外国企業と取引を始めるに当たって注意すべき事項

書いてあること

  • 主な読者:外国企業と取引したい経営者
  • 課題:外国企業と取引する際の注意点が分からない
  • 解決策:国のリスクや商習慣の違いなどを踏まえる。相談先機関も活用する

1 外国企業と取引する際の注意事項

国内で完結する取引と異なり、国際的な取引(いわゆる「貿易取引」)には、「取引相手の情報が不足している」「思わぬ手間や出費を強いられる」などのリスクがあります。そのため、国内企業との取引とは違う点にも注意を払わなければなりません。

外国企業との取引で注意すべき点は次の通りです。

1)情報の不足

日本国内で取引をする場合に比べ、土地勘がなく、顔を直接向き合わせてのコミュニケーションが難しい外国企業との取引は情報が不足しがちです。そのため、契約不履行(商品の相違、納期遅れなど)、詐欺、取引相手の倒産、現地政府の政策による輸出入の差し止め、その他商習慣の違いなどに起因するトラブルの発生を防ぎにくい傾向があります。自社で情報収集を強化するだけでなく、現地事情に精通した専門家や専門機関を活用し、必要な情報を得られるようにしておきましょう。

具体的に不足しがちな情報としては、次のようなものがあります。

  • 相手となる外国企業の信用情報
  • カントリーリスク
  • 商習慣や文化の違い

なお、企業情報の調査機関である帝国データバンクや東京商工リサーチでは、海外の提携調査機関から取得した、外国企業の信用情報を提供しています。

■帝国データバンク■
https://www.tdb.co.jp/
■東京商工リサーチ■
http://www.tsr-net.co.jp/

2)展示会などに出展

国内外で開催される国際的な展示会・展覧会・商談会へ定期的に出展することで、新規取引先を発掘したり、既存取引先との関係を強化したりする良い機会になります。自社で負担できる費用と、開拓したい市場(国・地域、販売チャネルなど)を勘案し、適切な展示会・展覧会・商談会に出展するようにしましょう。

中小企業基盤整備機構では、専門家によるアドバイス、翻訳・印刷支援といった海外展示会出展サポートを行っている他、「海外展示会ハンドブック」も配布しています。

■中小企業基盤整備機構 海外展示会ハンドブック■
http://biznavi.smrj.go.jp/handbook-overseas-exhibitions

3)カントリーリスク

貿易取引には「カントリーリスク」と呼ばれるリスクがあります。これは、個別の取引相手が持つ商業リスク(契約不履行、倒産、詐欺など)とは別に、貿易取引相手国の政治・経済・社会環境に起因する損害発生のリスクのことです。

具体的なカントリーリスクとしては、次のようなものが挙げられます。

  • 著作権や商標権など、知的財産権の侵害の頻発
  • 行政手続きが不透明で、法的根拠が薄い
  • 政府による民間企業の経営や案件への介入
  • 政権交代が経済の混乱につながりやすい
  • 民族や宗教の対立が根深く、紛争が生じやすい

なお、日本貿易保険(NEXI)では、中小企業や農林水産業従事者を対象に、船積み後のカントリーリスクやバイヤーの信用リスクをカバーする「中小企業・農林水産業輸出代金保険」を提供しています。取引金額が大きい、取引相手の信用度が低いなど、取引のリスクが大きいと判断した場合は利用を検討してもよいでしょう。

■日本貿易保険(NEXI)「中小企業・農林水産業輸出代金保険」■
https://www.nexi.go.jp/product/sme/

4)商習慣や文化の違い

外国企業との取引に当たっては、商習慣や文化の違いによるトラブルが生じる可能性があります。例えば、日本国内の取引であれば、「顧客に必要と思われることは、契約や約束の範囲でなくても、可能な範囲で行う」「外装の破損は、たとえ商品そのものにダメージがない場合でもクレームの対象になり得る」「納期は守られる」「代金は期日までに回収できる」といったことが一般的です。

しかし、外国企業との取引であれば、「契約書に記載されている事項以上の仕事はしない」「外装が破損していても、商品そのものにダメージがなければ問題ない」「納期が必ずしも守られない」「代金が期日になっても回収できない」といった、商習慣や文化の違いに起因するトラブルが発生する場合があります。

また、ベースとなる考え方が違う以上、「常識的に考えれば○○してくれるであろう」という、以心伝心のコミュニケーションは外国企業との間では成立しません。そのため、メールなどでやり取りをする場合は、自社が取引相手に伝えたい内容を簡潔に分かりやすく伝えることが大切となります。

商習慣や文化の違いによるトラブルを軽減するために、取引相手に求める詳細な事項を契約書に盛り込んで順守させるようにしましょう。

5)煩雑な手続き

貿易取引においては、国内で完結する取引と異なり、多数の書類のやり取りが必要となる煩雑な手続きが必要な場合もあります。これは、商品が輸出企業から輸入企業の手に渡るまでに多くの企業・機関が関与しているためです。そして、手続きによっては、怠ることで損失が生じるだけでなく、何らかの処罰の対象になったり、順法意識が薄いなどとして自社の信用低下につながったりする場合すらあります。

手続きに漏れがないよう、社内でのチェック体制を整えたり、貿易取引に関する専門機関に照会したりするなどして、トラブルが発生しないようにしましょう。

6)輸出入の規制

貿易取引は、国外から商品を運び込む取引、国外に商品を運び出す取引によって成り立ちます。そのため、国内に持ち込まれると問題となる商品(例:病害虫がついた農作物、偽ブランド商品、コメなど国の政策で保護されている農作物・工業製品)や、国外に持ち出すのが好ましくない商品(例:希少動植物など)については、輸出入が規制されています。こうした輸出入の規制には、国によっては家庭用ゲーム機器など、通常の企業活動では取引の規制が想定しにくい商品であっても、性能の高さや使われているソフトウエアなどを理由に規制対象となっている場合があります。

もし、輸出入しようとした商品が規制の対象となっている場合、取引そのものが不履行となって損害が生じたり、十分な数量の輸出入ができなくなったりします。

日本からの輸出や、日本への輸入が規制されている品目については、税関(財務省関税局)「輸出入禁止・規制品目」などで確認できます。

■税関(財務省関税局)「輸出入禁止・規制品目」■
http://www.customs.go.jp/mizugiwa/kinshi.htm

7)為替レートの変動

貿易取引は、基本的に外貨によって行われます。当事者企業双方の利便性の観点から、米ドルやユーロなど基軸通貨(またはそれに準ずる通貨)を利用するのが一般的ですが、これらの通貨の為替レートは時として大きく変動します。

為替レートの変動への対応策としては、「円建てで取引する」「為替予約(注)をして事前に交換レートを確定させる」などが挙げられます。金融機関では為替レート変動対策の金融商品を提供している場合があるので、渉外担当者に確認してもよいでしょう。

(注)一定時期後の外貨と円の交換を事前にレートを決めて予約する金融取引のことをいいます。

8)専門機関に相談

初めて外国企業と取引をする際には、専門機関に事前に相談し、情報収集やノウハウの蓄積に努めるようにしましょう。

主な専門機関としては、日本貿易振興機構(通称:ジェトロ)や中小企業基盤整備機構などの国が運営している機関、都道府県が運営している国際化支援機関、国際的な取引を支援する民間団体、各国の政府が日本国内に設けた投資・貿易支援機関などが挙げられます。

2 相談先、情報源

1)支援機関

1.日本貿易振興機構

日本貿易振興機構は、日本貿易振興機構法に基づき設立された貿易・投資の支援機関です。日本貿易振興機構は、海外進出を検討している企業に対して、投資相談(無料)、海外調査(有料)を提供しています。

■日本貿易振興機構■
https://www.jetro.go.jp/

2.中小企業基盤整備機構

中小企業基盤整備機構では、国際化支援アドバイス(中小企業の国際化を支援するアドバイスの提供)を行っています。個別の相談ごとに国別担当の経営支援専門員が、内容に応じて各分野で専門性の高いスキルを持つ「国際化支援アドバイザー」と連携しながら、経営課題解決の観点に立ったアドバイスを行っています。アドバイスの費用は無料となっており、何度でも相談できます。

また、同機構では、ウェブサイト上での情報提供や、全国各地において貿易など海外展開に関するセミナーを実施しています。

■中小企業基盤整備機構「海外展開」■
http://www.smrj.go.jp/sme/overseas/index.html

3.商工組合中央金庫

商工組合中央金庫では、国内外全店舗に「中小企業海外展開サポートデスク」を設置しています。個別相談により、海外進出に必要な海外投融資から貿易金融まできめ細かくサポートを行っています。

■商工組合中央金庫「国際業務サポート」■
https://www.shokochukin.co.jp/corporation/support

4.日本商事仲裁協会

日本商事仲裁協会は、国内・国際間の商事紛争の予防と処理によって取引を促進することを目的とした団体です。同協会では、会員向けに国際取引に関する法律相談・契約相談・貿易相談などを行っています。

■日本商事仲裁協会■
https://www.jcaa.or.jp/

2)情報源

1.日本貿易振興機構「国・地域別に見る」

日本貿易振興機構では、ウェブサイト上で「国・地域別に見る」を提供しており、国・地域の概要や、貿易上の留意点などを見ることができます。

■日本貿易振興機構「国・地域別に見る」■
https://www.jetro.go.jp/world/

2.日本貿易振興機構「ジェトロ貿易ハンドブック2019(オンデマンド版)」

貿易取引に関わる基本的な事項をまとめたハンドブックで、貿易実務の基礎知識やマニュアル、国際ビジネス関連機関や検査機関の連絡先などが収録されています。

■タイトル:ジェトロ貿易ハンドブック2019
■発行:日本貿易振興機構
■定価:1620円(税込)

以上(2019年5月)

pj60091
画像:unsplash

経営者の健康リスクが企業に与える影響と対策を考える

書いてあること

  • 主な読者:自身の健康リスクに備えたい経営者
  • 課題:ケガや病気で経営に携われなくなったときの備え方が分からない
  • 解決策:後事を託せる人物を確保するなど、事前策を講じておく

1 企業のリスクとして捉えたい経営者の健康

人は誰しも突発的な事態に直面する可能性があったり、加齢に伴って心身が衰えたりします。例えば、交通事故、急性疾患(脳梗塞、心筋梗塞など)、認知症の発症などが考えられます。

企業にはさまざまなリスクが存在しますが、経営者が「突然の死亡や高度障害」「判断力や認知力の低下」の事態に陥ることで任に堪えなくなることも想定しておかなければならないでしょう。

経営者の業務は激務であり、代わりとなる人物がいないため、体調を崩しても「忙しいから」「一時的な疲れでたいしたことはない」と判断して、通院や治療が先送りになりがちです。その結果、経営実務に携われないほど深刻な症状を招くこともあるのです。

改めて経営者の健康を、経営上のリスクという観点から考え、その対応を検討してみましょう。なお、以降では会社法に関する記述もあります。ここで紹介するのは原則論であり、例外となるケースが多いことにもご注意ください。

2 経営者の権限と責任

1)経営者の権限

経営者(代表取締役)は、会社の業務に関する包括的な代表権を有します(会社法第346条第4項)。そのため、取締役が1人のみで、経営者に万一の事態が生じた場合、資産の売却や多額の借り入れなどの重要な決定が下せなくなる恐れがあります。

経営者が株主総会の議決権の過半数を握る「オーナー(大株主)」でもある場合、事態は一層深刻になります。株主総会の成立や決議が、一定数の議決権を持つ株主の出席・投票を要件としているためです。株主総会における決議の方法は次の通りです。

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経営者に万一の事態が生じた場合、会社の定款や経営者の保有株数などによっては、取締役等の役員に欠員が生じた場合の新たな役員の選任(注1)、取締役等の役員や会計監査人の解任、その他重要事項についての株主総会の承認など、株主総会の決議が必要な事項について定足数を充足しない(注2)ために、決議を実施することが困難になる可能性があります。

(注1)利害関係人が申し立てることで、裁判所に「一時役員の職務を行うべき者(仮取締役等)」を選任してもらうことが可能です(会社法第346条第2項)。

(注2)身体に障害が生じているものの、判断力が正常な場合であれば、議決権の代理行使の委任状を取り付けることで、株主総会の定足数を充足させることができます(会社法第310条)。

2)経営者の責任

経営者に万一の事態が生じ、責任が果たせなくなった場合に生じる影響の例は、次の通りです。「あの経営者だから」という属人的な信用や能力でビジネスを成り立たせることはある意味で、かけがえのない経営者の能力です。しかし経営者に万一の事態が生じた場合、社内外に大きな影響を及ぼしかねないことも覚えておきましょう。

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3 対策

1)事前の対策を講じて混乱を最低限に

経営者に万一の事態が生じた場合、事前に対策を講じていなければ、企業経営に大きな影響を及ぼし、企業の存亡にすらかかわりかねません。そのため、経営者に万一の事態が生じないようにし、万一の事態が生じてもそのリスクを低減し得る事前の対策を講じておきましょう。

