「差分」でシンプルに比較するファイナンスは経営の味方/経営者のためのファイナンス講座(8)

書いてあること

  • 主な読者:将来の意思決定に役立つファイナンス思考を身に付けたい経営者
  • 課題:経営者は日々、意思決定の連続。判断の一助となるシンプルな基準が欲しい
  • 解決策:比較対象を明確にし、「差分」を見るというシンプルな思考が大切

1 経営者の意思決定の裏に、ファイナンス思考あり

経営は、大きなことから小さなことまで、日々、意思決定の連続です。新規の得意先を開拓するかどうか、増えつつある管理業務を誰にやってもらうかなど。私自身も小さな会社を経営していますので、決めなくてはいけないことの多さに、夕方にはへとへとになることもしばしばです。ただ数が多いというだけならまだしも、大事な意思決定に対する判断を間違えてしまうと、経営に打撃を与えることになります。

ファイナンスはこのような状況を解決するのに、とても役に立つツールです。あまたある意思決定を正しく、また負担を減らしてくれます。お金を尺度として情報を整理することで状況が理解しやすくなり、判断のポイントが見えてくるのです。

シリーズの最終回となる今回は、ファイナンスのベースにある考え方を見てみましょう。ファイナンスに限らず、広く意思決定を行う場合にも使える、とても便利な考え方ですので、押さえておくといいと思います。

2 比較を制する者が、ファイナンスを制する

ファイナンスのベースにあるのは、

「比較」というとてもシンプルな考え方

です。日常生活でも、天気予報に出てくる気温情報に比較が用いられています。「明日の最高気温30度」に加えて、前日比+2度といった比較が必ずセットで表示されます。30度という実数だけでは、多くの人は正しく情報を理解できないのです。自分が過ごした今日と比べることで、「明日の方が少し暑い」と理解できます。このように、私たちは日常でも比較を活用しているのです。

とあるデータサイエンティストが、「分析とは比較すること」と言っているのを聞いたことがあります。これは、財務数値を扱うファイナンスでも同じです。比較という一見シンプルな手法は、多くのことを教えてくれます。

3 メリハリをつけて、差分だけに注目する

比較するときには、差分だけに注目すると効率的です。例えば、シリーズ第4回(意思決定時に欠かせない「機会コスト」と「埋没コスト」/中小企業経営者のためのファイナンス講座(4))で紹介した機会コストと埋没コストいうファイナンス特有の用語も、差分の性質を扱っています。それだけ、ファイナンスは差分を大事にしているのです。

工場の機械が老朽化し、取り換えが必要な場合を考えてみましょう。機械Aと機械Bが候補に上がっているなら、両者の違いだけに目を向けます。機械Aは年間保守料が100万円だけど、機械Bは80万円であれば、機械Bの方が20万円お得ですので、この差分は押さえておく必要があります。一方、耐用年数がどちらも5年で同じということであれば、耐用年数に関してはどちらを選んでも変わらないわけです。購入相手からは、年間保守料など差分の部分を中心に説明を受けたり、交渉したりすればよく、差分のない耐用年数については根掘り葉掘り聞く必要はないでしょう。

4 比較対象を間違えない

仮に、現在稼働している機械の年間保守料が50万円だったとしましょう。これに比べると、機械A、機械Bどちらも高くなります。しかし、このことは意思決定においては考慮しません。この機械が主力製品を製造するのに使用しているもので、老朽化したのであれば、取り換えのために投資せざるを得ないからです。

どうしても通常の感覚では、比較対象を現在に置きがちです。しかし、それはファイナンスの観点からは正しくありません。気持ちとしては、今より高くなるというのはがっかりしますが、感情と理性を切り分けます。理性の面から、現状維持という選択肢がない以上、現実として選び得る案だけを検討対象にしましょう。余計なことに頭と時間を使う余裕は、中小企業にはありません。

5 見えないコストこそ、見落とさない

もし機械Aと機械Bで稼働させるために必要な工数が異なるようであれば、それも考慮する必要があります。保守費用や耐用年数はパンフレットなどに書いてあるので目がいくと思いますが、見落としがちなのが、付随して発生する社内のコストの差分です。もし機械Aは、機械Bよりも作業員が関わる時間が少なくて済むのであれば、保守費用が高くても採用すべきかもしれません。

シリーズ第2回(ファイナンス特有の「見えないコスト」の考え方/中小企業経営者のためのファイナンス講座(2))で、現金を管理することに伴うコストの話をしましたが、これと同じです。社内ですでに発生している人件費などのコストの変化に気が付かず、機械本体の代金など、請求書によって実際に支払いが生じるものばかりに目がいきがちです。このような社内的なコストが漏れなく把握されているのか、慎重に検討しましょう。

6 シンプルに考えることが、意思決定では一番大事

ファイナンスはお金を尺度として考えることが特徴であり、中小企業の意思決定の場面での使い方をこれまで見てきました。一方で、そのベースにあるのは、今回ご紹介したような普遍的で何にでも使える、とてもシンプルな比較という考え方です。

よく通販の広告では、サプリメントから通信講座まで、「1日当たり〇〇円」という表示を見かけます。これも、お金を尺度としながらも、身近な1日という単位を用いることで、買い手がその金額感を理解し、比べやすくし、さらには購入という意思決定を促すことを目的としています。

シンプルに考えることこそが、意思決定を間違えずに、かつスムーズにする最大のポイントなのです。情報量が多いことは一見良いことに思えますが、多くから1つの結論を選び出す意思決定においては、むしろ逆です。意思決定だけに時間を避けるわけではありません。また、経営には中小企業であっても多くの人が関わります。さらには、膨大な数値情報を一度に処理できるほど、人間は賢くありません。このような状況の中で、最小限の時間で間違いのない結論に至るカギは、単純さにあるのです。

7 気負わず、まずはできるところから取り組もう

全8回にわたって見てきましたファイナンスは、数字を使うことで、私たち中小企業にとって意思決定を楽にしてくれる、味方のツールです。「ファイナンス」を気負わずに、どうやって楽ができるかという視点で、経営者や管理部門の皆さんに興味を持っていただけたらと思います。最も大事なのは、激変する環境の中で多忙な日々をなんとか乗り切っていくことです。「これならできそう」という簡単なことから、ぜひ取り組んでみていただけたら幸いです。

以上(2021年10月)
(執筆 管理会計ラボ 代表取締役 公認会計士 梅澤真由美)

pj35108
画像:pixta

「二代目」の役割/ローマ史から学ぶガバナンス(8)

書いてあること

  • 主な読者:現在・将来の自社のビジネスガバナンスを考えるためのヒントがほしい経営者
  • 課題:変化が激しい時代であり、既存のガバナンス論を学ぶだけでは、不十分
  • 解決策:古代ローマ史を時系列で追い、その長い歴史との対話を通じて、現代に生かせるヒントを学ぶ

1 事業承継に見られる「お家騒動」と「二代目」

経済やビジネスのニュースを見ていると、時折、企業の事業承継での「お家騒動」が取り上げられます。江戸時代の大名家における内部抗争を指す「お家騒動」という言葉が使われているあたりも含め、面白おかしく、滑稽な話のように扱われていますが、古今東西、こうした問題は数多くあり、どんな企業にでも起こり得る話です。

こうした「お家騒動」は、初代の創業者やカリスマ的な経営者から、次の担い手に引き継がれる際に起こることが多く、ここ数年、マスコミを賑わせた「お家騒動」もまさにそうでした。

そうした中で「二代目」というテーマが取り上げられ、いろいろな論評がなされるわけですが、これも面白おかしく取り上げたいからか、親子や親族内での事業承継の「二代目」について多く書かれています。

しかし、本来的に考えるべき「二代目」論は、親子や親族内の話に限定することではなく、また順番として二番目に該当する者に限ることもなく、もう少し実態的に広く捉えて考えるべきでしょう。

すなわち、初代の創業者や、初代でなくともカリスマ的な経営者から事業を引き継ぐ次の担い手という、広義かつ実態的な「二代目」です。さらに身近なイメージで言えば、画期的なアプローチで素晴らしい功績を作った先輩上司から業務を引き継いだ、担当者も含めるべきかもしれません。

