【朝礼】私がなりたい50歳の姿を考えてみた

私は最近、自分があと20年くらいたって50歳になったときに、どうなっていたいかを考えるようになりました。けさはそのことについて、私なりの考えをお話ししてみますので、皆さんから忌憚(きたん)のないご意見やアドバイスをいただければと思います。

私が50歳の自分の姿について考え始めたきっかけは、プライベートで参加しているスポーツサークルの大会中止が相次いだことです。

私がそのサークルに参加したのは、今から5年前です。当初は、仲間との交流や健康づくりのために参加したのですが、練習を重ね、市民大会にも出場するうちに、「地区大会でベスト8に入る」という目標が生まれました。私の実力からすると「野望」に近い目標なのですが、知らず知らずのうちに、「上達して、地区大会ベスト8に入りたい」という思いが強くなり、練習日数を増やしたり、上手な人のプレーを勉強したりするようになりました。すると、サークルのメンバーも、この「野望」に近い目標を応援してくれるようになり、私はますます練習に打ち込むようになりました。

ところがコロナ禍で、ここ1年ほど大会が開催されなくなったことで、私の練習に打ち込む意欲が下がった気がします。目標があるのとないのとでは、モチベーションに大きな違いがあると気付きました。特に長期の大きな目標は、一歩一歩前に進んでいくための励みになります。山の頂上を見て意気込む登山者と同じかもしれません。

そう考えると、会社員としての私も同じなのではないかと感じました。今の仕事のモチベーションを高めるためには、将来の自分のなりたい姿を考えることがプラスになると思ったのです。これまでも、目の前の仕事の成果を出す、という小さな目標は常に考えてきました。ですが、私のような怠け心のある人間にとっては、それだと目の前の仕事さえできればいい、という考えに陥りがちでした。ですが、「自分を理想の姿に引き上げる」という気持ちになると、「将来のために、今もっとできることはないか」と考えて仕事に取り組めるようになりました。私より若い人たちも、50歳の自分の姿を考えてみてはどうでしょうか。

ちなみに、私がなりたい50歳の姿は、実力があって指導力もある、元プロ野球選手のイチローさんのような人です。イチローさんのように、大きな記録を残し、チームを引っ張れる人になっていたいです。具体的な目標は2つあって、1つは、私の後輩たちが新入社員に仕事の説明をするときに、「この仕事は、○○さん(私のこと)が開拓した仕事です」と言われるような成果を残すことです。もう1つは、今お付き合いしている全ての取引先に、「□□会社の○○さん」ではなく、「○○さんの□□会社」と言われるようになることです。皆さんの前で話すのは少し恥ずかしいですが、20年くらい先の話なので、先輩の方々も後輩の皆さんも、私のこれからの成長を長い目で見ていただければと思います。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

レンタルガレージを開設する際の留意点や費用感について

書いてあること

  • 主な読者:遊休地をレンタルガレージに活用しようと考えている経営者
  • 課題:倉庫業の登録の要否、具体的な費用感などが分からない
  • 解決策:倉庫業の登録は不要(建設時の許可などには注意)。ガレージの購入・設置価格は車2台分が入るサイズで70万円台後半が相場。レンタル料金は事業者により異なるが、車が入るサイズで月額1万円台のところなどがある

1 レンタルガレージの経営について

1)レンタルガレージとは

レンタルガレージとは、シャッター付きの車庫を自動車やバイクの所有者(以下「利用者」)向けに貸し出すサービスです。利用者が収納物の管理責任を負うため、運営者は事業を開始するに当たって倉庫業の登録を受ける必要はありません(登録を受けた倉庫業者がレンタルガレージを展開するケースもあります)。

一般的に、車両の保管を主目的とする月極契約のレンタルガレージや、車両の整備を目的とし工具などの貸し出しも行う時間貸しのレンタルガレージがありますが、この記事では、前者に注目して見ていきます。

2)利用者から見たレンタルガレージのメリット

1.車両の盗難を防止できる

青空駐車場ではないため、車両や夏用・冬用タイヤなどをイタズラや盗難被害から守ることができます。

2.車両のメンテナンスの手間が減る

紫外線や風雨による塗装やタイヤなどの劣化や、飛来物による車両のキズ・ヘコミを心配する必要がなくなります。花粉や黄砂の付着も気にすることが少なくなり、洗車にかかる時間やコストを減らせます。

3.都合の良い時間に出し入れができる

運営者に収納物を寄託するわけではないので、好きな時間に車両の出し入れができます。

3)運営者から見たレンタルガレージのメリット

1.遊休地活用策としては比較的初期費用を抑えられる

簡単に言ってしまうと、シャッター付きの車庫を設置するだけで事業を開始できるため、土地活用でよく事例に挙がるアパート経営などよりも初期費用を抑えられます。

2.管理の手間が掛かりにくい

ガレージの鍵を渡した後は利用者が収納物の管理責任を負うため、荷物の出し入れ時に立ち会いは不要です。

3.地域の防犯に貢献できる

レンタルガレージの利用が増えれば、自動車やバイクの盗難が減ることが期待でき、地域の防犯に貢献できます。

2 レンタルガレージを開設する際の留意点

1)建築確認申請の有無

ガレージは、自社所有の敷地内だからといって勝手に設置できるわけではありません。柱、屋根があり、その場所に固定して収納や駐車のために用いるものは、建築物として扱われるためです。

一般的には、次のいずれかの条件に該当する場合は、設置の前に最寄りの自治体への建築確認申請(建物を建てる前に、その場所の地盤や建築物が建築基準法に適合するかどうか確認すること)が必要です。

  • 敷地が防火地域、準防火地域(建物の密集地や、幹線道路沿いなど、火災の被害が起きやすい場所や、火災を防ぐために予防が必要な場所を指します)
  • 新築の物件、もしくは、床面積が10平方メートルを超える増築

2)固定資産税に注意

ガレージを設置した場合、原則として次の条件を満たすため、建物として見なされ固定資産税が発生します。

  • 屋根があり、3方向以上が壁や建具で囲われていること(外気との分断性)
  • 基礎等で土地に固定されていること(土地への定着性)
  • 居住、作業、貯蔵等に利用できる状態にあること(用途性)

こうしたことから、ガレージを設置してレンタルガレージを運営するのはアパート経営と比べると節税効果が少ないといわれています。

3 ガレージの費用感について

1)ガレージの購入・設置価格

車用のガレージを購入する場合、2台分が入るサイズで70万円台後半が相場のようです。例えば、稲葉製作所(東京都大田区)が扱う「ガレーディア」シリーズは、一般型で78万1000円(税抜き)となっています。

なお、商品価格と合わせて組み立て工事費や基礎工事費などが別途必要となることに注意が必要です。このため、外構(エクステリア)専門の業者にガレージの購入と施工まで一括で依頼して費用を抑えるのも一策です。

また、バイク用のガレージでは、例えばデイトナ(静岡県周智郡森町)が取り扱う「デイトナガレージ」は一番小さいサイズで34万5950円(税込み価格、配送料、設置費用込み)としています。

2)ガレージのレンタル料金

ガレージを貸し出す場合、利用期間は最短で1カ月からとしており、事業者によって異なりますが、車が入るサイズで最低で1万円台後半、バイク用のサイズで最低で1万円台前半の月額賃料を設定しているようです。また、契約時には月額の賃料と併せて、メンテナンス費(退去時の鍵の取り替えや掃除)、管理費を利用者からもらう場合が一般的です。

他にも、事業者によってはオプションとしてバイクを出し入れするためのスロープやメンテナンス用品を置くための棚板を貸し出す場合もあります。

4 レンタルガレージ等を展開する企業の事例

ここでは、レンタルガレージやそれに類似するサービス(トランクルームやレンタルボックス)を提供している企業の事例を紹介します。

1)イナバクリエイト(東京都大田区)

前述した稲葉製作所のグループ会社である同社では、「イナバボックス」というトランクルームを運営しています。出入り口のカードキーや物置のピッキング対応キーをはじめ、万が一の際にはガードマンが対応するなど、防犯システムが徹底されています。

利用料は店舗やサイズによって異なりますが、例えば静岡県の掛川下俣南店では車が入るサイズのトランクルームが月額2万7500円(税込み)から、静岡県の藤枝店のバイクガレージが月額1万1000円(税込み)からとなっています。

2)エリアリンク(東京都千代田区)

トランクルームの「ハローストレージ」を展開する同社では、バイク専用のトランクルームを提供しています。

トランクルームは、盗難防止用の車止めを備えた屋外駐車場タイプ、小物やヘルメットなどのバイク用品も収納可能で、二重ロックで防犯性の高いボックスタイプ、電源コンセントが設置され、屋内のスペースを共同で利用するガレージタイプの3種類があります。

月額使用料は店舗やサイズによって異なりますが、例えば東京都足立区の六木店で月額1万1000円(税込み)からとなっています。

3)ガレージングデイズ(広島県広島市)

ガレージハウスなどの不動産の賃貸、売買の仲介などを手掛ける同社では、車・バイク用のシャッター付きレンタルガレージを提供しています。

共用の水道をはじめ、照明やコンセントを完備しているため、洗車や長時間の作業をする場合にも向いています。

月額の賃料は広さや場所によって異なりますが、2万5000円(税込み)からとなっています。

4)さくら屋(栃木県足利市)

