【朝礼】仕事の主(あるじ)になろう

ビジネスパーソンには、「できる方法を探す人」と「できない理由を述べる人」の2通りのタイプがいます。難しい局面に遭遇したとき、その違いは顕著に表れます。例えば、これまで取り組んだことのない仕事に挑戦する際に、「よし、必ず実現してみせる」と成功するための方法を必死で考え、検証し、行動する人がいる一方で、「リスクが高い」とか、「技術的に無理だ」などと挑戦することをあきらめている人がいます。

仮に、世の中のビジネスパーソンが「できない理由を述べる人」だけだったら、技術の進歩はなく、社会はとても不便でつまらないものになっていたことでしょう。

わが社においても同じことがいえます。わが社がここまで成長できたのは、私が無理なことを注文しても、実現するための方法を考えてくれる社員がいたからです。できる方法を必死で探し、プレッシャーを受けながらもそれを実行に移している社員の方には感謝するばかりです。

こうした社員は、自らが主(あるじ)となって仕事を進めています。できる方法を探すとき、頭の中では、本人が仕事の主(あるじ)となり、仕事をコントロールしています。主(あるじ)は、仕事をコントロールするために、あらゆる角度から仕事を分析し、課題を見つけ、それを解決することに余念がありません。自らが主(あるじ)となって仕事を進める人は、仕事に振り回されません。

また、主(あるじ)は仕事に責任を持っているので、仕事の隅々まで把握しようと努力します。仮に、自分が把握していないことを誰かから質問されたとしても、「分かりません」と言って終わることはなく、すぐに確認することを怠りません。

こうした人は、目の前の仕事に真正面から向き合い、夢中になって取り組み、成功も失敗も体験し、次につなげることができます。

私は、皆さん全員に挑戦する社員になってほしいのです。「できない理由を述べる人」ではなく、「できる方法を探す人」になってください。

過去の経験に基づく自分の価値観だけで仕事を考えて、挑戦することを避けないでください。与えられた仕事の中から自分ができるものを選ぶのではなく、少し背伸びをしてでも、難しいことに挑戦してください。そして、ぜひ仕事の主(あるじ)になってください。

会社は、挑戦する姿勢を評価します。実行したことを評価します。次につながる失敗を評価します。そしてなにより、自ら挑戦する姿勢を表明し、周囲を巻き込み、挑戦の熱意で会社全体を包んでくれることを評価します。

以上(2023年3月)

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画像:Mariko Mitsuda

花粉症と安全運転(2023/3号)【交通安全ニュース】

活用する機会の例

  • 月次や週次などの定例ミーティング時の事故防止勉強会
  • 毎日の朝礼や点呼の際の安全運転意識向上のためのスピーチ
  • マイカー通勤者、新入社員、事故発生者への安全運転指導 など

春の訪れとともに花粉の季節が到来しました。今年は例年に比べてスギ花粉の飛散量が多いと言われています。※

花粉症が心配になりますね。花粉症は集中力や判断力を低下させ、仕事や家事などに影響を与えます。特に車の運転には、事故の要因になるなど重大な影響を与える場合があります。

そこで、今月は花粉症が運転に与える影響とその留意点について考えます。

※参考 日本気象協会 「2023年春の花粉飛散予測」

https://tenki.jp/pollen/expectation/

花粉症と安全運転

1.花粉症による運転への影響

2月~5月にかけてスギ花粉の飛散量が多くなる見込みであるため、新たに花粉症になる人が増えたり、花粉症の症状が例年より強めに出たりするかもしれません。花粉症になると、目のかゆみ、くしゃみ、鼻水、だるさなどの症状が出て、車の運転に以下のような影響を与えます。

花粉症による運転への影響

  • 目をこすったり、くしゃみなどして、周囲への注意が疎かになる
  • くしゃみをした反動で、ハンドル操作を誤ってしまう
  • 鼻をかんで、脇見運転になる
  • 目や鼻が絶えず気になり、運転に集中できない
  • 頭がぼーっとして、的確な判断ができない

※時速60キロで走行中に、くしゃみをして0.5秒間まぶたを閉じたとすると、車はその間に約8メートル進みます。

花粉症の症状が出ている状態で運転するのは、程度にもよりますが、過労状態や眠気がある状態で運転する行為に類似しており、危険性を伴います。過去には以下のような重大事故も発生しており、花粉症による運転への影響を過小評価することは禁物です。

【事故事例】
2017年4月、運転者は花粉症の症状により前方を注視しにくい状態で運転していた。くしゃみを連発した反動でハンドル操作を誤って対向車線にはみ出し、対向車と正面衝突した。その結果、対向車に乗車していた3名が死傷した。(松山地裁今治支部; 禁固3年、執行猶予4年)

2.薬の服用による運転への影響

花粉症の症状を抑える薬の服用は、以下のような副作用を起こし、車の運転に少なからず支障をきたすことがあります。複数の薬を服用している場合は、薬の副作用が増幅される危険性もあります。

薬の服用による運転への影響

【副作用】

  • 眠気、倦怠感
  • 集中力や判断力の低下
  • 吐き気、腹痛、下痢 など

薬の服用にあたっては、使用上の注意をよく読んで、眠気などの副作用の有無を確認しましょう。運転に支障をきたすような薬を服用した場合は運転を控えることが重要です。

※薬の副作用等によって正常な運転ができない状態で運転してはいけません。
道路交通法は「何人も、過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない。」(第66条)と定めており、違反した場合の罰則(第117条の2第3号、第117条の2の2第7号)もあります。

3.運転にあたっての留意点

これからの季節、花粉症の人はもちろん花粉症でない人も花粉症への対策が必要です(花粉症は誰しも発症する可能性があります)。花粉症への対策をきちんと行い、安全運転を心がけましょう。

【花粉症への対策】

  • 乗車前に花粉を払い落とし、花粉を車内に持ち込まないようにしましょう。
  • エアコンを内気循環にして、花粉が入らないようにしましょう。
  • 車内をこまめに清掃して、花粉をできるだけ拭き取りましょう。

運転にあたっての留意点

【運転中に花粉症の症状がひどくなったら】

  • 車間距離を長めにとり速度を落として運転するなどいつも以上に慎重な運転を心がけましょう。
  • くしゃみを連発したり、目がかすんだりしてきたときは、車を止めて症状が落ち着くまで待ちましょう。
  • つらいときは無理をせず運転を中断しましょう。上司や同僚などに運転を代わってもらうなど助け合うことが大切です。

