松田公太(タリーズコーヒージャパン株式会社創業者)/経営のヒントとなる言葉

「情熱は誰でも平等に持つことができる」(*)

出所:「すべては一杯のコーヒーから」(新潮社)

冒頭の言葉は、

  • 「資産や才能に関係なく、情熱は誰でも同じ条件で持つことができる。たとえ人と比べて恵まれない状況にあっても、『必ず物事を成し遂げる』という強い情熱を持ち続ければ、必ずやそれを成就することができる」

ということを表しています。

父親の転勤にともない、幼い頃よりアフリカや米国などの海外で生活していた松田氏は、さまざまな国の文化に触れるうちに、「食を通じて文化の懸け橋になりたい」という思いを強く抱くようになっていました。

大学卒業後、松田氏は銀行で働いていましたが、あるとき訪れた米国のボストンで偶然スペシャルティコーヒーに出合い、大きな感銘を受けました。そして、帰国後もスペシャルティコーヒーの魅力を忘れることができず、再び渡米してスペシャルティコーヒー発祥の地であるシアトルを訪れ、街中を歩き回りさまざまなコーヒーを飲み比べました。その結果、味・香りともに最高のコーヒーと出合います。それが、小さなコーヒーショップ、タリーズのコーヒーでした。

松田氏は「タリーズコーヒーを日本に広めたい」という情熱に突き動かされ、日本の喫茶店市場について、また自身が描くビジネスプランについての詳細なリポートを作成し、米国タリーズの社長宛に毎週E-メールを送り続けました。そして、数カ月後、社長がたまたま出張で来日していることを知ると、即座にアポイントメントを取り付けて宿泊先のホテルを訪問しました。当時、タリーズコーヒーは日本進出を計画し、いくつかの企業にパートナーとしての提携を打診していました。これに対し、松田氏は、いかに自分がタリーズコーヒーを愛しているかを説き、自身が考えたタリーズコーヒーを展開する際のビジョンを情熱的に伝えました。こうした情熱が社長の心を打ち、松田氏は日本におけるタリーズコーヒー出店の権利を獲得することができました。

開業に際しては、出店する物件の確保や開業資金の調達、コーヒーや食器の輸入に関する障壁など、多くの困難がありましたが、これらの困難の一つひとつに対し、松田氏は粘り強く対処していきました。そして、1997年、ついにタリーズコーヒーの第1号店が東京・銀座にオープンしました。

しかし、困難はそれだけではありませんでした。当時の日本ではタリーズコーヒーの知名度は低く、オープン後しばらくは赤字が続きました。こうした中、松田氏は、早朝の開店から深夜の閉店まで寝る間を惜しんで働き、連日店に泊り込む生活を送りました。そして、周辺の企業に手書きのビラを配って回ったり、来店した顧客一人ひとりにタリーズコーヒーの説明をしたりと、懸命の努力を重ねました。こうしたことから、やがてタリーズコーヒーの魅力は次第に人々の間に浸透し、第1号店のオープンから9年後の2006年には店舗数300号店を超えるまでに成長することとなりました。

松田氏は、ビジネスについて、銀行時代の営業を例にとって次のように語っています。

「あらゆる仕事についていえることだが、最も大切なのは『情熱』だ。外交の仕事でいえば、相手の企業にとことん思い入れ、大好きになって、それで初めて心を開いてもらえる。そんな気持ちは、自然と相手にも伝わるものだ」(*)

タリーズコーヒーの開店を目指していた当時の松田氏は、巨額の資金や大手スポンサーとの有力な関係を持たない、いわゆる「カネもコネもない」普通の銀行員にすぎませんでした。松田氏が持っていたのはただ一つ、「タリーズコーヒーを日本に広めたい」という情熱のみでした。この情熱が、タリーズコーヒーとの契約につながり、そしてその後のタリーズコーヒーを日本におけるスペシャルティコーヒーの代表的な存在の一つにまで育て上げたのです。

環境や個人の資質など、人間にはさまざまな条件があります。資金や人脈、才能に恵まれた人もいれば、そうでない人もいます。しかし、何かを成し遂げようという「情熱」は、誰でも平等に持つことができます。成功をつかみとる上で、情熱は決して欠くことのできない大切なエネルギーとなるのです。

【本文脚注】

本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載している内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしており、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴についても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではありません。

【経歴】

まつだこうた(1968~)。宮城県生まれ。筑波大学卒。1990年、三和銀行(現株式会社三菱東京UFJ銀行)入行。1998年、タリーズコーヒージャパン株式会社設立(第1号店オープンは1997年)、代表取締役就任(2007年に退任)。

【参考文献】

(*)「すべては一杯のコーヒーから」(松田公太、新潮社、2005年4月)

「仕事は5年でやめなさい」(松田公太、サンマーク出版、2008年6月)

以上(2012年4月作成)

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2012年3月時点のものであり、将来変更される可能性があります。