、2018年からは東京ガスのシリコンバレーにおけるCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)立上げにも参画し、2021年から東北電力 事業創出部門 アドバイザーをしている 出馬 弘昭 氏です(以下インタビューでは「出馬」)。
国内有数のクリーンテックの有識者として十数社のアドバイザーなどを務める出馬氏に、現在に至るまでの道のりと、イノベーションの哲学を伺いました。
1 「80年代当時から、大阪ガスは『将来、関西でガス事業だけでは会社を存続できない。総合生活産業を目指す』という考えを持ち、事業に取り組んでいる会社でした」(出馬)
John
日本を代表するクリーンテックの専門家、Mr.脱炭素の出馬さん、貴重なお時間をいただき、愛りがとうございます(愛+ありがとう)。
この記事では、出馬さんご自身のお話を掘り下げてお聞きしたいと思っています。
どうしたら出馬さんのような方になれるのか、イントレプレナーとはどのように生まれるのか、その秘訣を探っていきたいです。
まずは、どのような学生時代を経て大阪ガスへ入社されたのか、教えていただけますか。
出馬
学生時代は、京都大学工学部機械系物理工学科に在籍し、エネルギー系の研究室に所属していました。
研究テーマは極低温での輻射特性でした。研究室の出身者は、電力ガスなどのエネルギー系の会社に就職することが多く、僕も大阪ガスを選びました。
入社は1983年。当時、大阪ガスは「将来、関西のガス事業だけでは会社を存続できない。総合生活産業を目指す」会社でした。
エネルギーの領域を都市ガスだけではなく、LPガスや電気などに広げ、地域も関西だけでなく全国・世界に展開しました。また、総合生活産業を目指すということで、エネルギー以外の事業にも取り組み、経営の多角化を目指していました。
新規事業にもいろいろと取り組んでおり、日本の電力・ガス業界ではかなり先進的な考えを持つ会社だったと思います。
そんな大阪ガスで、僕は主に研究所やIT部門に在籍していました。大阪ガスでは、研究所の成果やIT部門の成果を、必ず事業化するというのが鉄則でした。
通常、企業の研究所というのは、研究成果は社内のために使うものと考えますが、大阪ガスでは「社内で使うのは当たり前。それが終わったら事業化して外部へ販売を」という姿勢だったのです。「商人(あきんど)魂」が根付いた会社でしたね。
僕も研究の成果を事業化、外販することを多々やっていました。
John
今でこそ、研究とビジネスを繋ぐ必要性が叫ばれていますが、80する年代からそうした姿勢を持って取り組まれていたとは、先見の明を持つ会社だったのですね。素晴らしいです。
中でも、印象に残っているプロジェクトやご経験はありますか。
出馬
初めて携わった海外プロジェクトは、大阪ガスと米国スタートアップの協業でした。
1988年、僕は会社の海外留学制度を利用して、米国・南カリフォルニア大学で画像処理の研究をしていました。ある時、大阪ガスの研究所の先輩から「ロサンゼルス(LA)におもしろいスタートアップがあるから見に行ってほしい」と連絡が来ました。
そのスタートアップは音声認識の会社で、不特定話者、つまり誰の声でも認識するという技術を持っている当時最先端の会社でした。
直ぐにスタートアップを訪問し、実際に音声認識をトライ、日本にレポートしました。すると、先輩がLAに来て、スタートアップと協業の話をしました。その後、大阪ガスはその音声認識の技術をライセンス契約し、IT子会社・オージス総研でビジネス化しました。
その時に驚いたのは「大阪ガスというローカルなガス会社は、海外のスタートアップと、こんな短期間で協業し、ビジネス化する会社なのか」ということでした。
その後、そのスタートアップはうまくいかず経営破綻しましたが、大阪ガスは音声認識のソフトウェアライセンスを買い取り、国内でビジネスを続けました。
このエピソードからも分かる通り、一般の方が考えているような電力・ガス会社の研究所の仕事ではなかったですね。1980年代、大阪ガスの研究所では、「ガスの研究はするな」とまで言われていました。当時の幹部曰く「大阪ガスの研究所は将来のための研究をするべきであり、先細ることが見えているガスの研究はしなくてよい」と。
今考えると、すごい会社だったなと思います。
John
今後伸びる産業に関わることは、企業を成長させる上で欠かせないことです。しかし、ガス会社が率先して、ガスの研究をするより将来性のあるビジネスの創出に力を注ごうという方針を打ち出しているとは驚きです。ここまでアントレプレナーマインドの徹底した企業は、いまだに少ないのではないでしょうか。
若い頃にそういう環境にいらっしゃったというのは、うらやましい限りです。帰国後は、どのようなお仕事をされていたのですか。
出馬
1989年に帰国し、大阪ガスの研究所でやっていたSQUID脳磁計と呼ばれる医療装置のプロジェクトに参画しました。脳の機能解明をする医療装置を開発し、大学病院などに販売するプロジェクトでした。基幹部品であるセンサーはカナダのスタートアップのセンサーを採用し、大阪ガスが医療装置を開発しました。僕は画像処理の分野を担当していました。
脳を調べる機械といえばMRIがイメージしやすいと思いますが、MRIは脳の組織・形状を見るものです。一方、僕たちが作っていたのは脳のどこが動いているかを可視化する装置でした。
脳の構造がわかるMRIのデータと、我々がつくっている脳磁計を重ね合わせるようにしたら、どの部位が動いているのかが分かります。
「なぜガス会社がメディカル系の事業を?」と思われるかもしれませんが、この医療装置というのは全く脈絡のない話ではありません。大阪ガスが海外から輸入する液化天然ガスが持つ冷熱エネルギーの活用という側面がありました。
天然ガスはガスのままでは体積が大きいので、液化して600分の1の体積にして輸入します。大阪ガスはこの冷熱を有効利用する研究をたくさん行っていました。
基幹部品のセンサーは、極低温で作動するため、冷熱利用技術の一環でした。
僕は画像処理の責任者としてプロジェクトに加わりました。LAでは音声認識のスタートアップとの協業の現場に接し、日本に帰ってきたらカナダのスタートアップと組んで医療装置のビジネス開発をするという、今だったら考えられないような幅広いプロジェクトに携わらせてもらえたのです。
こうした経験を20代後半から30代前半にかけてできたというのは、その後に大きく影響しました。
