日本の歴史人物(斎藤道三)

1 親子二代にわたる下克上 戦国時代の申し子「斎藤道三」

 「権謀術数(他人を巧みに欺く策略)」に長け、仕えた主君を次々に倒してのし上がったといわれる斎藤道三。かつては、油売りから大名へと、道三が一代で上り詰めたと考えられていましたが、近年の研究では父・長井新左衛門尉と親子二代をかけて国盗りを成し遂げたことが分かってきました。

 道三は、したたかに相手の懐に入り込み、自身の才能と非道な謀略でのし上がりました。しかし、道三は自分の息子によって殺されるという非業な最期を遂げました。

斎藤道三(および父・長井新左衛門尉)の生涯

2 道三の有名エピソード

 道三にまつわるエピソードには諸説ありますが、この記事では代表的なものを紹介します。

1)油売りとして情報を集め、人心を掴む

 道三の父・新左衛門尉は、幼い頃に京都の妙覚寺に預けられましたが、成長すると還俗し、油売りの家に入り婿として入りました。

 当時の油売りは、諸国を自由に往来できるため情報収集がしやすく、野心的で優秀な人が集ったそうです。中でも新左衛門尉は、高くかざした柄杓から一文銭の穴を通して油を注ぐなど、大道芸じみたパフォーマンスで人気を得たといわれています。

 その後、新左衛門尉は、美濃守護家土岐氏の家老・長井長弘と知り合い、その長弘を通じて土岐頼芸に引き合わせられました。そして、頼芸に気に入られた新左衛門尉は、長井家の家老に引き立てられていきます。

 新左衛門尉が長弘と出会った経緯は分かっていませんが、恐らく偶然もあったでしょう。運を引き込み、チャンスをものにするには、日ごろからチャンスを狙い、人の心をつかみ続ける才覚が必要です。さまざまな情報を集め、人の懐に入り込む新左衛門尉のしたたかさは、油売り時代の経験によって鍛えられたのではないでしょうか。

2)「美濃のマムシ」の実力

 新左衛門尉と道三の親子が「美濃のマムシ」と呼ばれるようになったのは、主君を押しのけ、その地位を略奪する冷徹さがゆえんです。新左衛門尉は、自分と頼芸を引き合わせた長弘が謀反を企てていると頼芸に讒言(ざんげん)し、長弘を妻と一緒に殺害しました。

 しかし、同年新左衛門尉は亡くなってしまいます。跡を継いだ道三は、頼芸の兄・政頼を追放して頼芸を守護大名の地位に就けますが、結局は頼芸も美濃から追放してしまいます。

 すると、政頼が頼った越前の朝倉氏、頼芸が頼った尾張の織田氏(信長の父)らが2度にわたって美濃を進攻しました。家督争いで弱体化した美濃なら倒せると思ったのかもしれませんが、道三は難攻不落の稲葉山城でもって、これを退けます。

 その後、道三は娘・帰蝶(濃姫)を信長に嫁がせ、同盟を結んで美濃の支配を安定させます。それをきっかけに信長に出会った道三は、当時「うつけ者」といわれていた信長の類いまれな才能を見抜いたといわれています。

斎藤道三

3)最期は息子に殺される

 戦国時代は目上の者を引きずり降ろしたり、親子や兄弟で争ったりすることありましたが、それでも周囲の反感を買うことは避けられません。道三はそうした中でも実力で敵を退け、上り詰めていきました。

 しかし、そんな道三も、最終的には自分の息子に殺されることになります。道三は嫡男・義龍を冷遇していました。義龍の母はもともとは頼芸の妾であり、義龍の本当の父親は頼芸であるという噂があったことが、確執の原因ともいわれます。

 そうした確執を収拾するため、道三は一旦隠退することにします。しかし、家督を義龍に譲った後も、道三は義龍を排除して、別の息子に跡を継がせようと画策しました。そうした道三の動きを察知した義龍は、2人の弟を殺害し、最終的には長良川の戦いで道三をも討ちました。周囲からの恨みを買っていた道三に味方するものは少なく、この戦いの義龍の戦力は道三の7倍近かったといわれます(明智光秀は道三側として戦ったといわれています)。

 敵から領土と家臣を守り、大名家を存続させるためには、身内同士の結束は不可欠です。自分の主君を裏切って成り上がった道三には、息子たちに結束を固めるよう促すのは難しかったのかもしれません。

【参考】
山川出版社「戦国大名 歴史文化遺産」(五味文彦監修)
成美堂出版「戦国の合戦と武将の絵事典」(高橋伸幸(著)、小和田哲男(監修))

以上(2023年5月更新)

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日本の歴史人物(明智光秀)

1 「謀反の逆臣」はつくられたイメージ? 謎が多い「明智光秀」

光秀といえば、自分を重臣に取り立ててくれた織田信長を本能寺で自害させた「裏切り者」として有名です。さらに、その本能寺の変からたった11日後の山崎合戦で豊臣秀吉に敗れた「三日天下」でも知られています。

こうしたマイナスイメージの多い光秀ですが、実は光秀の人生は謎が多く、生誕年や父親の名前、そして信長を裏切った動機などはほとんど分かっていません。近年研究が進められており、後世にできた創作と実在した光秀とは違う一面が少なくないようです。

明智光秀の生涯

2 光秀の有名エピソード

光秀にまつわるエピソードには諸説ありますが、この記事では代表的なものを紹介します。

1)光秀の誕生年は、江戸時代の物語が出所?

光秀の歴史的な資料は、その多くが本能寺の変や山崎合戦に関するもので、1568年に足利義昭(室町幕府・最後の将軍)に臣従した以前のことはほとんど分かっていません。

1528年生まれといわれていますが、これも光秀が亡くなってから100年以上後に書かれた伝記「明智軍記」が基になっています。「明智軍記」は歴史書というよりは物語であり、信ぴょう性が疑問視されていますが、他に信頼できる資料がないことなどから、現在でも通説として定着しています。

これに対し、最近は光秀の誕生年は1516年だとする、新たな説が出てきています。ただし、細川忠興に嫁いだ娘の玉(ガラシャ)が1563年生まれと、47歳のときの子どもとなることや、信長よりも20歳も年上になることなどから、現在も1528年生まれ説が有力のようです。

2)非情? 良識人? 比叡山焼き討ちの功労者の見えない素顔

信長の苛烈さを象徴して語られることの多い「比叡山焼き討ち」。司馬遼太郎「国盗り物語」などの影響で、光秀は比叡山焼き討ちに反対したイメージが強いかもしれませんが、実際は光秀が中心となって攻め落としたようです。その功績を認めて、信長は光秀に比叡山延暦寺の遺領を与え、自分の城を築くことも許可しています。この時期の光秀は、共に信長に仕えた秀吉よりも信長の信頼を得ていたともいわれています。

では、光秀は「裏切り者」のイメージ通り、非情な人物だったのかというと、一概にそうともいえません。領内となった比叡山延暦寺に対し、穏便な対応をしたという伝承や、光秀が治めた京都・福知山の地では善政を敷いた領主として慕われていたという伝承が現代にも残っています。

3)最大の謎「なぜ本能寺の変を起こしたのか」

光秀のイメージを決定付けている「本能寺の変」にも謎が残されています。信長を討った理由が分かっていないのです。

信長のパワハラに対する「怨恨説」、下克上をして天下統一を企てた「天下取り野望説」、朝廷の高官に唆された「朝廷黒幕説」など、さまざまな説がありますが、極秘で進められた計画のためか、資料がほとんど残っていません。

これらの中で、近年有力になりつつあるのは「長宗我部元親関与説」です。これは、光秀の重臣・斎藤利三の妹が嫁いだ長宗我部元親の四国全土の所領を信長が認めると約束したものの心変わりをしたため、元親が光秀に信長を討たせたという説です。

歴史の真実を知るのは難しいことですが、光秀は秀吉とライバル関係にあったこともあり、「勝者の歴史」から切り落とされた部分もあるかもしれません。光秀がどういう思いで主人である信長を討ったのか、手掛かりになる資料が発見されることが望まれます。

明智光秀

【参考】

  • 吉川弘文館『明智光秀 (人物叢書)』(高柳光寿)
  • 河出書房新社『光秀からの遺言 本能寺の変436年後の発見』(明智憲三郎)
  • NHK出版『麒麟がくる 明智光秀とその時代』(NHKシリーズ NHK大河ドラマ歴史ハンドブック、2020年1月)

以上(2023年5月)

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画像:Hick-Adobe Stock
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【小さな会社の退職金制度】 定年退職でもらう退職金、いくらあれば老後は安泰?