賃貸不動産事業などを手掛ける同社では、車用の月極駐車場、レンタルガレージ、バイク用のレンタルボックスを提供しています。

レンタルガレージは車高が低い車にも対応するスロープ設計で、24時間録画の防犯カメラも設置されています。

月極駐車場は月額5500円(税込み)から、レンタルガレージは月額2万2000円(税込み)から、レンタルボックスは月額1万3200円(税込み)となっています。

5)ユーティライズ(東京都千代田区)

「ドッとあ~るコンテナ」というトランクルームを運営する同社では、バイク用のガレージや屋外型トランクルーム(コンテナ)を展開しています。

バイク用のガレージは奥行きが広くバイクを出し入れしやすいだけでなく、棚も設置されているため、バイク用品の保管やメンテナンスにも便利です。屋外型トランクルームは棚やラック、バイクを出し入れするためのスロープを自由に設置することができます。

利用料は月額7150円(税込み)となっています。

6)ライゼ(大阪府大阪市)

大阪、兵庫、京都、奈良で店舗を展開する同社では、「ライゼホビー」という車を格納、メンテナンスできるシャッター付きレンタルガレージを提供しています。

ガレージは単独の車庫だけでなく、ロフト付きでグッズの収納に便利なタイプや、1階がシャッターガレージで2階がフリースペースになっているメゾネットタイプもあります。

利用料は店舗や広さによって異なりますが、車が入るガレージが月額1万9800円(税込み)から、バイク用ガレージが月額1万6500円(税込み)からとなっています。

以上(2021年6月)

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【朝礼】“常識”を疑え、そして覆せ!

おはようございます。皆さん、今日の朝食は何でしたか。私はけさ、マクドナルドでハンバーガーを食べました。ハンバーガーを頬張ると、子どもの頃に初めて食べたときの思い出がよみがえるようで、とても懐かしい気分になりました。

マクドナルドが日本で初めてオープンしたのは今から50年前、1971年のことでした。マクドナルドのハンバーガーは、なぜ50年もの間、日本人に愛され続けてきたのでしょうか。その理由を探るため、今日は、日本マクドナルドの創業者である藤田田(ふじたでん)氏の話をします。

日本マクドナルドの創業前、本場米国のマクドナルドのリーダー、レイ・クロック氏の下には、日本の大手商社などから、チェーン展開の依頼が多く寄せられていました。大手商社などの中には、ハンバーガー・ビジネスを、自社が手掛ける事業の1つぐらいにしか考えていないところも多く、クロック氏はこれらの依頼を全て断っていました。しかし、藤田氏と出会い、「彼ならこのビジネスに本気で取り組んでくれる」と確信したクロック氏は、日本でのチェーン展開を自ら依頼します。これが、日本マクドナルド誕生のきっかけです。

藤田氏がハンバーガー・ビジネスをやると言い出した頃、藤田氏の周りでは「パン食の習慣がない日本人に、ハンバーガーは受け入れられない」という考え方が主流でした。藤田氏がすごいのは、この“常識”を、真っ向から覆した点です。

藤田氏は、日本人の米の消費量が年々減少しているという統計から、食の西欧化がさらに進むことを予見し、国内で店舗を急速に展開します。さらに、子どもにターゲットを絞ることで、「彼らが成人して親になったとき、日本人の食習慣にハンバーガーが定着する」というプランを立て、この思惑を見事に的中させます。藤田氏は、「パン食の習慣がない日本人に、ハンバーガーは受け入れられない」という“常識”を疑ってかかっただけでなく、自分が思い描く未来を“常識”にしてしまったわけです。

さて、私は日ごろから皆さんに対し、会社の新しいビジネスについて、積極的に意見を出してほしいとお伝えしています。幸い意見を出してくれる人が多く、そのことには感謝しているのですが、私が「このビジネスをやろうと思った根拠はある?」と質問すると、言葉に詰まってしまう人がほとんどです。もしかしたら、「何か新しいことをやらなければ……」という焦りだけが先走っているのかもしれません。まずは、自分や会社、顧客や市場を取り巻く状況について、見落としている情報がないかチェックしてみましょう。客観的なデータがあれば、何が会社にとって必要なのかが分かるはずです。そして、何かビジネスチャンスを見つけたら、今度はそれを確実な未来にするためのプランを考えてみてください。難しいとは思いますが、“常識”を疑うだけでなく、覆すまでを私は皆さんに期待しているのです。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

運輸安全マネジメントのポイント

書いてあること

  • 主な読者:輸送安全に取り組む運輸事業者の経営者、安全統括管理者
  • 課題:全社的な安全管理体制を構築し、安全に関する取り組みを進めていきたい
  • 解決策:国土交通省のガイドラインを参考にPDCAサイクルの仕組みを導入し、安全管理体制の継続的改善を図る

1 運輸安全マネジメントは全社一丸で

運輸事業者にとって輸送の安全確保は何よりも重要です。経営トップから現場のドライバーまで全社一丸となって安全管理体制を構築し、継続的に改善を繰り返していくことが求められます。

コロナ禍の下、タクシーやトラックなどを含む「自動車運転の職業」の有効求職者数(パートタイムを含む常用)は、2020年4月以降、前年同月と比べて増加し、それまでのドライバー不足の状況は一転、買い手市場になっています。しかし、人材の確保・定着のためにも、全従業員に安全意識を浸透させ、事故・トラブルを防止する組織風土を目指す取り組みは欠かせません。

本稿では、国土交通省「運輸事業者における安全管理の進め方に関するガイドライン~輸送の安全性の更なる向上に向けて~」(以下「ガイドライン」)を基に、PDCAサイクルの仕組みを導入した運輸安全マネジメントのポイントについて紹介します。

■国土交通省「運輸事業者における安全管理の進め方に関するガイドライン~輸送の安全性の更なる向上に向けて~」■
https://www.mlit.go.jp/unyuanzen/content/20200615.pdf

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2 経営トップのリーダーシップが不可欠

運輸安全マネジメントには、経営トップの熱意、強力なリーダーシップが不可欠です。事業者の規模によっては、経営トップ自らが全ての現場の直接指導や管理をするのは困難かもしれませんが、経営トップには次のような項目に主体的に関与することが求められます。

  • 関係法令などの遵守と安全最優先の原則を事業者内部へ徹底する
  • 安全方針を策定する
  • 安全統括管理者に指示するなどして、安全重点施策を策定する
  • 安全統括管理者に指示するなどして、重大な事故などへの対応を実施する
  • 安全管理体制を構築・改善するために、かつ、輸送の安全を確保するために、安全統括管理者に指示するなどして、必要な要員、情報、輸送施設など(車両、船舶、航空機および施設をいう)が使用できるようにする
  • マネジメントレビューを実施する

3 Plan(計画:安全方針の策定)

ガイドラインでは、安全方針に明記すべき内容として「関係法令等の遵守」「安全最優先の原則」「安全管理体制の継続的改善等の実施」の3点を挙げ、全従業員を対象に周知徹底させることを求めています。

この安全方針を受け、会社が安全について目指す目標(到達レベル)およびその目標を達成するための具体的な手段を安全重点施策として設定します。

安全重点施策の設定に当たっては、次のような点に注意すべきとされています。

  • 目標年次を設定すること
  • 可能な限り、数値目標などの具体的目標とすること
  • 輸送現場の安全に関する課題を具体的かつ詳細に把握し、それら課題の解決、改善に直結するものとすること
  • 取り組み計画の実施に当たって責任者、手段、実施期間などを明らかにすること
  • 現場の実態を踏まえた改善効果が高まるよう配慮すること
  • 従業員が理解しやすいよう配慮すること

4 Do(実施)

1)安全統括管理者の選任と届け出

安全統括管理者は、中心的に安全管理体制を実施するキーマンです。経営トップの直下に位置し、安全管理体制に改善の余地がある場合などは、経営トップに直接報告するなどします。

経営トップは、次の事項に関する責任と権限を安全統括管理者に与えることが求められます。

  • 安全管理体制に必要な手順および方法の確立、実施、維持、改善
  • 安全重点施策の進捗状況や事故の発生状況など、安全管理体制の適切な運営のために必要な情報の経営トップへの報告
  • 安全方針の事業者内部への周知徹底

なお、経営トップはその責務において安全統括管理者を選任し、国土交通省に届け出なければなりません。

2)要員の責任・権限の明確化

安全管理体制を適切に実施する上で、各要員の責任と権限を明確にして、事業者内に周知徹底させることは非常に重要です。

ガイドラインでは、安全管理体制の運営上必要な責任・権限の他、関係法令などで定められている責任・権限を、必要とされる要員に与えることとされています。

3)情報伝達およびコミュニケーションの確保

情報の偏在などを防止するために、「経営管理部門と現場」と「現場同士」の上下左右の情報伝達とコミュニケーションの実現が重要となります。

コミュニケーションは、経営管理部門から現場に対するトップダウンのコミュニケーション、現場から経営管理部門に対するボトムアップのコミュニケーションの双方を確保することが重要です。