John
本当に、若いうちに世界を見るというのは貴重な体験ですよね。しかも出馬さんの場合は、実際にプロジェクトを成功に導かれている。
国による違いはもちろんですが、相手がスタートアップという部分で大企業とはさまざまなギャップがあったことと思います。それらの壁を乗り越えて、両社にとって良い方向に話を進めていかなければならない。
いち早くグローバルオープンイノベーションを成功させた出馬さんの気づきは、これからに取り組もうという多くの企業の参考になると思いますが、カナダのスタートアップとの協業で、特に印象に残っていることはなんでしょうか。
出馬
英語でのタフな交渉を経験できたことと、スタートアップの厳しさを肌で感じられたことですね。
当時、僕は年に5〜6回程度、カナダのバンクーバーの郊外にあったセンサーのスタートアップを訪れていました。
こちらは僕1人ですが、スタートアップはCEOやCTO以下4〜5人が打ち合わせに出てきます。日本市場に合うように彼らの仕様を変更してもらうような交渉をするのが仕事ですので、彼らと戦わなくてはいけないことも当然あります。
1回の出張で1週間程度滞在し、その間は朝から晩まで英語で議論しました。出張中は英語漬け、夢も英語で見るほどでしたね。英国でかなりタフな経験ができたので、その後、日本語での仕事は怖いものなし、何でもできる気になりました。
また、僕は結局のところ大企業の安定した社員の身でしたが、彼らは週給で働くスタートアップ。
今でもよく覚えているのが、その会社の「金曜日の朝、CEOに呼ばれた社員はクビを宣告される」という厳しい現実でした。
金曜に「○○さん、社長が呼んでいます」と言われたら、一切何も物を持たず、手ぶらで社長室へ行くのです。
そこで、社長から「君はパフォーマンスが悪いので今日で終わりです」と言われます。そして、係の者がその人のデスクへ行き、個人的な物だけを段ボールに入れて運んでくるのです。
そういう様子を見て、「この人たちはこんな厳しい中で、短期で成果を出すことを求められているのか」と感じましたし、大企業との違いと、これがスタートアップかというのを目の当たりにしました。30歳の自分には、大きな衝撃であり、刺激となりました。
John
国内で大企業に勤めていたら目にすることのないスタートアップの厳しい世界を目の当たりにされたのですね。
この環境の違いは、実はオープンイノベーションを成功させるために、日本企業側が知っておかなければならない重要なポイントですよね。
せっかくミーティングしても協業の話が途中でなくなってしまう原因として、スタートアップ側が真っ先に挙げるのが「スピード感の違い」です。意思決定1つとっても、大企業側には社内の複雑な意思決定プロセスがあり、通常のプロセスを踏んでいるだけなのに遅いと言われても困ると感じたりする。
なぜこのように両社の足並みが揃わないのかというと、出馬さんが仰った通り大企業とスタートアップでは安定性があまりにも違いすぎる。先ほどの例のように、社員個人レベルでも終身雇用と1週間ごとにクビ宣告がある環境という違いがあり、会社レベルでも何十年も続いてきた会社と資金調達に失敗したら無くなる会社という違いがある。
生命線が短いスタートアップとその社員にとっては、1分1秒が本当に貴重で、今持っている時間をフル活用してすぐに具体的な成果を出さなければ、次はない。ゆっくりと検討している時間はないんですよね。
2 「事業立ち上げにおけるスピード感は、海外のスタートアップなどと協業していた経験から得たものです。アジャイルで開発し、とにかく早く進めることを心がけていました。」(出馬)
John
先ほどお話しいただいた医療機器のプロジェクトは、ご自身で企画されたのですか。
出馬
いえ、医療機器は研究所の別の先輩が立ち上げたテーマでした。僕は留学から帰国後、そのプロジェクトに途中参画しました。初めて自分でプロジェクトを立ち上げたのは、医療機器プロジェクトを離れた後の1993年のことです。
当時、マルチメディア全盛時代でした。CATVこそが情報スーパーハイウェイだと言われていました。研究所で新しいテーマを検討することになり、エネルギー会社はエネルギーをお客さまに供給するだけでなく、情報も提供する時代が来るだろうと考えました。そこで、「エネルギー情報サービス」というコンセプトを立案しました。
どういう情報をお客さまに提供するかと考え、社内を探したところ、料理レシピにたどり着きました。大阪ガスは大正時代にガス調理を普及させるために料理教室を始め、数万のレシピを保有していました。まずはお客さまの生活に密着した料理レシピコンテンツの配信を考えました。
1994年、京阪奈でCATVによる情報スーパーハイウェイ実験が行われており、ここに参画し、レシピコンテンツ配信を始めました。
1995年、阪神・淡路大震災が起こりました。震災後の混乱の中、誰がどこにいるか、無事かどうか、そうした情報がインターネット上に集まるようになり、一気に一般の人までインターネットが認知されました。そこで、CATVからインターネットにピボットすることを決意しました。
日本のスタートアップ2社を巻き込み、1カ月でアジャイル的にレシピサイトを完成させました。
しかし、インターネット公開については、社内からの猛烈な反発がありました。料理レシピは大阪ガスの家庭用営業部門に帰属するもので、僕たち研究所がつくったものではなかったためです。
彼らから「インターネットなんてオタクしか使っていない。なんでそんなところに公開するのか」と猛反対されましたね。
それを何とか乗り切って、95年7月にレシピサイトをローンチ、大ヒットさせることができました。自分がリーダーとなって立ち上げた初めてのプロジェクトです。
1996年、このサイトは日経新聞の日経インターネットアワード第1号に選ばれました。また、Yahoo!が「日本の定番100サイト」などを選ぶ企画でも常連でした。1999年、docomoのiモードが開始した時には最初のコンテンツプロバイダーの1つとなりました。
まだクックパッドが出る前の時代で、レシピサイトとしては大阪ガスがNo.1だったのです。当時、僕は新聞、雑誌、書籍、テレビにも出る、ネット業界人でしたね。
John
ご自身の初のプロジェクトということですが、世の中の流れの変化に迅速に対応し、立場の異なるさまざまな人をチームに巻き込んで、見事に大ヒットを納められた訳ですね。おめでとうございます。
