日本の歴史人物(織田信長)

1 日本人離れした先見性と合理性を併せ持った「織田信長」

尾張地方の一城主の長男に生まれた信長は、小さい頃は粗野でうつけ者と評判でしたが、成長してひとたび戦場で指揮を執ると天才的なひらめきを見せ、天下取りを目指して武将たちがしのぎを削る下克上の世の中でめきめき頭角を現していきました。

信長が大勢の戦国武将たちの中から抜きんでたのは、時代の一歩も二歩も先をゆく先見性と日本人離れした合理性によるものでした。

織田信長の生涯

2 信長の有名エピソード

信長にまつわるエピソードは多くありますが、この記事では代表的なものを紹介します。

1)能力ある家臣を積極的に登用

信長は家臣の登用も型破りでした。能力があり、自分の天下統一に役に立つと思えば、貧農出身の豊臣秀吉や新参者の明智光秀をも重臣に抜てきしました。人材は器量に応じて登用し、一族・肉親といえどもそれだけでは重用しませんでした。

半面、「能力がない」と判断した家臣に対しては、それまでの功績や身分に関係なく厳しい処罰をすることもありました。例えば、佐久間信盛は信長の父・信秀に仕え、後に信長に従った重鎮でしたが、戦果がはかばかしくない責任を取らせ、追放しました。ただし、このような厳しい処罰はメリットだけではなく、明智光秀の離反を招く一因になったと考えられています。

織田信長

2)誰でも商売ができるようにした「楽市楽座」

「天下布武」を目指した信長は、安土の地を自らの王国の建設地に選びました。その理由は諸説ありますが、琵琶湖が近く、水陸交通の要衝であったこと、生まれ故郷の尾張と旧勢力の中心地である京都とのちょうど中間にあったことなどが大きいとされています。信長は安土に戦国時代の覇者にふさわしい壮麗な安土城を建設し、城内に秀吉や前田利家などの重臣の邸宅を建てて住まわせました。

城下には楽市楽座を設けたため、全国から商人や職人たちが集まってきました。それまでは「座」という商人の組合に入らなければ、商売をすることが許されませんでした。信長は独占的な組織の「座」を廃止し、誰でも商売ができる世の中に変えたのです。また、貨幣の交換レートを定め、商品流通を促しました。こうした経済自由化の結果、国内産業は近代化への一歩を大きく踏み出したのです。

3)宗教と政治を切り離すことに力を傾ける

信長は宗教と政治を切り離すことにも力を傾けました。信長の天下統一の前には戦国大名だけでなく何人もの強大な戦国大名が立ち塞がり、そのたびに信長は合戦で勝利を収めてきましたが、そんな信長でも苦戦を強いられたのは一向宗や比叡山といった宗教集団でした。当時、彼らは僧侶でありながらも、巨大な政治力と軍隊を持っていました。信長は僧侶たちが政治の世界に介入することを許さず、徹底的に彼らを打ちのめしました。

だからといって信長は宗教そのものを否定したわけではありません。それはその頃、日本に入ってきたキリスト教に対する信長の態度を見れば明らかです。新し物好きでもあった信長は、イエズス会の宣教師たちを手厚くもてなし、彼らの布教を保護すると同時に、西洋文化を彼らから吸収したのです。

4)信長最後の言葉「是非に及ばず」

明智光秀が本能寺にいた織田信長を襲撃した「本能寺の変」は戦国時代、あるいは日本の歴史を大きく変える大事件でした。

わずかな供回りを連れて本能寺に滞在していた信長は、夜半、人々の争う声で目を覚まします。襲撃者が光秀と知った信長の口から出たのは「是非に及ばず」という言葉だったといわれています。

この「是非に及ばず」とは普通、「仕方がない」と訳すことができます。光秀ほどの戦上手が囲んだからにはもう逃げ場はない、諦めよう、という意味にとることもできます。

しかし、別の解釈も成り立ちます。「是非」は本来「善しあし」という意味ですから、「善い悪いは関係ない、自分と同じことを今度は光秀がやろうとしているだけだ」と捉えることもできるでしょう。であるならば、善悪を超越した乱世の雄、信長らしい言葉といえるでしょう。

【参考】

  • 小学館「Jr.日本の歴史 4」(平川南、五味文彦、大石学、大門正克編 山田邦明著)
  • 山川出版社「戦国大名 歴史文化遺産」(五味文彦監修)
  • ポプラ社「織田信長(徹底大研究日本の歴史人物シリーズ5)」(谷口克広監修)

以上(2023年4月)

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“行き過ぎた配慮”を卒業し、「三方よし」を実現しよう

来月から新年度ですね。今日はビジネスの鉄則「三方よし」をテーマに話をします。三方よしは、「売り手」と「買い手」がともに満足し、「世間」にも良い影響を与えられるのが本当の商売であるという、江戸時代から伝わる有名な経営哲学です。ただ、私は最近、買い手や世間への“行き過ぎた配慮”が、「三方よし」の妨げになっているのではないかと思うことがあります。