突然ですが、御社では退職金制度を導入していますか? 一般的に社員数が少ない会社ほど、退職金制度の導入率は低く、また、最近では「もう社員が定年まで働く時代じゃないから……」と制度自体を廃止するケースも珍しくありません。
一方、社員の退職金制度に対するニーズは、もしかしたら今後高まっていくかもしれません。

「人生100年時代」といわれるほどの高齢化の陰で、公的年金の支給額が減少し続けていて、老後の生活資金が足りなくなる恐れがある

からです。仮に御社に充実した退職金制度があれば、今働いている社員は安心ですし、新たに社員を採用する際のPRなどにも使えるでしょう。
この記事では、退職金制度を導入したり、見直したりする予定のある会社が、退職金の支給額などを検討する材料として、まず老後の生活にどのぐらいの資金が必要なのかを紹介します。


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1 年金の保険料は増加、支給額は減少

年金支給額の画像です

厚生労働省「厚生年金保険・国民年金事業の概況」によると、2021年4月時点での公的年金(老齢基礎年金+老齢厚生年金)の支給額は、年175.2万円です。10年前は年182.4万円だったことから、10年間で7.2万円減額していることが分かります。1度の食事にかかる費用が約1000円だと仮定すると、24日分の食事代がなくなってしまう計算です。
年金支給額が減少している理由の1つは、「少子高齢化」により現役世代1人で支えなければならない高齢者の数が増加しているからで、この傾向は今後も変わらない可能性が高いです。だからこそ、もしも年金の支給額減少を退職金でカバーできるのであれば、それは社員にとっては非常に魅力的です。
とはいえ、退職金制度を充実させるには、そもそも老後の生活にどのぐらいの費用がかかるのかを知っておく必要があります。数年前に「老後2000万円問題」が話題になりましたが、本当に2000万円あれば足りるのでしょうか? 早速、シミュレートしてみましょう。

2 2000万円じゃ足りない? 老後資金のシミュレーション

高年齢者雇用安定法では、会社は定年を定める場合は60歳以上に設定し、なおかつ65歳まで社員が働ける措置(定年延長や再雇用制度など)を講じなければならないとされています。そこで、ここでは社員が65歳で退職した後の老後資金についてシミュレートしてみます。
なお、シミュレーションは統計データを参考にした一例です。実際の内容は、社員の生活水準や希望するライフスタイルによって大きく変わることを理解しておきましょう。

1)夫婦2人暮らしのケース

夫婦2人暮らしのケースの画像です

総務省統計局「家計調査年報」によると、2021年における65歳以上の夫婦のみの無職世帯の実収入は月23.7万円です。年金などで社会人(大学卒)の初任給くらいのお金が入ってきます。一方、同じ世帯にかかる生活費は、月25.5万円です(22.4万円が食費や住居・水道光熱費などの消費支出、3.1万円が税金や社会保険料などの非消費支出)。

実収入(23.7万円)から生活費(25.5万円)を引くと、毎月1.8万円の赤字

になります。厚生労働省「簡易生命表」によると、2021年における平均寿命は、男性が81.47歳、女性が87.57歳ですから、退職してから20年以上赤字続きになる可能性があります。
 65歳で退職して夫婦ともに85歳まで生きると仮定した場合、

  • 実収入:23.7万円×12カ月×20年=5688万円
  • 生活費:25.5万円×12カ月×20年=6120万円
  • 実収入-生活費:5688万円-6120万円=-432万円

ですから、83歳から84歳にさしかかるタイミングでお金がなくなってしまうことになります。432万円分の老後資金を何らかの方法で補填しないといけません。そして、仮にこの先90歳、95歳と平均寿命が延びていけば、補填すべき額はさらに大きくなります。
ちなみに、「老後2000万円」が話題になった際に取り上げられた2017年の家計調査年報では、毎月5.5万円の赤字でした。近年はコロナ禍で消費支出が落ち着いていましたが、今後はコロナ禍前の状態に戻っていくことも考えられます。

2)独身のケース

独身のケースの画像です

家計調査年報によると、2021年における65歳以上の単身無職世帯の実収入は月13.5万円です。年金などでフルタイムのパートくらいのお金が入ってきます。一方、同じ世帯にかかる生活費は月14.4万円です(13.2万円が食費や住居・水道光熱費などの消費支出、約1.2万円が税金や社会保険料などの非消費支出)。

実収入(13.5万円)から、生活費(14.4万円)を引くと、毎月0.9万円の赤字

になります。
 夫婦2人暮らしのケースと同じく、65歳で退職して85歳まで生きると仮定した場合、

  • 実収入:13.5万円×12カ月×20年=3240万円
  • 生活費:14.4万円×12カ月×20年=3456万円
  • 実収入-生活費:3240万円-3456万円=-216万円

ですから、こちらも83歳から84歳にさしかかるタイミングでお金がなくなってしまうことになります。
 ちなみに、2017年の家計調査年報では、毎月4.1万円の赤字でした。独身の場合も夫婦2人暮らしのケースと同じように、消費支出がコロナ禍前の状態に戻っていく可能性に注意する必要があるでしょう。


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3 どんな退職金制度なら老後資金を賄えるの?

前章のシミュレーションで、年金などの実収入だけでは老後資金を賄いきれないことが分かりました。退職金制度の内容を検討する際の1つのポイントは、

老後資金の赤字(「実収入-生活費」のマイナス分)を退職金で補えるかどうか

です。前章のシミュレーションの数字を参考にするなら、夫婦2人暮らしの場合はあと432万円、独身の場合はあと216万円を、退職金で補う必要があります。ただ、前述した通り、家計の赤字は今後広がっていく可能性があるので安心はできません。
ちなみに、東京都産業労働局「中小企業の賃金・退職金事情」によると、中小企業の社員(大学卒の場合)が定年退職時にもらえる退職金は、2022年平均で約1092万円です。また、退職金制度の導入率は減少傾向にあるものの、それでも2022年時点で71.5%の中小企業が導入していますから、制度を社員に魅力的に見せるには、ある程度工夫が必要です。
社員にとって魅力的な退職金制度の選択肢としては、

  • 同業他社よりも多くの退職金を払う
  • 運用次第で退職金を増やせる制度を導入する
  • 退職金が多く支払えないなら、老後資金を補う他の福利厚生を導入する

などがあります。制度の例をいくつか紹介しましょう。

制度の例の画像です

こうした退職金制度をうまく活用すると、社員は老後資金の赤字を補うだけでなく、逆に黒字に転じさせて自分の趣味や大切な人のために使うお金を作れる可能性も出てきます。
ただ、退職金制度にはメリットと同時にデメリットもあります。ここでは詳細を割愛しますが、例えば企業型DCのように社員が自分で運用する制度の場合、運用成績に応じて退職金を増やせる可能性がある反面、運用に失敗すると元本割れしてしまう恐れがあるのです。
退職金制度ごとのメリット・デメリットや、実際に運用する場合のアクションプランについては、こちらの記事に記載していますので、参考にしてみてください。

「退職一時金 vs 企業年金」「DB vs 企業型DC」魅力的なのはどっち?


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以上

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【小さな会社の退職金制度】 退職金が少なくても、財形貯蓄やiDeCo+でこれだけフォローできる

「小さな会社の退職金制度」シリーズの第2回では、「退職一時金と企業年金」「DBと企業型DC」など、退職金制度同士を比較しながら、社員の退職金が手取りでどのぐらいの額になるのかをシミュレートしました。税金の負担や運用時の利回りなどのポイントを押さえれば、中小企業でも社員にとって魅力的な退職金制度を構築できるという内容でした。
ただ、そうしたポイントを押さえてもなお、十分な退職金を用意できない会社もあります。そんな場合は、退職金制度以外の福利厚生に注目してみましょう。例えば、財形貯蓄やiDeCo+(イデコプラス)など、社員が老後の生活を支えるのに活用できる福利厚生があります。
この記事では、「退職金制度と福利厚生を組み合わせることで、老後の生活資金を増やす」という観点から、運用のシミュレーションを紹介します。


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1 「退職金制度+福利厚生」なら大企業にも勝てる?

