【朝礼】声の出し方、拾い方

今日は、皆さんにお願いがあります。どうか、日ごろから、「声」を出してください。これは、情報を周りに発信して共有してください、という意味です。

皆さんは、日ごろ、とても一生懸命仕事をしてくれています。しかし、残念ながら「声を出すこと」が十分ではありません。例えば、困っていることを一人で抱え込んで仕事を滞らせてしまう人がいます。それぞれの仕事の進捗状況が分からずに、複数の人が同じ仕事を無駄にやっていたり、逆に抜け漏れが出ていたりすることもあります。これは大いに問題です。

そこで今日から、皆さんは、「声の出し方」について、2つのことを心掛けてください。とても重要なことなので、必ず実践していきましょう。

1つ目は、「悪いことほど声を出す」ということです。社内外で起きたトラブル、またはトラブルになりそうだと懸念していること、起きてしまったミスなどは、すぐにその場で皆に伝えなければなりません。そのことを知っているのと知らないでいるのとでは、仕事の進め方や社内外の人との接し方が違ってきます。同じようなトラブルやミスを防ぐことにもつながるでしょう。

2つ目は、「忙しいときほど声を出す」ということです。仕事を幾つも一人で抱え込み、滞らせたりせず、「私は今、この件とこの件で忙しいのでサポートが必要です」と声を出し、早く周りに助けを求めてください。

「周りも忙しそうだから助けを求めにくい」と思っている人がいるかもしれませんが、それは大きな間違いです。早く声を出さずに、後で切羽詰まってから、「やはりできない」という状況になるほうが、周りは困ってしまいます。

また、声を出してくれる人に対する「声の拾い方」もとても重要です。皆さん、まずは、周りで起きていることに関心を持ってください。誰がどのような声を出しているのか、どのような状況にあるのか。関心を持たなければ、声をしっかりと拾うことはできません。

それから、声を出している人のほうに顔を向け、しっかり返事をしてください。背中を向けたままパソコンをカタカタ打っていたり、うんともすんとも言わなかったりしていては、発信側は声を拾ってくれているのかどうか分かりません。声を拾う側は、顔を向け、返事をして、「話を聞いています」という情報を発信することが大切です。

今、私が言った「声の出し方」と「声の拾い方」はとても基本的なことですが、皆さんは果たして実践できているでしょうか。そうではない人も多いはずです。特に管理職は、率先して部下の手本になるよう声を出し、拾ってください。そして、部下にもしっかり実践させましょう。

仕事は、皆で協力して進めることが必要です。そして、それは「声を出すこと」「しっかり拾うこと」から始まります。皆さん、今日からこのことを、肝に銘じてください。

以上(2022年2月)

op16931
画像:Mariko Mitsuda

国がサポートしてくれる「法規制の突破法」。尖った新規事業を進めるチャンス!

書いてあること

  • 主な読者:新規事業を検討しているが、法規制に引っ掛かりそうで心配な経営者
  • 課題:法規制を確認するのが大変。それに、法規制に引っ掛かったら諦めるしかない?
  • 解決策:国の制度を利用して、規制対象になるかを確認したり、規制の特例や規制の変更を求めたりすることができる

1 「法規制の壁」を乗り越えろ!

「画期的な事業アイデアがあるのに、法規制があって諦めた。あるいは、突破する方法が分からずストップしている……」。

この記事は、このような経験がある経営者にお読みいただきたい内容です。法規制などにぶつかったとき、国がそれを突破する手助けをしてくれることをご存じでしょうか? 具体的には、次の3つの制度です。

  • グレーゾーン解消制度:法規制の対象になるか否かを事前に確認できる
  • 新事業特例制度:規制に引っ掛かるが、特例として認めてほしいと要望できる
  • 規制のサンドボックス制度:規制に引っ掛かるが、実証実験で規制の見直しにつなげる

これらは、個々の企業の事業内容に即した規制改革を進めていくために創設された制度です。3つの制度について簡単に説明しますので、ご興味があれば経済産業省のウェブページなどを確認してみてください。

■経済産業省「グレーゾーン解消制度、新事業特例制度及び規制のサンドボックス制度の様式」■
https://www.meti.go.jp/policy/jigyou_saisei/kyousouryoku_kyouka/shinjigyo-kaitakuseidosuishin/detail.html

2 グレーゾーン解消制度の概要

1)グレーゾーン解消制度を利用する際の流れ

グレーゾーン解消制度とは、

法規制の対象になりそうな事業について、関係省庁から実際に規制の適用を受けるか否かの「公的な回答」を得られる制度

です。利用の流れは次の通りです。

画像1

1.事前相談

企業は、事業の計画や確認したい事項をまとめて事業所管省庁に相談します。事業所管省庁は、この後の手続きがスムーズに進むように必要な情報の提供と助言をしてくれます。

2.申請書の作成・提出

次に、企業は「新事業活動に関する規制について規定する法律及び法律に基づく命令の規定に係る照会書」(以下「照会書」)を事業所管省庁に提出します。照会書の様式は、冒頭で紹介した経済産業省のウェブサイトからダウンロードできます。

3.回答書の受け取り

原則として、照会書の提出から1カ月以内に、事業所管省庁・規制所管省庁の連名で確認結果の通知が届きます。規制の適用を受けないと判断されれば、企業は特段の許認可などを取得することなく事業を実施できます。一方、規制の適用を受けると判断された場合、後述する、

新事業特例制度を利用して、突破を試みる

ことができます。

2)グレーゾーン解消制度の活用事例

電子契約サービスを提供する中小企業が、建設業界への電子契約サービスの提供を行うに当たりグレーゾーン解消制度を活用しています。建設工事の請負契約を締結するに当たり、自社のサービスが建設業法施行規則に定められた「ファイルに記録された契約事項等について、改変が行われていないかどうかを確認することができる措置を講じていること」など契約に必要な技術的基準に適合するか否かの照会を求めたものです。

照会の結果、国土交通省から技術的基準を満たし適合する旨の回答があり、同社のサービスは建設工事の請負契約に利用が可能となりました。

グレーゾーン解消制度の活用事例は経済産業省のウェブサイトで確認できます。

■経済産業省「グレーゾーン解消制度の活用事例」■
https://www.meti.go.jp/policy/jigyou_saisei/kyousouryoku_kyouka/shinjigyo-kaitakuseidosuishin/result/gray_zone.html

3 新事業特例制度の概要

1)新事業特例制度を利用する際の流れ

新事業特例制度とは、

事業を実施する上で支障となる規制があるとき、安全性などの確保を条件に、規制の特例を認めてもらう制度

です。利用の流れは次の通りです。

画像2

1.規制の特例措置を求める申請書の作成・提出

企業は、事業所管省庁に事前相談をした後、「新事業活動に関する新たな規制の特例措置の整備に係る要望書」(以下「要望書」)を事業所管省庁に提出します。要望書の様式は、冒頭で紹介した経済産業省のウェブサイトからダウンロードできます。

事業所管省庁が要望書を適切と判断すれば、規制所管省庁に規制の特例措置を整備するよう要請してくれます。規制所管省庁が規制の特例措置を整備するか否かを決定した後、事業所管省庁を経由して企業に結果が通知されます。原則として、要望書の提出から1カ月で検討結果が通知されます。