ガイドラインでは、具体的な方法として、次を挙げています。

  • 情報のデータベース化とそれに対する容易なアクセス手段の確保
  • 経営トップなどへ意見できる目安箱などのヘルプラインの設置

4)事故、ヒヤリ・ハット情報などの収集・活用

実際に発生した事故に関する情報だけではなく、事故につながりかねないヒヤリ・ハット体験などの情報も適時適切に経営トップに報告される体制を構築することは、安全管理体制を適切に実施する上で非常に重要です。

また、収集された情報は、一定の観点(類似事例を集めるなど)から分類・整理した上で、その結果を踏まえて情報を分析し、対策を検討・実施することが求められます。

5)重大な事故などへの対応

重大な事故などが発生した場合の対応方法をあらかじめ定めておくことで、万一の際に適切かつ柔軟に必要な対応が取れる体制を構築します。

ガイドラインでは、具体的な方法として「責任者の選任」「対応手順などの設定と周知」「全社的な事故対応訓練の実施」などを挙げています。なお、ガイドラインでは、対応手順が過度に緻密なものにならないように注意すべきとしています。

6)関係法令などの遵守

輸送の安全を確保するためには、関係法令などを遵守し、適切に業務を遂行することが不可欠です。

ガイドラインでは次の事項などについて、安全統括管理者が定期的に確認するなどして、関係法令を遵守することを求めています。

  • 輸送に従事する要員の確保
  • 輸送施設の確保や作業環境の整備
  • 安全な輸送サービスの実施およびその監視
  • 事故などへの対応
  • 事故などの是正措置および予防措置

7)安全管理体制の構築・改善に必要な教育・訓練などの実施

安全管理体制を適切に実施するためには、経営管理部門の要員、内部監査の担当者、各部門の責任者などに「ガイドラインの内容」「安全管理規程の内容」「関係法令」などについて教育・訓練することが非常に重要となります。

5 Check(評価:内部監査の実施)

安全管理体制が適切に実施され、機能していることを確認するために、少なくとも1年ごとに内部監査を実施することが必要です。

基本的に、内部監査の対象は、安全管理体制の実施に直接的に関わる経営管理部門となりますが、必要に応じて現場も対象となります。内部監査を実施する内部監査員として適しているのは、安全管理規程を熟知している者となります。

なお、内部監査の客観性・独立性を確保するために、ガイドラインでは、内部監査を受ける部門の業務に従事していない者が監査を実施することを求めています。

6 Act(改善:マネジメントレビューと継続的改善)

「マネジメントレビュー」は、内部監査の結果や安全統括管理者からの報告などを踏まえ、安全管理体制の適切性・妥当性、達成の度合い、改善の機会、変更の必要性などを検討するものです。

ガイドラインでは、経営トップは、安全管理体制の機能全般に関し、少なくとも1年ごとに「マネジメントレビュー」を行い、「今後の取り組み目標や計画」「取り組み方法の見直しや改善」などを決定することとされています。

「継続的改善」は、「マネジメントレビュー」などを通じて明らかになった安全管理体制の課題への対応であり、「是正措置(顕在化した課題の再発防止のために、その原因の除去などを行う)」と「予防措置(潜在的課題の顕在化防止のために、その原因の除去などを行う)」の2つに大別されます。ガイドラインでは、具体的な手順として、次を挙げています。

  • 課題の内容の確認
  • 原因の特定
  • 措置の必要性の検討
  • 措置の検討・実施
  • 措置の有効性の評価

7 運輸安全マネジメント認定セミナー

国土交通省では、運輸安全マネジメント制度の普及・啓発を図るため、民間機関などが実施する運輸安全マネジメントセミナーの中で、一定の基準を満たし、事業者の安全管理体制の構築・強化に有効であるものを認定しています。

この「認定セミナー」は、ワークショップなどを取り入れ、中小規模の事業者が取り組みやすい内容となっています。開催情報など詳細は、認定を受けている各事業者にお問い合わせください。

■国土交通省「運輸安全マネジメント認定セミナー」■
https://www.mlit.go.jp/unyuanzen/certif.html

以上(2021年6月)

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労災の「法定補償の支給額」と「法定外補償の相場」

書いてあること

  • 主な読者:労働災害の発生に備えておきたい経営者
  • 課題:労働災害が発生した場合、社員の治療費や休業中の生活費などが心配
  • 解決策:まずは「法定補償(労災保険の給付)」について理解し、それだけでは不十分と思われる場合、「法定外補償(私的な保険など)」への加入を検討する

1 労災の法定補償だけで、社員やその家族を守りきれる?

足場から転落する、有害物質にさらされる、長時間労働で疲弊する、ハラスメントで精神を病むなど、社員がけがや病気になるリスクはさまざまです。社員の事故等が労働災害(労災)として認定されれば、社員や遺族は労災保険から保険給付が受けられます。いわゆる労災の「法定補償」です。法定補償は手厚いといえますが、被害の大きさによっては治療費や生活費を賄うのに不十分なケースもあります。

そこで、民間の保険会社が提供する労災の「法定外補償」(私的な保険など)に加入する会社があります。例えば、

製造業・建設業・運輸業など労災が発生しやすい業種では、法定補償を基本としつつ、法定外補償にも加入して、手厚い補償体制を実現

しています。

法定外補償に加入するか否かはさておき、「労災に対する備えはどの程度か?」を把握することは重要です。ということで、この記事では、

労災の「法定補償の支給額」「法定外補償の相場」

を紹介していきます。

2 労災の法定補償の支給額

1)労災の法定補償

労災の法定補償では、業務に関連して発生する業務災害、通勤途中(単身赴任先と帰省先住居間の移動中等を含む)で発生する通勤災害に対して保険給付を行います。保険給付には、定額支給のものや、「給付基礎日額の○○日分」などの形で支給額を計算するものがあります。なお、給付基礎日額は原則として次の方法で計算します。

給付基礎日額=労災発生以前3カ月間の賃金総額(3カ月を超える期間ごとに支払われる賞与等を除く)÷その期間の総日数

2)主な保険給付

労災の法定補償の主な保険給付は次の通りです。なお、業務災害の場合、保険給付の名称に「補償」という文言が付きます。例えば、業務災害によって療養が必要な場合は療養補償給付と呼ばれます。ただし、葬祭に要した費用については、業務災害では葬祭料、通勤災害では葬祭給付と呼ばれます。

1.療養(補償)給付

労災による傷病のため、労災指定病院等で療養を受けるときに、必要な療養の給付(現物給付)が受けられます。労災指定病院等以外で療養を受けたときは、必要な療養の費用が支給されます。

2.休業(補償)給付

労災による傷病の療養のため労働することができず、賃金を受けられないときに、休業4日目から、休業1日につき給付基礎日額の60%相当額が支給されます。休業(補償)給付の支給期間に制限はありませんが、社員が療養を開始してから1年6カ月が経過し、傷病(補償)年金の支給を受けるようになると支給されなくなります。

3.傷病(補償)年金

労災による傷病が療養開始後1年6カ月を経過した日または同日後において、「傷病が治っていないこと」「傷病による障害の程度が厚生労働省令で定める傷病等級に該当すること」のいずれも満たしたときに、傷病の程度に応じ、給付基礎日額の313日~245日分の年金が支給されます。

4.障害(補償)年金

労災による傷病が治った後に「障害等級第1級~第7級」に該当する障害が残ったときに、障害の程度に応じ、給付基礎日額の313日~131日分の年金が支給されます。

5.障害(補償)一時金

労災による傷病が治った後に「障害等級第8級~第14級」に該当する障害が残ったときに、障害の程度に応じ、給付基礎日額の503日~56日分の一時金が支給されます。

6.介護(補償)給付

傷病(補償)年金か障害(補償)年金の受給者のうち、第1級の者または第2級の「精神神経・胸腹部臓器の障害」を有している者であって、現に介護を受けているときに支給されます。常時介護を要する状態か、随時介護を要する状態かなどによって支給額が異なります(最大で17万1650円)

7.遺族(補償)年金

労災により死亡したときに、受給権者および受給権者と生計を同じくしている遺族の人数等に応じ、給付基礎日額の245日~153日分の年金が支給されます。

8.遺族(補償)一時金

労災により死亡した当時、遺族(補償)年金を受け得る遺族がいないときに、給付基礎日額の1000日分の一時金が受給権者に支給されます。

また、遺族(補償)年金を受けている者が失権し、かつ、他にこれを受け得る者がいない場合であって、既に支給された合計額が給付基礎日額の1000日分に満たないときに、給付基礎日額の1000日分から既に支給した年金の合計額を差し引いた額が受給権者に支給されます。

9.葬祭料(葬祭給付)

労災により死亡した者の葬祭を行うときに、31万5000円に給付基礎日額の30日分を加えた額が支給されます。その額が給付基礎日額の60日分に満たない場合は、給付基礎日額の60日分が葬祭を行う者に対して支給されます。

3 労災の法定外補償の相場

1)業務災害の障害補償

業務災害の障害補償の給付額の推移は次の通りです。

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2018年の障害等級1級の給付額は3182万円です。2008年から緩やかな増加傾向にありましたが、2018年は減少しています。