プロセスを伺うと、まるでスタートアップのようだとも感じます。
出馬
ありがとうございます。事業立ち上げのスピード感は、海外のスタートアップなどと協業していた経験から得たものです。アジャイルで開発し、とにかく早く進めることを心がけていました。
残念ながら、レシピサイトNo.1の座はクックパッドに抜かれてしまいました。大企業でスピード感を持って仕事をしても、スタートアップのスピードには敵わないことを実感しました。
レシピサイトはレシピレンタルなどで事業化し、四半世紀経った今も大阪ガスの子会社のビジネスとして継続しています。
その後、僕は研究所のマネジャーになり、部下といろいろなプロジェクトを立ち上げました。
1998年、データ分析部門を立ち上げ、その後、事業化しました。実は大阪ガスはデータ分析のジャンルでも有名なのです。
日経情報ストラテジー誌が2014年にデータサイエンティスト・オブ・ザ・イヤーをつくり、大阪ガスは第1号に選ばれました。今も大阪ガスの中には、高度なデータ分析のチームがあり、経営の意思決定支援から現場の生産性向上まで行っています。また、子会社でのデータ分析ビジネスも継続しています。
2001年には行動観察というプロジェクトを立ち上げました。先ほどのデータ分析はデータとして存在するものを分析します。しかし人間の行動は全てデータ化されていません。行動観察は人間の行動そのものを観察し分析するものです。
米国のコーネル大学に留学し、人間工学分野で行動観察、英語ではオブザベーションと言いますが、これを学んで帰国し、私のチームに配属された部下とともにプロジェクトを立ち上げました。
John
行動観察! おもしろそうですね。
どのような事業だったのですか。
出馬
まずは社内の既存ビジネスに、行動観察の考え方を取り入れていきました。
例えば、大阪ガスでは自社ブランドでガス機器を売っていまして、そのガス機器を売っている店舗の売上増加を目的に、行動観察の考え方を活用しました。
人間工学の専門家が店舗でお客さまの流れ、従業員の立ち位置、ガス機器の展示方法などを観察します。そして営業終了後に商品の展示方法を変え、従業員の立ち位置なども調整しました。すると翌日にガス機器の売上が2〜3倍になったのです。
新しいガスコンロの開発にも、行動観察を用いました。お客さまの家に行き、どうやってコンロを使うかを観察して、お客さまも気づいていない潜在的なニーズを発見し、新しいコンロを開発しました。後にグッドデザイン賞を受賞しました。
John
「よくなった」という体感だけでなく、売上が伸びたり、受賞したりするなど客観的な効果が実際に出ている点もすごいですね!
お客様の声を直接聞くのではなく、行動を観察するというのも興味深いです。
出馬
行動を観察すると、お客さまも気づいていない、もっと深く潜在的なニーズを見つけることができるのですよ。
通常、アンケートというのは、お客さまが気付いていることを答えます。これは顕在化したニーズです。しかし潜在的なニーズは、お客様自身も気づいていないし、言葉にできません。
より本質的な課題を発見するためには、お客さまの行動を見て、潜在的なニーズを探り出すことが必要だ、というのが行動観察の考え方です。
John
デザイン思考にも通じるものがありそうですね。
出馬
デザイン思考も一部含みますね。ただ、2001年当時はデザイン思考という言葉はなかったので、当時は深く潜るという意味で「ディープ・ダイブ」と呼ばれていました。
社内で実績を積んだ後、2005年からは子会社で行動観察ビジネスを事業化しました。
John
自社で成果を上げたら、次は外部へ売る!
すばらしい商人魂ですね。さすが、関西人ですね(笑)。
3 「大阪ガスのIT子会社の協業先を見つけるためのシリコンバレー赴任でしたが、大阪ガス本体こそがシリコンバレーに拠点を創り、クリーンテックと組むということをしなければいけないと思いました。」(出馬)
John
クリーンテックの領域に取り組むようになったのは、いつ頃からなのでしょうか。
出馬
スタートアップをシステマチックに探索するきっかけとなったのは、2008年に立ち上げたオープンイノベーションのプロジェクトです。
社内でデータ分析事業・行動観察事業の立ち上げをやっている間は、スタートアップとの関わりはあまりなかったのですが、2008年に技術戦略部長として、大阪ガスの技術戦略を横串で見るという立場になりました。
その時に取り組みはじめたのが、オープンイノベーションでした。
今でこそ、いろいろなところでオープンイノベーションが叫ばれていますが、元は2003年にハーバード大学のヘンリー・チェスブロウ教授が提唱した概念です。大阪ガスでは、2008年に取り組みはじめました。
エネルギー業界では初めて実践しました。オープンイノベーションの日本の事例として、必ず大阪ガスの事例が挙げられます。
大阪ガスグループの技術を全て棚卸しして、大阪ガスがやるべきコア技術を選定しました。ノンコア技術は世界から探索・調達するオープンイノベーションの仕組みを作り、今も進化しています。
探索する技術には日本および世界のスタートアップも含まれます。スタートアップとの協業を本格化したのが2008年でした。
その後、2016年に僕はIT子会社であるオージス総研の米国法人のCEOとしてシリコンバレーに赴任しました。IT系スタートアップの発掘、日本でのビジネス展開が当初のミッションでした。
しかし、いざシリコンバレーに行ってみると、クリーンテックと呼ばれる脱炭素分野のイノベーションに資するスタートアップの隆盛に衝撃を受けました。
さらに、欧米エネルギー大手がクリーンテックに出資・買収するという事例も数多く目にしました。
「これはエライことになっている!」と思いましたね(笑)。
大阪ガスのIT子会社の協業先を見つけるためのシリコンバレー赴任でしたが、大阪ガス本体こそがシリコンバレーに拠点を創り、クリーンテックと組むということをしなければいけないと思いました。
そこで、ITからクリーンテックにピボットしたのです。2016年、大阪ガスは日本のエネルギーでは初めてシリコンバレーに拠点を創り、欧米クリーンテックとのビジネス開発を開拓しました。
Johnさんはお詳しいと思いますが、今あらゆる業界のイノベーションの主役はスタートアップですね。大企業はそれをサポートする脇役です。
一方、日本では、まだ大企業が主役という感じで、世界の流れからは遅れている気がします。