いずれにせよ、こうした「二代目」に円滑に引き継ぎ、引き継がれ、さらに成功の軌道に乗せて走らせることは大変難しく、ビジネス上、慎重を要すべき重要なテーマなのです。

2 「二代目」の難しさ

では、「二代目」にはどのような難しさがあるのでしょうか。一般的に企業には、半永久的に継続していくという社会的責任があると考えられており、理念上も会計上もゴーイングコンサーン(継続企業)の前提が置かれています。こうした前提の下、「二代目」は、前任者が成功の基礎として築き上げた手法や仕組みが、属人性を排してもなお、永続性を持って維持していくことが求められるのです。

前任者が成功という結果を出している以上、大きな変更を加えることにはリスクが伴います。しかしながら、前任者が担っていたときと、環境や状況が変化していれば、勇気を持って変えていかなければなりません。

また、前任者の属人的な能力や性格などに依存していた部分は、曖昧さを排除し、客観性のある規範を定め、補完しなければなりません。こうして前任者の手法や仕組みに手を加えている中で、業績が下がってしまうと、それは全てこの「二代目」の責めに帰するわけですから、強靭な精神力がなければ、とても務まりません。

属人性を排することを進める一方で、「二代目」は、前任者の一身に寄せられていた信頼を、前任者とは異なる形で築かなければなりません。これは相矛盾するようなことではありますが、「二代目」は地位や権限をポンと与えられたかのように見られがちなので、属人性を排するという組織運営上正しい変化であったとしても、信頼が醸成されない中で、それを進めようとすれば、前任者の信奉者たちを中心に反対勢力が作られてしまいます。前任者の輝かしい功績がある中で、前任者とは異なる形であっても、信頼を醸成していくことは、時間も工夫も努力も必要で、この点でも強靭な精神力が求められます。

3 重要な鍵を握る「二代目」の役割

歴史を振り返ってみても、「二代目」が重要な鍵を握っているように思われます。何代にもわたって続いた王朝、国家などを見てみると、地味ながらも「二代目」が為政者として君臨したからこそ、その後の長い治世が続いていったように思えます。

私たち日本人にとって分かりやすいのは、江戸幕府の二代将軍徳川秀忠でしょうか。大河ドラマなどでの扱われ方からも分かりますが、初代将軍家康や三代将軍家光ほどの存在感はないものの、無難にバトンをつないだイメージが浮かびます。実際、江戸幕府の基礎を固めた為政者として高く評価する意見も少なくありません。

ローマ史においても「二代目」が重要な鍵を握っています。初代皇帝アウグストゥスも、ユリウス・カエサルのビジョンを引き継いだという点では「二代目」に当たるでしょう。カエサルが描いた絵を、アウグストゥスが現実に構築したという関係です。

ただし、この現実に構築されたローマ帝国を元首として引き継いだのは第二代皇帝ティベリウスで、当たり前ですが、彼こそが「二代目」です。歴史上、あまり取り上げられることがなく、賛否両論ある皇帝ですが、人間の強さも弱さも持ち合わせており、「二代目」を考える上での好材料のように思います。

4 ティベリウスの「二代目」としての手腕

ティベリウスは、「二代目」になるべくしてなったのではなく、消去法的に選ばれてしまった皇帝でした。アウグストゥスは、血縁者を後継者とすることに執着していたのですが、後継者候補が次々と亡くなってしまい、66歳になって、妻リヴィアの連れ子で45歳になるティベリウスに後継を託すことにします。アウグストゥスとティベリウスの間には、この後継者問題を含め、微妙な経緯や複雑な関係があったので、引き継ぐほうも引き継がれるほうも、お互いに難しい決断と決意が必要でした。

アウグストゥスは、ティベリウスの実力も実績も認めていましたが、血のつながりのないティベリウスを後継者にすること自体、大きな失意の中で決めたことでした。一方、ティベリウスも、消去法的に選ばれ、かつ甥に当たるゲルマニクスが皇帝になるまでの中継ぎでしかないことが公然と示されている中で、強大な権力と地位を引き継がねばならないという責任と重圧がありました。しかし、実直なティベリウスは、何度か固辞したものの、自分の責任と使命を理解し、これを仕方なく引き受けたのです。

皇帝となったティベリウスは、アウグストゥスの基本方針を継承しつつも、全く異なる形で政治を進めます。これは、「二代目」としてはそうせざるを得なかったといえるでしょう。アウグストゥスの治世においては、街道、水道、橋、港湾、浴場、劇場等の建設といった公共工事が積極的に進められましたが、ティベリウスはこれらを最小限に留め、もっぱらそれらの保守に徹しました。

ローマ市民と元老院の承認に支えられた皇帝という地位を考えれば、人気取り政策としての新たな公共工事が当たり前であった中で、緊縮財政を旨としたティベリウスの判断は、ローマ市民には異様に映ったかもしれません。剣闘士試合や競技会のスポンサーを降り、元老院議員への経済的援助を制限し、賜金というローマ市民へのボーナスも打ち切りました。増税はしないという信念の下で進められた数々の緊縮財政政策は、より大切なものを維持し、未来につなぐために進められたのですが、多くの不評を買うことになりました。

しかし、ティベリウスは意に介さず、着実に進めていったのです。ローマ国家としての方向性は維持しつつも、国家の財政状況や社会環境の変化に合わせて、勇気を持って、異なるアプローチを取った点は、「二代目」として求められる絵姿ではないでしょうか。

5 「二代目」が作ってしまった恐怖政治

しかし、前任者とは異なる形で、信頼を醸成していくという点では難があったようです。カエサルやアウグストゥスが独裁的な国家運営を志向したのに対して、ティベリウスは、帝政という政体を継承しつつも、元老院と協力し合う独裁的ではない国家運営を理念として強く持ち、それを志向しました。

先帝アウグストゥスから権力を譲られた形のティベリウスは、自身の才能や力量に不安を覚え、元老院に真摯に協力を求めたのです。そして、そのための努力も重ね、互いの信頼を築こうとしました。しかし、元老院にはもはやその意欲も気概も能力もありませんでした。

自分たちの利害にだけ関心を示し、重要な国政については皇帝に委ねるだけとなっていた元老院を目の当たりにし、ティベリウスは深い失望と幻滅で嫌気が差してしまい、ローマから遠く離れたカプリ島に引き籠もってしまいます。今で言えば、「二代目」の社長が取締役たちに失望して、出社しなくなってしまったようなものです。

しかし、ティベリウスは、決して責務を投げ出したわけではありませんでした。責任感の強いティベリウスは、情報収集と命令伝達の仕組みを使い、実に的確に遠隔から統治を続けたのです。しかし、この的確な遠隔統治は、元老院など不要だということを突き付けたに等しく、皮肉なことに、皇帝による独裁的な国家運営の強化という結果を招きます。

遠隔からの指示に従う忠実な手足が必要だったティベリウスは、その筆頭に近衛軍団長官セイアヌスを抜てきし、この手足を使って、皇帝に敵対する親族一派を一掃します。その後、セイアヌスの陰謀情報をつかんだティベリウスは、セイアヌスを奸計(かんけい)に陥れて処刑し、その一族一派を徹底的に粛清しました。

こうした混沌の中で恐怖に駆られた元老院議員たちは、自らも恐怖政治に加担するかのように、告発合戦による潰し合いを始めますが、人員整理にはちょうどいいと考えたのか、ティベリウスは静観し、放置しました。

6 成果や実績を評価することの難しさ

これら晩年のティベリウスの治世は、恐怖政治として歴史に刻まれています。確かに、統治者として、リーダーとして、これらの振る舞いは非難されて当然です。しかしながら、より大きな流れで見た場合、「カプリ島から出ずとも敵を一掃できる力を示し、恐怖と脅威を与えたことで、皇帝の権威を高め、帝政という政体を揺るぎないものにした」という評価も可能であり、ローマ帝国を盤石にした「二代目」として論じることもできるのです。