老後の生活を支える上で、退職金は重要なお金です。ただ、全ての会社が必ずしも潤沢な退職金を準備できるわけではなく、特に中小企業ではその傾向が顕著です。
例えば、東京都産業労働局「中小企業の賃金・退職金事情」によると、中小企業の社員(大学卒)が定年退職したときにもらえる退職金は、2022年平均で約1092万円です。一方、日本経済団体連合会「2021年9月度 退職金・年金に関する実態調査結果」によると、大企業の社員(大学卒)がもらえる退職金は約2243万円。統計データは異なりますが、1000万円以上の開きがあるのです。
「何も大企業に勝とうなんて思っていない」という経営者もいるでしょうが、少しお待ちください。もし、御社がすでに財形貯蓄やiDeCo+などの福利厚生を実施しているのであれば、その福利厚生と退職金制度を組み合わせることで、実質的に大企業の退職金制度と同等以上の額を確保できるかもしれません。
以降では、財形貯蓄とiDeCo+、それぞれについて「社員が60歳になるまで運用した場合、どのぐらいの額になるのか」「退職金と福利厚生を組み合わせた場合、大企業の退職金に勝てるのか」などをシミュレートしていきます。

2 財形貯蓄の運用をシミュレーション

財形貯蓄は大きく3つの制度に分かれています。結婚・年金などさまざまな用途で利用できる「一般財形貯蓄」、年金に特化した「財形年金貯蓄」、住宅に特化した「財形住宅貯蓄」の3種です。
退職金対策として活用するのであれば、一般財形貯蓄・財形年金貯蓄のいずれかを利用するとよいでしょう。具体的なシミュレート結果を紹介します。

【シミュレーション条件】

  • 22歳年収400万円の会社員
  • 毎月3万円を給与天引きで積み立て
  • 積立期間は38年
  • ボーナス・年収アップでの上乗せはないものとする
  • 全ての制度で年利は0.01%とする

1)財形貯蓄3種類のシミュレーション

シミュレーションの画像です

そもそも財形貯蓄とは、毎月またはボーナス時期に給与天引きによって積み立てる制度のことです。資産運用としての機能は低いものの、堅実に目的に合わせた資金を用意できます。
一般財形貯蓄は、運用益(今回であれば0.01%)に対して20.315%の税金がかかります。一方、財形年金貯蓄と財形住宅貯蓄は、両制度合算して550万円までの利子に税金がかかりません。目的が明確であるなら、財形年金貯蓄・財形住宅貯蓄を選択するのがよいでしょう。
上記のシミュレーション条件で試算した結果、

全ての制度で約1370万円以上を用意できる

ことが分かりました。運用益については、一般財形貯蓄は約1.8万円、非課税枠のある財形年金貯蓄と財形住宅貯蓄は2.6万円となっています。「運用益が少ないな」と感じる人もいるでしょうが、これらの制度は堅実に資金を用意できることが特徴です。元本割れのリスクがなく、確実に必要な分だけ用意できます。
また、一般財形貯蓄を利用している社員は、退職金以外の用途でお金が必要になったときに引き出せます。流動性が高く保管できる点も、魅力的です。

2)大企業(財形貯蓄なし)との比較

大企業(財形貯蓄なし)との比較の画像です

 仮に、財形貯蓄の制度がある中小企業が

  • 退職金(退職給付額)で1092万円
  • 財形貯蓄(積立元本+運用益)で1370万円

を用意できた場合、その額は合計2462万円になります。大企業に勤める社員(大学卒)の退職金が平均で約2243万円ですから、中小企業のほうが219万円多く確保できる計算になります。

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3 iDeCo+の運用をシミュレーション

iDeCo(イデコ)とは、社員が自分で掛け金を拠出して運用する個人型の確定拠出年金です。このiDeCoについて、社員の拠出する掛け金との合計額0.5万~2.3万円の範囲内で、iDeCoに加入する社員の掛け金に追加して、会社が掛け金を拠出できるのが「iDeCo+」という制度です(中小企業限定の制度)。会社が掛け金を上乗せしてくれるので、iDeCoだけを利用するよりも多くの老後資金を用意できます。
iDeCo+は財形貯蓄制度とは異なり、投資としての側面を兼ね備えています。長期間積み立てるとどのような結果になるのか、シミュレートしていきましょう。

1)iDeCo+(イデコプラス)のシミュレーション

【シミュレーション条件】

  • 年収400万円
  • 事業主拠出は1万円で合意
  • 個人拠出は1.3万円
  • 30年間年利3.0%で運用
  • 受給開始年齢60歳
  • 移管資金0円
  • 企業型DCやDBの取り扱いはなし

iDeCo+(イデコプラス)のシミュレーションの画像です

上記のシミュレーション条件で試算したところ、

iDeCoのみで752万円、iDeCo+で1690万円用意できる

ことが分かりました。年利3.0%で運用した場合、iDeCoでは約284万円、iDeCo+は約726万円の運用益を確保できます。しかも、これらの運用益に対しては税金がかかりません。
また、iDeCo+を導入している会社の場合、社員の自己負担はiDeCoよりも少なくできます。つまり、社員は今の生活を切り詰めることなく、退職金+αのお金を用意できるのです。

2)大企業(iDeCoなし)との比較

大企業(iDeCoなし)との比較の画像です

仮に、iDeCo+を導入している中小企業が

  • 退職金(退職給付額)で1092万円
  • iDeCo+(積立元本+運用益)で1690万円

を用意できた場合、その額は合計2782万円になります。前述した大企業に勤める社員(大学卒)の退職金(2243万円)よりも、539万円多くなる計算です。
ただし、iDeCo+で拠出できる金額の上限は年27.6万円(月2.3万円)ですから、これ以上の金額を用意する場合は他の制度も利用する必要があります。

4 iDeCo+と財形貯蓄のメリット・デメリット

iDeCo+と財形貯蓄のメリット・デメリットの画像です

前述したシミュレーションでは、中小企業が退職金と他の制度を組み合わせた場合、

  • 退職金と財形貯蓄で合計2462万円
  • 退職金とiDeCo+で合計2782万円

を用意できる計算になりました。どちらも大企業の退職金平均を上回る水準です。
シミュレーション上は、退職金とiDeCo+を組み合わせた金額のほうが高く、利用件数を見てもiDeCoは増加傾向(企業年金連合会「確定拠出年金統計資料」)、財形貯蓄は減少傾向(厚生労働省「財形貯蓄の実施状況について」)にあることが分かります。
ただ、iDeCo+は、長期積み立てによる運用益が期待できる、会社が掛け金の一部を負担してくれるなどのメリットがある一方で、運用失敗による元本割れのリスクもあるので、堅実なほうが好きな社員にとっては、必要な金額を確実に用意できる一般財形貯蓄のほうが魅力的という考えもあるかもしれません。
メリット・デメリットを確認し、御社に合った方法で退職金の不足分をフォローしてみてください。


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以上
(監修 社会保険労務士 志賀碧)

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【小さな会社の退職金制度】「退職一時金 vs 企業年金」「DBvs企業型DC」魅力的なのはどっち?

「小さな会社の退職金制度」シリーズの第1回では、「人生100年時代」の中で社員が老後を過ごすのにどのぐらいの費用が必要で、いくら退職金があれば生活費を賄えるのかをシミュレートしました。
金額のイメージがつかめたら、次はどうやって退職金を用意するかです。世の中には「退職一時金と企業年金」「DBと企業型DC」などさまざまな退職金制度がありますが、それぞれにメリット・デメリットがあって、結局どれが社員にとって魅力的か分かりにくくなっています。
そこで、この記事では「社員の手取りが多くなる退職金制度は何か」に焦点を絞り、手取りがどのぐらいの額になるのかを退職金制度同士で比較しながらシミュレートしていきます。


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1 退職金が減少傾向にある中、いかに魅力的な制度にするか?