イノベーションの主役はスタートアップだということ、これがエネルギー業界にもきていると、シリコンバレーで学んだのです。
日本では、まだそのような状況がメディアで報道されていなかった時期でした。これは大阪ガス単体の問題ではなく、日本のエネルギー業界全体の問題だと思いました。そこで、日本のエネルギー業界に向けてもクリーンテックに関するセミナーなどを行い、情報発信を行ってきました。それが、現在の活動にもつながっています。
2018年に東京ガスに転職し、シリコンバレーのCVCの立ち上げに参画しました。欧米クリーンテックとのビジネス開発に3年間取り組みました。
2021年に帰国し、東北電力に転職しました。東北電力の仕事は週3日、それ以外は個人事業主として十数社とクリーンテック分野の仕事をテレワーク複業しています。
今も、シリコンバレーにいた5年間と同様、欧米の有望なスタートアップと協業するということに取り組んでいます。
しかし、帰国後、日本国としては、日本から世界で戦えるクリーンテックを創出することが必要だと思うようになりました。
そのために、日本のスタートアップの海外展開を支援する「環境エネルギーイノベーションコミュニティ」などのアドバイザーとしても活動を始めました。
John
シリコンバレーでのクリーンテックとの出会いが、出馬さんのその後を大きく変えたのですね。
改めて、クリーンテックとは何か、クリーンテック系の企業にはどのようなものがあるのかなど、基礎的なことを教えていただけませんか。
出馬
クリーンテックとは、脱炭素を実現するために、技術によってイノベーションを起こそうとしているエネルギー分野のスタートアップです。金融業界のフィンテックにあたります。
クリーンテックの主要分野はエネルギー・パワーです。脱炭素社会は今ある技術では実現できません。脱炭素に向けて、化石燃料は天然ガスでさえ燃やせなくなることを意味し、基本は電化を目指すということになります。
そして、この電化においても、化石燃料を使わず、ソーラーや風力といった再生可能エネルギーによるグリーン電力になります。
ただ、どうしても電化が難しいというのもありますよね。例えば、大型のトラックをEVにするとバッテリーの重量が問題になります。大型輸送には水素燃料電池や水素エンジンのほうが向いていると言われています。
あとは製鉄・化学など大規模プラントを電化できるかというと、それも難しく、水素のほうが適していると言われています。
脱炭素社会を目指し、世界は基本電化、一部水素に向かっています。再生可能エネルギーや水素のコストダウンを目指すスタートアップがエネルギー・パワー分野で注目されています。
そしてその大きな流れに付随してたくさんのクリーンテックが誕生してきました。
例えば、再生可能エネルギーは、風や太陽の状況に左右される「お天気商売」です。安定した供給のためには、電気を溜めておく技術が必要です。エネルギー貯蔵のクリーンテック、特に長期貯蔵分野は注目されています。
大規模なソーラーパネルの故障などをリモートで分析するなど、O&M(operation and maintenance)の効率化を図る技術を持ったスタートアップも増えてきていますね。
また、水素をつくる際には、メタンを分解して、高温で熱分解して水素とCO2に分けています。つまり、天然ガスから水素をつくるとCO2が出てしまうのです。
このCO2をキャプチャーする、CCU(Carbondioxide Capture, Utilization)や、CCUS(Carbondioxide Capture, Utilization and Storage)といわれる技術は、今注目を集めています。
次にモビリティ分野が注目されています。EV自動車の増加に備え、充電系のスタートアップは山のように出てきていますし、車の流れなどを見て渋滞・事故を減らす交通データ分析という分野もあります。
少し別の切り口ですが、脱炭素というゴールに向けては、農業やフードという分野もあります。
フードのところでは代替食品、代替タンパク質というのが注目されています。
日本でも最近、植物由来の肉、昆虫由来タンパク質、バイオ系など出てきていますけど、シリコンバレーでは日本よりも数年前から商業化していました。
農業で言えば、ヴァーティカルファーミング(垂直農法)と呼ばれる、都市部の高層ビルなどの敷地や屋内で農業を行うものや、食品廃棄物を減らすためのスタートアップなども出てきています。
それ以外にも資源・環境、素材・ケミカルもあります。
クリーンテックというのはエネルギー・パワーに留まらず、モビリティ、農業・フード、資源・環境、素材・ケミカルとかなり広い概念になりますね。こうした領域全般を指して、クリーンテックと呼んでいます。
4 「日本のスタートアップの方々には『もっと世界を見ましょう』と伝えています。世界にどんなクリーンテックのスタートアップがあるのかを見て、世界へ出ることを念頭においてみてはどうか、と」(出馬)
John
今から日本の大企業・スタートアップがクリーンテックの世界で勝っていくためには、どうしたらよいでしょうか。
出馬
政府、大企業、スタートアップ、VC、大学などそれぞれに課題があります。まず政府や国レベルの問題としては、補助金などのお金の使い方が挙げられると思っています。
政府は、クリーンテックに関連したいろいろな補助金などを主に大企業・大学に提供します。
しかし、大企業からよい技術がプロダクトとして世の中に出るまでには長い時間がかかります。大学からはそもそもプロダクトは出ません。
せっかくよい技術が日本の大学や企業にあっても、そこにお金を入れている限りは、プロダクトに繋がりません。
欧米のクリーンテックを見ると、よい技術を持った大学の教授や学生はすぐにスタートアップをつくります。企業の研究者は飛び出して起業します。そこに欧米の政府系のお金が入ってスタートアップを成長させています。
スタートアップはプロダクトを早く世に出すことにこだわります。世の中の評価を得て改良するサイクルを高速回転しプロダクトの完成度を高める。そのスピードが大企業より圧倒的に速い。国がお金を入れるべきは、やはりスタートアップです。
日本でもよい技術を持つ大学や企業から、どんどんスタートアップができてほしいと思います。
あとは、日本のエネルギー業界全体の問題。エネルギーの規制が緩和されてきているとは言え、まだまだ日本では大企業が強い世界です。
スタートアップが参入しようと思うと、ニッチなところを狙うしかなくなってしまいます。