2)通勤災害の障害補償

通勤災害の障害補償の給付額の推移は次の通りです。

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2018年の障害等級1級の給付額は1879万円です。業務災害と同様、通勤災害も2018年は減少しています。

3)業務・通勤災害の遺族補償

業務・通勤災害の遺族補償の給付額の推移は次の通りです。

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2018年の遺族補償の給付額は業務災害で3262万円、通勤災害で1930万円です。いずれも、2008年から緩やかな増加傾向にありましたが、2018年は減少しています。

4 参考:労災の発生状況について

1)労災の発生状況の推移

労災の発生状況の推移は次の通りです。

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2020年の死傷者数(全産業)は13万1156人です。製造業、建設業、陸上貨物運送事業などは労働者の職業柄、労災が発生しやすい傾向にありますが、商業などの第三次産業で死傷者数が増えている点は見逃せません。

2)労災と認定された過労死等の状況

長期間の過重業務による脳・心臓疾患や精神障害も労災の認定基準の1つです。近年の状況は次の通りです。

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2019年度は、脳・心臓疾患が936件、精神障害が2060件の労災認定の請求がありました。

これらの事案と2016年度以前に労災認定の請求がされた事案の中でまだ方針が決定していない事案を含め、保険給付をするか否か(労災として認定するか否か)が決定されたのが決定件数であり、脳・心臓疾患が684件、精神障害が1586件となります。

さらにこのうち、保険給付が決定したのが(労災として認定されたのが)支給決定件数であり、脳・心臓疾患が216件、精神障害が509件となります。

以上(2021年6月)
(監修 弁護士 八幡優里)

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まだ日本で語れる人の少ない「iPaaS」を実現している会社。これからのビジネスを大きく変える「RPAの民主化」の原点には「思い」と「出会い」があった/岡目八目リポート

年間1000人以上の経営者と会い、人と人とのご縁をつなぐ代表世話人杉浦佳浩氏。ベンチャーやユニークな中小企業の目利きである杉浦氏が今回紹介するのは、嶋田 光敏さん(BizteX(ビズテックス)株式会社の代表取締役CEO)です。

今、盛んに注目されているDX(デジタルトランスフォーメーション)。嶋田さんが取り組まれていることは、いわば「究極のDX」「DXのあるべき姿」と言えるかもしれません。嶋田さんが法人向けにご提供されているRPAは、「誰もが簡単に自動化を実現できて、本業のスピードアップが図れるようにするもの」であり、ビジネスの進め方を大きく変えていく可能性を秘めているからです。

以降では、嶋田さんが取り組まれてきた「RPAの民主化」やiPaaS(アイパース。異なるアプリケーション同士を連携させるクラウドサービス)のサービス、それらをご提供するにいたる「思い」などをご紹介していきます。

1 「RPAの民主化」にチャレンジし続ける

嶋田さんが創業したBizteX社は、BtoBでRPAをご提供されています。同社のミッションや主な事業は、嶋田さんの言葉や同社資料をお借りすると次の通りです。

●BizteX株式会社でやっておられること(嶋田さんより)
当社は「オートメーションテクノロジーで新しいワークスタイルを実現する」をミッションに、国内初のクラウドRPA「BizteX cobit」、複数のシステムを連携しデータ統合/自動化を実現するiPaaS「BizteX Connect」を大手企業様にご提供しDXの推進を行っています。

BizteX社のプロダクト説明の画像です

(出所:嶋田さんご提供のBizteX社資料)

ここ数年でRPAは広く知られるようになりました。ただ、まだ「なんだか難しそう」「とてもコストがかかりそう」といったイメージがあるかもしれません。それに対して嶋田さんは、「誰でもすぐに安価で簡単に使えるRPAの実現=RPAの民主化」にチャレンジし続けておられます。その原点には、「RPAをもっと手軽に簡単に使えるようにすれば、多くの人の役に立つ」という思いがあるからです。

こうした思いを大切にして、形にされてきた嶋田さん。2017年からクラウドRPA「BizteX cobit」を始められ、リリース3年で作られたRPAのロボットは約3.7万台、約2000種類のクラウドサービスの自動化を行ってこられました。かなりすごい実績をお持ちです。「誰でもすぐに簡単に使える」というお考えはUIにも生かされており、グッドデザイン賞をはじめさまざまな賞も受賞されています。「難しいものを、誰でもすぐに簡単に使えるものに」は非常に大切な考え方だと思いますし、またそれを実現し続けておられるのは、本当に素晴らしいことですね。

嶋田さんの「RPAの民主化」はさらに進化してきています。今回、特に注目したいのは2020年5月リリースのiPaaS「BizteX Connect」です。この「BizteX Connect」はさまざまなアプリケーションと連携して自動化を図れるもので、「誰でもすぐに簡単に」をこれまで以上に進化させており、社会を大きく変えていく力を持つサービスだと感じます。すでに導入されている大手企業もおられます。

●BizteX Connectのサービスページ
https://service.biztex.co.jp/connect/

●ニュースリリース
iPaaS「BizteX Connect」、株式会社サイバーエージェントへ導入~iPaaS+クラウドRPAでSaaS連携や更なる業務効率化を支援~(2021年3月)
https://www.biztex.co.jp/posts/2021-03-17-233-news/

クラウドRPA「BizteX cobit」そして今回のiPaaS「BizteX Connect」を実現した背景には、嶋田さんのこれまでの歩みから築かれた「思い」と、素晴らしき仲間などとの「出会い」がありました。次章では、そのあたりを振り返ってみたいと思います。

2 「思い」と「出会い」。嶋田さんの起業までのストーリー

1)超原点は幼少のころの思い

今回、嶋田さんは、これまでの歩みを振り返るお話を色々とお聞かせくださいました。四国は香川県ご出身の嶋田さん、「やりたいことができずにモヤモヤした幼少期を過ごしたことが、今振り返れば起業につながる原体験です」と語ります。誰もが知る超有名なサッカー漫画を読んでサッカーを始めますが、小学校・中学校当時は、通っている学校にサッカー部がなかったのだそうです。サッカーがやりたいのに部活がない! まさに「モヤモヤした思い」です。

高校はサッカー強豪校に入り、今までやれなかったサッカーに取り組めた嶋田さん。最初はサッカー素人だったのでグラウンドのはじっこでリフティングするところからスタートし、高校3年生ではなんと副キャプテン&ベンチ入りするまでになったというから驚きです。この体験から「何もないところからチャレンジして上り詰める」「ゼロイチ」が好きになり、自信もついたとのこと。これぞ起業家精神の原点、とても貴重なお話です。

2)全国で営業ナンバーワンを達成していた時代

アパレルでの営業やサッカーコーチなどを経て、嶋田さんは「J-PHONE(当時)」で、地元四国にて中小企業向けに携帯電話などの通信商材を営業する仕事に就きます。この法人営業の経験で、「中小企業の働き方を変えること」「お客さまの役に立つこと」に喜びを感じるようになったといいます。その後、会社がVodafone、ソフトバンクに買収されていく中で、国内企業→外資企業→ベンチャー企業という変遷を、転職せずに辿ることができたことも嶋田さんにとっては良い経験になったようです。

Vodafoneがソフトバンクに買収されたのが、ちょうど嶋田さんが30歳のタイミングだったそうです。当時の嶋田さん、なんと営業成績で全国ナンバーワン! 300名くらい営業担当者がいた中での第一位ですので本当にすごいことだと思います。こうして自分で売上を作れるようになったことが自信につながり、嶋田さんは「将来自分も経営者になりたい」と思うようになりました。そこから、孫さんのような素晴らしい経営者の下で経営を学びたいと、自ら志願して東京へ転勤することとなるのです。東京では、起業につながる出会いが、嶋田さんを待っていました。

3)起業につながった大きな出会い

嶋田さんは東京で、孫さん主催のソフトバンクアカデミア、それからグロービス経営大学院でビジネスや帝王学などを学びます。ここでの「2つの出会い」がのちの嶋田さんの起業に大きく関わっています。

●出会いその1:孫さん、グロービス学長・堀義人さんの「名言」との出会い
・嶋田さんが特に好きな孫さんの名言

「自分の登る山を決めろ」
孫さんの込めた意味「自分がこの先、命を懸けて、人生を懸けて登る山を見つけられたら、半分成功したようなものだ」

・嶋田さんが特に好きな堀さんの名言

「志を語れ」
堀さんの込めた意味「学んだ知識を勉強で終わらせるのではなく、世の中でどう使うのかが大事だから、自分の課題感や、やりたいことをちゃんと語ることが大切」

嶋田さんは、孫さんの「登る山」と堀さんの「志」は同じものだと感じ、自分でも「登る山=志」を決めて歩いていこうと強く思ったそうです。起業に向けた決意が固まってきた背景には素晴らしい名言の後押しがあったということですね。今、起業を考えられている多くの方々にも非常に参考になる言葉だと思います。