2)会社としての事前対策

1.後継者の指名や育成、または後事を託せる人物の確保

経営者、特にオーナー経営者であれば「生涯現役」でありたいと考え、「誰かに引き継ぐのはまだ先」と思っていることが少なくないでしょう。しかし、加齢による心身の衰えを避けることはできません。また、経営者が加齢による心身の衰えを心配する年齢でなくても、疾病にかかったり、事故に遭遇したりするリスクがあります。そして、経営者に万一の事態が生じた場合、経営に空白が生じる可能性があります。

任を果たせない場合でも経営に空白がないよう、後継者となる人物の指名や育成、いざというときに後事を託せる人物の確保を進めなくてはなりません。そして、情報共有を進め、経営者に万一の事態が生じた場合でも、スムーズに経営を引き継げるようにしましょう。

2.定款の見直し

会社法では、「定款に別段の定めがある場合を除き」とする規定が多くみられます(いわゆる定款自治)。逆にいえば、定款に定めがない場合、会社法の規定に従って会社組織を運営することになります。

そのため、会社法で許容されている範囲で定款を見直してみることも一案でしょう。主な定款見直し例は次の通りです。

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図表3から分かる通り、定款の見直しは、会社の機関設計や株主構成などによって効果が大きく異なります。そのため、弁護士など専門家と相談し、会社法の規定の範囲内で、定款の規定を万一の事態に備えられる内容に整備するようにしましょう。

なお、定款の変更には、株主総会における特別決議(会社法第309条第2項11号)が必要となるため、早めに対策をしておくとよいでしょう。

3)経営者個人としての事前対策

1.自分の健康に対する意識を高める

経営者の業務は、ただでさえ激務であり、心身に負担がかかりやすいものです。そのため、身体や心に不調を来してしまい、業務を続けるのが難しくなったり、判断が鈍ったりすることもあるでしょう。

また、加齢によって心身は衰えるものですが、自分が思っているより早く衰えがくることもあります。例えば、認知症といえば高齢者が発症するイメージを持っているかもしれませんが、若年性の場合は40~50歳代に発症することがあります。

疾病の場合、症状が進行した後では対応策を検討・実施するのは難しい場合があります。そのため、経営者は自身の健康に対する意識を高め、予防や早期発見に努めて、万一の事態に陥らないようにしておきましょう。

具体的な取り組みとしては、「食生活のバランスを取る」「可能な限り規則正しい生活を送る」「ウオーキングなど有酸素運動をする」などといった生活習慣病の予防、定期的な人間ドックの利用、心身の異常を感じたら速やかに専門医療機関で受診、などが挙げられます。また、自己診断して誤った対応をしないよう、正しい知識を身に付けておくのもよいでしょう。

2.サポート役を確保する

経営者は孤独なものです。そのため、心身に不調を来したとしても、ついついそのままにしがちです。

そこで考えたいのが、会社経営にあっては後継者や参謀役、家庭にあっては家族といった、サポート役の確保です。そして、万一の事態における判断の手助け、経営者の健康にかかわる助言や行動のサポートなどをしてもらい、健康状態の変化が会社経営に影響を与えることがないようにしておきましょう。

また、経営者が健康なうちに、後継者や顧問弁護士など、信用のおける人に任意後見人となってもらうのもよいでしょう(任意後見契約の公正証書の作成などが必要)。これにより、経営者の判断能力が認知症などにより低下した場合でも、財産管理に関する事務などを自身で選んだ信用のおける人に委任でき、後継者への株式の譲渡などの対応策を講じられるため、混乱を最低限に抑えることが期待できます。

3.「万一の事態」に備えるのは経営者に課せられた重要な役割

万一の事態は、どの経営者にも訪れる可能性があります。「自分は大丈夫」と過信せず、「自分に何かあったとき、経営にどのような影響が生じるのか」「自分の健康状態は良好なのか」などといったことに気を配るとともに、万一の事態への備えを万全にして、企業経営への影響を最小限にしたいものです。これも、経営者に課せられた重要な役割の1つといえます。

以上(2019年11月)
(監修 ベリーベスト法律事務所 弁護士 長野良彦)

pj60151
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経営者が押さえておくべき収支シミュレーションの作り方

書いてあること

  • 主な読者:起業するときや既存の企業が新規事業への参入を検討している経営者
  • 課題:綿密な収支シミュレーションを作成する際のポイントを知りたい
  • 解決策:業種別のポイントや、事例を用い作成手順を解説する

1 収支シミュレーションとは

1)収支シミュレーションを作成する目的

収支シミュレーションは、起業するときや既存の企業が新規事業への参入を検討するときなど、新たに事業を開始する場面で必要なものです。コスト削減など、経営改善策を検討するときにも有効です。

完成した収支シミュレーションは、経営者が思い描く事業の将来像を数値で表現したものです。結果はもとより、その数値を導いた思考プロセスも大切です。まだ見えない収益や費用を数値化していく過程で、事業の実現性や難所を改めて整理・チェックし、事業計画をブラッシュアップすることができます。

なお、外部からの資金調達を必要とする際は、資金提供者を説得するために欠かせない資料の1つでもあります。

2)損益計画と収支計画の違い

ここで、「損益計画」と「収支計画」の違いを押さえておきましょう。

損益計画とは、売上、売上原価、経費、利益を見積もることで、決算書の「損益計算書」を予測するイメージです。

販売先との取引条件が「月末締め翌月末入金」の場合、売掛金の入金は翌月になりますが、売上は当月に計上します。また、店舗物件の取得資金など、設備投資に該当するものは、貸借対照表の固定資産に計上するので、損益計画には反映されません。

それに対して収支計画は、売上は入金される月に収入として計上し、設備投資の資金は支出として計上します。実際の資金の入出金と現預金残高を予測することで、資金ショートを防ぐ方策の必要性を把握できます。「資金繰り表」や「キャッシュフロー計算書」をイメージした計画だといえます。

新規事業を始める際などには、損益計画に加えて収支計画を作成することで、より綿密な検討が可能になります。

3)業種ごとのポイント

収支シミュレーションは、業種ごとの特徴を反映したものでなければなりません。ここでは、業種別に主なポイントを紹介します。

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2 事例で見る収支シミュレーションの作成手順

実際の作成手順を理解するために、ここではイタリアンレストランの新規開業を例にとって説明します。

A法人は事業多角化の一環として、飲食業への参入を決め、新たにイタリアンレストランを開業(20XX年10月1日)することにしました。

東京都台東区の▲▲駅徒歩7分の雑居ビルの1室、15坪程度の広さの物件で開業を検討中です。本ケースの開業計画における収支シミュレーション(1年目)について考えていきましょう。

1)前提となる投資計画を立てる

収支シミュレーションを作成する前提として、開業するには何にいくらの資金がかかるか(かけるべきか)、資金調達はどうするか、といった投資計画の検討が必要です。

投資計画は、開業当初にかかるイニシャルコストに加えて、開業後半年~1年の間に予想される資金不足を賄うためのランニングコストも含めて検討します。具体的には、店舗の敷金・保証金、内装工事費、厨房設備や備品などの設備資金と、当面の人件費、家賃、広告宣伝費、水道光熱費などの運転資金に分けて考えます。

さらに、これらの資金調達方法の計画も不可欠です。自己資金、融資、出資など、考えられる方法をピックアップして、投資総額の調達が可能かどうか検討します。

事業の成功確率を高めるための基本的な姿勢は、当初の投資金額が過大にならないようにすることです。投資金額が大きいと、元を取るために必要な売上が増えることになります。かといって投資を削りすぎると、顧客を確保できない原因になることがあります。投資金額は、実現可能な売上から逆算して見積もる必要があります。

そのために投資計画は、収支シミュレーションを検討しながら、適正と判断できる内容に修正することで、事業の成功確率を高めることができます。

本ケースでは、次のような計画を立てました。

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2)損益計画を作成する

先に損益計画を検討すれば、収支シミュレーションを作成しやすくなります。ここでは、損益計画の各項目の検討方法について解説します。

1.売上高

飲食店の場合の売上予測は、「お客様の平均単価×座席の数×回転数」で算出するのが一般的です。

  • (ランチタイム) 単価1,000円×36席×2回転/1日=7万2000円
  • (ディナータイム)単価3,000円×36席×1回転/1日=10万8000円

このように、1日の売上を算出して、月の売上を予測します。なお、ウイークデーと週末に分ける、2月や8月など一般的に飲食店の売上が低下する月は予測を下げるなど、事前調査や経験などに基づいた変動要因(季節指数など)を加味することで、より現実的な計画に近づきます。

なお、本ケースでは、12月は忘年会シーズン、3、4月は送歓迎会シーズンであることから、季節指数を高めに設定しています。

2.売上原価

飲食店の売上原価は、食材やドリンクの仕入れなどが該当します。本ケースでは、原価率を飲食店の平均的な水準である35%と想定しました。つまり、月商が300万円だとすると、原価は300万円×35%=105万円になります。

原価率など経営指標の業界平均は、中小企業庁「中小企業実態企業調査」や日本政策金融公庫「小企業の経営指標調査」などを参考にするとよいでしょう。

3.販売費および一般管理費

販売費および一般管理費(以下「販管費」)は、家賃、人件費、水道光熱費、減価償却費などの費用を想定していきます。販管費は、売上の増減にかかわらず一定の「固定費」と、売上の増減によって変動する「変動費」とに分けて検討すると、より精緻な計画になります。主な固定費には家賃、人件費、減価償却費などがあります。また、主な変動費には広告宣伝費、消耗品費や、前述の売上原価などがあります。

ただし、固定費と変動費の分類は会社ごとに異なるため、費用ごとに自社の売上の増減と連動する費用かどうかの判断が必要になります。

  • 給与・賃金:正社員2人 30万円と25万円、パート(1人当たり)10万円×2名=20万円
  • 家賃:42万円(木造2階建の物件。1階15坪、2階15坪)
  • 広告宣伝費:販促物製作費やポスティング費用で、初月に60万円、2カ月目に40万円を見込む。3カ月目以降も、継続的にチラシ配布や飲食店サイトへの広告出稿を行う費用として月に20万円を見込む
  • 水道光熱費:水道料は月5万円、光熱費を月10万円と見込む
  • リース費:一部備品のリース費用として月5万円を見込む
  • 通信費:電話料、Wi-Fi使用料などで月3万円を見込む
  • 備品・消耗品:布ナプキンや割り箸などの消耗品の他、備品の補修料として月に10万円を見込む
  • その他:諸会費や突発的な費用が掛かることを予想して月に5万円を計上

4.営業外損益

本業以外での収入が見込める場合は、営業外収入として計上します。例えば、受取配当金などがあります。また、営業外費用としては、主に借入金の利息が考えられます。本ケースでは、利息の支払いが2万円/月としています。

5.損益分岐点売上高

売上と費用項目が出そろったら、損益分岐点売上高を計算しましょう。損益分岐点売上高とは、事業が黒字になるか赤字になるかの境界、つまり採算が合うか合わないかの売上高をいいます。損益分岐点は次の計算式で算出されます。

  • 損益分岐点売上高=固定費/(1-(変動費/売上高))

3)収支シミュレーションの作成

損益計画ができたら、実際の資金の出入りを反映した収支計画を作成しましょう。融資金が入金されるタイミング、設備投資の支払いのタイミングなどを考慮し、表に落とし込んでいきます。

Excelなど表計算ソフトを活用すれば、「売上原価率が38%になった場合」など、数値が変動したときを想定したシミュレーションが簡単にできます。

損益計画と収支計画について、「何年くらい先まで作成すべきか」ということは、事業内容によって変わってきます。ベンチャー企業でプロダクト開発に数年を要する場合は、5年以上先までが必要となるでしょう。飲食店の場合は、開業後3年先まで作成すれば通常は十分と考えられます。

A法人の事例では、次のような収支シミュレーションを作成しました。

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3 収支シミュレーションにおいて留意すべきポイント

1)収支計画の根拠を明確に

収支シミュレーション作成時に陥りがちな過ちは、「数字の遊び」になってしまうことです。収支をプラスにすることだけを考えて、希望的観測で数字をいじっていても、「絵に描いた餅」の計画になってしまいます。

「事業はやってみなければ結果は分からない」のは事実ですが、根拠をより明確にすることで実現可能性は高まります。ディナータイムで1日1回転することを見込むとすれば、その根拠がどこにあるかがポイントです。

飲食店の場合に根拠となるのは、店舗の立地条件(人通り、顧客層の数、競合店の分布と繁盛ぶり)、自店のコンセプト、提供する料理、サービスの魅力や競合優位性などです。こうした分析と検討が、売上見込の算出根拠として説得力を持ちます。

売上見込の算出方法は、業種や事業内容によって異なります。法人向けのサービス業などBtoBの事業であれば、すでに見込取引先があるかどうか、これまでの人脈などからアプローチできる先がどれくらいあるか、といった点が根拠になり得ます。これまでにない斬新なビジネスでブルーオーシャンを狙うベンチャー企業は、市場規模を想定したうえで、市場占有率から予測する方法も考えられます。

事業内容に応じて、多面的な視点から収支の妥当性を検証することが、成否を左右するといえます。

2)3つのケースで予測する

収支シミュレーションは、環境変化や不測の事態も想定して、3つのケースで予測しましょう。

1つ目は「ベースケース」で、必ず達成したい水準の計画です。「これくらいはいかないとやる意味がない」といえる数字で策定するものです。多くの創業者や経営者は、ベースケースを甘く立てがちな傾向にあります。慎重に根拠を検証して、保守的な計画にすることが重要です。

