書いてあること

  • 主な読者:現在・将来の自社のビジネスガバナンスを考えるためのヒントがほしい経営者
  • 課題:変化が激しい時代であり、既存のガバナンス論を学ぶだけでは、不十分
  • 解決策:古代ローマ史を時系列で追い、その長い歴史との対話を通じて、現代に生かせるヒントを学ぶ

1 2つの大きな軸による二分化と変化

ビジネスの世界でも、政治の世界でも、学術の世界でも、2つの大きな軸に寄っていく形で、その世界が大きく二分されることがあります。目的、方法、主義、思想、スタンスなどの違いで2つに大きく分かれ、その2つが均衡を保つこともありますが、多くの場合、一方が主導権を握り、ある契機を経て、他方に主導権が移る。それが振り子のように繰り返されます。あるいは2つの大きな潮流が交互に主流となるイメージでしょうか。このような動きは、多数決の論理で動く場合もありますし、権威主義的な論理で動く場合もあります。いずれにせよ、私たちが目にする多くの世界は、2つの大きな軸を行き交いながら、変化しています。

政治の世界では、それが端的に表れます。言うまでもないことですが、アメリカの政治を見ると、共和党と民主党という政党が2つの大きな軸になっており、政権与党が変わると、大小さまざまな政策の転換が図られ、市民生活に変化をもたらします。その変化を前進と感じるのか後退と感じるのかは、個々人の立場などによって異なりますが、こうした変化が繰り返し行われることによって、全体としてはバランスの取れた前進となっているのではないでしょうか。

2 ビジネス界における2軸の争い

ビジネスの世界でも、政治の世界ほど顕著ではありませんが、2つの大きな軸、2つの大きな潮流がつばぜり合いを繰り返し、争いながら変化していく例は数多く挙げられます。ビジネスという特性上、比較的短い時間軸の中で、いずれかに勝ち名乗りがありますし、2つの大きな軸のいずれか、あるいは両方が陳腐化し、新たな軸に取って代わられることもあります。そうした一連の過程を通じて変化が生み出され、産業界全体を前進させています。

古くは、家庭用ビデオのVHS方式とβ方式の争いがあり、Blu-ray Disc方式とHD DVD方式との間で同様の争いが再び起こったことは記憶に新しいところです。コンピューター市場においても、2つの大きな軸の争いが繰り返され、現在に至っています。後ほど触れますが、こうした先端技術に関わるビジネス領域においては、品質や価格での競争も重要ではあるものの、それ以上に、業界標準や標準規格の競争が重要となっています。

ビジネス界における2軸の争いでは、どちらの軸が勝利したかは比較的分かりやすいといえます。しかし、その中で、総合的に見て、本当の勝者はどの企業だったのかが判然としないのが興味深いところです。2軸の争いで勝利するために実行した戦略が、勝利した後の段階で、自社の首を絞める結果となっていたり、あるいは結果的に新たに敵対する軸への利敵行為になっていたりして、瞬く間に勝者の座を追われたりすることもあります。そもそも、戦略には選択という側面があり、中・長期で見れば、それが成功だったのか失敗だったのかは判然としないものではあります。

後世の人間が歴史上の戦略や選択を評価することと同じで、本当の勝者は誰だったのか、その戦略は正しかったのか、というのは、極めて難しい問いなのです。

3 共和政ローマにおける2軸の争い

古代ローマの共和政期において2つの大きな軸といえば、元老院派(閥族派)と民衆派(平民派)でしょう。名称が与える印象からか、両派の争いは階層的な対立と捉えられがちですが、そうではありません。支配者層の中で、出自や考え方が異なる2つの私的なグループが存在し対立していたのです。

元老院派が元老院の既得権を守ろうとする考えであったのに対し、民衆派は元老院の既得権を打破しようとする考えでした。この対立は沈静化していた時期もありましたが、長期の戦争に対応するために元老院への権力集中が進められる中、失業者の増加などの社会不安が広がっていったことを背景に、両派の対立は激化していきます。