退職金支給額の画像です

東京都産業労働局「中小企業の賃金・退職金事情」によると、大学卒の社員が定年退職したときにもらえる退職金は、2012年(1224万円)から2022年(1092万円)にかけて、10年間で132万円減少しています。高専・短大卒、高校卒の場合も傾向は同じで、特に2022年の退職金は両者とも1000万円を下回っています。

退職金が減っている主な理由は、昔に比べ定年まで働く社員が減り、退職金制度の在り方を見直す会社が増えてきたからだといわれています。そんな状況なので、逆に今、退職金の額を増やそうとしている会社は、社員にとって魅力的に見えるかもしれません。
「ウチは小規模だからそんなに退職金を払えない……」という経営者もいるでしょうが、

  • 税金の負担が少なく、控除後の手取りが多くなる退職金制度
  • 会社の負担は一定で、社員が運用に成功すれば手取りを増やせる退職金制度

などもあるので、諦めるのはまだ早いです。
 以降では、一般的な退職金制度を例に、「退職一時金 vs 企業年金」「DB vs 企業型DC」と題して、どの制度が退職金の手取りがより多くなるのかをシミュレートします。なお、シミュレーションは、統計データを参考にした一例であり、実際の内容は会社の制度や社員の働き方などによって異なります。

2 退職一時金 vs 企業年金

退職金の受け取り方には「退職一時金」「企業年金(退職年金)」の2つがあります。
退職一時金は、退職金を一括で受け取る方法です。退職所得控除(退職金の収入金額から控除を受けられること)を利用でき、一定金額以内であれば所得税や住民税はかかりません。
企業年金は、退職金を年金形式で受け取る方法です。退職金を受け取り切るまでは勤めていた会社が運用してくれるので、一時金で受け取るより年金額が多くなることがあります。ただし、退職所得控除は受けられず、代わりに公的年金等控除(公的年金と企業年金の合算額から控除を受けられること)を利用することになります。
両者のどちらが魅力的かですが、結論、退職所得控除の範囲内に収まるのであれば「退職一時金」で問題ありません。一見企業年金の方がお得に感じますが、なぜでしょうか。その理由を以下のシミュレーションで解説します。

【試算条件】

  • 65歳男性で、配偶者なし
  • 勤続43年で、再雇用はなし
  • 退職金額は1000万円
  • 一時金で受け取る場合と、年利1.0%の10年確定年金(年間101万円)で受け取る場合で試算
  • 公的年金は年180万円を65歳から75歳まで受け取るものとする
  • iDeCoや企業型DCは未加入とする
  • 社会保険料は考慮しない

DBvs企業型DCの画像です

退職一時金が退職所得控除の範囲内に収まるのであれば、退職一時金で受け取ったほうが手取りは多くなります。額面上多く見える企業年金を選びたくなりますが、退職一時金で受け取ったほうが支払う税金が少なくなるのです。その理由は、退職所得控除と公的年金等控除の非課税枠の違いにあります。
退職所得控除は、勤続年数が20年超の場合、「800万円+70万円×(勤続年数-20年)」で算定します。勤続年数が長いほど、非課税枠を大きく利用できる仕組みです。勤続43年なら、

退職一時金の非課税枠=2410万円(800万円+70万円×(43年-20年))

となります。
一方、公的年金等控除は、社員の年齢と「公的年金+企業年金」の額をベースに算定されます。社員が65歳以上で「年110万円<公的年金+企業年金<年330万円」(その他所得を考慮しない)の場合、公的年金等控除は年110万円です。今回のケースでは「公的年金+企業年金=年281万円」なので、10年間で見ると

企業年金の非課税枠(10年間)=1100万円(110万円×10年間)

となるのです。
額面上は企業年金のほうが多くても、税金の非課税枠を考えると、退職一時金のほうがお得なわけです。
改めて、退職一時金と企業年金のメリット・デメリットを確認してみましょう。

退職一時金 vs 企業年金の画像です

手取りの観点では、シミュレーションでも紹介した通り、退職一時金に軍配が上がることが多いようです。ただ、浪費癖がある社員の場合などは、使い込んでしまうリスクを考えて企業年金のほうがよいという考え方もできるでしょう。

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3 DB vs 企業型DC

DB(確定給付企業年金)は、受け取る年金額があらかじめ決まっている企業年金です。労使間の規約に基づいて運用する「規約型」と、会社とは別法人の基金を設立して行う「基金型」に分けられます。想定通りの運用ができない場合、会社が追加の拠出をするので、社員は決められた年金額を必ず受け取れます。
一方、企業型DC(企業型確定拠出年金)は、会社が掛け金を拠出するものの、運用は社員が自分の責任で行う企業年金です。運用に成功すれば退職金を本来の額よりも増やすことができますが、運用に失敗した場合は元本割れで退職金が減ることもあります。
結論から言うと、両者のどちらが魅力的かは、ケース・バイ・ケースです。下記の図表を確認してみてください。

【試算条件】

  • 65歳男性で、配偶者なし
  • 年収400万円で試算
  • 勤続43年で、再雇用はなし
  • DB・企業型DCともに、65歳になったときから10年間、年金形式でもらうと仮定
  • DBは、企業年金連合会の規約型のデータを基に年100万円で試算
  • 企業型DCは、22歳で加入とし、運用失敗(元本割れ)した場合、運用成功(月2万円を年利2.0%で運用)した場合の両方を想定
  • 公的年金は年額180万円を65歳から75歳まで受け取るものとする
  • 社会保険料は考慮しない

DB vs 企業型DCの画像です

計算結果を確認すると、手取り合計は

企業型DC(運用成功)>DB>企業型DC(運用失敗)

となっています。上記のシミュレーションの場合、運用成功した企業型DCの金額は魅力的ですが、運用に失敗した場合のリスクもなかなかです。確実に退職金を用意したい社員にとっては、DBのほうを選択したほうが無難かもしれません。
なお、DBの受け取り方や企業型DCの積立金額・利率によって試算結果は異なるので、実際の額のイメージについては、専門家などに確認してみましょう。また、企業型DCは最大2.75万円または5.5万円までの掛け金を設定できるため、上記の試算結果よりも多くの退職金を用意できる可能性があります。
改めて、DBと企業型DCのメリット・デメリットを確認してみましょう。

DB vs 企業型DCの画像です

シミュレーションでも紹介した通り、DBと企業型DCは対照的な制度です。「将来の受給額を確定させたい」という社員にはDBが、「運用次第で元本以上の退職金を受け取りたい」という社員には企業型DCがオススメです。

4 「制度の併用」も視野に入れる

退職金制度は、必ずしも1つに絞る必要はありません。複数の退職金制度を組み合わせる「制度の併用」も可能です。
例えば、退職一時金が退職所得控除の範囲を超えてしまう場合、退職一時金の額の一部を企業年金で支払うことで、社員の手取りを最大化させるという考え方があります。「一時金でまとまったお金を受け取ると、使い込んでしまいそう……」という社員の場合、一時金で最低限の金額を受け取りつつ、残りを年金で受け取りたいというニーズもあるでしょう。
退職金の基本は、他の控除と重複していない「退職所得控除」を余すことなく活用することです。この考え方を軸に、退職金制度の内容を検討してみてください。


あわせて読む
【小さな会社の退職金制度】シリーズ

以上
(監修 社会保険労務士法人AKJパートナーズ)

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2023年5月30日時点のものであり、将来変更される可能性があります。

※上記内容は、株式会社日本情報マートまたは執筆者が作成したものであり、りそな銀行の見解を示しているものではございません。上記内容に関するお問い合わせなどは、お手数ですが下記の電子メールアドレスあてにご連絡をお願いいたします。

【電子メールでのお問い合わせ先】
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(株式会社日本情報マートが、皆様からのお問い合わせを承ります。なお、株式会社日本情報マートの会社概要は、ウェブサイト https://www.jim.jp/company/をご覧ください)

【朝礼】家に諌(いさ)むる子あればその家必ず正し

皆さん、日々の仕事は順調ですか。仕事を順調に進めるためには、上司や同僚・部下との協力が必要不可欠です。もし、何かうまくいかないことがあれば、そういう人たちからアドバイスを受けることです。具体的な解決策を教えてくれるかもしれませんし、叱咤(しった)激励されるかもしれません。