2つ目は「ポジティブケース」で、予想以上にいい条件が重なったとした場合に想定できる希望的観測値です。これを策定するメリットは、チームが達成意欲を向上できることです。

3つ目は「ネガティブケース」で、ベースケースを下回ることを想定した計画です。悪条件が重なったとしても、最低でも達成できると思う水準です。ネガティブケースも想定したうえで、余裕ある資金を準備できることが望ましいといえます。

収支シミュレーションを運用するうえでは、それぞれのケース間で異なるポイントを整理し、一定期間(例えば、四半期・半期など)ごとに実績がいずれのケースで進んでいるのかをチェックすることが大切です。なぜポジティブケース、あるいはネガティブケースになっているのか、その原因を詳細に検証していくことで、収支シミュレーションは日々の経営判断を支える重要なツールとなります。

3)数字以外の計画との整合性

とかく「事業計画=数値計画」と認識されがちですが、数字以外の事業計画を練り上げてこそ、収支の実現可能性を高めることができます。

数値計画が「定量計画」といわれるのに対して、数字以外の事業計画とはビジネスモデル、コンセプト、マーケティング、アクションプランなど「定性計画」です。「定量計画」と「定性計画」の整合性を考えることが、事業の成功確率を高めることにつながります。

例えば、「売上を月300万円にするためには、どんなマーケティングを行うべきか」など、数値計画を達成するための定性計画をブラッシュアップすることです。事業を開始した後も、数字の動きを見ながらアクションを何回でも修正することで、事業の発展を図っていきましょう。

以上(2019年10月)
(執筆 株式会社MMコンサルティング 代表取締役・中小企業診断士 上野光夫)

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画像:photo-ac

医療施設における患者トラブルとその対応を考える

書いてあること

  • 主な読者:患者とのトラブルを危惧する医療従事者
  • 課題:患者からクレームがあったときの対応が定まっていない
  • 解決策:患者に適切な対応をとるとともに、防止策も検討する

1 医療施設における患者トラブル

高齢化が進み、治療や介護などで医療施設を利用する人が増えています。それに伴い、これまではトラブルにならなかった些細なことが、例えば「これは医療ミスではないか」などといった患者からのクレームにつながるケースが増えています。

トラブルと一言でいっても、治療行為そのものに関するクレームから、「治療内容についてしっかりと説明を受けていない」「治療費に納得がいかない」「処方された薬でアレルギー反応が出た」など、その内容はさまざまです。患者の多くは、健康や生命に不安を感じており、早く身体を治したいという強い願望を抱いています。その思いが強い分、医療従事者との些細なコミュニケーション不足などが原因で、根深い不信感を招き、トラブルに発展するケースが少なくありません。

2 患者が抱く不満

厚生労働省「平成29年受療行動調査の概況」によると、外来患者および入院患者の病院に対する項目別の満足度(2017年)は次の通りです。

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外来患者の不満では「診療までの待ち時間(26.3%)」という回答が上位となっています。また、入院患者の不満では「食事の内容(15.9%)」「病室・浴室・トイレなど(10.2%)」という回答が上位に挙がっています。こうした不満が基でトラブルに発展する恐れが大きいと考えられます。

3 患者からのクレームへの対応

医療施設や医療従事者は、次の2つの考え方を持つことが重要となります。

  • 患者とのトラブルを未然に防止する
  • トラブルに発展してしまった患者に対して適切な対応をとる

「患者とのトラブルを未然に防止する」ために必要なのは、患者の不満に気付く努力をすることです。例えば、「患者向けアンケート調査の実施」「投書箱の設置」などによって、患者の意見を幅広く集めていきます。その結果、アンケートでの評判が良くない医療従事者に対して改善を求めたり、評判が良い医療従事者を表彰したりすることもできます。

患者へのアンケートでは、「病院にどのような対応を求めるか」「これまで診療を受けた病院で最も印象に残っているサービスはどのようなものか」といった、医療施設そのものに対する患者の意識調査を実施し、患者の生の声に基づいて施設や運営、サービスなどを見直すことも効果的です。

「トラブルに発展してしまった患者に対して適切な対応をとる」ために必要なのは、クレームの内容・要求が正当かを見極めることです。必要以上に患者とのトラブルを恐れるあまり、結果的に無理な依頼を受けてしまったりすると、かえって問題をこじらせてしまうことがあります。クレームの内容が正当かつ要求も正当であれば、誠意をもって対応し、場合によっては謝罪することも求められます。逆に、クレームの内容が不当かつ要求も不当であれば、毅然とした態度で臨む必要があるでしょう。

もし、クレームの内容は正当であっても、それに対する要求が不当な場合は、慎重に対応しないと大きなトラブルに発展しかねません。このような場合は、その場で即答することを避け、組織として対応するようにしましょう。

4 医療メディエーション

メディエーションとは、紛争の当事者に対して、メディエーターと呼ばれる第三者が相互の対話を促し、それによって当事者が自主的に紛争を解決していくものです。

「医療メディエーション」は、患者と医療従事者との対話不足を解消することを重視し、相互の不信感の払拭を目指すものです。

2012年の診療報酬改定で「患者サポート体制充実加算」が新設され、医療施設には、患者相談窓口を設置し、患者やその家族からの相談の受け付けや、医療従事者との話し合いの場を作る「医療対話推進者」として専任の看護師などを配置すること、患者支援のマニュアル作成、医療従事者への研修実施など、相談体制の整備が求められています。

こうした中、日本医師会、日本医療機能評価機構などの団体が医療メディエーター研修(医療対話推進者養成研修)を実施しています。医療メディエーターは、公的な資格ではありませんが、患者と医療従事者が向き合う場を設定し、対話を促進することを通して関係の再構築を支援する人材です。

5 ADRの活用

ADR(Alternative Dispute Resolution:裁判外紛争解決手続)とは、訴訟手続きによらずに民事上の紛争の解決をしようとする当事者のため、公正な第三者が関与して、その解決を図るものです。

ADRは、「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」に基づく手続きです。同法では、ADRについて、民間事業者が行う調停、あっせんなどの和解を仲介する業務を対象として、それが法律に定められた基準・要件に適合している場合に法務大臣が認証する制度を設けています。認証された民間事業者の手続きを利用した場合には、一定の要件の下に時効中断などの法的効果が認められるなど、その利便性が高められています。

刑事事件ではない場合、患者が医療施設・医療従事者を相手取って裁判で法的責任を追及するには結審するまで3~4年かかるといわれています。ADRは、半年程度での和解成立を目指すもので、裁判と比べて費用の負担が少ないというメリットがあります。

また、裁判では、原告・被告に分かれて責任のなすり合いをして、結審後にも遺恨が残りがちですが、ADRは、医療施設・医療従事者と患者の対話の場としても期待されています。

■法務大臣による裁判外紛争解決手続の認証制度「かいけつサポート」■
http://www.moj.go.jp/KANBOU/ADR/

医療施設・医療従事者向けのADRに関しては、日本弁護士会連合会が各地の弁護士会医療ADRを紹介しています。

■日本弁護士連合会「医療ADR」■
https://www.nichibenren.or.jp/activity/resolution/adr/medical_adr.html

6 患者トラブルへの対応に関する相談先

各地にある医師会、保険医協会、看護協会などでは、研修会を実施するなど、患者トラブルへの対応に関する取り組みを進めているところも少なくありません。

この他、本格的にトラブルに巻き込まれた場合、暴力行為や威力業務妨害など刑事事件の可能性があれば所轄の警察に相談するとよいでしょう。また、弁護士会を通じて、医療施設に関連したトラブルの案件に精通した弁護士を紹介してもらうのもよいでしょう。

以上(2019年5月)

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BCPの必要性と企業事例

書いてあること

  • 主な読者:BCPを策定したい経営者
  • 課題:策定手順や注意すべき点が分からない
  • 解決策:被災した企業の具体的な対応例や効果を参考にする

1 BCPの必要性

1)BCP(事業継続計画)の基本的な考え方

大規模地震などの災害が発生した際、その被害を最小限に抑えて事業を継続するために企業が策定する計画をBCP(事業継続計画)といいます。中小企業庁によるBCPの定義は次の通りです。
企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における事業継続のための方法、手段などを取り決めておく計画のこと。

中小企業庁「中小企業BCP策定運用指針 第2版」(以下「運用指針」)によると、BCPの有無による食料品スーパーマーケットの緊急時対応のシナリオ例は次の通りです。

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1つのシナリオ例であるとはいえ、図表を見ればBCP策定の有無によって食料品スーパーの状況が大きく異なることが分かります。大規模地震の発生などに備え、BCPを策定しておくことは、食料品スーパーマーケットが事業継続と地域貢献を実現するための最も基本的な取り組みだといえるでしょう。

なお、中小企業庁「中小企業BCP策定運用指針 第2版」には、図表で紹介した「地震災害」における事例の他に「水害」「火災」に関するシナリオ例も紹介されています。

■中小企業庁「中小企業BCP策定運用指針 第2版」■
https://www.chusho.meti.go.jp/bcp/download/bcppdf/bcpguide.pdf

2)BCP策定の基本的な手順

BCPは企業規模や業種、現在の防災体制などに応じてその内容を決定すべきものです。ここでは、食料品スーパーマーケット(チェーンストア)の視点を交えつつ、企業がBCPを策定する際の基本的なポイントを紹介します。

1.中核事業の特定

大規模地震が発生した場合、全ての事業を被災前と同じ状態に復旧することは時間やコストなどの問題で難しいこともあり、復旧を断念せざるを得ない事業も出てきます。こうした事態に備え、企業は優先的に復旧対象とする「中核事業」を決定しておく必要があります。

【食料品スーパーマーケットの視点】
  • 食料品スーパーマーケットの場合、各店舗の被害状況にもよりますが、地域との密着度や売上規模などに応じて、早期開店する店舗、時間をかけて開店する店舗、閉鎖する店舗といった優先順位を決めておく必要があります。また、本部と各店舗に防災責任者や現場責任者を配置するとともに、責任者である店長などに万が一何かあった際にも対応できるような体制を整えておくことも不可欠です。

2.BCPの準備・事前対策を検討する

目標とする時間内に中核事業を復旧させるためにすべきことを明らかにします。具体的には、中核事業の継続に不可欠な経営資源(ボトルネック資源)を代替できるか、事前対策として何が有効かを検討し、具体的な行動計画を策定します。

【食料品スーパーマーケットの視点】
  • 食料品スーパーマーケットの場合、各店舗への連絡体制の整備が非常に重要であるため、固定電話や携帯電話以外の通信手段も確保しておきます。また、仕入れ先や配送業者などの取引先および行政との協力体制を強化し、地域ごとの物資の供給状態、道路の破損状態など物流に関する情報を収集し、各地の店舗に効率的に物資を供給できる体制を整えることが重要です。

3.BCPを策定する

「2.BCPの準備・事前対策を検討する」で検討した内容を、BCPとして文書化します。また、BCPを発動する基準や発動時の体制も明らかにしておきます。

【食料品スーパーマーケットの視点】
  • BCPを作成した後、その中心となる事項を「防災マニュアル」などにまとめ直して各店舗に備えつけると同時に従業員に周知します。また、食料品スーパーマーケットの場合、災害発生時に店内にいるお客様の安全確保が非常に重要なので、どのタイミングで避難を開始するのかについて決めておく必要があるでしょう。

4.BCPを定着させる

BCPは、策定しただけでは万一の際に機能しません。そのため、企業は定期的な防災訓練や勉強会を行い、組織全体にBCPを浸透させなければなりません。

【食料品スーパーマーケットの視点】
  • 食料品スーパーマーケットは、「お客様の安全確保」を第一に考えなければなりません。災害時のアナウンス内容を決めて従業員に暗記させるなど、徹底的な教育と防災訓練の繰り返しが不可欠です。

5.BCPの診断・維持・更新を行う

BCPを策定した後も、定期的にBCPの有効性のチェックや内容の見直しを行う必要があります。防災訓練などを通じて不備が明らかになった場合、従業員の声にも耳を傾けて必要な修正を加えます。

【食料品スーパーマーケットの視点】
  • 食料品スーパーマーケットの場合、同業他社の事例研究が有効です。連絡体制の整備方法や物資の調達方法を研究し、良いものは取り入れていくことが重要です。

2 企業事例

1)被災した企業が取った行動を学ぶ

企業は災害が発生したとき、何を優先し、どんな対応を取ったのでしょうか。ここでは中小企業庁「中小企業が緊急事態を生き抜くために」で紹介されている企業事例を抜粋し、地震で被災したときの有効な対策などを紹介します。

2)機械製造業(工作機械)

1.地震発生時の状況・被害

  • 休業日に地震が発生。休日出勤していた20人ほどの大半が退社済みで、社内には従業員が6人残っていた。
  • 電気がつかず、工場内は危険だったが、避難所にいた担当者を呼び出し、工場内の電気設備を点検させた。
  • 翌朝、全工場内を点検。停電や漏水が発生し、機械設備や製品が横転していた。
  • 電話による全社員の安否確認を実施。全員の安否を確認するのに2日間を要した。

