書いてあること
- 主な読者:物価高騰で苦戦し、自社も値上げをしようと決意している経営者
- 課題:いよいよ交渉に臨むが、最終的に何を確認しておけばよいか分からない
- 解決策:交渉前に交渉の目的などを再確認する。相手の業界動向の分析内容も復習する。交渉中はバイアスの排除を意識する
1 準備に勝るものはない
前回の「強引な交渉相手と当たってしまったらどうする?」では、交渉のスタイルにはハード型とソフト型があることに触れながら、大切なポイントとして、
- ハード型の相手に、譲歩が前提のソフト型で交渉してはいけないこと
- 相手の交渉依存度が低く、しかもハード型なら、交渉は避けたほうがよいこと
- とはいえハード型は相手に嫌われてしまい、以後のビジネスに悪影響があること
- ソフト型で交渉を進めるには、日ごろのコミュニケーションも大事なこと
を確認しました。これが分かっていれば、交渉で理不尽と思えるほど強引な相手と遭遇しても、それは相手のスタイルだと見抜けるのですが、それでも交渉中に冷静であり続けることは難しく、腹を立てたり、恐れたりしてしまいます。この問題は自身の性格(カッとなりやすい性格、ビビりな性格など)とも関係するため、完全に解決できません。できることは、
入念な準備
をして、交渉中の自身の客観性を増すことです。準備をすれば交渉に対する自信も出てくるので、その場を俯瞰(ふかん)しやすくもなります。
では、どのような準備をすればよいのでしょうか。具体的な項目を確認していきましょう。
2 自社に関する交渉前のチェック項目
交渉に対する自社の方針、姿勢として、以下が明確になっているかをチェックしてみましょう。不明確なものがあれば、改めて検討します。
- 交渉の目的は明確か
- 交渉の方針は経営戦略に合致しているか
- 交渉関係者は整理されているか
- 交渉の論点は整理されているか
- 自社の交渉依存度は高いか、低いか
- BATNA(代替案)と留保価値は設定されているか
- BATNAと留保価値は、交渉依存度とバランスが取れているか
- 交渉する自分(たち)の権限はどこまでか
- 相手と合意に至るための複数の選択肢を、交渉シーンに応じて柔軟に考えているか
- 自社の案で合意できた場合、それを実行する際の難所は何か
3 相手に関する交渉前のチェック項目
同様に交渉に対する相手の方針、姿勢の「想定」をチェックしてください。これらの中で想定していないものがあれば、改めて分析してみてください。
- 相手の業界動向などを分析しているか
- 相手が重視している行動規範はどのようなものか。それは自社と相性が良いか
- 交渉する相手の属性を調べたか(職種、出身校、実績など)
- 相手の交渉関係者は整理されているか
- 相手の交渉依存度は高そうか、低そうか
- 相手のBATNAと留保価値は想定しているか
- 相手の姿勢は強気か、弱気か
- 相手の感情はどのような状態か(高揚、怒り、恐れなど)
- 交渉する相手の権限はどこまでか
- 相手の案で合意することになった場合、それを実行する際の難所は何か
4 業界動向の分析で使えるフレームワーク
1)フレームワークの関係性
相手の業界動向を分析する際は、フレームワークを使うと便利です。相手の業界動向の分析は値上げ交渉に行うものですが、交渉の直前に復習することをお勧めします。
いろいろなパターンがありますが、フレームワークの関係性をまとめたイメージは次の通りです。
この他、相手先の経営者や交渉の担当者のSNSをチェックしておくと、相手が大事にしている行動規範が想像できたり、共通の知り合いが見つかったりすることがあります。共通の知り合いがいたら、相手の状況をやんわり探ってみることもできます。
2)フレームワークの解説
上の図にあるフレームワークの解説は次の通りです。
・PEST
「Politics(政治)」「Economics(経済)」「Society(社会)」「Technology(技術)」の視点から、事業環境を分析するフレームワークです。ここでご紹介する中では最も視野が広いフレームワークです。政策や景気動向も分析するため、足元だけではなく、将来についても想定することになります。
・5Forces(5つの力)
「売り手の交渉力」「買い手の交渉力」「新規参入の脅威」「代替サービスの脅威」「業界内の競争状態」の視点から、その業界の競争状態の激しさを分析するフレームワークです。結果は「大・中・小」で示したりします。売り手の交渉力が強いときは「大」といった感じです。
なお、ここでは「外注先」を含めて6つの力としています。相手と自社のBATNAを考える際、他の外注先を常に意識することは大切です。
・3C
「Customer(顧客)」「Competitor(競合)」「Company(自社)」の視点から、経営資源や戦略、ニーズなどを分析するフレームワークです。分析は「顧客→競合→自社」の順番で行うことで、自分本位な結果を導かないようにします。相手の立場で検討する場合、自社を、相手にとっての顧客などとして想定します。
・Value Chain(バリューチェーン)
