かつてナポレオン・ヒルは、偉大な多くの成功者たちにインタビューすることで、成功哲学を築き、世の中に広められました。私Johnも、経営者やイノベーター支援者などとの対談を通じて、ビジョンや戦略、成功だけではなく、失敗から再チャレンジに挑んだマインドを聞き出し、「イノベーション哲学」を体系化し、皆さまのお役に立ちたいと思います。
第6回に登場していただきましたのは、埼玉県和光市の市長を務められている松本武洋(まつもとたけひろ)氏(以下インタビューでは「松本」)です。
1 「まいた種が、将来的に雇用や税収を生み、和光のベースを支えていくことに期待しています」(松本)
John
本日は、埼玉県和光市の松本市長をお迎えしてお送りいたします。松本市長、お忙しいところ、本当に愛りがとう(愛+ありがとう)ございます!
この連載は、イノベーションを起こしている方、各界のトップの方々にどういったビジョンや経営戦略、行動原則などがあるかをお伺いして、皆さん一人ひとりがイノベーションを起こせるような国づくりができたらと思って始めました。本日は、日本をもっと良くしていくために、松本市長からさまざまなお話をお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
松本市長は、和光の市長を務められてからもう10年目になるんですよね?
松本
そうですね。間もなく満10年です。2019年5月から11年目に入りました。
John
素晴らしいですね! 3期目に入り、「もっと元気な和光市へ」を掲げ、「政策実行計画」をつくられましたよね。これはどういったものなのでしょうか? 2期目までの公約とどのように違うのでしょうか?
松本
1期4年で公約をつくって、それを市の計画に落とし込んで、オーソライズして実施します。政治家の個人の公約と、市の計画に齟齬(そご)が生じることがあるので、各期で目標を定めて、それで市の計画と整合性をとって実施しています。
まず1期目ですが、実はちょうどリーマンショックが終わった後で、財政危機が非常に大きな課題でした。あるいは世の中も割と不況という時期でした。ですから、財政危機への対応、いわゆるリストラや効率化。そういった点を主眼に取り組みました。
2期目はそこが一段落ついたので、特に中長期的な課題に重点的に取り組んでいこうということで、都市基盤整備と福祉・教育を中心に中長期的な視点でさまざまな公約を掲げました。
3期目の公約の中でも重要なのが街づくりですね。将来の産業の種をまくという意味で、土地区画整理による工業地の整備などに取り組んでいます。1期目から街づくりには取り組んでいて、2018年には、和光北インター地域の土地区画整理を行い、非常に大きな物流センターなどを誘致した結果、順調に雇用や税収が生まれています。現在はさらに東側の地域に、2倍くらいの規模の土地区画整理事業を進めています。このようにしてまいた種が、将来的に雇用や税収を生み、和光のベースを支えていくことに期待しています。
また、街づくりでいえば、約40年前から和光市駅の北口の区画整理が上がっていましたが、なかなか実現できませんでした。現在、だいぶ取り組みが進んできており、これをしっかり軌道に乗せるというのが私の大きな使命です。
特に、和光市駅の南口に東武鉄道さまがビルを建設して、拠点性を高めるための環境は非常に整ってきています。北口についても区画整理による街並みの整備だけでなく、併せて駅直結の部分を再開発し、高層化によって住居や店舗をつくる。これによって和光の拠点性が高まると考えており、しっかりと取り組んでいきます。
この都市計画とともに重点的に進めてきたのが地域包括ケアという福祉を軸とした政策です。和光は非常に狭い街で11平方キロしかありません。中学校区は3つしかないのです。
我々は、中学校区を日常生活圏域と呼んでいますが、中学校区ごとに福祉の拠点をつくって、身近に歩いていくことのできる範囲の中で、いろいろな福祉サービスの出口があり、顔の見える関係の中で福祉サービスが受けられる、という政策を推進してきました。
和光はこの地域包括ケアの取り組みについて、私の市長就任前から取り組んでいます。それを私の3期目に、直接的な福祉にとどまらず、よりしっかりと地域ごとの多様なサービスの提供を実現するベースをつくろうということで取り組んでいます。
John
街づくりは4年ごとに計画されているのですか?
松本
市長の任期は4年のため、公約についても4年を念頭につくります。しかし、実際問題として、街づくりは10年、20年を要する場合もあります。4年で完結するものもあれば、4年で種をまくものもあります。中長期的な取り組みのベースをつくることが公約であれば、当然に市の計画の中ではもっともっと先のことまで構想を立てます。
John
この公約をつくるに当たり、市長と何人の方々が携わって決められるのですか?
松本
最終的には私がもちろん決めますが、いろいろな方の意見を取り入れています。基本的には、市の今やっている取り組みの中で目玉のもの、市の計画にまだのってないものの、「こういうことがあったらいい」という意見は、市の職員もそうですし、地域の方などたくさんの人と会って、その中で抽出したものをとりまとめてつくるという形になります。そういう意味で、関わっている人間は数十人に及びます。
John
いつの時代でも、人口を増やす、市の財政を良くするために雇用を生むということが、目標、ゴールに掲げられるのでしょうか?
松本
今の日本社会においては、まず人口減少への対応と、少子高齢化への対応が非常に重要だと言われていて、国もそれに取り組んでいます。実は和光の場合、人口はこれから15年くらいのスパンで見ると、伸び続けるという予測になっています。放っておいても伸びます。
John
素晴らしいことですね! その理由はどういったことなのでしょうか?