2.新事業活動計画の策定・認定申請

特例措置が認められた場合、企業は新事業活動計画の認定申請を行います。具体的には、「新事業活動計画の認定申請書」(以下「申請書」)を事業所管省庁に提出します。申請書の様式は、冒頭で紹介した経済産業省のウェブサイトからダウンロードできます。

3.回答・認定書の交付

事業所管省庁が申請書を適切と判断すれば、新事業活動計画を認定することについて規制所管省庁に同意を求めてくれます。規制所管省庁は、新事業活動計画の内容について規制が求める安全性などの観点から検討し、適切と判断したら認定の同意をします。その後、事業所管省庁から企業に対して、認定書が交付されます。

4.新事業活動の実施

認定書の交付をもって、企業は新規事業を実施できます。もちろん、規制の特例措置に係る安全性などを確保する措置を含め、提出した新事業活動計画に沿って実施する必要があります。

5.事業の報告

新規事業を実施する際、各事業年度が終了してから3カ月以内に、「年度における認定新事業活動計画の実施状況報告書」(以下「報告書」)に必要事項を記載し、事業所管省庁へ事業の実施状況を報告しなければなりません。報告書の様式は、冒頭で紹介した経済産業省のウェブサイトからダウンロードできます。

2)新事業特例制度の活用事例

SWALLOW(神奈川県川崎市)が、電動キックボードを運転する際の要件を緩和するために新事業特例制度を活用しています。現状、電動キックボードを運転する際は、ヘルメットの着用と車道の通行が義務付けられています。同社では、密を避けるための新しい移動手段として電動キックボードの活用と、歩行者、自転車、自動車などが安全に共生するために必要なデータを取得するため、運転時のヘルメット着用を任意とすること、自動車道、普通自転車専用通行帯の走行を認めることなどを要望し、規制所管官庁において、上記の点に関する特例措置が整備され、福島県南相馬市の特定のエリア内で公道での実証実験を行いました。

新事業特例制度の活用事例は経済産業省のウェブサイトで確認できます。

■経済産業省「新事業特例制度の活用事例」■
https://www.meti.go.jp/policy/jigyou_saisei/kyousouryoku_kyouka/shinjigyo-kaitakuseidosuishin/result/shinjigyou.html

4 規制のサンドボックス制度の概要

1)規制のサンドボックス制度を利用する際の流れ

規制のサンドボックス制度とは、

AI、ブロックチェーンなどの革新的な技術やビジネスモデルを活用したいとき、規制の適用を受けずに素早く実証実験を行い、その結果に基づいて規制の見直しにつなげる制度

です。利用の流れは次の通りです。

画像3

1.事前相談

企業は、対象の事業について内閣官房の一元窓口に事前相談を行います。

2.計画の策定・実施計画の認定申請を所管の大臣に提出

企業は、実証実験の計画をまとめ、「新技術等実証計画の認定申請書」(以下「申請書」)を規制所管省庁と事業所管省庁の大臣に提出します。申請書の様式は、冒頭で紹介した経済産業省のウェブサイトからダウンロードできます。

3.見解の送付

申請書を受けた所管する大臣(規制所管省庁、事業所管省庁)は、内閣府に設置した新技術等効果評価委員会に見解を送付して意見を求めます。

4.計画認定、公表

所管する大臣は、計画が既存の規制法令に違反しない場合には認定します。所管する大臣の見解(認定の可否、しない場合の理由など)は新技術等効果評価委員会でも審議されます。

5.定期報告、終了報告

企業が行った実証実験の定期報告、終了報告を基に、規制所管省庁は必要な規制の撤廃や緩和のための法制上の措置その他の措置を講じます。

2)規制のサンドボックス制度の活用事例

大正製薬(東京都豊島区)が、駅改札内でOTC販売機を用いて医薬品を販売する実証実験を行うために規制のサンドボックス制度を活用しています。一般医薬品の販売は、インターネット販売の場合では配送時間によるタイムラグ、店頭販売では資格者の人材確保の難しさといった課題があります。そこで同社では、自動販売機のIoT化が進んでいることで、従来の自動販売機では困難であった一般医薬品の適正管理・販売が自動販売機で実現できる可能性が高いとして実証実験を行いました。

実証実験では、OTC販売機を通じて購入希望者に資格者が設定した年齢や販売個数などを確認します。これらの条件を満たさない場合は店舗に誘導、満たす場合は購入決定画面に移行します。すると、資格者が勤務する店舗のPCなどに通知され、資格者が販売しても問題ないと判断した場合は「販売可」ボタンを押します。これにより、購入希望者はOTC販売機上で決済できます。

規制のサンドボックス制度の活用事例は経済産業省などのウェブサイトで確認できます。

■経済産業省「規制のサンドボックス制度の活用事例」■
https://www.meti.go.jp/policy/jigyou_saisei/kyousouryoku_kyouka/shinjigyo-kaitakuseidosuishin/result/sandbox.html
■首相官邸 成長戦略ポータルサイト「規制のサンドボックス制度」■
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/regulatorysandbox.html

以上(2022年2月)

pj80055
画像:pixabay

【SDGs】2022年4月施行のプラスチック資源循環法をビジネスチャンスにする

書いてあること

  • 主な読者:プラスチック製品の製造、販売、提供に関わっている企業の経営者
  • 課題:2022年4月施行のプラスチック資源循環法への対応方法が分からない
  • 解決策:罰則などで企業活動が規制を受けることはないが、積極的に対応することでビジネスチャンスにつながる

1 プラスチック資源循環法はビジネスチャンス

2022年4月1日に、プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律(以下「プラスチック資源循環法」)が施行されます。プラスチック資源循環法の目的は、

世界中で大量消費・大量廃棄が行われ海洋汚染を引き起こしているプラスチックごみ削減を達成するために、製造者、販売・提供者、市町村、市民などが力を合わせ、プラスチックの使用を削減し、使用済みプラスチックの資源循環を促進すること

です。従来から、廃棄物処理法に基づく廃棄物の削減・リサイクルは進められていますが、プラスチック廃棄物は焼却・埋め立てされることが多く、資源循環が進んでいません。この問題に切り込んだのがプラスチック資源循環法というわけです。

一方、プラスチック資源循環法には、

企業の自主的な取り組みを促進することが目的であり、罰則などにより企業活動が規制を受けるものではない

という特徴があります。この法律をどう解釈し、実践するかは経営判断に委ねられています。プラスチック資源循環法では、社会の方向性と求められる企業の在り方が示されており、それに沿って環境問題に取り組めば、さまざまなビジネスチャンスが得られる可能性があります。

この記事では、プラスチック資源循環法の概要を簡単に解説するとともに、同法をビジネスに活かすための対応例をご提案します。

2 プラスチック資源循環法の基本方針と概要

プラスチック資源循環法では、プラスチック製品の「設計・製造」「販売・提供」「排出(消費)・回収・リサイクル」の各段階に応じた基本方針が策定されます。概要は次の通りです。

1)設計・製造

ポイント:プラスチック廃棄物の排出の抑制、再資源化に資する環境配慮設計

所管する大臣は、製造事業者などが努めるべき環境配慮設計に関する指針を策定し、指針に適合した製品であることを認定する仕組みを設けます。認定製品を国が率先して調達する(グリーン購入法上の配慮)とともに、リサイクル材を利用するための設備に対する支援を行います。