以上(2023年3月)

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画像:amanaimages

【朝礼】副の役職は“福の神”

けさは副社長がいないので、この機会に、私が副社長のことをどのように思っているのかについて話そうと思います。私と副社長は、激しく言い争うこともあるので、皆さんの中には、私と副社長の仲が悪いと思っている人もいるかもしれません。ですが、それは誤解です。副社長が自分のことよりも、私や会社のことを第一に考えてくれていて、私に対しても忌憚(きたん)のない意見をぶつけてくれるので、そう見えるのです。副社長がいるからこそ、私は裸の王様にならずにいられます。彼には本当に感謝しています。

それに、副社長は、私と皆さんとをつなぐという大事な役割も果たしてくれています。皆さんが会社や私に対して思うところがあったとき、副社長に相談することがありますね。それを聞いた副社長は、私に伝えるべきことを選んで報告してくれています。もちろん、皆さんの評価を下げるような伝え方をしたことはありません。ですから、私に言いにくいことがあれば、これからも遠慮なく副社長に相談してください。

副社長の素晴らしいところは、まだあります。彼は、私が気付いていないことを教えてくれるのです。あるときは、私に「社長が出張したときに買ってきてくれるお土産は、センスがあると評判です」と伝えてくれたことがありました。それを聞いてから、出張の際は、「どんなお土産なら皆さんが喜んでくれるかな」と想像しながら買い物をするようになり、土産選びが楽しくなりました。

そんな副社長は、私にとっても、会社にとっても、福をもたらしてくれる“福の神”といえます。

この会社には、副社長の他にも、部や課ごとに副部長や課長補佐など、「副」の立場にある人がいます。そうした人たちは、所属長や組織にとっての“福の神”になることを目指してください。副社長のように、所属長を支え、所属長とメンバーの間を取り持つことを心掛けてください。所属長が伝えきれないことや気付かないこと、手が回らないことを察して、そっと手を差し伸べられるようになれれば、もう“福の神”です。組織は所属長によって大きく変わりますが、その変化をより大きくするのは、「副」の立場にある人です。

また、所属長や「副」の立場ではない皆さんにとっても、この話は人ごとではありません。特別な役職に就いていなくても、“福の神”になることはできます。周りを見渡せば、気になる人や、助けてあげたい人がいるはずです。その人に、さりげなく手助けや声掛けをしてみてください。同僚に対する皆さんのこまやかな気遣いは、会社に小さな福を呼んでいるはずです。こうした積み重ねで、もし同僚の業務がうまくいったり、同僚から悩みを打ち明けられる相談相手になったりしたら、あなたは会社にとっての立派な“福の神”といえるでしょう。

社内に“福の神”が何人もいて、会社に福を呼び合えるような組織になれば、この会社は今まで以上に素晴らしい組織になるはずです。

以上(2023年3月)

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画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】虫の目、鳥の目、魚の目

経済問題を考えるときには三つの目が必要であると、よく言われます。経済活動の細部をミクロの視点で注意深く見ることのできる「虫の目」、経済をマクロから鳥瞰(ちょうかん)することのできる「鳥の目」、そして経済の潮の流れの変化を見通すことのできる「魚の目」だそうです。

ビジネスに置き換えてみると、現場で顧客や商品に直接触れて実態を知るのが「虫の目」、自社はどんな状況に置かれていて、何が最重要問題なのかを感じるのが「鳥の目」、そして、自社や業界全体がどんな流れの中にあり、そこでどんな流れに沿って、どのタイミングで何を行ったらよいかを判断するのが「魚の目」だと考えればいいでしょう。

「虫の目」は業務改善に徹することといってよいかもしれません。一言でいうと「現場主義」です。現場の担当者が何を求め、どのように業務を遂行したいか、どうありたいかを明確にして、日常的業務を改善することです。そのためには、まず業務の進め方や作業内容を正確に記録し、点検し、リスクを洗い出し、改善の可能性を追求する必要があります。まさに、「虫の目」を持って、詳細に検討を重ねるということです。

「鳥の目」は戦略といっていいでしょう。自社の進むべき道筋を明確に意識し、それに向かって自社が活動しているかどうかを見定め、問題があれば、それを明確に把握することが求められます。高いところに上がって、全体を見下しながら、総合的判断をすることができるといったイメージです。

日常的な判断は「虫の目」と「鳥の目」があればできるかもしれませんが、ビジネスの将来の方向性を決定するようなときにはさらに「魚の目」が必要です。

そして、この「魚の目」を養うには、業界の動向や金融情勢はもちろんのこと、国際的な政治・経済、ひいては人類の歴史・文化や宗教問題まで含めたさまざまなジャンルに関心を持っておくことが求められるでしょう。こう考えると、何よりも「魚の目」を養ってくれるのはいろいろなジャンルの事象から得られる「知識」や「経験」であることが分かります。

自分のかかわっているビジネスが行き詰まった、人間関係がうまくいかないといったことも、「虫の目」の視点から離れ、「鳥の目」つまり高みから見下ろせば、全体像や自分の位置がよく分かり、そこから突破口を開くことができる場合があります。

「虫、鳥、魚」を客船で考えてみましょう。「虫の目」で見ると、客室、食堂、機関室などそれぞれの現場しか目に入りません。「鳥の目」で見ると客船としての機能が有機的に結びついていることが分かるでしょう。「魚の目」で見ると、海の状態、天候などを考え、安全に目的地に着くことが求められます。

「虫、鳥、魚」を時間軸で考えると、「虫の目」が今週のこと、「鳥の目」が半年先のこと、「魚の目」が3年先のことといったイメージです。

そして、「虫、鳥、魚」の目の割合ですが、若手社員は7対2対1、中堅社員は5対3対2、幹部社員は3対4対3、役員は1対5対4でお願いします。若手社員であっても「魚の目」を持つ努力が必要ですし、役員であっても「虫の目」を忘れてはなりません。

皆さんには、「虫の目」を持ってビジネスを遂行し、「鳥の目」を持って全体を設計し、「魚の目」を持って世の中の流れをつかんで、会社をよい方向に導いてほしいと思います。

以上(2023年3月)

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画像:Mariko Mitsuda

15年で村内総生産額が3倍! 村内起業×SDGs×DXで若者が流入し続ける村/1400人の山村のキセキ(前)