本日は皆さんに、「家に諌(いさ)むる子あればその家必ず正し」という言葉を紹介します。

これは、中国の思想家・孔子(こうし)の教えに基づいた「孝経(こうきょう)」という書物にある故事成語です。読んで字のごとく、家に過ちを指摘する子供がいればその家は正しい方向に向かう、という意味です。

ここで、「家」を「会社」、「子」を「社員」と読み替えてみましょう。「会社に諌(いさ)むる社員あればその会社必ず正し」となります。この言葉はビジネスの場においても、大きな意味を持っています。

仕事をする上で、怠慢による失敗、社会的な倫理規範に反する行為、明らかな不正な行為があれば、会社の信用は失墜し、お客様、お取引先、また、ほかの社員に大きな迷惑を掛けてしまいます。また、皆さんが、自らが意図的に行わなくても、知らず知らずのうちに、不正や過ちを犯してしまうことがあるかもしれません。不正や過ちではなくても、仕事を進める上での手順や方法が明らかに間違っていることもあるでしょう。

このような場合、間違いに気付かないままでいると、業務に混乱が生じ、ひいては大きな損失につながる恐れがあります。

同僚や部下からの諌言(かんげん)は耳が痛いかもしれません。しかし、一人で「自己流」のやり方だけで仕事をしていると、どこかで知らず知らずのうちに過ちを犯してしまう可能性があります。

もう一つ、忘れないでもらいたいことがあります。ここで言う諌(いさ)むる社員は皆さん全員ですし、その対象となる社員も皆さん全員です。

皆さんは同僚や部下に対して諫言(かんげん)をすることは容易にできるでしょう。しかし、上司に対して諌言(かんげん)するのはとても勇気がいることですが、それでもお願いします。

ただし、部下の皆さんが上司に諌言(かんげん)するときは、言い方に注意を払い丁寧な言葉で意見を述べてください。そうしないと、上司が機嫌を損ねて、部下の皆さんの意見を聞く耳すら持たなくなるかもしれません。こうなると、部下の皆さんの勇気が無駄になります。

私としては、上司の皆さんには大きな度量で、諌言(かんげん)してくれる部下の心情と意見をしっかりと受け止めてほしいと思っています。それが会社のためになるのです。

互いに諌(いさ)め合い、そして人の諌言(かんげん)には真摯に耳を傾ける姿勢を持ちましょう。私にも諌言(かんげん)でかまいませんので、遠慮なく意見してください。

以上(2023年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

【経理人材の育成(1)】経理管理職の最優先課題。経理負債の解消を考える

書いてあること

  • 主な読者:経理人材の育成や、経理部全体の効率化に悩む中小企業のマネジメント職
  • 課題:時間がない、具体的な改善策が思いつかないことを理由に、現状維持になってしまう。その結果、ミスの繰り返しや、現場のモチベーション低下が生じ、経理負債が蓄積される
  • 解決策:コト(経理業務自体)とヒト(一緒に働くメンバー)の両面から課題を捉える

1 経理負債の解消こそが、経理管理職の最優先課題

経理に課題を抱える会社には共通点があります。それは、「経理負債」を抱えていることです。「経理負債」とは、

経理部門が通常通り業務を行うことを妨害する蓄積された課題

のことです。例えば、月次決算で手間がかかると思いながらも、毎月、同じやり方で作業を続けていませんか。変えなければと頭では分かっていても、時間がない、または具体的な方法が思いつかないなどの理由から足踏みし続けてしまう。その結果、複雑な手順から生じるミスが減らず、経理負債が蓄積されていくのです。

経理負債は、以前話題になった「睡眠負債」によく似ています。毎日の不足分が少しずつたまった結果、健康を害するほどの影響が出てしまう。私たちの健康も、会社の経理業務も、ため込まないことが重要です。

では、いったんたまってしまった経理負債をどうしたらいいのでしょうか。解決に必要なのは、気合と根性ではありません。

時間と方法の具体的なアイデアこそが必要

です。日ごろ、会社の経理の人と接していると、「非効率なやり方をしているので、時間がない」とよく言われます。しかし、私は逆だと考えています。多くの場合、時間がないから非効率なままなのです。もちろん、大きく変えるための取り組みにはたくさんの時間が必要なため、始めは小さな改善しかできないものです。それでも、とにかく小さな改善を積み重ねて時間を捻出し続けることで、大きな改善に取り組めるようになるのです。

経理管理職にとっての最優先課題は経理負債の解消だと私は強く感じます。

2 コトとヒトの2面から課題を捉えよう

経理負債があると、ミスしたり時間がかかったりという経理にとってはよくない事態を招きます。これでは、「決算の早期化」や「正確性の向上」といった経理部門でよく挙げられる目標を達成することはできません。

さらに、長時間労働になりがちで、体調不良になったり、成長実感が得られない作業に追い立てられてモチベーションが下がったりするメンバーも出てきます。

経理業務自体に関する前者は「コト」のはなしであり、一緒に働くメンバーに関する後者は「ヒト」のはなしです。経理負債は、このように、「コト」と「ヒト」の両面に悪影響を及ぼす、諸悪の根源といえるでしょう。

従来、経理の課題は、「コト」に関する問題が注目されてきました。しかし、最近では、在宅勤務など新しい働き方の普及や、人的資本に関する情報開示の広がりから大手企業を中心に人材育成に熱心に取り組むようになっています。もちろん、この話は経理に限ることではありません。

ましてや人手不足が深刻化する中、従業員が会社を選べる時代に変わったことを心に留めておく必要があります。特に経理職は、他の職種に比べて、ポータブルスキル(会社を問わず活用できるスキルのこと)の色合いが濃いため、今いるメンバーが来年も一緒に働いてくれる保証はどこにもありません。

3 ヒトを重視した管理職の取り組み例

脅かすような話をしてしまいましたが、ヒトの側面での取り組みを少しだけ紹介しておきます。私の印象では、経理人材は「職人気質」の人が多く、これまであまり人材育成に注力する人が多くなかったように思います。まずは気負わず簡単なことから始めましょう。

例えば、経理管理職は、経営者や役員に呼ばれて、緊急の打ち合わせが入り、当初予定していたメンバーとの打ち合わせに出られなくなった場合どうしますか。

このようなときは、役員との打ち合わせが終わったらすぐにメンバーとの打ち合わせを再設定するようにしてください。近年流行りの1 on 1など、少人数で行う個人的な内容の場合には特にです。このようなメンバーとのやり取りは、緊急ではないものの、現場レベルでの重要な事案が多く、後から気付いたときには手遅れになりかねません。また、小さな行動でも、「大事にされている」という印象を確実に与えることができます。

また、メンバーからは、管理職の皆さんに質問や相談したいのに、「話しかけづらい」という声をよく聞きます。これは私が管理職だった頃もそうで、メンバーから言われて反省したこともありました。言い訳ではありませんが、経理部門は自分でも会計処理を検討するようなプレイングマネージャーが多く、デスクに居るときは作業に時間がとられがちです。また、在宅勤務の場合は、相手の状況が分かりづらいことも拍車を掛けているのかもしれません。そこで、デスクにいる際はなるべく暇な雰囲気を出したり、自分の作業はメンバーが出社する前の朝の時間帯に行ったりすることも手です。さらに、共有カレンダーに作業予定も入れている場合には、作業とイベント(会議)を区分して表示し、メンバーには作業の時間帯はいつでも話しかけていいなど、ルールを明確にして伝えておくのも役に立ちます。

これらは近年話題の「心理的安全性」、つまり従業員が自分は受け入れられていると感じ、安心して発言したり業務を行えたりする状態を生み出すことにもつながります。実際に私が見聞きする中では、残念ながらこの程度のことができていない経理部が大半の印象です。忙しいから仕方がない側面もありますが、前述のとおりメンバーが辞めてしまい生産性が下がっては、経理負債が解消されるどころか、さらに積み上がってしまいます。悪循環に陥らないためには、負担が少ない方法で、ヒトの側面をカバーすることが必須なのです。

4 管理職だからこそ経理部を変えられる

このような理由から、本連載では、コトとヒトの両面を扱います。これまで、ヒトの側面というのは、経理の分野ではあまり注目されなかったため、違和感を覚える人もいるかもしれません。

でも、考えてみてください。もし皆さんが、メンバーのひとりから明日突然辞めると言われたら、業務への影響を真っ先に心配するのではないでしょうか。いくらAI時代の到来といっても、コトとヒトは切っても切り離せないのです。