2)販売・提供

ポイント:ワンウェイプラスチックの使用の合理化

ワンウェイプラスチックとは、1回限りの使用で収集・廃棄されるプラスチック製品で、フォーク、スプーン、ナイフ、マドラー、ストロー、ヘアブラシ、くし、かみそり、シャワーキャップ、歯ブラシ、ハンガー、衣服用のカバーが該当し、この法律では「特定プラスチック使用製品」と定義されています。また、対象業種は、小売業、宿泊業、飲食店、食品持ち帰り・宅配サービス業、クリーニング業です。

所管する大臣は、ワンウェイプラスチックを提供する対象業種の事業者が取り組むべき判断基準を策定します。所管する大臣は判断基準に基づき、必要な場合は提供事業者に対して指導・助言をする他、ワンウェイプラスチックを多く提供する事業者による排出抑制が判断基準に著しく不十分な場合、勧告・公表・命令することができます。

3)排出・回収・リサイクル

ポイント:プラスチック廃棄物の分別収集、自主回収、再資源化

市町村は、従来の回収・処理ルートを見直し、再商品化事業者(廃プラスチックを部品または原材料として利用者に譲渡できる状態にする事業者)と連携して行う再商品化計画を作成できます。計画を環境大臣が認定した場合、再商品化事業者がプラスチック廃棄物の選別、梱包などを実施できます。

プラスチック製品の製造・販売事業者などは、製品などを自主回収・再資源化する計画を作成できます。計画を所管の大臣が認定した場合、認定されたプラスチック製品の製造・販売事業者などは廃棄物処理法の業許可が不要になります。

所管する大臣は、排出事業者(産業廃棄物となる廃プラスチックやプラスチック副産物を排出する事業者)が排出抑制や再資源化などの取り組むべき判断基準を策定します。所管する大臣は判断基準に基づき、必要な場合は排出事業者に指導・助言をする他、プラスチックを多く排出する事業者が判断基準に著しく不十分な場合、勧告・公表・命令することができます。

排出事業者などは再資源化計画を作成できます。計画を所管する大臣が認定した場合、認定された排出事業者は廃棄物処理法の業許可が不要になります。

3 製造業者のビジネスチャンス

プラスチック資源循環法に対応するために、プラスチック製品の製造業者は、製品の設計や材料を見直すなどして、プラスチック使用量の削減や、リサイクルを容易にするための努力をする必要があります。

そして、この取り組みは中小製造業者にとってチャンスとなります。なぜなら、多くの大企業はプラスチック製の原材料、包装材、容器、部品などを購入する側であり、自社で製造が完結しているわけではありません。となると、大企業は、この法律を契機に、調達方針を見直していくと考えられ、プラスチック資源循環法に対応している中小企業が選択される可能性が高くなってくるのです。

具体的な対応例には、次のようなものがあります。

画像1

4 販売業者・サービス業者のビジネスチャンス

プラスチック資源循環法に重点的に取り組むことが求められているのは、特定プラスチック使用製品を年間5トン以上提供する対象事業者(小売業、宿泊業、飲食店、食品持ち帰り・宅配サービス業、クリーニング業)です。フランチャイズの場合、チェーン全体での提供量が合算されます。

対象事業者が特定プラスチック使用製品の提供量を行政に定期報告する義務はありません。ただし、所管する大臣は取り組みが著しく不十分な場合、勧告・公表・命令を行うことができることになっています。

フランチャイズの飲食店やコンビニのオーナーは中小企業が多いです。また、対象とならない中小企業でも、消費者側から、「このお店は環境問題に取り組んでいないの?」と疑問を持たれることもあると思います。環境に配慮しているというのは、消費者から好感を持たれる重要な要素です。従って、実質的に多くの中小企業が取り組みに参加するとみられます。

具体的な対応例には、次のようなものがあります。

画像2

以上(2022年2月)
(執筆 弁護士、日本CSR普及協会副会長 佐藤泉)

pj60244
画像:Pixel-Shot Adobe Stock

2代目に内定した34歳社員、社長急逝で奮闘/社長が語る 私はこうして後継者不在の問題を解決した(後編)

書いてあること

  • 主な読者:後継者不在の問題で悩んでいる50代以上の社長
  • 課題:社員のためにもできれば廃業したくないが、M&Aによる事業譲渡や社員への承継にもやや抵抗感がある。他社の社長がどう考え、行動したのかを参考にしたい
  • 解決策:事業譲渡、社員への承継のいずれも、成功の秘訣はとにかく早く動き出すこと

前編では、悩んだ末に会社の譲渡を決断し、自らが事業のお手本としていた同業大手の社長に、会社を譲り受けてもらうための「直談判」をした、山下ミツ商店の山下浩希さんへのインタビューを紹介しました。

1 社長が急逝! 跡を継いだ最年少・出戻り社員が奮闘

「廃業しようかとも思っているんだけど、どうしようか」。親族に跡継ぎ候補が見当たらず、健康に不安を抱えていた社長。会社の行く末を社内の幹部や地元の商工会議所に相談する日々が続いていました。将来の廃業の危機を免れるために、後継者として手を挙げたのは、社内でほぼ最年少の「出戻り」社員。ところが、社長夫人と全社員の賛同を得て引き継ぎを始めようとした矢先に、社長が急逝してしまいます。

2 健康不安を抱えていた社長は、廃業も意識

機械の整備やメンテナンスのための金属加工を行う高田組(北海道苫小牧市)は、1976年に故・高田勝義社長が創業しました。社員は10人弱と多くありませんが、電力会社などからの受注を強みに、ほぼ無借金経営を続ける優良企業でした。

その高田組の唯一といってもよい悩みが、後継者問題でした。還暦を過ぎた高田社長の子供は別の会社に就職して跡を継ぐつもりがなく、社員も職人気質の人ばかりで、尻込みする専務も含め経営者を目指すタイプの人材はいませんでした。

社員の間では、「高田社長の血圧が高いようだ。薬もいろいろ飲んでいる」「この会社は高田社長の代で終わるんじゃないか」といった会話が交わされ、高田社長自身も幹部の社員に、「何年か後にはやめようかとも思っているんだけど、どうしようか」と相談することがあったといいます。

高田社長の相談先は、社外にまで広がっていきました。2015年11月、66歳になっていた高田社長は地元の苫小牧商工会議所に、「年齢、体力的に厳しい。取引先に迷惑を掛ける前にやめたい」と相談します。高田組の経営状況をよく知る商工会議所では、「業績も良く、廃業するような会社ではない」と、事業承継の道を探るよう説得したといいます。

「このままでは、会社がなくなってしまう」

そんな危機感を募らせ、勇気を振り絞って後継者として手を挙げたのが、後に2代目社長に就任することになる、社員の高橋純さんでした。社内でほぼ最年少の34歳。しかも、入社3年余りで高田組を一度退職し、その後再入社したという経歴でもありました。

