管理職の約6割が「上司の指示が急変」で困惑。部下への説明は“割り切って”派? “理由も丁寧に”派?~管理職200人アンケート

書いてあること

  • 主な読者:マネジメントに関して、上司と部下との板挟み状態で悩んでいる管理職
  • 課題:自分と同じ悩みは、他の管理職の人にも共通する悩みなのか、解決策はあるのか
  • 解決策:管理職の経験者へのアンケート結果から、どのように対応したのか参考にする

1 管理職としてのその悩み、あなただけではありません!

上司も部下も言いたいことを言うだけで、一番つらいのは管理職である自分だ!

マネジメントで悩んでいる管理職の皆さん。その悩みは、あなただけのものではないかもしれません。もし次の3つのうち、1つでも経験のある方は、ぜひこの記事をご覧ください。

  • 部下が自分を飛び越えて自分の上司と連絡を取り合っていた
  • 上司からの指示が急に変わり、部下への説明に困った
  • 部下同士の仲が悪くて必要な連携さえ取れていないと感じた

この記事では、198人の管理職経験者に、上記の3つの経験があるかどうかをアンケートしました。経験が「ある」と答えた人には、そのときにどのように対応したかも聞いていますので、皆さんがマネジメントの能力をもう一段高めるための参考にしてください。

なお、アンケートは2023年2月に、インターネットを通じて行いました。

2 部下が自分を飛び越えて自分の上司と連絡を取り合っていた

1)53.0%が経験あり

部下が自分を飛び越えて自分の上司と連絡を取り合っていたという経験がありますか?

部下が自分を飛び越えて自分の上司と連絡を取り合っていたという経験が「ある」と答えたのは、管理職経験者198人のうち105人、「ない」と答えたのは76人でした。

2)連絡の内容と理由は確認しておきたい

部下が自分を飛び越えて自分の上司と連絡を取り合っていたときの対応

部下が自分を飛び越えて自分の上司と連絡を取り合っていたときの対応(93人が回答)として最も多かったのは、「特に何もしなかった」の29人でした。理由は定かではありませんが、これとは別に「黙認、知らんぷり、無視、諦めた」(17人)、「気にしなかった、問題視しなかった」(4人)、「自己反省した」(2人)といった回答がヒントになるでしょう。

前後の状況を踏まえて問題視しなかった人もいるようで、

  • たまたま自分が在席しておらず、大した内容ではなかったので黙認した(40代男性)
  • 上司も後から私に報告してくれた(60代男性)

といった回答もありました。部下を預かる者として、部下が取り合っていた連絡の内容と、その理由は確認しておいたほうがよいかもしれません。

  • 後で部下に確認して、内容が正しいのかどうか判断した(40代男性)
  • どういった事情でそうなったかの説明を求めた(50代男性)

といった対応が無難といえそうです。波風を立てずに連絡の内容を確認するために、

  • 「上司に話してくれたんだ?」と、伝聞風に尋ねた(60代男性)

という対応も参考になるでしょう。また、その一件を機に自分のマネジメント手法を改め、

  • 「1on1などでコミュニケーション量を増やすようにした」(30代女性)

といった回答もありました。

3)再発防止のために部下に注意や指導をした人も

穏便な形での解決を図った人が多いものの、再発防止を徹底するために、17人が「(部下に)注意した、指導した」と回答しました。

  • 厳しく指導した(50代男性)、内容にもよるが基本的には部下を叱った(50代男性)
  • 内容を確認し、情報は共有するように指示した(60代男性)
  • 部下に報告の必要性と責任の所在を説明した(40代男性)
  • 上司に連絡してからで構わないので、連絡した旨話してほしいと伝えた(60代男性)
  • 「後で困ったからといって、助けを求めて来ても知らないよ」と注意した(60代男性)

といった回答もありました。

実行するのは難しいかもしれませんが、本来は「上司に抗議した」(4人)という対応が理想的かもしれません。

  • 上司に、組織を重んじるように直接抗議した(70代男性)
  • 連絡を取っていた上司の口から、部下の行為を諌めてもらった(60代男性)

といった回答もありました。

3 上司からの指示が急に変わり、部下への説明に困った

1)57.6%が経験あり

上司からの指示が急に変わり、部下への説明に困った経験はありますか?

上司からの指示が急に変わり、部下への説明に困ったという経験が「ある」と答えたのは、管理職経験者198人のうち114人、「ない」と答えたのは77人でした。

2)あえて“組織の歯車”に徹するのも一策

上司からの指示が急に変わり、部下への説明に困ったときの対応

上司からの指示が急に変わり、部下への説明に困ったときの対応(100人が回答)としては、約3分の1の人が「上司の指示をそのまま伝えた」(33人)と回答しました。「会社の方針だと割り切って説明した」(15人)と合わせると、「その他」(23人)を除いた回答者の6割以上を占めています。「上司の指示をそのまま伝えた」と答えた人の中には、

  • (上司の)方針が変わったと粛々と説明した(50代男性)、真実を話すのみ(50代男性)
  • 上からの指示だからと、そのまま伝えた(50代男性)

といった回答もありました。自分が上司と部下との板挟みになって苦労しそうな場合、あえて“組織の歯車”に徹することも一策かもしれません。

「会社の方針だと割り切って説明した」と答えた人は、部下にも“組織の歯車”に徹するようにアドバイスしたといえるかもしれません。

  • 会社の方向性は常に変わるものだと言った(40代男性)
  • いろいろ考えはあると思うが、指示の急な変更はあり得ることだと説明した(60代男性)

といった回答もありました。

3)部下の気持ちに配慮しながら説明する

これに対し、部下の気持ちに配慮しながら説明した人も少なくありません。部下がまず感じる「なぜ?」に答えるように、

  • なぜその方針変更があったのか、理由を自分の中で腹落ちさせ、納得いく説明ができるように準備した。納得できない状態では伝えなかった(30代女性)
  • 原因を丁寧に説明し、理解を得るまできちんとコミュニケートした(60代男性)
  • 部下のモチベーションが落ちないように、できるだけその背景や理由を添えて説明した(70代男性)
  • 自分なりの理由をつけて説明をし、納得してもらえるように努めた(40代男性)
  • 聞いたまま事実を伝え、自分なりに考え理解したその理由も伝え、理解を図った。自分なりに持っている疑問点も伝えた(70代男性)

といった回答もありました。

また、上司の指示だけでなく、それに対する自分の考えも織り交ぜて伝えることで、部下の理解を得ようとした人もいました。

  • 会社の方向性に対しての私自身の考えを示し、その思いを共有してもらった(40代男性)
  • 上司の指示には逆らえないが、言わなくてはいけないことは私が言うから、何かあったら言ってと伝えた(60代男性)
  • 私たちの考えは十分に伝えたが、上司の判断が変わったので、そのように対応したいと説明した(60代男性)
  • 納得いかない点もあるだろうが、方針として従ってもらいたいと懇切丁寧に説明した(50代男性)、部下に詫びを言いながら伝えた(60代男性)

といった回答もありました。中には、やや上司を非難するような口調も織り交ぜることで、部下の理解を得ようとした人もいるようです。

  • 朝令暮改かもしれないが、臨機に方向修正した(結果だ)と言って説明した(60代男性)
  • 会社の方針であることと上司の愚痴を織り交ぜて説明した(50代男性)
  • (上司に)朝令暮改の癖がある旨説明し、(部下に)納得させた(70代男性)
  • 愚痴りながら説明した(30代女性)

といった回答もありました。

4 部下同士の仲が悪くて必要な連携さえ取れていないと感じた

1)52.5%が経験あり

部下同士の仲が悪くて必要な連携さえ取れていないと感じたことがありますか?

部下同士の仲が悪くて必要な連携さえ取れていないと感じたことが「ある」と答えたのは、管理職経験者198人のうち104人、「ない」と答えたのは85人でした。

2)まずは話し合いで解決を図り、ダメなら異動?

部下同士の仲が悪くて必要な連携さえ取れていないと感じたときの対応

部下同士の仲が悪くて必要な連携され取れていないと感じたときの対応(92人が回答)として、最も多かったのは「個別に話をした」の25人でした。「(3人で)話し合った」の10人、「2人で話し合いをさせた」の3人を加えると、「その他」(13人)を除いた回答者の半数近くを占めています。「異動、配置転換させた」と回答した人の中にも、まずは話し合いから始めたという回答がありますので、まずは話し合いから解決を図ることが基本といえるでしょう。

  • 双方の意見を個別に聞き、最後に両者を会わせて穏便に解決した(50代男性)
  • 個別に聞き取りをして、お互いの考えを聞いた。その上で相容れないものは何か、容認できるものは何か整理して、個々に伝えた(60代男性)
  • 個別ではなく、何が原因なのかお互いの話し合いを取り持った(60代男性)
  • 2人を同時に呼んで事情を説明させた(60代男性)
  • 部下たちと飲みに行った(60代男性)
  • 業務に支障が出るので、勤務中だけでも連携して仕事をするよう、それぞれ指導した(50代男性)
  • しばらく間に入り連携するようにし、徐々に関係を取り戻すようにした(50代男性)

といった回答もありました。

とはいえ、話し合いだけでは解決に至らず、やむなく異動や配置転換という形で決着を図った人もいたようです。

  • 個別に話し合い、修復の可能性がないと判断された場合、配置換えもしくは転勤命令を出した(70代男性)
  • 個別に話し合い、互いの言い分を聞いた上で、必要があれば部署を異動してもらった(40代男性)
  • 個別に話しつつ、可能な範囲で実務に影響がないよう配置換えを検討した(30代女性)

といった回答もありました。

3)若い世代の管理職は、関係修復への関与を避ける傾向も

回答で特徴的だったのは、若い管理職ほど、自らは2人の関係修復になるべく関わらない形で解決を図る傾向が見られたことです。世代によってマネジメント手法に違いが出てきている可能性もありそうです。

  • (2人に)挨拶をさせた(40代男性)
  • 間に入って業務を進めた(40代男性)
  • 部下同士が関わらないようにした(40代男性)
  • 上司に相談し解決してもらった(40代男性)
  • その人の特性と強み・弱みを分析して、得意とする業務に当てはめて対応した。お互いに力が発揮できる業務を探るということ(40代男性)
  • 他の職員に仲裁してもらった(40代男性)

といった回答もありました。

この他に、

  • 優秀な部下の味方をした(50代男性)
  • 自分では何もできなかったが、有能な部下がこまめに動いて調整してくれた(60代男性)
  • 子どもじゃないから放置した(50代男性)

といった回答もありました。

以上(2023年3月)

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画像:ニワトコ-Adobe Stock

【収支シミュレーション】老人デイサービスセンターの開業収支モデル

書いてあること

  • 主な読者:老人デイサービスセンターの開設を検討している人
  • 課題:自社の所有地に老人デイサービスセンターを新築する
  • 解決策:開業、運営に掛かる費用の目安を押さえ、収支計画をシミュレーションしてみる

1 老人デイサービスセンターとは

老人デイサービスセンターとは、

居宅要介護者および居宅要支援者に対して、日帰りで入浴、食事の提供、機能訓練、介護方法の指導などのサービスを行う施設

です。また、介護保険では、居宅要介護者に対する老人デイサービスを「通所介護」といいます(介護保険法第8条第7項)。

利用者は生活介助を受けられるだけでなく、孤立感の解消、心身機能の向上も図ることができます。また、家族などの介護者は、老人デイサービスセンターに要介護者・要支援者を預けることにより、介護による身体・精神的負担の軽減を図ることができます。

老人デイサービスセンターを開設するには、

  • 法人格を取得する
  • 厚生労働省令で定められた事項を都道府県知事に届け出る
  • 厚生労働省が定める「指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準」の人員配置基準、設備基準、運営基準を満たす
  • 施設の所在地の都道府県知事(指定都市・中核市は各市長)から介護保険法の「通所介護」に係る「指定居宅サービス事業者」の指定を受ける

必要があります。

なお、市区町村によって基準が異なる場合や、設置を計画していた施設の数を満たしているといった理由で申請を受け付けていない場合があるため、事前に市区町村の担当部署に確認しましょう。

また、市区町村によって施設整備費や設備整備費などに補助金を出していることもあるので、併せて確認するとよいでしょう。

2 開業収支を考える

1)前提条件

1.売上高

売上高は、施設定員を30人、稼働率を70%として年間2741万円とします。算出式は次の通りです。

(介護サービス9万9400円+日常生活費等9400円)×定員30人×12カ月×稼働率70%≒2741万円

老人デイサービスセンターの売上高は、介護サービス費と日常生活費等から成ります。

厚生労働省「介護給付費等実態統計月報(令和3年4月審査分)第5表 介護サービス受給者1人当たり費用額,要介護状態区分・サービス種類別」によると、通所介護の介護サービス受給者1人当たりの費用額は9万9400円となっています。介護保険が適応されるので利用者の負担は1割(一定基準以上の所得がある場合は2割または3割)となります。

日常生活費等は、食材料費、レクリエーション参加費、理美容代、おむつ代、日用品代などで、利用者が実費を負担します。

2.原価率

原価率は、後掲の図表4(通所介護の1施設1カ月当たり収支)の介護事業費用のうち(4)その他を参考に27.4%とします。

3.人件費

人件費は同じく後掲の図表4(通所介護の1施設1カ月当たり収支)の介護事業費用のうち(1)給与費63.8%を参考に2498万円(3916万円×63.8%)とします。

4.施設設備整備費

建物(延床面積400平方メートル。1平方メートル当たり工事単価30万円)は1億2000万円。建物附属設備(電気・給排水・消火設備など)は1800万円とします。

その他の諸条件は次の通りとします。

損益収支計画の前提条件

2)収支シミュレーション

損益収支計画

主な財務指標

3 通所介護施設の1施設1カ月当たり収支

厚生労働省「令和2年度介護事業経営実態調査結果」によると、通所介護施設の1施設1カ月当たり収支は次の通りです。

通所介護施設の1施設1カ月当たり収支

以上(2023年3月)

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画像:mapo-Adobe Stock

【朝礼】厳しい校則と増えるルーチン業務の共通点

おはようございます。突然ですが、皆さんが通っていた中学校や高校は、校則が厳しかったでしょうか? いきなり変な質問をしてすみません。この質問にはちゃんと理由がありますので、しばらく私の話にお付き合いください。

先日、学生時代の友人と会った際、私たちが通っていた中学校の校則の厳しさが話題になりました。当時の生徒手帳には、髪形、ズボンの太さ、スカート丈から始まる数多くの校則が細かく記載されていたのです。ただ、どうも世の中には、さらに変な校則や厳しい校則がある、もしくは、あったようです。友人と一緒にインターネットで調べてみたら、あまりの内容に驚きました。

例えば、プールではふんどし禁止、学校に出前を取ることは禁止、タトゥー禁止などがそうです。私や友人の感覚からすると、「そんなの当たり前でしょ」と思ってしまうような内容でした。逆に、髪を切るときは教師の許可を得ること、○○駅で待ち合わせをするのは禁止など、「そこまでする必要があるの?」と、疑問に感じる内容もありました。

ですが、今にして思うと、こうした校則を作った学校側も、私や友人と同じ気持ちだったのかもしれません。実際に、ふんどしで泳ぐ生徒や学校に出前を取る生徒、タトゥーをした生徒が出てきて、PTAを含めて問題になった結果、学校側はやむなく校則で禁止したという背景が想像できます。

また、あまりに奇抜な髪形をした生徒や、駅前で生徒が駅の利用者に迷惑を掛ける行為に対して、学校側は何度も指導したのに効果がなかったのでしょう。その結果、学校側としては、髪を切るのは許可制、駅での待ち合わせは禁止に踏み切るしかなかったのだろうと思います。

私が通っていた高校は、中学校と違って校則がほとんどありませんでしたが、奇抜な髪形や服装をする生徒は皆無でした。だから髪形や服装に関する校則が不要だったのだと思います。

これは、今の私たちにも当てはまる話ではないでしょうか。業務上、本来はあり得ないミスや、原因不明の納期遅れが続けば、当然ながら再発防止のための対策として、チェック体制を二重三重に増やし、業務の進捗を逐一、上司に報告しないといけなくなります。それは、変な校則や厳しい校則と同じように、「そんなの当たり前でしょ」「そこまでする必要があるの?」と思ってしまうようなルーチン業務です。こうした業務が増えると、本当に重要な業務を行う時間が減ってしまいます。つまり、自分たちの落ち度や怠慢によって、自分たち自身の首を絞めることになるわけです。

今、会社では業務効率化が求められていますが、その第一歩は、「そんなの当たり前でしょ」「そこまでする必要があるの?」というルーチン業務を減らしていくことだと思います。そのために私は、自分がやるべきこと、守るべきことを怠らないように努めたいと思います。

以上(2023年3月)

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【朝礼】丁寧さが好感を生みます。皆さんは丁寧さの基準を知っていますか

先日、取引先企業を訪問した際、言葉遣いや所作がとても丁寧な受付の方(女性)がいました。本当に丁寧に応対してくれたので、なんとなく気持ちがよくなりました。そのときは、その後の商談がうまく運ぶような気さえしました。また昨日、急ぎの要件で電話をかけたとき、相手の女性の受け答えが、とても丁寧でした。そのせいか、私の気のあせりは少し和らぎました。丁寧に応対されると、とても心が落ち着くだけでなく、嬉しくなるものです。

高級ホテルや高級レストランでは、皆さんはとても丁寧な接客を受けると思います。もちろん、彼らは接客のプロフェッショナルですので、言葉遣いや所作が丁寧なのは当然のことといえます。こうしたことが分かっていても、丁寧に応対してもらうと、悪い気はしません。

ここで逆のことを考えてみましょう。仮に、高級ホテルで、雑な応対をされたらどうでしょう。嫌な気持ちになるに違いありません。程度によっては、そのホテルを利用するのをやめようとさえ思うでしょう。

日常のビジネスシーンでも、同じようなことが起きているかもしれません。ここで、皆さんと取引先様との電話応対を思い出してください、常日ごろ、すべての取引先様に丁寧に応対していますか。

ポイントは「すべての取引先様」です。一口に取引先様といっても、大口のお客様、小口のお客様、これからお客様になってくれるかもしれない見込み客、仕入先様などさまざまです。皆さんの中に、大口のお客様にはとても丁寧に接している一方で、小口のお客様には丁寧さに欠ける応対をしている人はいませんか。仕入先様に対しては、「うちが商品を買ってやっている」という態度や物言いになっていませんか。

ビジネスシーンにおける応対の基本は、お客様の大小や、お客様か仕入先様かで、変わっていては混乱します。なぜなら、小口のお客様は大口のお客様になるかもしれないからです。それに、仕入先様がお客様になるかもしれません。もう少し分かりやすく説明しましょう。小口のお客様が大口のお客様になった場合、相手に有利に契約条件などを変更するのは、ビジネスとしてよくあることです。逆に、大口のお客様が小口になることも少なくありません。取引の大きさに応じて、取引条件が変更するのはビジネス上、問題はありません。しかし、相手の立場や取引額によって、応対を変えるようでは、皆さんだけでなく、会社の信用にもかかわります。

今後、皆さんはどのような立場の相手の方でも、社外はもちろん社内でも、上司と部下の関係であっても、丁寧に接してください。丁寧過ぎるぐらいでかまいません。丁寧な応対は間違いなく、好感を生みます。仮に、厳しい交渉でも、丁寧な言葉遣いで行うと、相手は感情的になりません。部下を厳しい言葉で叱責する際も、丁寧な口調でいうと、部下は納得します。

丁寧さは言葉遣いと口調、そして所作に表れます。皆さんの敬語が多少間違っていても、ゆっくりと優しい口調であれば、丁寧さは伝わります。

そして、肝心なことですが、丁寧さにも基準があります。分かりますか。よく、「相手に不快感を与えないようにすればいい」という方がいますが、これはマナーの問題であって、丁寧さの基準ではありません。

私が考える丁寧さの基準を皆さんに教えましょう。その基準は「相手よりも」です。相手を上回る丁寧さで応対すれば、相手は好感を抱いてくれるでしょう。今日から、相手よりも丁寧に応対してください。

以上(2023年3月)

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画像:Mariko Mitsuda

日本の歴史人物(徳川家康)

1 徳川時代を築いた「徳川家康」

天文11年(1542年)、徳川家康は、三河岡崎城主松平広忠の嫡男として生まれました。幼少のときに今川家の人質として駿府へ向かう途中、織田軍に拉致されてしまいます。

今川家から独立した後の家康は、織田信長と清洲城で同盟を結びます。以後、信長と共に転戦し、長篠の合戦では、織田家と共同で武田の騎馬隊を破っています。

本能寺の変後は、信長亡き後の主導権を巡り、豊臣の大軍相手に善戦しました。その後は秀吉に降(くだ)り、豊臣政権の有力大名として五大老の一人に任じられています。

秀吉の死後は、天下の覇権を得るべく東軍の総大将として関ヶ原で石田三成と決戦、勝利します。慶長8年(1603年)、朝廷に征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きます。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣において豊臣秀頼を滅ぼし、戦国の乱世に終止符を打ったのです。

徳川家康の生涯

2 家康の有名エピソード

1)不遇な生活を余儀なくされた幼少時代

家康が生まれた当時、三河の松平氏は東の今川義元、西の織田信秀に攻め込まれ、滅亡の危機にありました。そこで、家康の父、三河岡崎城主松平広忠は、この危機を乗り越えるために、今川氏の支援を受けて織田氏と対決しようと決意します。今川氏の支援を受けるために、家康は駿府に人質として差し出されることになります。まだ幼く、竹千代と呼ばれていた頃でした。

しかし、家康は、今川氏のもとへ護送される途中で、織田軍に拉致されてしまいます。尾張の織田信秀の人質として数年を過ごした後は、再度人質として、駿府の今川義元のもとへ移ります。

こうして、家康は長期間に及ぶ不遇な生活を余儀なくされることとなります。

2)忍耐の人、家康

家康は、幼い頃から人質として過ごしたせいか、非常に慎重で、忍耐強い人でした。「悪賢い」などというイメージが付きまといますが、長い間の人質生活は、人を慎重にさせるには十分な試練だったのでしょう。

家康は、戦国の乱世に終止符を打ち、明治維新まで約300年もの間続く江戸幕府の創始者となりました。

しかし、その覇業の道のりは、決して楽なものではありませんでした。死を覚悟したことも幾度となくあったようで、むしろ、苦難の連続だったといえます。

3)家康の危機

長い家康の人生のなかで、生命の危険にさらされたことは一度や二度ではありません。例えば、次のような出来事があります。

  • 桶狭間の合戦で、今川義元が織田信長に討たれて、岡崎まで引き揚げるとき。
  • 三方ケ原の戦いで、武田信玄に手痛い敗戦を喫し、城まで追って来た信玄の兵に迫られたとき。
  • 本能寺で、織田信長が明智光秀に討たれて、あわてて伊賀越えを敢行し、地侍や土民の一揆や敵の兵士に出会ったとき。
  • 小牧山で、豊臣秀吉と対戦したとき、裏から三河に兵を出されて、追いかけて討ち取ったとき。
  • 関ヶ原の合戦で、小早川秀秋との駆け引きで、鉄砲を撃って脅したとき。
  • 大坂夏の陣で、真田信繁(幸村)に本陣を突かれて後退したとき。

4)家康をささえた武将

家康が生き長らえたのは、冷静な判断力と並外れた運だけではありません。団結力の強い三河武士の家臣の存在が非常に大きかったといわれています。

具体的には、徳川四天王といわれた、井伊直政 、酒井忠次 、榊原康政 、本多忠勝などの存在です。これほどいい家臣に恵まれた諸大名も少なく、あの織田信長でさえ褒めたたえたといわれています。

家康は、重要なポストはすべて譜代の大名で固め、仕官してきた人を、あまり雇わなかったことでも有名です。逆に、織田信長や豊臣秀吉は平素から仕官してくれば雇っていました。

家康は家臣を自分で育てるタイプだったのです。軍評を開くときでも家臣に意見を言わせて、最後は自分で結論を出す方式をとっていたようです。

このような家康の人材育成の手腕は、現在でも立派に通用するでしょう。

徳川家康

5)家臣は至極の宝

家康には家臣を非常に大切にしていたことを表す、さまざまなエピソードが残っています。

あるとき豊臣秀吉が、家康をはじめ諸大名を集めて、自分の宝物などを自慢して、「さて、家康殿はどのようなお宝をお持ちですかな」と尋ねたことがありました。

このとき家康は、「ご存じのように、それがしは三河の片田舎の生まれですので、何も珍しいものは持っておりません。しかしそれがしのためには、水の中、火の中へも飛び入り、命を惜しまない士を500騎ほど配下にしております。これこそ、この家康にとって、第一の宝物と思っております」と答えたといいます。これに対し秀吉は、赤面して「そのような宝は自分も欲しいものだ」と言った逸話が残っています。

家康は自慢をしたというより皮肉を言ったという感じですが、家臣を大切に思っていることがよく伝わります。

実際、豊臣秀吉はさまざまな方法で家康の家臣を引き抜こうとしたようです。家康が家臣を宝のように思っていたことは、家臣にもよく伝わり、家臣もまた家康のために命をなげうったのでしょう。

6)家康の“ウラ話”

家康の人生のなかで、面白いエピソードが残っています。それは、次のような話です。

三方ケ原の戦いでは、負けて逃げる途中、追っ手の姿も見えなくなった家康はおなかがすいてきました。そこで一軒の茶屋で小豆餅を食べることにします。そこへ追っ手が迫り、驚いた家康は金を払わずに一目散に逃げ出してしまうのです。今でいう“食い逃げ”です。

それを茶屋の女主人が追いかけてきて、家康を捕まえ、餅代を受け取ったという逸話が残っています。

この話が本当かどうかは定かではありませんが、静岡県浜松市内には、茶屋があったところは「小豆餅」、家康を捕まえたところは「銭取」と、それぞれ地名になっています。

以上(2023年4月)

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日本の歴史人物(豊臣秀吉)

1 出世に次ぐ出世で天下統一を成し遂げた「秀吉」

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、百姓の生まれですが、織田信長の小姓として取り立てられてより、自身の才能一つで次々と出世を重ね、織田家の武将、信長の後継者となり、そして天下統一を成し遂げました。

信長に取り立てられ、天下統一を成し遂げるまでの秀吉の生い立ちには、秀吉がいかに知略に優れていたかを示すさまざまなエピソードがあります。

豊臣秀吉の生涯

2 秀吉の有名エピソード

1)草履を温める気配り上手

秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた信長の草履取りの時代には、次のようなエピソードがあります。

ある雪の夜、信長が草履を履くと、温かくなっていた。「おまえは腰掛けていたな、不届き者め」と怒ると、秀吉は「凍るような日でございますゆえ、草履を胸に抱いて、温めておりました」といい、服の懐を開けて、草履の土がまだ付いているところを見せました。これに感心した信長は、すぐさま秀吉を草履取りの頭にしたといいます。

信長が秀吉に一目置くようになったきっかけは、この草履取りのエピソードにあるように信長に「気が利く」と思わせた点にあるのかもしれません。

2)プロジェクトリーダーとしての才能は抜群

藤吉郎が草履取りとして信長に仕えた清洲城(愛知県)では、ある時、地震で石垣が100間(約180メートル)ほど崩壊しました。藤吉郎は清洲城の修築工事の指揮を買って出ます。この工事は前任者がずいぶん時間を掛けても、なかなか進捗が思わしくなかったものです。

藤吉郎は職人たちを集めると、10組に分けました。そして100間ある城壁を10間ずつに分け、それぞれの担当として「これから競争で修復作業をするように。一番に仕上げた組には殿様からたくさんご褒美が出るぞ」と言い渡します。

職人たちも、100間は長い距離に見えますが、10間(約18メートル)なら、頑張れば何とか1週間でできそうな気がします。職人たちは昼夜を徹して働き続け、やがてどの組も1週間後、ほぼ修復を完了させました。

この仕事ぶりに信長は驚き、藤吉郎は出世の糸口をつかんだとされています。秀吉は現代でいうプロジェクトリーダーとして抜群の才能を持っていたのです。

豊臣秀吉

3)知略にたけた戦術家

秀吉がいかに知略にたけた戦術家であったかのエピソードはたくさんあります。その一つが天正9年(1581年)の鳥取城攻めです。

秀吉は、敵の兵糧の蓄えが多く戦が長期化しそうだと読むと、周到な作戦を練りました。まずは、城の兵糧を減らすために、商人を動員して鳥取城近辺の米を相場より高値で買いあさらせました。また、付近の村々を襲い、村人を鳥取城へと逃げ込ませたのです。城内の人口を増やし、早く食糧をなくす作戦です。

秀吉に完全に包囲された鳥取城の城内では、食糧が底を突き、木やねずみを食べたり、食糧を巡っての殺し合いも起きたりしました。そしてついに、城内の人間の助命と引き換えに城は秀吉に明け渡されたのです。

4)転機にとった素早い行動力

明智光秀が中国地方の毛利氏攻めの命を受けて大軍を率いて出発したものの、京都の本能寺で織田信長を襲撃した「本能寺の変」は秀吉の人生を大きく変える出来事でした。

そのとき、高松城で毛利方の勇将・清水宗治と対峙していた秀吉は、「本能寺の変」により信長死すの報を受け取るやいなや大急ぎで和睦に持ち込み、弔い合戦として後にいわれる「中国大返し」を敢行します。

光秀はまさか秀吉がそんなに早く引き返してくるとは思っておらず、「山崎の戦い」に敗れて退却中に命を落としました。わずか10日あまりの「天下」でした。この後、秀吉は光秀を倒したという実績もあり、信長の実質的な後継者となり、天下統一へ向かうことになります。

このように、転機にとった素早い行動力が、秀吉を天下人にしたのです。

5)秀吉のライバル家康

信長の実質的な後継者となった秀吉ですが、徳川家康という最大のライバルが存在することになります。

天正12年(1584年)3月、豊臣秀吉軍と徳川家康・織田信雄連合軍は互いに兵をあげることになります。この戦が「小牧・長久手の戦い」です。小牧でにらみ合いを続けた両者のうち、先に動いたのは秀吉軍でした。家康の本拠地岡崎を攻めるために三好秀次を総大将とした別動隊を送りましたが、その動きを察知した家康も行動を開始し、4月9日に長久手で激しい戦闘が起こりました。

結局、この戦いは、家康軍の勝利に終わりましたが、後に秀吉は信雄と和睦し、信長の後継者としての地位を確立しました。天下統一を果たした秀吉ですが、唯一戦で勝つことができなかった相手が家康なのです。

6)豪華絢爛(けんらん)な金を好んだ秀吉

天下統一を成し遂げた秀吉は、大坂(近代以降は「大阪」と表記)を本拠地と定め、日本の政治・経済の中心地としました。その象徴となったのが大坂城です。

大坂城は石山本願寺の跡地に、天正11年(1583年)より築城が開始された巨大で豪華絢爛な城です。初代の天守閣は金箔押しの屋根瓦で飾られ、天下人・秀吉の栄華の象徴でした。

秀吉の趣味は、茶の湯、能、鷹(たか)狩りであったといわれますが、なかでも、壁がすべて金でつくられた「黄金の茶室」は有名です。そのほかに、身の回りの品にもふんだんに黄金を使用するなど、秀吉は統治者としての威厳を誇示するために金を好みました。一代で大出世を果たした秀吉らしい好みといえるでしょう。

以上(2023年4月)

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インボイス制度開始間近! 事前準備と制度導入による影響とは?

書いてあること

  • 主な読者:インボイス制度について、詳しく知りたい経営者・税務担当者
  • 課題:インボイス制度の導入によって自社にどのような影響があるのか分からない
  • 解決策:自社が免税事業者だと取引継続のリスク、取引先が免税事業者だと納税額増加のリスクがある

1 最新の税制改正にも要注意! 開始間近のインボイス制度

2023年10月1日から「インボイス制度(適格請求書等保存方式)」が始まります。インボイス制度とは、

消費税額から控除できる金額(仕入税額控除額)を正しく計算するための制度

です。また、インボイスは、

仕入先が消費税を納めたことを証明するものとして、売上先が仕入税額控除を受けるためになくてはならない書類

になります。そして、

インボイスを発行できる事業者(以下「適格請求書発行事業者」)になるには、登録申請が必要

です。インボイス制度が始まる2023年10月1日から適格請求書発行事業者となるためには、原則として2023年3月31日までに登録申請書を提出しなければなりませんでした。ただし、令和5年度の税制改正により、

2023年9月30日までに申請を行えば、実質的に2023年10月1日からインボイス発行事業者としての登録が可能

になる予定です(2023年2月時点)。とはいえ、申請書を提出してから登録番号の通知が来るまでに通常3週間程度の時間がかかります。申請をする場合は、余裕を持って手続きをしましょう。

■国税庁「適格請求書発行事業者の登録申請手続」■
https://www.nta.go.jp/taxes/tetsuzuki/shinsei/annai/shohi/annai/0020009-098.htm

2 インボイス制度が始まるまでにすべきこと

インボイス制度が導入されると、自社が売り手となる取引では発行する請求書が、買い手となる取引では相手から受け取る請求書がそれぞれインボイスであるか否かで消費税の納税額などに影響します。

まずは、インボイス制度が始まるまでにすべきことを整理していきましょう。

1)適格請求書発行事業者の登録

適格請求書発行事業者になるには、「適格請求書発行事業者の登録申請書」を所轄の税務署に提出し、承認を受けなければなりません。ただし、適格請求書発行事業者の登録は任意です。また、原則として、免税事業者は適格請求書発行事業者の登録申請ができません。免税事業者とは、消費税の申告・納税の必要がない小規模な会社や個人事業主などです。

免税事業者が適格請求書発行事業者に登録するには、「課税事業者選択届出書」を提出して、課税事業者となった上で、適格請求書発行事業者の登録申請をする必要があります。ただし、経過措置として、2023年10月1日を含む課税期間中に登録を受けた場合は、登録を受けた日から課税事業者になれます。

税務署による審査を経て登録されると、登録番号が通知・公表されます。

2)請求書フォーマットをインボイス仕様に

インボイスには次の事項を記載しなければならないため、現在使っている請求書のフォーマットをインボイス仕様に変える必要があります。下記6.と7.がインボイス制度の導入により追加される項目です。

  • 適格請求書発行事業者の氏名又は名称
  • 取引年月日
  • 取引内容(軽減税率対象品目である場合にはその旨)
  • 請求書等受領者の氏名又は名称
  • 税抜(税込)取引金額を税率ごとに区分した合計額
  • 上記5.に対する消費税額等及び適用税率
  • 登録番号

下記の請求書フォーマットを参考にしてください。あくまで、上記7つの項目の記載があればよく、記載箇所などの決まりはありません。多くの会社では、請求書をシステム上で作成しているので、確認が必要です。

請求書フォーマット例

3 売上先・仕入先のそれぞれの影響と対応

1)売上先(得意先)への影響

適格請求書発行事業者は、売上先からインボイスの交付を要求されたときはインボイスを交付することが義務付けられています。そのため、

自社が適格請求書発行事業者でない場合、インボイスを交付することができず、売上先で行われる消費税の計算において、仕入税額控除の適用を受けられない

ことになります。その分、売上先の消費税の納税額が増えるので、値引きの要請や他社への乗り換えの恐れがあります。

ただし、インボイスを発行する必要のない課税事業者、例えば売上相手が消費者であるB to Cの事業者などは、あえて登録する必要はありません。なぜなら、

消費者には消費税の申告・納税義務がなく、仕入税額控除を受けられるかどうかは関係ない

からです。

2)仕入先への影響

インボイスの保存が仕入税額控除の適用を受けるための要件なので、インボイスを仕入先から受け取らなければなりません。

そのため、免税事業者や消費者等、適格請求書発行事業者以外から商品を仕入れたり、サービスを受けたりした場合は、原則として、仕入税額控除の適用を受けられません。

仕入税額控除の適用の有無

ただし、インボイス制度開始後6年間は、免税事業者や消費者からの課税仕入れについても、一定の割合を仕入税額控除できる経過措置が設けられています。

4 免税事業者に関する影響と対応

1)自社が免税事業者で、売上先が課税事業者の場合

自社が免税事業者で、売上先が課税事業者の場合は、

  • 取引の継続
  • 利益とキャッシュへの影響

の2点を考えます。

取引の継続については、売上先が仕入税額控除の適用を受けられません。それを理由に取引を拒まれたり、消費税分の値引きを要求されたりする恐れがあります。この点に対応するためには、自社は適格請求書発行事業者として登録する必要があります。

そして、自社が適格請求書発行事業者になる場合、利益とキャッシュへの影響が出てきます。自社が適格請求書発行事業者になるために課税事業者になると、消費税の申告・納税義務が新たに発生します。そのため、売上先への請求額が変わらないとすると、消費税(費用)が増加した分だけ利益が減少し、さらに消費税の納税資金が必要になります。

なお、令和5年度の税制改正により、

税事業者が、インボイス制度の導入に伴って課税事業者を選択した場合には、「消費税の納税額は、売上に係る消費税(仮受消費税)の2割にする」制度(2023年10月1日から2026年9月30日までの日の属する課税期間の限定措置)

が導入される予定です(2023年2月時点)。

2)自社が課税事業者で、仕入先が免税事業者の場合

自社が課税事業者で、仕入先が免税事業者の場合でも、上記同様「取引の継続」「利益とキャッシュへの影響」を考える必要があります。

取引の継続については、先ほどとは反対に、自社が仕入税額控除の適用を受けられません。そのため、仕入税額控除の適用を受けるには、仕入先に適格請求書発行事業者の登録をしてもらう、あるいは、現在の仕入先との取引を中止して、新たに適格請求書発行事業者との取引を開始するなどの対応が必要となります。

利益とキャッシュへの影響については、仕入税額控除の適用を受けられない分、消費税の納税額が増えます。仕入先からの支払額が変わらないとすると、消費税(費用)が増加した分だけ利益が減少し、また、消費税の納税資金が増加します。

5 取引先別の影響一覧と、免税事業者の対応比較

取引先別の影響

免税事業者の対応比較(メリット・デメリット)

以上(2023年3月)
(監修 南青山税理士法人 税理士 窪田博行)

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日本の歴史人物(織田信長)

1 日本人離れした先見性と合理性を併せ持った「織田信長」

尾張地方の一城主の長男に生まれた信長は、小さい頃は粗野でうつけ者と評判でしたが、成長してひとたび戦場で指揮を執ると天才的なひらめきを見せ、天下取りを目指して武将たちがしのぎを削る下克上の世の中でめきめき頭角を現していきました。

信長が大勢の戦国武将たちの中から抜きんでたのは、時代の一歩も二歩も先をゆく先見性と日本人離れした合理性によるものでした。

織田信長の生涯

2 信長の有名エピソード

信長にまつわるエピソードは多くありますが、この記事では代表的なものを紹介します。

1)能力ある家臣を積極的に登用

信長は家臣の登用も型破りでした。能力があり、自分の天下統一に役に立つと思えば、貧農出身の豊臣秀吉や新参者の明智光秀をも重臣に抜てきしました。人材は器量に応じて登用し、一族・肉親といえどもそれだけでは重用しませんでした。

半面、「能力がない」と判断した家臣に対しては、それまでの功績や身分に関係なく厳しい処罰をすることもありました。例えば、佐久間信盛は信長の父・信秀に仕え、後に信長に従った重鎮でしたが、戦果がはかばかしくない責任を取らせ、追放しました。ただし、このような厳しい処罰はメリットだけではなく、明智光秀の離反を招く一因になったと考えられています。

織田信長

2)誰でも商売ができるようにした「楽市楽座」

「天下布武」を目指した信長は、安土の地を自らの王国の建設地に選びました。その理由は諸説ありますが、琵琶湖が近く、水陸交通の要衝であったこと、生まれ故郷の尾張と旧勢力の中心地である京都とのちょうど中間にあったことなどが大きいとされています。信長は安土に戦国時代の覇者にふさわしい壮麗な安土城を建設し、城内に秀吉や前田利家などの重臣の邸宅を建てて住まわせました。