●出会いその2:厳しく、そして熱く背中を押してくれた人物との出会い

嶋田さんの起業ストーリーを語るにはどうしても欠かせない1人の人物がいます。それは、株式会社ZENKIGENの代表取締役、野澤 比日樹さんです(以前、この「岡目八目リポート」でもご紹介させていただきました)。嶋田さんと野澤さんの出会いはソフトバンクアカデミアで、野澤さんは1期生で外部から入られ、嶋田さんは内部からの2期生として入っておられました。

2014年に40歳のタイミングでグロービス経営大学院を卒業された嶋田さんは、2015年には起業したいと思っていましたが、なかなか踏み切れずにいたとのこと。そこで登場するのが野澤さんです。2015年4月、嶋田さんは野澤さんから、

「嶋田さんはもう会社を辞めろ」

と言われたのだそうです。「嶋田さんは勉強もしているし、将来やりたいことを語っているが、1ミリもそれに向かって本気で行動していない。本気で行動するんだったら退路を断って(会社を辞めて)、もう起業したほうがいい。そうすると本当の意味で前に進める新しい扉が開く」と続けたという野澤さん。それを受けて、その場で「分かった、(同2015年の)6月までに辞める」と宣言した嶋田さんがまたすごいです……。

実際には、(2015年の)6月に上司に気持ちを伝え退職したのは同年10月だったそうですが、野澤さんの厳しくも熱い一言が、嶋田さんの初めの一歩、大きな決断につながったのは間違いありません。素晴らしいご関係ですね。どういうコミュニティにいて、どういう人と一緒に学び行動しているか。こうしたことが、起業家や経営者にとってとても重要なのだと改めて感じるエピソードです。

3 高い技術力の背景にも、大切な仲間との出会いがありました

起業以来、「RPAの民主化」に取り組まれてきた嶋田さんですが、最初は仲間を探すことからのスタートでした。嶋田さんいわく、「RPAはお客さまのシステムをレコーディングして自動化するもの。それは技術難易度の高い領域」です。BizteX社が高い技術力のもとに進化し続けられるのは、嶋田さんのやりたいことを形にできるエンジニアの方との出会いがあったからでしょう。

BizteX社の立ち上げ当初、嶋田さんは「エンジニアのナンパ」もしていたそうです。カフェに行き、隣でMacを開いてプログラミングしているエンジニアに「何のコードを書いてるの?」と話しかけたり……。全く知らない人、しかも自分とは得意な領域が明らかに違いそうな人に声をかけるのはかなり勇気がいると思いますが、そこはさすが、とにかく「方法を問わず、目的に向かってどんどんやっていく」タイプの嶋田さんです。

こうして嶋田さんは、現在取締役兼CTOをやっておられる袖山さんと当時の顧問をしてくださっていた方からのご紹介で出会います。嶋田さんが袖山さんと一緒に仕事をしたいと思ったのは技術力もさることながら、考え方が素晴らしいと思ったのだそうです。そのことがうかがえる袖山さんのエピソードを一つご紹介します。「CTOって何が大事だと思う?」という議論に対して、袖山さんが答えていた内容は下記の通りだったそうです。

    ●袖山さんの答えていた内容

    「(CTOに大事なことは)3つある。1つは技術力。2つ目はエンジニアが活躍する文化を作れること。3つ目が自分より優秀なエンジニアをハイアリングする力だ」

逆に、袖山さんは嶋田さんについて、次のようにおっしゃっているそうです。

    ●嶋田さんが、袖山さんから言われた「嶋田さんと組んだ理由」

    • 初めから壮大なことを言いつつ、事業計画や企画書をしっかり作っていたので、その両方があったことがとても良かった
    • (うまくいかないことも)いろいろあるけど、当時の4年前から言っていることが変わらないよね

お聞きしていると、ちょっと胸が熱くなりますね。やはり、経営がしっかりされていると仲間も盤石になっていくということなのだと改めて感じます。

4 今、BizteX社の注目は「iPaaS」という新しい分野のクラウドサービス

さて、こうして「思い」や「出会い」が源泉となっている嶋田さんたちBizteX社、すごいところはいくつもありますが、やはり「誰でもすぐに簡単に使える」にこだわっているところが大きな特徴です。この点について、同社の2つのメーンプロダクト、クラウドRPA「BizteX cobit」とiPaaS「BizteX Connect」それぞれに関して、嶋田さんは次のように言っておられます。

    ●嶋田さんによる2つのプロダクトの特徴

    1.クラウドRPA「BizteX cobit」:

    • このクラウドRPAを着想した当初の課題感としても、当時のRPAはオンプレミス型(社内で構築するようなタイプ)で、その分構築期間も長くて、(金額も)高くて、難しいというものでした。
    • それを誰でも使える「民主化」に持っていきたいと思ったので、クラウド型のサービスにして、URLからアクセスしたらすぐ利用が可能で、低コストで、UIも簡単で使いやすいというポジショニングを取りました。

    2.iPaaS「BizteX Connect」:

    • iPaaSは「Integration Platform as a Service」の略で、システムの持っているAPIを活用するものです。
    • 例えば、顧客情報がSalesforceに入っていて、その顧客情報を使ってクラウド会計のfreeeにログインして請求書を発行する、という業務があったとします。両方ともAPIがあるので、APIでこれらを連携しようとすると、エンジニアの方が早くても2~3週間かけてコードを書く必要があります。
    • しかし、これをiPaaS「BizteX Connect」を利用すればプロダクト上であらかじめSalesforceとfreeeのAPIを繋いでおくと、あとはBizteX Connect上でポチポチとクリックすれば両者のシステムを繋ぐことができる。
      そういうプロダクトです。

iPaaS「BizteX Connect」については、

「エンジニアが3週間くらいかかってコードを書いてAPI連携させるものが、BizteX Connectを使うと、エンジニアではない人でも10~15分でできる」

と表現するのが一番分かりやすいかもしれません。このすごさ。生産性が向上するどころではありません。ビジネスの進め方、かかわるプレーヤーなどが大きく変わる可能性があります。

iPaaS「BizteX Connect」は非常に技術レベルの高いプロダクトで、日本国内のスタートアップ界では、BizteX社ともう1社の合計2社しか持っていない技術なのだそうです。

iPaaSを説明した画像です

RPAとiPaaSの違いを説明した画像です

BizteX Connectを説明した画像です

(出所:いずれも嶋田さんご提供のBizteX社資料)

5 RPA業界の現状と今後

現在BizteX社では、さまざまなパートナー企業と組んで「どのお客さまに、どういう業務の自動化をご提供できるのか」を具体的に提示する取り組みを始めておられます。そのほうが、RPAや自動化という言葉だけを聞くよりも、お客さまが具体的に活用方法をイメージできるからです。こうして具体的な活用イメージが分かるようになり、大手企業だけでなく地方の中小企業などにも広く導入されていくようになれば、日本全体の生産性向上に大きく貢献していくことでしょう。

海外と日本のRPA業界の現状と今後について嶋田さんにお尋ねしたところ、次のようなご回答をいただきました。

    ●嶋田さんによる海外と日本のRPA業界の今後

    【海外】

    • 海外では、RPAの領域は日本よりかなり進んでいて、10年ほど前からRPAの会社が出てきています。
    • 特に欧米を中心に、RPAだけでなくSaaSも日本より早く広がっているので、それらのシステム間連携にAPIを使ったほうがいいのではないかというところで、日本よりも6~7年ほど早くiPaaSの領域に広がっています。

    【日本】

    • 日本では、ここ数年RPAが注目されていますが、BizteX社で手掛けている領域で言うと、今後3~5年くらいにかけてとても盛り上がると予想されています。特に地方の中小企業に関しては、これからというところだと思います。
    • 日本でも(海外と同様に)RPAが広がった後はiPaaSが広がってくるでしょうし、SaaSが広がれば広がるほど、API連携の必要性というものも出てくると思っています。
    • また、日本の状況をマクロで見た時に、「労働人口が減っている」「働き方を改善しなければいけない」「DXしなければいけない」となった時に、エンジニアのリソースというのがとても貴重な時代になります。このとき、iPaaSの領域(エンジニアがコードを書くことなく、誰でも10分でRPAが実現できる世界)が非常に重要になるでしょう。

日本ではまだあまり語れる人のいないiPaaSのお話などは、とても勉強になります。そして嶋田さんのお話をお聞きしていると、言葉だけが独り歩きをしがちなRPAやDXなどの本来の意味、「働くすべての人の効率化を図り、意欲的に気持ちよく働ける環境を実現する」ということが、とても腹落ちする気がします。

6 BizteX社が実現したい世界

最後に、嶋田さんに改めて「BizteX社がこれから実現したい世界」を聞いてみました。

    ●嶋田さんのご回答

    BizteX社はオフィスワークの定型業務をRPAで補い、貴重なエンジニアのリソースをiPaaSで補うことができるので、人が本当に時間と労力を使うべき「企画やアイデア」のところ、そしてエンジニアも本来やるべき「自社のサービスを創ること」に時間を割けるようになります。私たちはそれをお支えしたいし、これからその重要性が増してくると思っています。

時代を先読みし、それに加えてお客さまのやっていることも把握し、適したサービスをご提供してお客さま、ひいては日本全体の生産性向上に貢献していかれる。素晴らしいですね。今回、改めてこれからの時代を見据えた新しい仕組みの重要性・必要性を実感しましたし、これからの世の中に非常に役に立つ、世の中のためになることを率先して推し進められている嶋田さんたちを、心から応援したいと思います!