3 後継者に名乗りを上げた、出戻りの最年少社員

高橋さんが最初に高田組に入社したのは2000年。同じく金属加工の職人だった父親の影響を受け、ものづくりへの興味から高田組に入社したといいます。

高橋さんの入社当時の高田組には、昔ながらの「仕事は盗んで覚える」という職人の世界が残っていました。20代前半だった高橋さんは、作業現場で先輩たちの仕事を見よう見まねで覚えていきました。

金属加工職人として3年余りが過ぎた頃、徐々に腕を上げていた高橋さんに転機が訪れます。苫小牧市に隣接する高橋さんの地元・白老町の大手金属加工会社が中途募集を開始し、大手企業に憧れて応募した高橋さんが採用されたのです。

退職を申し出た高橋さんに対し、高田社長は「一度、そういう経験をするのもいいことだ」と気持ちよく送り出してくれたといいます。その後も高田社長はたまに高橋さんに連絡しては、「そっちのほうはどうだい?」「こっちに戻ってきてもいいんだぞ」と声を掛けてくれました。高橋さんも、何度か高田組の事務所に顔を出して挨拶する関係が続いていました。

大手に就職して安定した人生がスタートしたと思ったのもつかの間、高橋さんは、転職先の会社の経営が傾いているのを知ることになります。3年ほど勤めたものの、「この会社にいても将来は厳しい」と見切りをつけた高橋さんは、高田社長に「もしよければまた使っていただけますか」と相談します。事務所を訪ねた高橋さんを、高田社長は「いいよ、また来なよ」と快く受け入れてくれました。

「何でも言える、第二の親父(おやじ)のような存在」。いつしか高橋さんと高田社長との関係は、会社の社長と部下から、親子のような絆が生まれていました。

4 前職での経験を活かし頭角を現す

高田組に戻った高橋さんは、メキメキと頭角を現します。その基礎になったのは、前職の大手金属加工会社での経験でした。

経営難には陥っていたものの、現場の技術のレベルは同業他社からも見学者が来るほどの水準にあり、そこで高橋さんは鍛えられました。機械加工技能士の資格がないとできないような難易度の高い作業もこなすようになり、「できる仕事の幅が広がって、『その仕事はできません』と言わない自信がついた」と言います。

高田組にはなかった高い技術が認められた高橋さんは、徐々に事務所に呼ばれる頻度が増え、工事の見積もりや営業なども任されるようになります。「営業の経験はなかったのに、やってみたらお客さんとのコミュニケーションが苦にならなかった」という高橋さん。自力で仕事を取ってくるまでに成長し、高田組は発注が少ない冬場の仕事も埋まるようになりました。会社を支えるエースとなった高橋さんは、再入社しておよそ3年後には社内で実質ナンバー4に当たる部長に抜てきされました。

高橋さんの活躍で高田組に勢いがついていただけに、後継者問題は一層深刻でした。「会社は利益を出しているのだから、なくなる必要はないじゃないか。前回の会社のように、将来の不安で転職することは繰り返したくない」。高橋さんは専務などと相談し、自ら後継者候補に手を挙げることにします。

5 社長夫人と全社員が高橋さんの承継に賛同

高橋さんの申し出に対して、「任せるから、頼むな」と高田社長が喜んだのは言うまでもありません。高田社長の妻で事務を担当していた百合子さんも、「高橋さんしかいない」と歓迎してくれたといいます。

社員に対しては、高田社長と高橋さんが全社員を休憩室に集めて、一人ひとりに意見を聞くことにしました。ほぼ全社員が高橋さんより年長で社歴も長く、専務に至っては上司という立場でしたが、そこは実力がモノをいう職人の世界。皆が「高橋さんに付いていきます」と賛同してくれたといいます。高橋さんは、「もしずっと高田組にいたら、仕事でそこまで成長できず、後継者候補になろうと思わなかったかもしれない」と振り返ります。

高田社長は高橋さんに、「会社を赤字にしてはいけない。そのためにも、社員を遊ばせないように仕事を取ってくることが、社長にとって一番重要だ」と伝授したそうです。

後継者問題に決着がつき、高田組の将来は安泰と思えた瞬間でした。

6 まさかの社長急逝

後継者が決まった高田組は、高橋さんが社長として一本立ちできるまで、まずは高田社長が会長となって、数年かけて引き継ぎを行うことになりました。

ところが、思いもよらなかったことが起きます。

「お疲れさまです」

「明日もよろしく頼むな」

それが、高橋さんと高田社長が交わした最後の会話だったといいます。2017年3月、新体制への移行を直前に控えて、高田社長が急逝してしまったのです。

右も左も分からないまま社長に就くことになった高橋さん。最初は給与計算のやり方も分からず、夜中の2時、3時まで事務所に残って仕事をする日々が続きました。「なるべくお客さんには迷惑を掛けたくない。社員の家族まで守らないといけない」。気が張っていたためか、自分でも不思議なほど疲れを感じず、がむしゃらに1年、2年を過ごしたといいます。同業の社長や営業で培った取引先などが親身になってアドバイスしてくれたことも、高橋さんの支えになりました。

「できれば、高田社長にもう少し長生きしてもらうか、もっと早く引き継ぐ準備ができていればよかったという気持ちはあります。早めに後継者を決めて育てるのは、難しいことも分かっているのですが」。高橋さんは当時を振り返って、こう話します。

長らく後継者が決まっていなかった問題は、今でも別の形で影響が表れています。設備などの更新が滞っていた問題が、高橋さんが社長の代になって出てきたのです。高田組がほぼ無借金でやってこられたのは、高田社長が廃業の可能性も考えて、投資を控えてきたからでもありました。高橋さんは新たな投資のための資金手当に奔走することになりました。

7 株式譲渡で名実ともに新体制に

会社の引き継ぎでのもう一つの懸念材料は、会社の株式の扱いでした。

高田組にとって幸運だったのは、高田社長夫人の百合子さんが高橋さんへの株式の譲渡に好意的だったことと、当初から第三者のアドバイスを受けられたことでした。アドバイスを行ったのは、高田社長が事前に相談していた苫小牧商工会議所から連絡を受けた、札幌商工会議所の北海道事業承継・引継ぎ支援センター(以下「引継ぎ支援センター」)です。

画像1

高田社長の急逝後、高田組の株式は高田社長夫人とその子供が所有していましたが、当初は無償で株式を譲渡するという話もあったそうです。これに対して引継ぎ支援センターは、「取引先や社員に対しても、雇われ社長にならず名実ともに社長になるためにも、株式を買い取って社長としての覚悟を示すほうがよい」と、MBO(マネジメントバイアウト)によって高橋さんが全株式を取得することを勧めました。会社の資産を基に引継ぎ支援センターがアドバイスし、同センターが紹介した税理士が株価を算出して譲渡価格を決定。2018年10月、高橋さんは銀行融資を元手に、一部贈与、残りを買い取りという形で株式を譲り受けました。

8 社内の人間関係は焦らずゆっくりと

社長就任後、高橋さんにとって最大の課題は、なんといっても高橋さんを取り巻く人間関係が大きく変化した社内の融和でした。残された社員は、ほぼ全員が高橋さんより年長で、社歴も長い先輩ばかり。10歳近い年上の専務とは、上司と部下の関係も逆転しました。