城下には楽市楽座を設けたため、全国から商人や職人たちが集まってきました。それまでは「座」という商人の組合に入らなければ、商売をすることが許されませんでした。信長は独占的な組織の「座」を廃止し、誰でも商売ができる世の中に変えたのです。また、貨幣の交換レートを定め、商品流通を促しました。こうした経済自由化の結果、国内産業は近代化への一歩を大きく踏み出したのです。

3)宗教と政治を切り離すことに力を傾ける

信長は宗教と政治を切り離すことにも力を傾けました。信長の天下統一の前には戦国大名だけでなく何人もの強大な戦国大名が立ち塞がり、そのたびに信長は合戦で勝利を収めてきましたが、そんな信長でも苦戦を強いられたのは一向宗や比叡山といった宗教集団でした。当時、彼らは僧侶でありながらも、巨大な政治力と軍隊を持っていました。信長は僧侶たちが政治の世界に介入することを許さず、徹底的に彼らを打ちのめしました。

だからといって信長は宗教そのものを否定したわけではありません。それはその頃、日本に入ってきたキリスト教に対する信長の態度を見れば明らかです。新し物好きでもあった信長は、イエズス会の宣教師たちを手厚くもてなし、彼らの布教を保護すると同時に、西洋文化を彼らから吸収したのです。

4)信長最後の言葉「是非に及ばず」

明智光秀が本能寺にいた織田信長を襲撃した「本能寺の変」は戦国時代、あるいは日本の歴史を大きく変える大事件でした。

わずかな供回りを連れて本能寺に滞在していた信長は、夜半、人々の争う声で目を覚まします。襲撃者が光秀と知った信長の口から出たのは「是非に及ばず」という言葉だったといわれています。

この「是非に及ばず」とは普通、「仕方がない」と訳すことができます。光秀ほどの戦上手が囲んだからにはもう逃げ場はない、諦めよう、という意味にとることもできます。

しかし、別の解釈も成り立ちます。「是非」は本来「善しあし」という意味ですから、「善い悪いは関係ない、自分と同じことを今度は光秀がやろうとしているだけだ」と捉えることもできるでしょう。であるならば、善悪を超越した乱世の雄、信長らしい言葉といえるでしょう。

【参考】

  • 小学館「Jr.日本の歴史 4」(平川南、五味文彦、大石学、大門正克編 山田邦明著)
  • 山川出版社「戦国大名 歴史文化遺産」(五味文彦監修)
  • ポプラ社「織田信長(徹底大研究日本の歴史人物シリーズ5)」(谷口克広監修)

以上(2023年4月)

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“行き過ぎた配慮”を卒業し、「三方よし」を実現しよう

来月から新年度ですね。今日はビジネスの鉄則「三方よし」をテーマに話をします。三方よしは、「売り手」と「買い手」がともに満足し、「世間」にも良い影響を与えられるのが本当の商売であるという、江戸時代から伝わる有名な経営哲学です。ただ、私は最近、買い手や世間への“行き過ぎた配慮”が、「三方よし」の妨げになっているのではないかと思うことがあります。

例えば、テレビ業界で使われる「コンプライアンス」という言葉です。本来は「法令遵守」という意味ですが、テレビ業界では「道徳的に守らなければならないルール」といった意味でも使われており、最近のバラエティー番組では、痛みを伴う罰ゲームが減り、人の容姿をいじることがNGになるなどの影響があるようです。

コンプライアンス自体は尊重すべきで、差別につながり得る表現などは是正されて当然です。ただ、最近はハリセンで人をたたくことさえ目にしなくなり、売り手であるテレビ局が、一部の視聴者からのクレームを避けたいだけのように思えることもあります。買い手である視聴者への配慮が“行き過ぎ”て、無難な番組しか作れなくなれば、視聴者が楽しめる番組がなくなります。表現の規制が本来必要なレベルを超えてしまうのは、世間にとっても良くありません。うがった見方をすれば、クレームを避けたいテレビ局のエゴともいえます。「三方よし」の考え方に照らすと、「売り手だけよし」の状態といったところでしょうか。

私たちのビジネスでも、同じようなことがあるでしょう。分かりやすいのは、お客さまから、提供している商品やサービスに対して「価格を下げてほしい」と言われた場合です。もちろん、お客さまの要望にある程度歩み寄ることは必要ですが、そこにとらわれすぎると、何かを犠牲にしなければならなくなってしまいます。この場合、売り手である私たちの事業継続に支障が出るほど利益を損なうことになるか、お客さまの利便性を悪化させかねないほどにまで品質を落とすしか、対応方法がないでしょう。2つの対応のいずれかを取った場合、「三方よし」の考え方に照らすと、「買い手だけよし」、もしくは「三方わるし」の状態になってしまいます。

そうではなく、本当の意味での「三方よし」を実現するためには、私は買い手や世間への“行き過ぎた配慮”を卒業する必要があると思います。それはつまり、私たちが売り手としての存在意義を自覚し、お客さまに対しても譲れない部分を明確にすることです。お客さまの不利益になったり、道徳に反したりすることは許されませんが、そうでないのなら、「私たちは、商品やサービスを通じてこんな価値を提供できる」という自分たちの強みを、自信を持ってプッシュしていくのです。お客さまや世間からそこへの共感を得てこそ、「売り手、買い手、世間よし」ではないでしょうか。まずは「自分を出す」ことから始め、エネルギッシュな新年度にしていきましょう。

以上(2023年3月)

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ご存知ですか 経営者・役員の退職金制度の基礎の基礎

役員が退職するときには、従業員退職金規程にはない「役員退職金」を支給することができる。役員退職金は、会社法上、株主総会の決議が必要なことからはじまり、支給までの流れが従業員退職金とは異なる。また、会社側では税金の負担が軽減できるメリットもあるが、株主総会の承認などを得る必要があるので、株主の説得が必要となり時間や手間がかかる。今回は、役員退職金制度の基本的なところを中心に、メリットデメリット、支給金額の決め方、支給までの流れなどをわかりやすく解説していく。

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