書いてあること

  • 主な読者:地方創生に関心のある経営者や町おこし担当者、地方創生を支援する金融機関
  • 課題:過疎化によって人材、資源、資金の全てが不足し、活力を取り戻す方策がない
  • 解決策:森林資源の価値の最大化を目標に、村内起業やSDGs、DXなどに挑戦し続けている岡山県西粟倉村の取り組みを参考にする

1 16%が移住者! 若者が流入する「消滅可能性都市」

日本創成会議(注1)が2014年に指摘した、将来存続できなくなる恐れがある市町村、いわゆる「消滅可能性都市」(注2)は、1799市町村(2014年当時)のうち896市町村に上ります。

ところが、消滅可能性都市の1つとされた人口約1400人の山村が、

約15年間で村内総生産額を約3倍に増やし、若者の流入が相次いで村民の16%を移住者が占めるようになった

という事実を、皆さんは信じることができますか? そんな“奇跡”のような村が、岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)です。村内の経済を成長させ、新たな雇用を生み出し、若者の流入に成功しただけでなく、SDGsやDXの面でも先行しています。

このシリーズでは、西粟倉村の約15年間の軌跡と、地方創生の成功モデルと言われるまでの“奇跡”を遂げた理由について、西粟倉村役場の上山隆浩・地方創生特任参事へのインタビューを、前後編の2回にわたって紹介します。

(注1)日本生産性本部が2011年に発足させた民間の政策提言組織。現在は活動休止中
(注2)2010年から2040年にかけて、20~39歳の女性の人口が5割以下に減少する市町村と定義

2 「森林しかない村」が森林資源の価値に気付く

1)村単独での生き残りを決断したことが転機に

西粟倉村は、岡山県の北東端、兵庫県と鳥取県との境にある人口1361人(2023年1月末時点)の山村です。約57.97平方キロメートルの面積の約93%が森林で、このうち84%をスギやヒノキなどの人工林が占めています。

地方の他の山村と同様に、人口減と高齢化が進んでいた西粟倉村の転機となったのは、2004年の「平成の大合併」の際に、他の市町村とは合併しないと決めたことでした。村役場では合併を前提に準備をしていたのですが、住民アンケートの結果、合併反対が上回ったことを受けて、村単独でやっていくことになったのです。

とはいえ、村のかつての主力産業だった林業は衰退し、財政力指数(注3)は岡山県の市町村で最低という状況の中、村が生き残っていける見通しがあったわけではありませんでした。

(注3)市町村の財政力を示す指標で、「基準財政収入額/基準財政支出額」の過去3年間の平均値

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2)外部の視点で「負の遺産」だった森林の価値付けを目指すことに

どうしたら村が生き残っていけるのかを考えていく中で生まれたのが、「百年の森林(もり)構想」です。この構想は、人工林の管理をあと50年続けて、2058年には西粟倉村を、100年の森林に囲まれた「上質な田舎」にしようというものです。

構想が生まれたきっかけは、2004年から2007年まで、総務省の補助事業である「地域再生マネージャー事業」を導入し、村の活性化策について外部のコンサルタントなどの専門家を招いて議論をしたことでした。元々は村内の観光施設の赤字をどのように解消するかをテーマにしていたのですが、地域と都市部とを結び付けるチャネルである観光施設を活かすには、「村として、何を売っていけばよいのか」が議論されました。

村民からすると、「この村で売っていくものなんて、何もないよね」という意識でいたのですが、Iターンで西粟倉村に来られた方や、外部のコンサルタントが着目したのが、森林でした。西粟倉村では、戦後の昭和30年代に植えられたスギの人工林が50~60年たって、「これからお金になる」まで生育していました。ですが、輸入木材の普及によって木材価格が低下するとともに、高齢化によって林業の担い手がいないという状況にありました。

特に西粟倉村の場合、村有林を村民に払い下げたという経緯もあって、2ヘクタール程度しか保有していない零細な所有者が多く、個人で森林を管理することが困難になっていました。このため、森林には価値も人も付かなくなり、放置される状況があちこちで見受けられるようになっていたのです。特に住居の裏山は、大雨によって崩れることもありますから、防災面でも森林の管理が大きな課題となっていました。このため、村民の間では、「森林は負の遺産になりつつある」という考えが広がっていました。

これに対して、外部のコンサルタントの分析は、「観光施設も大切だが、一次産業は地域の資源であり、豊富にある。しっかりと管理して価値を付けていけば、非常に重要な産業になるし、西粟倉村が持続可能な地域になる」というものでした。外部の知見をもらえなければ、森林は管理が必要な「負の遺産」ではなく、ただ「森林資源が豊かである」ということだけで価値のあることだということに気付かなかったと思います。さらには、森林に価値を付け、その森林資源を活用すれば、経済効果や雇用を生み出すことができるということにも、村民の目は向かわなかったでしょう。

このような考え方に基づいて、コンサルタントの方のアドバイスを受けながら2008年に着想し、2009年に事業を開始したのが「百年の森林構想」です。

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3 森林で「稼げる村」へ!

1)役場を中心とした全村体制で森林資源の価値最大化計画がスタート

こうして始まった百年の森林構想の第一歩は、森林の管理を村役場が一括して行うことでした。村役場には元々、1300ヘクタールの村有林を管理する部署があったので、その部署を広げて個人の森林も管理する体制を取りました。

まず、村役場と森林を所有する村民とで、「森林長期施業管理に関する契約」を結びました。契約の主な内容は、

  • 事務や事業にかかる費用は村の全額負担(村の一般財源と国・県の補助金から支出)
  • 丸太の販売収益は、村と森林所有者が半分ずつ得る

というものです。

森林の管理は多くの村民が困っていましたし、自分でお金を払わない上に村役場が管理してくれて、利益の半分も手元に入ります。山崩れなどの災害リスクも減り、環境にも良いということですから、悪い話は全くありません。総論としては皆が賛成してくれました。

ただし、ただ森林を管理するだけでは費用が出ていくだけです。百年の森林構想の最初の重要ポイントは、森林に価値を付け、その森林資源を活用して「稼げる村」になることでした。小さな村ですので、何百人もが働く工場を誘致するのではなく、小規模でも林業者が増え、木材加工業を手掛けるような、身の丈に合った6次産業化を進めることを目指しました。

2)「西粟倉村の木を使いたい」というニーズをつくることで森林に価値が付く

森林に価値を付けて「外貨」を生み出す役割を担うリソースが、「ローカルベンチャー」です。地元で起業してもらう、木材加工事業のスタートアップ企業です。

ローカルベンチャーの大前提となるのが、20世紀型のビジネスモデルから外れることです。20世紀型のビジネスモデルは、基本的に森林の木を切って木材市場で売るだけです。売り上げを伸ばすには、量で勝負するしかありませんが、それでは外国産の大量かつ安価な木材には勝てません。西粟倉村の現在の木材搬出量は1万立方メートルしかありませんので、1立方メートル当たり1万円で木材を売ったとしても、1億円にしかなりません。

これに対して、林業を6次産業化して、木材を家具や内装材に加工して販売する地元の「ローカルベンチャー」を育成すれば、森林から得られる売り上げは10億円にもなりますし、雇用者も増えます。

とはいえ、ただ木材加工した製品を大量生産していては、やはり20世紀型モデルから抜け出せません。大手企業が参入しないようなニッチな市場で、しかも「西粟倉村の木を使いたい」というニーズをつくることが、西粟倉村の森林に価値を付けるために必要なことです。

例えば、西粟倉村で成功したローカルベンチャーの製品に、幼稚園の什器やマンションの内装用のタイルがあります。都市部の若い方たちの中には、国産材の木に囲まれた環境の中で子供を育てたいという人がいます。大手企業は参入しないニッチな市場かつ、製品に込められたストーリーまで含めて購入されるような市場です。

こうした市場を見つけ、広げていくには、事業を行うローカルベンチャー自体に、「西粟倉村の木を使いたい」という思いがなければ実現しません。

そのような思いや価値観を集約した「旗」になるものが、「百年の森林構想」です。そして、西粟倉村の森林資源の最大価値化というビジョンを共感・共有したいという人たちが増えるほど、森林資源の価値が高まっていくことになるのです。

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3)ビジョンにプロジェクトが一体化

とはいえ、他の市町村でも、ビジョンはあってもプロジェクトが付いていかないという話を聞くことがあります。西粟倉村の場合、ビジョンに共感してプロジェクトを実行してくれる企業と一体化することができました。

うまくいったのは、たまたまなのかもしれませんが、先駆者となってくれた数社の役割は大きかったと思います。観光施設の赤字対策のために招いた外部のコンサルタントの方が起業した「西粟倉・森の学校(およびエーゼロ)」(以下「森の学校」)や、地元の森林組合の職員が起業した「木の里工房 木薫」(以下「木薫」)、百年の森林構想に共感して西粟倉村にIターンした方が起業した「ようび」といった先駆者が、市場を開拓してくれました。森の学校や木薫は、百年の森林構想を作る前の段階から関わっているので、当然ながらビジョンを理解し、共感してくれていました。

こうした先駆者である数社のローカルベンチャーが、ビジョンと一体化したプロジェクトで実績を出してくれているので、外部の人たちにも西粟倉村の取り組みがよく分かり、共感・共有を得やすくなったのだと思います。先駆者たちの活躍を見て、同じような活動をしようと考えていた人たちが西粟倉村を選んでくれるようになりました。

西粟倉村では、新たなローカルベンチャーの育成を後押しする取り組みも行っています。2015年に、先駆者であるローカルベンチャーを主体としたローカルベンチャースクールに取り組みました。また、2016年に、西粟倉村と東京のNPO法人ETIC.の呼びかけに賛同した8つの自治体により、ローカルベンチャー協議会を発足しています。

このような取り組みによって、2022年には、西粟倉村のローカルベンチャーは50社にまで増えました。村内総生産額は百年の森林構想がスタートする2009年以前の8億円から22億円へと約3倍に増え、221人の新規雇用を実現しています。

4)移住者だけでなく「関係人口」の拡大も重要

ビジョンを共感・共有していただいたのは、ローカルベンチャーの担い手だけではありません。西粟倉村のビジョンに対する共感・共有によって、地域外の方たちにも西粟倉村の顧客やインフルエンサーになってもらい、さらに共感・共有の輪が広がるようになっています。こうした、移住はできなくても西粟倉村のビジョンに共感・共有していただいて、村と強い関係を持っている方々を、私たちは「関係人口」と呼び、特に経済面や課題解決の面での西粟倉村の発展にとって重要な存在だと考えています。

例えば、2009年と2010年には、「西粟倉村共有の森ファンド」というクラウドファンディングを立ち上げ、423人の投資家の方から約4900万円が集まりました。

関係人口を増やすために、2018年には、西粟倉村の情報を掲載し、村内の製品を購入することなどができる「アプリ村民票」のサービスを始めました。既に村の人口を上回る約1700人の方に登録していただいています。

4 脱炭素・SDGs推進で「循環型社会」へ

ローカルベンチャーによって、森林資源の価値が高まり、西粟倉村は「稼げる村」になりました。その一方で、事業を進めていくうちに、森林資源の価値をより一層高めるには、木材加工事業を行うローカルベンチャー以外の方法も必要だということが見えてきました。木材加工には使えない低質材・未利用材を活用できるようになれば、今まで無価値だった木材にも価値が生まれるからです。

そのための解決策が、脱炭素です。木材加工に使えない低質材・未利用材(薪やチップ)を使ったバイオマス発電と小型の水力発電によって、小規模分散型の再生可能エネルギー供給システムの構築を進めています。ローカルベンチャーなども募り、2014年度から事業に着手しています。

事業は、国からの補助金などを活用しています。西粟倉村は2013年に内閣府の環境モデル都市、2014年に農林水産省などのバイオマス産業都市、2019年に内閣府のSDGs未来都市に認定されていますので、こうした制度を活かしてファイナンスを行っています。

現在では、小中学校や村役場の新庁舎など村内の6カ所の公共施設に木質バイオボイラーで熱供給をし、3カ所の温泉施設に薪ボイラーを導入しています。また、2018年に西粟倉村や地元の金融機関などが出資して小型の水力発電事業会社を設立し、売電事業を始めました。

こうした取り組みにより、村内の再生可能エネルギーによる電力自給率は、約50%に達しています。目標はもちろん100%です。2022年度には環境省の脱炭素先行地域に選定されており、2030年に村有施設の電力由来の二酸化炭素の排出量をゼロにすることを目指しています。

脱炭素やSDGsは、西粟倉村にとっては、森林資源の価値を高めるためのツールです。脱炭素やSDGsというコンセプトに沿えば、国などからの補助金を活用できますし、専門的な知見を持った人材も集めやすくなります。さらには、百年の森林構想への共感・共有が広がるというメリットもあります。