高橋さんは、40歳になった今でも、この問題に焦って対処する考えはないといいます。「一緒に働いている仲間という関係性は、ほとんど変わっていません。『社長』という呼び方も、皆さんなかなか呼びづらそうなので、名前で呼んでもらったりもしています。だんだん、というか、お互いに気を使いながら、少しずつ慣れていくという感じです」と話します。

「自分は敵を作りたくない性格。社員を強く引っ張るタイプではないので、あまり社長に向かないのかもしれない」と話す高橋さんのモットーは、「なるべく丸く収めること」だと言います。「あまり社員とぶつかることもないですし、社員がなにか問題を起こしたり失敗したりしたときも、次の日には引きずらないようにしています。本当に危ないことをしたときぐらいしか厳しいことは言いません。なるべく社員を尊重し、働きやすい環境を作っていくことを心掛けています」という高橋さん。温和で純朴な性格の高橋さんだからこそ、社長急逝後の混乱状態でも社内融和を進められたのかもしれません。

高橋さんが社長になってから会社を辞めたのは、かつての高橋さんのように、念願かなって大手企業に転職していった若い社員1人だけだといいます。朴訥(ぼくとつ)な話ぶりの高橋さんが自信を持って語ったのは、この一言でした。

「高田社長に胸を張って言えることは、社員が抜けずにやっていけているということです。これは、私にとっても一番うれしいことです」

(取材協力 北海道事業承継・引継ぎ支援センター)

9 とにかくスピード第一。早い動き出しが成功につながる

希望の相手に会社を譲渡できた山下ミツ商店の山下さんは、会社のブランドを残す価値があるうちに話を持ちかけたことが成功の秘訣でした。高田組の高田社長も、事前に社内外に相談をしていたことで、急逝する直前に後継者を決めることができました。2人に共通するのは、後継者不在という問題をいち早く自覚し、行動に移したことです。その際、特に外部などさまざまな人に相談したり、話を聞いたりしていたことも共通しています。

後継者不在の問題で悩んでいる際には、外部の人(機関)が入ったほうが、冷静かつ客観的に判断でき、スムーズに話が進むようにみえます。

心血を注いできた会社を手放すことは断腸の思いであり、悩みに悩むのは当然のことです。ですが、誰か一人が永遠に社長ではいられないのも変わらない事実です。会社を大切に思うのであれば、会社の存続や発展を最優先することも大切なのではないでしょうか。

以上(2022年2月)

pj80153
画像:北海道事業承継・引継ぎ支援センター提供

飲酒運転対策における企業の責任

昨年、勤務中の飲酒運転による事故で児童が死傷する事故が起こりましたが、事故を起こした自動車は自家用車であったことから、事業用自動車と異なり企業に対してアルコール検査の義務がありませんでした。

このことを受けて、道路交通法施行規則などが改正され、自家用車にも安全運転管理者制度が適用される企業に対してアルコール検査の義務が適用されます。本稿ではその改正の内容、および企業の責任について概説いたします。

1 対象

今回の改正は、安全運転管理者の選任義務がある事業所が対象となります。

<安全運転管理者の選任対象となる事業所>

  • 自動車5台以上、または定員11人の車両を1台以上使用している事業所。
    ※自動二輪車は0.5台で計算。
  • 自動車運転代行業者は、台数に関係なく営業所ごとに選任事業所(自動車使用の本拠)ごとに1人を選任

対象は、令和2年3月末時点で約34万事業所、管理下運転者数は約769万人に上っています。

2 改正点

安全運転管理者の業務内容について、以下の業務が段階的に追加されます。

画像1

なお、道路交通法では、次の通り使用者の責任を明示しており、今回の改正はその責任の履行について明確化したものと捉えられます。

画像2

3 交通事故時における企業の賠償責任について

交通事故により、企業が被害者に対して負う民事上の責任は、従業員が業務中などに起こした事故について、企業が従業員とともに損害賠償義務を負うという「使用者責任」と、自動車の運行により利益を得て、その運行について直接または間接に指揮・監督しうる場合に損害賠償義務を負う「運行供用者責任」の2つがあります。

一例として、危険運転致死傷罪の成立のきっかけとなった、1999年の飲酒運転による交通事故では、企業は適切な調査を行っていれば、被告の常習的な飲酒運転を把握することができ、本件事故の発生を未然に防止することが可能であったと認定し、裁判所は被告のみならず企業らに対しても約2億5000万円を連帯して支払うよう命じています。

4 さいごに

今回の改正により、飲酒運転に対する社会の目はますます厳しいものになるでしょう。改正としては、安全運転管理者制度が適用される事業所に課せられる義務ではありますが、適用されていない事業所であっても、飲酒運転による事故が発生した場合の企業のリスクは莫大なものとなります。

自社の業務に供されている自動車がある場合には、今一度安全に運行される体制は整っているのか、服務規律や車両管理規定を確認するとともに、運行状況などを定期的に確認してみることをお勧めします。

※本内容は2022年1月12日時点での内容です

(監修 社会保険労務士法人 中企団総研)

sj09027
画像:photo-ac

【朝礼】ムダな競争がムダな進化を促し、生存能力を弱める

皆さんは、極楽鳥をご存じでしょうか。極楽鳥のオスは、派手な色をしていたり、メスへの求愛ダンスをしたりすることで知られる鳥です。色が派手なオスや、ダンスが上手なオスが、メスとつがいになれるといいます。クジャクの羽やカエルの鳴き声なども同様に、メスへのアピールが目的の「モテ形質」の進化なのだそうです。

こういった進化は、その生物からすると、厳しい競争下で時間をかけて獲得したものといえます。ですが、人間の目から見ると、その姿は異様で、ある意味、滑稽にも見えます。それに見た目が派手というのは、獲物を捕らえたり、天敵から身を守ったりするのには不利です。種全体としての個体数の増加という基準で見た場合、全くムダな進化をしていることになります。

同じような生物のムダな進化に、「裏切り行動」があります。アリの中には、ある時期から集団のための労働をやめて、自分の卵を産むことに専念し始める種があるそうです。種全体のためでなく、自分だけの利益のために行動するわけです。

こうしたムダな進化は、生物界全体で見ると、同種間の競争というムダな方向に進化することで、絶対的に生存能力の高い生物を存在させず、生物の多様性を生み出す点で重要だといいます。

ですが、勝つか負けるかのビジネスでは、そうはいきません。会社として、絶対的な生存能力の高さを追求するのが当然です。会社が生き残るために、ムダな競争をしている余裕はありません。

新聞や雑誌などを見ると、一部の大企業でも、ムダな競争が行われているようです。社内での出世争いや足の引っ張り合い、派閥争いに終始し、トップになる人は社内政治の勝者。そのような人はこの困難な時代を乗り切るリーダーシップを持ち合わせていない、ということも耳にします。

一方、必要な競争もあります。例えば、社内で商品に関する提案のレベルが上がり、議論が活発化すれば、社外でも通用する商品の開発につながります。また、ライバル同士が切磋琢磨(せっさたくま)するのも、売り上げを伸ばしたり、仕事のレベルを上げたりするために必要な競争です。

難しいのは、一見、必要な競争をしているようで、実はムダな競争をしているケースがあることです。例えば、商品開発のための議論で、ただ相手を蹴落とすためだけに、長所を認めず小さな欠点ばかりを指摘するような行為は、無意味です。また、ライバル関係は歓迎ですが、会社にとって必要な連携が取れなくなっては本末転倒です。

