企業不祥事から見るガバナンス不全と内部通報制度の必要性について

主な読者:内部通報制度の導入やガバナンス態勢の構築に取り組む経営者様

ポイント:

  • 日本企業では不正やハラスメント内部通報体制が遅れている(未対応企業7割弱)
  • 消費者庁もついに1万社を対象に内部通報制度の実態調査に乗り出す
  • リスク管理、企業価値向上への内部通報制度の寄与
  • 機能する内部通報制度の5要件(リスクマネジメントの観点から)

1 日本における内部通報制度の課題について

2000年代前半の企業不祥事をきっかけにガバナンス態勢の構築の必要性が高まり、様々な法改正や仕組が導入され、昨年は公益通報者保護法や個人情報保護法の改正、パワハラ防止法の施行等によって法的には厳格化されましたが、昨今の有名企業による企業不祥事で、ガバナンス態勢が機能していないことが露呈することになりました。中古車販売のビッグモーターや日大アメリカンフットボール部の事件でも内部通報等への対応に不備があり、ジャニーズ事務所の性加害問題や宝塚歌劇の長時間労働やハラスメント等では人権問題に関連した不祥事が隠蔽されてきました。今後、求められるガバナンス態勢を確保し、企業価値の向上や不祥事の防止に繋げるには、やはり経営者や役員等がリスクに真正面から向き合い、適切にリスクを管理し、危機に対応する覚悟を持つことが求められます。

実際に、デロイトトーマツグループの調査では、不正やハラスメントの内部通報に対し、日本企業は他のアジア太平洋地域の企業に比べ反応が鈍い傾向があることが示され、パーソル総合研究所の就業者4000人に聞いた調査では、社内相談・通報窓口が「ある」もしくは「あった」と答えた人は40.3%にとどまり、帝国データバンクの全国約2万7000社の調査では、公益通報者保護法に「対応している」のは19.7%にとどまり、「対応していない」企業は66.4%にのぼっており、実効性に課題がある実態が浮かび上がっています。

こうした状況を受けて、消費者庁は上場企業約4000社を含む国内1万社を対象に、アンケートを送付して内部通報体制の実態を調査し、通報に対応する担当者の有無や内部規定の策定等の状況を尋ねる予定です。また、消費者庁への内部通報に関する問い合わせも多く、専用ダイヤルへの相談は22年度に3174件、23年度も4~9月の6カ月で1602件となり、事業者が取り組むべき内容や制度の意義をわかりやすく伝える動画教材、法律で策定が義務付けられている内部規定のサンプルなどをホームページで公開する予定となっています。

公益通報者保護制度への対応

(出所:帝国データバンク「公益通報者保護制度に関する企業の意識調査(2023年11月30日)」)
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/p231113.html

2 内部通報制度と公益通報者保護法

内部通報制度とは、企業内部の問題を知る従業員から、経営上のリスクに係る情報を可及的早期に入手し、情報提供者の保護を徹底しつつ、未然・早期に問題把握と是正を図る仕組みです。目的は、自浄作用の発揮とコンプライアンス経営を推進し、安全・安心な製品・役務の提供と企業価値の維持・向上を図ることであり、公益通報者保護法においても設置が求められています。尚、公益通報者保護法は、自動車のリコール隠しや食品偽装など、消費者の安全・安心を損なう企業不祥事が、組織内部からの通報を契機として相次いで明らかになる中で、事業者の法令遵守を推進し、国民の安全・安心を確保するために2006年に施行されました。

しかし、その後も企業の不祥事が後を絶たず、内部通報制度が機能していない実態から、2022年6月に3つの目的を実現するために改正されました。目的の一つ目は、事業者自ら不正を是正しやすくすると共に、安心して通報を行いやすくすること、2つ目は行政機関等への通報を行いやすくすること、3つ目は、通報者がより保護されやすくすることです。