人々に恐怖を植え付けたティベリウスの死は、ローマ市民に歓喜をもたらしたそうです。一方、19世紀の歴史家モムゼンは、ティベリウスを「ローマが持った最良の皇帝の一人」と称賛しています。どちらの評価が正しいのでしょうか。

大きな業績を残し、評価が高かった経営者でも、任を退いた後、業績が落ち込み、長期的な戦略ミスを問われることがあります。ある時点において真実だった評価も時間の経過とともに変化し得るのです。一つ一つの判断がどのような結果を導き、どのように評価され、またそれがどのように変化するのかは、誰にも分からないのです。

ティベリウスはどのように思っているのでしょうか。歴史に残されたティベリウスの行動などを見ていると、評価などは気にせずに、そのときそのときの自分の判断を大事にした、と言いそうな気がします。そういうところが「二代目」に必要なのかもしれません。

以上(2021年10月)
(執筆 辻大志)

op90057
画像:unsplash

問題社員“円満”退職のための「退職合意書」作成のポイント

1 はじめに

能力不足や業務命令違反、規律違反等の問題がある社員について、雇用の継続が困難なときも、企業は、解雇ではなく、合意による退職で解決することが必要です。つまり、退職勧奨による解決が原則です。解雇による解決は、不当解雇であるとして訴訟を起こされた場合、裁判所で解雇が無効と判断されてしまい、多額の金銭の支払いと雇用の継続を命じられるリスクが大きいからです。筆者は、問題社員対応に悩む顧問先を訪問し、問題社員と直接話し合いをし、合意による退職での解決を実践してきました。

では、問題社員に対する退職勧奨による解決の場面で、どのような点に注意すべきでしょうか。本稿では、退職合意書の作成のポイントに焦点を絞ってご説明します。退職合意書については、最近の裁判例で、退職合意書にいわゆる「清算条項」を入れていても、退職後の従業員による割増賃金請求を認めたものが出ている点等にも注意を要します。

以下で、退職届とは別に退職合意書を作る必要性や、退職合意後にトラブルにならないようにするための個別の事案ごとの作成上の注意点について解説していきます。それでは見ていきましょう。

2 「退職合意書」作成の必要性

退職合意書の作成が必要になる理由としては、大きく分けて以下の4つを挙げることができます。

  • 問題社員が退職後に転職先が決まらず、「退職は意思に反するもので、解雇だ」と主張して復職を求めてきた場合でも、復職を断れるようにするため
  • 問題社員からの退職後の金銭請求や訴訟提起を防ぐため
  • 退職後の会社に対する誹謗中傷や退職条件についての第三者への口外を防ぐため
  • 退職を会社が承諾したことを明確にし、退職の撤回を防ぐため

(1)「退職は意思に反するもので、解雇だ」と主張してくるリスクに対応する

退職勧奨の結果、問題社員との間で退職の合意が成立したとしても、退職届も退職合意書も作成していなければ、そもそも、従業員の意思に基づく退職だったことを明確に示す証拠がありません。つまり、意思に基づく「退職」なのか、会社による「解雇」なのかを示す証拠がありません。そして、解雇について「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」は、従業員は解雇の無効を主張して雇用の継続を求めることができます(労働契約法16条)。

口頭で問題社員から「退職に応じます」と言われて、その時は円満に退職してもらったと思っていても、退職届や退職合意書がなければ、会社は安心するべきではありません。退職した問題社員が、後になって「会社から不本意な扱いを受けた」という気持ちが芽生え、さらに次の職も決まらなければ、退職を取り消したいという気持ちになり、「自分は不当に解雇された」と主張し始めることはよくあることです。そして、退職届や退職合意書などの書面が作成されていないときは、「口頭で従業員との間で退職の合意が成立していた」という会社側の主張が認められることは稀です。

過去の裁判例でも、社長が「新しい事務員も雇ったことだし、残業をやめてくれ。残業を付けるならその分ボーナスから差し引く」、「来月からは残業代は支払えない。残業を付けないか、それが嫌なら辞めてくれ」と告げたところ、従業員が「それでは辞めさせてもらいます」と応じた事案が問題になりました。一見すると従業員の意思による退職ともいえそうですし、会社はそのように主張しましたが、裁判所は、自発的意思による退職とはいえないと判断し、社長の発言は解雇の意思表示に当たるとして、解雇予告手当の支払いを命じています(大阪地裁判決平成10年10月30日)。

解雇ではなく従業員の意思に基づく退職であったということを明確にするためには、退職届あるいは退職合意書を作成することが必須です。

(2)問題社員からの退職後の金銭請求や訴訟提起を防ぐ

では、退職届があれば退職合意書は必要ないかといえばそうではありません。退職に向けた話し合いの場面で、問題社員の側から、例えば未払い残業代を請求されるケースもあります。仮に、会社がこれに応じて、未払い残業代分を300万円支払い、従業員から退職届を提出してもらったとします。この場合、退職合意書がなくても、会社から300万円の振込みをした履歴は残りますが、振込みの履歴だけでは300万円が何のお金かはわかりません。

その結果、退職後に問題社員から「あの300万円は退職金だ。残業代が未払いになっているので残業代を払え」という要求がされ、支払いを断れば、訴訟に発展するリスクがあります。こういった退職後の金銭請求や訴訟提起のリスクに対策するためには、退職後に一切の請求を認めないことを内容とする退職合意書の作成が必要です。このような後日の金銭請求の禁止については、退職届で対応するよりも、退職合意書に記載するほうが対応しやすく、退職届とは別に退職合意書の作成が必要になる理由の大部分を占めます。

(日本法令ビジネスガイドより)

この記事の全文は、こちらからお読みいただけます。pdf

sj09013
画像:photo-ac

【カンタン経済講座】海外との経済連携協定 対象国やカバー分野の広がりで中小企業のチャンスも広がる

書いてあること

  • 主な読者:ヒト・モノ・カネに関して直接的、間接的に海外と関係している企業の経営者
  • 課題:海外との取引における自由化および円滑化に関する政策の方向性を知りたい
  • 解決策:日本が結んできた経済連携協定を、「対象国」「多国間協定への枠組み」「カバーする分野」の3つの点で広がってきていることを踏まえながら確認する

1 3つの広がりで進化する日本の経済連携協定

TPP11、RCEP、AJCEP、日EU・EPA……。このところ、日本と海外との経済連携協定が国名でなく、さまざまな横文字で目にするので、混乱している人も少なくないでしょう。実は、日本の経済連携協定の進化と、名称(略称)に横文字が増えたこととは密接に関係しています。

日本の経済連携協定は、次のような3つの広がりをもって進化してきています。

  • 協定を結ぶ対象国の地域性や産業特性の広がり(締結先がアジア中心の開発途上国および資源・農業国から、欧米の先進国などへ拡大)
  • 二国間協定から多国間協定への枠組みの広がり
  • 協定でカバーする分野の広がり(関税だけでなくヒトの移動や投資、知的財産など経済連携の包括的なルール作りへ深化)

日本の中小企業にとって、日本の経済連携協定の広がりは海外との取引がやりやすくなる、つまり「ビジネスチャンスの広がり」です。この機会に、日本による海外との経済連携の動きについて、この「3つの広がり」という視点で押さえておきましょう。この記事では、2021年10月5日時点の、日本と海外との経済連携協定の締結の動向に関する最新情報を紹介します。

2 協定を結ぶ対象国の地域性や産業特性の広がり

これまでに日本が経済連携協定(貿易協定)を結んでいるのは、18の国および地域連合です。

画像1

2018年までは開発途上国や資源開発や農業を基幹産業とした国と協定を結ぶことがほとんどでしたが、2019年にEUとの間に日EU・EPA(日EU経済連携協定)、2020年に米国との間に日米貿易協定・日米デジタル貿易協定、2021年に英国と日英包括的経済連携協定を結ぶなど、欧米の先進国との協定の締結が進んでいます。

日本を含め、日本が連携している国々の全世界に占める名目GDP(2020年)を合わせると、TPP11の発効までは全世界の約19%でしたが、日EU・EPAにより約37%、日米貿易協定・日米デジタル貿易協定により約62%をカバーするまでになりました。