ムダな競争と必要な競争との見分け方は簡単です。その競争が、会社にとって利益になっているかどうか、それだけです。ただし、会社にとっての利益が目先だけのものか、長い目で見た利益なのかは見極める必要があります。

皆さんの中にある競争心は、会社を成長させるために貴重なものです。ですが、その競争心が、会社にとってムダか必要かを、常に顧みるようにしてください。

以上(2022年2月)

pj17088
画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】「バイアス」は百害あって一利なし

今日は私の失敗談をお話しします。若い頃、大きなプロジェクトを任されたときのことです。

新規ビジネス立ち上げのプロジェクトだったので、さまざまな苦労がありましたが、一番難航したのは、社内外の関係者との調整でした。特に、社外のあるベンダーとは仲がこじれてしまったのです。

正直なところ、私はそのベンダーの窓口担当者が苦手でした。初めのうちは意見を積極的に出してくれる頼れる存在と思っていましたが、途中からは、自己主張が強過ぎて、プロジェクトの進行を妨げる“厄介なやつ”だと感じていました。

当時、とにかくプロジェクトを前に進めたかった私は、その窓口担当者の言うことに耳を傾けなくなり、提示された懸念もあまり考慮しませんでした。結果的にその懸念が現実のものとなってトラブルが発生し、プロジェクトの進行が大幅に遅れてしまったのです。そのときになって初めて「ああ、あの人の言う通りだった。私が間違っていた」と思いましたが、後の祭りでした。今でも、とても苦い思い出として心に残っています。

この失敗に関する反省点はさまざまありますが、最も良くなかったのは、私の中で、ベンダーの窓口担当者に対して大きなバイアスがかかっていたことです。「あの人は進行の邪魔ばかりする。進めたくないに違いない」と強く思い込んでいた私は、何を言われても素直に聞けず、意見の内容を真剣に考えることができませんでした。

皆さんも似たような経験がないでしょうか。「きっとあの人なら反対するだろう」「あの人のことだから、何か裏があるに違いない」。日ごろ、皆さんが社内外の人についてそう言っているのを耳にすると、私は心配になります。ネガティブな思い込みが強過ぎて、バイアスがかかった状態で相手を見ているのではないかと思うからです。

ビジネスにおいてバイアスはとても危険です。物事を客観的に捉えられなくなり、大きなトラブルを招いてしまうかもしれません。そこで、できるだけバイアスを取り除くために、私が心掛けていることを2つお伝えしますので、皆さんも参考にしてください。

1つ目は「誰が言っているか」ではなく、「何を言っているか」に注目することです。本当にその意見は正しいのか、あるいは間違っているか。「何を」という、内容にだけ集中して考えるのです。

とはいえ、私も感情的になり、どうしても「誰が言っているか」が引っ掛かるときがあります。そこで2つ目として実践しているのは、周りの意見を聞いてみることです。できるだけ私の主観を交えずに周りに状況を伝え、どのように感じるか聞いてみると、意外と私自身のバイアスに気付かされることが少なくありません。

こちらにバイアスがかかっていると、相手もそうなります。互いの理解なくして、ビジネスは前に進めません。バイアスは百害あって一利なし。今日から肝に銘じてください。

以上(2022年2月)

op16914
画像:Mariko Mitsuda

安全運転義務違反(2022/02号)【交通安全ニュース】

活用する機会の例

  • 月次や週次などの定例ミーティング時の事故防止勉強会
  • 毎日の朝礼や点呼の際の安全運転意識向上のためのスピーチ
  • マイカー通勤者、新入社員、事故発生者への安全運転指導 など

交通ルールの遵守は、交通安全を確保するために必要なことですが、様々な交通違反により交通事故が発生しています。

特に安全運転義務違反は、多くの交通事故の背景に潜んでおり、重大事故につながりかねないたいへん危険な行為です。安全運転の義務を理解し、安全運転に努めることで交通事故の発生を防止しましょう。

画像1

1.安全運転義務違反とは

(1)安全運転義務違反とは

ドライバーには、自動車の装置を確実に操作する義務と、周囲の状況を適切に確認・判断し安全に運転する義務があります。

つまり、ハンドル等の操作を誤ったり、相手への注意や状況判断が十分でないことで、事故を起こしたような場合、安全運転義務違反となります。

参考:道路交通法第70条(安全運転の義務)
「車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない」

(2)安全運転義務違反の割合

警察庁の統計(下のグラフ)によると、令和2年中に発生した原付以上の車両による交通事故のうち、安全運転義務違反が72%を占めており、いかに危険であるかが分かります。

逆にいうと、もしも安全運転義務に留意していれば、未然に防げた交通事故も多くあったということになります。

画像2

(3)交通違反点数と反則金

安全運転義務違反には下表の違反点数と反則金が課せられます。反則金は車種別で異なりますが、大型車であっても原付であっても歩行者からすると危険であることに変わりありません。

画像3

2.安全運転義務違反の内訳

令和2年中の安全運転義務違反の内訳を見ると、「安全不確認」、「脇見運転」、「動静不注視」、「漫然運転」、「運転操作不適」の5つが大半を占めています。

これを運転の「認知」、「判断」、「操作」のプロセスにあてはめて考えると以下の通りです。

①安全不確認(45%)・・・「認知」
前方、後方、左右の確認不十分で他車や歩行者等を見落とし事故に至るケース

②脇見運転(19%)・・・「認知」
脇見をして、前方への注意が不十分となり事故に至るケース

③動静不注視(14%)・・・「判断」
他車や歩行者等を認識しつつも、その動静への注意を怠ることで事故に至るケース

④漫然運転(11%)・・・「認知」
考えごと等をして運転への注意が緩慢になり事故に至るケース

⑤運転操作不適(9%)・・・「操作」
ブレーキの踏み間違え、ウィンカーの不使用、片手運転等で事故に至るケース

「認知」に関するものを合計すると75%を占めています。これは、誰にでもあるちょっとした油断や慢心が運転への注意をおろそかにし、事故の原因になりやすいことを表していると考えられます。

画像4

3.安全運転を実践するための対策

安全運転義務違反での事故はすべてのドライバーに起こり得ると言えます。今まで大丈夫だったからといって油断や慢心は禁物です。絶対に事故を起こさないという心構えをしっかり持って、安全運転意識の維持向上に努めましょう。

  • 運転中は適度に緊張感を持ちながら運転に集中するよう心がけましょう。
  • 周りの自動車や歩行者等の動きを常に意識し、「かもしれない」の危険予測運転を心がけましょう。
  • 冷静な判断を持続できるよう体調に気を配り、十分な睡眠時間・休憩時間をとりましょう。

交通事故の加害者・被害者にならないよう、いま一度「安全運転義務」の観点から「運転」について振り返り、交通安全につなげてください。

以上(2022年2月)

sj09026
画像:amanaimages

【管理会計】当期の業績に変化はありましたか?

書いてあること

  • 主な読者:感覚だけでなく、定量的な基準や根拠を持ってビジネスの判断をしたい人
  • 課題:当期の業績の変化をどう見たらいいのか分からない
  • 解決策:当期の月次推移表を確認する。数値の整理後に、変動結果になった理由や状況について把握する

1 質問:月次推移表から変化を読み取れますか?

月次決算では「月次推移表」を作成します。月次推移表は、毎月の数字を勘定科目ごとに並べたもので、これを見ていると数字の小さな変化にも敏感になれます。経営者はその変化が「一時的なものか、継続的なものか」ということだったり、その後の業績への影響を考慮して、戦略を見直したりします。

早速、月次推移表を見てみましょう。次の月次推移表は人件費と地代家賃を示したものですが、どのような業績の変化がありそうでしょうか。自分なりの仮説を立てた上で、読み進めてみてください。

画像1

2 数字の変化の理由を探る

4月から8月までを見ると、

  • 人件費:8月だけ2500千円と、他の月より1000千円多い
  • 地代家賃:7月だけ500千円と、他の月より500千円少ない

ことが分かります。大切なのは、そのような変化をしている理由ですが、例えば、次のような仮説が立てられます。

  • 会計仕訳を入れ忘れたか、二重に入れてしまった
  • 季節的な要因で増減している
  • 特別なイベントがあった

この仮説を検証するためには、次のような確認をすることになります。

  • 経理の仕訳にミスがないかを確認する
  • 前年同月の数字を確認する
  • 経営者が把握していないイベントなどを確認する

また、このような変動の原因となるイベントを確認するために一覧表に記録しておきましょう。エクセルにまとめてもよいですし、Googleカレンダーなどを使うこともできます。例えば、工場の新設など多額のコストが発生する出来事があった場合、その時期、内容、会計上の影響を記録しておきます。

画像2

よくあることですが、起こった年はよく覚えているのですが、翌年になるとみんな記憶が曖昧になってきます。出来事カレンダーを作成すると、思い出す時間の無駄がなくなります。

3 月次推移表は自社用にカスタマイズする

月次推移表は、多くの会社で使っている会計システムの標準メニューにあります。まずは貸借対照表と損益計算書の月次推移表を使ってみましょう。

そのときに、勘定科目を補助科目に細分化するなど切り口を変えてみると、業績の変化が見えてきます。さらに詳細に管理したい“重要な”勘定科目が出てきたら、Excelで資料を作成することを検討してもよいでしょう。ここで“重要な”と書いたのは、すべてにおいて細かく管理する必要はないからです。業績に重要な影響がある勘定科目を抜粋することで作成にかかる時間や検索する時間を短縮し、より効率的な管理会計の仕組みを自社に取り入れることに繋がります。

以上(2022年2月)
(執筆 管理会計ラボ株式会社 取締役・公認会計士 福原俊)

pj35112
画像:apinan-Adobe Stock

「お手本」だった同業大手に会社発展の夢を託す/社長が語る 私はこうして後継者不在の問題を解決した(前編)

書いてあること

  • 主な読者:後継者不在の問題で悩んでいる50代以上の社長
  • 課題:社員のためにもできれば廃業したくないが、M&Aによる事業譲渡や社員への承継にもやや抵抗感がある。他社の社長がどう考え、行動したのかを参考にしたい
  • 解決策:事業譲渡、社員への承継のいずれも、成功の秘訣はとにかく早く動き出すこと

1 事業譲渡とは、会社の発展という「自分の夢」を託すこと

悩んだ末に会社の譲渡を決断して社長が最初に行ったのは、自らが事業のお手本としていた同業大手の社長に、会社を譲り受けてもらうための「直談判」。それは、「会社を存続、発展、成長させるという、自分の夢を実現してくれる人に会社を託したい」という思いからでした。希望がかなった今では、会社の明るい将来にワクワクする日々を過ごしています。

2 このまま「座して死を待つ」のは嫌だ!

「社長、サインしてください。会社の譲渡先を仲介するための契約書です」
「はい、します……。ちょっと待ってください」

後継者のいない自社の譲渡先探しをM&A仲介会社に依頼する契約書類。それらを目の前にして、豆腐の製造販売「山下ミツ商店」(石川県白山市)の山下浩希社長は、どうしてもサインができませんでした。結局、この問答はこの後、2年間繰り返されることになります。

「頭の中では、会社がこれからも続いていくには、この方法しかないのは分かっていた。しかし、やはり、他人に会社を渡すということに抵抗があったのかもしれない」。約3年前の自分を振り返って、山下さんは苦笑いします。

契約書類にサインをしたきっかけは、山下さんが人生の節目と考えていた60歳目前の59歳になった2020年秋、本を読んでいた際に目に留まった、ある言葉でした。

座して死を待つ

「これは、今の自分のことだ」。自分が高齢になって豆腐が作れなくなり、会社が誰にも見向きをされないまま消えていく。そんな光景が頭に浮かび、山下さんは決断しました。

サインをした後、山下さんはM&A仲介会社に1つの希望を伝えます。それは、まず山下さん自身が1社だけ、自社を譲り受けてくれないか相談してみることでした。その1社とは、山下さんが豆腐の移動販売のお手本にしていた同業大手「染野屋」(茨城県取手市)です。山下さんが染野屋の小野篤人社長に直接メールを送ったことで、山下ミツ商店の運命は大きく変わりました。

3 豆腐の製造販売に特化して急成長と挫折を経験

今から130年以上前の明治20年(1887年)、山下ミツ商店は食料・雑貨店として石川県白峰村(現・白山市)で創業しました。山下家が代々営んできた、当時は名前も特にない個人商店で、朝は豆腐作り、昼は食品や酒類販売など、朝6時半から夜8時まで開いている店でした。

店を長年切り盛りしていたのは、山下さんの祖母、ミツさんです。子供の頃からかわいがられ、大好きだったという祖母が80歳を過ぎ、「もう年だし疲れたからやめる」という言葉を口にしたことから、山下さんは家業の承継を決意。1985年10月、1年半勤めたスーパーマーケットを24歳で退職して6代目となり、社名には祖母の名前を付けました。「山下ミツ商店」です。

会社を成長、発展させるため、試行錯誤の末に山下さんが取った戦略は、自社で製造していた豆腐事業への特化でした。埼玉県内の同業者に教えを請い、国産大豆と天然ニガリを使った豆腐を学び、2年ほどかけて独自の製法を開発。1992年2月に完成した1丁1000円の豆腐「記まじめ!」シリーズのヒットにより、会社は急成長します。1995年4月に金沢市内のデパ地下に進出し、1997年12月の法人化を機に社員の雇用を開始します。2001年11月に増産のために工場を新設すると、売り上げは1億6000万円に達しました。「絶対に俺は伸び続ける」と、寝る間も惜しんで働いた30~40代でした。

ところが、2000年代後半になると、急成長の影の部分が表面化します。契約農家の大豆の不作と価格高騰、社員の待遇改善の必要性、そのための価格転嫁。最もダメージを受けたのは、デパ地下の店舗の売り上げが、デパート改装に伴う場所替えにより4割も減ってしまったことです。

社内の組織にもヒビが入っていました。「社員に対して、自営業者上がりだった自分たちと同じような、朝から晩までというむちゃな働き方を当たり前のように要求してしまった」ことで、後継者候補と見込んで頼りにしていた社員が、相次いで辞めていってしまったのです。