以上(2021年6月作成)

労働判例の読み方 社会福祉法人・青い鳥事件(正職員だけの産前・産後休暇の延長、有給制等の不合理)

(日本法令ビジネスガイドより)
この記事は、こちらからお読みいただけます。pdf

【朝礼】序二段から返り咲いた大関に学びたい「前向きさ」

私は大相撲が好きで、テレビで観戦することも多いのですが、大相撲に関心のない人にも、ぜひ知っておいてもらいたい力士がいます。それは照ノ富士(てるのふじ)関です。照ノ富士関は2021年の三月場所で見事に優勝し、大関、つまり横綱に次ぐ番付に昇進しました。

実は、照ノ富士関はそれ以前にも大関だった時期がありました。ところが、膝のけがや病気などで本来の力を発揮できなくなり、大関から陥落します。その後も負け越しや休場が続き、番付は下から2番目の序二段にまで落ちてしまいます。

大関まで上り詰めた力士は通常、大関から陥落したときや、幕下という「関取」でない番付に下がったときに引退します。相撲は実力がものをいう世界で、番付によって給料はもちろん、付け人と呼ばれる世話係の有無、食事の順番など、待遇が大きく変わります。大関まで経験した人であれば、絶頂期と比べて天と地ほど違う待遇を甘んじて受けるより、「元大関」という肩書で第二の人生を歩むほうが、自然な選択といえます。

特に照ノ富士関は、横綱になることだけを考えてきたので、夢をほぼ断たれた状態でもありました。何度も師匠に引退したいと伝えたそうですが、そのたびに慰留され、まずはけがや病気の治療に専念することにしました。やがて、膝を手術し病気も回復してくると、再び土俵に立つことを決断します。そして、序二段から再スタートし、約2年かけて大関に返り咲くことができたのです。

照ノ富士関が大復活できた1つの理由は、本人も感謝しているように、引退を慰留し続けた師匠や、番付を落としているときに入籍した奥様をはじめとする周囲の人の支えがあったからです。

ですが最も大きな理由は、どんな状況になっても頑張り通せた照ノ富士関自身の前向きさにあると思います。体が言うことを聞かない、横綱になるという目標からどんどん遠ざかる、待遇が悪くなる、これまでの支援者が少なからず去っていく。失っていくものを見ていたら、キリがありません。ですが照ノ富士関は、それでも応援してくれる人のほうを見て、「応援していてよかった」と言ってもらえるように頑張ったといいます。

けがや病気に対しても前向きに取り組みました。再発を防ぐために、膝の負担が大きい力任せの相撲を改めるとともに、病気の一因となった酒を絶ちました。そして次第に、低い番付からの昇進を2度経験するのは、「どんな大横綱でも味わったことのない楽しさを味わっているのかも」と考えるようになったそうです。

私たちも、仕事で失敗したり思い通りにいかなかったりして、「もう辞めたい」と思うことが何度もあるはずです。そんなときは、照ノ富士関のように、「こんな自分でも、まだ期待してくれている人がいる」「ピンチだけど、こんな経験は何度もできない」と前向きに考えたいものです。そうすれば、もう少し踏みとどまって頑張ってみよう、という気持ちになれるはずです。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

社長が語る 私はM&Aによる事業承継をこうして決断した

書いてあること

  • 主な読者:自社の事業譲渡や、他社の譲り受けによる業容拡大を考えている社長
  • 課題:M&Aの経験がないので、実際に経験している他社の社長の考えを聞きたい
  • 解決策:売り手も買い手も、譲渡対象の会社の中で、残したいものは何かを明確にしておく

1 「こんなはずではなかった」では済まされないM&A

事業承継の方法の1つにM&Aがあります。社内で後継者を見つけられない、自社だけでは存続が難しいといったケースはますます増えており、M&Aは事業承継の重要な選択肢となっています。現状では「うちには必要ない」という会社であっても、あらゆるリスクを想定すべき立場にある社長なら、M&Aの可能性は常に意識しておくべきでしょう。

M&Aは、会社と社員の将来を左右し、しかも一度踏み出すと簡単には後戻りできない、重大な決断です。売り手であっても買い手であっても、契約してから「こんなはずではなかった」では済まされません。その一方で、異なる会社が1つになるわけですから、リスクがつきものです。社長にとって、最も難しい経営判断の1つです。

この記事では、事業を譲渡した会社の元社長と、事業を譲り受けた会社の社長へのインタビューを紹介します。いつか同じ立場になることをイメージしながら、参考にしてみてください。

2 事業譲渡の事例:エネルギー業界の将来の激変を確信し決断

前身から数えて約100年続く家業はしっかりと利益を出しており、跡取り息子も経験を積んできている。そんなタイミングで他社に事業譲渡し、息子は譲渡先の会社の平社員に。それを決断したのは、婿養子である3代目社長――。それでも「後悔したことは全くない」と胸を張れるのは、業界の先行きを誰よりも徹底して調べ、家族、社員、顧客にとって最善の選択をした、という自負があるからです。

1)婿養子の3代目社長

吉原祐司さんが埼玉県入間市のプロパンガス販売会社「吉原燃料店」に入社したのは1982年のことでした。結婚を機にそれまでの勤め先を辞め、妻の実家・吉原家の婿養子となったタイミングでした。それから約30年、吉原さんは、創業社長である義父と、その弟で2代目社長となる義理の叔父の下、事業の拡大に貢献。2011年、54歳で満を持して3代目社長に就任しました。

社長就任の際、吉原さんは自身に2つの役割を課しました。1つは会社の業績を伸ばすこと。そしてもう1つは、次の社長を育てることです。もちろん事業譲渡は頭の片隅にもなく、3年前に入社した長男にバトンタッチするまでには5~10年ほどかかるだろう、と考えていたそうです。

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2)政府の電力自由化宣言が転機に

ところが、社長就任の直前に発生した東日本大震災が、エネルギー業界、そして吉原燃料店に大きな影響を及ぼします。発端は2013年、政府が震災を受けてスタートさせた電力システムの改革によって、3年後に電力小売事業への参入を全面自由化すると公表したことでした。「自社が関わる業界が変わろうとしているのに何もしないのは、経営トップとして間違っている」。吉原さんは、電力自由化に伴うエネルギー業界への影響を、独自に調べ始めます。

吉原さんの調査は徹底していました。調査対象は国内のみならず、電力自由化の先進地域である欧州にまで及びました。文献だけでなく、あらゆる「つて」を駆使し、積極的に人と会って情報収集しました。エネルギー政策に詳しい国会議員、プロパンガスの納入先だった横田基地の米軍関係者、SNSで知り合ったフランス滞在歴の長いフランス語通訳……。地元の入間市に頼み込んで、市内の祭事のために来日していたドイツの姉妹都市の市議らの時間を割いてもらい、現地のエネルギー事情についてのヒアリングも敢行しました。

3)エネルギー業界で生き残るために事業譲渡を選択

こうして集めた情報から吉原さんは、「電力が自由化されれば、電力、都市ガス、プロパンガスはすみ分けができなくなる」と分析。そこで生じた最大の懸念は、「エネルギー業界が統合されても、吉原燃料店は商流の川上にいられるかどうか」でした。

「下流にいるだけでは価格も決められず、商売として面白くないし、先細りになってしまう」と考える吉原さんは、自社が電力を供給できる方法がないか調べることにしました。大手電力会社に電力を融通してもらえないか相談したところ、「埼玉県全域をカバーできるくらいの規模がないと、卸先として認めてもらえない」ことを実感。それなら、自社の営業領域でない埼玉県東部をカバーしている同業者を買収できないだろうか。こうして吉原さんは、M&Aのセミナーなどに参加するようになりました。

そうこうしているうちに、2016年4月の電力自由化まで残り1年半を切り、吉原さんは決断を迫られます。「電力自由化まで5年から10年あれば、他社を買収して自力で生きていけるかもしれない。でも、もう時間がない。吉原燃料店を存続させて先細りになっていくよりも、次の扉に手をかけるべきだ。電力を供給できる会社に事業譲渡すれば、社員はその大きな会社で営業所長にも役員にもなるための道が開ける」。そして、2015年末、吉原さんは自社の事業譲渡先を探すため、M&A仲介会社に相談します。

4)譲渡先の決め手は、小回りが利き社員と顧客を大切にする社風

M&A仲介会社からは、同業の全国40社の候補が紹介されました。吉原さんはそこから8社に絞り、担当者と面談を行いました。

譲渡先を選ぶ第一の基準は、社員と顧客を守ってくれることでした。譲渡後3年間は社員の待遇や会社の定款などを変えないこと。そして従来の地元の顧客を不安にさせないだけの知名度と営業力を持ち、プロパンガスの安定供給ができることなども条件に加えました。