事業活動を「主活動(購買や製造、販売、アフターサービスなど)」と「支援活動(人事や労務など)」に分けて、生み出されている付加価値を分析するフレームワークです。相手の付加価値に大きな影響を及ぼす提案は受け入れてもらいにくいので、この辺りも意識しながら交渉の内容を検討しましょう。
・PPM
「花形(スター)」「金のなる木」「問題児」「負け犬」の視点から、市場の成長性や占有率を分析するフレームワークです。金のなる木で得た収益を問題児に投資して、花形に導くというのが1つの考え方です。
・SWOT
「Opportunities(機会)」「Threats(脅威)」「Strengths(強み)」「Weaknesses(弱み)」の視点から、外部、内部の環境を分析するフレームワークです。これまでの分析を、
- 外部(Opportunities、Threats):PEST、5Forces、3C
- 内部(Strengths、Weaknesses):Value Chain、3C、PPM
といったように組み込むこともできます。
5 交渉環境を整える
「いつ、どこで交渉するのか」という、交渉環境を整えることも重要です。サッカーでホームとアウェーがあるように、値上げ交渉も相手のオフィスより自社のほうがリラックスできます。今どきは、オンラインで交渉することもあるでしょうが、オンラインだと「相手の圧力」を感じずに済むので、交渉に慣れていない人は、オンラインを申し入れるのも悪くありません。
また、一般的ではありませんが、
相手が嫌がらせをしてきたり、高圧的な態度(ハード型というよりも脅し)を取ってきたりすること
もあるので注意しましょう。
この他、相手が難しい専門用語を使ってまくしたててくることが想定されるなら、専門的な知識を持った第三者に同席してもらうのもよいです。
6 バイアスを排除する
交渉中はバイアスの排除を心掛けましょう。バイアスとは先入観や偏りのことで、私たちは無意識のうちにたくさんのバイアスの影響を受けています。例えば、
- 相手が高学歴だったら、「論理的に違いない」と感じる
- 相手が体の大きなこわもてだったら、「交渉も強そう」と感じる
といったことです。そして、相手がたまたま理路整然と話をしてきたら、「やはり、この人は頭が良い!」などと思ってしまいます。
「グロービスMBAで教えている交渉術の基本」(*)などを参考にすると、交渉中に気を付けたいバイアスには次のようなものがあります。
- 確証バイアス:自分の考えと同じ意見やデータだけを熱心に支持する
- 反射的な拒絶:客観的な検証などはなく、とにかく反射的に相手の提案を低くみる
- 役職への固執:その場で一番偉いのは自分なので、自分の意見が正しい
- 立場固定:交渉の局面が変化して合理性を失った主張でも、それを変えない
- 勝利への固執:勝つことに固執して相手を否定し、ゼロサムゲームを展開する
- 嫉妬・妬み・憧れ:自分より優れた人を避ける、あるいは無条件に近い状態で従う
- 印象管理:意見や態度の一貫性を取り繕うために、非合理的な判断をする
- サンクコスト:既に発生したコストを、将来の判断をする際に考慮する
- グループシンク:集団浅慮。「合意しなければ」と強迫観念に支配される
値上げ交渉の目的は「値上げ」ですが、バイアスにとらわれると、
- 相手を恐れてしまい、主張できない
- 相手を「すごい」と思い、相手の主張を必要以上に受け入れてしまう
- 相手を「嫌い」と思い、相手の主張が合理的でも一切受け入れたくなくなる
といった状況に陥りかねません。そこで、次のことを心得てバイアスを排除しましょう。
- 相手と自分とでは行動規範が異なる。そもそも重要視する価値観や使う言葉さえ違うのだから、こちらの言葉が届きにくいのは当然
- 人と問題を切り離す。値上げを受け入れないのは目の前の相手ではなく、相手の企業の方針である
- 交渉の目的を再確認。必ず合意しなければならない交渉なのか、決裂してもよいのか
自分が「冷静さを失ってきたかも」と感じたら、トイレ休憩などを申し出て、席を立つとよいでしょう。ただし、相手の目の前でため息などはつかないようにします。「こちらが冷静になろうとしている」ことを見透かされ、逆手に取られてしまうことがあるからです。
7 交渉を有利に進めるためのテクニック
いかがでしょうか。今回の記事で交渉前にチェックしておくべき項目と、交渉中に、バイアスにとらわれないようにするための心構えがお分かりいただけたと思います。
最終回となる次回は、交渉を有利に進めるために知っておきたいテクニックをご紹介します。昔の刑事ドラマでは、犯人を怒鳴り散らす刑事と、カツ丼を出してくれる刑事がコンビで取り調べをするシーンをよく見かけましたが、実は、これも交渉のテクニックの1つです。詳しくは、次回の記事でご確認ください。
以上(2023年2月)
(*)「グロービスMBAで教えている交渉術の基本」(グロービス(著)、ダイヤモンド社、2016年6月)
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画像:Mariko Mitsuda