2.地震発生後の対応

  • 従業員は車で寝泊まりしたり、避難所から通ったりし、出勤率は高かった。
  • 地震による顧客や取引先の被害は深刻ではなかった。
  • 工場の安全点検や余震対策の応急措置と安全対策を進め、早期に生産を再開する方針を決めた。
  • 機械設備の修復、製品の修理・作り直しなどを進めつつ、搬送用の迂回ルートを確認。納期は2週間ほど遅れたものの、2カ月で生産を再開した。
  • 地震発生から1週間は社内の安全確認と復旧体制を固めることに専念。
  • 近隣の顧客を訪問し、納品済み製品の安全点検などを実施。阪神・淡路大震災時にも被災地域の顧客を訪問し、製品の安全点検を実施したが、今回も同様に対応した。

3.工場などの復旧

  • 工場などを、震度6強に耐えられるよう、1年をかけて改修。全ての機械設備に地震感知機を取り付け、震度4で自動停止するようにした。強化棚や機械などの転倒防止措置も施す。
  • その後、発生した大地震のときには、安全点検などで生産を2日間止めただけで生産を再開できた。
  • 修復や耐震強化などに6000万~8000万円を要した。

3)食品製造業(米菓・餅)

1.地震発生時の状況・被害

  • 商品の入れ替え時期で、地震発生の数日前から24時間体制で工場は稼働していた。
  • 地震発生時、工場には78人の従業員がいた。停電したが、全員が無事に避難できた。毎年実施する避難訓練が奏功した。
  • 翌朝、工場を確認すると、屋根は波打ち、ガラスは粉々だった。工場内の機械設備の被害は深刻だったが、工場の構造自体は被害は少なく、建て替えせずに復旧できる状態だった。

2.地震発生後の対応

  • 地震発生の2日後、工場の従業員の半数が出勤。生産量を落とせない時期だったため、全社員に強制出勤を命じた。
  • 自宅が全壊した人や家族が亡くなった人もいたが、「会社がなくなるかもしれない」と従業員を説得した。結果として、工場の従業員の8割が出勤した。

3.生産の再開

  • 生産の再開日を設定し、水道の確保や川の水を使えるようにろ過機を発注した(現在は自家発電設備や餅の生産に必要な窒素などを常備し、基盤となるインフラが使えなくなっても生産できる体制を整えている)。
  • 製造ラインをビニールシートで覆い、生餅の製造に必要な無菌環境を作って対応した。
  • 設定した目標通り、地震発生から17日後に生産を再開した。
  • 出荷量を最少にしてでも、品物を切らさないようにすることで納入を維持した。

4)漆器製造販売業

1.地震発生時の状況・被害

  • 3人の従業員が工房で作業中に地震が発生。けがなどはなし。
  • 安否確認などのルールを定めていなかったが、他の従業員も家族の安否を確認した後、出社。
  • 本社の建物は物が転倒するなどして作業できる状態ではなかったが、途中工程の製品は別の場所に保管していたため、被害を免れた。

2.生産の復旧

  • 地震発生から1週間程度で作業場内の片づけや修復を済ませ、徐々に生産を再開。
  • 漆を塗った器を乾燥させる漆室が幾つか壊れたが、残った漆室の回転率を上げてカバーした。
  • 顧客は東京が主だったため、需要は減らなかった。

3.工房の再建

  • 罹災(りさい)証明の手続きに時間を要し、工房の建物をすぐ取り壊せなかった。3月に地震が発生してから4カ月後の7月に取り壊しを開始。
  • 工房の再建は1年後の3月に開始し、8月に完了。被災地域は再建ラッシュだったため、建設事業者を確保しにくい状況だった。
  • 再建計画は工房の使い勝手などを十分検討した上で進めたかったが、融資の手続きの関係から時間が限られてしまった。

5)酒造業

1.地震発生時の状況・被害

  • 地震直後に社内の敷地を見ると、木造の酒蔵や事務所、販売店舗は全壊していた。休業日だったため、従業員は社内にいなかった。
  • 地震発生からしばらくして、5人の幹部社員が自主的に出社して対応を協議。従業員の安否確認担当者を指名し、実施させた。
  • 製造部課長と代表取締役が社内の被害状況を確認。事務所にあったパソコンからデータなどを取り出した。

2.地震発生後の対応

  • 地震発生の翌日には従業員とその家族の安全を確認。
  • 地震発生前に発注していた仕込み用タンクが12基、地震後に入荷する予定だった。加えて、仕込み工場の一部は使える状態だったため、仕込みを行える可能性があった。酒造りを休むことは商売上致命的だし、従業員の士気を維持するためにも酒造りを実施すべきと判断。
  • 水道水が出ないという問題があったが、水道局に陳情するなどし、地震発生から2週間後に安定供給されるようになった。
  • 目標がないと従業員の士気が下がると考え、酒の瓶詰めラインの復旧日を具体的に定めた。結果的に目標より2日早く瓶詰めラインは復旧した。
  • 再開当初の出荷量は通常の6分の1程度。しかし、片付けばかりするより、わずかでも出荷を再開したほうが従業員の士気を保てると考えた。

3.酒蔵の再建

  • 酒蔵は2カ月半かけて解体。地震発生(7月)の翌年4月に再建を開始。製造ラインから再建し、9月の仕込みに間に合うようにした。
  • 倉庫の再建は後回しにし、外部の倉庫を借りて対応。地震発生から2年後の復旧工事で倉庫を再建した。
  • 再建した建物は震度7でも耐えられるようにした。商品をできるだけ高く積まないようにするなどの対策も実施した。

6)システム開発業

1.地震発生前の取り組み

  • ISOを取得していたため、事業継続活動(BCM)の取り組みを進めていた。災害時のマニュアルを策定し、訓練も実施していた。
  • マニュアルは社内のグループウエアで共有。随時バージョンアップしていた。震度6、震度4~5、地震以外の3段階の災害時レベルを設定し、レベルに応じた対応方法を定めている。
  • 災害対策本部は、指揮班や連絡班などに分け、消防団に属する従業員が主要メンバーとなる。なおシステム開発業として、サービス停止や個人情報の漏洩などの事態に対応する際も、同様の取り組みを行う。

2.地震発生時の状況・被害

  • 本社の社屋は構造的に丈夫だったため、地震による被害はなし。サーバーも自家発電で対応したため問題なし。
  • 地震発生から1週間はマニュアルに従って非常勤務体制を敷く。夜間も含め、会社の代表番号への電話に誰かが必ず出られるようにした。
  • 通常の業務体制に戻した後は、顧客の状況、社内の被害状況を1カ月にわたって随時更新するようにした。
  • 近隣の顧客を訪問し、顧客のシステムの確認や保守を可能な範囲で実施。必要な支援を実施した。インターネットラジオを使い、地元のラジオ局の情報を地域の人に向けて流すなど、地域の復興支援も行った。

3.事業継続上の課題

  • 自社の被害はなかったものの、緊急対応に人手が割かれ、進行中だったシステム開発が止まったり、商品の納品が遅れたりした。そのため現在は、代替要員や冗長性を確保できるようにしている。
  • 業務関係者だけが知っていた業務上の情報を意識的に共有するようにした。
  • 大事なプロジェクトの優先順位の見直しや絞り込みを毎年実施。
  • さまざまな事業リスクを想定し、あらかじめ対策を講じることが、パンデミックなどの場合でも容易に対処できるようにした。

7)ホテル

1.地震発生時の状況・被害

  • 地震発生時、ホテルの最大収容数である156人の宿泊客が滞在。
  • 地震発生から25分後、全宿泊客と42人の従業員全員の避難が完了。年2回実施する避難誘導訓練が奏功する。
  • 避難完了後、宿泊客の一部は送迎用のマイクロバスに入ってもらい、当日、まだホテルに着いてない予約客から電話があったときには、帰宅するよう伝えた。
  • 避難後、従業員から宿泊客用の布団を館内から持ってきたいという提案があった。この他にも従業員から積極的な提案があった。
  • 自衛隊のヘリコプターを使って宿泊客を搬送してもらうよう依頼するも、被害のより大きな地区の住民が優先された。近くの避難所に宿泊客も移動してもらうよう勧められたが、すでに避難者があふれていたため、宿泊客に避難所を案内できなかった。
  • ホテルとして備蓄品を特に準備していなかったが、支援物資などを使うことでしのげた。その後、周辺の旅館と合わせて約300人の宿泊客は、行政が手配したバスを使って搬送してもらった。

2.営業の再開

  • ホテルの建物の構造に被害はなかったものの、一部の天井が落ち、内装も被害を受けた。
  • 地震発生の4日後に取引銀行に相談したところ、全面的な支援を受けられたため、営業再開に向けた動きを取ることにした。
  • 全従業員をいったん解雇。営業再開に向けて、従業員とはすぐに連絡を取れるようにしておいた。
  • 10月に被災した翌年4月以降、従業員の再雇用を順次進め、7月には全従業員を再雇用できた。8月には営業を再開した。

8)飲食店(そば)

1.地震発生時の状況・被害

  • 店舗の建物は築140年の民家だったが、柱や筋交いを増やすなどして補強済みだった。
  • 地震発生時、4人の従業員が働いていたが、従業員をいったん帰宅させ、店主と店主の息子2人で対応することにした。

2.地震発生後の対応

  • 地震発生後の3日間は地域の活動に専念。ボランティアの受け付けを設置するなどして支援した。この活動に従業員を従事させることはしなかった。
  • 地震発生から4日目になり、店舗の片付けを開始。厨房は使える状態だった。下水道の復旧に10日かかったため、それに合わせて店舗も10日後に再開。
  • 再開後はボランティアの人向けのメニューを準備。しかし、ボランティアの多くの人が高いセットメニューを注文するなどの心遣いを見せてくれた。

3.店舗の再建

  • 3月に被災し、11月の連休まで営業を継続したが、建物に不安があったため、銀行からの融資を受け、翌年2月に建て替えた。見た目が多少悪くなってもいいから、震度7でも耐えられるように再建し、地盤も改良した。

3 その他の企業の取り組み

上記以外にも、災害時の対応として参考になる企業の事例は数多くあります。事例集は、前述した中小企業庁「中小企業BCP策定運用指針 BCP関連資料」以外に、都道府県が独自に取りまとめを行っているものもあります。

例えば神奈川県では、ウェブサイト上で中小企業のBCPの取り組みをまとめた事例集を紹介しています。また大阪府では、2013年7月から府内中小企業への国際規格(ISO)に対応したBCPの普及啓発や策定支援を目的とした「国際規格対応型BCP人材育成支援事業」に取り組んでおり、その事業を通じてBCPを策定した30社の取り組み実績を事例集としてウェブサイト上で紹介しています。

■神奈川県「中小企業BCP(事業継続計画)作成事例集」■
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/jf2/cnt/f4763/documents/747304.pdf
■大阪府「BCP策定支援企業事例集のご紹介」■
http://www.pref.osaka.lg.jp/keieishien/bcp/bcpsakuteishienjirei.html

以上(2019年11月)

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中小企業における執行役員制度

書いてあること

  • 主な読者:執行役員制度を導入したい経営者
  • 課題:執行役員の契約形態や選任方法、任期などが分からない
  • 解決策:何を定めるのかを洗い出し、導入メリットを得られるようにする

1 執行役員制度とは

1)執行役員の位置付け

会社の取締役会においては、取締役が重要な経営事項を議論して決定します。しかし、取締役会を中心とした経営体制だけで全ての問題に適切に対応するには限界があります。

そこで、「経営の意思決定機能および管理監督機能」と「業務を執行する機能」を分離し、前者を取締役(取締役会)の職務、後者を執行役員の職務にするという執行役員制度が登場しました。

執行役員制度が導入された背景として、次が挙げられます。

  • 大企業において取締役の人数が多くなり過ぎたこと
  • 使用人兼務取締役(注)の比率が高いことが原因で、取締役会の形骸化という問題が生じたこと

(注)使用人兼務取締役とは、取締役のうち部長などのように法人の使用人としての職制上の地位を有し、かつ、使用人としての職務に従事する人をいいます。具体的には、「取締役営業部長」や「取締役経理部長」などといった肩書を持っている人のことです。

執行役員は「会社の業務を執行する役員」という意味の役職ですが、会社法上の取締役、あるいは会社法第402条で規定されている「指名委員会等設置会社」における「執行役」とは異なります。執行役員は、会社の業務執行に関しては相当の裁量権限を持ち、職務の執行に関しては従業員とは異なりますが、立場としては従業員のままであることが一般的です。

なお、国税庁法人課税課「所得税基本通達30-2の2及びその解説」では、執行役員制度について次のように述べられています。

執行役員制度とは、取締役会の担う①業務執行の意思決定と②取締役の職務執行の監督、及び代表取締役等の担う③業務の執行のうち、この③業務の執行を「執行役員」が担当するというものである。導入の趣旨は、取締役会の活性化と意思決定の迅速化という経営の効率化、あるいは監督機能の強化を図るというもので、取締役会の改革の一環とされている。もっとも、この「執行役員制度」あるいは「執行役員」については、法令上にその設置の根拠がなく導入企業によって任意に制度設計ができることから、当該執行役員の位置付けは、役員に準じたものとされているものや使用人の最上級職とされるものなど区々となっている。