もちろん日本のエネルギー系スタートアップの皆さんも一生懸命取り組んでおられますが、成功しても日本のニッチ市場での成功にとどまってしまうのです。世界には出られません。
日本のスタートアップの方々には「もっと世界を見ましょう」と伝えています。世界にどのようなクリーンテックのスタートアップがあるのかを見て、世界へ出ることを念頭においてみてはどうか、と。
すべては無理でも、一部のスタートアップにはそういう目線を持ってほしいと思っています。
John
欧米では、初めから世界を見据えたクリーンテック系スタートアップが多いのですか。
出馬
クリーンテックの世界でいいますと、2009年から毎年発表される「有望な世界のクリーンテックベスト100」のうち、約60社は北米、約30社が欧州とイスラエルという割合です。日本のスタートアップの選定は過去ゼロです。
やはりシリコンバレーはイノベーションのメッカ。クリーンテックも、シリコンバレー中心に北米が多いです。そして最近では、欧州も頑張っている、という印象です。
米国のスタートアップは、米国で成功したら欧州へ行きます。反対に欧州のスタートアップは、欧州が成功したら北米へ打って出ます。
そうして、この2カ所でどんどんよいスタートアップが成長し合い、日本は蚊帳の外となってしまっています。
John
今日ちょうどカナダのコーポレート・ナイツが発表した「世界でもっとも持続可能な100社」を見ましたが、ここでもやはり1位はデンマークのヴェスタス・ウィンド・システムズ、2位もデンマークでクリスチャン・ハンセン、3位が米国・オートデスク、4位フランス・シュナイダーエレクトリック、5位シンガポールのシティ・デベロップメントと続いています。
日本企業は、残念ながら昨年の5社から3社に減少してしまいました。
出馬
政策的に脱炭素という分野でリードしているのは欧州ですからね。
米国はトランプ時代に政策的には遅れました。カリフォルニア、ニューヨーク、ボストン、マサチューセッツ、ハワイなど環境派の州は、独自の政策を整え、クリーンテックのスタートアップを支援しました。
それと比較し、欧州はEU全体と英国含め、欧州全体で脱炭素に向けたルールを決めて、後押しの政策をつくり、スタートアップを育成しようという連携ができています。
イノベーションでリードする北米と、政策でリードする欧州。この2つが競い合う図式です。
John
大企業・スタートアップ共に北米と欧州中心になっているわけですね。
大企業のクリーンテックへの出資・買収もよく目にします。
Amazonもエネルギー系の取り組みをしていますよね。
出馬
かなり注力していますね。Amazonはクライメート・プレッジというVCをつくり、そこからクリーンテック企業へ出資をしています。ジェフ・ベゾス氏個人でも出資していますよね。
あとはブレイクスルーエナジーなど、ビル・ゲイツ氏が携わる企業でも、クリーンテック企業へ出資しています。
John
エンジェル投資家レベルでも、ESC投資、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)を考慮した投資に移ってきていますよね。
2年ほど前に海外の巨大ファミリーオフィスグループのマネージメントをされてるエンジェル投資家の方へインタビューしましたが、当時から個人レベルでも、スタートアップだけではなく、ESGのプロジェクトに対して出資されていました。
世界の富裕層はすでにそういうプロジェクトファンディングに自分たちの資金を提供するのか、と思いました。日本ではまだそういった例をあまり見かけないので。
出馬
そうですね。僕もまさにそうした事例をシリコンバレーで見て、すごいことになっているなと感じたのです。
シリコンバレーの投資家は、電気自動車でテスラが成功したように、エネルギー分野のテスラに匹敵するクリーンテック系の大穴を当てようと狙っています。
John
本当にすごい時代がきましたね。
5 「現在のシリコンバレーでは、『1番優秀な学生は起業する、次に優秀な学生はスタートアップへ就職する』と言われています。」(出馬)
John
ここからはクリーンテックに限らず「日本でイノベーションを起こすには」というテーマでお話をお伺いしたいと思います。
私は、日本でも優秀な学生や研究者が、大企業ではなく、スタートアップへ就職してくれたらと思っているのですが、どうしたらそういう時代が来るでしょうか。
出馬
日本ではまだそういった例は少ないですし、僕自身も知見はないのですが、やはり前例をこれからつくっていくということではないでしょうか。
日本とシリコンバレーを比べた時の圧倒的な違いは、成功した「先輩の背中」が見えるかどうかだと思います。
シリコンバレーでは、大学の先生・学生がどんどん起業し、億万長者になるケースも多い。一方、日本ではそういった前例自体がほぼないため、学生たちも「研究者の先生・先輩が起業して成功した」という話を聞かないわけですからね。
シリコンバレーはそれこそ80年以上前、ウィリアム・ヒューレット氏とデビッド・パッカード氏が会社をつくった時代から、大学の技術で起業するというのが行われてきています。
現在のシリコンバレーでは、「1番優秀な学生は起業する、次に優秀な学生はスタートアップへ就職する」と言われています。
スタートアップはほぼ潰れていきますが、GAFAなどテック大手が受け皿になっています。テック大手で高給をもらいながら次の起業チャンスを狙います。
シリコンバレーの優秀な人たちは、スタートアップとテック大手のレイヤーをぐるぐる回るのです。そこに入れない人たちが大企業へ行くという流れ、とも言われています。
日本にはまだそうした文化がないので、年月をかけて積み重ねていくしかないですよね。
John
私もかつてはシリコンバレーのエコシステムを説明する際、1987年からのVUCA(Volatility=変動性・Uncertainty=不確実性・Complexity=複雑性・Ambiguity=曖昧性)の話、2003年からのオープンイノベーション、ヘンリー・チェスブロウ氏の話なんかをしていました。しかし、ここ2年くらいは「シリコンバレーの父」と言われるフレデリック・ターマン氏や、ヒューレッド・パッカード、インテルの成り立ちなど、かなり古い時代の話も含めて、エコシステムの成り立ちを説明しています。
エコシステムというのは時間がかかるものです。ただコワーキングスペースやアクセラレーターを整えたり、アントレプレナーシップ教育・精神論を唱えたりするだけでは不十分です。行動して、成功して、失敗してという過程を長い時間をかけて繰り返していく必要があります。
出馬さんが仰った通り、シリコンバレーでは起業家の先輩の背中が非常に身近ですよね。そこにいることで自然と自分にもなにかできるのではないだろうか、自分でもやってみたいと思える。
私もそういったシリコンバレーのカルチャーが大好きで日本人にももっと知って欲しいと、シリコンバレー初の起業家コミュニティStartup Grindの福岡チャプター Startup Grind Fukuokaを設立しました。
コロナ渦でのスタートでしたのでオンラインですが、毎月起業家をはじめとするイノベーションを創出しているゲストをお招きし、私との対談形式でゲストの体験に基づいたお話をお聞きしています。内容はもちろんですが、ゲストの表情や動き、話し方からも私自身も毎回多くの気づきをいただいています。
先ほど、イノベーションでリードする北米と、政策でリードする欧州と言うお話がありましたが、欧州から参考にすると良いことはなんでしょう。
出馬
そうですね、シリコンバレーには長い歴史がありますが、欧州に目を向けると、もっと短期間にぐっと伸びてきたように僕は思います。
欧州の各都市にもどんどんスタートアップが出てきていて、これはやはり国主導。特にフランス、クリーンテック分野でもフレンチテックはかなり出てきている。
元々、フランスは農業と観光の国。
そこにテクノロジーなんてなかったはずなのに、何があったのか。
その一因に、リーマンショックがあるのではと言われています。フランス人で優秀な人たちの多くは、リーマンショック前にはシリコンバレーのテック系企業に就職していました。しかしリーマンショックで職を失い、フランスに泣く泣く戻ってきて、その人たちが起業しはじめたことが、フレンチテックが盛り上がる1つのきっかけとなったのです。
さらに、フランス政府はその時期に起業家を手厚くサポートし、伸ばしたといいます。
こうした経緯から、フランスには、シリコンバレーには及ばないものの、短期間でスタートアップが生まれる文化が根付いたのです。
また、シリコンバレーでもよく聞くエストニア。彼らのケースからも、日本は学ぶことが多いと思います。
エストニアは、人口が133万人しかいない小さな国で、自国だけではビジネスが成り立たず、国をあげて海外進出に取り組んでいます。
欧州勢は80年もかけず、10分の1くらいの短い期間でスタートアップのエコシステムを創っています。
John
確かに、今のフランスのお話にもある通り、スタートアップが盛り上がっている国は、結局シリコンバレーを経験しているのですよね。
僕はコロナ前、1年かけて11カ国のスタートアップ・エコシステムを訪れました。
イスラエル、インド、フランス、ルクセンブルク、北欧5カ国、カナダ、オーストラリアなどです。
その後もいろいろな国のケースを見たり、今日のように有識者の方々にインタビューしたりして、日本でスタートアップエコシステムをつくるにはどうしたらいいかを考えてきました。
シリコンバレーのモノマネを日本でやろうとしても無理だろうから、いろいろな国を見ようと思ったのです。
すると、例えばカナダのモントリオールでは、数学に強いフランス系移民たちがAIの教授を務めていて、その弟子たちがインターンでシリコンバレーに行って、カナダに戻ってスタートアップを立ち上げている、ということがわかりました。
他の国々も同様です。もちろん各国の特性を活かすエコシステム作りを行ってはいますが、みんなが参考にするのはシリコンバレーで、どんどん真似をしている。シリコンバレーを中心として動いているのだな、と。
結局、出馬さんから見て、シリコンバレーの何がすごいのでしょうか。日本は何を取り入れるべきですか。
出馬
シリコンバレーのすごいところは、「スタートアップで、世界を変えよう」というマインドの人が多いということですね。
日本のスタートアップで、世界を変えようと言っている人がどれだけいるか。お金を稼ぎたいというのも当然あるだろうけど、世界を変えようという気持ちを持っているかどうかの差は大きいと感じます。
かつ、日本のVCや銀行などの投資家たちは、日本の中で小さな成功することを求めていて、世界での成功を求めていないようにも見えます。
その結果、日本のスタートアップの多くは国内でのIPOを目指しています。海外スタートアップは、9割以上がM&Aですよね。
John
やはりマインドの違い、世界を見据えているかの違いなのですね。
純粋に、僕自身としては「世界をよくしたい」という気持ちをなぜ持たないのかとむしろ疑問ですらあります。
6 「若い人たちには、世界にアンテナを張ること、張って得た情報をもとに行動すること、行動するためにマインドセットを変えること。これをずっと伝えています。」(出馬)
John
僕は昔から「世の中を何とかせないかん」「アメリカへ行く」と言っていましたが、それに対しての親の反応は「頼むから普通にしてくれ」というものでした。
それでも僕はシリコンバレーへ行き、1つにどっぷり浸かってしまうといけないと思い、次はイスラエルに行きといったように、いろいろなものを満遍なく見てきましたし、そういう経験をしてよかったと思っています。
日本の子どもたちはもちろん、大人も、世界を見る・まず話を聞くというのをやってみてほしいです。
出馬
おっしゃる通りで、まずは世界を見ることですよね。VUCAの時代で1番重要なのは一次情報を掴むこと。一次情報を掴むには、新聞やネット記事を読んでるだけではだめで、現地に行かなくてはいけないと僕も思います。
現在、僕はエネルギー業界人向けに勉強会をやっていて、2つのことを伝え続けています。1つは世界にアンテナを張るということ。もう1つはマインドセットを変えるということ。
世界にアンテナを張って、こういう風にパートナーとなるスタートアップを探すのだという方法論を伝えています。
もう1つは、マインドセットを変えるということ。エネルギー業界では、このマインドセットの変革こそが求められるところなのです。
これからのエナジートランジションを乗り越えるためにマインドセットを変える必要があり、大企業ではなくスタートアップのマインドセットこそが必要なのだと言われているのです。欧米の電力大手は今、「シリコンバレーに学ぼう」と言っています。