ここまでの話で、管理職の仕事がとても広範囲であることを改めて実感したと思います。しかし、経理管理職にはおおきなやりがいがあります。実際に、私は管理職になったときに、スタッフ時代と比べて色々なことが容易に進むようになり、感動したことを覚えています。

例えば、業務の削減や改善を行うことは、管理職であれば難しくありません。やり方を変えた場合のリスクがとれるのは管理職だからこそですし、そもそも経験と立場があるからこそ事前に十分な検討ができます。また、他部門の調整も管理職の力が生かしやすい場面です。肩書などの属性によって対応を変えるタイプの人もいます。そういう相手と対峙するときに、管理職という肩書は、経理部を代表して他部門を動かすことができる力の源泉にもなるのです。

これらの力があるからこそ、管理職は、経理負債の解消の主役として機能でき、ひいては経理部を変えることができるのです。「経理の仕事はAIにとって変わられる」といわれて久しいですが、主にスタッフクラスが行っている業務の話です。日々高度な判断やコミュニケーション、人材育成を担っている経理管理職ご自身については、直接の脅威ではないはずです。

本連載が、やりがいあるこの経理管理職という仕事を体系立てて整理したり、実務に生かせるヒントを得たりする機会になれば幸いです。

以上(2023年5月)
(執筆 管理会計ラボ株式会社 代表取締役・公認会計士 梅澤真由美)

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画像:Kittiphan-shutterstock

【テスト】リポートタイトルが表示されます

書いてあること

  • 主な読者:●●●●●●●●●●●●●●●
  • 課題:●●●●●●●●●●●●●●●
  • 解決策:●●●●●●●●●●●●●●●

見出しです

本文です

【交渉術】交渉が上手な人に共通する要素を徹底解説

書いてあること

  • 主な読者:社員に交渉術を学んでほしいと思う経営者、営業担当者
  • 課題:交渉力の向上には事前の準備が欠かせないが、何をすればいいか分からない
  • 解決策:交渉の特徴から準備のポイントなどを理解する

1 交渉が成立する3つの要素

交渉とは、

相手との話し合いにより、ある取り決めを行うこと

であり、次の3つの要素がなければ成り立ちません。

  • 交渉相手
  • テーマと双方の主張
  • 話し合い(暴力や脅しで屈服させることは有り得ない)

ビジネスでは社内外でさまざまな交渉が行われるので、ビジネスパーソンは交渉を有利に進めるためのスキルを身に付ける必要があります。以下で大切なポイントを紹介していきます。

2 ゼロサム型交渉とプラスサム型交渉

交渉には、ゼロサム型交渉とプラスサム型交渉とがあります。

  • ゼロサム型交渉:パイが一定で、その限られたパイの中で両者が取り分を争う
  • プラスサム型交渉:パイ拡大の可能性があり、双方の利益に結び付く条件を探る交渉

ビジネス上の交渉のほとんどはゼロサム型交渉であり、交渉自体は成立しても取り分の減ったほうには不満が残ります。そこで、交渉の構造がゼロサム型であると認識されたら、積極的にプラスサム型交渉へと転換を図るようにします。

3 交渉は事前準備が重要

1)交渉の全体プロセスとは

交渉の目的は、話し合いにより、互いにある合意点に達することです。ただし、交渉が1回で終結することはまれで、自分側と相手側とのやり取りを数回繰り返すことで合意に向かっていきます。交渉は、次の3つに分かれます。

  • 相手の情報を収集し、交渉のシナリオを考える「準備(PLAN)」の段階
  • 実際に自分と相手が同じテーブルで話し合う「交渉(DO)」の段階
  • 話し合いの結果を見直して、譲歩する項目などを検討する「評価(SEE)」の段階

つまり、「準備(PLAN)」→「交渉(DO)」→「評価(SEE)」を繰り返しながら、合意を目指すことになります。以下はスムーズに交渉が進んでいるイメージですが、実際には交渉領域から飛び出すことも珍しくありません。

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交渉の開始時には、双方が「交渉によってどんなことが期待できるか」「どのようなものが得られるか」などを漠然と考えているため、双方の期待条件には隔たりがあります。それが、交渉が進むにつれて絞り込まれていきます。

2)交渉には事前準備が重要

「交渉が苦手」という人の多くは、交渉前に準備をほとんどしていません。実は、交渉がうまく、対外折衝や営業成績などが優れている人は、交渉の前に時間をかけて準備を行っているのです。ここに、交渉上手になるための大きなヒントが隠れています。仮に、交渉に臨むに当たって用意周到に準備した人と、ほとんど事前準備などをしていない人が交渉をしたらどうでしょう。交渉のプロセスは、間違いなく、用意周到に準備した人に有利に進んでいきます。

交渉に、9回裏2アウトからの逆転サヨナラホームランを期待してはいけません。得点を1点ずつ積み重ね、試合を有利に進めながら最終的には勝利するという、積み重ねのプロセスが求められるのです。この積み重ねのプロセスの第一歩が事前準備です。

5 交渉で優位性を保つための事前準備

1)情報収集は交渉の第一歩

相手のことを知らずして、交渉を有利に進めることはできません。事前に相手の性格、ビジネス環境、交渉担当者の立場や本音、相手企業の内部事情などの情報を収集します。また、自社の経営者や他部署の方針など、社内の情報も収集しておく必要があります。

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交渉では、自分で見聞きした「ナマの情報」を集めることも重要です。例えば、「交渉担当者の権限」です。高圧的な態度を取るのに、実はほとんど権限がないことがあります。この場合、権限を持っている担当者を早く交渉に巻き込まなければなりません。

2)相手の性格を知る

相手はどのような性格かという情報も入手したいものです。交渉はあくまでも「人対人」で行うものなので、相手の性格に合わせた対応が必要です。相手をタイプ別に分けて対応方法を考えます。とはいえ、初対面だと相手の性格が分からないので、1回目の交渉でこうした情報を頭に入れ、2回目以降の交渉に活かしていくことが大切でしょう。

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5 パワーバランスの確認

1)依存度を認識する

ビジネスでは、自分の置かれている立場や状況によって、相手との力関係が変化します。例えば、自分が買い手で「価格条件が合って購入する権限があれば有利」です。逆に、自分が売り手で、相手から「あなたの会社以外にも多くの選択肢がある」などと言われたら不利です。

こうした自分と相手との相対的な力関係のことを「パワーバランス」といいます。パワーバランスを客観的に把握することは、交渉を進める上で重要です。交渉におけるパワーバランスは、相手を必要とするかどうかという「依存度」によって変わってきます。交渉相手への依存度が低ければ自分は強気となり、交渉力は大きくなります。逆に、依存度が高ければ自分は弱気となり、交渉力は小さくなります。

この他にも、社会的な力も交渉力の源泉となります。例えば、企業規模や資産額、親会社、株主、取引企業、上場の有無などが交渉力に影響する可能性があります。業界での知名度なども同様です。

パワーバランスをもう少し分かりやすく説明しましょう。パワーバランスを分析した結果をまとめると、自分が「強気」か「弱気」か、相手が「強気」か「弱気」かによって分類されます。

2)自分優位なら「攻撃型戦略」

自分が優位な立場にあり、かつ交渉を決裂させる選択肢もあるなら、相手に譲歩を迫ったり、自社がさらに有利となる別の条件を提示したりすることができます。そのため、基本的に攻撃型戦略を取ります。

例えば、自社の特許をどうしても利用したいという相手との特許料を巡る交渉や、下請け企業や仕入れ先に納入価格の引き下げを求めたりする交渉などがこれに当たります。自分優位の交渉は簡単に思われますが、相手への要求が高過ぎると決裂の恐れがあります。

3)相手優位なら「防御型戦略」

相手が優位な立場にあるなら、自分は弱者の立場に置かれているわけですから、そのままでは譲歩を迫られてしまうでしょう。そのため、基本的には防御型戦略を取ります。

例えば、大口顧客から値引きを求められるケースです。こうした場合、データなどで具体的に値引きが難しいという裏付けを示して、相手に理解を求める方法があります。また、納期短縮など別の譲歩を示すことで、値引き要求をかわすことも可能です。

