おはようございます。今朝は、「考え事の賞味期限を決める」ことについてお話しします。
食べ物には賞味期限や消費期限、建築物には耐用年数といった期限があります。この期限を守らないと、食べ物をおいしく食べることも、建築物を安全に利用することもできません。私たちにも、健康寿命と命の寿命があって、その期間にできることは限られています。
こう考えると、私たちの活動には、「寿命のある者(私たち)が、寿命が尽きる前に、何かを食べたり利用したりして、やはり寿命のある何かを生み出す」という側面がありますね。
そして、何を食べるか、何を利用するかを「決める」のにも時間の制約があります。例えば、ランチにラーメンとカレーのどちらにするか、長い時間迷っていたら昼休みが終わってしまいます。これは極端な例ですが、日々の生活はこうした決め事の連続ですから、早く決めれば、それだけやれることも増えるわけです。とはいえ、全てを自分だけで決められるわけではありません。特にビジネスはそうで、こちらと相手の息が合わないと、できることもできなくなってしまいます。
一つ、興味深い言葉を紹介します。それは「不期明日(みょうにちをきせず)」という禅の言葉です。千利休(せんのりきゅう)の孫である宗旦(そうたん)が、自身の隠居所となる茶室を建て、そこに禅の師匠である清巌(せいがん)を招きました。ところが、約束の時間に清巌は訪れません。
仕方がないので、宗旦は「また明日、お越しください」という伝言を弟子に託し、自らは別の用事で出掛けました。宗旦が戻ったとき、茶室には清巌が書いた「懈怠比丘不期明日(けたいのびくみょうにちをきせず )」という言葉が残されていました。「怠け者の私(清巌)は、明日来てほしいと言われても、行けるかどうか分かりません」という意味です。この言葉を見た宗旦は、茶室に「今日庵(こんにちあん)」という名前を付けたそうです。
この教えは、「明日はどうなるか分からないので、先延ばしにせず、やるべきことは今日やることが大事」というものです。これはその通りですが、時間通りに来なかったのは清巌であり、「宗旦がずっと待ち続けるべきだったのか?」という疑問が残ります。
この点について、私は「考えることも、行動することも、自分のスピード感に相手を巻き込むことが大切」と考えています。先の例で言えば、清巌が「時間通りに必ず行こう。とても楽しそうだ!」「いつもお世話になっているから、遅れることはできない」と思っていたら、違う結末になっていたはずです。
「賞味期限」とは、単に時間の長さだけではなく、物事に対する関係者の熱量であると考えることができます。そして、その賞味期限は、関係者間で共有できるようにしておかないと、物事は前に進まないのです。
以上(2024年5月作成)
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画像:Mariko Mitsuda