松本
地理的に、有利な場所に街があることです。東京の隣にあって、しかも交通の結節点になっています。例えば、駅には東武線と副都心線とそれから有楽町線の3路線が乗り入れているので、非常に利便性が高い。また、電車だけではなくて東京外環道という高速道路のインターが市の南北にあり、これによってバスやトラック輸送などの面でも非常に有利ですね。
将来的な視点で言うと、現在でもマイカー通勤の人は便利ですが、高速バスがさらに多く発着するなど、和光が鉄道とバスや自動車などがうまくミックスした拠点になることで、より強みを増すだろうという話をしています。
John
なるほど。例えば、和光で獲れていなくても、新鮮な魚が届くというようなことでしょうか。
松本
そういうことですね。羽田空港から車で40~45分くらいで着きますから。世界へのアクセスという点でいうと、羽田空港からは非常に便利ですし、もちろん成田空港からも1時間半くらいの距離です。どちらの空港にも高速道路のネットワークでつながっている。そして東京の都心とも高速道路あるいは電車でつながっているということで、これが和光の一番の強みですね。
John
市の財政は伸び続けているのですか?
松本
リーマンショックで一時は財政危機に陥りました。4年間、いわゆる地方交付税が交付される交付団体になりましたが、その他の時期はずっと財政としてはいわゆる不交付団体ということで、健全だとされています。
John
松本市長は多くの政策実行計画を掲げられています。最初が介護予防などの地方包括ケアの推進、2番目が地域密着型高齢者入居住宅、いろいろと健康と教育に関わることを挙げておられますね。そして、とても面白いのが、17番目に「さらなる企業誘致の推進」と書いてあることです。松本市長はどのような企業を和光に誘致したいと考えているのですか?
松本
和光には理化学研究所(以下「理研」)があるので、テクノベンチャー、あるいは工業など、理研のサポートをするような、さまざまな「小規模な工作所」のような企業があるといいと考えています。
2 「もう少し企業に入り込んで伴走するのがベンチャーキャピタルで、私は今でもそうだと思いますが、そちらのほうが面白いだろうと思って興味を持ちました」(松本)
John
松本市長の最初のキャリアとしては、早稲田大学法学部を卒業後にベンチャーキャピタルに入社されていますね。最初にそれを聞いたときにとても驚いて、理由が知りたいと思い、市長と対談させていただきました。銀行を目指す人なら分かりますが、ベンチャーキャピタルを目指す人というのは、当時珍しかったのではないでしょうか。30年前、日本でもベンチャーキャピタルと呼んでいたのですか?
松本
当時はバブルの最末期です。バブルのころはベンチャーキャピタルがちょうど世界的にブームになった、第一次VCブームの時代です。ベンチャーキャピタルと呼んでいました。日本でいうと、当時ジャフコという企業が立ち上がって上場していました。ジャフコが上場していたので、私はジャフコも内定をいただきましたが、入るのは上場していない企業にしようと思いました。当時、エヌアイエフとエヌアイディという企業があり、そういった企業の話をいろいろと聞き、結局エヌアイエフの社風が面白そうだということで入社しました。
John
どのような社風だったのですか?
松本
比較的緩やかといいますか、それほどガツガツしていない感じでした。割と国際部門、インターナショナル系が強い企業でした。
John
当時、どのような仕事内容でしたか?
松本
当時は、スタートアップに投資をしない時代ですね。どちらかというと、巷にある起業済みの企業にいって資本を持ち込んでいく、そういった感じでした。スタートアップ支援は個人のキャピタリストが支援していたイメージです。
John
通常、銀行を目指す人は多いと思いますが、ベンチャーキャピタルを目指す人は稀だったのではありませんか?
松本
はい。当時はバブル末期でしたので、就職先として銀行と証券会社の人気が非常にありました。銀行はお金を貸す際に、もちろん企業を育てますが、もう少し企業に入り込んで伴走するのがベンチャーキャピタルで、私は今でもそうだと思いますが、そちらのほうが面白いだろうと思って興味を持ちました。
John
松本市長は、既に30年前にそのように考えていたのですね。素晴らしいことですね! しかし、ベンチャーキャピタルへの就職は一般的ではなかったですよね?
松本
ベンチャーキャピタルへの就職に関心を持つ学生が出始めたころ、その最初が私の時代ですかね。
実は就職活動をした年の12月はバブル崩壊が始まった時期でした。それで、実際に入社してみると仕事がなくて。どの企業も新規公開はストップしていて、しばらく新規公開案件はありませんでした。それから投資もしないのです。
毎朝出社して、「部長、今日は何をしましょうか?」と聞くと、「松本君、こういうときは勉強だ」ということで、会社法の本などを読むことになりました。ベンチャーキャピタルですから投資をするのが仕事ですが、投資案件がないので、「この企業に投資をする場合、どういう資本政策になるのかプランをつくってみろ。俺が見てやるから」と言われたのです。
そういうことを1年行っていたのですが、バブル崩壊は経済的ダメージが大きすぎたため、しばらく新規公開はないだろう、そういう見込みの時代でした。私もこの企業に居続けるのはちょっと難しいかもしれないと思ったりしました。それで、もう1つ興味のあった出版社に移りました、わずか1年で。
John
そこから編集者としてのキャリアを積まれたのですね。それは10年くらいですか?
松本
そうですね。ちょうど編集者として10年ですね。
John
当時、松本市長は、どのようなテーマを担当されていたのですか?
松本
私の専門分野の1つは会計です。それから、会計関連で会社法。会社法関連で当時、証券取引法、今の金融商品取引法。あとは経済ですね。それが私の守備範囲でした。
編集者というのは、だいたい専門分野を持っています。講談社などですと、漫画や文芸などの担当者もいるのですが、私が在籍していたのは経済の出版社なので、経済が専門の人がいたり、経営が専門の人いたりといった感じです。
John
法学部を卒業されて経済を学ぶとなると、大学の専攻とは少し違いますよね。どのように勉強されたのでしょうか?