大阪ガスは昔から海外スタートアップと組んだり、シリコンバレーに目を向けたりしていましたが、国内大手でそれを積極的にできている会社は少ない。大阪ガスの働き方も紹介しています。
文化的にも、電力・ガスなどの会社の人たちは変革を望むような人たちではないように感じます。
また、シリコンバレーのスタートアップのような短期間で成果を出す働き方というのも、日本企業はもっと意識したほうがいい。
カナダのスタートアップのような「金曜日にCEOに呼ばれたらクビ」という厳しい世界。それくらいの気持ちを持って、成果を出す働き方をしなくてはならないのだと話しています。
若い人たちには、世界にアンテナを張ること、張って得た情報をもとに行動すること、行動するためにマインドセットを変えること。これをずっと伝えています。
John
今ご指摘いただいた、アンテナの張り方、スタートアップとの組み方のところ、もう少し詳しくお伺いしてもよろしいですか。
出馬
アンテナの張り方というところでは、クリーンテック業界、特にハードウェア系は、フィンテック分野のようにスタートアップが次々と出てくる業界ではないので、網を張るところが決まっています。
クリーンテックのアクセラレーター系、クリーンテックに出資をすることで有名なVC、クリーンテックに関連する主なカンファレンスなどに出入りしていれば、大体のスタートアップの情報はキャッチアップすることができます。
コロナ以前は、現場でピッチを聞くというのが主でしたので、ピッチが終わったらすぐに名刺交換をしていろいろな話をし、Zoomなどで補足情報を得て、日本側で興味を持ってくれる人を探し、興味を持ってくれたらNDAを結んでより深い話をする…というような流れが一般的でした。
John
日本側のキャッチャーが話をうまく理解できるか、活かせるかというのが重要になってきそうですね。
出馬
おっしゃる通りです。大阪ガスに在籍していた時はオープンイノベーションの仕組みとして、システマチックにつくっていました。
日本の大企業、大学・研究機関、中小企業、世界の企業の情報をシステマチックに管理し、キャッチャー側の組織をしっかりつくるということをしていました。「ここに情報を投げれば、適切に判断して、関連する部署や子会社へつないでくれる」という仕組みですね。
しかし、普通の企業では、社内にそうした仕組みができていないことが多い。キャッチャー側の人がいても、一向に返事がない、情報がキャッチャーで止まってどこにも伝わっていなかった、ということも聞きますね。
キャッチャー側には、技術の理解と、適切な部署に話を振るための社内人脈が必要です。それがないと、うまくいきません。
僕自身も、キャッチャー側の組織がうまくできていない企業に対しては、自分が持っている情報に関心のありそうな、社内の研究所・事業部・関連会社の人たちを集めてもらい、ミニセミナーを開催した経験があります。ある会社では合計20回以上もそうした社内セミナーを開催しましたよ。
あとは、シリコンバレーで得た情報をウィークリーレポートにしたりもしました。もはや自分で投げて、自分で取る。ピッチャーとキャッチャーの二刀流です(笑)。
また、逆に各部門のニーズ、課題を収集することも必要です。どんな会社の情報であれば興味を持ってくれるのか、よい会社が見つかった場合は誰に繋げばやりとりをしてくれるのかなど、あらかじめ決めておくことも必要ですね。
こういう仕組みづくりは僕がこれまでのキャリアでやっていたことですが、オープンイノベーションに本気で取り組むなら、こういう体制・組織をつくることがスタートだと思います。
John
現地での情報収集にあたる駐在員、ピッチャー側に必要な素養は何だと思われますか。
出馬
駐在員に必要な能力は、2つあります。1つ目はアクティブであること、2つ目は社内人脈があることです。
アクティブというのは、当然のことですよね。せっかくシリコンバレーに来たのにデスクに座っていたらいけません。
いろんなピッチ、カンファレンス、セミナーに出る行動力が大事。日本で行動力がない人が米国で行動できるわけがありません。オフィスにいつもいない、外へ出てどんどん人脈を拡げていくような人がいいでしょう。
2つ目の社内人脈のあるというのは、先ほどの話にも出ましたが、よいスタートアップを見つけても、社内で引き取ってくれる人がいなくては無意味な情報になってしまうからです。
すでに社内で人脈を持っていて、適切な部署に話を振ることができれば、シリコンバレーの駐在員として通用します。
よく「英語ができるから駐在させる」という会社がありますが、英語が話せるだけではだめです。シリコンバレーの現地駐在員には、英語力はそこまで必要ありません。僕は英語下手ですから(笑)。
他企業の人を見ていても、英語は上手くなくても、行動力のある人こそが成果を出します。
John
海外=英語力と安易に考えるのは危険ですよね。日本に置き換えて考えればわかるのですが、日本語の語彙力のある人・文法の完璧な人が必ずしもリーダーシップをとっているとは限りません。
もちろん語学に堪能な方が幅広い表現ができますが、表現の多彩さよりも行動力や巻き込み力、パワフルさを持っている人の方が輪の中心になってプロジェクトを回していたりします。これは場が海外に変わっても実は同じなんですよね。
むしろ、海外では余計にアクティブにならなければいけないくらいです。そこで、出馬さんのようにアクティブになるにはどうしたらいいか教えていただけると嬉しいです。
出馬
それはもう「迷ったらやれ」ですね。
人間は日々いろいろな決断を迫られます。あらゆることに意思決定をする中、例えば迷わずやることが2割、迷わずやらないことが2割あるとしたら、あとの6割は迷っていることになります。
そうした時に、迷ったものを全てやらなかったら、8割捨ててしまうことになります。逆に、迷ったらやる、と決めたら8割できるようになる。
これが行動を増やすコツですね。やってだめなら次やらなければいいだけですから。
「このミートアップ行こうかな、どうしようかな」と迷う時間がもったいない。迷ったら行く。違うなと思ったら次は行かない。それだけです。
John
すばらしいお考えですね。迷うと言うことは、プラスになる可能性があるかもしれないとどこかで感じているわけですからね。出馬さんが仰る通り、確実に不必要だとわかっているなら迷わずやらないと決められますから。それを認識できているかどうかで6割の意思決定に影響が出る訳ですから大きいですね。
私も「迷ったらやる」を実行していきます!
