【海外展開の手引(1)】 構想段階での目的の明確化が 成否を左右する

書いてあること

  • 主な読者:販路拡大や生産コスト削減などのために、海外展開を検討している経営者
  • 課題:海外展開までの手順や具体的な手段や、検討に際しての相談先を知りたい
  • 解決策:構想段階では、海外展開の目的を明確化することが最も重要。何のために、どんな商品・サービスを、どこに、どうやって展開するのかなどを決める

1 海外展開の検討は正しい手順と入念な計画が不可欠

人口減少などによって、日本国内の市場は長期的に縮小することが見込まれています。日本企業にとって、海外展開によって新興国などの市場や労働力を取り込むことは、企業の将来を左右する重要な戦略となります。

とはいえ、海外展開にはリスクがつきものです。正しい手順を踏んで十分な検討と入念な事前計画を立てなければ、「すぐに撤退、多大な損失」という結果になりかねません。

そこでこのシリーズでは、中小企業が海外展開を検討するための手順とポイント、検討する際の有益な参考情報を紹介します。

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2 海外展開のための構想は「目的の明確化」から

海外展開を構想する際は、まず比較的低コストで相談できる「日本貿易振興機構(以下「ジェトロ」)」「中小企業基盤整備機構」などの公的機関を活用してみましょう。

その際、「海外進出を検討したいが有望な進出先や商品はないか」といったような漠然とした相談を持ち込んでも有効なアドバイスを得ることは難しいのです。最低でも「何のために」「何を(商品・サービスなど)」「どこに(海外展開先国)」は決めておく必要があります。

1)何のために海外展開するのか

企業として、自社の海外展開をどのように位置付けるのかを決めます。例えば、海外市場の開拓を目的とするならば、

  • 海外市場への開拓は本当に必要か
  • 国内市場にもう可能性を見いだせないのか
  • 商品・サービスを見直すなど、市場を拡大する以外の戦略はないのか

など、別の視点から考えてみるのもよいでしょう。

また、生産コスト削減を目的として人件費が安価な国に海外展開するのであれば、現地の現在の賃金のみを考慮するのではなく、賃金の上昇率を調べ、事業が軌道に乗り始めたころには賃金が大幅に上昇している可能性がないかも含めて検討しましょう。

2)何を(商品・サービスなど)展開するのか

海外展開で、どんな取引をするのか決めます。例えば自社の商品・サービスを海外で販売する場合、国内では高い競争力を持つ商品・サービスであっても、海外市場では強力なライバルが存在したり、需要がなかったりすることがあります。反対に、国内では苦戦を強いられている商品・サービスが、海外市場では競争力を維持できたり、新たな需要を発掘できたりすることもあります。

また、海外から商品やサービスを調達する場合、価格面だけでなく、品質面やアフターサービス、安定的に仕入れることが可能かなどの面も含めて、国内調達との比較検討をする必要があります。

3)どこに(海外展開先国)展開するのか

世界のどこで事業展開したいのかを決めます。そのためには、何よりも情報収集が必要です。まずは国内にいながら収集可能な情報を分析することから始めましょう。収集する現地の情報は多岐にわたります。詳細は後述します。

4)いくら稼いで(収支)いつ黒字転換させるのか

大まかでよいので、収支に関する構想も練っておきましょう。海外展開によって、どれほどの売り上げをつくりたいのか、どれだけコストを削減したいのか、という収支見通しを立案します。海外展開では想定外のことが起こる可能性も少なくありませんので、収支見通しは厳しめに見ておくとよいでしょう。

初期投資額なども勘案して、いつまでに黒字転換させるのかを決めておくことも大切です。

5)撤退要件もあらかじめ決めておくべき

「始める前から失敗することは想定したくない」という気持ちも分かりますが、あらゆるリスクを考慮しておくことは、経営者としての責務です。

海外展開が構想通りにいかないことも想定して、「当初3年間の売り上げが計画の7割未満なら撤退する」「5年以内に黒字転換しなかったら撤退する」など、あらかじめ撤退要件を決めておくべきでしょう。損失をいたずらに拡大させることや社内のリソースの無駄遣いを防ぐだけでなく、海外展開に携わる社員などに対して必達条件を共有しておくといった意味もあります。

3 海外展開のさまざまな手段を検討する

1)主な海外展開手段

一口に「海外展開」といっても、その手段はさまざまです。企業の主な海外展開手段の概要は次の通りです。

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最も一般的な海外展開手段は「貿易」であり、「国産製品の輸出」「原材料・部品の輸入」などが挙げられます。最近では越境ECを通じた取引が多く活用されています。

「直接投資」は、投資先国に新たに法人を設立する、投資先国の既存の企業と株式取得・交換を通じて提携などパートナーシップを結ぶ、投資先国の既存の企業を買収するなどがあります。

「技術・業務提携」は、企業同士が資本の移動を伴わずに技術または業務において提携し、共同で事業を行います。技術の場合はライセンシング(産業財産権や著作権の有償使用許諾)、飲食業などの場合はフランチャイズ展開などがあります。

2)越境ECという選択肢

コロナ禍で注目が高まったのが、越境ECです。海外支店の開設などに比べ、越境ECは初期費用が少額で済むため中小企業でも始めやすく、仮に失敗したとしても撤退が比較的容易です。

1.ジェトロ主催の「JAPAN MALL事業」と「JAPAN STREET」

ジェトロが主催する「JAPAN MALL事業」および「JAPAN STREET」は、海外主要ECサイトとの取引を実現させるためのプラットフォームで、無料で商品を登録できます。

JAPAN MALL事業は、海外ECサイトのバイヤーに商品を紹介する事業です。原則として商品はECサイトのバイヤーが日本国内で円建て決済をして買い取るため、返品リスクがなく、複雑な輸出手続きが不要です。対象となる商品は食品・飲料、化粧品、日用品、生活雑貨などです。

2023年度からは有料サービスとして、商品ごとのプロモーションと、プロモーションデータのフィードバックを行う「プレミアムプラン」も提供しています。

JAPAN STREETは、ジェトロが招待した、限られた海外の有力バイヤーだけが閲覧できるオンラインカタログサイトです。取引は海外ECサイトが指定する方法や商社を通じて行うことになります。対象となる商品は食品や化粧品からファッション、玩具などの消費者向けから、精密機器、産業機械・部品、原料・素材、映像・音楽・ゲームなどのコンテンツなど、多岐にわたっています。

■ジェトロ「海外におけるEC販売プロジェクト」■

https://www.jetro.go.jp/services/japan_mall/

2.中小企業基盤整備機構「EC活用支援アドバイス」

中小企業基盤整備機構では、ECを通じて海外などの販路が拡大できるよう、アドバイスをしています。無料で何度でも相談でき、東京本部での対面での面談の他、オンラインでの面談も実施しています。