松本
法学部では、いわゆるパブリックの法律の分野と、会社法などの経済法の分野を学びます。経済法、いわゆる商法を勉強するときは商法会計、当時の商法会計と証取法会計は少し違うのですが、いずれにしても商法の切り口から学ぶと経済の勉強が面白くなっていきました。
John
早稲田大学時代も経済について学んでいたのですか?
松本
いいえ。当時はあくまで法学です。会社法が中心なのですが、たまたま少し、大学のときに簿記の勉強をしまして、それもあって簿記や会社法に強い出版社に入りました。
John
その仕事は面白かったのですか? どのようにやりがいがあったのでしょうか?
松本
当時は、企業のガバナンス改革がとても進んだ時代でした。1990年代後半から2000年代初頭、時価会計が導入され始めた時代です。簿価、いわゆる取得した原価でそのまま企業の資産として寝かしておけましたが、しかしそれではリアルタイムな企業の価値が分からないだろうと。そういう時代の中で、それでは時価で企業を見たらどうなるかと。
あるいは、当時は景気が悪いので、企業の財務が悪化している、それをどのように理解するのかということで、会計の制度が大きく変わっていった時代でした。そうした時代に、私は制度改革や経済を追い、本や雑誌をつくるという仕事をしていたので、かなり面白い時代でしたね。
今思えば、簿価、いわゆる静的な企業のとらえ方と、動的な企業のとらえ方は、どちらが正しいとかではないですよね。ただ、当時は静的なものがあって、そこに対して動的なものが出てきて、「動的なもののほうがリアルタイムで分かるから、よい」というような考え方でいろいろな制度改革が突き進みました。
結局、それは今、経済がまさにその流れの中にあるじゃないですか。要するに、そのときのリアルタイムの企業の価値、そのときのリアルタイムの仕事の価値、というものを追求することによって、いわゆる投資家が判断をするという時代に変わってきた。今思えば大きな転換点でしたね。
3 「もし、落選しても、編集者として食べていけるだけのスキルはあるから、とりあえず興味持ったことをやってみようと思ったのです」(松本)
John
それから一大決心して政治の世界へと進まれたのですね。もともと、政治の世界につながりはあったのですか?
松本
全然ありませんでした。私は会計が専門で、一番本をつくったのも会計学のテーマです。そういうキャリアの中で、パブリックの会計の本の企画を担当したことがあり、そのときに「公共とは何か」「政治とは何か」というところに触れる機会がありました。これが2001年、2002年ごろだと思います。
John
何歳くらいのころですか?
松本
30歳になったころですね。そのころは「平成の大合併」の時代で、全国で自治体の合併がかなり進んでいました。私がちょうどパブリックに興味を持ったころに、こうした合併の問題が起こり、非常に面白いなと興味を持ちました。実は、和光も合併するという話があったのです。
John
当時はどこに住んでおられたのですか? もう和光でしょうか?
松本
もちろんです。私は23歳のときに和光市民になりました。
John
その23歳のときにご結婚されたのですか?
松本
結婚したのは26歳ですね。
John
奥さまが和光のご出身なのでしょうか?
松本
そうです。企業の寮を出るときに、どこに住もうかといろいろ考えたのですが、便利で安くて環境がいい場所にということで、和光に来ました。
John
それからずっと和光に住まれているのですね!
松本
社会人になって1年間、ベンチャーキャピタル時代は寮に入っていたのですが、その寮から出るときに、和光に転居しました。私の人生でいうと、18歳まで兵庫県の明石市で、そのあと23区にちょっと住んで、実際には渋谷区、新宿区、杉並区……。
John
大学時代のお話しですか?
松本
そうですね。最後、在籍していた会社の寮も杉並区だったのですが、その後に和光に来ました。
John
素晴らしいです! 和光在住歴、長いですね!
松本
ありがとうございます。そうですね。
John
それからすぐに市長になったのですか?
松本
いいえ。今から16年前ですが、市議会議員選挙がありまして。当時、既に今の団地に住んでいて、いろいろな管理組合や自治会の仕事を手伝ったりしていました。地域でさまざまなつながりがあったのですが、たまたま市議選があるときに、「興味があるから、市議選に出てみようと思ってるんだけど……」と伝えると、一緒に自治会をやっていた人たちに「面白いから、応援してやるよ!」と言っていただけて、立候補することになりました。
John
当時は何歳だったのですか?
松本
33歳のときです。
John
若いですね!
松本
それで、市議になって……
John
今、「市議になって」とおっしゃいましたが、演説の方法などはどのように学ばれたのですか? 誰か教えてくださる方がいたのでしょうか?
松本
いえいえ。適当ですよ(笑)。
John
例えば、「何分間話すのがよい」など、そういうことはどう学ばれたのでしょうか?
松本
全く分からなかったのです。私は政治のことがそれほど分からないし、ましてや市政のことも分かりませんでした。ただ、1つ言えるのは、私はやはり経営に関する仕事をしてきたので、市の経営についても、「市の経営でこういう点に問題があるよ」「地域の経営でこういう問題があるよ」といったことは言える。その観点で政策をつくったり、話をしたりしました。
それから、もう1つは、たまたまうちの子供が保育園に通っていたこともあり、ちょうど待機児童対策に関心を持っていました。私の子供も何カ月か待機児童で、認可外の施設に通いました。認可外の施設に課題を感じていたこともありましたし、待機児童問題の苦労も切実に感じていました。
当時の和光の市議会は高齢化が進んでいました。40代後半など、子育てはひと段落された年代の人しかいなかったのです。そうしたこともあり、「若い人がいないから、これほど保育園に入りにくいのか?」ということも思いました。そこで、経営の問題と保育園の問題と2つの切り口でストーリーをつくって、お話させていただきましたね。
John
何分間くらい講演するのですか?