7 「すごいと思える人に出会ったら、ギブ、ギブ、ギブ・・・そして最後に1つテイクがあればよいくらい。ギブアンドテイクなんて滅相もない、そのくらいの謙虚さでキーパーソンとは付き合うことです。」(出馬)
John
イベントに行って興味がある会社に出会ったら、その先どのように交流を続けていかれますか。
シリコンバレーのクリーンテック業界で強固なネットワークを築いた出馬さんの、成功の秘訣をお伺いしたいです。
出馬
人脈や関係をつくるという点では、大阪ガスで教わったのは「裏の人脈を創る」というのが根本にあります。
表の人脈というのは、普段仕事で付き合いのある社内・社外の人たち。
それに対して、裏の人脈というのは、仕事上で付き合いはないのだけれど、他部門で「あの人おもしろいな」と思える人や、社外でも直接仕事はしていないのだけれど、「あの会社のこの人はすごいな」と思える人たちと繋がっておくことです。
社外のそういう人と出会える場は、やはりミートアップなど社外のイベントですよね。
そして、そういう人に出会ったらどうするか。ここで次に若い人たちに伝えたいのは、「ギブアンドテイクではなく、ギブギブギブで付き合え」ということ。
すごいと思える人に出会ったら、ギブ、ギブ、ギブ……。そして最後に1つテイクがあればよいくらい。ギブアンドテイクなんて滅相もない、そのくらいの謙虚さでキーパーソンとは付き合うことです。
本当にすごいなと思える人には、「こういう情報がありますよ」「こういう人を紹介しますよ」と与えて、与えて、付き合うのです。
僕は2021年の3月に日本に帰ってきましたが、その半年ほど前には日本に帰ろうと決めていて、これまで培った裏の人脈の人たちに帰国を連絡しました。
そうしたところ、ありがたいことに、直ぐに数件の仕事のオファーをいただきました。今もオファーは続き、累計50件以上来ました。
これらオファーのほとんどは裏の人脈からです。2回の転職と個人事業主の仕事は全て裏の人脈経由です。
若手の人たちにもそうした自分の例を挙げながら、「ギブギブギブ」で付き合うこと、それを続ければ、いざという時にそれをしてきた人たちが助けてくれると伝えています。
John
「裏の人脈」と言う発想は面白いですね。VUCA時代が続く今は、先行き不透明な時代ですから、会社の名前や肩書きだけでなく、自分個人に興味を持ってくれる人々と繋がることはなおさら大切になってきますね。
また、「ギブギブギブ」のお話、私の尊敬するシリコンバレーの投資家も同様のことを仰っていました。成功される方の共通点なのかもしれません。
このコロナ禍で、現地に行って人脈をつくることが難しくなった面がありますが、その点はいかがでしょうか。
出馬
ほとんどの仕事はオンラインで代替可能になりました。もちろん、オンラインだけですべて代用できるかというと、難しいのですが。
例えば、これまでシリコンバレーでスタートアップと協業しようという時には、必ずオフィスや製造現場に行くとか、日本から出張者を連れて行くという動きをしましたが、それは今はできません。
しかし、Zoomによるミートアップなどでも、人脈づくりはできると思います。
実際、僕はコロナ禍でもオンラインでのやりとりで、PoC(Proof of Concept・概念実証)を何件も実現させました。それも、ソフトウェアではなく、ハードウェア系ばかりです。
John
私も同じ意見です。
オンラインイベントであっても積極的に参加して、率先して質問をしたり、スピーカーの方にお礼のメールを送ったりなど、できることはたくさんありますよね。
返事が来なかったとしても、失うものはありませんし。
出馬
そうですよね。
僕は今やっている仕事でも、一度もリアルでお会いしたことがない人もいます。ですが、Zoomとメールだけで仕事をもらえています。
John
私もこのインタビューの少し前に、欧州、アジア、米国を拠点にしているベンチャーキャピタル兼ベンチャービルディング企業のベンチャーパートナーになったばかりですが、その企業の創業者とは1年半程度かけてオンラインで打ち合わせを重ねてきました。
出馬
まさに、裏の人脈ですね(笑)。
John
そうです。世界中のピッチ大会のジャッジなどをお互いやったり、私がモデレーターを務めたルクセンブルク大使館のイベントにそのかたもゲストで招かれてて、日本でピッチイベントをやるとなったら無償で手伝って……いろいろなことを無償でやっていたら、彼女が経営する企業のベンチャーパートナーになりました。
ギブという意識はありませんでしたが、僕も好奇心で生きるタイプなので、自分の知らないことを知っている人には憧れを抱くし、気づいたら手伝ったり連絡を取り合ったりしています。
出馬
まさにギブギブギブの末のテイクの実例ですね。
Johnさんが言うように、本当にすごいと思える方とは、何かしてもらおうなんて考えずに付き合ってしまいますよね。
そこに下心はなくて「この人と付き合ったらおもしろそうだな」と。
それが裏の人脈づくりの根本かもしれません。
そういう付き合い方がこれからは求められるのだ、と若手に伝えたいです。
John
出馬さんとの出会いも、シリコンバレーのPlug and Playで歩いていらっしゃるところに私が声をかけ、挨拶させていただいたのがきっかけでしたよね。あの日があったから、本日このような素晴らしいお話を聞かせていただくことができたわけですし、出馬さんとの出会いに感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に、出馬さんの「イノベーションの哲学」についてお聞きします。
どういう時にプロジェクトはうまくいき、人々に価値を与えられるのでしょうか。出馬さんが働く上で大事にされてきたことを教えてください!
出馬
「やりたいことを見つけ、やりきる覚悟を持つこと」です。
自分が心底やりたいことでないと、プロジェクトはうまくいかない。
例えば、レシピサイトの件は、僕はガス会社も将来必ず、情報サービスに取り組む時代が来ると考え、第一弾としてレシピサイトをローンチしました。
あるいはデータ分析部隊というのも、そうです。欧米のエネルギー事業者などを見ていて、データアナリストを彼らは抱えていて、気象予報士なども社内にいて取り組んでいるのを見て、自分たちもやらなくてはいけないと感じました。
行動観察も、コーネル大学から戻ってきた部下の話を聞いて「これはおもしろい!」と思い、心底やりたいと思えたのです。
オープンイノベーションや、クリーンテックも同様です。
心底やりたいと思えることを見つける、これが第一。
そして次に大事なのが「やり遂げるためには、あらゆる手段を使う」ということ。たとえ、上司の反対を押し切ってでもです。
僕は昔、上司にあるプロジェクトを潰されそうになったことがありました。僕はマネジャーで、相手は常務。普通なら諦めるシチュエーションですが、僕はずっと戦っていました(笑)。
ある時、日経新聞に経済産業省が僕のプロジェクトに関連する課を立ち上げたと言う記事を見つけました。直ぐにその課を訪問して、僕のプロジェクトを説明しました。すると「これこそが経済産業省がやろうとしていることだ!」絶賛されました。経済産業省の後押しもあり、僕のプロジェクトは存続し、今も発展しています。
そのくらい、本当にやりたいと思った事は、あらゆる手段を使ってとことんやりきることが重要です。
当時の大阪ガスはすごいところで、僕だけじゃなく、みんなやりたいことは上司に止められても、隠れてでもやっていました。
その頃の経営陣には「どうにかなりまっしゃろ、やってみなはれ」と言ってくれる方がいたから、そういう文化が根付いたのだと思います。
時には敵もつくったし、同じ社内なのに出入り禁止になった部門が何度かありました。
それでも、やりたいと思ったらやるという覚悟を持つことです。もちろん、それを先にやっている諸先輩方、そういう風土をつくる経営層がいたからできたのです。
それが僕のイノベーションの哲学です。
John
出馬さん、本当に、楽しく貴重なお話を愛りがとうございました!
以上
※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2022年6月8日時点のものであり、将来変更される可能性があります。
※上記内容は、株式会社日本情報マートまたは執筆者が作成したものであり、りそな銀行の見解を示しているものではございません。上記内容に関するお問い合わせなどは、お手数ですが下記の電子メールアドレスあてにご連絡をお願いいたします。
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