また、この法改正では大きく6つの改正点がありましたが、1つ目が組織への義務化であり、従業員300名超の規模の組織に内部通報制度の導入と内部通報対応業務従事者を定める事が義務付けられました。2つ目は、罰則規定の追加であり、組織に対しては企業名の公表等の行政罰、内部通報担当者の守秘義務違反には刑事罰が科されることになりました。3つ目は保護要件の拡大であり、氏名等を申告すれば行政通報も保護対象となり、報道機関等への外部通報の制約も緩和されました。4つ目は、通報主体が拡大して退職者や役員が保護対象に加わった事であり、5つ目は通報対象事案が拡大して対象通報に行政罰の対象事案が追加されたことです。最後の6つ目は保護内容の拡大であり、解任された役員の会社への損害賠償請求が可能となり、逆に公益通報をしたことを理由とした会社からの損害賠償請求が禁止となり、通報者の保護が更に強化されました。

公益通報者保護法改正の概要

(出所:ARICEホールディングスグループ作成)

3 内部通報制度を活用した企業価値の向上

公益通報者保護法に基づいた機能的な内部通報制度の導入は、継続的なリスクアセスメントという位置付けにおいて企業のリスクマネジメントに大きく貢献し、企業価値の向上をもたらします。具体的なリスク管理への効用としては、まず企業のリスク管理体制があり、リアルタイムでリスク情報が上がってくる仕組みを作ることで、自浄作用を働かせ、早期にリスクへの対応が可能となります。次に内部通報制度が機能することで、誰かに通報される可能性があるという認識が生まれ、不正行為や違反行為を抑制する機能が働くと考えられます。3つ目に経営陣の管理義務や注意義務、内部統制システム構築義務を果たすことになるため、株主代表訴訟等のトラブルの回避にも繋がることが想定されます。最後の4つ目は社外への通報の抑制であり、内部通報制度の構築によって社内に通報するという仕組みを作っておくことで、不要な外部への告発を抑制し、企業のブランドや信用を守ることが可能になります。また、企業価値への効用としては、まず内部通報制度を構築し、健全な経営を目指すことで、企業風土の改善につながり、従業員へのモチベーションアップが期待できますし、取引先やお客様、求職者等のステークホルダーからの信用力の増大がもたらされ、企業価値を高めることにもつながります。

内部通報制度を活用した企業価値の向上

(出所:ARICEホールディングスグループ作成)

4 リスクマネジメントとして機能する内部通報制度の5要件

しかし、リスクマネジメントとして機能する内部通報制度を構築し、企業価値の向上を実現するには、単に法律の要件を満たしているだけではなく、その運用において以下の5つのポイントを抑えることが重要だと考えられます。まず1つ目が、内部通報制度の意義や目的の共有であり、公益通報者保護法に基づき、内部通報制度の目的や重要性が周知されている事が求められます。具体的には、経営トップのコミットメントとして、内部通報制度の意義や重要性・役割のみならず、通報者に不利益を与えないことや通報に関する秘密保持の徹底、利益よりも企業倫理を優先すること等を共有する事が求められます。2つ目は、環境整備です。内部通報規程を策定し、通報窓口や責任者、通報対象者や通報対象事実、利益相反の排除等のルールを明確にすると共に、通報の利便性を向上させ、通報者の不安を排除し、運用実績を開示する等の工夫が必要です。3つ目は、適切な運用です。通報に対する安心感を醸成する為に、通報の受領や進捗の通知、通報対応の検証・点検を行い、適切な資源配分や予算に基づいて担当者の配置や教育・研修等を行うと共に、必要な権限を付与することも重要です。また、従業員にも協力義務を課し、人事考課の対象とすることで運用への意欲や士気を高めることが可能になります。4つ目は通報者の保護です。機密保持の重要性を通報者も含めて共有し、匿名通報の受付や違反者に対する措置を明確にし、通報者の探索の禁止や専用回線の設置、調査の工夫や情報管理の徹底を行うことも重要です。最後の5つ目は、その他の措置ということで、自主的に通報を行った場合の処分減免措置であるリニエンシー制度や報奨制度の導入、不利益の有無や是正措置の状況の確認と継続的な改善や教育、理解度を把握してフォローアップする仕組みやステークホルダーと内部通報の運用状況を共有する仕組み作り等が考えられます。