■中小企業基盤整備機構 ebiz「EC活用支援アドバイス」■

https://ec.smrj.go.jp/advice/

4 構想段階から相談ができる専門機関

最後に、海外展開を検討する際に、構想段階から相談や情報収集ができる代表的な専門機関を紹介します。

1)ジェトロ

ジェトロは国内外の拠点において、対日直接投資の促進、日本企業の海外展開支援、農林水産物・食品の輸出支援などを行っています。海外展開を検討している企業に対しては、貿易投資相談や海外ミニ調査サービス(有料)、国内外における展示会・商談会の開催および出展支援などのサービスを提供しています。

ウェブサイト「初めての海外進出」では、海外展開の目的別のチェックポイントを設定しています。検討時の参考にするとよいでしょう。

■ジェトロ「初めての海外進出」■

https://www.jetro.go.jp/theme/fdi/basic/

2)新輸出大国コンソーシアム

政府系機関、地域の金融機関や商工会議所など1123の支援機関(2023年4月7日時点)が幅広く参加し、海外展開を図る中堅・中小企業などに対して、海外展開の計画立案から実行・実現までを、専門家が支援します。

対象となる企業へワンストップの支援サービスを提供するため、全国に配置された「新輸出大国コンシェルジュ」が最適なサービスを紹介します。具体的な支援はジェトロが事務局機能を担っており、海外展開フェーズに応じて専門家がアドバイスを行います。また、個別課題に対するスポット支援として、海外展開戦略策定支援や、貿易実務・商談支援、基準・認証の取得に関する支援、法務や税務・会計、物流など、個別課題に対応する専門家による支援も行っています。

■ジェトロ「新輸出大国コンソーシアム」■

https://www.jetro.go.jp/consortium/

3)中小企業基盤整備機構

中小企業基盤整備機構では、海外展開を目指す中小企業を、初期の計画段階から進出後のフォローアップまで、幅広い支援メニューでサポートしています。これから海外展開を考え始める企業も含めて、海外展開に関する相談を受け付けており、専門家による「海外展開ハンズオン支援」を行っています。

また、国内の「展示会での出張アドバイス」「海外展開セミナー」なども開催しています。

■中小企業基盤整備機構「海外展開」■

https://www.smrj.go.jp/sme/overseas/

4)地方自治体や各地の中小企業支援機関

地方自治体や各地の中小企業支援センター、中小企業振興公社、商工会議所などでは、中小企業の海外展開を支援するために、「国際化支援室」「国際経済推進室」などの名称で専門部署を設置しています。

東京商工会議所では、初めて海外ビジネスに取り組む企業への相談を受け付けています。専門的なサポートが必要な場合は、登録している専門家が対応します。

■東京商工会議所「海外ビジネス相談」■

https://www.tokyo-cci.or.jp/soudan/globalsupport/

5)貿易アドバイザー協会(AIBA)

貿易アドバイザー協会(AIBA)は、貿易に関するコンサルティングなどを行う貿易アドバイザーによって運営されている団体です。

AIBAでは中小企業の海外展開支援や輸出・輸入事業などのコンサルティング、国内外法規制調査、市場調査などのサービスを提供しています。この他、無料相談として、AIBA会員(認定貿易アドバイザー)がコンシェルジュとして、海外ビジネスにおける課題をヒアリングし、解決に向けてアシストするサービスも行っています。相談内容の例の中には、海外進出に向けた事業の可能性の調査や、越境ECを始める際の指導に関するものもあります。

■貿易アドバイザー協会(AIBA)「無料相談トレード・コンシェルジュ」■

https://trade-advisers.com/service/trade-concierge

以上(2023年6月)

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中小企業が知っておきたい割増賃金の引き上げ 月60時間超の時間外労働に関する企業実務

1 改正の概要

労働者が健康を保持しながら、労働以外の生活のための時間を確保して働くことができるよう、1か月60時間を超える法定外時間外労働について、法定割増賃金率が50%に引き上げられました。

中小企業においては、猶予期間が設けられていましたが、令和5年4月1日からは、月60時間を超える時間外労働については、割増賃金率が大企業同様50%に引き上げられたところです。

時間外労働が深夜労働に及んだ場合は75%もの割増賃金を支払う義務が生じるため、長時間労働を余儀なくされている中小企業の場合は、何らかの対策を講じる必要があります。

2 改正後の具体的な内容

(1)月60時間の算出方法

1か月60時間を超える法定時間外労働を算出するには、法定休日労働は含めません。法定休日以外の総労働時間のみで算出します。例えば、法定休日を日曜日と定めた場合、日曜日以外の労働時間のみで算出します。

(2)代替休暇の運用と労使協定

1か月60時間を超える法定時間外労働について、労働者の健康を確保するため、引き上げ分の割増賃金の代わりに有給の代替休暇を与えることができます。

割増賃金の支払を要しないのは、法定割増賃金率の引き上げ分のみですので、これまでと同様、25%までの割増賃金は支払う必要があります。

代替休暇制度導入にあたっては、過半数組合(ない場合は労働者の過半数代表者)との間で労使協定を結ぶ必要がありますが、労働基準監督署に届出する必要はありません。

労使協定を結んでも、代替休暇を取得するかしないかは労働者の自由ですので強制はできません。

労使協定で定める事項は以下の通りです。

① 代替休暇の時間数の具体的な算出方法
② 代替休暇の単位(1日または半日)
③ 代替休暇を与えることができる期間(2か月以内)
④ 代替休暇の取得日の決定方法、割増賃金の支払日

① 代替休暇の時間数の具体的な算出方法

代替休暇の時間数の具体的な算出方法は以下の通りです。

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中小企業が知っておきたい割増賃金の引き上げ 月60時間超の時間外労働に関する企業実務

労働者が健康を保持しながら、労働以外の生活のための時間を確保して働くことができるよう、1か月60時間を超える法定外時間外労働について、法定割増賃金率が50%に引き上げられました。
中小企業においては、猶予期間が設けられていましたが、令和5年4月1日からは、月60時間を超える時間外労働については、割増賃金率が大企業同様50%に引き上げられたところです。
時間外労働が深夜労働に及んだ場合は75%もの割増賃金を支払う義務が生じるため、長時間労働を余儀なくされている中小企業の場合は、何らかの対策を講じる必要があります。

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【オーナー企業の事業承継(9)】 MBO・ファンド・M&Aを活用した 事業承継対策

書いてあること

  • 主な読者:事業承継を検討している中小企業の経営者
  • 課題:親族内に後継者がいないケースが多い
  • 解決策:親族外の後継者に事業承継を行う手法として、MBO、ファンド、M&Aの活用方法を活用する

1 親族内に後継者がいない場合はどうするのか

オーナーの事業承継を検討するに当たって、親族内に後継者として適当な人材がいない、あるいは、いても当人の承諾が得られないケースも見受けられます。また、親族内での承継にこだわり過ぎて強引に事業承継を行い、かえって後継者にも会社にも悪影響を与えてしまうこともあります。

親族内に適当な後継者がいない場合に考える選択肢として、MBO、ファンド、M&Aの手法を用いた対策があります。それぞれの効果や留意点を認識し、自社に合った対策案として検討してみてください。

2 MBOを活用した事業承継対策

1)MBOとは

MBOとは、

Management Buyoutの略称で、経営陣(役員)が事業の継続性を前提に自社株式を買い取り、オーナー経営者などとして独立する行為

をいいます。また、従業員が自社株式を買い取る場合はEBO(Employee Buyout)といいます。なお、この記事では一般的に用いられているMBOについて説明します。MBOは、親族内に適当な後継者はいないけれど、社内に有能な役員がいる場合などの事業承継対策として活用することができます。

MBOを活用した事業承継の流れ(一般的なスキーム例)は次の通りです。

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2)対策のポイント

通常は自社株式購入のための自己資金が不足するため、金融機関などから不足資金を調達する必要があります。しかし、後継役員などの個人では借り入れの返済原資が乏しいことから、新たに設立する受け皿会社が金融機関などから借り入れを受けて、株式を取得するケースが多く見られます。

MBOでは、後継役員自身が株式購入資金の準備手続きを行わなければなりません。特に金融機関などからの借り入れで資金を賄う場合は、事業の継続や成長の源泉となる商品、技術、販売力、人材などに関して十二分に説明し、借り入れ条件などを綿密に調整・確認することが重要となります。

また、子会社化される事業会社と受け皿会社との資本関係を100%とするなど一定の要件を満たすことで、受け皿会社が事業会社から受け取る配当金には課税されません。そのため、配当を生み出す事業会社の事業収益を借入金の返済原資として有効に利用することができます。

3)対策のメリット

MBOを活用した事業承継対策のメリットは次の通りです。

  • 親族内に後継者がいない場合でも、第三者によるM&A(詳細は後述)の手法を用いることなく、事業を承継することができる。
  • 事業の承継者が会社の事業実態を熟知している現経営陣(役員など)であることから、円滑に事業を承継することができる
  • 現経営陣(役員など)がオーナー経営者となることで、一層の責任感を持って会社の経営に取り組むこととなり、また、従業員の雇用も確保され、経営陣と従業員の一体感や企業風土といった会社の独自性も維持していくことができる
  • 現オーナーにとっては換金性の乏しい非上場株式を換金することができ、オーナーの親族は、その現金を将来の相続における相続税の納税資金に充当することができる

4)対策のデメリットと留意点

MBOを活用した事業承継対策のデメリットと留意点は次の通りです。

  • 受け皿会社が金融機関などからの借り入れで資金調達をする場合、事業性の評価次第では、後継役員などが個人の連帯保証や担保提供を要求されることある
  • 承継する事業会社は多くの場合、既に金融機関からの借り入れがあり、通常はオーナーがその債務を連帯保証しているため、後継役員などはその債務についても承継しなければならないことがある。そのため、後継役員などの理解を得たり、金融機関との調整で、多くの時間を費やしたりすることともある
  • 後継者候補が複数いる場合に誰を後継者に選択するかによって、その後の経営幹部内での争いのもととなる恐れがある

3 事業承継を目的としたファンドを活用した対策

1)ファンドとは

ファンドとは、

投資家から資金を集めて株式などに投資して運用を行う仕組み

をいいます。

ファンドにはさまざまなタイプがありますが、その投資スタンスの決め手となるのが資金の出し手となる投資家です。

一般に地域の金融機関や国内の年金基金などから資金を集めているような場合は、中長期的に経営者と二人三脚で企業の成長を支援するというスタンスのファンドが多いようです。ファンドを活用した株式承継の流れ(一般的なスキーム例)は次の通りです。

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なお、「普通株」とは一般的に通常売買、保有されるような株式で議決権があり、また、配当がもらえる権利があるような株式をいいます。これに対して

「優先株」は普通株よりも配当を優先的に受けることができたり、倒産などの際に残余財産を優先的に受け取ることができたりする一方で、議決権がないような株式

をいいます。現在、株式の内容は配当、議決権、償還、普通株への転換、残余財産分配に関して自由に設計することができるため、名称は同じ「優先株」であっても全く内容が異なっている場合もあるので、活用においては株式の内容をよく確認する必要があります。

なお、種類株式の詳細については、下記のリポートをご参照ください。

2)対策のポイント

株式を譲渡する際の株価は、後継者が中心となって策定する事業計画を根拠としてDCF(ディスカウント・キャッシュフロー)法などにより算定されます。DCF法とは、会社が将来生み出すフリー・キャッシュフロー(純現金収支)を、一定の割引率で割り引いた現在価値に基づき株式の価値を評価する方法です。従って、調達した資金について、一定期間で無理なく返済ができるような事業計画を策定することが重要です。

また、一口に「ファンド」といっても、事業承継をサポートするファンドは世の中に多く存在します。これらのファンドの性格はファンドマネジャーやその出資者の属性によって大きく異なっており、どのようなファンドと付き合うのかは対策を行う上での重要なポイントです。

そのため、入り口の段階において、高い価格で株式を買い取ってもらえたとしても、その後、後継者には不本意な形で経営権を取られてしまったということがないように、次のポイントなどを確認し、ファンドの性格を理解する必要があります。

  • 投資に対する方針
  • ファンドマネジャーの信頼性
  • 出資者の属性

3)対策のメリット

事業承継を目的としたファンドの活用による対策のメリットは次の通りです。

  • 換金性の乏しい非上場株式を換金することで、オーナーの自由に使える資金が増え、将来の相続税などの納税資金としての活用も可能となる
  • 買収目的会社を設立する際の普通株への出資は少額でも可能なため、会社の将来を担う人材を中心に、新しい世代へと株式保有者を再構成することができる

4)対策のデメリットと留意点

事業承継を目的としたファンドの活用による対策のデメリットと留意点は次の通りです。

  • 通常は、事業計画の達成状況についてファンド運営者によるモニタリング(定期的な事業計画の実行状況の確認)が行われる。実際のモニタリングの内容は会社の状況によって異なるが、モニタリングを通して、経営管理面の強化と成長企業への脱皮を求められる
  • 事業計画を下回るような状況が継続するような場合には、後継者による経営に一定の制限が加えられることがある。そのため、事前に作成する事業計画は、後継者が確実に遂行できる内容にする必要がある

4 M&Aを活用した事業承継対策

1)M&Aとは

M&Aとは、

Mergers and Acquisitionsの略称で、企業の合併・買収を総称し、事業承継においては、外部資本(第三者)がおおむねの株式を買い取り、事業を継続する行為

をいいます。M&Aを活用した事業承継対策の流れ(一般的なスキーム例)は次の通りです。

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2)対策のポイント

M&Aにより会社を売却する場合、次のような状況にある会社が売却しやすい(売却しにくい)とされています。売却しやすい会社と売却しにくい会社は次の通りです。

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なお、業績が好調な時期に譲渡する経営者が意外に多いようです。事業で成功している経営者は決断力があるといえるのかもしれません。

中には、いざとなって最後の決断ができず自ら交渉を破談にしながら、後々になって業績が悪化し、再度、売却を検討したが当初の条件からは大きく後退してしまい、悔やむオーナーもいます。そのため、M&Aの決断には経営者の資質が問われるのです。

3)対策のメリット

M&Aを活用した事業承継対策のメリットは次の通りです。

  • 廃業や会社清算と比べると税金の面で有利で(後述)、従業員の雇用、顧客を守ることができる
  • オーナーは会社の借り入れに対する連帯保証や担保提供が必要なくなる
  • 一般的には株式の売却や退職金の受領、会社に対する貸付金の回収といった形で、株主や役員は大きな現金収入を得ることができる

4)対策のデメリットと留意点

M&Aを活用した事業承継対策のデメリットと留意点は次の通りです。

  • 情報の漏洩など、不適切な形でM&Aに関する情報が開示されると、従業員の不安感の増大と、退社のリスクや経営不安などの噂の流布による営業面でのリスクなどに直面する可能性がある
  • M&Aの前後において、売却先との企業文化の相違により、社内のモチベーションが低下してしまうリスクがある

5)M&Aと清算の比較

M&Aは、会社を清算した場合と比べて税金面などで有利になります。M&Aの場合と清算の場合の株主の手取り額の比較は次の通りです。

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M&Aの場合は清算の場合と比べると、株式の譲渡益に対する20.315%の課税だけで済むため、税金面では有利といえます。清算の場合は法人の含み益に対して法人税が課税され、さらに個人の手取り金に対して配当所得として他の所得と合算して総合課税されるため、金額が大きい場合は49%程度の高税率で課税されることが多くなります。

また、清算の場合には、実際の資産処分価額はM&Aの場合の評価額を大きく下回ります。清算手続きに入り、資産を実際に処分する際には機械装置などの移設ができないものはスクラップ価格となってしまいます。

逆に業績の良い非上場企業のM&Aの場合は営業権が資産額に加算されるため、通常は、

時価純資産評価額+営業権

で株価が評価され、清算の場合よりも圧倒的に有利となります。時価純資産評価額と営業権は次のように計算します。

  • 時価純資産評価額=会社の資産(時価評価)-負債(時価評価)
  • 営業権=税引き後利益(過去3~5年の平均)×年数(目安:3~5年)

以上(2023年6月)
(監修 辻・本郷税理士法人 税理士 安積健)

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画像:soo hee kim-shutterstock

10年後の御社は安泰ですか? 今と将来の事業を整理するのに役立つ「経営デザインシート」

書いてあること

  • 主な読者:ビジネス環境が変化する中、自社の強みや向かうべき方向を明確にしたい経営者
  • 課題:自社の置かれている状況や外部環境など整理しないといけない情報が多く、なかなか考えがまとまらない
  • 解決策:「経営デザインシート」で自社の現状を俯瞰(ふかん)した上で、「こうありたい」理想の姿を描き、そこから「今何をすべきか」を明確にしてビジネスモデルの転換を図る

1 社長、御社の今後に自信はありますか?

今、「うちの会社は10年後も安泰!」と自信のある経営者がどれほどいるでしょうか。コロナ禍を経て、それほどまでに経営環境が劇変しています。過去の成功体験も失敗体験も通用しにくくなってきた今、改めて事業環境を整理することが不可欠です。

やり方はいろいろありますが、この記事でお勧めするのは「経営デザインシート」です。これは、2018年5月に内閣府が公表したもので、

5年後、10年後に、自社や事業がどのようなストーリーで価値をつくっていきたいかを考えるためのフレームワーク

です。

■首相官邸 知的財産戦略本部「経営をデザインする」■
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/keiei_design/

経営デザインシートの使い方を、企業の活用事例も交えながら紹介しますので、ぜひ参考にしてみてください。

なお、活用事例で紹介している企業は、先の首相官邸のウェブサイト「企業における活用例」で取り上げられています。この記事で紹介している取り組み内容は、独自の取材などを基づくものです。

2 経営デザインシートで自社の価値を「見える化」

経営デザインシートは、2019年12月にシートの利便性向上のために「経営デザインシートリデザインコンペティション」が開催され、下記のような「描きたくなる」経営デザインシートが新デザインとして採用されました。

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図表の(A)~(D)は下の(A)~(D)に対応しています。下のように思いを巡らしながら空欄を埋めてみてください。

(A)存在意義を意識した上で、
(B)「これまで」どのように価値を生み出してきたかを把握し、
(C)「これから」どうやって価値を生み出していきたいかを構想する。
(D)「これまで」から「これから」への移行のための戦略を策定する。

特に重要なのは(B)と(C)であり、ここでは自社や事業の「価値創造ストーリー」を考えます。価値創造ストーリーとは、どのような「資源」を、どのような「ビジネスモデル」(収益の仕組み)にインプットすると、どのような「価値」を世の中に提供できるのかという一連の仕組みです。

「資源」の欄には、人、設備、知的財産(以下「知財」)など自社の強みである資源、「ビジネスモデル」の欄には、事業の一覧や役割などの事業ポートフォリオ、「価値」の欄には、商品、サービス、それらが社会にもたらす効果など提供する価値を記入します。

(B)の「これまで」の価値創造ストーリーは、自社の現状を分析することで比較的容易に埋めることができますが、重要なのは(C)の「これから」の価値創造ストーリーです。

ポイントは【(B)これまで+(D)移行戦略→(C)これから】という、これまでの延長線で考えるのではなく、

(C)これから-(B)これまで→(D)移行戦略

という、こうありたい姿(未来)から逆算して考えるということです。

資源を基に将来を構想すると、どうしても既存のビジネスの改善・改良にとどまってしまいがちです。そうならないために、提供したい価値を、顧客のニーズや新しい発想を織り交ぜながら考え、それを実現するのに現状では足りないビジネスモデルや資源を逆算して考えていきます。

「これまで」と「これから」の価値創造ストーリーを考えることで、両者のビジネスモデルや資源のギャップが明確になります。そのギャップを埋めるための移行戦略を(D)で考えていきます。

その上で(C)を考える際のポイントは、

「資源」から考えるのではなく、5年後、10年後に提供したい「価値」から先に考え、それを実現するための「ビジネスモデル」、ビジネスモデルに必要な「資源」の順に埋めていくこと

です。

実際の価値創造ストーリーの記入例、経営デザインシートのフォーマット、企業の活用事例などは、前述した首相官邸のウェブサイトに掲載されているので参考にしてみるとよいでしょう。

■首相官邸 知的財産戦略本部「経営をデザインする」■
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/keiei_design/

3 非財務情報の「見える化」

経営デザインシートの「ビジネスモデル」の欄には、知財の果たす役割も記入します。知財とは、特許や商標などの他、技術、データ、組織文化・風土、教育システムなども含めて考えます。技術、データなどは財務諸表には記載されませんが、こうした点も定性的に評価します。

内閣府知的財産戦略推進事務局へのヒアリングによると、

「将来構想を練る際には、財務情報ばかりに目がいき、非財務情報を忘れがちになる。しかし、自社の強みを掘り進めていくと、知財にたどり着くことが多いため、知財を『見える化』することに重点を置いた」

とのことです。

経営デザインシートはシンプルですので、経営者なら1人で簡単に作成できてしまうでしょう。しかし、それでは視点が偏り、抜け漏れも生じるため、信頼する幹部や外部のステークホルダーと議論しながら作成するとよいでしょう。

作成のために第三者と議論や対話を深めることで、経営者の頭の中でただのアイデアとして終わっていたことが具体化されたり、自社や事業に込める思いをキーワードとして抽出したりすることができます。

4 議論・対話を促進し、企業価値を共有した事例

機械設備事業やエレベーターメンテナンスを主な業務とするエレドック沖縄は、ベテラン技術者の高齢化に伴い、これまでの高所作業から地上作業にも事業領域を広げるべく、新たにフィットネス機器分野への進出を検討。沖縄県知財総合支援窓口の支援を受け、経営デザインシートを作成しました。

同社は、「企業等の『健康経営』推進を支える」などを、これから提供する価値に据え、それを実現するビジネスモデルとして「フィットネス機器分野の強化」、必要な資源として、「相談対応力や提案力を備えたベテラン社員」や「エレベーターに限らない機械設備メンテナンス業者としての沖縄県内での知名度」などを設定しました。

その後、事業領域の拡大とそのための移行戦略を効果的に進めるに当たり、作成した経営デザインシートについて、従業員向けの説明会やヒアリングを開催しました。その結果、従業員からは次のような反響を得ることができました。

経営者の長期的なビジョンや方針がストーリーとして理解でき、社長の下で頑張りたいという気持ちを強くすることができた

自社で行っている事業や自分の業務が、何のためのものか理解しやすくなった

事業領域が広がってきても、「仕事が増える」と考えるのではなく、新しい仕事に対する心構えができる

5 事業承継に向けた擦り合わせに活用した事例

事業承継に当たり、現経営者と後継者とのコミュニケーションツールとして活用した事例もあります。

メーカー型総合建設業を営むコプロスは、作業スタッフの高齢化や後継スタッフの不足といった課題を抱えており、そうした課題意識を従業員と共有したり解決策を検討したりするために、経営デザインシートを作成しました。

作成は次期経営者と社内の作業担当者が進め、「安全で効率の良い働き方を実践して、間接的に業界イメージの改善にも寄与する」ことなどを、これから提供する価値に据え、それを実現するビジネスモデルとして、「機器の遠隔・自動操作を実現するためのソフトウエア開発部門」、必要な資源として、「AI/ICT開発技術」などを設定しました。

その上で、移行戦略として、「AI開発企業/研究大学との協力体制の構築」や「新技術の施工を担う人材の教育」などを定めました。こうして明確になった自社が今後目指すべき方向性を、現経営者である実父へ経営デザインシートを用いて説明しました。

これまでは、次期経営者と現経営者が2人で話す際は、良くも悪くも「親子」が出てしまい、意図せず議論が脱線してしまうことがありました。しかし、経営デザインシートを目の前に議論したことで、焦点を絞り込むことができ、自社の現状としては突飛な「機械の自動化」というアイデアも、現経営者に比較的スムーズに受け入れられたといいます。

6 金融機関との相互理解に寄与

金融機関が、取引先企業の事業性を理解し、評価するためのツールとして活用する事例もあります。金融機関がアドバイスをしながら企業が経営デザインシートを作成したり、一緒に作成したり、金融機関が作成したりします。

いずれの場合も、金融機関が取引先企業の事業性の理解・評価を行いながら、パートナーとしてコミュニケーションの質を高め、共に課題解決の方策を探っていくことに役立っているようです。内閣府知的財産戦略推進事務局へのヒアリングによると、実際に経営デザインシートを活用した金融機関からは、次のようなメリットが挙がっているといいます。

企業が描く将来像を具現化するために必要な課題解決策を共に考え、具体化していくことができる

自社の強みを考える上で、競合他社との違いを知ることが重要であることを説明するために使える

企業にとっても、自社の強みや将来の構想に重要な非財務情報について、金融機関に分かりやすく説明し、理解を深めてもらうツールとして有用なものだといえるでしょう。

以上(2023年5月)

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習慣形成のプロセス

 習慣とは、「学習によって後天的に獲得され、反復によって固定化された個人の行動様式」です。

習慣形成のプロセスには「きっかけ・欲求・反応・報酬」の4つがあります。

 この4つのプロセスは習慣全般に共通していますが、一度習慣化された行動を私たちはほとんど認識することができません。そのため、多くの人がこのプロセスをほとんど自覚せず、できてしまった習慣にやみくもに従っています。

 逆に言えば、この習慣のステップを理解すると、自分がその行動をやめられない理由や新しい習慣が身に付かない理由を分析しやすくなります。また、習慣を変えるには同じ行動を繰り返す必要がありますが、習慣形成のプロセスを知ることで、習慣改善のサイクルを今より効率的に回せるようになるでしょう。

1 きっかけ

 習慣のきっかけはわずかな情報です。私たちの脳は絶えず周囲の状況を観察・分析していますが、十分に練習を重ねると少ない情報から将来の結果を予測できるようになります。そうして、脳が結果を予測できるわずかな情報(きっかけ)に気付くと、私たち自身は自覚がないまま、それに適した行動を取るのです。

 また、脳は記憶している膨大な行動のパターンの中から、わずかな情報を頼りに今採用すべき習慣を決定します。習慣はほとんど自動化されており、ささいなきっかけで欲求を刺激され、自覚しないうちに反応するのです。そのため、自分が変えたい習慣のきっかけさえ自覚できれば、それだけでも自動化された習慣の抑止力になります。

お菓子を食べそうになる状況

 習慣のきっかけを見つけるには、まずは丁寧に自分の行動を振り返ります。例えば、仕事中にお菓子を食べ過ぎてしまうことに悩んでいるとして、自分の行動を一つ一つ振り返ってみましょう。お菓子を食べるのは、仕事が一段落ついたときでしょうか? すぐに解決できない問題が起きて、ストレスがたまったときでしょうか? また、食べるお菓子は休憩コーナーに置いてあるお菓子でしょうか? それとも自分で用意したお菓子でしょうか?

 自分の行動を丁寧に振り返れば、自分がお菓子を食べそうになる状況を少しずつ自覚できるようになります。すでに身に付いている習慣のきっかけは、新しい習慣のきっかけとして活用できるので、自分を責めることなく、冷静に自分を観察しましょう。

2 欲求

 欲求は、あらゆる習慣の原動力です。

 欲求の有無が習慣になるかどうかのカギとなります。たとえある行動の結果好ましい報酬が得られても、欲求がなければ習慣にはなりません。例えば、宝くじを買って1万円が1度当たったとしても、ほとんどの人は習慣的に宝くじを買うようにはならないでしょう。

 しかし、もし宝くじ売り場の前を通るだけで当選した興奮を“期待”するようになった人は、そうでない人よりも宝くじを買う可能性はずっと高くなります。

 期待するということは、報酬が実際に得られる前(例えばきっかけに気付いただけの段階)に、報酬を得られたときの喜びを予感し、待ちわびるようになっているからです。期待は欲求が芽生えている証拠なのです。

 期待が満たされないと人はイライラします。イライラにいつまでも耐えるのは難しいので、多くの人はまた前と同じ行動を取ってしまうのです。

 すでに欲求がうまれ、期待するようになっているなら、自分の意思だけで乗り切ろうとせず、周囲の力を借りるとよいかもしれません。禁煙外来のような専門家に相談するだけではなく、タバコを吸わない人と過ごす時間を長くしたり、家族や友人などに禁煙すると約束したりするなど、周囲の目を積極的に活用しましょう。

 また、欲求の優先順位を変えることも有効です。タバコを吸って得られる爽快感より、健康的な生活や節約できたお金の使い道などを大事だと考えてみてください。最初は無理やり思い込んでいる感じがしても、次第に本当にそう思えるようになるはずです。

3 反応

 反応とは、実際に行う習慣のことです。

 反応は、きっかけに対応した固定化された行動や思考として、無意識に起こります。脳は状況に対する反応を固定化することでたくさんの労力を節約し、より重要な問題に意識を集中しやすくしています。

 しかし、脳が取るべき行動をいちいち判断しなくなるのは、良いことばかりではありません。急ぎの仕事の最中に、メールの通知音が聞こえてついスマホを確認してしまったことはありませんか? 脳はメールを開けばつかの間の気晴らしを得られると学習し、通知音が聞こえたら状況に関係なく、反射的にスマホを確認するようになってしまったのです。

 一度固定化された反応を完全に消すことは、ほとんど不可能です。減量に成功して何年もたったのに、どうしようもないストレスを感じて一気に食べて太ってしまうのは、脳が過去のルーティンを記憶しているためです。

 ただし、アルコール依存症やギャンブル依存症のような中毒症状でもなければ、自分でもその反応が出てこないよう工夫できます。具体的には、今のルーティンを新しいルーティンに置き換えることです。きっかけと報酬はそのままにして、取る行動だけを変更します。ストレスで一気に食べてしまう人は、ストレスと歯磨き、ストレッチなど、リラックスできる別の行動を試してみるのです。

 このときのコツは、やめたい習慣は実行しづらいように、身に付けたい習慣は簡単にできるようにすることです。新しい習慣をつくるには何度も同じ行動を繰り返すと効果的なので、歯ブラシを何本か買って、磨きたくなったらすぐに歯を磨ける環境を整えます。反対にクッキーは棚の一番取りにくい場所に移動して、手を伸ばしにくくします。

4 報酬

 習慣の最終目標です。報酬は欲求を満たし、学習を完成させます。

 報酬の最初の目標は、とにかく欲求を満たすことです。ダイエットと筋トレで引き締まった健康的な身体をつくり、昇進して称賛や収入を得ることです。

 しかし、脳はどうやって満足できる報酬をもたらす行動と、もたらさない行動を区別するのでしょうか? これは、報酬が得られるタイミングが重要になります。なぜなら、実際の行動よりもずっと後から報酬がやってきても、脳はその行動は本当に学習する価値があると、なかなか判断しないからです。

 一方、食事のように行動した瞬間に直ちに心地よい報酬を得られるのであれば、脳は優先して記憶しようとします。つまり、脳にとっては食事を我慢してイライラするより、食べたいだけ食べて楽しい気持ちになるほうが合理的なのです。

 努力してから結果が出るまでに時間がかかるダイエットや貯蓄などの行動を定着させたいなら、すぐに得られる報酬(即時報酬)を準備しましょう。ダイエットなら毎日体重計に乗って記録を取ったり、目標となるモデルの写真を飾ったりすることです。自分の努力がどこに向かっているのかはっきりすると、そうではない場合よりも達成感が得られ、脳も報酬だと感じやすくなります。

 ただし、この即時報酬は自分が目指したい方向と矛盾しないように注意してください。例えば、「運動した後にはお菓子を食べる」という報酬は、進もうとしている方向と真逆になるのでふさわしくありません。

5 まとめ

 習慣形成の「きっかけ・欲求・反応・報酬」という4つのプロセスと、それに適した対応策を紹介しました。自分の習慣を自覚するのは簡単ではありませんが、習慣化に対する知識をもつことで、自分の習慣をより良い方向へ変えていく助けとなるでしょう。

<参考書籍>
「ジェームズ・クリアー式複利で伸びる1つの習慣」(ジェームズ・クリアー(著)、牛原眞弓(訳)、パンローリング、2019年11月)
「習慣の力 新版」(チャールズ・デュヒッグ(著)、渡会圭子(訳)、早川書房、 2019年7月)

以上(2023年6月更新)

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習慣とは何か?

1 変えたい習慣

 健康や美容、仕事のために今の生活を変えようとしたことはありませんか? 食べ過ぎや飲み過ぎ、スマートフォンの使い過ぎなど、何らかの習慣が過剰になると、生活全体に悪影響を与えることがあります。しかも、いざやめようとしても、最初何日かは我慢できるものの、数週間後にはたいてい元に戻ってしまうのです。

 習慣を変えるのが難しい理由はいくつもあります。よくある悩みは、気付かないうちにやってしまう、我慢しているのに効果がすぐに出ない、新しい習慣が定着したと思ったのに何かのきっかけで古い習慣が再開してしまったなどです。新しい習慣を身に付けるためには、こうした問題に対処するポイントを知り、長い目で取り組む必要があります。

 この記事では、習慣が身に付く仕組みと、習慣を変える方法を紹介します。習慣化のプロセスを知ることで今より結果を出しやすくなるはずです。

2 習慣とは何か

 習慣という言葉を辞書で見ると「同じ状況のもとで繰り返された行動が、状況に応じて安定化し、自動化されて遂行される」など、いくつかの意味が載っています。

 この記事では主に個人の習慣に焦点を当てるため、「学習によって後天的に獲得され、反復によって固定化された個人の行動様式」という意味で用います。朝目覚めるとほとんど無意識に顔を洗ったり、歯を磨いたりできるのは、習慣のたまものです。最初はいちいち注意してやっていた行動が、習慣化するとほとんど何も考えずに行えるようになります。

 習慣になる行動は、単純な動きだけではなくかなり複雑な行動も含まれます。日ごろから運転する人は、駐車のような神経を使う動作でも、今はほとんど何も考えずにできるでしょう。脳が日常的な行動の一部を自動化してくれるおかげで、私たちはもっと重要な問題に神経を使えるようになるのです。

3 欲求が習慣の原動力

 繰り返し行っているだけで全ての行動が習慣になるというわけではありません。習慣のプロセスについてはさまざまな研究が進み、習慣として繰り返されやすい行動には次のような特徴があることが分かってきました。

繰り返されやすい行動:「欲求が満たされる結果」を導く行動
(繰り返されにくい行動:「不快な結果」を生み出す行動)

 脳は欲求を満たしてくれる行動を優先的に記憶し、望ましい報酬を効率的に得ようとします。しかも、私たちが望んでいると思っているものと、脳が感じる欲求はいつも一致するわけではありません。頭では健康になりたいと思っていても、多くの人にとって、サプリメントよりポテトチップスやチョコレートのほうがずっと魅力的に見えるのです。

欲求が習慣の原動力

 現代は高カロリーな食品があふれており、あえて意識しなくても糖分や脂肪などの必要摂取量をとれます。そのため、本来なら食べ過ぎないよう注意しなければならないのですが、脳の本能的な部分は食料が乏しい時代のことを覚えていて、糖分や脂肪分を効率的にとれる食品を好みます。私たちは今の環境に合った食生活をしたいと考えているつもりでも自分でも気付かないところで、違うことを望んでいるのです。

 自覚している希望と脳が感じている欲求の違いは、古い習慣をやめ、新しい習慣を始める妨げになります。習慣を効率よく変えていくためには、こうした認識のズレを埋め、隠れた欲求をコントロールする方法を学ぶ必要があるのです。

<参考書籍>
「ジェームズ・クリアー式複利で伸びる1つの習慣」(ジェームズ・クリアー(著)、牛原眞弓(訳)、パンローリング、2019年11月)
「習慣の力 新版」(チャールズ・デュヒッグ(著)、渡会圭子(訳)、早川書房、 2019年7月)

以上(2023年6月更新)

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習慣と意思

1 意思が強くないと習慣は変えられない?

 世の中には、特定の行動を習慣化して望んだ結果を出せる人と、数カ月でサボりがちになってしまう人がいます。あるデータによると、フィットネスクラブの新規入会者は6カ月以内に40%以上が退会するようです。継続していても実際はフィットネスクラブに通っていない人を合わせれば、6カ月以内に半分以上が挫折してしまうといえるでしょう。

 何故そのような結果になるのでしょうか? 決めたことを実行できる意思力が先天的に強い人でなければ、良い習慣を身に付けることはできないのでしょうか?

 もちろん、そんなことはありません。確かに、新しい習慣を身に付けるには誘惑を拒み、前の習慣に戻りたくなる衝動にあらがわなくてはなりません。しかし、その衝動にあらがう力が先天的なもので生涯変わらないとすれば、何度もダイエットに失敗していた人があるとき成功する理由が説明できません。モチベーションなどの影響もゼロではないでしょうが、一定数の人は失敗するうちに要領を覚え、自分に合う方法を見つけられると考えたほうが自然です。

 「自分は意思が弱い」と習慣化を諦めてしまっている人のために、この記事では意思の強さに頼らないでも習慣を変えられるコツを紹介します。

2 意思の強さに自信がない人が習慣化を成功させるには

1)得意なことから始める

 習慣化のために大事なのは何度も繰り返し行うことですが、苦手なことを何度も繰り返し行うのは苦痛を感じやすいものです。習慣化に慣れていない場合は、まずは得意な分野で試して、成功体験をつくりましょう。

 例えば、掃除好きの人なら、どの部屋をどれくらいの頻度で、どのように掃除するか、計画を立てて実行してみてください。得意なことであれば慣れるのも早く、成果も出やすいはずです。もしもうまくいかなくても、試行錯誤しているうちにノウハウがたまってきます。ある程度自信がついたら、自分が本当に変えたい習慣にチャレンジしましょう。

2)事前に誘惑やストレスへの対処法を準備する

 いくら忍耐力や自制心に自信がない人であっても、いつも誘惑やストレスに負けてしまうわけではありません。いつもは我慢できていることができなくなるのは、イレギュラーな出来事や過度なストレスにさらされたときが多いようです。

 例えば、数週間毎日1日1万歩ウォーキングしていても、残業で疲れた日やパートナーとけんかしてイライラしている日に、習慣が中断してしまうことがあります。それで気が抜けて、せっかく身に付きかけたルーティンをやめてしまうのはもったいないことです。

 予想できる誘惑やストレスがある場合は、そういう状況のときにどんな対応をすればいいか、事前に対処法を考えておきましょう。ストレスが実際に起きた瞬間、どうやって耐えるかを詳しくシミュレーションし、誘惑やストレスがあっても平静で居られるよう、心構えをしておくのです。

3)誘惑の少ない環境をつくる

 意思の強い人でも、誘惑が近くにあればなかなか我慢することはできません。ダイエット中に自宅に高カロリーのお菓子が置いてあるとつい手を伸ばしたくなりますし、スマホを近くに置いていると仕事中でも開きたくなってしまいます。

 誘惑に弱い自覚があるならば、それらを意識的に避けるべきです。仕事をするときはスマホをかばんにしまい、休憩時間以外開かないようにします。それが難しければ、メッセージの通知音を消すなど、集中力を乱さない工夫をしましょう。

 誘惑を避ける工夫は、身に付けたい習慣を何度も繰り返すのと同じくらい重要です。環境をコントロールすることで、自分の精神力に頼る必要がなくなります。

4)忍耐力や自制心自体を高める

 意思の強さというと、先天的な性格によって決まっていると思うかもしれませんが、実際には筋肉のように後天的に鍛えられるものだといわれます。

意思の強さは筋肉のように鍛えられる

 ある実験では、筋トレや勉強、金銭管理など、一つの分野で集中的にトレーニングすることで、その分野とは異なる方面(食事や仕事、メンタルなど)でも誘惑や衝動に対するコントロールも上達するという結果が出ています。

 こうしたトレーニングでは、目標の難易度設定の仕方など、習慣化全般に必要な能力の向上が期待できます。本格的に習慣改善をしたい人は、一度筋トレなどに集中的に取り組んでみてもよいかもしれません。

<参考書籍>
「ジェームズ・クリアー式複利で伸びる1つの習慣」(ジェームズ・クリアー(著)、牛原眞弓(訳)、パンローリング、2019年11月)
「習慣の力 新版」(チャールズ・デュヒッグ(著)、渡会圭子(訳)、早川書房、 2019年7月)

以上(2023年6月更新)

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業績と連動し、社員にも分かりやすい「業績連動式」賞与のポイント

書いてあること

  • 主な読者:社員のモチベーションが上がる賞与制度を実施したい経営者
  • 課題:業績と連動し、社員にも分かりやすい制度にしたい
  • 解決策:「業績連動型」賞与を導入し、賞与原資の決定基準を社員に示す

1 なぜ、賞与のありがたみが社員に伝わらないのか?

業績連動型とは、

会社の業績や社員の勤務成績に応じて賞与を決定する仕組み

です。日本の会社の65.4%が「業績連動型」賞与を導入しています(厚生労働省「令和4年賃金引上げ等の実態に関する調査」)。一方、「支給額=基本給×○カ月分」といった単純な仕組みに比べると計算過程が不透明で、社員が「こんなに頑張っているのに賞与が下がった……」と不満を覚えることがあります。

賞与を支給するか否かは会社の自由です。それでも多くの経営者は「頑張った社員に報いて、今後もモチベーション高く仕事をしてほしい」と思うからこそ、賞与を支給します。社員が不満を覚えるようでは、「そもそも賞与を支給する意味があるのか」ということになってしまいます。賞与も含め、報酬に対する会社と社員のギャップを埋めることは難しいのですが、

できるだけ社員に分かりやすい制度にして不透明感をなくす

ことで、ある程度不満は和らぎます。この記事では、業績連動型に着目して、社員にとって分かりやすい賞与制度にするためのポイントを紹介します。

2 何を業績指標とするか?

業績連動型の手順をおおまかに言うと、

  • 業績指標を基準に「営業利益×○%」などで賞与原資を決める
  • 賞与原資の範囲内で各社員の勤務成績を基準に支給額を決める

という形になります。

業績指標には次のようなものがあります。

  • 「売上高」基準(売上高、生産高など)
  • 「利益」基準(営業利益、経常利益、当期純利益など)
  • 「付加価値」基準(付加価値)
  • 「キャッシュ・フロー」基準(営業CFなど)
  • 「株主価値」基準(ROA、ROE、ROIなど)

ちなみに、日本経済団体連合会・東京経営者協会の調査によると、業績連動型を採用している社員数500人未満の会社では、

「営業利益」を基準とする会社(60.0%)が最も多く、次に多いのは「経常利益」を基準とする会社(38.2%)

となっています(日本経済団体連合会・東京経営者協会「2021年夏季・冬季賞与・一時金調査結果」、複数回答)。

こうして業績指標が決まったら、それを基準に賞与原資の額を計算します。どの程度を賞与原資にするかは会社次第ですが、

「営業利益×○%」だけだと、業績の好不調によって賞与原資が大きく変動し社員に不安を与えるので、最低保障額を設ける

ことも検討しましょう。

3 支給対象者をどうするか?

賞与原資が決まったら、次は支給対象者を明らかにします。一般的には、

考課の対象期間内に勤務実績があって、支給日に在籍している社員

を対象とします。また、賞与を支給してから一定期間内に退職することが決まっている社員などは、対象から除外します。なお、非正規社員(パート等)に賞与を支給しない会社も多いですが、こうした対応は同一労働同一賃金に違反する恐れがあります。業務内容や労働時間などについて、正社員と働き方が同じ非正規社員がいないかを確認した上で、慎重に判断しましょう。

支給対象者が決定したら、支給対象者ごとの配分を決めます。一般的には、次のような要素を複数組み合わせて配分率を計算します。

  • 部門業績(所属部門の経常利益が○万円以上なら配分率○%など)
  • 人事考課(A評価なら配分率○%など)
  • 資格等級(○級なら配分率○%など)
  • 出勤率(週○時間勤務なら配分率○%など)

参考までに、日本経済団体連合会・東京経営者協会の調査によると、賞与・一時金の1人当たり平均支給額を100とした場合、非管理職・管理職ともに「考課査定分(人事考課)」「定額分(最低保証額など)」の配分割合が高いようです(日本経済団体連合会・東京経営者協会「2021年夏季・冬季賞与・一時金調査結果」)。

  • 非管理職:考課査定分39.4、定額分30.2、定率分27.7、その他2.7
  • 管理職:考課査定分51.1、定額分28.2、定率分17.5、その他3.2

以上(2023年6月)

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【朝礼】この件は、君と何度でも話し合うよ

上司の皆さん、毎日、部下の方と話をしていますか。特に部下と毎日顔を合わせているマネジャークラス(課長クラス)の方は、昨日、部下全員と話をしましたか。

上司と部下のコミュニケーションは、ビジネスの指示や報告が基本です。上司の皆さんのコミュニケーションは部下への一方的な指示になっていませんか。あるいは、部下からの報告を受けるだけになっていませんか。

上司と部下がコミュニケーションを図るためには、その「内容」が大切です。ビジネスの現場では、ビジネス上の指示や報告がメーンとなりますが、その際に上司からの一方的な指示や部下からの報告だけでは、コミュニケーションは不十分です。

上司が指示する際には、抽象的な指示でなく、個別具体的な指示をしてください。こう言うと、部下が自分で考えることをせず指示待ちになるので、部下の指導には適していないと言う人がいます。しかし、これはビジネスの最前線を知らない評論家の考えのように思えてなりません。ビジネス経験の乏しい部下に、すべてを任せる方が無責任というものです。

上司は個別具体的な指示をいくつか出し、部下に選択させるのです。上司の個別具体的な指示により、部下はすべきことが明確になります。選択肢があればそれぞれのメリットやデメリットまで考えるでしょう。こうしたことを、部下に熟慮させて、実行する案を選択させるのです。人は具体的な課題があれば、その解決に前向きになります。また、ゴールに近づくと「もう少しでゴールだ。頑張ろう」とやる気が出るものです。

部下への選択制の個別具体的な指示は、目の前に課題を示すと同時に、その解決がゴールに結びつくということを教えてあげることなのです。

次に、部下の報告です。仮に、上司が示した個別具体的な指示から、部下が一つを選択することとしましょう。自分が選択した理由を、詳細に説明できなければなりません。上司からはさまざまな質問が出るでしょう。例えば、「なぜ、この案を採用するのか」「成功の定義をどこに設定するのか」「誰かに相談したのか」「実行性はどちらが高いのか」「過去に同様のことを実施した経験があるのか」「失敗したら代替はどうするのか」などです。まだまだ質問は出るでしょう。上司が質問し部下が答え、分からないところは一緒に考えることになるでしょう。こうすることで、単なる部下の報告ではなく、上司と部下の意見交換になります。

上司と部下は、この件について、真剣に、時間をかけて、互いが納得するまで意見交換することになるでしょう。上司は「部下が選択するに至ったプロセスが大事」であることを知っているからです。

部下の方は安心してください。上司は「時間がないから」とは決して言いません。上司は「この件は、君と何度でも話し合うよ」と言ってくれます。それは、上司は部下が成長する姿を見ることが何よりうれしいからです。

以上(2023年6月)

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