このような「執行役員」を制度として導入するか否か、また、導入する場合でも、それが法律上の制度でないため、執行役員の地位と権限、会社との契約形態(雇用契約にするか委任契約にするか)といった点などについては、導入する企業によって内容が異なります。

2)執行役員制度導入のメリット

執行役員制度は任意の制度であるため、制度設計は会社の自由です。例えば、執行役員になる者については基本的に制限がなく、その任期についても自由な設定が可能です。

執行役員制度を導入するメリットとしては、一般に次に挙げるものが考えられます。

  • ・取締役会による経営の監督機能と、執行役員による業務執行機能とを分離することで、それぞれの機能強化を図ることができる。取締役会の監督機能の強化は、経営の効率性を向上させるとともに、内部統制システムの改善にも寄与する。
  • ・形骸化した取締役会の構成員を見直すことによって、取締役会は本来の機能を果たすことができるようになり、人件費などの経費削減が可能となる。
  • ・業務執行について執行役員に大幅に権限委譲することにより、取締役は戦略決定などの本来の職務に集中でき、取締役会においても大局的な観点から企業戦略を練るための議論をする余裕が持てる。また、業務執行のチェックがより適正にできるようになる。
  • ・取締役の人数を減らす代わりに、従業員の昇進目標として「執行役員」という地位を設けることにより、取締役の減員がもたらす影響を最小限度に抑えることが期待できる。また、従業員の昇進目標が執行役員となれば、取締役を社外から招きやすくなり、「社外取締役」を採用するための布石にもなる。
  • ・執行役員には人数や選任基準に制約がないため、社外から執行役員を登用することも可能となる。従って、必要に応じて、特定の分野に強い人材を活用するなどして組織の活性化を図ることもできる。

3)執行役員の契約形態

1.雇用契約型

会社との雇用契約の締結により、執行役員に就任するケースです。例えば、従業員が就任するなど、使用人としての色合いが強くなります。

2.委任契約型

会社の業務に関し、委任契約により執行役員に就任するケースです。雇用契約型に比べて付与される執行権限が広く、取締役に近いものと考えられます。

4)執行役員の選任

取締役は、会社法により株主総会での選任が義務付けられています。他方、執行役員の選任については会社法上明示的な規定はありません。

そのため、執行役員の選任方法については、議論があるところですが、一般的には、取締役会を設置する会社においては取締役会(取締役会を設置しない会社においては株主総会)で選任すべきものとされています。

5)執行役員の任期

取締役の任期は、会社法により原則として2年以内と定められています。他方、執行役員の任期は、一般的に、雇用契約期間ではなく職務担当期間にすぎず、取締役会で自由に設定することができると考えられています。ただし、一般的には、2年の任期を設定している企業が多いようです。

6)執行役員の役位

執行役員には、常務・専務などの役職名称付与に関しても法的な規定はなく、自由に使用することができます。常務執行役員・専務執行役員など、執行役員の前に役位を付ける場合が多いようです。貢献に応じた待遇という観点から、役位は執行部門の規模や責任の重大性、これまでの実績に応じて付与するのが望ましいでしょう。

7)執行役員の権限

執行役員は、基本的に、取締役会の決議により決められた業務執行の方針に従って、特定の事業部門に関して、代表取締役の指揮および命令の下、具体的な業務執行に専念します。

なお、執行役員は会社法上の機関ではないため、基本的には株主代表訴訟の被告とはなりません。

8)執行役員の報酬

報酬額の決定についても、取締役については株主総会の決議が必要です。他方、「使用人」である執行役員の場合には、株主総会の決議は必要ありません。とりわけ、雇用契約型の執行役員の場合には、報酬の決定を株主総会の決議にかからしめるべきではない、という考えもあります。

9)執行役員規程の制定

執行役員制度は、会社法上の制度ではないため、直接的な法律の定めはありません。また、執行役員は「使用人」として、従業員の一人と解釈されるのが一般的ですが、取締役会で選任され、任期を設けられることが多くあります。

このように、執行役員には広い裁量権が与えられ、重要な業務執行を担当することがあり、通常の従業員の就業規則の規程に服させることが妥当でない場合があるので、執行役員用の就業規則の規程を設けることが望ましいでしょう。

その内容としては、次のようなものが考えられます。

  • 執行役員制度導入の趣旨
  • 執行役員の意義
  • 選任の際の手続き
  • 退任
  • 職務分掌の定め
  • 処遇(給与、任期、通常の従業員と同一の就業規則適用の有無、退職金など)
  • コンプライアンス(法令遵守)の徹底

2 中小企業における執行役員制度

1)執行役員制度は中小企業でも導入可能か

執行役員制度は、事業の規模が大きくかつ多角化した大企業を念頭に置いた制度であるといわれます。規模が大きく、事なかれ主義や官僚的な発想で従業員が動き、責任関係が不明確になっているような企業においては、従来とは異なる経営体制へと変革することが求められます。こうした企業においては、執行役員制度が適しているかもしれません。

また、同族経営企業やベンチャー企業など、あまり規模の大きくない企業であっても、幹部従業員と他の従業員との権限や待遇面の差異化策として、執行役員の肩書を付与することが行われているようです。例えば、執行役員に選任し、経営会議へ参加する権利を与えたり、決裁権限を大幅に委譲したりするとともに、それに見合った待遇としてのインセンティブ報酬を与える一方、厳格な守秘義務や競業避止義務を課すなどの処遇をする方法です。取締役に向いていない者を無理に取締役にすることは適切ではないものの、役員待遇とすることで企業をリードしてもらうことには意味があります。そうした場合には、取締役ではなく、執行役員にすることで機能の分離を図ることが望ましいでしょう。

こうした観点から見ると、複数の事業を経営し、かつある程度の数の人材がいて、従業員の中に「この事業を任せたい」という人材がいるのであれば、中小企業であっても、執行役員制度を活用することは有効です。ただし、ここでいう「事業」には、損益計算書や貸借対照表を作成するなど独立採算性を持たせることができる程度の実質が必要です。そうした事業があることを前提とするならば、取締役会とは別に執行役員制度を新たに導入することは有意義でしょう。

2)中小企業における執行役員制度導入のメリットとデメリット

中小企業においては、「経営の意思決定機能および管理監督機能」と「業務を執行する機能」を分離するためというよりも、むしろ、執行役員制度を「人材」の登用および活用の方策の一つとして検討するほうが現実的かもしれません。

中小企業における「人材」の問題には、採用・教育・定着・ポスト・モチベーション・給与・経営への参画など、さまざまな要素があります。このうち、ポスト・モチベーション・給与・経営への参画などに関しては、執行役員制度を活用することが可能であり、次のメリットが挙げられます。

  • 執行役員は、幹部従業員の新たなポストになる
  • 執行役員への権限委譲を明確にすることで、幹部従業員としての自覚と責任感が生まれるなどモチベーションが向上する
  • 執行役員に対する給与については、原則として税法上の制限はなく、会社の裁量(執行役員給与規程など)によることになり、会社の業績に貢献した執行役員に対して柔軟な報酬制度を構築できる
  • 執行役員の参加する会議は、取締役会の意思決定の場でないものの、経営に関する情報交換の場であり、事実上の会社の経営に参画することになる

また、執行役員は基本的に株主代表訴訟の対象とならないため、執行役員に就任する従業員にとっては、就任に際しての負担が少なく、業務執行に注力できることも中小企業においても制度を導入しやすい要因といえます。

一方、執行役員は基本的には「使用人」であるため、会社法では執行役員についての規定はありません。従って、各企業は、自社に適した執行役員制度の仕組みを自前で最初から設計しなければならないため、形式的な導入にとどまってしまう可能性があることがデメリットとして挙げられるでしょう。

執行役員制度は、会社法の枠組みを前提としつつも、それに制限されない執行役員という新たな役職を設置するものです。大企業のみならず、中小企業でもこうした制度設計の柔軟性を活用することには一考の余地があります。

例えば、工場・物流・経理・販売といった各部署別に責任者がいる企業では、その責任者を執行役員として処遇することで、執行役員制度を人材活用のための有意義な制度として導入することができるでしょう。

以上(2019年11月)
(監修 有村総合法律事務所 弁護士 平田圭)

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画像:Pexels

M&A成功のカギを握るPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)実施のポイント

書いてあること

  • 主な読者:M&Aの効果を最大化したいと考える経営者
  • 課題:M&A成立後の経営統合に向けた施策が分からない
  • 解決策:PMIと呼ぶ統合プロセスを使って具体的な施策を検討する

1 買い手から見たM&Aのメリット

M&A(企業の合併・買収)が多くの企業で検討・実施されています。M&Aが経営戦略や事業戦略の実現手段の1つとして定着してきた背景には、企業間の競争激化による事業領域の選択と集中を進めるための施策としてM&Aが積極的に活用されるようになったことや、後継者不在による事業承継の困難さが増していることなどが挙げられます。

特に、他の企業が保有する既存の経営資源の買収による事業領域の拡大・再構築は、企業経営にとって大きなメリットです。

一般的に、買い手(買収側)から見たM&Aのメリットには次のようなものがあります。

1)時間を買う

新製品の開発、異業種分野への進出、あるいは規模の利益を狙う場合に、手っ取り早く「時間を買う」ことによって、早期の市場参入と早期の業績に寄与します。

2)人材を獲得する

売り手(被買収側)の優れた人材を、自社に取り込むことができます。

3)投資を節約する

51%の株式の取得で買い手(買収側)は売り手(被買収側)の経営権を取得することができます。企業全体の価値からみれば、49%引きで売り手(被買収側)を取得することになります。

4)顧客を獲得する

売り手(被買収側)の持つ顧客を、自社の顧客とすることができます。同時に売り手(被買収側)の持つ販路や営業データなども自社のものとして利用できます。

5)事業リスクの低減

売り手(被買収側)の過去の業績データを参考にできるため、全くの新事業分野へ進出する場合に比べ、投資の計算がより現実味のあるものとなり、リスクを低減することができます。

6)シナジー効果の期待

買収側(買い手)の経営資源(主として経営ノウハウ)と売り手(被買収側)の経営資源の組み合わせによるシナジー効果(相乗効果)が期待できます。

2 M&Aの成否を握る事業統合後のマネジメント

M&Aでは、相手企業と合意するまでの、企業買収そのもののプロセスに関心が集中しがちです。しかし、前述のメリットを効果的に生かし、最大限のシナジー効果を発揮するためには、売買契約の合意・成立後に売り手・買い手双方の事業分野を整理・統合し、それらの事業分野が効果的に機能するようなマネジメントをしなくてはなりません。株式を取得して支配権を得るだけでは、単なる株式投資と変わらないからです。

特にM&Aの中でも企業合併の場合は子会社化に比べて企業内が混乱しがちです。準備が不十分な場合、重大なミスやシステム障害などが発生し、最悪の場合には社員の離職や業績悪化、内部対立の顕在化などを招き、M&Aが逆に企業の成長力を損なう要素となるかもしれません。その意味では、M&A成立後の統合に向けたマネジメントがM&Aの成否を握っているといえるでしょう。

3 PMIを構成する3つの段階

M&Aによる企業合併の効果を最大化するための統合プロセスは、PMI(ポスト・マージャー・インテグレーション、以下「PMI」と表記)と呼ばれます。PMIのプロセスは、おおむね次の3段階に分かれています。

  • 経営の統合(理念・戦略・経営体制の統合)
  • 業務の統合(業務内容・人事制度・組織・拠点の統合)
  • 企業風土・文化の統合

PMIに取り組むには、これらのうちどれを優先し、いつまでに統合するかを決定することが必要です。そして、広範な領域に及ぶ企業の統合を成功させるためには、全体の整合を図りながら個々の統合について検討を進めることが条件となります。

以降では、各段階についてポイントとなる施策をまとめます。

4 合併後の経営統合に向けた施策

1)ビジョンの明確化

経営理念、企業戦略、経営陣の体制などを統合するのがこの段階です。

PMIを進めるに当たって必要な業務は、経営資源の再配分や業務プロセスの統合、社内書式の統一など膨大な量に上ります。この大量の業務を処理する上での羅針盤となるのが「ビジョン」です。

事業統合によって何を実現するのか、将来的なゴールはどこに置くのかなど、企業が目指すべき道を明快なビジョンによって共有することで、統合に向けた作業を進めていく上での判断にぶれが生じにくくなります。

なお、ビジョンを策定する際には、成長の目標を盛り込むのが望ましいでしょう。単純な資産・設備の統廃合によるコストの削減だけでは、現状維持あるいは縮小均衡にとどまります。PMIによってシナジー効果を期待するならば、明確な成長のビジョンを持って業務に臨まなければなりません。

その他、ビジョンの策定に当たっては次のような点を明示したほうがよいでしょう。

  • 合併によって何を達成したいのかを明確に定義する
  • 目指すべき合併効果の目標値を設定する

2)強いリーダーシップの実現

事業統合の強い推進力となるのが、リーダーシップを持つ人物が企業の方向性を明確に指し示し、目標に向かって全従業員が動くという体制作りです。

どんなに素晴らしいビジョンがあっても、個々の施策が着実に実行されなくてはビジョンの実現はままなりません。ビジョンが企業の行き先を定める羅針盤とするならば、強いリーダーシップでPMIをけん引する人物の存在は、目標に向けて組織のかじを切る船長として不可欠であるといえるでしょう。強いリーダーシップを実現するために、次のような点に留意する必要があります。