4)強気均衡なら「歩み寄り型戦略」

自分と相手が互いに強気で、交渉決裂時の被害が双方ともに小さい場合です。相手の譲歩を引き出せなければ膠着状態に陥ります。この場合、双方の状況を認識した上で、互いに一歩ずつ歩み寄ることが必要です。

5)弱気均衡なら「双方譲歩型戦略」

どちらにも交渉を決裂させる選択肢がなく、両者が譲歩して交渉を成立させたほうがメリットがあるケースです。交渉が決裂しないように注意を払いながら、慎重に進めることが重要です。

6 交渉の実践ポイント

1)目的や限界点の設定

「交渉に何を望むのか」。交渉の目的を事前に定めます。そうしないと、相手からの提案に対して明確な回答や逆提案ができず、終始、相手のペースで交渉が進んでしまいます。当然、こちらから交渉を仕掛けていくこともできません。

また、「これ以下の条件では受け入れられない」といった譲歩の限界点を明確に設定します。そして、予想される相手の要求のうち譲歩できる項目をリストアップしておきます。

交渉を始めたときに、双方の期待値に大きな隔たりがあれば、交渉は行き詰まってしまいます。そのようなとき、こちらが譲歩できる項目がはっきりしていれば、交渉をスムーズに進めることができるのです。

2)交渉構造図を作ろう

自分と相手に複数の利害関係者が存在するなど、交渉の状況を把握するのが複雑なケースがあります。このような場合は、その交渉に影響を及ぼすことができる関係者を図にまとめると、交渉の構造が理解しやすくなります。

その際には、各登場人物間の影響を矢印などで示すとよいでしょう。登場人物の事情や本音などの情報を書き込んでおくと、交渉の全体像がさらにはっきりと見えてくるものです。

3)交渉のシナリオを作ってみよう

交渉の進め方についてシナリオを作ります。「最初にどの条件を提示するのか」「どの段階で譲歩を切り出すのか」「譲歩の代償として何を要求するのか」「対立を解消するためにどのような手段を講じるのか」といったシナリオを作ります。

交渉の場を想像しながら条件などを検討すると、頭の中が整理されてくるでしょう。実際に交渉を行う場合、作成した交渉のシナリオを参考にすると、相手との交渉をスムーズに進めることができます。

4)時間管理を徹底する

交渉のシナリオを作る際、タイムスケジュールを整備しましょう。ビジネスの交渉において、時間的制約を伴わない交渉はありません。シナリオを作る際には、初回訪問時から最終合意までのタイムスケジュールを策定しておくのです。

7 怖がらないで交渉に臨む

1)怖さを生む2つの原因

「課長が部長に『提案』する」というのは、日常的なビジネスシーンでよく見られます。ここでは提案という言葉を使いましたが、実際は「部下と上司による交渉」といってよいでしょう。

相手は同じ会社の人間であり、互いに性格や考え方もよく知っています。部下の立場からすると、パワーバランスは相手が優位です。部下のよりどころは、提案する事項について相手より具体的かつ詳細な情報を持っているということだけです。

仮に、あなたが部下だとしましょう。あなたは上司よりも多くの情報をつかんでおり、その情報を根拠に上司にある提案をしています。上司との交渉に「怖がらないで臨む」ことができるでしょうか。相手が自分よりも上位者だから怖いという人もいますが、実はそれだけではありません。自分より上位者を怖がる気持ちとともに、「理解してもらえなかったらどうしよう」など、交渉が失敗に終わるかもしれないという結果について恐れを抱いているのです。

このように、交渉における怖さの原因には、「自分より上位者への恐れ」「交渉が失敗に終わるという結果への不安感」の2つがあります。交渉に臨む際は、このことを認識しなければなりません。

2)結果よりプロセス

例えば、プロ野球選手は、ヒットやホームランという結果を望んでいるに違いありませんが、ヒットやホームランを打とうと思って打席に立ったところで、期待通りの結果が出るわけではありません。

打率3割は上々な成績ですが、逆にいうと7割も打ち損じています。「毎打席ヒットを打つ」といった結果ではなく、「ボールをバットの芯に当てる」といったプロセスを目的にしたほうが、ヒットにならなかった場合でもモチベーションを保てるわけです。

最も良くないのは、「凡打したらどうしよう」と考えながら打席に立ってしまうタイプです。このような考え方で良い結果が生まれるわけがありません。そもそもバットを振ることすらできないかもしれません。

交渉も同じです。交渉はプロセスの積み重ねであり、自分の置かれた立場を考慮に入れ、相手のメリットを見つけて提案し、1つ1つの事項で相手から納得を引き出すことで、交渉を自分に有利に進めることができるのです。

8 怖さの克服

先に、部下が上司に提案するケースに触れました。こうしたパワーバランスでの交渉の機会は、通常のビジネスシーンにおいても頻繁に訪れます。重要な交渉ほど、相手の地位や立場は自分よりも上位にあるといってもよいでしょう。

こうした場合、結果への不安だけでなく、相手そのものを怖いと感じてしまいます。上位者に対する怖さを克服しなければ、交渉を自分に有利に進めることはできませんが、どうすればよいでしょうか。

その対策として、まず「相手が納得する提案事項を多く持つこと」「相手より具体的かつ詳細な情報を持つこと」「相手を納得させるため、専門家の意見を収集しておくこと」が大切です。

次に、集めた情報や作成したシナリオを基に、頭の中でシミュレーションします。図表3の「交渉相手のタイプ別分類」を参考に、さまざまなタイプの相手を想定します。こうすることで、向かい合った相手の印象で怖がることが減るでしょう。

また、シミュレーションを行う際には、自分が提案する場面をイメージするだけでなく、相手の立場で提案を受けるシミュレーションもしておきます。事前に相手の立場でシミュレーションをしておくことで、相手の思考が読み取れるようになります。

さらに、交渉の経験が浅く、交渉に自信がないと感じているような場合、シミュレーションだけではなく、同期などに交渉相手の役割を演じてもらい、交渉の練習を行うとよいでしょう。

このとき、「この部分の説明がうまくいくか心配」などの自分が不安に思っている点や、苦手とする相手の特徴などを練習相手に伝えておき、特にその部分に注意して交渉相手を演じてもらうと効果的です。

以上(2023年5月)

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画像:pexels

【交渉術】主張が入り乱れる「製販調整会議」から学ぶ交渉に強い組織

書いてあること

  • 主な読者:同じ会社なのに製造部と販売部など、部門間が協力せずに困っている経営者
  • 課題:部門の力関係や妥協によって方針が決められていて、建設的な議論にならない
  • 解決策:相手が本当に望んでくることを把握して交渉し、最善策を検討するようにする

1 なれ合いでもけんかでもない。交渉術を身に付ける

ビジネスは利害の異なる人が意見調整しながら進めるものですが、これは社外に限ったことではありません。例えば、製造業が生産/販売計画のズレを補正する「製販調整会議」(以下「会議」)では、社内の関係者の利害が次のように衝突します。

  • 生産部門:増産よりも製造ラインの安定稼働
  • 販売部門:製造ラインの安定稼働よりも増産による収益の確保

このようなとき、単純なパワーバランスで決まったり、なれ合い(交互に主張を通す)で決まったりするようでは駄目でしょう。かといって、調整が子供のけんかのように対決になるのも論外です。経営者は、

社員がきちんと交渉術を身に付け、会社にとって好ましいと信じる方向に進むために議論してほしい

と考えるでしょう。

そこでこの記事では、鉄鋼メーカーA社の会議を例に、交渉術を使って組織を同じ方向に導く方法を紹介します。社員教育の一環としてご活用ください。

2 鉄鋼メーカーA社の会議

鉄鋼メーカーA社は、国内外に鋼材を販売しています。国内向けが中心ですが、ここ数年は低迷しており、海外市場のさらなる開拓が必須となっています。ただし、海外市場は大量受注が見込めるものの単価は安く、生産ラインの安定稼働によるコストコントロールが課題です。

そのような折、販売部門が海外の顧客から新規受注を獲得しようとしています。なにやら、「海外のコンテナメーカーが、ステンレス製コンテナの製造工場を新設するため、ステンレスの取引量をこれまでの2万トンから3万トンに引き上げたい」というのです。