図表にはありませんが、2020年11月に署名を終えたRCEP(地域的な包括的経済連携)が発効すると、中国と韓国が新たに加わり、全世界の約85%を占めることになります。

3 二国間協定から多国間協定への枠組みの広がり

EPA(経済連携協定)は二国間と多国間の2つのタイプがあります。2016年まではASEANを除き、二国間での協定を結んできましたが、2018年以降は多国間での協定が中心となりました。特にTPP11(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)は、米国の離脱後は実質的に日本が中心となって、米国以外の全11カ国による署名にこぎ着けました。2021年には英国、中国、台湾が加入を申請しています。

また、中国や韓国が参加するRCEPも署名を終え、参加各国の国内手続きを待つばかりとなっています。

画像2

4 協定でカバーする分野の広がり

かつて、国際間の経済連携といえば、関税率の引き下げを目的とした「自由貿易協定」(FTA)が中心でした。外務省はウェブサイトで、FTA(自由貿易協定)とEPA(経済連携協定)の違いを、次のように説明しています。

FTA:特定の国や地域の間で、物品の関税やサービス貿易の障壁等を削減・撤廃することを目的とする協定

EPA:貿易の自由化に加え、投資、人の移動、知的財産の保護や競争政策におけるルール作り、様々な分野での協力の要素等を含む、幅広い経済関係の強化を目的とする協定

例えばAJCEP(日・ASEAN包括的連携経済協定)の場合、当初はモノの貿易に関する分野のみの、FTAともいえる内容で発効しました。その後の継続的な交渉によって、2020年8月にサービス貿易、投資、ヒトの移動に関する分野を加えた第一改正議定書が発効し、EPAと呼べる内容になりました。

日本の経済連携協定は、基本的に新たに結んだ協定ほどカバーする分野が増えています。特に日EU・EPAやTPP11は、それぞれ「自由で公正なルールに基づく、21世紀の経済秩序のモデル」「自由で公正な21世紀型のルール」となることを掲げ、さまざまな分野をカバーしています。

画像3

以上(2021年10月)

pj10042
画像:pixabay

意匠~デザインを守る。中小企業の差別化戦略~/意外と知らない「知的財産権」シリーズ4

書いてあること

  • 主な読者:製品のデザインを「意匠」として権利化したい経営者
  • 課題:デザインのマイナーチェンジや、製品以外のデザインは保護されるのか?
  • 解決策:近時の改正で、デザインのマイナーチェンジや店舗のデザインなども保護されるようになった。こうした情報を把握し、デザインの権利化を改めて検討する

1 デザインは売り上げやブランドに大きく影響する

日本では、まだまだ経営者はデザインへの投資に消極的であるといわれますが、デザインは売り上げや企業のブランディングに大きく影響しています。欧米の研究では、次のような内容のリポートも発表されています(注)。

  • デザインに投資した1£(ポンド)により、企業は4£以上の利益の増加を期待できる
  • デザインを重視している企業の株価は、市場平均と比較して、10年間で約2倍の成長を遂げている

知的財産を用いたブランディング戦略として、最初に検討されるのは商品等のネーミングである商標ですが、商品のデザインである意匠に着目したブランディング戦略というものもあります。今回は、企業にとって重要な意味を持つデザイン、つまり意匠についてご説明します。

(注)British Design Council: “Design Delivers for Business Report 2012”, “The impact of Design on Stock Market Performance: An Analysis of UK Quoted Companies 1994-2003, 2004”, Design Management Institute: “What business needs now is design. What design needs now is making it about business.”

2 意匠登録で守られたデザインで売り上げが急増

まずはデザインの重要性を再確認していただくために、デザインによって大きく売り上げを伸ばした事例を紹介しましょう。

1)「伊右衛門」

若葉色に透き通ったお茶のペットボトルが印象的なサントリー「伊右衛門」は、現在、ペットボトル入り茶飲料部門における販売個数で首位を獲得するほどよく売れており(2021年4~6月。ID付きPOSデータを扱っているTrue Dataによる)、皆さんも売り場で目にされたことがあると思います。

しかし、「伊右衛門」は長年、売り上げの減少に悩まされていたということをご存じでしょうか。2019年度には売り上げが前年度比10%減、2020年1~3月には前年同期比で20%減となり、複数の売り場で棚落ちした結果、2019年度にはペットボトル入り緑茶4大ブランドの中で販売個数は最下位となりました。

では、「伊右衛門」はなぜV字回復を果たせたのでしょうか。これには意匠が深く関わっています。

一般的な緑茶飲料の液色は茶色ですが、サントリーは風味を損なうことなく、入れ立てのお茶のような緑色をペットボトルで再現することに成功しました。しかし、ラベルがボトルの大部分を覆い隠すデザインであったため、せっかくの緑色が消費者の目には届きにくい状況でした。そこで、2020年4月に緑色がよく見えるようにボトルとラベルのデザインを一新したところ、あっという間にV字回復を遂げたのでした。つまり、商品の中身や性能が同じでも、外観を変えるだけで、売り上げが飛躍的に向上したというのです。

サントリーは、このボトルデザインを意匠登録していますので、他社がこれと類似するボトルを採用することはできず、他社との差別化にも成功しています。

画像1

2)「プライドポテト」

老舗のスナック菓子メーカーとして広く知られている湖池屋。同社で近年特に売れ行きの好調なものに、「プライドポテト」というネーミングを冠したポテトチップスのシリーズがあります。お菓子業界におけるヒットの目安は年間売り上げで20億円といわれるところ、この「プライドポテト」は、発売初年度に売り上げ40億円を達成し、2020年2月のリニューアル後は売り上げが前年度比517%増となり、わずか3カ月で20億円に達したとのことです。

「プライドポテト」は、湖池屋が文字通りプライドをかけて製法を研究・開発した成果物として、その品質が消費者に支持されていることは言うまでもありませんが、これに加えてパッケージデザインにおいても、他社製品との差別化が図られています。

一般的なポテトチップスのパッケージは、食べ終われば平らになるような袋形状ですが、「プライドポテト」のパッケージは、紙袋のような「まち」を有し、売り場での陳列時に商品が自立するような構造になっています。これによって消費者は、売り場で商品を見つけた瞬間に「プライドポテトだ」と認識できるようにしているのです。さらに「プライドポテト」は、商品パッケージの形状に加え、「神のり塩」(商標登録第6343007号)などといった、独創的でインパクトのあるネーミング表示をすることによって、複合的に知的財産を活用し、自社のブランディングに成功しているといえます。

画像2

このように、デザインを変えることで売り上げが伸び、またそのデザインによって、企業ブランドが確立されていくということは実際にもよくあることです。デザインには、企業のメッセージを一瞬にして消費者に伝え、有無を言わせず購買意欲をかき立てる力があるのです。

3 法改正でデザインがさらに守りやすく

デザイン開発においては、一つのデザイン・コンセプトから派生する多くのバリエーションの意匠が、同時期に創作されることがあります。このようなバリエーションの意匠群を全て同等に保護し、それぞれの意匠に基づいて権利行使できることを目的として、平成10(1998)年の意匠法改正により、関連意匠制度が導入されました。

さらに令和元(2019)年の意匠法改正では登録要件が緩和され、毎年のようにマイナーチェンジを繰り返すバリエーションのデザインについても、相当長期間にわたって保護を受けられるようになりました。

令和元(2019)年の意匠法改正による関連意匠制度の拡充は、かなり大胆な内容であり、商品デザインに基づく企業の長期的なブランディング戦略を、手厚く保護しようとする法の姿勢が明確に見て取れるものとなっています。

具体的に、令和元(2019)年の意匠法改正でどのように変わったかをご説明しましょう。

1.関連意匠に類似する意匠も登録できるようになった

改正前は、本意匠(バリエーションの意匠群から選択した基本となる一つの意匠)に類似せず、他の関連意匠のみに類似する意匠は、保護の無限連鎖を生じ得ることから登録できませんでした。しかし、自動車、タブレット端末、GUIデザインなどは、デザイン・コンセプトの基本線を維持しながら、毎年のようにモデルチェンジを繰り返しています。そのため、市場の動向に応じて進化するデザインを長期的に保護できるよう改正されました。