1.経営トップによるコミットメント

強いリーダーシップを実現するためには、M&Aが決定した早い段階で、ビジョンや基本方針について経営者によるトップダウンの形で従業員に提示することが重要です。経営トップ自らが従業員に対して宣言し、コミットメント(約束)することで、企業の新しい姿が明確になり、目指すべき方向性を従業員に浸透させることが容易になります。

2.プロジェクトリーダーを明確にする

経営トップが明確な方向性を指し示したら、次に業務を推進するためのプロジェクトリーダーを決定します。プロジェクトリーダーは、組織・業務・人事といった業務ごとに、ビジョンによって指し示された統合計画を推進していきます。

プロジェクトリーダーの決定は、PMI開始後可能な限り早くしなくてはいけません。「当面は話し合いながら」などの理由でリーダーが定まらないまま統合作業がスタートすれば、意思決定が遅れ、従業員に統合への不安が広がりかねません。

特に、有能な人材に対しては早い時期からリーダーとしての役割と権限を与え、主体性を持ってPMIに取り組ませることで人材の流出を防ぎ、モチベーションの維持を図ることができます。

3.誰をリーダーにするか

業務ごとのプロジェクトリーダーを誰にするかは、PMIの成否を決める重要な要素です。吸収合併であれば買収側がリーダーとなり主導権を握ることも可能なのですが、対等合併の場合では事業執行の主導権争いによってPMIの実務が停滞してしまう恐れがあります。

3)専任部署の設置

PMI全体を統括する専任部署の設置も不可欠な要素の1つです。専任部署は一般的にPMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)と呼ばれます。

PMOの役割は、PMIの全体最適を目指して同時並行の形で進む各部署の統合関連業務を把握し、それぞれの調整役として円滑な遂行を図ることにあります。膨大な業務が発生するPMIにおいて、扇の要となる役割を担っているといえるでしょう。PMI作業全体をまとめるPMOが効果的に機能しているかによって、PMI全体の成否が左右されるほど、PMOの役割は重要といえます。

PMOの役割には、次のようなものがあります。

  • PMIの基本計画の策定
  • 全体スケジュールの調整
  • 基本方針の提案・伝達・徹底
  • 各部署ごとの検討・進ちょく状況の整理
  • 各部署ごとの決定内容の共有

PMOのメンバーは、経営企画部門だけでなく、間接部門や事業部門など幅広い部門の業務を知る人材を選出するとよいでしょう。また、管理職ポストの統廃合への執着が薄い中堅従業員に実務を担当させたのほうが、より機能的な活動ができると考えられます。

5 人事制度の設計の考え方

人事・報酬制度の相違や格差は、PMI推進に当たって非常に大きな阻害要因となります。合併によって目指す目標やビジョンに整合する形で新たな制度を構築することが望ましいでしょう。

人事制度の統合のパターンは、大まかに分けて次のようなものがあります。

  • どちらかの企業に人事制度を合わせる(片寄せ)
  • どちらか一方の人事制度をベースに、2社の制度を反映した制度を作る(折衷型)
  • ゼロベースで全く新しい人事制度を構築する(新規構築)

一般的には、吸収合併の場合は吸収する企業の人事制度に片寄せするケースが多いようです。一方の制度に片寄せする場合、方針が明確になり制度設計上の検討項目も少なくなるため、意思決定が迅速で徹底しやすいというメリットがあります。また、待遇面での悪化がなければ、被吸収企業の従業員からも制度を受け入れられやすいでしょう。

対等合併の場合、人事制度は折衷型または新規構築の形をとることが多くなりますが、この場合、従業員間の融和を考慮して、管理職の数や給与体系などで両社のバランスをとらざるを得ないことが多くなり、結果として全体の整合性が失われることもあります。

従業員に勝敗の意識を持たせないことはPMIにおいて重要ですが、意思決定の遅れやシナジー効果を追求するダイナミズムの喪失は、さらに大きな悪影響を及ぼす要因となるでしょう。

人事制度の設計に際しては、実務上の視点から見れば経営トップが強いリーダーシップを持ってどちらかの制度に片寄せし、バランス調整は最小限にとどめるのが望ましいでしょう。

対等合併であり、かつ合併当事会社2社の代表者による代表取締役2人体制であるなど、仮に合併に際して人事制度を調整せざるを得ない事情があったとしても、長時間の議論よりも迅速な意思決定を優先すべきです。

6 組織設計のポイント

1)組織設計の考え方

組織の設計には、2つの大きなポイントがあります。1つは、組織の枠組みをどのように作るのかという点、もう1つは、組織の枠組みに基づいてどのように人材を配置するかという点です。比較的大規模な企業の場合は、まず組織の枠組みを決定し、その組織に人材を配置する方法をとるほうが効率がよいでしょう。一方、比較的小規模の企業の場合には、各部門の責任者となる人材を決定し、その人材に合わせた組織を設計するという方法も有効に機能します。

組織を作る上で、理想的には新たなビジョンが示す枠組みに基づく組織を新規に構築するのが望ましいのはいうまでもありません。しかし、近接した2つの営業拠点が存在するケースなど、現実的には合併対象となる2社の組織が並立しながら業務を進めるというケースが少なくありません。

2社の組織が併存している状況は、シナジー効果の追求という点では非効率であることは否めません。可能な限り速やかに組織の枠組みを決定し、効率的な組織体制を構築する必要があります。人事制度の構築と同様に、PMIにおいては調整や長時間の議論よりも、迅速な意思決定を優先すべきでしょう。

以降では、組織構築に当たっての留意点を紹介します。

2)組織能力の棚卸しを行う

まずは、目標を達成するために必要な能力・スキルを検討します。その上で企業が保有するスキル、能力、実績を把握し、将来のあるべき姿に対する過不足を洗い出します。この組織の持つ能力・スキルの「棚卸し」によって、企業にとって強みとなる分野や不足している能力が明確になるでしょう。

この作業を行うことで、全く新しい部署の設置や、旧組織の持ち味をそのまま生かした組織再編などの検討がしやすくなります。

3)企業の内外から意見を求める

合併当事会社双方の従業員・顧客・取引先などから、幅広く意見を聞くとよいでしょう。意見を聞くことで組織の良い点や問題点が明確になります。同時に、従業員に対しては組織設計に対する不満の抑制効果を期待でき、社外に対しては合併に伴って企業が「変革」に向けて動いていることをアピールすることができます。

なお、組織設計に当たっては、新しい組織の構造を明確に伝えるとともに、どのような役割や機能を持っているのかという点と、なぜそのような組織設計を行ったかについて、従業員や取引先に意図が正しく伝わるように説明することが重要です。

7 業務・情報システムの統合

顧客データベースなどの情報システム、在庫管理の手法、販売管理の方法、細かなことでは伝票処理のルールなど、合併当事会社双方の業務の進め方には大きな違いがあります。こうした業務を統合する作業は、PMIの中でも最もボリュームがあります。

業務処理の統合については、そのボリュームの大きさに配慮し、どちらか一方の企業の処理方法に片寄せすることを基本に、細部については調整を行うのが現実的です。

特に、業務の基盤となる情報システムについては、合併と同時に全く新しい仕組みを導入するのは危険でもあります。まずは片寄せを基本として統合を行い、既に稼働実績のあるシステムで運用をするのがよいでしょう。

業務を片寄せする上の基準としては次のような点を考慮するとよいでしょう。

  • 業務推進手順をシミュレーションし、より効率的な方法に片寄せする
  • 取引条件面で有利な方法に片寄せする
  • 業務のボリュームが大きく、主幹的な業務に片寄せする

なお、合併の直後は、従業員にとって不安が最も大きくなる時期です。自身の処遇も含めて、今後企業がどうなっていくのかという関心が最も高まる時期といえるでしょう。

このような時期には、即効性のある小さな変革を矢継ぎ早に実施することが重要になります。例えば「コストダウン」「労働条件の改善」「間接業務の効率化」「調達の一本化」など、目に見える形で小さな成果を上げることが、従業員に「この合併は成功だった」という実感を持たせることにつながります。中長期的なビジョンを明確にすることはPMI実施の上で非常に重要ですが、それと並行して従業員のモチベーションを維持するための即効性の高い施策を進めておきましょう。

8 企業文化の統合に向けた施策

1)まずは方向性の共有から

PMIにおいて、企業文化の統合は最も困難な問題をはらんでいます。

例えば製造業でも、伝統的に開発者の発言力が強い企業もあれば、営業の意見が最優先される企業もあります。小さなところでは、「毎日朝礼がある企業」と「朝礼がない企業」というのもあるでしょう。企業文化とは、過去の企業の歴史に支えられて醸成されてきたものであり、100の企業があれば100の企業文化があるといってよいでしょう。異なる企業文化を一つに融合し、より強い企業を作るための新しい企業文化を生み出すことが、PMIの最終的な目標といえるかもしれません。

企業文化は、従業員の意識に根付いているものだけに、統合は一朝一夕に進むものではありません。企業規模に圧倒的な差がある場合は、吸収企業の文化に同化させることは困難ではありませんし、結果的にそのほうがうまくいくケースもあります。しかし、基本的な企業文化の統合を進める上での考え方としては、2つの企業文化を同一のものにするのではなく、まずは方向性を共有することを優先するのがよいでしょう。方向性とはM&Aのビジョンや短期・中期の目標を従業員全員が共有し、その目標に向けて進んでいくということです。

無理に企業文化を創り出そうとせず、「共通の目標を持つことができれば、その目標を達成する過程で新たな企業文化が生み出されるかもしれない」という考え方のほうが、社内に不要なあつれきや不満を生み出さないと思われます。また、将来に対する明確な目標があれば小さな企業文化の差はちょっとした習慣の違いとしてやがて収束していくことでしょう。

とはいえ、異なる企業が1つになる以上、相互理解を深めるための努力は不可欠です。そこで、以降では、企業文化に対する相互の理解を進める上でポイントとなる点を挙げてみます。

2)研修の実施とリーダーの選出

従業員間の相互理解を深めるために、研修などを実施して広報も積極的に行うのがよいでしょう。研修は、ビジョンや目標を伝える場であると同時に、参加者同士の横の連携を通じて、相互の価値観を知るための場ともなります。

研修の実施に当たっては進行役となるリーダーを選出します。リーダーは少なくとも合併企業それぞれから1名ずつ選出するとよいでしょう。リーダーに適した人材の条件は、「相互の企業文化を受け入れることができる」「人望があり、積極的に行動できる」「改革への意欲が高い」などが挙げられます。

3)「対等な関係」の構築

少なくとも、合併企業の従業員間では対等な関係を築くことは重要です。仮に資本関係の上では支配的な合併であっても、業務の現場では相互の企業文化を尊重し、理解し合う姿勢を徹底しないと、無用なあつれきを生んでしまいます。特に、吸収合併の場合には被吸収企業の従業員に不満が出やすく、これを放置すると優秀な人材の流出にもつながってしまいます。

4)討論の場を設ける

相互理解を深めるためには、従業員の間で討論の場を設けるのが効果的です。研修プログラムの中に討論の時間を組み込むのが一般的ですが、それ以外に定期的に社員同士が討論する場を設けるとよいでしょう。お互いが疑問点を話し合うことで、相互理解が深まると同時に「場を共有」することによる一体感も生まれます。

なお、討論の場を設ける際にはPMI開始の初期よりも、従業員がある程度企業文化の違いを肌で理解してからのほうがよいでしょう。

以上(2019年7月)

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「ゲーミフィケーション」の概要とビジネスへの活用を考える

書いてあること

  • 主な読者:ゲーミフィケーションをビジネスで役立てたい経営者
  • 課題:ゲーミフィケーションの考え方や具体的な活用例が分からない
  • 解決策:概要を把握し、ビジネスで役立てている事例を参考にする

1 ゲーミフィケーションの概要

1)ゲーミフィケーションとゲームについて

ゲーミフィケーションとは、「ゲームの考え方、デザイン、仕組みなどの要素を、ゲーム以外の社会的な活動やサービスに利用すること」をいいます。

ゲーム(game)は、「遊び」や「遊戯」と訳され、カードゲームやテーブルゲームから、テレビゲーム・アーケードゲーム・ネットゲームまで幅広い種類のものがあります。また、一口に「テレビゲーム」といっても、アクションゲームやロールプレイングゲーム(以下「RPG」)など、さまざまな種類のものがあります。

2)ゲーミフィケーションのビジネスへの活用

ゲームの特徴としては、「遊んでいて楽しい」とプレーヤーを楽しませることが挙げられます。「ゲームをしていると、時間を忘れるように夢中になっていた」という経験をした人も少なくないでしょう。

このようにゲームが持つ人を引き付ける力を、商品・サービスの売り上げ拡大や社員の教育などに活用しようと、ゲーミフィケーションを採り入れる企業が出てきています。

以降では、ゲーミフィケーションの考え方を理解するために、ゲームにおける人を引きつける要素と、ゲームに引きつけられる人のタイプを分類した上で、ゲーミフィケーションをビジネスで活用した事例を紹介します。