吉原さんが譲渡先に選んだのは、県内のプロパンガス販売大手で既に電力事業も手掛けているサイサン(さいたま市)。決め手は「波長が合う会社だった」ことでした。他の有力候補の会社に相談すると返答までに2カ月半かかる課題を、オーナー経営であるサイサンは、副社長が「それでいきましょう。取締役会はなんとかなるでしょう」と即答できる会社でした。規模は大きくても小回りが利き、“小売り商人”の考え方が残っている。また、経営理念に大家族主義、お客様第一主義を掲げ、社員と顧客を大切にする。これが、サイサンの社風が「合う」と感じた理由でした。

5)家族や社員への説明

婿養子である吉原さんが吉原燃料店の事業譲渡に当たり、どうしても理解を得ておきたかったのが、妻と義母(義父は既に他界)、2代目社長である義理の叔父、長男の4人です。

まず相談したのは、次期社長候補だった長男でした。後継ぎとして会社に引き入れた手前、猛反対されることも想定していたそうですが、意外にも「朝礼でも月に1、2回は話していたので、親父が電力自由化後の会社の在り方について研究していることは知っていた。それで自分でも調べてみたけど、親父に賛成だよ」と、すんなり承諾してくれたそうです。「うれしいという部分もあったけれど、自分がうまく育てたなと思った」と笑う吉原さん。現在、吉原さんの長男はサイサンの一社員として、埼玉県内の別の支店で働いているといいます。吉原さんは、「父親に遠慮して、サイサンに残り続ける必要はないと彼に話している。それでも積極的に勤めているのだから、自分なりの考えを持って働いているのだろう」と長男を気遣います。妻や義母も吉原さんの考えに理解を示してくれました。

最も説得に苦戦したのは、義理の叔父でした。既に会社の株は保有していませんでしたが、「叔父には理解してもらいたい」との思いが強かった半面、「15回くらい話をして、それでもなんとか容認してもらえる程度だろうと覚悟していた」といいます。電力自由化に関して自分で調べたことを説明し、「家族、社員、社員の家族のため、そして社員がつないでくれているお客様にとって、一番いい選択」「吉原燃料店よりも、吉原の家を守りたい。会社の名前を残さなくても、皆が幸せならいいはず」と力説する吉原さん。最初は「言いたいことは分かった。考えてみる」、ときには「ちょっと間をおこうや」と難色を示していた義理の叔父ですが、2カ月半ほどたった6回目の話し合いで、「電力自由化のことを自分でも調べたけど、あんたの言っていることもあながち間違ってねーな」と言ってもらえました。それを受けて吉原さんは2016年6月、譲渡契約に調印します。

社員へは、契約に調印した当日、新社長を伴って開いた夕礼の場で説明しました。吉原さんは、社員が安心し、さらに希望が持てるように、当面は給料やボーナスなどは変わらないことと、頑張れば支店長にもなれると話したといいます。

6)気遣いが重要な譲渡後の統合作業

譲渡後も吉原さんは既存の顧客が混乱しないよう、顧問として3年間会社に残りました。譲渡後間もない時期、何かあるたびに話しに来る社員たちに対して、吉原さんは「違うだろ」と目で合図をし、新社長のところに行くように促したといいます。それを繰り返すうちに、社員の足は徐々に新社長に向かうようになりました。

新社長も、吉原さんや社員を気遣ってくれました。吉原さんにはしばしば、「社員に話をするには、このような表現でよいでしょうか」などと相談してくれたといいます。これに対する吉原さんの答えは、常に「いいんじゃないでしょうか、そうしましょう」。吉原さんは、「私も新社長も、お互いに会社のために、取るべき立場を守った。(自分が)いい会社にしようと本気になれば、譲渡先もいい人を派遣してくれるものだと思った」と振り返ります。

吉原燃料店は2018年9月にサイサンに吸収合併され、サイサンの入間営業所となりました。それを見届けた吉原さんは、その後間もなく身を引くことを決意します。

7)「調べ尽くし、考え抜いて計画を立てる。あとは計画の操り人形になる」

吉原さんは、「事業を譲渡したことの後悔は一度もない。なぜなら、後になって『こんなはずじゃなかった』とならないように、『自分の計画の操り人形になった』から」といいます。

自分自身のマインドマップを作って、会社の今後に関する計画を立てる。そのために、事前にあらゆる手を尽くして情報を収集し、思い込みを排除する。揺るがぬ計画さえ立てられれば、後はぶれないし、後悔することもない。

吉原さんの決断に対して、「プライドがないのか」と中傷する人もいたそうです。しかし吉原さんには、全く気にする素振りはありません。「自分のプライドより、社員や社員の家族、お客様の幸せのほうが大事。お客様がいいなら、会社の名前も残さなくていい。そういう道筋を作れたことは、恥ずかしいことではないし、今でも誇れることです」

(取材協力 株式会社日本M&Aセンター)

3 事業譲り受けの事例:先代社長との10年間の交流で譲渡会社の「心」を承継

後継者不在で身売りを考えていた同業の本家を、分家が72年ぶりに統合。本家は江戸末期から続く老舗ですが、分家の義理の息子は本家の屋号の承継を断り、自社(分家)の利益拡大路線にまい進します。ところがその10年後、本家の屋号の存続を断った分家の義理の息子は、本家の8代目襲名を決意。その理由は、統合後に10年続けてきた本家の先代社長との対話を通じて、本家に受け継がれてきた循環型社会を基とする「江戸時代の哲学」の価値に気付き、自社で“承継”したいと考えたからでした。

1)事業モデルの転換で妻の実家の豆腐屋を立て直す

8代目染野屋半次郎こと小野篤人さんが、妻の実家が家族で経営する豆腐屋「染野豆腐店」で手伝いを始めたのは、1999年1月のことでした。当時25歳だった小野さんは、米国の雑貨の輸入販売代理店業を営む“若き実業家”でした。

ところが、染野豆腐店で製造を一手に担っていた義父が、結婚後わずか2カ月で急逝。義母からの頼みと、親戚からの「豆腐屋は年間で1000万円ぐらいもうかるらしいよ」という甘い言葉に誘われ、本業の空き時間を使って豆腐の製造を手伝うことにしました。当時は豆腐に関する知識は全くなく、「お金を稼げるならいいや」という感覚だったといいます。

しかし、蓋を開けてみると、実際の染野豆腐店は年商300万円程度。主要な販売先は学校給食向けでしたが、少子化の影響で「完全に落ち目」の状態でした。そこで小野さんは、それまでの事業モデルの転換を決意し、個人客に狙いを定めました。原料の大豆を外国産から国産に切り替えるとともに、味や安全・安心にこだわった独自の製法を研究し、一丁110円だった売価を200円に引き上げました。そして妻とともに、自家用車を使った移動販売を始めました。倉庫から引っ張り出してきた豆腐屋のラッパを吹き、自作のチラシを配るという昔ながらの集客方法でした。顧客の反応も良く、小野さんは「本業と違って製造直販なので、商品を開発すれば売り上げは上がる。やりようによってはもうかるのでは」と手応えを感じたといいます。

そこで小野さんは、豆腐屋に専念することを決意し、雑貨の輸入販売代理店業を廃業するとともに、新たな手に打って出ます。2004年2月に地元の取手駅(茨城県取手市)の駅ビルに店舗を出店し、同年4月に有限会社染野屋を設立して自らが社長に就きます。新店舗も予想通りに大成功し、月間の売り上げが400万円程度にまで急拡大しました。

2)「渡りに船」で本家を統合

売り上げを伸ばす染野屋が突き当たった課題が、生産能力でした。それまでは住居と隣接した工場で、家族だけで製造していました。これ以上の生産量拡大には、工場のスペースも人員も足りません。工場を新設したくても、法人化したばかりの零細企業が融資を得られる見込みもなく、「これ以上前に進めない状況」でした。

そんな折、同じ取手市内にある染野屋の本家筋に当たる豆腐屋「半次郎商店」が、身売りを考えているという話を耳にします。半次郎商店は1862(文久2)年創業の老舗ですが、後継者が不在で、主要な販売先であるスーパーマーケットからの売り上げも減少。経営者である7代目染野屋半次郎こと染野青市(せいいち)さんは、既に80歳を超えていました。本家と分家とは資本関係はありませんが、経営者同士は遠縁に当たり、分家で豆腐が足りないときは本家に融通してもらうなどの協力関係が続いていました。このため本家としても譲渡には乗り気で、話はトントン拍子に進みます。小野さんは染野屋を法人化して2カ月後の2004年6月、半次郎商店を引き継ぎました。染野豆腐店が分家となって72年ぶりとなる本家と分家の統合でした。

統合の内容としては、小野さんが半次郎商店の工場の機械設備を買い取り、工場自体は賃貸の形で借り受け、10人弱の従業員と顧客を引き継ぎました。遠縁ということもあり、外部の仲介者も入らず、当初は賃貸借契約書も作成しなかったといいます。

3)売り手を落胆させた、売り手と買い手の思惑の違い

「良縁」に見えた両家の統合ですが、7代目の青市さんと小野さんとの思惑は全く異なっていました。実は青市さんはかつて、一度息子に会社を引き継いだのですが、息子に若くして先立たれてしまい、不本意ながら再び染野屋半次郎を襲名した経緯があります。新たな後継者候補も見当たらず、「歴代の半次郎に顔向けできない」が口癖だったという青市さん。当時31歳だった小野さんからの統合話を、「ご先祖様の取り計らいでつなげてくれた」と喜んだそうです。