リスクマネジメントとして機能する内部通報制度の5要件

(出所:ARICEホールディングスグループ作成)

以上(2024年1月)

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画像:polkadot-Adobe Stock


提供:ARICEホールディングスグループ( HP:https://www.ariceservice.co.jp/
ARICEホールディングス株式会社(グループ会社の管理・マーケティング・戦略立案等)
株式会社A.I.P(損保13社、生保15社、少額短期3社を扱う全国展開型乗合代理店)
株式会社日本リスク総研(リスクマネジメントコンサルティング、教育・研修等)
トラスト社会保険労務士法人(社会保険労務士業、人事労務リスクマネジメント等)
株式会社アリスヘルプライン(内部通報制度構築支援・ガバナンス態勢の構築支援等)

大河ドラマ「光る君へ」で注目の紫式部。源氏物語に込めた想いが分かる一言とは?

日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々(みちみち)しく詳しき事はあらめ

紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代中期の作家で、2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公でもある、日本文学を代表する一人です。貴族・藤原宣孝(ふじわらののぶたか)の妻だった彼女は、あるとき夫を病気で失い、悲しみを紛らわすため、恋多き皇子・光源氏(ひかるげんじ)のストーリー「源氏物語」を書き始めます。

幼い頃から漢文や歴史書を読みこなすなど、教養にあふれていた彼女の文才は、多くの人を引き付け、やがて彼女は宮中に招かれます。そして、時の権力者・藤原道長(ふじわらのみちなが)の娘で、天皇のきさきである彰子(しょうし)の世話係を務めながら、源氏物語を書き続けるのです。

冒頭の言葉は、源氏物語の中で光源氏がある女性に対して言ったせりふで、「歴史書に書かれていることは、世間の出来事のほんの一部にすぎない。本当に大切なことは、物語の中にこそ詳しく書かれている」という意味です。架空の人物のせりふですが、紫式部自身の「物語」に対する思いをよく表した言葉でもあります。

紫式部が活躍する以前から、日本には「竹取物語」のようにさまざまな物語がありました。ただ、彼女は、竹の中から見つかったかぐや姫が月に帰るようなおとぎ話ではなく、もっと人々の現実的な生活や心情を描きたいと考えていました。幼くして母を亡くしたり、夫が他の女性に懸想(けそう)してしまったりと、つらい経験を重ねてきた紫式部は、自分の人生や心に抱えるものを投影できる場を求めたのです。それが源氏物語でした。

紫式部は、人付き合いが苦手で目立つことを嫌うなど、意外とネガティブな一面があったようですが、やがて彼女はにぎやかな宮中で、宮仕えと作家の兼業というハードな生活を送ることを選択します。それは、皇子である光源氏をよりリアルに描くには、彼女自身が宮中の様子をよく知らなければならないと考えたからです。実際、彼女は壮年期の光源氏の人物像を考えるに当たり、自分の雇い主である藤原道長をモデルにするなど、宮中での生活を大いに物語に活かしたようです。

紫式部の物語に懸ける思いは、経営者の会社に懸ける思いにも通じるものがあります。会社が人々から愛されるには、まず経営者自身の中に「事業を通して社会にこんなことを成し遂げたい」という強い思いがなければいけません。そして、熱意だけでなく、会社のステージに合わせて足りないものを貪欲に吸収していく度量がなければ、会社は成長していきません。心理的に新しい技術や価値観を受け入れにくいときもありますが、そこを乗り越えていくことが大切です。

1000年を超えてなお人々に愛される源氏物語。その人気は、物語に投影された紫式部の熱意と、それを十分に読者に伝えるために行われた宮仕えという“緻密な取材”に裏打ちされたものであるといえるでしょう。

           

出典:「源氏物語(5)現代語訳付き (角川ソフィア文庫)」(玉上琢弥、KADOKAWA、2014年12月)

以上(2024年1月)

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【規程・文例集】役員退職金規程で必ず確認すべき3つの条項

書いてあること

  • 主な読者:役員退職金規程が未整備、またはひな型をそのまま使っている経営者
  • 課題:役員退職金規程を整備するとしても、どこに注意すればよいのか分からない
  • 解決策:役員退職金規程の適用範囲、支給算定基準、支給時期などを見直す

1 役員退職金規程を整備する際の留意点

役員退職金の支給にはさまざまなルールがありますが、「役員退職金規程」を整備することで、客観的に計算方法などを示すことができます。とはいえ、インターネットで公開されているひな型をそのまま使うと、自社の実情に合わず、思わぬ問題が生じることがあります。

そこで、この記事では、ひな型で出てくる条文をどう見直せばよいのかについて、弁護士が解説します。紹介するのは、特に重要な定めである、

適用範囲、支給算定基準、支給時期

の3つです。

2 適用範囲

1)ひな型でよく見る条文

第●条(適用範囲)

本規程は役員の全員に適用する。

第●条(非常勤役員の取り扱い)

非常勤役員については、その功労実績に基づき本規程以外の取り扱いをすることができる。

2)見直しのご提案

第●条(適用範囲)

本規程は常勤役員(職員に準じて勤務する役員および1週間のうち決まった曜日に勤務する役員をいう)に適用する。

第●条(削除)

3)弁護士からのワンポイントアドバイス

全ての役員(取締役または監査役)が対象であることを前提とするひな型がありますが、社外役員に対する役員退職金などの取り扱いは、きちんと定める必要があります。

3 支給算定基準

1)ひな型でよく見る条文

第●条(支給算定基準)

退職金の支給は、退任時の最終報酬月額を基準として、退任する役員が歴任した役位ごとに次の計算式により得られる額を累計し、その総額とする。ただし、総支給額に1000円未満の端数が生じたときは1000円に切り上げるものとする。

退任時の最終報酬月額×役員在任期間(年数)×各役位別の功績倍率

2)見直しのご提案

第●条(支給算定基準)

退職金の支給算定基準は、歴任した役位ごとに次の計算式により得られる額を累計し、その総額を基準とする。同一の役位に在任中、報酬月額に変動がある場合は、そのうちの最高報酬月額を基準とする。ただし、役位ごとの支給基準額に1000円未満の端数が生じたときは1000円に切り上げるものとする。

役位別の報酬月額×各役位の役員在任期間(年数)×各役位別の功績倍率

3)弁護士からのワンポイントアドバイス

条文例は退任時の最終報酬月額を基準に退職金を計算していますが、役位ごとの報酬月額を基準とするように修正しています。役位ごとに基準額を算出しているので透明性が高まっています。また、役位在任中に報酬月額の変動がある場合は、各役位に係る最高額または最終額を用いる例が多いです。

4 支給時期

1)ひな型でよく見る条文

第●条(支給時期)

退職金は、役員が業務の引き継ぎを完全に終了させ、かつ、会社に対して返済すべき債務があるときは、その債務を返済した日から○カ月以内に一時金として支給する。

2)見直しのご提案

第●条(支給時期)

退職金は、役員が業務の引き継ぎを完全に終了させ、かつ、会社に対して返済すべき債務があるときは、その債務を返済した日から○カ月以内に一時金として支給する。ただし、経済界の景況、会社の業績いかん等により、当該役員またはその遺族と協議の上、支給の時期、回数、方法について別に定めることができる。

3)弁護士からのワンポイントアドバイス

ひな型でよく見る条文では、一時金として支給時期が記載されています。しかし、会社の状況によっては、一時金として支払うことが難しい場合もあるので、支払時期について協議の余地を残しておくと無難です。

以上(2024年2月更新)
(監修 Earth&法律事務所 弁護士 岡部健一)

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IT導入補助金2024のご紹介

中小企業等を支援する国や自治体の補助金・助成金事業では、雇用・人材開発・IT補助・コロナ支援など幅広いジャンルの支援があります。
本レポートでは、おすすめの補助金・助成金について支援の内容や対象条件、申請方法等についてわかりやすく紹介します。

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2024年度税制改正大綱のポイント~短期的にはデフレ脱却優先の減税措置、中長期的には法人増税を示唆~

(要旨)