5 さらなる高みへ、最新技術を活用した「構想Ver.2.0」

1)全ての森林をデータ化して用途に選別

百年の森林構想では、林業の6次産業化と脱炭素・SDGsで森林資源の価値を高めてきましたが、課題はまだまだ残っています。西粟倉村の森林の84%が人工林とはいえ、実際に林業に適している森林は、このうち6割程度しかないことが分かってきました。残りの4割程度の森林は、「生育が悪い」「人が入るのが困難な場所にある」「住居や墓地に近いので保水効果を考えると木を伐採できない」などの理由で、価値を付けられていないのです。

価値を付けられていない森林の管理は、おろそかになりがちです。しかし、管理を怠ると大雨によって山崩れが起こりかねませんし、山崩れが起きればますます管理をしなくなるという「負の連鎖」が起きてしまいます。

そこで、2020年から、百年の森林構想を新たなフェーズに移行させることとしました。百年の森林構想Ver.2.0の開始です。

Ver.2.0の最大の事業は、村内の約6700地番ある森林を全てデータ化して分析し、用途を決める作業を行う「森林 RE Design」です。例えば、生育の悪い森林や、木材の搬出が困難な場所にある森林は、環境林として観光客を呼び込み、グリーンツーリズムなどの「コト消費」につなげます。住居に近い森林は、低層木に植え替えて、シロップの生産や養蜂、山菜の育成といった「森林農業」を営む場所にして、5~6年でキャッシュフローが回るようなビジネスモデルへの転換を進めています。DXを活用した「森林 RE Design」によって、木材利用だけでない森林の価値を付け、森林資源の価値をさらに高めることができると考えています。

2)都市部に流出した森林の所有権は「森林商事信託」を活用

Ver.2.0のもう1つの大きな事業が、2020年度から開始した森林商事信託事業です。百年の森林構想の第一歩となった「森林長期施業管理に関する契約」は、村役場が対象に想定している約3000ヘクタールの森林のうち、約1800ヘクタールほどしか締結できていません。

その主な理由は、相続によって森林の所有権が、都市部の住民に流出し始めていることです。森林商事信託事業は、都市部の住民に契約を締結してもらうための手法です。都市部に住んでいる所有者が森林管理を委託しやすくするために、村役場が村内の所有者と締結したような契約を、大手信託銀行と締結するスキームです。所有者は信託契約が続く限り、森林管理の費用負担がなくなりますし、信託受益権の配当を受け取ることができます。委託した森林の管理状況については、森林管理を行っている大手企業が、信託銀行のアドバイザーとして参画していますので、遠隔地の方でも安心して信託していただける制度になっています。

3)都市部など外部企業との協働にシフト

ご紹介した2つの事業でも分かるように、百年の森林構想Ver.2.0は、Ver.1.0と比べると、活用すべきリソースが異なっています。「稼ぐ村」への転換に貢献していただいているローカルベンチャーは、DXに関するリテラシーやノウハウが必ずしもあるわけではありませんし、信託事業を行っているわけでもありません。これは脱炭素に関しても同様のことが言えます。

Ver.2.0の課題や脱炭素に取り組むには、DXや脱炭素などに関する専門的なノウハウや知見があり、さらには投資もできるファイナンス力のある事業者に参加してもらう必要があります。

これまでは、ローカルベンチャー事業のKPIを起業数に設定してきましたが、これからは起業数ではなく、生み出した事業の売り上げ規模をKPIに設定しています。1社当たり1億円や2億円の事業を生み出すことが理想です。例えば、観光事業は裾野が広い産業なので、億単位の売り上げ規模の事業を起こすこともできますし、数十人単位の若者を呼び入れることもできます。

地域資源の価値最大化のための活用すべきリソースの変化に伴って、村内で企業を育成してリソースにするという考え方から、地域内で賄えないものは外部のリソースを活用するという考え方にシフトしています。このため、これまで以上に都市部の企業などとの協働プロジェクトに取り組み、2024年に13件に、2030年までには35件に増やすことを目指しています。

2020年に設立した「一般財団法人西粟倉村まるごと研究所」は、企業や大学などの研究機関に、西粟倉村そのものを実証実験の場として提供することで、さまざまな課題を解決するための最新技術の導入を図るための受け皿になることを目的としています。

4)社会資本の充実でSDGsもバージョンアップへ

Ver.2.0では、SDGsのターゲットの拡大も目指しています。これまで西粟倉村のSDGsは、脱炭素や環境分野が中心でしたが、これからは社会資本の充実も進めていくことを目標に掲げています。このため、村内で育成するローカルベンチャーは、従来の「木材加工型」だけでなく、「ソーシャルビジネスローカルベンチャー」を増やしていきたいと考えています。

2020年には、村内の小中学生向けに、環境やSDGsに関する教育を実践し、西粟倉村のアイデンティティを高めていくことを狙った「一般社団法人Nest」を設立しました。

百年の森林構想を中心に、環境、経済、社会の3つが自立的に好循環を生んでいくような仕組みをつくっていくことが、西粟倉村の持続可能性を高めることにつながると考えています。

西粟倉村役場の上山隆浩・地方創生特任参事へのインタビューの前編は以上です。後編では、西粟倉村の取り組みの中心的な役割を担う村役場の職員たちは、どのような意識改革によって育成されたのかについて聞いています。

以上(2023年3月)

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画像:岡山県西粟倉村役場

【収支シミュレーション】デイケア(通所リハビリテーション)施設の開業収支モデル

書いてあること

  • 主な読者:デイケア施設の開設を検討している人
  • 課題:自社の所有地に通所リハビリテーション施設を新築する
  • 解決策:開業、運営に掛かる費用の目安を押さえ、収支計画をシミュレーションしてみる

1 通所リハビリテーションとは

1)通所リハビリテーション

通所リハビリテーションとは、

居宅の要介護者を介護老人保健施設、病院、診療所、その他の厚生労働省令で定める施設に通わせ、その心身の機能の維持回復を図り、日常生活の自立を助けるために行われる理学療法、作業療法その他必要なリハビリテーション

をいいます。また、通所リハビリテーションは一般にデイケアとも呼ばれています。

通所リハビリテーションは、介護保険法の居宅サービス事業に該当します。居宅サービス事業者となるには、都道府県知事(指定都市・中核市は各市長)の指定を受ける必要があります。

2)介護予防通所リハビリテーション

介護予防通所リハビリテーションとは、

居宅の要支援者(要介護に至っていない状態の人)を介護老人保健施設、病院、診療所、その他の厚生労働省令で定める施設に通わせ、その介護予防(要介護状態になることの予防)を目的として、厚生労働省令で定める期間にわたり行われる理学療法、作業療法その他必要なリハビリテーション

をいいます。

介護予防通所リハビリテーションは、介護保険法の介護予防サービスに該当します。介護予防サービス事業者になるには、都道府県知事(指定都市・中核市は各市長)の指定を受ける必要があります。

3)通所リハビリテーション施設の開設

通所リハビリテーション施設を開設するには

  • 法人格を取得する
  • 厚生労働省令で定められた事項を都道府県知事に届け出る
  • 厚生労働省が定める「指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準」を満たす
  • 施設の所在地の都道府県知事(指定都市・中核市は各市長)から介護保険法の「通所介護」に係る「指定居宅サービス事業者」の指定を受ける

なお、市区町村によって基準が異なる場合や、設置を計画していた施設の数を満たしているといった理由で申請を受け付けていない場合があるため、事前に市区町村の担当部署に確認しましょう。

また、市区町村によって施設整備費や設備整備費などに補助金を出していることもあるので、併せて確認するとよいでしょう。

2 開業収支を考える

1)前提条件

1.売上高

売上高は、施設定員を90人として年間5870万円とします。算出式は次の通りです。

(介護サービス費8万3800円+日常生活費等6800円)×定員90人×12カ月×稼働率60%≒5870万円

通所リハビリテーションの売上高は、介護サービス費と日常生活費等から成ります。

厚生労働省「介護給付費等実態統計月報(令和3年4月審査分)第5表 介護サービス受給者1人当たり費用額,要介護状態区分・サービス種類別」によると、通所リハビリテーションの介護サービス受給者1人当たり費用額は8万3800円となっています。介護保険が適用されるので利用者の負担は1割(一定基準以上の所得がある場合は2割または3割)となります。

日常生活費等は、食材料費、教育娯楽費、日用品代などで、利用者が実費を負担します。

2.原価率

厚生労働省「令和2年度介護事業経営実態調査」の介護事業費用(3)その他を参考に、売上高の27.7%とします。

3.人件費

厚生労働省「令和2年度介護事業経営実態調査」の介護事業費用(1)給与費66.7%を参考に、3915万円(5870万円×66.7%)とします。

4.施設設備整備費用

一般的に、通所リハビリテーション施設は、病院や診療所、他の介護サービス施設と併設されるケースが多いようです。そこで、このシミュレーションでは、リハビリテーションを行う専用の部屋を既存の施設に増築するものと仮定し、建物(延床面積120平方メートル。1平方メートル当たり工事単価30万円)は3600万円。建物附属設備(電気・給排水・消火設備など)は540万円とします。

その他の諸条件は次の通りとします。

損益収支計画の前提条件

2)収支シミュレーション

損益収支計画

主な財務指標

3 通所リハビリテーション施設(予防を含む)の収支

厚生労働省「令和2年度介護事業経営実態調査結果」によると、通所リハビリテーション(予防を含む)の1施設1カ月当たり収支は次の通りです。

通所リハビリテーション施設(予防を含む)の1施設1カ月当たり収支

以上(2022年12月)

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画像:Robert Kneschke-shutterstock

【収支シミュレーション】老人デイサービスセンターの開業収支モデル

書いてあること

  • 主な読者:老人デイサービスセンターの開設を検討している人
  • 課題:自社の所有地に老人デイサービスセンターを新築する
  • 解決策:開業、運営に掛かる費用の目安を押さえ、収支計画をシミュレーションしてみる

1 老人デイサービスセンターとは

老人デイサービスセンターとは、

居宅要介護者および居宅要支援者に対して、日帰りで入浴、食事の提供、機能訓練、介護方法の指導などのサービスを行う施設

です。また、介護保険では、居宅要介護者に対する老人デイサービスを「通所介護」といいます(介護保険法第8条第7項)。

利用者は生活介助を受けられるだけでなく、孤立感の解消、心身機能の向上も図ることができます。また、家族などの介護者は、老人デイサービスセンターに要介護者・要支援者を預けることにより、介護による身体・精神的負担の軽減を図ることができます。

老人デイサービスセンターを開設するには、

  • 法人格を取得する
  • 厚生労働省令で定められた事項を都道府県知事に届け出る
  • 厚生労働省が定める「指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準」の人員配置基準、設備基準、運営基準を満たす
  • 施設の所在地の都道府県知事(指定都市・中核市は各市長)から介護保険法の「通所介護」に係る「指定居宅サービス事業者」の指定を受ける

必要があります。

なお、市区町村によって基準が異なる場合や、設置を計画していた施設の数を満たしているといった理由で申請を受け付けていない場合があるため、事前に市区町村の担当部署に確認しましょう。

また、市区町村によって施設整備費や設備整備費などに補助金を出していることもあるので、併せて確認するとよいでしょう。

2 開業収支を考える

1)前提条件

1.売上高

売上高は、施設定員を30人、稼働率を70%として年間2741万円とします。算出式は次の通りです。

(介護サービス9万9400円+日常生活費等9400円)×定員30人×12カ月×稼働率70%≒2741万円

老人デイサービスセンターの売上高は、介護サービス費と日常生活費等から成ります。

厚生労働省「介護給付費等実態統計月報(令和3年4月審査分)第5表 介護サービス受給者1人当たり費用額,要介護状態区分・サービス種類別」によると、通所介護の介護サービス受給者1人当たりの費用額は9万9400円となっています。介護保険が適応されるので利用者の負担は1割(一定基準以上の所得がある場合は2割または3割)となります。

日常生活費等は、食材料費、レクリエーション参加費、理美容代、おむつ代、日用品代などで、利用者が実費を負担します。

2.原価率

原価率は、後掲の図表4(通所介護の1施設1カ月当たり収支)の介護事業費用のうち(4)その他を参考に27.4%とします。

3.人件費

人件費は同じく後掲の図表4(通所介護の1施設1カ月当たり収支)の介護事業費用のうち(1)給与費63.8%を参考に2498万円(3916万円×63.8%)とします。

4.施設設備整備費

建物(延床面積400平方メートル。1平方メートル当たり工事単価30万円)は1億2000万円。建物附属設備(電気・給排水・消火設備など)は1800万円とします。

その他の諸条件は次の通りとします。

損益収支計画の前提条件

2)収支シミュレーション

損益収支計画

主な財務指標

3 通所介護施設の1施設1カ月当たり収支

厚生労働省「令和2年度介護事業経営実態調査結果」によると、通所介護施設の1施設1カ月当たり収支は次の通りです。

通所介護施設の1施設1カ月当たり収支

以上(2023年3月)

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画像:mapo-Adobe Stock

【朝礼】厳しい校則と増えるルーチン業務の共通点

おはようございます。突然ですが、皆さんが通っていた中学校や高校は、校則が厳しかったでしょうか? いきなり変な質問をしてすみません。この質問にはちゃんと理由がありますので、しばらく私の話にお付き合いください。

先日、学生時代の友人と会った際、私たちが通っていた中学校の校則の厳しさが話題になりました。当時の生徒手帳には、髪形、ズボンの太さ、スカート丈から始まる数多くの校則が細かく記載されていたのです。ただ、どうも世の中には、さらに変な校則や厳しい校則がある、もしくは、あったようです。友人と一緒にインターネットで調べてみたら、あまりの内容に驚きました。

例えば、プールではふんどし禁止、学校に出前を取ることは禁止、タトゥー禁止などがそうです。私や友人の感覚からすると、「そんなの当たり前でしょ」と思ってしまうような内容でした。逆に、髪を切るときは教師の許可を得ること、○○駅で待ち合わせをするのは禁止など、「そこまでする必要があるの?」と、疑問に感じる内容もありました。

ですが、今にして思うと、こうした校則を作った学校側も、私や友人と同じ気持ちだったのかもしれません。実際に、ふんどしで泳ぐ生徒や学校に出前を取る生徒、タトゥーをした生徒が出てきて、PTAを含めて問題になった結果、学校側はやむなく校則で禁止したという背景が想像できます。

また、あまりに奇抜な髪形をした生徒や、駅前で生徒が駅の利用者に迷惑を掛ける行為に対して、学校側は何度も指導したのに効果がなかったのでしょう。その結果、学校側としては、髪を切るのは許可制、駅での待ち合わせは禁止に踏み切るしかなかったのだろうと思います。

私が通っていた高校は、中学校と違って校則がほとんどありませんでしたが、奇抜な髪形や服装をする生徒は皆無でした。だから髪形や服装に関する校則が不要だったのだと思います。

これは、今の私たちにも当てはまる話ではないでしょうか。業務上、本来はあり得ないミスや、原因不明の納期遅れが続けば、当然ながら再発防止のための対策として、チェック体制を二重三重に増やし、業務の進捗を逐一、上司に報告しないといけなくなります。それは、変な校則や厳しい校則と同じように、「そんなの当たり前でしょ」「そこまでする必要があるの?」と思ってしまうようなルーチン業務です。こうした業務が増えると、本当に重要な業務を行う時間が減ってしまいます。つまり、自分たちの落ち度や怠慢によって、自分たち自身の首を絞めることになるわけです。

今、会社では業務効率化が求められていますが、その第一歩は、「そんなの当たり前でしょ」「そこまでする必要があるの?」というルーチン業務を減らしていくことだと思います。そのために私は、自分がやるべきこと、守るべきことを怠らないように努めたいと思います。

以上(2023年3月)

pj17136
画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】丁寧さが好感を生みます。皆さんは丁寧さの基準を知っていますか

先日、取引先企業を訪問した際、言葉遣いや所作がとても丁寧な受付の方(女性)がいました。本当に丁寧に応対してくれたので、なんとなく気持ちがよくなりました。そのときは、その後の商談がうまく運ぶような気さえしました。また昨日、急ぎの要件で電話をかけたとき、相手の女性の受け答えが、とても丁寧でした。そのせいか、私の気のあせりは少し和らぎました。丁寧に応対されると、とても心が落ち着くだけでなく、嬉しくなるものです。

高級ホテルや高級レストランでは、皆さんはとても丁寧な接客を受けると思います。もちろん、彼らは接客のプロフェッショナルですので、言葉遣いや所作が丁寧なのは当然のことといえます。こうしたことが分かっていても、丁寧に応対してもらうと、悪い気はしません。

ここで逆のことを考えてみましょう。仮に、高級ホテルで、雑な応対をされたらどうでしょう。嫌な気持ちになるに違いありません。程度によっては、そのホテルを利用するのをやめようとさえ思うでしょう。

日常のビジネスシーンでも、同じようなことが起きているかもしれません。ここで、皆さんと取引先様との電話応対を思い出してください、常日ごろ、すべての取引先様に丁寧に応対していますか。

ポイントは「すべての取引先様」です。一口に取引先様といっても、大口のお客様、小口のお客様、これからお客様になってくれるかもしれない見込み客、仕入先様などさまざまです。皆さんの中に、大口のお客様にはとても丁寧に接している一方で、小口のお客様には丁寧さに欠ける応対をしている人はいませんか。仕入先様に対しては、「うちが商品を買ってやっている」という態度や物言いになっていませんか。

ビジネスシーンにおける応対の基本は、お客様の大小や、お客様か仕入先様かで、変わっていては混乱します。なぜなら、小口のお客様は大口のお客様になるかもしれないからです。それに、仕入先様がお客様になるかもしれません。もう少し分かりやすく説明しましょう。小口のお客様が大口のお客様になった場合、相手に有利に契約条件などを変更するのは、ビジネスとしてよくあることです。逆に、大口のお客様が小口になることも少なくありません。取引の大きさに応じて、取引条件が変更するのはビジネス上、問題はありません。しかし、相手の立場や取引額によって、応対を変えるようでは、皆さんだけでなく、会社の信用にもかかわります。

今後、皆さんはどのような立場の相手の方でも、社外はもちろん社内でも、上司と部下の関係であっても、丁寧に接してください。丁寧過ぎるぐらいでかまいません。丁寧な応対は間違いなく、好感を生みます。仮に、厳しい交渉でも、丁寧な言葉遣いで行うと、相手は感情的になりません。部下を厳しい言葉で叱責する際も、丁寧な口調でいうと、部下は納得します。

丁寧さは言葉遣いと口調、そして所作に表れます。皆さんの敬語が多少間違っていても、ゆっくりと優しい口調であれば、丁寧さは伝わります。

そして、肝心なことですが、丁寧さにも基準があります。分かりますか。よく、「相手に不快感を与えないようにすればいい」という方がいますが、これはマナーの問題であって、丁寧さの基準ではありません。