今回、販売部門が持ち込んだのは計画外の1万トンです。販売部門にとっては大手柄になる可能性があるビッグディール。一方、生産部門は計画外の生産によるリスクを何とか回避しようとします。すると、次のように両部門の主張は衝突します。

  • 販売部門長:「3カ月後の納品予定で、ステンレスを1万トン増産してほしい。国内市場が低迷する昨今、海外市場の開拓は経営目標でもある。これは千載一遇のチャンスなのだ!」
  • 生産部門長:「おいおい、いきなり1万トンの増産はむちゃだ。そんなことしたら他のラインに影響が出かねない。それに、そもそも採算は合うのか。海外向けは利益率が低いから無理する必要はない」
  • 販売部門長:「“いつもの”慎重すぎて『石橋をたたいて渡らない』って考えか。多くのコンテナはさびやすい鉄製だが、ステンレスならさびにくい。このビジネスで成功すれば海外展開の可能性が広がると思わないのか?」
  • 生産部門長:「生産体制を見直すのはリスクだと言っている。既存顧客に悪影響が及べば本末転倒だ! それに、今後の需要は“いつもの”『捕らぬ狸(たぬき)の皮算用』ってやつか? 需要予測はデータで示してほしい」

3 心理的バイアスの軽減

同じ事象に遭遇しても、個人の心理的な状態によって捉え方は異なります。例えば、次のようなシーンの場合、瞬時にどのような印象を抱きますか?

  • アラスカの住民に冷蔵庫を営業する → 売れる/売れない
  • コップに水が半分入っている → まだ半分もある/もう半分しかない
  • 計画外でステンレスを1万トン生産する → チャンス/リスク

例えば、「アラスカの住民に冷蔵庫が売れるわけがない」と瞬時に判断することを、心理学では「フレーミング」(枠付け)と呼びます。フレーミングには、所属する組織の文化や個人の経験が強く影響しており、これを完全に排除することはできません。先の鉄鋼メーカーA社の会議で、販売部門長と生産部門長が双方とも「いつもの」という言葉を使っていたことに気付きましたでしょうか。これが典型的なフレーミングで、お互いが相手に対して固定化されたイメージを持っている証拠です。

フレーミングは誰にでもあります。相手が「こちらの考えを理解しない」と腹を立てるのではなく、少しでも多く売りたい販売部門と、常に生産ラインを安定稼働させたい生産部門とでは、常識が違うことを認識する努力が必要です。

その上で、フレーミングから抜け出す「リフレーミング」(再枠付け)を試みます。その方法には「人や場所を変える」「第三者に同席してもらう」などがあります。「相手が知らない情報を提供し、気付きを与える」こともビジネスでは有効です。

先のアラスカの例では、「アラスカの住民は、食品を解凍する時間と手間を嫌っている。冷凍のニーズはないが、『食品を適温に保つ箱』のニーズは高い」といった情報を提供し、冷蔵庫の売り方の気付きを与えるのです。

フレーミングの他にも心理的バイアスは数多くあるので、一覧にまとめます。フレーミングと同様にこれらを完全に排除することはできませんが、少なくとも「双方に心理的なバイアスがある」ことを知るだけでも効果があります。

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4 論点の整理

交渉を「駆け引き」だと思っている人がいます。駆け引きとは、もともと「戦争における兵隊の押し引き」という意味ですから、交渉は相手との勝負ということになります。しかし、これでは片方が得をすると、もう一方は損をすることになります。例えば、販売部門が担当役員などを巻き込んで、無理やり1万トンの増産を生産部門に受けさせれば、生産ラインは混乱しますし、遺恨となります。

そうならないように心理的バイアスを軽減し、人と問題を切り離した上で状況を整理します。そうすると、表面的な主張は激しく対立しても、根本的なところで大切にしていることは一致しているケースがよくあります。例えば、次のようにです。

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上図のような整理ができると、交渉の突破口が見えてきます。販売部門は「海外市場の開拓」、生産部門は「生産ラインの安定」を重視しており、このポイントを満たす合意案を考えることが、「Win-Win(ウィンウィン)」の関係構築です。

相手が本当に望んでいることは、相手が譲れないことともいえます。これを知らないままでWin-Winを目指せば、表面的な妥協を繰り返すことになりかねません。この辺りの違いを次章で確認していきましょう。

5 交渉で必ず押さえたい3つのこと

1)留保価値

交渉は駆け引きではありませんが、良い人同士の譲り合いでもありません。合意のために自分の要求レベルを下げ続ける人もいますが、これでは交渉をする意味がありません。そこで登場するのが、交渉で必ず押さえることの1つ目、「留保価値」です。

留保価値とは、

「それ以下の条件では合意しない」という交渉の最低ライン

です。例えば、販売部門が1万トンにこだわれば、1万トンが留保価値となります。一方、生産部門はどんなに頑張っても7000トンしか増産できなければ、これが留保価値となります。

2)ZOPA

交渉で必ず押さえることの2つ目が、「ZOPA(ゾーパ:Zone of Possible Agreement)」です。

ZOPAとは、

双方の留保価値の間、つまり交渉余地

です。「交渉の余地はあるのか?」とのフレーズをよく聞きますが、これは「双方の留保価値はクロスしているのか」と同義です。

先の例で言えば、販売部門の留保価値が1万トン、生産部門の留保価値が7000トンの場合、次のような関係になります。「絶対に1万トンが必要だ」と販売部門が主張したとしても、「ない袖は振れない」と生産部門が主張する状態では、ZOPAがつくれません。

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これが、相手が本当に望んでいることを知らずに、表面的な妥協を繰り返すというありがちなパターンです。しかし、双方が本当に望んでいることは、販売部門は「海外市場の開拓」、生産部門は「生産ラインの安定」です。これを図にすると次のようになります。

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販売部門が持ち込んだ案件で、顧客が「3カ月後に3万トン(もともとの2万トンと新たな1万トン)を納品できないなら他社に切り替える」と要求してきているとしたら、何とか1万トンを確保しないと「海外市場の開拓」が達成できません。

一方、生産部門は7000トンならば確保できると言っているので、残りの3000トンをどのように調達するのかを双方で検討することになります。その際に大切なことは、生産ラインの安定を損ねないことです。

3)BATNA

交渉で必ず押さえることの3つ目が、「BATNA(バトナ:Best Alternative to Negotiated Agreement)」です。

BATNAとは、

足元の交渉が決裂した場合、次に取るべき最も好ましい代替案

です。

当初、販売部門が想定していたのは1万トンの「増産」です。しかし、生産部門が増産できるのは7000トンまでなので、増産以外の方法で3000トンを確保するBATNA(最善の代替案)を検討する必要があります。

どのような代替案が考えられるでしょうか。例えば、顧客にお願いして納期を延ばしてもらう、協力会社の生産ラインを借りる、別の既存顧客にお願いして納期を遅らせ、その分の生産能力を割り当てるなどの方法が考えられます。これらの中で最善のもの、つまりBATNAを決定します。対外的な交渉だと当事者がそれぞれのBATNAを持ちますが、社内の会議では、双方が本当に望んでいることの共有を前提に、協力して1つのBATNAを決められる強みがあります。

仮に、別の既存顧客にお願いして納期を遅らせ、その分の生産能力を割り当てる方法を選択した場合のイメージは次の通りです。表面的に妥協しただけではほぼ導き出せないZOPAがつくられたことが分かります。

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BATNAについて1つ補足をします。BATNAとは、事前に具体的に想定するものです。「A社が駄目なら“別の会社”に売る」の別の会社は、BATNAではありません。「A社が駄目なら“B社”に売る。ニーズもリサーチ済み」といったレベルのB社がBATNAです。

6 社内交渉で強い企業になる

なぜ、社内では事業部門や役職者同士の意地の張り合いのような衝突が起きるのか。その理由の1つは、当事者が表面的なやり取りに終始してしまうからです。改善するには、本当に望んでいることを知るための訓練をしなければなりません。

会議は、そうした訓練をするための貴重な場です。会議では必要な資料が全てそろい、双方の本音も知ることができます。対外的な交渉ではあり得ません。そこで「衝突、確認、合意」のプロセスを繰り返すことで、社員の交渉力は確実に高まるでしょう。

以上(2023年5月)

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