2 ゲーミフィケーションの概要

1)ゲームの特徴

ゲーミフィケーションを実施する上で、プレーヤーを夢中にさせるゲームの特徴を理解しておくことが必要です。「遊びやすさ」や「楽しさ」を演出するために、ゲームの特徴としては次の点が挙げられます。

1.インストラクション設計:マニュアルなしでも簡単に遊ぶことができる

ゲームは、簡単なマニュアル(説明書)が添えられています。説明書をよく読んでから始めてもいいですが、読まなくてもプレイしながら遊び方を身に付けることもできます。例えば、代表的なアクションゲームである任天堂「スーパーマリオブラザーズ」では、最初は前後に動くこととジャンプすることぐらいしかできないため、操作が容易です。序盤は出てくる敵の動きも単調であり、次のステージに進むためのミッションも簡単であることから、プレイをある程度続けることができ、次第に操作に慣れて上達していくことができます。

また、RPGでも、ゲームの最初にインストラクターとなる人物が登場し、操作を一つひとつ解説してくれるなど、プレイしながら操作を学べるように設計されています。

2.レベル設計:それぞれのプレーヤーが適切な難易度のゲームを楽しむことができる

ゲームは、それぞれのプレーヤーのレベルに応じて、“ちょうどいい”くらいの難易度のミッションが与えられます。ミッションが最初から難しすぎると、プレーヤーは次のステージに進むことができずゲームをつまらないと感じてしまいます。一方、ゲームに慣れてきたのにいつまでも簡単すぎても、プレーヤーはゲームに飽きてしまいます。それぞれのプレーヤーにとって、適切な難易度のミッションが与えられるようレベルを設計することが、プレーヤーにゲームを楽しんでもらうには欠かせないのです。

例えば、アクションゲームでは、プレーヤーが最初は操作に慣れることができるようミッションが簡単に設定されているものの、ステージが進んでいくにつれ、敵の動きや攻撃が複雑になってきたり、障壁となるようなトラップも増えてきます。

また、RPGでは、操作するキャラクターは最初は誰もがレベル1で、それでも十分に敵と戦えるようにできています。敵を倒してゲームを進めていくうちにキャラクターのレベルが上がり、出てくる敵も次第に強くなります。

加えて、ゲームを進めるうちに操作するキャラクターのレベルが上がり、新たな技が使えるようになるなどキャラクターの能力が向上していくようにできており、達成感を演出しています。例えば、アクションゲームでは、アイテムを入手することで、敵を攻撃する炎を出す能力や、空を飛べる能力などが得られます。また、RPGでは、敵を倒して一定の経験値を獲得するごとにキャラクターのレベルが上がり、「力が2ポイント向上」などと、キャラクターの成長を実感できるようにできています。

3.インセンティブ設計:ゲームにのめりこむようにインセンティブが与えられる

ゲームでは、例えば「自分は救世主であり、世界を救うために冒険を始める」などと、壮大なゴール(目的)が与えられます。また、そのゲームの最終的なゴールを達成する前に、いくつかのミッションが設けられています。そして、それぞれのミッションをクリアするごとに達成感を感じられるよう、クリアを祝福するような音楽や画像を挿入したり、貴重なアイテムが手に入ったり、ゲーム上の登場人物が祝福したりするようなイベントが発生するようになっています。

この他、ゲームを進めるうちに、登場するキャラクター間の意外な関係が明らかになったり、これまで謎だった「伝説」などの事実が解明されたりもします。

このように小さなゴールや発見を積み重ね、大きなゴールを目指すように設計されていることが、プレーヤーにゲームを継続するインセンティブを与えています。

2)バートルによるプレーヤーの4タイプ

以上のように、ゲームには人々を引きつけるためのさまざまな設計が施されていますが、こうした設計の中のどの要素に引きつけられるかは、人によって異なります。英国のゲーム研究家であるリチャード・バートルは、ゲームを愛好するプレーヤーについて、次の4つのタイプに分類しました。

1.アチーバー(Achiever)

達成することに満足感を覚える人です。レベルを上げることや、アイテムを獲得すること、ミッションをクリアすることに喜びを感じるタイプです。

2.エクスプローラー(Explorer)

未知の世界や新しい領域に踏み込み、新たな発見をすることに喜びを感じるタイプです。

3.ソーシャライザー(Socializer)

ゲームを通じて他者との交流を楽しむ人です。他のプレイヤーと協力したり、他のプレーヤーから感謝されたりすることに喜びを感じるタイプです。

4.キラー(Killer)

レベルを上げたりアイテムを獲得したりすることで、他者を凌ぐことに優越感を感じるタイプです。 

ゲームに熱中するプレーヤーは、これら4つのタイプのいずれかに満足感を得ているとされます。

3)ゲーミフィケーションが注目を集めている背景

1.SNSの利用者増加

周囲の人から得られるフィードバックは、行動を起こす上で大きなインセンティブとなります。このようにインセンティブを与える効果を高めている要因として、SNS(ソーシャルネットワークサービス)の利用者の増加が挙げられます。

近年、ツイッターやフェイスブックなどのSNSの利用者が増加しています。これにより自分の行動などについて投稿し、フェイスブックの「いいね!」ボタン(注)のように、さまざまなユーザーからすぐにフィードバックが得られる環境が整ってきています。前述したバートルによるプレーヤーの4タイプのうちソーシャライザーは、特にSNSの効果が高くなります。

また、スマートフォンの普及もゲーミフィケーションの効果を高めています。スマートフォンにより、時間や場所を問わずインターネットと接続してSNSを利用できます。加えて、スマートフォンには位置情報を割り出すGPS機能が備えられており、GPS機能により移動距離や走行ペースを算出するなどといった遊び方もできるようになっています。

(注)フェイスブックの「いいね!」ボタンとは、自身が良いと思った投稿について、ワンクリックで「いいね!」と評価を示すことができるボタンです。

2.ゲームに慣れ親しんだ人の増加

ゲームに慣れ親しんだ人が増加したことも、ゲーミフィケーションが注目を集める背景の一つとして挙げられます。

現在ゲームで遊ぶのは、子どもだけではありません。ゲームが日本で広まりだした1980年ごろ、家庭用ゲーム機やゲームセンターなどのゲームで遊んでいた当時10代だった世代が現在では40代になるなど、社会においてゲームのことをよく知っている人が増えています。

これらのゲームに慣れ親しんだ人の間では、ゲーミフィケーションの考え方が一つの共通言語のようにとらえられるため、ゲーミフィケーションを実践・普及させる土壌となっているといえるでしょう。

3 ゲーミフィケーションをビジネスで活用している事例

最後に、ゲーミフィケーションをビジネスで活用するためのポイントについて考えてみます。ゲーミフィケーションによって顧客の満足度や利用意欲を高め、商品やサービスの売り上げ拡大につなげるための手法と事例について、前述のバートルによるプレーヤーの4タイプを想定しながら紹介します。

1)達成度の数値化

商品やサービスを利用することで、どの程度の効果があったのかを数値で示すことは、特にアチーバーの誘引につながります。ナイキが提供する「NIKE Run Club」は、GPSを使ってランニングの履歴が記録されるスマートフォンアプリです。走行距離の目標設定を行うことで、目標に対する達成度が数値で分かります。走行距離などが一定の条件に達するとトロフィーの画像が贈られるシステムもあり、アチーバーの満足度を高めるシステムが整っています。

さらに、走行記録をSNSなどにアップすることもできるので、ソーシャライザーの欲求も満たす仕組みになっています。アプリを通じてランニングのファン層を増やすことで、ランニングシューズの売上拡大に結びつきますし、ナイキというブランドイメージの向上にも貢献します。

2)ロイヤリティプログラム

一定のポイントが貯まると特典を受け取れたり、ランクが上昇したりするロイヤリティプログラムも、アチーバーに支持されるシステムです。また、ステーキチェーンの「いきなり!ステーキ」による肉マイレージは、獲得マイレージのランキングを公表することで、キラーを呼び込む効果もあるとみられます。

3)他人のフィードバックを得られるシステム

前述のフェイスブックの「いいね!」のように、利用者の活動がインターネットなどを通じて他人からのフィードバックを得られる仕組みは、主としてソーシャライザーからの支持が獲得できます。ユーザーの疑問を別のユーザーが回答するウェブサイト「Yahoo!知恵袋」では、最も役に立った回答に対して質問者が「ベストアンサー」に選ぶことで、ソーシャライザーの満足度を高めているとみられます。

4)自虐的な宣伝や奇抜な商品

自社の食品をあえて「まずい」と強調する宣伝や、意外な食品と組み合わせて食べることの提案、奇抜な見かけやネーミングを採用する戦略などは、エクスプローラーを刺激する売り込み手法といえるでしょう。意外な食品との組み合わせについては、商品専用のウェブサイトなどを通じて一般消費者から募集し、組み合わせに対するフィードバックを掲載することで、ソーシャライザーの関心も集められる可能性があります。

また、行き先を公表せずに出発する「ミステリーツアー」も、主にエクスプローラーをターゲットにした商品といえます。

以上(2019年7月)

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広義のM&Aとしての資本提携の概要

書いてあること

  • 主な読者:資本提携を検討したい経営者
  • 課題:資本提携の主な形態、手法、留意点が分からない
  • 解決策:資本提携の基本を理解し、提携戦略上や法律上の留意点を押さえる

1 M&Aと資本提携

提携とは、経営戦略の一手段として他企業と協力関係を結ぶことをいいます。その提携の一形態である資本提携とは、「企業間の提携において(ある程度規模の大きい)資本拠出をともなったもの」をいいます。この資本提携がM&Aにおいてどのような位置付けがなされるか、まず、M&Aの概念から紹介します。

M&Aとは、Mergers(合併)and Acquisitions(買収)の略語で、最も狭い意味のM&Aは「企業合併・買収」を意味します。しかし一般に、M&Aは資本拠出を伴う提携などを含めた広い意味での企業提携を指す言葉として用いられています。

つまり、資本拠出を伴った提携(以下「資本提携」)は、広義のM&Aに含まれ、株式を持ち合うといった資本提携もM&Aの一形態と解されています。ただし、資本提携はその案件ごとに、大きく異なった形態や背景を持つことから、一義的には定まりません。業務提携を補完する意味でごくわずかの株式を持ち合う株式の相互保有は、業務提携の1つに当たり、広義の資本提携には含めないとする考え方もあります。

本稿では、広義のM&Aの範疇に入ると考えられる一定規模以上の資本拠出を伴ったものを資本提携としていくこととします。

2 資本提携の形態と手法

1)資本提携の形式的形態による分類

資本提携とは、ある程度規模の大きな資本拠出を伴った企業間の提携であり、その形態は次の3つに分けられます。

  • 相手方の株式の取得・新株引受けによる提携(資本参加)
  • 相互に相手方の株式を保有する提携(相互保有)
  • 共同で新会社を設立するジョイントベンチャー、合弁会社の設立

資本提携には、出資比率が提携補完といえる数%の相互保有から、ほぼ買収といえる50%を超えるものまであり、案件によってその性格は大きく異なります。つまり、資本提携の形態の分類は、まず、株式を引き受ける資本参加をしているか、株式を相互に持ち合うかという点で分類することができますが、その規模や出資比率によって、単なる関係の親密化を目的とするものから買収に近いものまで、企業間の目的に応じてその実質は異なります。そのため、形態からの分類はあくまで形式的なものといえます。

また、資本提携の際には、業務提携に加えて資本を拠出することが多く、ほぼ買収に近いものであっても、提携企業のプレスリリースなどでは「業務提携および資本提携のお知らせ」という形で発表されるのが一般的です。

資本提携の概観をイメージするため、資本拠出を伴わない(業務提携補完の意味のごくわずかの相互保有を含む)、業務提携から資本提携までを簡単に図示してみます。 資本拠出から見た一般的な提携の流れは次の通りです。

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2)資本提携の目的による分類

資本提携を広義のM&Aと捉えることで、M&Aの目的から資本提携の分類を考えてみます。M&Aには、一般的に次の6つの目的(動機)があるといわれています。これらは、広義のM&Aである資本提携の際の目的としてもよく見受けられます。

1.節約目的

新規事業進出、技術開発、市場・販売ルートの開拓、工場建設などに関して、新たに自社独自で展開を図るより、既にそれらを保有する企業をM&Aをしたほうが「時間」と「コスト」を節約できる場合。

2.シナジー(相乗)目的

自社の既存事業との組み合わせで、営業面や財務面などで「相乗効果」を発揮しようとする場合。

3.企業政策目的

株式の市場公開や株価対策をにらみながら、自社の財務バランスを目的に合致する形にしたいと考える場合。

4.救済目的

子会社・関係会社や取引先を救済するという意味で行う場合。

5.業界再編目的

業界での市場占有率の拡大や供給過剰体制を解消しようとする場合。

6.企業存続目的

後継者がいないなどの理由により、存続の危ぶまれる企業が存続のために自社株の大部分を譲渡する場合。

3)資本提携の手法

ジョイントベンチャーを除くと、資本提携は提携先企業の株式を取得(相互保有を含む)することになります。株式の取得方法は、既存株式の取得と新株の取得に大きく分けられます。ここでは、それぞれの方法と留意点を紹介します。