改正後は、本意匠に類似していなくとも、他の関連意匠に類似してさえいれば登録できるようになりました。

つまり、基本となる本意匠の類似範囲を超えても、関連意匠として連鎖的に類似していれば、一群のバリエーションの関連意匠として、全て意匠登録を受けられるようになったのです。これは従来の意匠制度の枠組みからすると、かなり大胆な変化ということができます。

2.関連意匠として出願できる期間が大幅に延長

改正前は、関連意匠として出願できる期限は、本意匠の意匠公報発行日の前日までとされていました。

改正後は、本意匠の出願日から10年を経過する日の前日までとなり、大幅に期間が延長されました。

これによって、毎年のようにマイナーチェンジを繰り返すバリエーションのデザインについて、相当長期間にわたって保護を受けられるようになりました。

画像3

4 2020年4月からは店舗デザインも意匠登録の対象に

他社と差別化を図るためのデザインは、商品に限りません。例えば、店舗も重要です。

ワークマンが運営する衣料品店「WORKMAN」は、従来はいわゆる職人向けの作業服店という店構えでしたが、店舗内の見せ方をアウトドアショップのように一新したところ、2019年8月期の売上高で前年度比約60%増となり、店舗数にいたっては既にユニクロを超えているとのことです。これは店舗デザインと経営に密接な関係があることを示す非常に興味深い事例です。

店舗の内装や外観などに関するデザインについては、令和元(2019)年の意匠法改正によって、令和2(2020)年4月から意匠登録の対象とされ、意匠法上も保護を受けられるようになりました。

店舗デザインに関する意匠については、実際に次のような登録事例があります。

画像4

以上(2021年10月)
(執筆 明倫国際法律事務所 弁護士 田中雅敏)

pj60303
画像:areebarbar-Adobe Stock

生産性の向上につなげる工程管理の基本的な考え方

書いてあること

  • 主な読者:工程管理を徹底して生産性を向上させたい経営者
  • 課題:工程管理のどの部分を生産性の向上につなげられるのか分からない
  • 解決策:適切な生産計画でムダ・ムラ・ムリをなくし、「見える化」した生産統制によって進捗や余力を把握するとともに、課題を発見してさらなる生産性の向上につなげる

1 工程管理を生産性の向上につなげる

国内製造業が海外勢と渡り合いながら利益を得ていくには生産性の向上が不可欠ですが、そのための柱の1つが工程管理です。特に顧客のニーズの多様化に伴い多種少量生産にシフトしている製造業者にとって、工程管理の徹底で顧客が求めるQCD(Quality:品質、Cost:価格、Delivery:納期)を実現することは、生産性に大きく影響します。

工程管理は

顧客の注文などに応じて生産計画を立案し、計画通りに生産できるよう現場で加工や組み立てなどの各プロセスを管理する活動

です。

工程管理を徹底すると、次のような形で生産性の向上につながります

  • 作業者の残業を削減する
  • 生産能力が拡大する
  • 納期の遅れによる機会ロスを減らす
  • 過剰在庫を抑える
  • 製品の品質向上に役立ち、歩留まり率を上げる

この記事では、工程管理を実施するプロセスを紹介した上で、生産性の向上につながる工程管理の基本的な考え方を紹介します。

2 適切な生産計画でムダ・ムラ・ムリをなくす

製造現場の生産性を向上させるための第一歩は、適切な生産計画の立案です。需要や生産能力にそぐわない生産計画は、製品や資材、作業員などの資源配分にムダ・ムラ・ムリを生じてしまいます。生産計画には、「大日程計画」「中日程計画」「小日程計画」があります。これらは計画期間の長さによって分類され、大日程計画→中日程計画→小日程計画の順に立案するのが一般的です。

1)大日程計画

大日程計画は3カ月から1年という長期の計画です。過去の実績などを基に、経営者が経営計画で設定した売り上げ目標に従って、ある期間の生産活動を計画します。

長期の資材購入計画・在庫計画・外注計画・作業者計画・設備計画などを策定するときに用います。資材や外注品を調達するのに多くの時間を要する場合、大日程計画に基づき先行して手配しておくことが重要です。

2)中日程計画

中日程計画は翌月1カ月間の計画で、月次生産計画とも呼びます。営業部門と工場責任者が協力し、大日程計画に基づいて月間の生産活動を計画します。日割りや週割りに細分化し、原材料や部品の調達計画、加工や組み立ての生産計画などを具体的に決定します。

さらに、職場ごとの仕事の振り分け、作業者や製造設備の手配、必要に応じて外注の委託なども生産計画に落とし込みます。

3)小日程計画

小日程計画は週次や日次といった短期の計画です。工場責任者が、各作業者の日々の作業内容や製造設備の稼働時間などを計画します。作業者や製造設備の生産能力を把握し、仕事の負荷とのバランスの取れた計画が求められます。

生産能力の負荷が小さい場合は生産の遅れが生じますが、負荷が大きい場合でも余力が生じ作業者の手待ちや製造設備の遊休といった無駄が生じてしまいます。

また、小日程計画は、急に発生した追加注文やトラブルに対応できるように、日々、計画の修正や見直しが必要となります。

3 「見える化」した生産統制の実施

生産計画を立案した後、計画通りに生産できるよう生産統制を実施します。生産統制は「作業手配」「作業統制」「事後処理」の3段階で実施します。それぞれの段階を「見える化」することで、進捗の把握はもちろんのこと、各作業の課題の発見や改善などにもつなげることができます。生産統制に関しては、IoTを活用した管理システムが広く市販されていますので、導入を検討するのも一策です。

1)作業手配

生産統制でまず実施するのが作業手配です。作業手配とは製造指示に基づき、各作業に必要な図面や材料、治工具類を準備し、「誰が、どの作業を、どの製造設備で、どれだけ、いつまでにやるか」を割り当てることをいいます。

作業手配は、「作業票」によって管理されます。作業票を電子化したり、バーコードやQRコード(二次元バーコード)付きのものを採用したりすることで、作業者の作業票記入を省くだけでなく、各工程の進捗状況を把握できるようになります。工程ごとの実績や停滞時間などのデータを分析しやすくなるため、課題の発見も容易となり、さらなる生産性の向上に結び付けることができます。

2)作業統制

次に実施するのが作業統制です。作業統制とは、作業手配通りに生産できているのかを管理することをいいます。作業統制には「進捗管理」「現品管理」「余力管理」があります。

1.進捗管理

進捗管理とは、生産の進捗状況を把握し、調整することをいいます。生産が計画より遅れれば納期を守れなくなる半面、計画より早すぎても仕掛品や過剰在庫が発生するといった問題を抱えてしまいます。そのため、できるだけ計画通りに生産できるよう進捗を管理します。

進捗管理では、現場担当者が随時見回りし、作業者の進捗を目で見て確認するのが基本ですが、作業票の電子化などにより、遠隔でも把握することが可能となります。作業票が停滞していれば、担当作業者の作業に遅れなどの問題が生じていると早期に気付けます。

こうした進捗管理は、現場単位ではなく工場全体で実施することが重要です。これにより、工場責任者は工場全体の進捗状況を把握できるようになります。

2.現品管理

現品管理とは、資材や仕掛品、製品などの運搬・移動・停滞・保管の状態を管理することをいいます。計画通りに生産が進んでも、不良品が多ければ意味がありません。現品管理によって、納品可能な製品を管理するとともに、生産に必要な資材や仕掛品もしっかり管理することが重要です。

現場担当者は、現品の加工状態や数量、所在、どこに何が何個あるのかを管理し、あるべき数量と実際数量で過不足が生じないようにします。

3.余力管理

余力管理とは、各工程と各作業者の仕事量と能力を把握し、余力や不足があるのかを管理することをいいます。能力に対して仕事量が少なければ余力が生じ、作業者の手待ちや製造設備の遊休を招いてコストが増加します。一方、能力に対して仕事量が多ければ不足が生じ、計画通りの日程で生産を進められなくなります。そのため、余力管理によって仕事量と能力のバランスを調整できるようにします。