民衆派のグラックス兄弟は、失業者対策として農地改革を進めようとしますが、反対する元老院派から追い詰められ、命を落とします。その後、執政官のマリウスが、失業者対策として軍制改革を進めます。これは、それまで有産階級の義務であった兵役を志願制とし、無産階級でも職に就ける(職業軍人となれる)ようにしたのです。こうして民衆派の支持を得たマリウスは、次第に元老院派と対立するようになり、元老院派のスッラと激しく争っていくことになります。

スッラとの争いに敗れ、国賊扱いでアフリカに逃れていたマリウスは、スッラが出征した留守を狙ってローマに戻り、自身と敵対した人物を次々と殺害します。ほどなくマリウスが病気で亡くなり、元老院派のスッラが権力を掌握すると、今度はスッラが、民衆派を粛清すべく、処刑者名簿に沿って、次々と民衆派を殺害しました。

こうして民衆派を一掃したスッラは、それまで6カ月という任期が定められていた独裁官の地位に、任期無期限で就任し、盤石な地位と権威を背景に、元老院を中心とした政治体制の確立に向けて国政改革を断行していったのです。

このような状況を見ると、元老院派の優位がこの後も続いていくかのようですが、実際はそうではありません。これまで前例のなかった任期無期限の独裁官という地位は、この後登場するカエサルやアウグストゥスの権威を終身で保証することになり、元老院派の弱体化、さらには共和政の終結という想定外のシナリオに進んでいくのです。大きな2軸の争いの中で実行された戦略が、新たな軸を生み出す苗床となっていったのです。

4 クローズ戦略かオープン戦略か

先ほども述べた通り、先端技術に関わるビジネス領域においては、業界標準や標準規格の競争が重要となります。

この競争を制する戦略の1つは、クローズ戦略(クローズドポリシー)と呼ばれ、その成功例としては、コンピューターのメインフレームにおけるIBMが挙げられます。IBM機でのみ作動するアプリケーションにデータが蓄積されることで、ユーザー企業は他社製品へ乗り換えるスイッチングコストが大きくなるため、IBM機を再び選ぶことになります。IBMはこの戦略で市場を安定的に押さえていくことに成功しました。

この後、パソコン市場の黎明(れいめい)期に主役となるAppleも同様のクローズ戦略を採っていました。

もう1つの戦略は、オープン戦略(オープンドポリシー)と呼ばれるものです。パソコン市場に遅れて参入したIBMは、OSやMPUなどを他の企業から調達し、その仕様をオープンにすることで、IBM機向けのアプリケーションや周辺機器を開発・販売する自由を外部の企業に与えました。この戦略が功を奏し、参入の翌年にはAppleを上回る販売額を記録しました。ご存じの通り、この戦略に乗って、MicrosoftやIntelもパソコン市場で大きな地位を築くことになりました。

このクローズ戦略とオープン戦略という2つの大きな軸は、コンピューター市場の中で、繰り返し揺れ動き、それぞれの戦略のメリット・デメリットとあいまって、各企業の浮き沈みに影響を与えています。

パソコン市場でオープン戦略を採ったIBM(コンピューターのメインフレームではクローズ戦略でした)は、当初は成功を収めたものの、他社が製造販売するIBM互換機に押され、IBM互換機のシェア拡大、IBM機のシェア低下という結果を招きました。Microsoftは、よりオープンな戦略を採るGoogleなどに押され、スマホ市場では後手に回っています。

一方、クローズ戦略を採ったAppleは、オープン系の製品が抱える機能品質問題と一線を画す形で、iPhoneやiPadの成功につなげています。また、スマホアプリについてはオープン戦略を採って活発なアプリ市場を有するに至っています。

クローズ戦略とオープン戦略という大きな2つの軸は、今後も繰り返し現れ、業界や市場がどちらに寄っていくかについて議論が続けられることでしょう。実際には、各企業の技術力、資金力、市場でのポジショニングなどによって個別に判断されるものですが、2つの軸のいずれかに業界や市場が寄っていく中で、冷静かつ適切に戦略的判断を下せるかが肝要となります。その選択が自社の将来や未来を決めることになるのです。

(2021年9月)
(執筆 辻大志)

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画像:unsplash

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