例えば、テレビ業界で使われる「コンプライアンス」という言葉です。本来は「法令遵守」という意味ですが、テレビ業界では「道徳的に守らなければならないルール」といった意味でも使われており、最近のバラエティー番組では、痛みを伴う罰ゲームが減り、人の容姿をいじることがNGになるなどの影響があるようです。

コンプライアンス自体は尊重すべきで、差別につながり得る表現などは是正されて当然です。ただ、最近はハリセンで人をたたくことさえ目にしなくなり、売り手であるテレビ局が、一部の視聴者からのクレームを避けたいだけのように思えることもあります。買い手である視聴者への配慮が“行き過ぎ”て、無難な番組しか作れなくなれば、視聴者が楽しめる番組がなくなります。表現の規制が本来必要なレベルを超えてしまうのは、世間にとっても良くありません。うがった見方をすれば、クレームを避けたいテレビ局のエゴともいえます。「三方よし」の考え方に照らすと、「売り手だけよし」の状態といったところでしょうか。

私たちのビジネスでも、同じようなことがあるでしょう。分かりやすいのは、お客さまから、提供している商品やサービスに対して「価格を下げてほしい」と言われた場合です。もちろん、お客さまの要望にある程度歩み寄ることは必要ですが、そこにとらわれすぎると、何かを犠牲にしなければならなくなってしまいます。この場合、売り手である私たちの事業継続に支障が出るほど利益を損なうことになるか、お客さまの利便性を悪化させかねないほどにまで品質を落とすしか、対応方法がないでしょう。2つの対応のいずれかを取った場合、「三方よし」の考え方に照らすと、「買い手だけよし」、もしくは「三方わるし」の状態になってしまいます。

そうではなく、本当の意味での「三方よし」を実現するためには、私は買い手や世間への“行き過ぎた配慮”を卒業する必要があると思います。それはつまり、私たちが売り手としての存在意義を自覚し、お客さまに対しても譲れない部分を明確にすることです。お客さまの不利益になったり、道徳に反したりすることは許されませんが、そうでないのなら、「私たちは、商品やサービスを通じてこんな価値を提供できる」という自分たちの強みを、自信を持ってプッシュしていくのです。お客さまや世間からそこへの共感を得てこそ、「売り手、買い手、世間よし」ではないでしょうか。まずは「自分を出す」ことから始め、エネルギッシュな新年度にしていきましょう。

以上(2023年3月)

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ご存知ですか 経営者・役員の退職金制度の基礎の基礎

役員が退職するときには、従業員退職金規程にはない「役員退職金」を支給することができる。役員退職金は、会社法上、株主総会の決議が必要なことからはじまり、支給までの流れが従業員退職金とは異なる。また、会社側では税金の負担が軽減できるメリットもあるが、株主総会の承認などを得る必要があるので、株主の説得が必要となり時間や手間がかかる。今回は、役員退職金制度の基本的なところを中心に、メリットデメリット、支給金額の決め方、支給までの流れなどをわかりやすく解説していく。

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中小企業の経営者が知っておきたいサイバーセキュリティ対策

サイバー攻撃等による情報セキュリティ事故は、自社のみならず、関係先・関与先まで影響を与え、企業の存続にかかわる問題にまで発展する。しかしながら、サイバー攻撃で最も弱いところは、IT機器を操作する人の部分であり、漫然とIT機器を使用することが会社を危険にさらすことになる。まさに情報セキュリティ事故は、「人災」と言っても過言ではない。今回は、サイバー攻撃の種類や、サイバー攻撃を受けた時のリスクから、事故が発生した時の対応策や社内における訓練などを、わかりやすく解説していく。

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中小企業の経営者が知っておきたいサイバーセキュリティ対策

1 サイバー攻撃とは

(1)業務効率化のためのIT機器

いまや、パソコン、スマートフォン、インターネット(以下「IT機器」とします)を利用せずに業務を行うことは考えられず、それらIT機器をツールとして使う事で業務を効率的におこなう事ができます。

IT機器以外にも業務で用いるツールには様々ありますが、誤った使い方をすると逆にダメージを受けることになります。

例えば、自動車。とても便利ですが、事故は避けたいものです。

製品製造のための機器も安く大量に生産するには必要ですが、場合によっては巻き込まれ事故などが発生することもあります。

IT機器なども業務を効率化するためには必須ですが、その使い方を誤れば、情報漏えいや、サイバー攻撃の的となり、業務停止や、損害賠償の責任を負うような事にもなりかねません。

IT機器を正しく使用し、サイバー攻撃から会社を守ることはこれからの業務を行っていく上で大変重要になってきます。

(2)サイバー攻撃とは

サイバー攻撃とは、インターネットやIT機器を用い、個人や組織を対象に、金銭の窃取や個人情報の詐取、あるいはシステムの機能停止などを目的として行われる攻撃です。例えば以下の様な目的があります。

  • 不正アクセスにより企業が保有する機密情報や顧客情報を窃取する
  • ホームページやシステムをダウンさせるなどして何かしらの被害を与える
  • IDやパスワードを入手し、不正ログインやなりすましによるクレジットカードの不正利用、預金口座から送金する

(3)サイバー攻撃の目的

サイバー攻撃を行う目的はさまざまです。

  • 愉快犯的な犯行や自身が持つ技術力を見せつけたいというもの
  • 金銭の収奪を目的とするもの
  • 特定組織の機密情報を窃取するもの
  • 企業活動の停止を目的とするもの
  • ある特定の相手を攻撃するための踏み台としてパソコン等を乗っ取るもの

いずれにしても、ひとたび攻撃に遭ってしまえば、企業活動に様々な影響があり、場合によっては企業存続の危機に陥ることになります。

(4)セキュリティインシデントの発生状況

IPA情報処理推進機構発行の「情報セキュリティ白書2022」によれば、国内の2021年のセキュリティインシデントの発生状況は769件となり、2020年の537件から43%増加しています。毎日2件程度、情報セキュリティ事故が発生していることになります。

また、割合が最も多いのは「不正アクセス」で、37.2% でした。

前年比では、「不正アクセス」が 141.6%、「改ざん」が 242.9%、「情報流出」が 135.6%、「その他」が 129.9% でした。
https://www.ipa.go.jp/security/publications/hakusyo/2022.html

(5)サイバー攻撃の種類

主なものについて説明します。

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【朝礼】少し春めいてきました。散歩に出かけましょう

今日は、散歩についてお話しします。歩くことは健康にいいのはもちろんのこと、そのほかにもメリットがあります。

散歩といっても、もっぱら運動目的で歩く場合はウォーキングになります。ウォーキングは1分間で100メートル、時速にすると6キロメートルのスピードです。これは、男性の急ぎ足、例えば、忘れ物に気が付いて、少し急いで戻るときのペースです。こうした歩き方をするにはトレーニングウエアにウォーキングシューズが必要です。ビジネススーツ・ビジネスシューズで歩くには無理があります。

私がお勧めするのは、時速4キロメートル程度の速すぎず遅すぎずというペースで、少し長めの距離を歩くことです。要は長めの散歩と考えてください。

散歩は、健康であれば誰でもできることです。散歩にはたくさんの効用があります。腕を振って歩くので、筋肉運動になります。長く歩けば有酸素運動となり、ダイエットにもわずかながら効果があるでしょう。汗をかくので代謝がよくなります。街を歩けば、そこには新しい発見があります。私の場合、最も効果があると感じているのは、脳が活性化されるのか、よいアイデアが浮かんだり、不安が解消されたりすることです。

歩いていると、考えたくなくても次から次へと考えが浮かんでくるのです。机に向かって熟慮していると、思考が煮詰まった状態になりがちです。そうしたとき、私は散歩に出かけるようにしています。

すると霧が晴れたように、混乱していた思考の整理ができるのです。例えば、「今後の経営方針」「仕事の具体的な進め方」「取引先への提案内容」「部下への指導方法」など机に向かっているだけでは、思い浮かばなかったようなことに気が付きます。皆さんも、思考がまとまらないときには、会社の周りを散歩してください。

お昼休みを利用して20~30分散歩するだけでも、効果はあるでしょう。より長い距離を歩くのであれば、通勤を利用し、1~2駅を歩いてください。

私は仕事の壁にぶつかって悩んでいる社員に「よく考えなさい」とアドバイスしてきました。それでも壁を破れない社員には「もう一度よく考えなさい」と言ってきました。しかし、これは間違っていたのかもしれません。壁にぶつかって悩んでいる社員の多くは、実はよく考え抜いたものの、結果がうまくいかなかったのです。

今の私のアドバイスは「よく考えなさい」、それで駄目なら「散歩に出かけなさい」と言います。何より、気分転換になりますし、思考が整理でき、気持ちが前向きになるからです。

散歩は体に大きな負担にならず、気分を爽快にしてくれます。皆さんの心と体の健康のため、仕事のためにも、散歩をお勧めします。

少し春めいてきて、暖かくなってきました。皆さん(私といっしょに)、散歩に出かけましょう。

以上(2023年3月)

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そばのうんちく

1 そばのうんちく

この記事では、知っていればそばを食べるのがより楽しくなる、そばのうんちくについてみていきます。なお、以降で紹介するのは諸説あるうちの一説であり、異なる見解があることをご了承ください。

2 縄文時代から栽培されていたそば

そばの発祥の地は諸説ありますが、中国雲南省周辺などといわれています。

日本への伝来は早く、縄文時代とされています。高知県の当時の地層から、そばの花粉が発見されています。また、そばの花粉増加や石器の存在などから、縄文時代から弥生時代には、すでにそばの栽培も行われていたという説もあります。

3 そば切りの誕生

そうめんやうどんなど、日本の伝統的な麺類に比べ、現在のような細長い形のそば、すなわち「そば切り」が誕生したのは、比較的最近のことのようです。

そうめんやうどんのもととなったのは、「索餅(さくべい)」と呼ばれる中国伝来の麺だといわれています。索餅は、奈良時代遣唐使によって日本に伝わり、食べられるようになったそうです。

その後、詳細は不明ですが、平安時代から室町時代にかけて麺を伸ばして糸状にするそうめんが奈良県で誕生したといわれます。また、粉を練って細長く切って食べるという調理方法も中国から伝来し、室町時代初期にはすでに現在の製法に近いうどんが登場していたといわれています。

一方、本格的にそば切りが普及し出したのは、江戸中期以降のことです。この頃、そばに小麦粉のつなぎを2割ほど加えた「二八そば」が登場したといわれています。喉ごしが良くて安価なことから、これがそば人気の定着を後押ししたようです。

4 全国の名物そば

1)津軽そば(青森県・津軽)

大豆を水に浸してそば粉に混ぜ込んだものです。甘みのあるそばで、日持ちがよいとされています。

2)わんこそば(岩手県)

大食いのイメージが定着しているわんこそばですが、もともとは大切なお客さんにたくさんそばを食べてもらうためのもてなし料理だったといわれています。素早く椀(わん)に投げ入れられるそばと一緒に、刺し身や鶏肉そぼろなどの豪華な薬味が添えられます。

3)大根そば(栃木県・佐野)

刺し身のつまのように細く切った大根を、そばと盛り合わせるのが大根そばです。明治時代から郷土料理として食べられているようです。

4)深大寺そば(東京都)

その昔、江戸(現・東京都)にある深大寺の住職が、まわりの人々や全国の大名に深大寺そばのおいしさを言い広め、その味の良さが広まったことから有名になったのが深大寺そばです。

5)富倉そば(長野県・富倉)

山ごぼうの葉を干して取った繊維をつなぎにしたそばです。そばの色は濃く、シコシコとした独特の食感と豊かな香りに特徴があるといわれています。

6)へぎそば(新潟県・小千谷)

衣類ののりづけにも使われる「フノリ」という海草をつなぎにして打ったそばです。口に広がる磯の香りが特徴です。なお、へぎというのはそばを盛る細長い木箱のことです。一箸分ずつを、波紋のように美しく並べる盛りつけも、へぎそば独特のものです。


へぎそば

7)割子そば(島根県・出雲)

何段にも重なった器に、とりどりの薬味をのせたそばを盛るのが割子そばです。出雲そばは甘皮の部分まで粉にひくので、色が黒く、香りが高いのが特徴だといわれています。

5 そばをもっとおいしく食べるための豆知識

1)関東のそばと関西のうどん

一般的に、関東ではそばが好まれる地域が多く、関西ではうどんが好まれる地域が多くなっています。なぜこうなったか、はっきりとしたことは分からないものの、理由の一つとしてよく挙げられるのは「気候風土の違い」です。小麦の栽培には、年間を通して温暖な気候が必要ですが、そばは寒冷地に強いという特徴があります。そのため、気温の低い関東以北ではそばを栽培する地域が多く、これが食文化の違いになっていったと考えられています。

2)そばの栄養

そばには多くのビタミン類が含まれています。例えば、心臓病の予防や、食欲不振の解消といった効果が期待できるとされるビタミンBl、高血圧や動脈硬化の予防効果が期待できるとされるビタミンB2などが含まれています。また、ポリフェノールの一種であるルチンも豊富に含まれており、毛細血管の強化や膵臓(すいぞう)機能の活性化などの効果が期待できるといわれています。

そば

以上(2023年3月)

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カレーのうんちく

1 カレーのうんちく

この記事では、知っていればカレーを食べるのがより楽しくなる、カレーのうんちくについてみていきます。なお、以降で紹介するのは諸説あるうちの一説であり、異なる見解があることをご了承ください。

2 「カレー」の語源

カレーの起源となったのは、インドとその周辺諸国の料理だといわれています。しかし、インドには「カレー」という名の料理はないようです。インド料理でカレーにあたる料理には、日本のようなカレー粉は使われません。食材や調理法に合わせ、その都度、必要なスパイスを組み合わせます。中にはあらかじめ混合されたスパイスもあり、こうしたインドの伝統的な混合香辛料は「マサラ」と呼ばれています。

カレー(Curry)の語源については、タミール語で「ソース」を意味する「Kari(カリ)」に由来するという説や、ヒンズー語で「おいしいもの」を意味する「Turcarri(ターカリー)」から来たという説など、諸説あります。

3 英国人とカレー

英国は1600年代初頭、インドにインド以東のアジア地域との貿易を独占的に行う特権会社、東インド会社を設立しました。インドの植民地支配が国家による支配に切り替えられるまで、東インド会社がインドの植民地支配の機関としての役割を担いました。これは、当時は貴重品だった香辛料を確保するために、日常の食事の中でさまざまな香辛料を取り入れているインドを支配して、英国が香辛料貿易を独占することが目的であったとされています。

1772年ごろに、東インド会社社員ヘースティングズが、英国にカレーの原料となるスパイスを伝え、このスパイスを使った料理と米を組み合わせた料理が、英国でのカレーの始まりだといわれています。なお、このヘースティングズは、のちにベンガル総督になりました。

インドのカレーは、基本的に小麦粉を使わず、他国のもののようにとろみの出るまで煮込むことはあまりありませんが、英国では小麦粉をバターなどで炒めたルーを使う煮込み料理としてアレンジされ、大人気となったようです。

4 日本に紹介されたカレー

日本に初めてカレーの作り方が紹介されたのは、明治5年(1872年)に刊行された敬学堂主人の「西洋料理指南」と仮名垣魯文の「西洋料理通」といわれています。

これらの料理書では、カレーはご飯にかけて食べるものとして紹介されていたようです。日本のカレーには、はじめからご飯がつきものだったようです。

5 ひょんなことから見直された国産カレー粉

初めての国産カレー粉は、明治36年(1903年。明治38年という説もある)に、大阪の「今村弥」(現・ハチ食品)が発売したのが最初だといわれています。その後も各社からカレー粉が発売され、日本のカレー粉は徐々にその品質を上げていきました。

しかし、当時のプロの料理人たちは国産カレー粉の質が劣ると考え、英国のC&B製カレー粉を中心に使っていたようです。ところが、自社のカレー粉の日本での流通量が出荷量に比べて多すぎるという疑いを持ったC&B社が調査を行ったところ、昭和6年(1931年)に出回っていた商品の相当数が偽物であることが判明し、騒動になりました。

ただ、結果的にはこの一件により、国産カレー粉の品質がC&Bのカレー粉に遜色ないと知れ渡りました。そして国産カレー粉が一気に普及し、家庭の食卓にカレーが並ぶようになったといわれています。

6 カレー調理に革命を起こした即席カレー

家庭で作るカレーといえば、今ではルーを割り入れて溶かすだけの即席カレーが一般的です。即席カレーの元祖とされているのは「一貫堂」の、肉も入っていて、お湯に溶くだけで食べられる「カレーライスのタネ」ですが、詳しい資料はありません。そのため、大正3年(1914年)に発売された岡本商店の「ロンドン土産即席カレー」が元祖といわれることもあります。

また、大正15年(1926年)に「浦上商店」(現・ハウス食品)が「ホームカレー」を発売するなど、現在まで続くブランドの商品が登場しています。

なお、さらに手軽に食べられるカレーとして人気の高いレトルトカレーの元祖は、昭和43年(1968年)に発売された「大塚食品」の「ボンカレー」といわれています。

カレーライス

7 カレーをもっとおいしく食べるための豆知識

1)カレーうどんやカレーパンの誕生

カレーの魅力の一つに、他の色々なメニューにアレンジできる応用力の高さがあります。例えば、カレーを使った代表的なメニューにカレーうどん(そば)やカレーパンなどがあります。カレーうどん(そば)の始まりについては詳しい記録が残っていませんが、明治41年(1908年)ごろには、大阪のそば屋で「カレー南蛮」が誕生していたようです。また、カレーパンは昭和2年(1927年)に東京のパン屋である「名花堂」(現・やきたてパン カトレア)が発売を開始しました。

2)香辛料の薬効

カレーに使われる多彩な香辛料は、その多くが漢方薬として使われるものでもあります。例えば、ターメリックは消毒効果を持ち、肝機能を高める作用のある「ウコン」、クローブは消化促進や口臭予防効果のある「チョウジ」の別名です。

以上(2023年3月更新)

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パンのうんちく

1 パンのうんちく

ここでは、パンが発見されたきっかけなどについてみていきます。なお、以下で紹介するのは諸説あるうちの一説であり、異なる見解があることをご了承ください。

2 パンが発見されたきっかけ

現在の主流となっているたくさんの空気を含んだ「発酵パン」は、ちょっとした偶然から生まれたといわれています。定かではありませんが、一説には、4000年ほど前に、エジプトで単純に前日残ったパン種を翌日そのまま焼いたら発酵パンが出来上がったといわれます。空気中などに漂っている野生酵母が偶然にパンを発酵させたのでしょう。

3 ギリシャからローマへ

発酵パンはその後、イオニア(現在のエーゲ海沿岸地方)を経てギリシャへと伝わったとされています。ギリシャでは、レーズン、オレンジ、オリーブといった豊富な農産物と、ワイン造りの発酵技術がパンに応用されました。また、専門の職人によってパンが店売りされるようになります。

そして、古代ローマ時代には、パンの量産化がある程度できるようになっていたようです。ローマ市内には国営のパン焼き釜が設置され、パンの大量生産が行われていたといいます。

4 ヨーロッパ全土へ広がるパン

古代ローマ時代には、ローマ軍の遠征によって、ヨーロッパ各地にパン作りの技術が広まりました。しかし、5世紀に西ローマ帝国が滅亡すると、パン食文化は衰退していきます。パン作りは、修道院や貴族などが担うようになり、庶民は自分でパンを作ることが難しい時代となりました。

しかし、次第に庶民もパンを作ることができるようになります。14世紀ごろからイタリアで始まるルネッサンスになると、パン食文化がまた花開きます。フランスのフランスパン、東欧やロシアのライ麦パンなど、各国の素材や風土に合ったさまざまなパンが確立され、各国独自のパン文化が発達していきました。

5 長く不明だった発酵のメカニズム

それぞれの国の気候や風土に合わせたパン作りが発達し、ヨーロッパ中にパンが普及した後も、「なぜパンが発酵するか」という理由は、科学的に解明されてはいなかったようです。当時、製パンの技術は職人の経験とカンに頼る、いわば職人芸的なものだったのかもしれません。

パンが発酵するメカニズムが解明されたのは17世紀後半とされています。顕微鏡を発明したオランダのレーウェンフックが「酵母(イースト)」の存在を発見し、酵母菌を分離培養することに成功したのがきっかけとされています。

この発見によって酵母の研究は大きく進歩し、それまでの不安定な酵母から、管理された安定した酵母ができるようになったようです。長いパンの歴史の中、その原理が解明されたのはそれほど昔のことではないようです。

6 あんパンの誕生

パンが日本に伝来したのは、1543年に鉄砲がもたらされたのと同時期のようです。ポルトガルの宣教師がキリスト教の布教を行う中、パン食文化も日本に徐々に広がっていきました。しかし、その後の鎖国によって西洋風のパンは日本から姿をひそめ、長崎などで西洋人のために細々と作られていただけだったといわれています。

しかし、幕末になると、パンは「携帯食」として注目されることとなります。1840年のアヘン戦争で勝利を収めたイギリス軍が次に日本へ来襲することを恐れた幕府は、伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門に、江戸湾の警備を命じました。この江川太郎左衛門が、携帯食としてパンに注目し、1842年4月12日にパンの試作品を焼いたのが国産パンの始まりだとされています。

明治維新を迎えると、外国人居留地のある横浜を中心に日本人経営者によるパン店も登場し始めました。また、横浜でパンの製造技術を習得した職人によるパン店も各地に少しずつ出てきたようで、文明開化の風潮につれてパン食も普及する兆しをみせ始めました。

そんな中、パンを一気に身近なものにしたのが、「あんパン」の登場でした。1869年創業の、現存するパン店で最も古い歴史を持つ銀座の老舗「木村屋」の創業者の木村安兵衛は、日本酒の酒種をパン種に使うという製造技術を考案し、この中にあんを入れた「あんパン」を売り出しました。それを明治天皇に献上したところ、非常に気に入られ、宮中で正式に取り入れられました。皇室御用達の木村屋のあんパンはあっというまに銀座名物になり、連日多くの客を集めるとともに、日本人にパンの味を伝えていきました。

あんパン

7 給食で定着したパン食文化

こうして徐々に浸透してきたパンですが、日本人の食生活にパンを普及させることになった決定的な理由は、やはり第二次世界大戦だといえるでしょう。

戦後、未曽有の食料難となった日本に対して、米国は小麦の放出を行いました。この小麦を使って焼かれたパンが配給され、パンが本格的に普及し始めるようになったのです。日本が食糧難の危機をとりあえず乗り越えた後も、米国による余剰農産物の処分という思惑もあって、学校給食にパンが導入されることになりました。ほとんどの子供が食べる学校給食で、多くの子供たちがパンと牛乳という食事のスタイルを身に付け、パン食は真に普及することになったのだといえるでしょう。

その影響で、今やパンはすっかり第二の主食として定着しています。世界中のあらゆるパンが日本で手に入り、カレーパンなど日本独自の調理パンが定着し、その人気は衰えることはありません。有機栽培の小麦を使ったパンや、高級素材を厳選したパンなど、健康志向やグルメ志向に合わせたパンも数多く登場しています。

一方で、近年は国の方針から、給食でパンが出る回数が減っているといわれています。今後日本のパン食文化がどう変化していくのかを、注目してみてはいかがでしょうか。

8 世界のさまざまなパン

1)フランスパン

砂糖や牛乳などは使わず、小麦粉・イースト・塩・水だけで作られたパンです。形によってパリジャン、バゲット、バタールなどといろいろな呼び方がありますが、いずれもパリッとした皮に特徴があります。

2)ベーグル

もともとはユダヤ教徒の食事として食べられてきたといわれるパンです。今では米国のポピュラーなパンの一つで、チーズなどの具をはさんで食べるのが一般的です。ベーグルの作り方には特徴があり、焼く直前に生地を一度ゆでます。これによって、独特のもちもちした食感が生まれます。

3)フォカッチャ

イタリア語で「火で焼いたもの」という意味のパンです。イタリア北部の郷土料理で、ピザの原型ともいわれています。生地にオリーブオイルが練り込まれ、ハーブなどで風味づけされていることが多いため、そのままでも食べられます。

以上(2023年4月)

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全社員が持てる“経営的視点”(4)~存在意義は全員で作るもの~/武田斉紀の『誰もが身に付けておきたい“経営的視点”』(8)

書いてあること

  • 主な読者:会社経営者・役員、管理職、一般社員の皆さん
  • 課題:経営幹部や管理職の方はもちろん、若手社員の方でも「経営的視点で見るように」と社長や上司から求められた経験があるのではないでしょうか。その場でうなずきはするものの、「経営的視点とは何か?」「それは社長以外の社員に必要なのか?」「会社員として働く上で、人生において価値があるのか?」「そもそもどのように身に付けていけばいいのか?」といった疑問があるのではないでしょうか
  • 解決策:課題で挙げたさまざまな質問に対して、『“経営的視点”の身に付け方』というテーマで、全国で多くの講演を行っている筆者が明快に回答します。“経営的視点”はこれからの時代において新入社員から求められる視点であって、より早く身に付けられれば、その分、仕事においても人生においてもプラスであると分かるはずです

1 「3)会社の【存在意義】」は、誰もがイメージしやすい“経営的視点”

シリーズ『武田斉紀の「誰もが身に付けておきたい“経営的視点”」』の第8回です。今回は途中にクイズ形式を盛り込んでみましたので、ぜひトライしてみてください。

社長や上司から「“経営的視点”を持て!」と求められるまでもなく、 “経営的視点”をより早く身に付けられれば、誰にとってもその分、仕事においても人生においてもプラスになります。

それ自体は何となく分かっているつもりでも、「どうすれば身に付けられるか分からない」「分かったところで自分の役割や目の前の日常業務に追われて、取り組める時間も自信もない」といったあたりが本音ではないでしょうか。

そうした声にお応えするべく、

全社員が持てる“経営的視点”の観点として、
1)会社の【成長】
2)会社の【組織力】
3)会社の【存在意義】 の3つをご紹介しています。

第5回では「1)会社の【成長】」について、第6、7回では2)「会社の【組織力】」について詳述しました。これらは“頭では理解できるけれど、視点の切り替えをかなり意識しないと経営的視点を持つのが難しい”と感じられたかもしれません。

今回からお話しする「3)会社の【存在意義】」は、多くの人にとってはそれほど強く意識しなくてもすぐに持てる視点です。一方で、それを「どのように実行すればよいのか」「そもそも共有できているのか」といった点が課題となってくるでしょう。

2 あなたの会社における「会社の【存在意義】」の状態は?

「会社の【存在意義】」とは何でしょう。最近よく耳にする「パーパス(経営)」がこれに当たるのですが、【存在意義】や「企業目的」は企業理念の一部でもあります。

「企業理念」と「パーパス」の関係、他にも「バリュー」や「ビジョン」といった英語の概念と、日本に昔からある概念との関係は分かりづらいですよね。この辺は私の専門分野ですので、またの機会に誰にも分かりやすい形に整理してお伝えしたいと思います。

ここでは「企業理念」や「パーパス」といった言葉にこだわる必要はありません。「社是」でも「綱領」でも「フィロソフィー」でも構いません。あなたの会社では、会社の【存在意義】を定めているでしょうか。それは全社で共有されているでしょうか。

各社の状態は、以下の5つのケースのどれかに当てはまると思います。

A. 会社の【存在意義】が定められていて、全社で共有されている
B. 会社の【存在意義】が定められているが、十分に共有されていない
C. 会社の【存在意義】が定められているが、絵に描いた餅
D. 会社の【存在意義】が定められているが、トップの本気の言葉ではない
E. そもそも会社の【存在意義】が定められていない

D.のケースは私に言わせれば犯罪です。本気で思ってもいないのに、さも自身の信念であるかのように掲げて、周囲を欺いているわけです。働いていればうすうす気付けるでしょうが、入社するまでは分からないでしょう。社員は転職するまでもんもんと過ごさざるをえません。まして顧客や社会は、不祥事として発覚しない限り実態を知る機会がないのです。

極端な例を挙げれば、トップは地球環境どころか地域の環境汚染すら心の中では屁(へ)とも思っておらず、悪影響を垂れ流しているのに、【存在意義】として「環境に優しい企業」とホームページに書いてある会社です。信じた顧客は事実を知らずに同社の製品を買ってしまい、意に反して環境汚染に加担してしまっているかもしれません。

E.には、会社のトップが会社の【存在意義】を意識している場合と、していない場合があり得ます。

前者には明文化こそしていないものの、実は社員全員が共有している事例があります。例えば一人ひとりが商品の品質にとことんこだわっているといったケース。老舗企業に多いのですが、トップや上司が常日ごろから口頭で「品質に妥協するな」と伝え、背中を見せてきているはずです。
後者は、トップが会社の【存在意義】を定めて共有することの重要性に気付いていないのでしょう。

A.からC.までは、トップが本気の会社の【存在意義】が定められていながらも、その共有の度合いが違うケースです。

3 「会社の【存在意義】」の共有・実行が、 “経営的視点”につながる

「会社の【存在意義】」が明文化されていたとして、その分かりやすさにもよりますが、多くの社員にとってはそれほど強く意識しなくても、すぐに持てる視点ではないかと思います。もちろんその【存在意義】に自身が共感できればという前提ではありますが。

もし共感できないのであれば、違う会社への転職を考えたほうがよいかもしれません。トップが【存在意義】に本気であれば、それに共感し、仕事を通して実行することを求められるからです。共感できないのに、毎日行動を求められるのは、精神的に苦痛でしかないでしょう。

さて、本題に戻ります。「会社の【存在意義】」を意識すれば、“経営的視点”を持つことにつながるというお話です。ここからはおのおのの伏せ字部分にどんな言葉が入るか想像しながら読んでみてください。答えは直後の「→」の後にあります。

(1)社員一人ひとりが実行した1.[〇〇〇〇]に共感するお客様は利用し続けてくださり、社会にも認められて、会社は2.[〇〇]し、3.[〇〇]していく。

→伏せ字は1.[存在意義]、2.[永続]、3.[発展]です。

【存在意義】として「素材の良さを活かした安全でおいしいお菓子を届ける」を掲げる和菓子店があったとしましょう。【存在意義】を定めたのはトップである社長かもしれませんが、実際にお菓子を作り、届けられるのは現場の社員です。

一人ひとりが日々の仕事を通してこの【存在意義】を共有し、実行していけば、【存在意義】はお菓子の形となって、共感して購入したお客様は喜んでくださるでしょう。

お菓子との出合いが初めてで、偶然であっても、【存在意義】にひとたび共感したお客様は利用し続けてくださるはずです。もちろん同じような【存在意義】を掲げて追究している競合他社があるかもしれません。そこはどちらがより突き詰められるかの真剣勝負です。

でも、恐らくお客様の側からすれば、「素材の良さを活かした安全でおいしいお菓子を届ける」と【存在意義】を掲げる和菓子店が2つ3つと増えたところで、むしろ大歓迎でしょう。競争によって各店の価値はさらに高まり、どのお店も手放せない存在になれるはずです。

共感するお客様に【存在意義】を感じ続けていただければ、自然と売り上げも上がりますし、正当な利益も認めてもらえるでしょう。さらには熱烈なファンとなって、企業から頼まれなくても口コミで良さを広めてくれるはずです。無理などしなくとも会社は永続し、発展していけるのです。

4 【存在意義】は社員全員で作るものだからこそ、“経営的視点”となる

(2)逆に社員の一人でも [〇〇〇〇]を見失った行動を取ってしまうと、お客様や社会から必要とされなくなる。

→伏せ字は先ほどの1.と同じ [存在意義]です。

「素材の良さを活かした安全でおいしいお菓子を届ける」と【存在意義】を掲げていた会社が、賞味期限や消費期限を偽装していたと分かったらどうでしょう。あるいは、その日に限って素材の保管状態が良くなかったために、品質の悪いお菓子を販売していたらどうでしょう。

いずれの場合も、お客様は「素材の良さを活かす」や「安全」といった【存在意義】を信じられなくなるでしょう。誰の責任でしょうか。

一義的には、トップである社長が本気の【存在意義】を、社員に伝えきれていなかったのが原因です。しかしながら先ほども申し上げた通り、実際にお菓子を作り、届けられるのは現場の社員です。

社員の誰かが「素材の良さを活かす」や「安全」や「おいしい」のどれかで手を抜いたり、こだわりを捨ててしまったりしたらどうでしょう。社員の一人でも【存在意義】を見失った行動を取ってしまうと、お客様や社会から必要とされなくなってしまうのです。

トップの社長も現場の一社員も同じレベルで【存在意義】を共有し、実行していかなければなりません。【存在意義】は社員全員で作り上げるものであり、その意味で、一人ひとりが「会社の【存在意義】」を意識できれば、全員が同じように “経営的視点”を持てるのです。

第8回も最後までお読みいただきありがとうございました。次回も引き続き「3)会社の【存在意義】」について、さらに掘り下げてお話しします。

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以上(2023年2月)
(著作 ブライトサイド株式会社 代表取締役社長 武田斉紀)
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