追い詰められた山下さんが選択したのは、以前から空いた時間に試して手応えを感じていた、トラックで豆腐を移動販売することへの「事業転換」でした。50歳を目前にした山下さんは、「もう他のものには目移りせず、あと10年を移動販売に懸ける」と腹をくくりました。

画像1

4 残された最大の問題は後継者不在

倒産の危機を免れた山下さんにとって、残された最大の問題が、後継者不在でした。

問題を意識したきっかけは、50歳となった2011年に、やはり後継者が不在で悩んでいた6歳年長の知り合いの社長から、「自分の会社を、どのようにして周りの方に迷惑を掛けずに畳もうか考えている」と聞かされたことでした。山下さんは、「うちにも後継者がいない。自分も60歳くらいになったら、同じことを考えなくてはいけなくなる」と危機感を持ったといいます。

子供のいなかった山下さんにとって、後継者の最後の希望は妹の息子(甥(おい))でした。高校生の夏休みに小遣い稼ぎに移動販売を手伝っていた甥が楽しそうにお客さんと話す姿を見て、ひそかな期待をしていた山下さん。ですが、大学3年生になって就職活動を始めた甥に声を掛けることはできませんでした。当初は手応えがあった移動販売ですが、トラックの台数は2台のままで、新しい社員を雇っても、職場に定着しなかったり、交通事故などのトラブルを起こしたり。「成長している会社であれば誘えたのでしょうが、業績を伸ばす手段が分からない状態で、甥に背負わせることはできなかった」

5 何もしなければ、会社はなくなってしまう

山下さんが会社の譲渡に向けて動き出す決め手となったのは、2017年ごろ、親しかった金沢市内の同年代の社長が会社を譲渡して、同業大手の傘下に入ったことでした。

山下さんにとって、彼の会社は「仕事ができる社員がそろっていて羨ましい」存在でした。ところが、その社長から、「店長は育てられたけれど、跡を継げる経営者は育てられなかった。会社を存続させ、成長させるには、M&Aの話に乗るべきだと考えた」と打ち明けられ、ショックを受けます。当初は「M&Aで会社を譲渡することには、買収されるとか身売りするとかいうイメージがあり、彼の決断がすぐには理解できなかった」と言いますが、1年ほど考えるうちに、同様の選択をする会社が意外と多いことも分かりました。その頃には、毎日欠かさず行う祖母の墓参りの行き帰りに、「自分には子供がいないので、山下家はこれで終わる。会社もこのまま何も手を打たなければ終わってしまう。自分は何も残せなかったことになる」との思いが頭をよぎるようになっていました。

こうして山下さんは2018年、顧問税理士が所属する会計事務所のグループだったM&A仲介会社に、顧問税理士を通じて連絡しました。顧問税理士の全面協力の下、仲介会社の担当者は山下ミツ商店の強みや弱みまで子細に記した資料を、すぐに作成してきました。後は山下さんのサインを待つばかり。そして話は、2020年秋の「染野屋の小野社長に宛てたメール」につながっていきます。

6 「お手本」にしていた同業大手に傘下入りを直談判

画像2

M&A仲介会社に譲渡先を仲介してもらう契約を結んだ山下さんは2020年11月、同業の染野屋の小野社長に、山下ミツ商店での半生と、後継者のいない会社の将来に対する不安をつづったメールを送りました。

山下さんにとって染野屋は、山下ミツ商店と同じコンセプトで、国産大豆と天然ニガリを使った豆腐を作り移動販売で成長を続けている、いわば移動販売のお手本というべき存在でした。山下さんは、まず染野屋の小野社長に相談した理由を、こう語ります。

「ただ会社と社員、工場を守るだけなら、譲渡先はどんな会社でもいい。でも、どういう会社に譲りたいかを考えたときに、その答えは染野屋さんでした。移動販売で多くの人にこの豆腐を食べてもらうという、自分ができなかったことを実現してくれるのは、染野屋さんしかないと思ったからです」

7 トントン拍子で譲渡が決まる

山下さんの思いは、小野社長の心を動かしました。約1週間後に2人で直接会って話すと、小野社長は最後に「真剣に検討します」と受け合ってくれました。

コロナ禍のため、小野社長をはじめとする染野屋の幹部が山下ミツ商店のオフィス、工場、移動販売のトラックなどをくまなく視察したのは、2021年5月になりました。ですが、その数日後に染野屋から「前向きに進めます」との連絡があると、トントン拍子で譲渡交渉が進みます。

譲渡に関する条件は、株式の譲渡額も含めて、染野屋が全て山下さんの希望をのんでくれたといいます。山下さんは、「染野屋に譲渡できたのは本当に運が良かった。もし小野社長に断られていたら、どんどん希望のハードルを下げることになって、豆腐のこだわりやブランド、会社そのものもなくなっていたかもしれない。まだ山下ミツ商店に価値があるうちに譲渡の話をしたことが重要だった」と語ります。

画像3

8 「能力のある人材が来てくれた」

2021年10月、山下ミツ商店は染野屋の完全子会社となりました。山下さんは社長を退いて取締役会長となり、小野社長が山下ミツ商店の社長を兼務、染野屋の幹部が新たな役員に就きました。

調印を終えた直後に山下さんが自社の社員に説明した、「山下ミツ商店は、今までよりも、良い会社になります」という言葉は、山下さんの本心でした。「小野社長もトラックが10台になるまでは苦労したと聞きました。販売員を採用したら次の日に来なかったとか、毎月のようにトラックの交通事故のために警察署に行ったとか、小野社長は全部経験済みで、それをどのように克服するかも分かっているんです。そのノウハウを注入してもらえるのは、本当にありがたいと思っています」

説明の後、山下さんはある社員から、「社長も年を取っていき、いつまで豆腐が作れるのか心配していました」と告げられました。それを聞いて山下さんは、「社員に安心して働いてもらえていなかったことを知り、社長としての自分の鈍さ、無神経さ、至らなさにへこんだ」と言います。

染野屋の傘下となった山下ミツ商店では、社名も社員の待遇も豆腐の製法もブランドも変わっていません。その一方で、事務管理業務などは、副社長などが毎月来社して染野屋方式に変更しているといいます。また、売り上げに応じて販売員にインセンティブを付けたり、染野屋が開発した商品を販売したりするための準備も進めています。

染野屋が作成した「山下ミツ商店5カ年計画」には、3年で北陸3県、5年で新潟県も含めた全北陸地方をカバーする方針が記載されているそうです。「やはり、スケールが違う。勘違いなのかもしれませんが、会社を譲渡したので染野屋の能力のある人材が山下ミツ商店に関わってくれて、これから会社として発展していくのだろうという気持ちでいます。私自身もワクワクしていますし、頑張らないといけないと思っています。なにより、小野社長が自信満々なのが心強い」。山下さんは目を輝かせて、夢の続きを語ります。

山下さんへのインタビューはこれで終わりです。後編では、ほぼ最年少社員にもかかわらず会社の跡継ぎ候補として手を挙げ、引き継ぎ直前の社長の急逝という不幸に見舞われながらも会社の承継に成功した、高田組の高橋純さんへのインタビューを紹介します(2022年2月8日公開予定)。

以上(2022年2月)

pj80152
画像:山下さん提供