【朝礼】丁寧さが好感を生みます。皆さんは丁寧さの基準を知っていますか

先日、取引先企業を訪問した際、言葉遣いや所作がとても丁寧な受付の方(女性)がいました。本当に丁寧に応対してくれたので、なんとなく気持ちがよくなりました。そのときは、その後の商談がうまく運ぶような気さえしました。また昨日、急ぎの要件で電話をかけたとき、相手の女性の受け答えが、とても丁寧でした。そのせいか、私の気のあせりは少し和らぎました。丁寧に応対されると、とても心が落ち着くだけでなく、嬉しくなるものです。

高級ホテルや高級レストランでは、皆さんはとても丁寧な接客を受けると思います。もちろん、彼らは接客のプロフェッショナルですので、言葉遣いや所作が丁寧なのは当然のことといえます。こうしたことが分かっていても、丁寧に応対してもらうと、悪い気はしません。

ここで逆のことを考えてみましょう。仮に、高級ホテルで、雑な応対をされたらどうでしょう。嫌な気持ちになるに違いありません。程度によっては、そのホテルを利用するのをやめようとさえ思うでしょう。

日常のビジネスシーンでも、同じようなことが起きているかもしれません。ここで、皆さんと取引先様との電話応対を思い出してください、常日ごろ、すべての取引先様に丁寧に応対していますか。

ポイントは「すべての取引先様」です。一口に取引先様といっても、大口のお客様、小口のお客様、これからお客様になってくれるかもしれない見込み客、仕入先様などさまざまです。皆さんの中に、大口のお客様にはとても丁寧に接している一方で、小口のお客様には丁寧さに欠ける応対をしている人はいませんか。仕入先様に対しては、「うちが商品を買ってやっている」という態度や物言いになっていませんか。

ビジネスシーンにおける応対の基本は、お客様の大小や、お客様か仕入先様かで、変わっていては混乱します。なぜなら、小口のお客様は大口のお客様になるかもしれないからです。それに、仕入先様がお客様になるかもしれません。もう少し分かりやすく説明しましょう。小口のお客様が大口のお客様になった場合、相手に有利に契約条件などを変更するのは、ビジネスとしてよくあることです。逆に、大口のお客様が小口になることも少なくありません。取引の大きさに応じて、取引条件が変更するのはビジネス上、問題はありません。しかし、相手の立場や取引額によって、応対を変えるようでは、皆さんだけでなく、会社の信用にもかかわります。

今後、皆さんはどのような立場の相手の方でも、社外はもちろん社内でも、上司と部下の関係であっても、丁寧に接してください。丁寧過ぎるぐらいでかまいません。丁寧な応対は間違いなく、好感を生みます。仮に、厳しい交渉でも、丁寧な言葉遣いで行うと、相手は感情的になりません。部下を厳しい言葉で叱責する際も、丁寧な口調でいうと、部下は納得します。

丁寧さは言葉遣いと口調、そして所作に表れます。皆さんの敬語が多少間違っていても、ゆっくりと優しい口調であれば、丁寧さは伝わります。

そして、肝心なことですが、丁寧さにも基準があります。分かりますか。よく、「相手に不快感を与えないようにすればいい」という方がいますが、これはマナーの問題であって、丁寧さの基準ではありません。

私が考える丁寧さの基準を皆さんに教えましょう。その基準は「相手よりも」です。相手を上回る丁寧さで応対すれば、相手は好感を抱いてくれるでしょう。今日から、相手よりも丁寧に応対してください。

以上(2023年3月)

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日本の歴史人物(徳川家康)

1 徳川時代を築いた「徳川家康」

天文11年(1542年)、徳川家康は、三河岡崎城主松平広忠の嫡男として生まれました。幼少のときに今川家の人質として駿府へ向かう途中、織田軍に拉致されてしまいます。

今川家から独立した後の家康は、織田信長と清洲城で同盟を結びます。以後、信長と共に転戦し、長篠の合戦では、織田家と共同で武田の騎馬隊を破っています。

本能寺の変後は、信長亡き後の主導権を巡り、豊臣の大軍相手に善戦しました。その後は秀吉に降(くだ)り、豊臣政権の有力大名として五大老の一人に任じられています。

秀吉の死後は、天下の覇権を得るべく東軍の総大将として関ヶ原で石田三成と決戦、勝利します。慶長8年(1603年)、朝廷に征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きます。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣において豊臣秀頼を滅ぼし、戦国の乱世に終止符を打ったのです。

徳川家康の生涯

2 家康の有名エピソード

1)不遇な生活を余儀なくされた幼少時代

家康が生まれた当時、三河の松平氏は東の今川義元、西の織田信秀に攻め込まれ、滅亡の危機にありました。そこで、家康の父、三河岡崎城主松平広忠は、この危機を乗り越えるために、今川氏の支援を受けて織田氏と対決しようと決意します。今川氏の支援を受けるために、家康は駿府に人質として差し出されることになります。まだ幼く、竹千代と呼ばれていた頃でした。

しかし、家康は、今川氏のもとへ護送される途中で、織田軍に拉致されてしまいます。尾張の織田信秀の人質として数年を過ごした後は、再度人質として、駿府の今川義元のもとへ移ります。

こうして、家康は長期間に及ぶ不遇な生活を余儀なくされることとなります。

2)忍耐の人、家康

家康は、幼い頃から人質として過ごしたせいか、非常に慎重で、忍耐強い人でした。「悪賢い」などというイメージが付きまといますが、長い間の人質生活は、人を慎重にさせるには十分な試練だったのでしょう。

家康は、戦国の乱世に終止符を打ち、明治維新まで約300年もの間続く江戸幕府の創始者となりました。

しかし、その覇業の道のりは、決して楽なものではありませんでした。死を覚悟したことも幾度となくあったようで、むしろ、苦難の連続だったといえます。

3)家康の危機

長い家康の人生のなかで、生命の危険にさらされたことは一度や二度ではありません。例えば、次のような出来事があります。

  • 桶狭間の合戦で、今川義元が織田信長に討たれて、岡崎まで引き揚げるとき。
  • 三方ケ原の戦いで、武田信玄に手痛い敗戦を喫し、城まで追って来た信玄の兵に迫られたとき。
  • 本能寺で、織田信長が明智光秀に討たれて、あわてて伊賀越えを敢行し、地侍や土民の一揆や敵の兵士に出会ったとき。
  • 小牧山で、豊臣秀吉と対戦したとき、裏から三河に兵を出されて、追いかけて討ち取ったとき。
  • 関ヶ原の合戦で、小早川秀秋との駆け引きで、鉄砲を撃って脅したとき。
  • 大坂夏の陣で、真田信繁(幸村)に本陣を突かれて後退したとき。

4)家康をささえた武将

家康が生き長らえたのは、冷静な判断力と並外れた運だけではありません。団結力の強い三河武士の家臣の存在が非常に大きかったといわれています。

具体的には、徳川四天王といわれた、井伊直政 、酒井忠次 、榊原康政 、本多忠勝などの存在です。これほどいい家臣に恵まれた諸大名も少なく、あの織田信長でさえ褒めたたえたといわれています。

家康は、重要なポストはすべて譜代の大名で固め、仕官してきた人を、あまり雇わなかったことでも有名です。逆に、織田信長や豊臣秀吉は平素から仕官してくれば雇っていました。

家康は家臣を自分で育てるタイプだったのです。軍評を開くときでも家臣に意見を言わせて、最後は自分で結論を出す方式をとっていたようです。

このような家康の人材育成の手腕は、現在でも立派に通用するでしょう。

徳川家康

5)家臣は至極の宝

家康には家臣を非常に大切にしていたことを表す、さまざまなエピソードが残っています。

あるとき豊臣秀吉が、家康をはじめ諸大名を集めて、自分の宝物などを自慢して、「さて、家康殿はどのようなお宝をお持ちですかな」と尋ねたことがありました。

このとき家康は、「ご存じのように、それがしは三河の片田舎の生まれですので、何も珍しいものは持っておりません。しかしそれがしのためには、水の中、火の中へも飛び入り、命を惜しまない士を500騎ほど配下にしております。これこそ、この家康にとって、第一の宝物と思っております」と答えたといいます。これに対し秀吉は、赤面して「そのような宝は自分も欲しいものだ」と言った逸話が残っています。

家康は自慢をしたというより皮肉を言ったという感じですが、家臣を大切に思っていることがよく伝わります。

実際、豊臣秀吉はさまざまな方法で家康の家臣を引き抜こうとしたようです。家康が家臣を宝のように思っていたことは、家臣にもよく伝わり、家臣もまた家康のために命をなげうったのでしょう。

6)家康の“ウラ話”

家康の人生のなかで、面白いエピソードが残っています。それは、次のような話です。

三方ケ原の戦いでは、負けて逃げる途中、追っ手の姿も見えなくなった家康はおなかがすいてきました。そこで一軒の茶屋で小豆餅を食べることにします。そこへ追っ手が迫り、驚いた家康は金を払わずに一目散に逃げ出してしまうのです。今でいう“食い逃げ”です。

それを茶屋の女主人が追いかけてきて、家康を捕まえ、餅代を受け取ったという逸話が残っています。

この話が本当かどうかは定かではありませんが、静岡県浜松市内には、茶屋があったところは「小豆餅」、家康を捕まえたところは「銭取」と、それぞれ地名になっています。

以上(2023年4月)

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日本の歴史人物(豊臣秀吉)

1 出世に次ぐ出世で天下統一を成し遂げた「秀吉」

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、百姓の生まれですが、織田信長の小姓として取り立てられてより、自身の才能一つで次々と出世を重ね、織田家の武将、信長の後継者となり、そして天下統一を成し遂げました。

信長に取り立てられ、天下統一を成し遂げるまでの秀吉の生い立ちには、秀吉がいかに知略に優れていたかを示すさまざまなエピソードがあります。

豊臣秀吉の生涯

2 秀吉の有名エピソード

1)草履を温める気配り上手

秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた信長の草履取りの時代には、次のようなエピソードがあります。

ある雪の夜、信長が草履を履くと、温かくなっていた。「おまえは腰掛けていたな、不届き者め」と怒ると、秀吉は「凍るような日でございますゆえ、草履を胸に抱いて、温めておりました」といい、服の懐を開けて、草履の土がまだ付いているところを見せました。これに感心した信長は、すぐさま秀吉を草履取りの頭にしたといいます。

信長が秀吉に一目置くようになったきっかけは、この草履取りのエピソードにあるように信長に「気が利く」と思わせた点にあるのかもしれません。

2)プロジェクトリーダーとしての才能は抜群

藤吉郎が草履取りとして信長に仕えた清洲城(愛知県)では、ある時、地震で石垣が100間(約180メートル)ほど崩壊しました。藤吉郎は清洲城の修築工事の指揮を買って出ます。この工事は前任者がずいぶん時間を掛けても、なかなか進捗が思わしくなかったものです。

藤吉郎は職人たちを集めると、10組に分けました。そして100間ある城壁を10間ずつに分け、それぞれの担当として「これから競争で修復作業をするように。一番に仕上げた組には殿様からたくさんご褒美が出るぞ」と言い渡します。

職人たちも、100間は長い距離に見えますが、10間(約18メートル)なら、頑張れば何とか1週間でできそうな気がします。職人たちは昼夜を徹して働き続け、やがてどの組も1週間後、ほぼ修復を完了させました。

この仕事ぶりに信長は驚き、藤吉郎は出世の糸口をつかんだとされています。秀吉は現代でいうプロジェクトリーダーとして抜群の才能を持っていたのです。

豊臣秀吉

3)知略にたけた戦術家

秀吉がいかに知略にたけた戦術家であったかのエピソードはたくさんあります。その一つが天正9年(1581年)の鳥取城攻めです。

秀吉は、敵の兵糧の蓄えが多く戦が長期化しそうだと読むと、周到な作戦を練りました。まずは、城の兵糧を減らすために、商人を動員して鳥取城近辺の米を相場より高値で買いあさらせました。また、付近の村々を襲い、村人を鳥取城へと逃げ込ませたのです。城内の人口を増やし、早く食糧をなくす作戦です。

秀吉に完全に包囲された鳥取城の城内では、食糧が底を突き、木やねずみを食べたり、食糧を巡っての殺し合いも起きたりしました。そしてついに、城内の人間の助命と引き換えに城は秀吉に明け渡されたのです。

4)転機にとった素早い行動力

明智光秀が中国地方の毛利氏攻めの命を受けて大軍を率いて出発したものの、京都の本能寺で織田信長を襲撃した「本能寺の変」は秀吉の人生を大きく変える出来事でした。

そのとき、高松城で毛利方の勇将・清水宗治と対峙していた秀吉は、「本能寺の変」により信長死すの報を受け取るやいなや大急ぎで和睦に持ち込み、弔い合戦として後にいわれる「中国大返し」を敢行します。

光秀はまさか秀吉がそんなに早く引き返してくるとは思っておらず、「山崎の戦い」に敗れて退却中に命を落としました。わずか10日あまりの「天下」でした。この後、秀吉は光秀を倒したという実績もあり、信長の実質的な後継者となり、天下統一へ向かうことになります。

このように、転機にとった素早い行動力が、秀吉を天下人にしたのです。

5)秀吉のライバル家康

信長の実質的な後継者となった秀吉ですが、徳川家康という最大のライバルが存在することになります。

天正12年(1584年)3月、豊臣秀吉軍と徳川家康・織田信雄連合軍は互いに兵をあげることになります。この戦が「小牧・長久手の戦い」です。小牧でにらみ合いを続けた両者のうち、先に動いたのは秀吉軍でした。家康の本拠地岡崎を攻めるために三好秀次を総大将とした別動隊を送りましたが、その動きを察知した家康も行動を開始し、4月9日に長久手で激しい戦闘が起こりました。

結局、この戦いは、家康軍の勝利に終わりましたが、後に秀吉は信雄と和睦し、信長の後継者としての地位を確立しました。天下統一を果たした秀吉ですが、唯一戦で勝つことができなかった相手が家康なのです。

6)豪華絢爛(けんらん)な金を好んだ秀吉

天下統一を成し遂げた秀吉は、大坂(近代以降は「大阪」と表記)を本拠地と定め、日本の政治・経済の中心地としました。その象徴となったのが大坂城です。

大坂城は石山本願寺の跡地に、天正11年(1583年)より築城が開始された巨大で豪華絢爛な城です。初代の天守閣は金箔押しの屋根瓦で飾られ、天下人・秀吉の栄華の象徴でした。

秀吉の趣味は、茶の湯、能、鷹(たか)狩りであったといわれますが、なかでも、壁がすべて金でつくられた「黄金の茶室」は有名です。そのほかに、身の回りの品にもふんだんに黄金を使用するなど、秀吉は統治者としての威厳を誇示するために金を好みました。一代で大出世を果たした秀吉らしい好みといえるでしょう。

以上(2023年4月)

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インボイス制度開始間近! 事前準備と制度導入による影響とは?

書いてあること

  • 主な読者:インボイス制度について、詳しく知りたい経営者・税務担当者
  • 課題:インボイス制度の導入によって自社にどのような影響があるのか分からない
  • 解決策:自社が免税事業者だと取引継続のリスク、取引先が免税事業者だと納税額増加のリスクがある

1 最新の税制改正にも要注意! 開始間近のインボイス制度

2023年10月1日から「インボイス制度(適格請求書等保存方式)」が始まります。インボイス制度とは、

消費税額から控除できる金額(仕入税額控除額)を正しく計算するための制度

です。また、インボイスは、

仕入先が消費税を納めたことを証明するものとして、売上先が仕入税額控除を受けるためになくてはならない書類

になります。そして、

インボイスを発行できる事業者(以下「適格請求書発行事業者」)になるには、登録申請が必要

です。インボイス制度が始まる2023年10月1日から適格請求書発行事業者となるためには、原則として2023年3月31日までに登録申請書を提出しなければなりませんでした。ただし、令和5年度の税制改正により、

2023年9月30日までに申請を行えば、実質的に2023年10月1日からインボイス発行事業者としての登録が可能

になる予定です(2023年2月時点)。とはいえ、申請書を提出してから登録番号の通知が来るまでに通常3週間程度の時間がかかります。申請をする場合は、余裕を持って手続きをしましょう。

■国税庁「適格請求書発行事業者の登録申請手続」■
https://www.nta.go.jp/taxes/tetsuzuki/shinsei/annai/shohi/annai/0020009-098.htm

2 インボイス制度が始まるまでにすべきこと

インボイス制度が導入されると、自社が売り手となる取引では発行する請求書が、買い手となる取引では相手から受け取る請求書がそれぞれインボイスであるか否かで消費税の納税額などに影響します。

まずは、インボイス制度が始まるまでにすべきことを整理していきましょう。

1)適格請求書発行事業者の登録

適格請求書発行事業者になるには、「適格請求書発行事業者の登録申請書」を所轄の税務署に提出し、承認を受けなければなりません。ただし、適格請求書発行事業者の登録は任意です。また、原則として、免税事業者は適格請求書発行事業者の登録申請ができません。免税事業者とは、消費税の申告・納税の必要がない小規模な会社や個人事業主などです。

免税事業者が適格請求書発行事業者に登録するには、「課税事業者選択届出書」を提出して、課税事業者となった上で、適格請求書発行事業者の登録申請をする必要があります。ただし、経過措置として、2023年10月1日を含む課税期間中に登録を受けた場合は、登録を受けた日から課税事業者になれます。

税務署による審査を経て登録されると、登録番号が通知・公表されます。

2)請求書フォーマットをインボイス仕様に

インボイスには次の事項を記載しなければならないため、現在使っている請求書のフォーマットをインボイス仕様に変える必要があります。下記6.と7.がインボイス制度の導入により追加される項目です。

  • 適格請求書発行事業者の氏名又は名称
  • 取引年月日
  • 取引内容(軽減税率対象品目である場合にはその旨)
  • 請求書等受領者の氏名又は名称
  • 税抜(税込)取引金額を税率ごとに区分した合計額
  • 上記5.に対する消費税額等及び適用税率
  • 登録番号

下記の請求書フォーマットを参考にしてください。あくまで、上記7つの項目の記載があればよく、記載箇所などの決まりはありません。多くの会社では、請求書をシステム上で作成しているので、確認が必要です。

請求書フォーマット例

3 売上先・仕入先のそれぞれの影響と対応

1)売上先(得意先)への影響

適格請求書発行事業者は、売上先からインボイスの交付を要求されたときはインボイスを交付することが義務付けられています。そのため、

自社が適格請求書発行事業者でない場合、インボイスを交付することができず、売上先で行われる消費税の計算において、仕入税額控除の適用を受けられない

ことになります。その分、売上先の消費税の納税額が増えるので、値引きの要請や他社への乗り換えの恐れがあります。

ただし、インボイスを発行する必要のない課税事業者、例えば売上相手が消費者であるB to Cの事業者などは、あえて登録する必要はありません。なぜなら、

消費者には消費税の申告・納税義務がなく、仕入税額控除を受けられるかどうかは関係ない

からです。

2)仕入先への影響

インボイスの保存が仕入税額控除の適用を受けるための要件なので、インボイスを仕入先から受け取らなければなりません。

そのため、免税事業者や消費者等、適格請求書発行事業者以外から商品を仕入れたり、サービスを受けたりした場合は、原則として、仕入税額控除の適用を受けられません。

仕入税額控除の適用の有無

ただし、インボイス制度開始後6年間は、免税事業者や消費者からの課税仕入れについても、一定の割合を仕入税額控除できる経過措置が設けられています。

4 免税事業者に関する影響と対応

1)自社が免税事業者で、売上先が課税事業者の場合

自社が免税事業者で、売上先が課税事業者の場合は、

  • 取引の継続
  • 利益とキャッシュへの影響

の2点を考えます。

取引の継続については、売上先が仕入税額控除の適用を受けられません。それを理由に取引を拒まれたり、消費税分の値引きを要求されたりする恐れがあります。この点に対応するためには、自社は適格請求書発行事業者として登録する必要があります。

そして、自社が適格請求書発行事業者になる場合、利益とキャッシュへの影響が出てきます。自社が適格請求書発行事業者になるために課税事業者になると、消費税の申告・納税義務が新たに発生します。そのため、売上先への請求額が変わらないとすると、消費税(費用)が増加した分だけ利益が減少し、さらに消費税の納税資金が必要になります。

なお、令和5年度の税制改正により、

税事業者が、インボイス制度の導入に伴って課税事業者を選択した場合には、「消費税の納税額は、売上に係る消費税(仮受消費税)の2割にする」制度(2023年10月1日から2026年9月30日までの日の属する課税期間の限定措置)

が導入される予定です(2023年2月時点)。

2)自社が課税事業者で、仕入先が免税事業者の場合

自社が課税事業者で、仕入先が免税事業者の場合でも、上記同様「取引の継続」「利益とキャッシュへの影響」を考える必要があります。

取引の継続については、先ほどとは反対に、自社が仕入税額控除の適用を受けられません。そのため、仕入税額控除の適用を受けるには、仕入先に適格請求書発行事業者の登録をしてもらう、あるいは、現在の仕入先との取引を中止して、新たに適格請求書発行事業者との取引を開始するなどの対応が必要となります。

利益とキャッシュへの影響については、仕入税額控除の適用を受けられない分、消費税の納税額が増えます。仕入先からの支払額が変わらないとすると、消費税(費用)が増加した分だけ利益が減少し、また、消費税の納税資金が増加します。

5 取引先別の影響一覧と、免税事業者の対応比較

取引先別の影響

免税事業者の対応比較(メリット・デメリット)

以上(2023年3月)
(監修 南青山税理士法人 税理士 窪田博行)

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日本の歴史人物(織田信長)

1 日本人離れした先見性と合理性を併せ持った「織田信長」

尾張地方の一城主の長男に生まれた信長は、小さい頃は粗野でうつけ者と評判でしたが、成長してひとたび戦場で指揮を執ると天才的なひらめきを見せ、天下取りを目指して武将たちがしのぎを削る下克上の世の中でめきめき頭角を現していきました。

信長が大勢の戦国武将たちの中から抜きんでたのは、時代の一歩も二歩も先をゆく先見性と日本人離れした合理性によるものでした。

織田信長の生涯

2 信長の有名エピソード

信長にまつわるエピソードは多くありますが、この記事では代表的なものを紹介します。

1)能力ある家臣を積極的に登用

信長は家臣の登用も型破りでした。能力があり、自分の天下統一に役に立つと思えば、貧農出身の豊臣秀吉や新参者の明智光秀をも重臣に抜てきしました。人材は器量に応じて登用し、一族・肉親といえどもそれだけでは重用しませんでした。

半面、「能力がない」と判断した家臣に対しては、それまでの功績や身分に関係なく厳しい処罰をすることもありました。例えば、佐久間信盛は信長の父・信秀に仕え、後に信長に従った重鎮でしたが、戦果がはかばかしくない責任を取らせ、追放しました。ただし、このような厳しい処罰はメリットだけではなく、明智光秀の離反を招く一因になったと考えられています。

織田信長

2)誰でも商売ができるようにした「楽市楽座」

「天下布武」を目指した信長は、安土の地を自らの王国の建設地に選びました。その理由は諸説ありますが、琵琶湖が近く、水陸交通の要衝であったこと、生まれ故郷の尾張と旧勢力の中心地である京都とのちょうど中間にあったことなどが大きいとされています。信長は安土に戦国時代の覇者にふさわしい壮麗な安土城を建設し、城内に秀吉や前田利家などの重臣の邸宅を建てて住まわせました。

城下には楽市楽座を設けたため、全国から商人や職人たちが集まってきました。それまでは「座」という商人の組合に入らなければ、商売をすることが許されませんでした。信長は独占的な組織の「座」を廃止し、誰でも商売ができる世の中に変えたのです。また、貨幣の交換レートを定め、商品流通を促しました。こうした経済自由化の結果、国内産業は近代化への一歩を大きく踏み出したのです。

3)宗教と政治を切り離すことに力を傾ける

信長は宗教と政治を切り離すことにも力を傾けました。信長の天下統一の前には戦国大名だけでなく何人もの強大な戦国大名が立ち塞がり、そのたびに信長は合戦で勝利を収めてきましたが、そんな信長でも苦戦を強いられたのは一向宗や比叡山といった宗教集団でした。当時、彼らは僧侶でありながらも、巨大な政治力と軍隊を持っていました。信長は僧侶たちが政治の世界に介入することを許さず、徹底的に彼らを打ちのめしました。

だからといって信長は宗教そのものを否定したわけではありません。それはその頃、日本に入ってきたキリスト教に対する信長の態度を見れば明らかです。新し物好きでもあった信長は、イエズス会の宣教師たちを手厚くもてなし、彼らの布教を保護すると同時に、西洋文化を彼らから吸収したのです。

4)信長最後の言葉「是非に及ばず」

明智光秀が本能寺にいた織田信長を襲撃した「本能寺の変」は戦国時代、あるいは日本の歴史を大きく変える大事件でした。

わずかな供回りを連れて本能寺に滞在していた信長は、夜半、人々の争う声で目を覚まします。襲撃者が光秀と知った信長の口から出たのは「是非に及ばず」という言葉だったといわれています。

この「是非に及ばず」とは普通、「仕方がない」と訳すことができます。光秀ほどの戦上手が囲んだからにはもう逃げ場はない、諦めよう、という意味にとることもできます。

しかし、別の解釈も成り立ちます。「是非」は本来「善しあし」という意味ですから、「善い悪いは関係ない、自分と同じことを今度は光秀がやろうとしているだけだ」と捉えることもできるでしょう。であるならば、善悪を超越した乱世の雄、信長らしい言葉といえるでしょう。

【参考】

  • 小学館「Jr.日本の歴史 4」(平川南、五味文彦、大石学、大門正克編 山田邦明著)
  • 山川出版社「戦国大名 歴史文化遺産」(五味文彦監修)
  • ポプラ社「織田信長(徹底大研究日本の歴史人物シリーズ5)」(谷口克広監修)

以上(2023年4月)

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“行き過ぎた配慮”を卒業し、「三方よし」を実現しよう

来月から新年度ですね。今日はビジネスの鉄則「三方よし」をテーマに話をします。三方よしは、「売り手」と「買い手」がともに満足し、「世間」にも良い影響を与えられるのが本当の商売であるという、江戸時代から伝わる有名な経営哲学です。ただ、私は最近、買い手や世間への“行き過ぎた配慮”が、「三方よし」の妨げになっているのではないかと思うことがあります。

例えば、テレビ業界で使われる「コンプライアンス」という言葉です。本来は「法令遵守」という意味ですが、テレビ業界では「道徳的に守らなければならないルール」といった意味でも使われており、最近のバラエティー番組では、痛みを伴う罰ゲームが減り、人の容姿をいじることがNGになるなどの影響があるようです。

コンプライアンス自体は尊重すべきで、差別につながり得る表現などは是正されて当然です。ただ、最近はハリセンで人をたたくことさえ目にしなくなり、売り手であるテレビ局が、一部の視聴者からのクレームを避けたいだけのように思えることもあります。買い手である視聴者への配慮が“行き過ぎ”て、無難な番組しか作れなくなれば、視聴者が楽しめる番組がなくなります。表現の規制が本来必要なレベルを超えてしまうのは、世間にとっても良くありません。うがった見方をすれば、クレームを避けたいテレビ局のエゴともいえます。「三方よし」の考え方に照らすと、「売り手だけよし」の状態といったところでしょうか。

私たちのビジネスでも、同じようなことがあるでしょう。分かりやすいのは、お客さまから、提供している商品やサービスに対して「価格を下げてほしい」と言われた場合です。もちろん、お客さまの要望にある程度歩み寄ることは必要ですが、そこにとらわれすぎると、何かを犠牲にしなければならなくなってしまいます。この場合、売り手である私たちの事業継続に支障が出るほど利益を損なうことになるか、お客さまの利便性を悪化させかねないほどにまで品質を落とすしか、対応方法がないでしょう。2つの対応のいずれかを取った場合、「三方よし」の考え方に照らすと、「買い手だけよし」、もしくは「三方わるし」の状態になってしまいます。

そうではなく、本当の意味での「三方よし」を実現するためには、私は買い手や世間への“行き過ぎた配慮”を卒業する必要があると思います。それはつまり、私たちが売り手としての存在意義を自覚し、お客さまに対しても譲れない部分を明確にすることです。お客さまの不利益になったり、道徳に反したりすることは許されませんが、そうでないのなら、「私たちは、商品やサービスを通じてこんな価値を提供できる」という自分たちの強みを、自信を持ってプッシュしていくのです。お客さまや世間からそこへの共感を得てこそ、「売り手、買い手、世間よし」ではないでしょうか。まずは「自分を出す」ことから始め、エネルギッシュな新年度にしていきましょう。

以上(2023年3月)

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ご存知ですか 経営者・役員の退職金制度の基礎の基礎

役員が退職するときには、従業員退職金規程にはない「役員退職金」を支給することができる。役員退職金は、会社法上、株主総会の決議が必要なことからはじまり、支給までの流れが従業員退職金とは異なる。また、会社側では税金の負担が軽減できるメリットもあるが、株主総会の承認などを得る必要があるので、株主の説得が必要となり時間や手間がかかる。今回は、役員退職金制度の基本的なところを中心に、メリットデメリット、支給金額の決め方、支給までの流れなどをわかりやすく解説していく。

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中小企業の経営者が知っておきたいサイバーセキュリティ対策

サイバー攻撃等による情報セキュリティ事故は、自社のみならず、関係先・関与先まで影響を与え、企業の存続にかかわる問題にまで発展する。しかしながら、サイバー攻撃で最も弱いところは、IT機器を操作する人の部分であり、漫然とIT機器を使用することが会社を危険にさらすことになる。まさに情報セキュリティ事故は、「人災」と言っても過言ではない。今回は、サイバー攻撃の種類や、サイバー攻撃を受けた時のリスクから、事故が発生した時の対応策や社内における訓練などを、わかりやすく解説していく。

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中小企業の経営者が知っておきたいサイバーセキュリティ対策

1 サイバー攻撃とは

(1)業務効率化のためのIT機器

いまや、パソコン、スマートフォン、インターネット(以下「IT機器」とします)を利用せずに業務を行うことは考えられず、それらIT機器をツールとして使う事で業務を効率的におこなう事ができます。

IT機器以外にも業務で用いるツールには様々ありますが、誤った使い方をすると逆にダメージを受けることになります。

例えば、自動車。とても便利ですが、事故は避けたいものです。

製品製造のための機器も安く大量に生産するには必要ですが、場合によっては巻き込まれ事故などが発生することもあります。

IT機器なども業務を効率化するためには必須ですが、その使い方を誤れば、情報漏えいや、サイバー攻撃の的となり、業務停止や、損害賠償の責任を負うような事にもなりかねません。

IT機器を正しく使用し、サイバー攻撃から会社を守ることはこれからの業務を行っていく上で大変重要になってきます。

(2)サイバー攻撃とは

サイバー攻撃とは、インターネットやIT機器を用い、個人や組織を対象に、金銭の窃取や個人情報の詐取、あるいはシステムの機能停止などを目的として行われる攻撃です。例えば以下の様な目的があります。

  • 不正アクセスにより企業が保有する機密情報や顧客情報を窃取する
  • ホームページやシステムをダウンさせるなどして何かしらの被害を与える
  • IDやパスワードを入手し、不正ログインやなりすましによるクレジットカードの不正利用、預金口座から送金する

(3)サイバー攻撃の目的

サイバー攻撃を行う目的はさまざまです。

  • 愉快犯的な犯行や自身が持つ技術力を見せつけたいというもの
  • 金銭の収奪を目的とするもの
  • 特定組織の機密情報を窃取するもの
  • 企業活動の停止を目的とするもの
  • ある特定の相手を攻撃するための踏み台としてパソコン等を乗っ取るもの

いずれにしても、ひとたび攻撃に遭ってしまえば、企業活動に様々な影響があり、場合によっては企業存続の危機に陥ることになります。

(4)セキュリティインシデントの発生状況

IPA情報処理推進機構発行の「情報セキュリティ白書2022」によれば、国内の2021年のセキュリティインシデントの発生状況は769件となり、2020年の537件から43%増加しています。毎日2件程度、情報セキュリティ事故が発生していることになります。

また、割合が最も多いのは「不正アクセス」で、37.2% でした。

前年比では、「不正アクセス」が 141.6%、「改ざん」が 242.9%、「情報流出」が 135.6%、「その他」が 129.9% でした。
https://www.ipa.go.jp/security/publications/hakusyo/2022.html

(5)サイバー攻撃の種類

主なものについて説明します。

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画像:photo-ac

【朝礼】少し春めいてきました。散歩に出かけましょう

今日は、散歩についてお話しします。歩くことは健康にいいのはもちろんのこと、そのほかにもメリットがあります。

散歩といっても、もっぱら運動目的で歩く場合はウォーキングになります。ウォーキングは1分間で100メートル、時速にすると6キロメートルのスピードです。これは、男性の急ぎ足、例えば、忘れ物に気が付いて、少し急いで戻るときのペースです。こうした歩き方をするにはトレーニングウエアにウォーキングシューズが必要です。ビジネススーツ・ビジネスシューズで歩くには無理があります。

私がお勧めするのは、時速4キロメートル程度の速すぎず遅すぎずというペースで、少し長めの距離を歩くことです。要は長めの散歩と考えてください。

散歩は、健康であれば誰でもできることです。散歩にはたくさんの効用があります。腕を振って歩くので、筋肉運動になります。長く歩けば有酸素運動となり、ダイエットにもわずかながら効果があるでしょう。汗をかくので代謝がよくなります。街を歩けば、そこには新しい発見があります。私の場合、最も効果があると感じているのは、脳が活性化されるのか、よいアイデアが浮かんだり、不安が解消されたりすることです。

歩いていると、考えたくなくても次から次へと考えが浮かんでくるのです。机に向かって熟慮していると、思考が煮詰まった状態になりがちです。そうしたとき、私は散歩に出かけるようにしています。

すると霧が晴れたように、混乱していた思考の整理ができるのです。例えば、「今後の経営方針」「仕事の具体的な進め方」「取引先への提案内容」「部下への指導方法」など机に向かっているだけでは、思い浮かばなかったようなことに気が付きます。皆さんも、思考がまとまらないときには、会社の周りを散歩してください。

お昼休みを利用して20~30分散歩するだけでも、効果はあるでしょう。より長い距離を歩くのであれば、通勤を利用し、1~2駅を歩いてください。

私は仕事の壁にぶつかって悩んでいる社員に「よく考えなさい」とアドバイスしてきました。それでも壁を破れない社員には「もう一度よく考えなさい」と言ってきました。しかし、これは間違っていたのかもしれません。壁にぶつかって悩んでいる社員の多くは、実はよく考え抜いたものの、結果がうまくいかなかったのです。

今の私のアドバイスは「よく考えなさい」、それで駄目なら「散歩に出かけなさい」と言います。何より、気分転換になりますし、思考が整理でき、気持ちが前向きになるからです。

散歩は体に大きな負担にならず、気分を爽快にしてくれます。皆さんの心と体の健康のため、仕事のためにも、散歩をお勧めします。

少し春めいてきて、暖かくなってきました。皆さん(私といっしょに)、散歩に出かけましょう。

以上(2023年3月)

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画像:Mariko Mitsuda