年間1000人以上の経営者と会い、人と人とのご縁をつなぐ代表世話人杉浦佳浩氏。ベンチャーやユニークな中小企業の目利きである杉浦氏が今回紹介するのは、賀村 研さん(株式会社カムラック 代表取締役)です。

カムラックは博多にある会社で、障がい者への就労支援を行っています。「障がい者への就労支援」と聞くと、作業所などで行う仕事の内容も簡単なものを想像するかもしれません。でも、カムラックの就労支援はまったく違います。IT分野に強く、明るい、楽しい、やりがいがある。パソコンに向かい、かつデータ入力だけではなく、法人アプリの動作確認や開発、デザインといったクリエイティブな仕事があります。実際に、政令指定都市自治体ホームページの構築もやり切っています!

そして2024年3月には、カムラックは障がい者へのAI教育の開始を発表しました(下記プレスリリース)。ChatGPTなど生成AIのプロンプトエンジニアへのニーズが高まる中、カムラックの就労支援はますます注目されそうです。

今回、この記事では、カムラックの取り組みや賀村さんの歩み、思いなどをご紹介します。賀村さんたちの取り組みについてお話を聞いていると、とにかく「明るい」「楽しい」。「支援」ではなく、ちゃんと仕事を依頼する、一緒に仕事をしていくという考え。障がい者への就労支援に対する考え方が変わること間違いなし。地域貢献の取り組みとしても必見です。福岡、大分などを中心に繰り広げられているこの動き、もっと全国に広がっていくといいなと思います。

カムラックには視察・見学もできるので、まずは見学を申し込んでもいいかもしれません。実際に、日々、たくさんの方が見学に訪れています。なんとタイからも!

【プレスリリース】障がい者向けの革新的なe-ラーニングシステム「AICA for 福祉」の共同開発をスタート。障がい者AI人財育成を目指し、障がい者メンバーや障がい者福祉の専門家が開発を監修。
https://www.comeluck.jp/161537.html

 

【見学のご案内】カムラックを見に来ませんか
https://www.comeluck.jp/37414.html

1 「支援」というより、ニアショア的に一緒に仕事してプロジェクトを進める感覚

障がい者の雇用を増やし、自立を支援する取り組みなどが評価され、第12回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞で「審査委員会特別賞」を受賞しているカムラック。

●第12回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「審査委員会特別賞」
https://www.comeluck.jp/141339.html

カムラック

(出所:カムラックホームページより)

カムラックのホームページには、手がけている「ITを活用した仕事×障がい者就労支援」に対する考え方が掲載されていますので、ここでご紹介します。

 

●カムラックが取り組んでいること

カムラック

(出所:カムラックホームページより)

カムラックのように、障がい者の就労支援×ITビジネスのユニークな取り組みは、ほかでは聞いたことがありません。賀村さんは、「ただの作業所ではなく、パソコンを使ったITの実務経験を積ませることで、障がい者が社会で活躍できる環境を整える」と語ります。

もっと言えば、障がい者の雇用は「支援」ではなくて、労働人口が減っていく日本における大事な働き手として障がい者にも国を支えてもらうように「活躍」してもらう。こうした障がい者の就労支援のあるべき姿について、賀村さんは次のように表現します。

「地域の就労支援事業所だから隅っこで助けてくださいとかって言うんじゃなくて。九州の経営者の輪の中のど真ん中にいる。それで一緒にやりましょうという感じ」

この言葉通り、事業所の一つは、福岡県庁前にあります。Comeluckラボ県庁前(就労継続A型事業所カムラック)。見学もできます。

【見学のご案内】カムラックを見に来ませんか
https://www.comeluck.jp/37414.html

 

そして、その先にある思いとして、

「障がい者の方々だけじゃなく、いろいろな活躍人材を育成していくには、仕事がちゃんと事業として成り立ってるところじゃないと。それが自分たちの事業から遠い世界とか思わずにですね。多くの皆さんがどんどんどんどんこの業界(活躍人材の育成)に意識を向けてもらってね。共存の道を作ってくれれば、みんながすごく苦労している社会課題なんて一気に解決しちゃうと思うんです」

