大臣権を争ふは、国家の利にあらず
榊原康政は、幼少の頃から徳川家康に仕えた戦国武将で、江戸幕府260年の礎を築いた人物の一人です。数々の戦場で活躍し、「徳川四天王」にも数えられただけでなく、行政面でも手腕を発揮し、江戸幕府の老中として2代将軍徳川秀忠の補佐役にもなりました。
康政の生き方は、戦場で掲げる旗印に選んだ「無」の一文字が象徴しているといえます。康政は、徳川家や国のためであれば、自ら正しいと思ったことは、たとえ自分が犠牲になるかもしれないことであっても、躊躇(ちゅうちょ)せずに実行し続ける硬骨漢でした。
例えば、家康の長男である松平信康に対しては、粗暴な言動があるたびにこれをいさめました。あるとき、諫言(かんげん)に激怒した信康が康政を弓で射る構えを見せましたが、康政は「あなたのためなのです」と平然としており、信康のほうが折れざるを得なくなったそうです。また、三男の秀忠が関ヶ原の戦いに遅参した際は、怒りで秀忠に会おうとしない家康に対し、自らの監督責任を謝罪した上で、涙を流しながら秀忠に会うよう諫言しました。この行為は、徳川四天王の井伊直政からも、国家のためだけでなく、天下(世の中)のためにもなったと高く評価されました。
秀忠政権となり、幕府が安定したと考えた康政は、冒頭の言葉を語り、領地である群馬県・館林で隠棲(いんせい)したといいます。国家や天下の安定のためには、功臣であっても自らが退くことが最善だと考えた結果なのでしょう。
幹部が争って組織を機能不全にしてしまうことの危険は、会社組織にも当てはまることです。例えば、製造業が生産・販売計画のズレを補正する「製販調整会議」では、生産部門と販売部門の部門長などが、利害の不一致から激しく衝突することがあります。建設的な議論なら歓迎すべきですが、会社の成長を考えず、ただ自分の利のためにけんかするだけなら意味がありませんし、そのような幹部同士の争いが続く会社に明るい未来はやってこないでしょう。
幹部が不毛な争いをしないためには、まず経営者が康政のような硬骨漢を高く評価し、耳の痛い意見であっても、正しいと思えば受け入れることが大切です。康政のような人物がどう扱われるかは、他の幹部の行動指針にも影響するからです。
一方、幹部は、「自分にとって、何が一番大切なのか」をしっかりと認識することが大切です。社内で他の幹部と争うことが、本当に自分のためになるのか、考えてみましょう。同じ会社に属する人間は、運命共同体です。不毛な争いをして会社が傾くようなことになれば、自分や闘争相手はもちろん、取引先や顧客を含めた会社の関係者全員にとって不幸なことです。
一歩下がって、視野を広げてみれば、康政のような「無」の境地までには至らないまでも、私心を少し抑えられそうではありませんか?
出典:「定本名将言行録 下」(岡谷繁実、新人物往来社、1978年7月)
以上(2023年8月)
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