一方の小野さんにとっての半次郎商店は、自社より10倍ほどの生産能力のある工場と、10人弱の従業員を持っているという存在でしかありませんでした。自分で立てた売り上げ計画を達成させるために、半次郎商店は「使うしかない。これでまた、ガンガン攻められる」という感覚だったそうです。

統合の内容を話し合っていた際、小野さんは青市さんから、半次郎商店の屋号を残し、8代目染野屋半次郎を襲名するよう何度も頼まれましたが、「それはできません」と断り続けたそうです。小野さんは、「当時は自分のことしか考えていなかったので、自社のお客様が混乱することだけを懸念していた」と振り返ります。そんなときの青市さんは、もう1つの口癖である「長生きはするもんじゃないな」と漏らしていたそうです。

4)「今日からここは僕の工場なんですよ!」

統合後の小野さんは、旧「半次郎商店」に対して、染野豆腐店を成功させたのと同じ手法で「破壊的に変えていく」作業を進めます。原料は国産に、製法も自分で開発した方法を導入します。

工場を引き継いだ初日のことです。小野さんは、効率を高めるために当時も当たり前のように使っていたという「消泡剤」としての添加物を、投入しないように指示します。また、味を良くするために、一般的な豆腐よりも濃度の高い豆乳を作るように指導しました。

こうした見慣れない製法に、70年近い豆腐製造の実績を持つ青市さんは、「こんな濃い豆乳は炊けない」と異を唱えます。これに対して、血気盛んな小野さんは、吐き捨てるように言い返しました。「今日からここは僕の工場なんですよ!」。寂しそうな顔をして、黙って立ち去っていった青市さん。それ以来、小野さんのやり方に口を出すことはなくなったといいます。

「今思い出しても心が痛む」と振り返る小野さんですが、後になって、青市さんが周囲の人に、このように語っていたことを知らされたといいます。「あれ(小野さんのこと)は頑固だな。ただ、ああいうのじゃないと、任せられないな」

5)先代社長への月1回の「表敬訪問」を10年続けて“半次郎の心”を承継

一度は衝突したとはいえ、同じ取手市内の親戚筋であり、工場は青市さんの家と隣接もしています。そこで小野さんは、従業員からの勧めもあり、月に1回、青市さんを表敬訪問することにしました。とはいっても、相手は50年の年長者。当初は「表敬訪問するのはもっともな話だが、面倒臭い。話は1時間も続かないのでは」と思っていたそうです。

ところが、表敬訪問を重ねるたびに、小野さんは青市さんの話に魅了されていきます。第二次世界大戦中に、志願兵として参加した東南アジアの戦地での話、豆腐工場の燃料をまきからボイラー式に変えたときの話……。何より、経営者として30年以上の実績があり、同じ経営者という立場で、染野屋を盛り上げたいという思いを共有している相手と話ができることに、小野さんは喜びを感じました。いつしか2人は、世代を超えた「親友」の仲になりました。旧「半次郎商店」の従業員と小野さんとの間にトラブルらしいトラブルがなかったのは、2人の関係が親密になったことも影響していると、小野さんは思っています。

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青市さんとの会話を重ねることで生じた最も大きな変化は、「お金中心で物事を判断するキャピタリストそのものだった」という小野さんの考え方でした。「お金を稼ぐのは1つの正義だが、地球環境というお金に換算されていない資産を食い潰していては、地球という閉鎖された世界全体で見ると稼いだことにならない」。小野さんが感じていたキャピタリズムの矛盾点の解決策が、青市さんを通して感じた江戸時代にあると知ったのです。

「江戸時代の香りがする」。これが、小野さんが青市さんに抱いた印象でした。ご先祖様を常に意識し、伝統を重んじ、自分の欲得やお金で物事を判断しない。皆が助け合って生きていく「和合精神」の持ち主で、愛や思いやりに満ちあふれている。そんな青市さんの価値観は、環境破壊や廃棄物が限りなくゼロに近い“超循環型社会”を実現させた江戸時代の哲学そのものであり、それこそ「心が温かくなる“本物”のキャピタリズム」だと、小野さんは感じるようになりました。そして自然と、「染野屋半次郎という名を継ぎたくなった」といいます。

小野さんが8代目染野屋半次郎を襲名した2014年の暮れに、青市さんは96歳で息を引き取りました。最後に会った病室で、青市さんが笑顔で小野さんに語った最期の言葉は、青市さんのかつての口癖と真逆のものでした。「長生きはするもんだな。もう悔いはないよ。あとは任せたよ」

6)社風となって生き続ける“半次郎の心”

小野さんが青市さんとの会話を重ねた10年間は、染野屋が急成長を遂げた10年間でもありました。売り上げは、小野さんが豆腐屋に入った頃の約400倍の年間12億円程度まで増えました。小野さんは、「もし半次郎の哲学を承継していなければ、急成長はできたかもしれないが、成熟する前に弾けてしまったと思う」と話します。

今の成熟した染野屋には、「目指したのは江戸時代のとうふづくり」というスローガンがあり、「持続可能な社会の確立」が企業理念になっています。そして小野さんは、自身を「環境実業家」と形容して経営判断を行っています。

例えば、染野屋が開発した大豆由来の「SoMeat(ソミート)」は、森林破壊や二酸化炭素排出につながる肉の生産の代替とするために考案したものです。また、取引の可否を判断する際は、自社の損得だけでなく、取引先にとっても利益になるかを考えるよう、幹部にも徹底させているといいます。

小野さんは、「7代目はきっと、『やっと分かったか、若造』と思いながら見ていると思います。染野屋半次郎は僕が承継したのでなくて、彼が僕に承継させたのでしょうね」と、親友との思い出を懐かしみながら笑顔を見せました。

4 残したいものは何なのか

吉原さんは、会社を他人に譲渡してでも、従業員に将来の希望を残したいと考えました。小野さんは、工場と従業員を得るために本家を統合しましたが、後になって本当に受け継ぐべきものは先代が残した江戸時代の哲学だと気付きました。事業譲渡の際の評価額は大事な要素ですが、契約後に「こんなはずではなかった」と後悔しないためには、譲渡する側も譲り受ける側も、「残したいものは何なのか」を明確にしておくことが重要なのかもしれません。

以上(2021年6月)

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画像:インタビュー先から提供

【朝礼】あなたの努力に心から感謝しています

この数週間のうちに、仕事で立て続けにミスをした社員がいます。それは、我が社にとって重要なお客様の仕事でした。その社員は余計に落ち込んでいました。しかし、私はその社員のミスをとがめる気は全くありません。むしろ、そのミスは未来に花開くための価値ある失敗であり、これにへこむことなくチャレンジしてほしいと応援しているのです。

私がこう思うのは、その社員の努力を知っているからです。我が社がデジタル化を進めていることは、皆さんもご存じのはずです。その社員はこの方針を理解しているだけではなく、具体的な行動として勉強し、資格を取得し、実務に活かそうともがいています。

かつて私も同じことをしたので分かりますが、一定の立場になった社会人が働きながら勉強するのは本当に大変です。平日は残業があるなど、夜遅くでないと勉強ができません。休日も、プライベートの時間を削って勉強することになります。そうした努力を積み重ね、この社員は資格を取得したのです。素晴らしいです!

一方、資格の勉強と実践とは全く違います。勉強をして知識を得れば、いろいろと試してみたくなりますが、慣れないことをすればミスもします。真剣に取り組んだ結果のミスなら、それは「良いミス」です。人は良いミスを繰り返しながら成長し、プロフェッショナルになっていきます。その社員はそうした道を歩み始めています。

人が成長期に入るとオーラを発します。日ごろ、人の成長と本気で向き合っている人なら、すぐに分かります。実際、私と親交の深い経営者仲間は、私やその社員と30分ほどオンラインで話しただけで見抜きました。その経営者は私に聞いてきたのです。「あの社員、すごく成長した気がするけど、何かきっかけがあったの?」と。経営者仲間は、知り合いの成長を喜ぶと同時に、自分の会社でも取り入れられることがないかと思い、質問してきたはずです。それほどまでに、経営者にとって社員の成長はうれしいものなのです。

さて、人が成長期に入ると、【活動エンジン】のパワーが格段に上がります。その根本的な動力はどこから生まれてくると思いますか?

私は、その社員の夢と会社の方針の一部がリンクし、明確な目的となったことだと思います。人は目的があると、進むべき道、やるべきことに迷わず努力を続けることができます。実際、その社員は、格上の人にも臆せず教えを請うています。それに、必要な勉強会などの費用を遠慮せずに会社に申請しています。今、その社員は「大変だけど、すごく楽しい」と感じているはずです。

皆さん、1週間に30分でもいいので、自分磨きの時間を持ってください。そして、考えてほしいのです。仕事でもプライベートでもよいので、「自分が成し遂げたいことは何なのか」と。皆さんが成長期に入るきっかけは、こうした問いにあるのです。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda