書いてあること
- 主な読者:物価高騰で苦戦し、自社も値上げをしようと決意している経営者
- 課題:交渉ではさまざまな数字が飛び交うし、相手からふっかけられると弱気になる
- 解決策:ふっかけられた数字は相手にせず、余裕があれば逆手に取る。双方の「留保価値」を意識し、その範囲で冷静に交渉することが大切
1 ふっかけられても冷静でいるには?
前回の「誰と、いくらの値上げ交渉をするか?」では、交渉のタイプや管理会計(損益分岐点)に触れながら、大切なポイントとして、
- 最も大切なのは「交渉しない相手」を決めること
- 交渉する金額は相手に応じて決めること(交渉の論点は「お金」だけではない)
を確認しました。これによって交渉に対する心構えがだいぶ固まったと思います。さらに交渉に対するイメージをクリアにするために、「交渉の構造」を知りましょう。
交渉では、皆さんも相手も最初に「ふっかける」ことが多いです。例えば、
- 自社:100万円の値上げで十分なのに、150万円の値上げを提示する
- 相手:50万円なら値上げを受け入れられるのに、一切値上げには応じないと突っぱねる
という感じです。相手の機先を制し、有利に交渉を進めるためのテクニックですが、それを分かっていても、いざ交渉の場に立つと精神的に追い込まれることがあります。ここでおじけづくと、相手がふっかけてきた金額を基準に交渉が進むので、それは避けなければなりません。もちろん、最初から双方の落としどころが分かっていれば、100万~50万円を交渉余地とできますが、なかなかそうならないのは第1回「オレンジの交渉」で学んだ通りです。
そこで皆さんは、
交渉の構造を正しく理解し、飛び交う数字に惑わされず、基準を守って冷静に交渉する
ようにしなければなりません。早速、交渉の構造を確認していきましょう。
2 交渉の構造を知る
1)初手は「アンカー(アンカリング)」
多くの場合、アンカーは交渉初期に相手に示す水準です。その後の交渉を有利に進めるために、本来の要求よりも高い(低い)水準を示します。この図では、オレンジ色が自社、紫色が相手となっています(以降、同様)。右側のオレンジ色のアンカーは150万円、左側の紫色のアンカーは0円で、それぞれがふっかけている状態です。
アンカーは経験などに基づいて設定されることが多く、双方が相手をどう見ているのかも教えてくれます。下手をすれば(ふっかけすぎれば)、その場で交渉決裂もあり得るわけですから、交渉依存度が高い場合は、アンカーも慎重になるのが通常です。
2)本音は「留保価値」
相手のアンカーに惑わされないためにも重要なのが留保価値です。留保価値とは、それを下回ったら交渉を打ち切る基準であり、いうなれば「本音」です。言葉を変えると、
アンカーとして150万円を示したが、実際は100万円の値上げを達成したい
という状況を表しています。
相手のアンカーに付き合う必要はありません。また、相手の留保価値が分かれば交渉を有利に進められるので、アンカーを逆手に取って相手の留保価値を探ってみましょう。具体的には、
値上げの余地が全くないというのは厳しいです。それは御社の最終決定ですか?
などと言って、相手に揺さぶりをかけてみましょう。相手に交渉決裂の覚悟がなければ、何らかの情報を与えてくれることが多いです。
なお、いくら相手の本音が知りたいからといって、こちらのほうから、
150万円の値上げを提示していますが、実は100万円でもよいのです。そちらはどうですか。本当に値上げを一切受け入れられませんか?
などと歩み寄るのは早計です。詳しくは次回に紹介しますが、交渉のスタイルにはハード型とソフト型があって、相手がハード型の場合、
こちらの歩み寄りなどお構いなしに力押ししてくる
からです。
3)双方の留保価値の間が「ZOPA(ゾーパ)」
明確ではないにしても、相手の留保価値を探りながら交渉をしていきます。そして、こうして分かってくる双方の留保価値の間を「ZOPA(ゾーパ。Zone Of Possible Agreementの略)」と呼びます。この例では、100万~50万円の間がZOPAとなります。
ただ、ZOPAが分かったとしても、
- 自社:100万円の値上げでないと困る!
- 相手:50万円までしか受け入れられない!
と主張するだけでは、一向に前に進みません。そこで、他の論点も交えるなどしながら交渉していきます。他の論点とは、
- 取引規模:取引規模を拡大、あるいは縮小する
- 取引期間:契約期間をこちらが有利に設定する、あるいは契約継続の条件を提示する
- 納期:納期を延ばす
- 品質:品質を落とす
- プロモーション:取引拡大のため、共同でプロモーションをする
といったものです。多様な論点を探るには緻密な情報収集が必要ですが、その過程は後述するBATNA(バトナ)の検討にもつながります。
4)交渉決裂時の最も優れた代替案「BATNA(バトナ)」
「BATNA(バトナ。Best Alternative To Negotiated Agreementの略)」とは、交渉決裂時の最も優れた代替案のことです。実際は留保価値とBATNAが同じであるケースが多く、その場合、留保価値が唯一の防衛線となります。しかし、これではこちらの交渉依存度が高くなり、「どうしても成立させなければならない」と心理的に追い込まれてしまいます。
ですから、事前にBATNAを見つけることが理想です。分かりやすいBATNAは、
A社で値上げ交渉に失敗しても、B社で値上げ交渉ができる
といったものになるわけですが、改めて確認したいのは、
BATNAは【交渉が決裂した場合】に発動するもの
ということです。ですから、BATNAを意識する際は、こちらにも相当の覚悟が必要であることを忘れないでください。
いずれにしても、BATNAを見つけるには、緻密な情報収集が必要です。そのためには、同業他社などとも良い関係を築いておきましょう。最近は人材の流動化が進んでいますが、名刺管理のアプリケーションなどに登録しておけば、転職先なども分かります。
3 同じ景色でも見え方が違う
いかがでしょうか。今回の記事で交渉の構造が明らかになったと思います。この構造を意識しながら交渉を進めるわけですが、もし相手にも同じだけの知識があれば、自然とプラスサム型の交渉ができそうなものです。
しかし、実際はなかなかそうなりません。その理由は、
自分と相手とでは前提としている常識が違う
からです。同じ景色を見ていても見え方が違い、さらに交渉のスタイルも違うので、なかなかかみ合わないということです。次回はこの辺りに注目し、
ハード型とソフト型の交渉スタイルの違い
を紹介していきます。第1回「交渉の本質を知り、交渉に対する恐れをなくす」で説明したオレンジの交渉での姉妹が、ハード型とソフト型だった場合、どのような結末になるのかも紹介しますので、お楽しみにしてください。
以上(2022年12月)
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画像:Wasan-Adobe Stock