松本
講演はしません。街頭演説です。いわゆる大物の先生ですと、会場も時間もきちんと決まっていて、聴衆の方が集まっていてというふうになると思います。しかし、新人が市議会議員選挙に出る場合はそういう環境ではありません。通りがかった方に「響く言葉」を、シャワーのように浴びせ続けるしかありませんでした。
John
街頭演説は、好きなように行ってよいものなのですか?
松本
そうです。基本的には選挙のときもそうなのですが、街頭演説はどこでもできますから。
John
「響く言葉」はどのように選んで、発していたのですか?
松本
そうですね。和光の都市と市役所の経営の問題点などでしょうか……
John
皆さん立ち止まって聞いてくださるのでしょうか?
松本
地域の人の中には、「地元で若い人が出てきたから、応援してやろうか」という人もいましたね。
John
同じくらいの年齢で、他の候補者はいなかったということでしょうか?
松本
そうですね。私が圧倒的に若い候補者でした。33歳です。今回(2019年)の選挙で、当時の私と同じくらいの年齢の人が何人か出ていますが、当時は圧倒的に私が若かったですね。
John
仕事を辞めて出馬ということで、奥さまは反対されなかったのですか?
松本
もちろん反対でした。ただ、たまたま、当時在籍していた会社が、「有給休暇を取って選挙に出てもいい」ということでした。なぜかというと、私がいた会社は東洋経済新報社といって、総理大臣をやったこともある石橋湛山が社長を務めたこともある企業で、以前から政治家を輩出していたのです。ですから、私が「選挙に出てもいいですか?」と聞いたら、「じゃあ、有休を取ってやったら」と言っていただきました。それで、立候補し、当選しました。
John
そのとき、もし当選しなかったらどうしようという不安はありませんでしたか?
松本
いいえ、全然。
John
そうなのですね! 不安を感じなかったのは、若かったからというのもありますか?
松本
当時の私は、編集者としては100万部の本を出す力はないけれど、10万部の本をつくる力はありました。「もし、落選しても、編集者として食べていけるだけのスキルはあるから、とりあえず興味持ったことをやってみよう」と思ったのです。
John
市長の気持ちの中では、やはり出馬だったのですか? 起業して社長になろうというような気持ちはなかったのでしょうか?
松本
サラリーマンを辞めるという決断はものすごく重い決断だと思います。サラリーマンを辞めて起業する人もいるし、政治家になる人もいますが、起業する人というのは何か1つのやりたい事業があって、起業するわけです。政治家というのは、世の中を変えてやろうとか、地域を変えてやろうということで、これもまた仕事を辞めるわけですが、同じくらい決断としてはしんどい決断ですよね。
John
地域振興や地方創生に携わる経営コンサルタント、あるいはアドバイザーのような仕事に就こうとは思わなかったのでしょうか?
松本
私は編集者で、人の書いた原稿を直したり、人の書いた原稿で雑誌をつくったりという仕事をしてきました。常にアシストする立場です。編集者はコンテンツを自分でつくって、発信するという立場ではありませんよね。あくまで人のコンテンツを人に売る媒介。編集とはそういうことではないかと思います。しかし、もう少しコンテンツをつくる側に寄った仕事がしたいと常々思っていましたので、政治家もそれに近いようなイメージがありました。
John
なるほど、そうなのですね。
ところで、先ほど演説のお話が出ましたが、松本市長は、人前でお話されることが多いと思います。話すときに失敗したことなどは、演説の際にどのようにカバーしているのでしょうか?
松本
面白いことを言おうとしないほうがいいと思っています。面白いことを言おうとして口がすべって、それが災いの元になるってことが往々にしてありますよね。
John
でも松本市長は、面白いことを言ってくださいますよね。
松本
ありがとうございます。しかし、面白いことをなるべく言わないようにする努力をしないと、口がすべってしまいますから。面白いことを言ってみんなを喜ばせようと思い、リップサービスが過ぎて失敗する人もいますよね。実際にはそんなことで喜ばすよりも、いい仕事をして喜ばせようとか、アイデアを出して喜ばせないとダメだと思います。だから面白いことを言いそうになったときに、「待てよ」とよくよく考えて、これは言っても大丈夫だと判断したことは言います。
John
なるほど、ありがとうございます。起業家や経営者に対して、人前でプレゼンやピッチをする際のアドバイスはありますか?
松本
1つは、ゆっくりと伝えたいことを、簡単に明確に話すことだと思います。どうしても何かを達成したいときなどは、焦ったり、脈拍が上がって早口になったりするものですが。聞いてくださっている相手には、さまざまな方がいますので、ゆっくりしゃべると分かりやすく、伝わると思います。「話す際のバリアフリーに配慮する」と言えるかもしれません。特に高齢社会では、プレゼン資料も見やすいほうがいいと、政治家としてすごく感じます。
John
とても参考になりますね、松本市長、愛りがとうございます!
4 「メイヤーがCEOみたいな、市長が社長になったような感覚で、企業経営のように市長は市を経営されているということですね」(John)
John
市議に当選されて、その後、どのようにして市長になったのですか?
松本
市議の任期は1期4年です。私は2期目の途中、6年を務めたところで、市長選に立候補しました。和光の経営ということでいえば、財政危機の話は先ほどお話ししましたが、併せて都市経営と役所の経営、2つの切り口を訴えました。
まず、都市経営で言うと、和光の前市長はスポーツ行政や青少年健全育成の分野がすごく強い方でした。もともとバスケットボールの指導者をしていたという経歴の方で、スポーツ行政などをかなり推進してきた方です。さらにその前の市長はお医者さまで、医療や福祉に携わってきた方です。
医療やスポーツに強みを持つ市長によって20年、和光は運営されてきたのですが、都市計画などの面では後れを取っていました。そこで、都市経営という点では、いわゆる都市基盤をしっかりつくることで、より街が活性化すると訴えました。例えば、当時も今も、和光市駅はとてもポテンシャルがあります。
私は、街が全体的に機能するような、そういう仕組みをつくっていけば、かなり価値が上がると思っていました。そして、それができていないとも感じていたのです。ですから、私としては、都市計画事業を推進するということを訴えました。
もう1つは、拠点性を活かして、企業を誘致するというものです。そのために何をすべきかというと、都市計画を見直したり、都市計画を推進したりというのが大事です。さらに、もう1つ大事なのが、いわゆる将来的にどのような街にしたいのかというビジョンを明確にして、それを全てのものに落とし込んでいくという形をつくることです。これは、地域経営の観点だけでなく、企業の経営でも同じではないでしょうか。そうしたところに注力してきました。
それから、和光は、実はかなりさまざまなメディアで取り上げられるようになっているのです。こうなったのは、ここ数年のことです。それまで和光は、積極的にメディア露出をしたり、イメージをつくったりということに取り組んできませんでした。市役所に失敗を恐れる文化があったのだと思います。しかし現在は、和光としてのメディア戦略といいますか、さまざまな情報を積極的にプレスに流して、和光は活性化していますというメッセージを伝え続けています。
以前はそういうことも全くやってきませんでしたので、「都市経営、地域経営のやり方を変えれば、かなり伸びるのだ」ということを、私が市長になって体現したいと考えていました。
John
なるほど。メイヤーがCEOみたいな、市長が社長になったような感覚で、企業経営のように市長は市を経営されているということですね。
松本
市民のために地域の価値を最大化する、極大化するのが私の仕事です。企業であれば、企業価値を極大化しますよね。市長というのは、もちろん市民を幸せにするという目的のために仕事をしますが、そのために地域の価値を最大化して、地域を活性化して、その活性化したものを地域に還元することによって、市民の皆さんが幸せになるのだろうと考えています。そういうことを思って、市の経営をしています。
John
周りの都市との連携などには取り組まれていますか? あるいは海外の都市などはいかがでしょうか?
松本
和光もそうですが、和光周辺の自治体は、一つひとつは小さな市や町です。地方に行くと、一つの市の圏域というのが広く、生態系が全部入っていますよね。エコシステムが一つの自治体になっているようなイメージです。しかし、和光はそうではありません。
東京の衛星都市ですから、当然、広域連携をしていかなければ、全てのサービスが完結しないということもあります。特に大切なのが、防災の観点です。例えば、和光には都県境があります。都県境というのは、想像以上に地域の間に横たわる深い溝だといえます。東京都の自治体と埼玉県の自治体、東京都の自治体と千葉県の自治体は付き合いがすごく薄いのです。
市長に就任してすぐに、和光の隣にある板橋区と練馬区と防災協定を結ぶなど、都県域を超えたお付き合いに積極的に取り組んでいます。この防災協定は深いお付き合いをするための第一歩でした。例えば和光市は国道254号線のバイパスの延伸が悲願なのですが、このような幹線道路を延ばすのには、延ばす先の東京都側の合意が必要です。東京都側がOKと言わないと、つなげないのです。結果的にこの延伸計画の推進では板橋の坂本区長さんに本当にご尽力いただきました。また、練馬区とは地下鉄大江戸線の延伸にまつわる街づくりで今後、緊密な協力体制が必要ですが、そのための下地ができてきた状況でもあります。
John
他の市の市長とは、どのようにコミュニケーションを取られているのでしょうか?
松本
隣同士ですと、調整が難しいところもあります。こちらがある程度有機的に、柔軟に動いていく必要がありますね。特に、東京の区部などは規模が大きいですし。
John
例えば、板橋区であれば帝京大学などが区内にありますよね。そして、和光には、理研やホンダがあります。そうなると、市長と区長同士で協力されて、互いの地域にある研究機関や企業を巻き込んで、研究機関や企業同士の交流を図るなど、そういった工夫をされたりしているのですか?
松本
そこまでは少し難しいかもしれません。企業は企業で、それぞれに考えがあると思います。役所も役所で考えがありますし。
ただ、和光にはホンダがありますが、ホンダ絡みの自治体の勉強会というのは数年に1回開催されています。また、埼玉県内のホンダに関係の深い自治体がそろって、ホンダの本社がある青山を訪問するということはしていますよ。
John
市長と企業のトップ、ホンダであったり、理研であったり、あるいは銀行やメディアなど、トップ同士のつながりはあるのでしょうか?
松本
理研は本部が和光にありますので、松本理事長とはもちろん意見交換させていただいています。
John
ご親戚ですか?
松本
よく言われるのですが、違います(笑)。理研とは、非常にさまざまな連携ができています。ホンダは、本社が和光ではないので、実際にお付き合いさせていただいているのは、和光のオフィスのほうとやり取りさせていただいていますね。
5 「和光であれば、東京には近いですが、まだまだそれほど産業も集積していないし、面白い仕事をすれば非常に注目されると思います」(松本)
John
この対談の冒頭で市長からお話しいただいたように、企業を誘致して、市の雇用や税収を生むという方法があります。
従来の企業誘致のような手法ではなく、アクセラレータープログラムで人を育て、会社を起業してもらい、ビジネスに取り組んでもらうという方法については、市長はどう思われますか?
私は「Angel Accelerator(エンジェルアクセラレーター)」というアクセラレータープログラムを和光市で開始して、松本市長にもアンバサダーになっていただきました。あのように、都内で頑張っている学生たちを受講生として迎える。東大、早稲田、慶応など日本のトップ校の学生起業家候補や、大企業からも参加してもらい、オープンイノベーションを進めていくという趣旨で2カ月くらい取り組み、実際に何社か起業しました。
起業した彼らの会社の所在地を和光に登記してもらうなど、この地(和光)で登記して、ここで企業が徐々に生まれてくればいいなと思っています。数はだんだん質になっていくと思っています。こうした塾やアクセラレータープログラムについては、私自身もやりがいを感じていますし、意味があると思っていますが、市長はどのようにお考えですか?
松本
日本社会全体として、いわゆる起業する人というのは、それほど多くないですよね。企業を誘致するというのは手っ取り早いのですが、本来であれば、地域で企業をつくって育てていくというのが筋だと思います。例えば、商工会議所とか商工会などは、まさにそうした役割を担っていますよね。ところが、それでも、なかなか企業が生まれてこないという現実もあるため、そこで企業を誘致するということになります。
本筋としては、ぜひとも和光市内で(起業の)最初から育てていきたい、支援していきたいと思っています。言葉が適切ではないかもしれませんが、養殖みたいなものかもしれません。魚を獲ってくるのではなくて、(市が)漁礁だったりするわけですよね。自然の話ですし、それができるのであれば、そのほうがいいですよね。
John
松本市長、愛りがとうございます! その魚たちを育てる上で、どうすれば都内ではなくて、和光に来てくれるでしょうか?
授業を受け、登記して働いて、チームメンバーもここに引っ張って来て、住むというように。和光が「起業の町」になれば、これは1つの新しい顔になると思うのですが、和光が「起業してもよし、働いてもよし、住んでもよし」という風になると思われますか?
松本
東京では街が既にしっかりとできあがっていて、かなりの数の企業がひしめいていますよね。その中で、結局埋没してしまっている企業もあるわけですが、和光であれば、東京には近いものの、まだまだそれほど産業も集積していないし、面白い仕事をすれば非常に注目されると思います。
ですから、埋没しないという意味でいうと、起業してそこで存在感を発揮しながら、だんだん成長していく、というのがよいのではないでしょうか。非常に期待を集めることができますし、当然いろいろな救いの手というのも出てくると思います。
John
松本市長が16年前に市議会議員選挙に出たときのように、言葉を選ばずに言いますと、「若くて目立っていれば」ということでしょうか?
松本
そうですね。何か、尖ったことをやろうとしていて、東京では埋没することであっても、和光だから注目される、和光だからいろいろなネットワークに入っていけるなど、そうしたメリットがあると思います。
John
和光で、新しいスタートアップのエコシステムをつくっていくということでしょうか?
松本
そうですね。また、(和光には)理研がありますので、その理研を活かすということも視野に入ってくると思います。あとは、交通の利便性です。もちろん、ネットワークの時代なのですが、それでも、地域によっては不便なこともあると思います。そういう意味では、メンターの方がすぐそばにいる、銀行が近隣にあるといったように、和光というのはちょうどよい距離感だと思います。さらに言えば、地方出身の方にとっては、緑がたくさんあるため、和光は落ち着く場所ではないでしょうか。違う種類の優位性があると認めていただけるようにしたいと思っています。
John
これまで他のメディアの記事でも、りそコラでも和光で開催した「エンジェルアクセラレーター」について書かせていただきました。今回の対談でも、全国の人に「和光でこういう起業支援の取り組みが始まった」ということをお伝えしたいと思っています。
松本市長から見て、実際にスタートアップが和光でオフィスを構えるとしたら、どのエリアがお勧めですか? 若者は駅が近いほうがいいということや、住む場所をどのようにして見つけたらいいかなど、オフィスの見つけ方について、市長のアドバイスがありましたら、ぜひ教えてください!
松本
さまざまな考え方があると思います。「和光ならでは」なのは、割と拠点性の高い駅から徒歩圏で、自宅兼事務所を構えることができるという点です。まず、自宅費用だけでオフィスを構えるという場合は、非常に向いていると思います。
John
1カ月の家賃の相場はどれくらいですか? 若者が5人から10人で住むとなると。
松本
なるほど、それは面白いですね! シェアハウス的なイメージですよね。
John
そうです! 空き家はあるのでしょうか?
松本
あまりないですね。不動産の人気がかなりあるものですから。
John
なるほど。そうすると家賃も結構高いのですね……。しかし、都心と比べたら安いですよね。
松本
そうですね。
John
一軒家に住むことができる可能性もあるでしょうか?
松本
もし、一軒家を借りることができれば面白いと思いますね、十数万円くらいはすると思いますが。しかし、都内のマンションを借りると思えば、そのくらいの金額で、一軒家を借りられるなら、面白いと思います。
John
いいですね! この点をもっと具体的に調べたら、宣伝になるかもしれないですね。
これからスタートアップを育てていく際、実際に彼らに期待することや、市長自身がエンジェラアクセラレーターのアンバサダーとしてどういったサポートをしていただけるのか教えていただけますか? 「エンジェルアクセラレーター」でも、場所を貸していただいたり、実際に来て応援していただいたり、市長には非常に感謝しています。
松本
いえいえ、こちらこそ。講座はこれからもできるような形で、私たちとしても場所を提供したいと思いますし、将来的な構想としてはシェアオフィスを実現したいということで、いろいろと考えてはいます。スタートアップ向けのシェアオフィス的なものが一番実現したいところですね。そこに例えばアシストの機能がついているといいかもしれません。
John
私たちがやっているようなアクセラレータープログラムなどがあってもよいですね。
松本
そうですね。
John
そこでファンディングまで支援できたらいいですね!
松本
一番いいですよね。あるいはエンジェル投資家をやりたい人が集うというようなこともできたらいいと思います。
John
松本市長としては、今後、どのような和光、どのような日本、どのような世界、どのような未来になっていくのがよいと思われますか?
松本
私は和光の市長なので、和光の話が中心になりますが、今はネットワークを通じて世界とつながっていて、世界を相手に仕事ができるじゃないですか。
東京都やその近隣に住むことは若者にとっては、とても魅力のあることだと思うのですが、ただ都心に住むにはストレスもあるし、家賃も高いなど、さまざまな問題があるとも思います。
ですから、和光くらいまで来ていただけると、例えば家庭菜園もできるような環境で、自宅で起業し、世界とつながってビジネスをしながら、時間があるときはネギでもつくって、それを食べる。このように「プチ田舎暮らし」と起業と東京のカルチャーが全部味わえる。そう考えると、これほど幸せなことはないと思います。
和光の立地は本当に素晴らしくて、朝採れた野菜をすぐに買って食べられるのです。そういう楽しみもあります。一方で、例えば渋谷でコンサートに行き、その後一杯飲んでも電車で帰って来られる距離なんですよね。
John
それはいいですね! 渋谷から電車で何分ですか?
松本
渋谷から一番速い電車で約25分です。
John
すぐですね!
松本
池袋からですと約13分で着く電車がありますよ。地方にまで行ってしまうと、渋谷でのコンサートに行けないですし。
今、和光の不動産に投資する地方の資産家の方が急激に増えています。この背景には、地方の拠点都市に投資するのと大差ないくらいの金額で、将来性の高い街に投資できるという魅力があるからだそうです。
John
市長には、私たちのエンジェルアクセラレーターの生徒たちとお食事も何度か行っていただいたりしています。地元の素晴らしいお店をよく知っていらっしゃいますよね。
松本
ちょっとコアなお店などですね。
John
松本市長は、市のトップでありつつも、学生たちと一緒にお店に行き、ご飯を食べ、同じ目線でお話されます。こうしたことは、市長になった最初のころからそうなのでしょうか?
松本
和光は人口が約8万3000人のすごく小さな街ですよね。これが横浜市のような大きな都市になると、街の全部の店を知ることは不可能だと思います。でも、私はこうした小さな街の市長なので、基本的に和光にあるいろいろな面白い要素は全部知っているべきだと思っています。その中で、逆にいうと「和光に住んでよかった」と思えるようなものを、皆さんと共有することができると楽しいなと思っていて、その努力を、SNSなどを通じてやっています。
6 「開かれた思考で経営する」(松本)
John
松本市長の中では、国会議員になりたいですとか、違う大きな市のトップになりたい、国のトップになりたいといったお考えはあるのでしょうか? 市長が和光にこだわり続ける理由があれば教えてください。
松本
和光の街の可能性を最大限に伸ばすことができたらなというのが、私の人生そのものです。もちろん、和光市長を永久に務めるわけにはいかないですが、常に、和光市長という仕事が終わっても、この街が成長していくための力になれたらと思っています。
John
素晴らしいですね! 最後に、松本市長にとっての世の中をよくするイノベーションの哲学。一言でまとめていただくとすると、どのようなことでしょうか?
松本
なかなか難しいですよね。基本的によくこだわっている言葉で言うと、「アカウンタビリティー」ですね。要するに説明責任だったり、会計責任だったりを指す言葉です。どういうことかというと、説明責任のある開かれたプロセスで、いろいろなことをみんなでつくって、開かれたプロセスでみんなが良くなっていくのがいいことだと思っています。
私は、世の中には、閉じた思考で街を経営する経営者と、開かれた思考で経営する経営者がいると思っています。閉じて仲間うちだけで、物事を決めたりするのは、「成長」という視点で考えるとよくないと思っています。むしろ、オープンなプロセスを見せる、オープンな意思決定をすることによって、「それだったら」ということで、いろいろな人が飛び込んできてくれる街になると思っています。
John
流行りに乗るわけではないですが、「オープンイノベーション」というものは、市長が今まさにおっしゃったことだと思います。
オープンなマインドを持ってオープンな行動に出て、みんなとビジョンを共有して、この街を盛り上げる。そういうことですよね。
松本
今伸びている街は、みんな、開かれた思考で経営していると思います。埼玉県でいうと、さいたま市。千葉県では千葉市が開かれた経営を行っていて、流山市や柏市もそうだと思います。
John
企業の伸びと街の伸びは一緒ですか? その自治体に良い企業がたくさんあれば、市の財政は良くなるのでしょうか?
松本
私は、街を伸ばすときの哲学として、「人口などを急に伸ばさない」ということを考えています。急激な成長は、企業にとっては必要だと思います。突き抜けるときに突き抜けなければ、次のステージに行けないのが企業ですから。
しかし、街はそうではありません。急激に伸びると必ずその副作用があり、必ずそれを借金みたいに返さなきゃならなくなります。企業はそうではないですよね。副作用の部分、経済学では外部不経済といいますが、この外部不経済を切り捨てられる。また、企業はまさしく従業員と株主とお客さまを相手にしていますが、自治体は地域全てを相手にしています。
私、人口はそれほど増やさなくていいという話をしています。和光の場合、勝手に伸びますので。街づくりも同じなのですが、しっかりとやるべきことをやって、地道に伸ばしていこう。それによって副作用も抑えられるし、それでいいだろうと考えています。
John
どのような人が増えてほしい、どのような人を育てていきたいなどお考えはありますか?
松本
これは明確にあります。自分事として仕事をする人。やらされている人ではなくて、自分に使命感を持って、仕事を楽しめるような市民が増えると、とても活性化するだろうと思っています。全てが自分事の人たちが集まればいいと思います。
John
そうですね。自分の街ですからね。
松本
そうです、そうです! 誰かにやらされている人ばかりが集まるのは困りますよね。それは仕事もそうですし、地域活動もそうだと思います。全てが自分事で、全てが楽しめるってことですよね。
7 「仕事を通じて人生を豊かにしたい人に来てほしい」(松本)
John
先ほど、最後の質問と言いつつ、もっとお話しをお伺いしたくなってしまいました! 市長は、チームをまとめるとき、例えば部下や市役所の職員の方に対して、どのような接し方やマネジメントをされているのでしょうか?
松本
まず、ミッション、ビジョン、バリューは明確にしたほうがいいと思っています。実は市役所のトイレに貼ってあります。それも、こちら側が決めたものではなく、ミッション、ビジョン、バリューを考えるプロセスにみんなを巻き込んでいます。もちろん全員でとなると難しいのですが、意見を求めるなどして、みんなでつくったということで、みんなのミッション、ビジョン、バリューであるということです。
John
ミッション、ビジョン、バリューを、どのように浸透させるのですか?
松本
確かに難しいことですね。最近、私も腹をくくって昇任試験の際に聞いたりするようにしていますが。ある程度、強制的に。そうしなければ覚えない人もいますので。それでは自分事になりません。
John
やはり、自分事にするためにはみんなで決めるということでしょうか?
松本
そうですね。あとはやはり経営者は、「いばって」いるのは良くないと思います。1人の人間として対等に接しなければなりません。言葉に気を付けたり、相手の立場を考えたり、そういうことを忘れてはいけないと思います。
John
例えば、言うこと聞かないような人には、どのように対応・対処されるのですか?
松本
人事ですね。頑張った人は、頑張った人なりの職にということです。市の場合はあまりお金の差をつけることはできませんので、昇任や配転など、そうしたところで「ちゃんとあなたが頑張っているのを見ていますよ」ということを明確に伝えることが大切です。
John
市で求めているのは、どのような人材ですか? 民間の方が良いのでしょうか?
松本
民間の人も採用しています。仕事を、「単にやらされること」として捉える人ではなくて、仕事を通じて人生を豊かにしたい人に来てほしいですね。
John
よく分かります! 松本市長が目指される市長像を教えてください。どのような市長になりたいですとか、こういう方がいたから日本のさまざまな市が盛り上がったなど、そういうお話はありますか?
松本
神戸に昔、宮崎市長という方がいました。神戸の山をごそっと海に持ってきて埋めて、ポートアイランドをつくった方です。市街地の狭い神戸で街を発展させるにはどうしたらいいかを、時代の流れの中で捉えて、街を発展させた方だと思います。市長は、ときに、嫌な決断もしなければなりません。嫌な決断も含めてしっかりと決断して、近未来だけではなく、将来的に中長期的に街が良くなるような決断ができる人が大事だと思います。
John
本当にそうですね。財政危機のときにはどのように乗り越えたのでしょうか? みんなの意識が下がったときに盛り上げる方法などはありますか?
松本
財政危機のときはもう、思い切って大鉈を振るうというのが1つですよね。そのときの大鉈の振るい方が、一律に振るのではなくて、メリハリをつけることが大切だと思います。
John
ありがとうございます。
そしてお聞きしたかったのが、SNSの活用方法です。市長は相当多忙な中でも1日何度も投稿されていますよね。
松本
5、6回は投稿していると思います。
John
投稿を多くの人に見てもらうために気を付けていることなどはありますか?
松本
仕事の話ばかりでは飽きますよね。仕事の話は同じ内容になりがちですし。やはり相手を飽きさせない努力が必要だと思います。特に、政治家の場合、統一地方選前になると、その話ばかり書きがちです。そうすると、タイムラインが全部政治の話になってしまって、見たくなくなるじゃないですか。
そうではなく、統一地方選のことを書きたくても我慢して書かない。そうでないと相手が嫌になってしまう。相手が見て飽きない、相手が見て不愉快に思わない、だけど言わなきゃならないことは言うという点を心掛けています。
John
市長のSNSの場合、市のことをポジティブに評価した書き込みをする人がほとんどだと思います。ただ、中には、ちょっとネガティブな内容を書く人もいます。そういう人に対しても、市長は切り替えしの返信がとても上手ですよね。
松本
とても攻撃的な相手に対して正面から反論しても、相手を説得できる確率はゼロだと思います。そこで、やり方としては、1.誰もがクスッとするような面白いことを言う、2.とりあえず流しながら真意を探る、3.もっともっと深いことを言う。この3つのどれかで対応すればよいと思っています。相手が殴りかかってきたときに殴り返していたのでは、相手を説得することはできません。しかし、面白いこと言われると、相手も思わず笑ってしまったりしますよね。
John
なるほど~。市長はどのように心の余裕を保っているのですか?
松本
そこはすごくストレスを感じますよ、私も。「うわ、きついこと言われてるな」と思うこともあります。そのときには、一息つきます。腹が立った状態で書いてもリターンキーは押さない。一回削除して、落ち着こう、と思います。
John
それでは、市長は人と口論にはならないのですか?
松本
口論するときありますよ。するのはしてもいいときです。人と人で、対面でしたら、口論してもいいじゃないですか。でもSNSでは口論はしてはいけないと思っています。
John
なるほど、そのようにお考えなのですね。また、単に「ありがとう」と書くだけではなく、どのように上手く、ありがとうという感謝の気持ちを市民の人にSNSで伝えたりしているのですか?
松本
ありがとうございます、だけではつまらない場合、例えば相手がダンスサークルの方でしたら、「ところで昨日は踊らなかったんですか?」など相手の背景を踏まえたメッセージの伝え方を心掛けています。
John
そうなのですね! 松本市長、愛りがとうございます! とても勉強になりますね。
松本市長、素晴らしいお話でした!
どんどんお話をお伺いしたくなって、たくさんお聞きしてしまいました! とても大切なことを、たくさんお教えいただきました。愛りがとうございます。
これからも、素晴らしい街、和光を、みんなで一緒に盛り上げていけたらと思います! 今日はお忙しいところ、本当に愛りがとうございます!
以上
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