余力管理も進捗管理や現品管理と同様、情報共有で工場全体を最適化できるよう、「見える化」を進めましょう。

3)事後処理

事後処理とは、作業統制によって把握した実績と計画の差異を埋め、計画通りの生産を実施できるようにする活動をいいます。そのためには、差異を埋める対策が必要ですが、差異が発生した原因を追及し、根本的な対策を講じることも大切です。

作業の割り当てが不適切だったのか、作業者の作業方法に非効率な点があったのかなどの原因を明確にし、同様の原因による遅延などが以後発生しないよう改善しましょう。

以上(2021年10月)

pj40032
画像:unsplash

【2021年版】法人保険に関する損金の取り扱い

書いてあること

  • 主な読者:法人保険の新規加入や、見直しを検討している経営者や税務担当者
  • 課題:法人保険に関する税制改正は頻繁で、保険商品によって仕組みが異なる
  • 解決策:保険商品ごとに、支払保険料のうち資産計上、損金に算入できる割合を押さえる

1 法人保険で気になる税金の取り扱い

役員や従業員に万一のことがあった場合に備える法人保険。保障内容が大切なのは言うまでもありませんが、

経営者にとっては、税金の取り扱いも気になる

ことでしょう。数年前までは税金対策の筆頭であった法人保険ですが、

2019年の改正により、損金算入(税務上の費用になり、所得から控除することができる)ルールが大幅に変更

されています。これから法人保険の新規加入や見直しを検討するのであれば、どのくらい損金算入できるかなどの基本的な知識が必要です。この記事では、最新の税制に基づく法人保険の取り扱いを分かりやすく紹介していきます。損金算入ルールはより複雑になっているので、この記事で整理し、これからの保険活用の一助にしていただければと思います。

2 ポイント解説

大きなポイントは、保険金の受取人が「会社」なのか、「個人」なのかという点です。

画像1

  • 受取人が会社:保険金が支払われるのは会社となり、保険料は外部(保険会社)に積み立てていると判断され、会社の資産に計上
  • 受取人が個人:保険という一種のサービスを受けていると判断され、一般的な経費のように損金算入

ただ、このような単純な判断で済まないのが、法人保険の税務上の取り扱いです。上記に加え、さらに保険の種類や解約返戻金(保険を解約したときに戻ってくるお金)の割合などに応じて、取り扱いが変わってきます。そこで以降では、

  • 定期保険
  • 医療保険・がん保険など(第三分野保険)
  • 養老保険
  • 終身保険

といった法人保険の種類ごとに税務上の取り扱いを確認していきましょう。

3 定期保険の取り扱い

定期保険は、保障の対象となる期間に被保険者が死亡した場合に、死亡保険金が支払われるものです。満期時に被保険者が生存している場合には、全く保険金は支払われません。定期保険の税金の取り扱いは、解約返戻率がピークに達するときの割合(最高解約返戻率)によって、次の4パターンに分けられます。

1)最高解約返戻率が50%以下

この場合、契約年齢や保険期間の長さにかかわらず、支払った保険料の全額が損金算入できます。なお、解約返戻金のない定期保険も同じ取り扱いです。

2)最高解約返戻率が50%を超え70%以下

この場合、

  • 保険期間初めの4割の間(例えば、保険期間が20年であれば8年)は、支払った保険料の40%を資産計上、残りの60%は損金算入
  • 資産計上したものは保険期間の7.5割を経過した後(例えば、保険期間が20年であれば15年経過後)に均等額を「雑損失」などで処理し、損金算入

となります。

なお、保険期間の7.5割を経過した後に支払った保険料は、全額損金算入となります。ただし、

最高解約返戻率が70%以下で、かつ、
被保険者1人当たりの年換算保険料相当額(1人の被保険者につき2つ以上の定期保険などに加入している場合は、それぞれの年換算保険料相当額の合計額)が30万円以下の保険にかかる保険料を支払った場合

には、全期間を通じて全額を損金算入できます。

3)最高解約返戻率が70%を超え85%以下

この場合、

  • 保険期間初めの4割の間は、支払った保険料の60%を資産計上、残りの40%は損金算入
  • 資産計上したものは保険期間の7.5割経過後に均等額を「雑損失」などで処理し、損金算入

となります。

なお、保険期間の7.5割を経過した後に支払った保険料は、全額損金算入できます。

4)最高解約返戻率が85%超

1.保険期間初めから10年目まで

支払保険料×(最高解約返戻率×90%)を資産計上し、残りは損金算入できます。

2.11年目以降から、最高解約返戻率となる期間の終了の日まで

支払保険料×(最高解約返戻率×70%)を資産計上し、残りは損金算入できます。

3.上記2.の期間経過後

これまでに資産計上していた支払保険料については、解約返戻金額が最も大きくなる日から保険期間の終了日まで均等額を「雑損失」などで処理し、損金算入します。また、この期間に支払った保険料は全額損金算入できます。

4 医療保険・がん保険など(第三分野保険)

医療保険・がん保険・介護保険などは、「第三分野保険」と呼ばれます。第三分野保険の税務上の取り扱いは、保険の内容によって変わってきます。

画像1

第三分野保険のうち、定期と終身(全期払い)のものは、上記の定期保険と同じ取り扱いとなります。ここでは、終身(短期払い)のものに係る税務上の取り扱いを解説します。

1)原則(1事業年度当たりの払込保険料が30万円超)

支払った保険料は、原則として、期間の経過に応じて損金算入できます。つまり、保険料支払時に一括損金にはできず、一部を資産に計上します。

1.保険料払込期間中

支払保険料のうち、

  • 「年間保険料 × 保険料払込期間 ÷ 保険期間」(以下「算式A」)で算出した金額を損金算入
  • 残りは「保険積立金」として資産計上

となります。

なお、終身タイプの第三分野保険の「保険期間」は「116歳-契約年齢」で計算されます。例えば、40歳で契約した場合には、76年(116歳-40歳)となります。

2.保険料払込期間終了後の期間

払込期間終了後は、116歳になるまで、算式Aで計算した金額と同額を「保険料」などとして損金算入します。

2)例外(1事業年度当たりの払込保険料が30万円以下)

第三分野保険で、被保険者1人にかかる1事業年度当たりの払込保険料が30万円以下のものは、支払った保険料を全額損金算入できます(解約返戻金がごく少額なものも含む)。

3)保険金を受け取ったときの税務上の取り扱い

第三分野保険は、被保険者が病気やケガなどで保障が適用される状態となった際に保険金が支払われます。受取人が会社である場合には、保険金が会社に支払われることになります。その際には「雑収入」などで処理され、益金(税務上の収益)として課税の対象となります。

また、受け取った保険金を個人へ見舞金として支給する場合には、「福利厚生費」として損金算入できます。

5 養老保険の取り扱い

養老保険とは、被保険者が一定の期間内に死亡した場合には死亡保険金が支払われ、死亡せずに満期を迎えた場合には死亡保険金と同額の満期保険金がもらえるという保険です。

画像1

ケース1の支払った保険料は、全額を資産に計上します。

ケース2の支払った保険料は、被保険者個人に支払う「給与」として損金算入できます。なお、給与であるため、支払った保険料については源泉所得税の課税対象となる点には注意しましょう。

ケース3の支払った保険料は、半額を資産に計上し、半額が「福利厚生費」として損金算入できます。

なお、ケース1とケース3において、会社が死亡保険金(ケース1のみ)、または満期保険金を受け取ったときは、資産計上していた支払保険料を「雑損失」などで処理し、損金算入します。満期保険金と資産計上した支払保険料の差額は「雑収入」などで処理され、益金(税務上の収益)として課税の対象になります。

6 終身保険の取り扱い

終身保険は、保障が一生続くため、最終的には必ず死亡保険金がもらえることになります。また、解約返戻金もそれなりに多額になるので、いざというときは解約して利用することができます。

終身保険の保険料は全額資産計上が基本です。「保険積立金」として資産計上しなくてはいけません。

なお、解約返戻金を受け取ったときには、解約返戻率が100%を超えている場合(支払った保険料を超える場合)には、支払った保険料との差額が「雑収入」などで処理され、益金(税務上の収益)として課税の対象となります。一方、解約返戻率が100%を下回っている場合(支払った保険料を下回る場合)は、支払保険料との差額が「雑損失」などで処理し損金算入されます。