と続ける賀村さん。

「支援」だから何かお願いするのではなく、自分たち(依頼する側)にとって必要な仕事、やってほしい仕事だからニアショア的に依頼してちゃんとやってもらう。それで事業として成り立つ。「支援」ではなく、一緒に開発する、プロジェクトを進める。この感覚がとても大事で、目から鱗だと思います。

実際にカムラックでは、「建設業界の深刻な人手不足解消を福祉事業で支援」するために2023年11月に「Constructionカムラック コンソーシアム」を設立しました。

土木関連の企業などがコンソーシアムにバックオフィス業務や図面などの書類作成をアウトソーシング。その業務をコンソーシアム内で連携。カムラックグループの障がい者が作業を行います。品質向上のためコンソーシアム内で技術サポートも入ります。

●日本のインフラを支える建設業界の深刻な人手不足解消を福祉事業で支援 「Constructionカムラック コンソーシアム」設立
https://www.elseif.jp/157498.html

 

●Constructionカムラック コンソーシアム
https://ccconsortium.hp.peraichi.com/

 

●Constructionカムラック コンソーシアムのスキーム

カムラック

(出所:Constructionカムラック コンソーシアム ホームページより)

実は賀村さんは、こうした「単なる支援ではなく一緒にちゃんと仕事として進める形」や障がい者のこれからのあり方については、かなり前から言っていました。例えば、7~8年前ごろに、当時の加藤一億総活躍担当大臣が講演した「一億総活躍・地方創生全国大会in九州」では、賀村さんもパネリストとして登壇し、障がい者の今後について語っています。

●社長の賀村が登壇しました!一億総活躍・地方創生全国大会in九州
https://www.comeluck.jp/68263.html

 

「地域のはじっことかじゃなく、九州全体、ど真ん中で。さまざまな業界から仕事をちゃんと受けて一緒に開発する、プロジェクトを進める」といった考えや発想は、賀村さん自身が以前、IT企業で営業部長をしていた経験や、カムラック設立のきっかけとなったIT系SES企業の社長との出会いなどが関係しているかもしれません。次章で、少し賀村さんのこれまでを振り返ってみます。

2 賀村さんの歩みを振り返る。カムラックの原点とは

賀村さんといえば福岡、博多のイメージが定着していますが、実はご出身は愛媛県です。東京で大学卒業後、最初はゼネコンに就職。東京で働くつもりが、最初の配属は福岡でした。当時はまだみんなが福岡の良さに気付いてない時代だったそうです。バブル崩壊後、ゼネコンを辞めて東京へ。今度は福岡ブームの到来。就職当時とは真逆で、「福岡、そんないいところから東京に来たのねー」と言われた賀村さんでした。

再びの東京で、IT系のスタートアップ企業に入社した賀村さん。セキュリティ製品が大当たりしたその会社で、賀村さんはバリバリの営業部長をやっていました。そのころ「福岡で子育てをしたい」という奥さまの思いもあり、福岡に戻るのですが、ここからが大変。特にIT系は、東京都と地方(当時)とで、まず就職先の数が違う。そして、仕事のやり方も違っていました。

東京では提案営業、ソリューション営業を得意とし、成果を上げていた賀村さん。一方、当時の地方ではそういう営業スタイルは合わない。必要なのはソリューション営業ではなく、実際につくる人、例えるなら大工さん。そのため「やり方が福岡じゃ合わない。給料も合わない」と言われてなかなかよい仕事に恵まれないなど、とても大変な思いをしたそうです。

このころ、後のカムラック設立につながる出会いがあります。それは、地元(福岡)のIT系SES企業の社長との出会いでした。

この社長は、自分たちの会社の姿に疑問を感じていたといいます。当時その企業では、採用してもすぐ社員は東京や大阪、福岡の大手IT企業に出向、常駐。5~10年経つと返されるものの、常駐先の大手のことしか分からない状態になってしまっている実情。こうした、ある意味下請け的な状況を改革し、「あなたの会社とお付き合いしたいと言われる会社にしたい」と思っていたその社長は、賀村さんに新規事業開発を任せます。

ここで賀村さん、年齢を重ねて東京や大阪などから地方に戻ってきたIT系社員の活用をいろいろ考えます。その中で、戻って来たIT系社員が高齢者や障がい者にITのノウハウを教えて、高齢者や障がい者もITの仕事をする戦力にしていく、という好循環を考え、少しずつ動いていたといいます。これが、ある意味カムラックの原点なのだと思います。

その後、そのSES企業の社長が病気になって経営を離脱すると、新規事業を辞めるか会社を辞めるかの選択に迫られ、賀村さんは次の場所へ行くことを決断。「辞めるなんて聞いていない。お前がいないと困る」と心から引き留めてくれた社長には、転職後もお見舞いに行き、いろいろ話をし続けた賀村さん。社長が亡くなった後、その社長の思いもあり、賀村さんは元のSES企業に戻ります。

その後、その会社を出て賀村さんが別で新しく創った、それが障がい者の就労支援をするカムラックでした。

カムラック設立までの話は、いろいろな出来事があり、文章にするのがなかなか難しいところもたくさんあります。ただ言えるのは、一緒に仕事をした地元福岡のIT系SES企業の社長、この社長との出会いや社長の未来への思い、賀村さんへの思いがあったからこそ、カムラックがこの世に生まれたのだと思います。

3 就労支援の業界全体、地域全体、そして未来をとらえて今歩む賀村さん

IT×障がい者への就労支援を実現しようとしていた賀村さん、障がい者への就労支援の部分はカムラックを設立しますが、IT部分(ITを障がい者に教える、サポートする)は前のSES企業を辞めているので、新しく会社が必要。ということでできあがったのが関連会社else if(エルスイフ)です。こちらもそうそうたるメンバーがそろっているといいます。こうして立ち上がったカムラックグループ、「地方のはじっこではない、九州の経営者の輪のど真ん中」にいて、さまざまな業界に対して共存共栄を呼び掛けていきます。

「強みのある商品やサービスや技術、人材、歴史、ノウハウがあり、顧客、ファンがあるところがこの業界にどんどん入ってきてもらって、我々就労支援事業者との共存共栄をしてもらうのが一番の近道。なので、企業さんのところに回っては、あなた方が当事者ですって言っています」

一方、自分たちの業界(就労支援)こそが、まさに今、変わる必要があるとも賀村さんは考えています。

「就労支援事業所に対しては、これからいろんな企業がその気になって我々とお付き合いしようとしてくれるけど、あなた方は受け皿になれますか? ということを聞く。正直言うと、障がい者自身が活躍したいとあまり思っていない場合も少なくない。子どものころから頑張らなくていい、無理しなくていいと言われてきている人たちが多いから。それではこの先困るかもしれないので、それも含めて、我々の同業者、当事者が今一番変わらなくちゃいけない。逆に言うと、これからの次の就労支援は、我々で、今、変えていかなくちゃいけない」

業界のど真ん中にいて、しかも他ではやらないようなことを実践している賀村さんだからこそ出てくる言葉かもしれません。

とにかく業界全体を巻き込み、変えていこうしている賀村さんは、講演や本を出すなどさまざまな活動を行っています。業界団体の理事や部長といった要職も数々。

「業界を変えていこうとすると、カムラックでは、無力ではないが微力。リーダーシップをとりながら業界全体を巻き込み変えていく。そしてそれだけでなく、就労支援とか障がい者の枠じゃなくて、地域、地域貢献、地域活性化、未来の子どもたちへの教育だとか、だんだんこう目の前のことをしようとすると、一番遠いところに考えるようになっていくみたいな感じになってきている」

賀村さんが、未来のあるべき姿、理想の姿を明確に思い描き、それを実現するための歩みを常に続けているのだという感じがします。

この「目の前のことをしようとすると、一番遠いところに考えるようになっていく」は経営者の方であれば特に、よく分かるのではないでしょうか。

4 「共感資本」の考えで、カムラックのノウハウをさまざまな地域に提供

賀村さんは、カムラックのノウハウを惜しげもなく他者に提供します。福岡にいくつか、大分などにも「カムラック〇〇」があります。例えば「カムラックおおいた」など。これらは、賀村さんのカムラックと資本関係はなく、賀村さんは役員でもなく、そしてフランチャイズでもありません。でも、カムラックのノウハウは提供している、人の教育なども行っている賀村さんです。