私が考える丁寧さの基準を皆さんに教えましょう。その基準は「相手よりも」です。相手を上回る丁寧さで応対すれば、相手は好感を抱いてくれるでしょう。今日から、相手よりも丁寧に応対してください。

以上(2023年3月)

pj16485
画像:Mariko Mitsuda

日本の歴史人物(徳川家康)

1 徳川時代を築いた「徳川家康」

天文11年(1542年)、徳川家康は、三河岡崎城主松平広忠の嫡男として生まれました。幼少のときに今川家の人質として駿府へ向かう途中、織田軍に拉致されてしまいます。

今川家から独立した後の家康は、織田信長と清洲城で同盟を結びます。以後、信長と共に転戦し、長篠の合戦では、織田家と共同で武田の騎馬隊を破っています。

本能寺の変後は、信長亡き後の主導権を巡り、豊臣の大軍相手に善戦しました。その後は秀吉に降(くだ)り、豊臣政権の有力大名として五大老の一人に任じられています。

秀吉の死後は、天下の覇権を得るべく東軍の総大将として関ヶ原で石田三成と決戦、勝利します。慶長8年(1603年)、朝廷に征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きます。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣において豊臣秀頼を滅ぼし、戦国の乱世に終止符を打ったのです。

徳川家康の生涯

2 家康の有名エピソード

1)不遇な生活を余儀なくされた幼少時代

家康が生まれた当時、三河の松平氏は東の今川義元、西の織田信秀に攻め込まれ、滅亡の危機にありました。そこで、家康の父、三河岡崎城主松平広忠は、この危機を乗り越えるために、今川氏の支援を受けて織田氏と対決しようと決意します。今川氏の支援を受けるために、家康は駿府に人質として差し出されることになります。まだ幼く、竹千代と呼ばれていた頃でした。

しかし、家康は、今川氏のもとへ護送される途中で、織田軍に拉致されてしまいます。尾張の織田信秀の人質として数年を過ごした後は、再度人質として、駿府の今川義元のもとへ移ります。

こうして、家康は長期間に及ぶ不遇な生活を余儀なくされることとなります。

2)忍耐の人、家康

家康は、幼い頃から人質として過ごしたせいか、非常に慎重で、忍耐強い人でした。「悪賢い」などというイメージが付きまといますが、長い間の人質生活は、人を慎重にさせるには十分な試練だったのでしょう。

家康は、戦国の乱世に終止符を打ち、明治維新まで約300年もの間続く江戸幕府の創始者となりました。

しかし、その覇業の道のりは、決して楽なものではありませんでした。死を覚悟したことも幾度となくあったようで、むしろ、苦難の連続だったといえます。

3)家康の危機

長い家康の人生のなかで、生命の危険にさらされたことは一度や二度ではありません。例えば、次のような出来事があります。

  • 桶狭間の合戦で、今川義元が織田信長に討たれて、岡崎まで引き揚げるとき。
  • 三方ケ原の戦いで、武田信玄に手痛い敗戦を喫し、城まで追って来た信玄の兵に迫られたとき。
  • 本能寺で、織田信長が明智光秀に討たれて、あわてて伊賀越えを敢行し、地侍や土民の一揆や敵の兵士に出会ったとき。
  • 小牧山で、豊臣秀吉と対戦したとき、裏から三河に兵を出されて、追いかけて討ち取ったとき。
  • 関ヶ原の合戦で、小早川秀秋との駆け引きで、鉄砲を撃って脅したとき。
  • 大坂夏の陣で、真田信繁(幸村)に本陣を突かれて後退したとき。

4)家康をささえた武将

家康が生き長らえたのは、冷静な判断力と並外れた運だけではありません。団結力の強い三河武士の家臣の存在が非常に大きかったといわれています。

具体的には、徳川四天王といわれた、井伊直政 、酒井忠次 、榊原康政 、本多忠勝などの存在です。これほどいい家臣に恵まれた諸大名も少なく、あの織田信長でさえ褒めたたえたといわれています。

家康は、重要なポストはすべて譜代の大名で固め、仕官してきた人を、あまり雇わなかったことでも有名です。逆に、織田信長や豊臣秀吉は平素から仕官してくれば雇っていました。

家康は家臣を自分で育てるタイプだったのです。軍評を開くときでも家臣に意見を言わせて、最後は自分で結論を出す方式をとっていたようです。

このような家康の人材育成の手腕は、現在でも立派に通用するでしょう。

徳川家康

5)家臣は至極の宝

家康には家臣を非常に大切にしていたことを表す、さまざまなエピソードが残っています。

あるとき豊臣秀吉が、家康をはじめ諸大名を集めて、自分の宝物などを自慢して、「さて、家康殿はどのようなお宝をお持ちですかな」と尋ねたことがありました。

このとき家康は、「ご存じのように、それがしは三河の片田舎の生まれですので、何も珍しいものは持っておりません。しかしそれがしのためには、水の中、火の中へも飛び入り、命を惜しまない士を500騎ほど配下にしております。これこそ、この家康にとって、第一の宝物と思っております」と答えたといいます。これに対し秀吉は、赤面して「そのような宝は自分も欲しいものだ」と言った逸話が残っています。

家康は自慢をしたというより皮肉を言ったという感じですが、家臣を大切に思っていることがよく伝わります。

実際、豊臣秀吉はさまざまな方法で家康の家臣を引き抜こうとしたようです。家康が家臣を宝のように思っていたことは、家臣にもよく伝わり、家臣もまた家康のために命をなげうったのでしょう。

6)家康の“ウラ話”

家康の人生のなかで、面白いエピソードが残っています。それは、次のような話です。

三方ケ原の戦いでは、負けて逃げる途中、追っ手の姿も見えなくなった家康はおなかがすいてきました。そこで一軒の茶屋で小豆餅を食べることにします。そこへ追っ手が迫り、驚いた家康は金を払わずに一目散に逃げ出してしまうのです。今でいう“食い逃げ”です。

それを茶屋の女主人が追いかけてきて、家康を捕まえ、餅代を受け取ったという逸話が残っています。

この話が本当かどうかは定かではありませんが、静岡県浜松市内には、茶屋があったところは「小豆餅」、家康を捕まえたところは「銭取」と、それぞれ地名になっています。

以上(2023年4月)

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画像:いらすとや