1.既存株式の取得

資本提携における既存株式の取得方法には、提携という性質上、特定の大株主から直接株式を取得する相対買付という方法が取られます。この方法は、未公開企業の株式取得では一般的ですが、上場企業(上場していない企業であっても有価証券報告書を提出している企業を含む)などでは、公開買付けの義務が発生することがあります。

2.新株の取得

資本提携で多く見られる手法が、第三者割当増資の実行による新株発行とその引受けです。これは資本参加をする際に、提携先企業が割り当てる新株を取得するものです。 第三者割当増資では、払込金額が引受人にとって特に有利なものである場合、株主総会の特別決議が必要となるため(会社法第199条第3項、第309条第2項)、会社法上の手続きを適切に行う必要があります。

3 資本提携における実務上の留意点

1)提携戦略上の留意点

資本提携は、提携の目的や成果を明確に描く戦略が不可欠です。資本を拠出する以上、提携の成果を企業価値の向上や自社の経営力向上に結び付けなければ意味がないからです。

そのため、資本提携の際には、あらかじめ自社および提携先企業の経営資源をしっかりと分析しておくことが重要です。弁護士や公認会計士、提携やM&Aを扱う証券会社やコンサルティング会社などに相談し、提携の効果や提携後に想定される状況をできる限り把握しておきましょう。

また、自社が資本を拠出し、思い描いた資本提携の効果が得られない状況であれば、思い切って資本提携関係を解消することも戦略の1つといえます。

2)法律上の留意点

資本提携の法律上の留意点として、議決権の停止があります。会社法第308条第1項は、「議決権の数」として次の通り定められています。

【会社法第308条(議決権の数)】

株主(株式会社がその総株主の議決権の四分の一以上を有することその他の事由を通じて株式会社がその経営を実質的に支配することが可能な関係にあるものとして法務省令で定める株主を除く。)は、株主総会において、その有する株式一株につき一個の議決権を有する。ただし、単元株式数を定款で定めている場合には、一単元の株式につき一個の議決権を有する。(第2項略)

この第308条第1項括弧書にある通り、「株式会社がその総株主の議決権の四分の一以上を有することその他の事由を通じて株式会社がその経営を実質的に支配することが可能な関係にあるものとして法務省令(会社法施行規則第67条)で定める株主」は、議決権を行使することができません。 

仮に、株式の相互保有の形で資本提携している甲社と乙社において、甲社が乙社の株式を30%保有し、乙社が甲社の株式を20%保有していた場合、乙社が持つ甲社株式には議決権がなくなることに留意しておきましょう。

また、先にも触れましたが、第三者割当増資における特に有利な発行価額に関しても、事前に専門家などにしっかりと相談することが不可欠です。

これら会社法上の留意点以外にも、株式取得にかかわる関連法規なども適切に処理していくことが求められます。

以上(2019年5月)
(監修 合同会社gtra and company 代表執行役 公認会計士 朝倉厳太郎)

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中小企業の経営戦略としてのM&A

書いてあること

  • 主な読者:M&Aを検討したい経営者
  • 課題:合併や買収の違い、M&Aの分類などが分からない
  • 解決策:M&Aのメリットや基本、敵対的・友好的M&Aの違いなどを理解する

1 M&Aとは

企業は、事業ポートフォリオの最適化(事業の選択と集中による経営資源の最適化)を進める必要があり、具体的な手法に、M&A(Mergers and Acquisitions:合併と買収)があります。

M&Aは合併と買収に限らず、広義では経営権の移動をともなわない株式の持ち合いや合弁会社の設立などの「資本提携」、共同開発や技術提携などの「業務提携」も含んだ手法を指す場合もあります。

2 合併と買収の違いを整理する

1)「合併」と「買収」の違い

合併では、合併される会社(被合併会社)は消滅します。一方、買収では、買収される会社(被買収会社)の株式の所有者(株主)が変わるだけで、会社そのものは存続します。

また、合併では株主総会の特別決議や特殊決議など会社法上の手続きが要求されますが、一般的な買収(買収にかかる対価を金銭とする株式の取得)は、被買収会社株主との事前交渉・合意、契約、対価の支払といったものが基本的な流れであり、会社法上の手続きは要求されません(金融商品取引法などの規制はあります)。

さらに買収の場合、その買収目的に応じて買収する持ち分を100%、3分の2、2分の1以上などと決めることができます。そのため、合併のように常に100%を自社に取り込むことに比べれば、さまざまな面で自由度は高まります。

例えば、買収したものの当初想定した目的が達成できないと分かった時点で、買収の場合、買収会社は被買収会社の株式を第三者に一部売却して自社の持ち分を引き下げたり、全部を手放すことが容易にできます。一方、合併では、合併会社と被合併会社とは既に1つの企業になっているため、容易に切り離すことはできません。

従って、将来的には合併する意向があっても、その前段階として、買収により子会社化ないしは兄弟会社化を行うのは、企業戦略としては効果的といえるでしょう。以降では、合併と買収についてもう少し詳しくみてみます。

2)合併

合併は、M&Aの基本であり、会社法制上の合併制度を用いて、合併会社と被合併会社が1つの会社になることをいいます。両社の経営陣が合併契約を締結し、さらに両社の株主総会の特別決議が必要となります(簡易合併等の場合は除きます)。合併には、次の2通りがあります。

1.吸収合併

会社が他の会社とする合併であって、合併により消滅する会社の権利義務の全部を合併後存続する会社に承継させるもの

2.新設合併

二以上の会社がする合併であって、合併により消滅する会社の権利義務の全部を合併により設立する会社に承継させるもの

合併当事会社がすべての含み損益を顕在化させるなど新設合併を行う特殊な目的がある場合を除き、通常、M&Aでいう合併とは吸収合併を指します。

3)買収

買収とは、被買収会社の経営権をそれに見合う対価で獲得することです。買収の方法には、次の2通りがあります。

1.事業譲渡による方法

事業譲渡とは、事業用財産(顧客、工場、店舗など)、無形財産(技術、特許権など)、人的財産(従業員や人脈など)など、会社の事業の全部または一部(会社の資産、従業員などが一体となった事業)を譲渡する手法です。

事業譲渡会社が事業の全部または重要な一部を譲渡する場合や、事業譲受会社が他の会社の事業の全部を譲り受ける場合は、いずれも原則として株主総会の特別決議によって、当該事業譲渡契約についての承認を受ける必要があります。

2.株式取得による方法

株式取得には、次のような方法があります。

  • 対象会社の株式が公開されている場合、証券市場から株式を入手する「市場での株式買い付け」
  • 対象会社の大株主と交渉して、その株式を譲り受ける「大株主からの株式取得」
  • 対象会社が新株または新株予約権の発行を行って、新株を買収会社が取得する「第三者割当増資」
  • 対象会社を完全子会社化する「株式交換」

・「市場での株式買い付け」

被買収会社の株式が上場されている場合(厳密には有価証券報告書提出会社株式)は、株式公開買い付け(TOB:Take Over Bid)という方法を採らなければならない場合があります。株式公開買い付けとは、「買収会社が上場している対象会社の株式を、市場の外で、買い付け条件を明示しながら株主から直接購入する行為」をいいます。

・「大株主からの株式取得」

被買収会社の株式が上場されていない場合、被買収会社の大株主等との合意による相対取引に限定されます。相対取引による株式の取得は手続きが簡単で多く利用されている手法です。

・「第三者割当増資」

第三者割当増資は買収会社が被買収会社が発行する新株を引き受ける方法です。既存株式の取得と第三者割当増資を併用することもあります。

・「株式交換」

株式交換とは、既存の会社間の株式を交換することにより、一方を完全親会社、他方を完全子会社とする組織再編手法で、会社がその発行済株式の全部を他の会社に取得させることをいいます。なお、「合併等対価の柔軟化」により、完全親会社が交付する対価は、現金とするなど、株式に限られないこととされています。

株式公開買い付け(TOB)というと、敵対的買収者が不特定多数の株主から市場価額を上回る価額で株式を集める手法というイメージがありますが、友好的な関係においても市場外で株式を取得するには、株式公開買い付けを行わなければなりません。

3 敵対的M&Aと友好的M&A

ここで敵対的M&Aと友好的M&Aについて考えてみましょう。分かりやすくするため、M&Aの買い手と売り手により、株式上場会社と株式未上場会社を分けて整理しましょう。M&Aの買い手(合併会社・買収会社)・売り手(被合併会社・被買収会社)は次の通り分類できます。

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株式上場会社の株式は市場で売買されているため、いつでも資金力のある第三者に取得される可能性がある、つまり、常に買収の対象となる可能性があります。一方、被買収会社が株式未上場会社の場合は、一般に敵対的M&Aは起こりません。

そもそも敵対的M&Aとは、被買収会社の経営陣に対して敵対しているM&Aのことを指します。敵対的な買収が成功する要因は、被買収会社の一部または全部の株主にとってメリットがあることです。

株式未上場会社の場合、所有と経営すなわち株主と経営陣が一体となっているケースが大半です。そのため、経営陣との敵対は株主との敵対となるため、敵対的買収は成功しません。

また、所有と経営が分離している場合でも、株式譲渡制限規定がある通常の株式未上場会社では、最終的に現経営陣(取締役会)により株式譲渡が承認されない限り、買い手は株主になれません。現経営陣に敵対する買い手に対する株式譲渡が取締役会で承認されることはありませんので、敵対的買収は成功しません。

このように株式未上場会社の場合は株式譲渡制限規定がある限り、敵対的買収は起こり得ません。逆に、株式未上場会社であっても、株式譲渡制限規定がない場合は、敵対的買収の可能性があります。

4 買い手からみたM&Aのメリット

1)時間を買う

新製品の開発、異業種分野への進出、規模の利益を狙う場合に、手っ取り早く「時間を買う」ことによって、早期の市場参入と早期の業績向上に寄与します。

2)人材を獲得する

被買収会社(売り手)の優れた人材を、自社に取り込むことができます。

3)投資を節約する

51%または67%の株式の取得(議決権ベース)で買収会社(買い手)は被買収会社(売り手)の経営権を取得することができます。企業全体の価値から見れば、割安で被買収会社(売り手)を取得することになります。

4)顧客を獲得する

被買収会社(売り手)の持つ顧客を、自社の顧客とすることができます。同時に被買収会社(売り手)の持つ販路や営業データなども自社のものとして利用できます。

5)事業リスクの低減

被買収会社(売り手)の過去の業績データを参考にできるため、全くの新事業分野へ進出する場合に比べ、投資の計算がより現実味のあるものとなり、リスクを低減することができます。

6)シナジー効果の期待

買収会社(買い手)の経営資源(主として経営ノウハウ)と被買収会社(売り手)の経営資源の組み合わせによる相乗効果(シナジー効果)が期待できます。

5 M&Aを検討するときに考慮すべき項目

1)買い手の検討事項 

・買収によってどんな「利益やメリット」を得ようとしているか(買収目的)
・買収対象はどの企業か(対象選定とアプローチ)
・買収対象の価値はどのくらいか(買収対象の価値評価)
・どのような方法で買収するか(買収方法)
・買収資金をどのように調達するか(資金調達)
・仲介者や専門家は誰をいつ起用するか(仲介者や専門家の選定起用)
・「法的規制」や「税法上の問題」の有無と、その克服の方法(制約克服)
・買収後の総合的な事業運営をどう実施するか(買収後の事業計画)

2)売り手の検討事項

・売却によって得られるメリット、あるいはデメリットは何か(売却目的)
・誰に売却するか(買い手選定)
・売却によって得るものは何か、また失うものは何か(販売価格見込設定)
・特に「税制」などの問題で、メリットが害されないか(実質収入確保)
・仲介者や専門家は誰をいつ起用するか(仲介者や専門家の選定起用)
・売却後の計画(事業計画または資産運用計画)

6 まとめ

知識と経験を持った専任スタッフが社内にいる場合でも、M&Aを行う際は専門家の適切なアドバイスが必要です。これは、自社が買い手(合併会社・買収会社)になるか、売り手(被合併会社・被買収会社)になるかに関係ありません。

例えば、株式未上場会社を買収する場合、相手の企業評価(株式価額の算定)は非常に大きな問題です。個々のケースに応じて、さまざまな価額形成要素を加味して合理的な価額を評価していかなければなりません。

また、実際のM&Aでは、「人材や組織活性化の問題」「事業の価値評価」「将来の企業戦略設計」「税制や法規制」など、企業経営に欠かせない多くの問題を解決する必要があるため、専門家を起用し万全を期さなければなりません。

中小企業がM&Aの当事者となる場合は、「後継者不在の中小企業が、M&Aによる企業存続および経営者のリタイアを目指す」「自社の強みをさらに強化するためシナジー効果を狙って、必要な企業をM&Aする」などのケースです。今後も、中小企業が企業の発展・存続のためにM&Aを利用していくケースがさらに増えていくでしょう。

以上(2018年9月)
(監修 辻・本郷税理士法人 税理士 安積健)

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