「我々はカムラックで儲けようとしているわけじゃない。名古屋とか大阪とか大分とか宮崎とか、他の地域で我々の代わりにカムラックをやってくれるんだったら、応援するのが当たり前じゃないですか。

しかもゼロからつくるって大変だから、カムラックの10年のブランドで良ければカムラックの名前つけてもらったらいいじゃないですか、と。我々が地方支店をつくってしまうより、そっち(の地域)でやってそっちで全部完結したら、それこそその地に税金をちゃんと収めて、働く人もその地で」

とにかく「その地域を支える活躍人材を育てる、送り出すために、その地域でやっているのだから」と言う賀村さん。

「僕はお金の関係のないままカムラックをどんどん広げていったらどうなるかという未来を見てみたい」

そう言う賀村さんは、ノウハウの渡し合い、まさに「共感資本」を実現しようとしています。カムラックのノウハウを製造業や飲食店など他の業種に提供したときに、逆に製造業や飲食店の信頼や人脈などがついてくる。お金とかではなく、共感して信頼して、お互いに大事な提供できるものを提供し合う。これが、これからの社会を進化させていくには、とても大事な考え方なのかもしれません。

賀村さんは福岡のご当地アイドル九州プロジェクト後援会会長でもあり、地元福岡のヒーロー「ドゲンジャーズ」のオフィシャルパートナーズ後援会会長でもあります。こうした活動も、共感資本につながっています。

「僕は福岡で子育てすると妻が決めたのに賛同して、この街に住んで事業するようになった。ということは、子どもが過ごすこの街を、事業の中で良くしなくちゃいけない。

アイドルも、福岡という町で女の子たちが夢を諦めない町にしたいというところからスタートして応援している」

こうした共感資本、子どもたちの未来をみんなでノウハウを渡し合ってつくる、業界全体を変え、そして地域貢献していくといった考えの背景には、カムラックを見学した人たちがかつて発したある言葉が関係しているのかもしれません。

「カムラックさんはすごい、素晴らしいですね! これはうちには無理だ」

という言葉を、見学に来た人たちが発していたそうです。とがった就労支援をやろうとしていた、一番になろうとしていた賀村さん、見学者たちの言葉に最初は「やはりうちが一番か!」と喜んでいたそうです。でも、本当にそれでいいのか、と。

せっかく見学に来た人たちに「無理だ」と諦めさせて帰すのは、業界全体にはよくないのではないか。トップが「無理だ」と思って帰ったら、そこの利用者さんやスタッフさんには未来がない。「うちは無理だ」じゃなく、「うちもできる」「私もやってみます」になって帰ってもらおう。

そう考えるようになった賀村さん。カムラックのノウハウを惜しみなく提供するのはそういう理由もあるのでしょう。

「うちには無理だ」と言われて喜んでいたことについて、賀村さんはご自身のブログで「知らないうちにマウントをかけていた」と表現しています。

「そこからはカムラックのことだけを考える経営をやめた」

とブログではつづっています。もっと、「社会の公器」としてできることを実践していく、つくっていく。そんな風に読めるこのブログは、見ていると胸がいっぱいになります。賀村さんのこの思いに大いに共感する経営者の方も多いのではないでしょうか。

最後に、そのブログ、一部をこちらに貼り付けさせていただきます。

カムラック

(出所:カムラックホームページより)

ブログの全文は下記リンクから読めます。

https://www.comeluck.jp/156351.html

みんなでノウハウを渡し合い、地域全体で子どもたちの未来をつくっていく。そんな大きな可能性を感じつつ、今日もIT×障がい者の就労支援に奔走する賀村さんたちカムラックに、心から感謝と感激を伝えたいと思います! 有り難うございます!

【見学のご案内】カムラックを見に来ませんか
https://www.comeluck.jp/37414.html

以上(2024年6月作成)

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