以上(2021年10月)
(執筆 南青山税理士法人 税理士 窪田博行)

pj30121
画像:thodonal-Adobe Stock

それは性格や資質の問題ですか?~苦手な課題を克服する方法~

書いてあること

  • 主な読者:「苦手」なことがなかなか克服できず、悩んでいる中堅社員
  • 課題:苦手なことは克服できないことだと思いんでいる
  • 解決策:できる人の話しを聞く。明確な評価基準を設けて克服していく

1 取引先の担当者との関係

課長との昼食を終えてオフィスに戻る途中、中堅社員のAさんは、偶然、取引先の担当者のBさんを見かけました。すると、課長は「こんにちは。Bさん!」と元気よく声をかけました。その後、雑談を交えながら、最近の業況や、自社製品に対する評価などについて話をし、笑顔で挨拶を交わしてBさんと別れました。

Bさんをはじめ、どの取引先の担当者とも、真剣な仕事の話だけではなく、ときには友人のような親しい雰囲気をつくりながら話をしている課長の様子を思い浮かべて、Aさんは課長に話かけました。

「課長は、お客様との関係づくりが上手ですよね。私は、何度もお会いしているお客様でも、固い雰囲気が抜けないんですよね。課長のようになりたいと思っているのですが……。性格的な問題もあるのか、なかなかうまくいかないんですよね…」

「私だって、Aさんとそれほど変わらないよ。率直にいうと、今でも人付き合いは得意だとは思っていないよ。でも、それは、努力次第でなんとかなるものだよ」。そういって、課長はAさんの様子をうかがっています。

Aさんは思いました。努力次第か…。でも、まずは、自分の性格を直さなきゃダメなのかな……。

2 得意・不得意は性格の問題?

さまざまな仕事をこなしていくと、自分にとって得意な仕事、苦手な仕事というのは、どうしても出てきます。苦手なことは克服していくように努力しなければなりませんが、その際に問題となるのが、自身の「性格」や「資質」です。

「この仕事は自分の性格には合わない」と考え、それを克服することを半ばあきらめてしまうことはないでしょうか。しかし、そのほとんどは、実は、単なる「苦手意識」の問題にすぎません。代表的な例は人付き合いです。人付き合いというと「社交的な性格か否か」など、性格や資質などによって得意な人、苦手な人が決まるように思われがちです。

しかし、場の雰囲気をつくるのが上手な人など、一見、人付き合いが得意そうな人でも、課長のように「今は違うが、以前は人付き合いは苦手だった」「今でも、人と話すのは得意ではない」という人は少なくありません。こうした人たちは、努力を重ねて人付き合いという苦手な課題を克服しているのです。

そこで、以下では、人付き合いを例に、苦手な課題を克服するためのヒントを紹介します。

3 得意な人に話を聞いてみる

一番の近道は、得意な人、特に「以前は、苦手だった」という人に、直接話を聞くことです。そうした人は、課題克服のため、試行錯誤を繰り返しながら、効果的な改善方法などを把握しているものです。

人付き合いであれば、「営業の際に、同行した上司が話をした順番、内容、話題などをメモしてまねするようにしていた」「営業訪問先を想定したロールプレイングを同期の仲間と毎日、行った」「話し方教室に通ってみた」「趣味のサークルに入会するなどして、人と話す機会を意識的に増やした」など、実際に取り組んだことや、効果の有無など、具体的な話を聞くことができます。そうした経験談は、自分がすべきことを考える際に参考になるはずです。

4 得意な人の行動を見て盗む

得意な人の行動を、継続して観察してみましょう。教えてくれたことを当の本人が実践している姿などを見ることで、自分がすべきことを、具体的にイメージしやすくなります。

また、得意な人は、すべてを言葉で教えてくれるわけではありません。無意識に行っていることなど、言葉では伝えきれないことはたくさんあります。こうした点は、数回見ただけでは分かりませんが、継続して見ていくと、その人の特長や行動パターン、うまくいっている秘訣など、多くの気付きを得ることができるはずです。

得意な人に聞いたことや、観察して気が付いたことをまねしてみるのも大切です。中には、「自分にはできない」と思うようなこともあるかもしれません。しかし、それらは、得意な人が実践していることなのですから、「できる・できない」などと思いを巡らすのではなく、「とにかくまねしてみよう」というスタンスで臨むことがポイントです。

5 明確な評価基準を設ける

自分が実践できているか否かを、簡単、かつ明確に判断できる基準を2つ、3つ設定します。苦手なことを克服するためには、少なからず、今までの自分の行動パターンを変える必要があります。そのためには、常に自分の行動をチェックしながら、新しい行動パターンを自分の中に定着させていかなければなりません。

例えば、人付き合いであれば「お客様と話す機会を増やす」といった曖昧な基準ではなく、「毎月1度はお客様を訪問する」「常に、相手より先に挨拶をする」といったように、「できた」か「できなかった」が一目で判断できる基準を設けるとよいでしょう。

自分で自分の行動を常にチェックできるようになると、できなかったときには「次は頑張るぞ」というモチベーションの源泉になりますし、できたときにはそれが少しずつ自信へとつながっていくものです。

そして、自分で決めたことができるようになったら、新たな基準を設けるようにします。そうすることで、次第に、課題を克服できるようになっていくでしょう。

6 苦手意識は早めに克服しよう

人付き合いに限ったことではありませんが、苦手意識を感じている課題は、早いうちに克服しなければなりません。先延ばしにしては、「お客様を前にすると過度に緊張してしまう→うまく話せない→ますます苦手意識が強くなる」といったような悪循環に陥って、克服することが一層難しくなってきます。もし、苦手意識を感じている課題があれば、積極的に克服していきましょう。

以上(2021年10月)

op20096
画像:emma-Adobe Stock

データ分析に役立つ! 正規分布をマスターしよう

書いてあること

  • 主な読者:データの分析に正規分布を利用したい経営者
  • 課題:用語が難しく、具体的な使い方が分からない
  • 解決策:平均や最頻値、分散と標準偏差など、正規分布を理解するのに前提となる知識を把握した上で、身近なことを事例に挙げて具体的な使い方を覚えていく

1 3分の2の顧客の目線に合う価格帯と、品ぞろえの割合は?

突然ですが、質問です。あなたは紳士服店を運営しており、図表1の過去の売り上げデータに基づいて、紳士服の価格帯ごとの品ぞろえを見直そうと思っています。紳士服の購入を考えている顧客のうち、3分の2の人の目線に合う価格帯で品ぞろえをするには、どうすればよいでしょうか? また、それぞれの価格帯ごとの紳士服の品ぞろえの割合は、どのように配分すればよいでしょうか?

画像1

この答えを推測するときに活用できるのが正規分布です。正規分布は統計学における確率分布の一つで、

平均値に該当するものの数が最も多く、平均から外れる度合いに応じて、一定の割合で該当するものの数が減っていく

ことを前提としたモデルです。このため、正規分布をグラフにすると、中心が高く盛り上がって、両端に行くほど緩やかに低くなっていく、左右対称で釣り鐘のような形になります。

この記事では、データ分析の際に正規分布を活用できるようになるために、正規分布の前提となる「分散」と「標準偏差」の考え方を含めて解説します。なお、冒頭の質問の答えは、この記事を読んでいくうちに分かるようになっています。正規分布は統計学では基本的な分野であり、考え方を押さえておくと、日ごろのビジネスシーンでも活用できます。ぜひ参考にしてみてください。

2 平均と最頻値

「平均」はデータを全て足した合計値を、そのデータ数で割った値になります。また、最頻値とは、そのデータの中で最も頻繁に出現する値になります。

図表1の紳士服の平均販売単価は、次の式で算出することができます。

19,800(円)×40(着)+29,800(円)×90(着)+39,800×50(着)+
49,800(円)×20(着)/200(着)=32,300(円)

販売数量は合計200着、販売金額は合計646万円です。紳士服1着当たりの平均販売単価は3万2300円となります。また、4つの価格帯で最もよく売れているのは2万9800円の90着です。この場合、販売数量の最も多い2万9800円が最頻値となります。

しかしながら、3分の2の顧客の目線に合う価格帯で販売するには、この4つの価格帯でよいのでしょうか? それを推測するのに役立つのが、「分散」と「標準偏差」です。

3 分散と標準偏差

データのばらつきを表す尺度として、分散と標準偏差があります。聞き慣れない言葉かもしれませんが、試験でおなじみの「偏差値」で説明すると身近に感じられるでしょう。

例えば、100人が受けたある試験の得点と偏差値の一覧を表すと次の通りになります。

画像2

偏差値は「高い、低い」といった具合に使われます。偏差値はその試験を受けた人の中で、自分がどのくらいの位置にいるかを知るのに便利です。ここでは偏差値を利用してデータのばらつきについて、また、データのばらつきを表す標準偏差について説明します。

偏差値は受験者の中での位置を示します。偏差値50が受験者全体の中心で、平均点が偏差値50になります。平均点に対して得点が高いか低いかで、偏差値が50超か以下かに分かれます。

偏差値は次の式で算出することができます。

偏差値=(得点-平均点)/標準偏差×10+50

標準偏差は統計値のばらつきを表す数値で、標準偏差を2乗したものを分散といい、同様に統計値のばらつきを表します。分散と標準偏差は次の式で算出することができます。

画像3

例えば、最高点98点と平均点(56.82点)の差は41.18点(98点-56.82点)です。この41.18点を標準偏差(17.63)で割ると2.34となります。2.34に10を乗じて50を加えると偏差値73.4を算出することができます。

偏差値は、得点が平均点からどれだけ離れているかの標準偏差を尺度として測り、分かりやすくするために平均を50、1標準偏差を10として算出しています。

98点は平均点から標準偏差2.34個分離れていることを表しています。つまり、偏差値73.4(23.4+50)と表示しています。偏差値10ポイントは標準偏差1個分に相当します。逆算すれば、偏差値73.4は平均である50から23.4個分離れたところに位置しており、これは10の2.34個分(23.4/10)に相当します。

図表2【試験の得点と偏差値の一覧】の試験の得点の分布は次の通りです。

画像4

得点の分布は50~59点が最も多く、得点が高く、または得点が低くなるほど、数は減っています。なお、試験の内容が簡単すぎる場合には平均点は上がり、逆に難しすぎる場合には平均点は下がります。また、得点の分布によって標準偏差は大きくもなれば小さくもなります。

標準偏差はデータのばらつきを表し、標準偏差が大きいほどデータのばらつきが大きく、標準偏差が小さいほどデータのばらつきが小さいことを示します。

4 正規分布を使って、3分の2の顧客の目線に合う紳士服の価格帯を算出する

さて、分散と標準偏差について説明しましたので、この記事の冒頭で質問した「3分の2の顧客の目線に合う紳士服の価格帯」を算出してみましょう。

正規分布の標準偏差で覚えておくべきルールとして、

平均値から標準偏差±1の範囲内に含まれるデータは全体の68.26%を占める
平均値から標準偏差±2の範囲内に含まれるデータは全体の95.44%を占める

ことを押さえておきましょう。これは正規分布表を説明する際に詳述します。

まず、図表1【1カ月当たりの紳士服の販売数量と販売金額】のデータを基に、販売価格の分散と標準偏差を算出します。

画像5

標準偏差は8874円となりました。標準偏差の上下1の価格帯で3分の2の顧客が収まりますから、平均販売価格である3万2300円の上下8874円、つまり2万3426円から4万1174円の価格帯であれば、およそ3分の2の顧客の目線に合うことが推測できます。

従って、3分の2の顧客を意識するのであれば、1万9800円、3万9800円の紳士服は品ぞろえする必要がないということになります。代わりに2万3426円と4万1174円の紳士服を品ぞろえすることにします。

では、新たな4つの価格帯の紳士服は、何着ずつ品ぞろえすればよいのでしょうか? そのためには、正規分布表について理解する必要があります。

5 正規分布表

1)正規分布の基本

社会現象や自然現象の中に表れるばらつきの多くは釣り鐘形をした正規分布になる傾向があります。身近なものでは身体測定や健康診断のデータ(身長・体重・血圧・脈拍数など)は正規分布になります。

以降では、男性の身長を事例に挙げて解説していきます。17歳男性の平均身長が170.7センチメートル、標準偏差が5.73センチメートルであると仮定します。これを基に身長の分布図を示すと次の通りです。

画像6

図表6では標準偏差を便宜上σ(シグマ)という記号で表しています。1σ=5.73センチメートルです。

正規分布では、平均から1σの範囲にデータの34.13%が分布し、同様に平均から2σの範囲に47.72%、平均から3σの範囲に49.87%が分布するとされています。詳しくは後述する正規分布表で確認することができます。

従って、170.7~176.43センチメートルの間には全体の34.13%が分布し、170.7~182.16センチメートルには47.72%が分布することになります。同様に164.97~170.7センチメートルには34.13%が分布し、159.24~170.7センチメートルには47.72%が分布することになります。

例えば、17歳男性が1000人いるとした場合、身長が182.16センチメートルを超える男性は25人(1000人×{100%-(50%+47.42%)}=25.8人)いると推測できます。

図表6の身長の分布図の平均を0とした場合の身長の分布図を示すと次の通りです。

画像7

2)正規分布表の見方

例えば、身長が180センチメートルを超える17歳男性の割合はどの程度かを調べる場合、次のようにします。

(180センチメートル-平均身長)/標準偏差
=(180-170.7)/5.73=1.62

1.62σを超える男性の割合、図表8の黒い網掛け部分の割合が分かればよいのです。

画像8

図表9は正規分布表です。表の利用方法について説明します。

まず、1.62σを1.6と0.02に分けます。表左側の網掛け部分の列0.0~2.0の中から1.6を探します。次に表上段の網掛け部分の行0.00~0.09の中から0.02を探します。そして、1.6と0.02が交差する部分が0.9474(網掛け部分)となっています。

これは、身長が180センチメートル以下の男性は、全体の94.74%を占めることを示しています。従って、身長が180センチメートルを超える男性の割合は5.26%(100%-94.74%)ということが分かります。

画像9

図表9は平均を0としています。0.0と0.00の交差する部分は0.5000であり、平均値以下には50%が分布していることを意味しています。

3)正規分布表の応用

続いて、正規分布表の応用として、身長165~170センチメートルの男性の割合を推測してみましょう。

平均身長と標準偏差を使って、身長165センチメートルは平均身長(170.7センチメートル)から標準偏差(5.73センチメートル)の何個分離れているか、また、170センチメートルは平均身長(170.7センチメートル)から標準偏差(5.73センチメートル)の何個分離れているかを調べます。

平均身長から身長165センチメートルまでの標準偏差の数
=(165-170.7)/5.73=-0.99
平均身長から身長170センチメートルまでの標準偏差の数
=(170-170.7)/5.73=-0.12

画像10

正規分布は平均を中心として左右対称なので、身長165~170センチメートルの男性の占める割合は、下表(正規分布表)の0.1と0.02の交差する0.5478、0.9と0.09の交差する0.8389を基に、次の通り推測することができます。

0.8389-0.5478=0.2911→29.11%

画像11

6 正規分布表を使って、新たな価格帯の紳士服を何着ずつ品ぞろえすればよいかを算出する

それでは最後に、正規分布表を使って算出した新たな価格帯(2万3426円、2万9800円、3万9800円、4万1174円)の紳士服を、合計200着で換算すると何着ずつ品ぞろえすればよいのかを図表で示します。

画像12

つまり、3分の2(標準偏差1)の顧客の目線に合わせて2万3426円、2万9800円、3万9800円、4万1174円の4つの価格帯の紳士服を販売する場合、正規分布表を基にした適正な品ぞろえは、合計200着で換算すると、それぞれ52着、70着、42着、36着ということになります。

以上(2021年10月)

pj70055
画像:Andrey Popov-Adobe Stock