  • 政府は2024年度税制改正大綱を閣議決定。大枠としては①企業向け減税を筆頭に「新しい資本主義」の趣旨である官民一体投資路線を強化、②短期的には所得・住民税の定額減税をはじめデフレ脱却のための減税措置を優先、③一方、扶養控除廃止や法人増税の示唆といったように、将来の増税方針が並ぶ形となっている。
  • 所得・住民税の4万円の定額減税は所得制限が加えられる形に。開始時期は2024年6月だが、月の税額が減税額に満たない場合には翌月以降に繰り越される。一定の所得者でも扶養家族が多く減税総額が多い場合には、2024年6月に減税額すべてを引ききれないケースは相応にあると考えられる。減税による消費押し上げ効果もその時期は散ることになりそうだ。
  • 企業向け減税が新設。「戦略分野国内生産促進税制」は重要物資への投資ではなく「生産」にインセンティブを付与する減税に。「イノベーションボックス税制」は知的財産から得た所得の一定割合の損金算入を認める。それぞれ10年、7年の長いスパンで実施され、企業の予見可能性を高めることで投資を促すことを目指す。賃上げ減税は大企業向けでより高い賃上げ率を求める形に要件が厳格化される。
  • 高校生期の扶養控除は維持/縮小/廃止の3案で議論が進められていたが、縮小でまとまった。いずれの所得層でも児童手当による収入増を控除縮小による増税が上回らないように設計される。防衛増税は2024年からの実施は見送られた。
  • 大綱では今後の法人増税を示唆。「新しい資本主義」の下で脱炭素や防衛、子育て、経済安保などの施策が歳出先行で実施される中、将来の財源確保のオプションとして法人税が挙げられた形。所得税・消費税の増税ハードルはより高く、法人税への風当たりは強まりそうだ。
  • 今回は議論されなかったが、ブラケット・クリープへの対応など税・財政のインフレ調整は今後論点になりうる。物価・賃金の上昇が定着するならば、名目額で定められた制度はその額を定期的に見直す必要が生じてくる。

2024年度税制改正大綱閣議決定:短期減税/長期増税

政府は令和6年度税制改正大綱を閣議決定した。様々な改正が実施されることになるが、マクロ経済目線では、①企業向け減税の新設を筆頭に「新しい資本主義」で掲げる“官民一体投資重視”の姿勢を継続、②短期的にはデフレ脱却を優先する形で減税措置が中心に、③一方で、所得・住民税における扶養控除の縮小、中長期的な法人増税の示唆、防衛増税など、中長期的には増税によって減税・歳出先行のバランスを整える、といった考えのもとで改正が志向されていると整理できる。

定額減税+給付金で家計を下支えへ、制度設計は複雑化

11月決定の総合経済対策でも示されていた通り、24年6月から家計向けに所得税・個人住民税の定額減税(計4万円、扶養家族がいる場合には一人当たり4万円増額)が実施される。納税のない住民税非課税世帯への給付金(補正予算で措置済み)のほか、納税額が減税額に満たない世帯についても1万円単位での給付金を予備費で措置する方向だ。

また、定額減税については所得制限の実施有無が論点となっていた。所得1805万円超(給与所得者なら年収2000万円超)の際には定額減税の対象外とすることとされた。源泉徴収の給与所得者について、月の源泉徴収額が減税額に満たない場合には翌月以降から残額を減税する形となる。扶養家族が多い場合などは減税額全てを開始月の2024年6月に引ききることができず、7月以降に減税完了が遅れるケースが生じてくることになる。一定の前提を置いて終了時期を試算したものが資料1だ。ある程度の所得があっても扶養家族が多い場合には減税額が大きくなり、6月に引ききれないケースが生じる。所得・住民税の定額減税規模は3.5兆円程度だが、一部については時期が後ずれすることから、所得減税による消費押し上げ効果に関しても時期が散ることになりそうだ。

定額減税の完了時期の試算

既に指摘されているように、家計向け還元策は定額減税と非課税世帯や低所得世帯への給付を組み合わせた複雑な制度設計となっている。足もとで個人消費の低迷がみられる中、消費の下支え策を打つことには一定の理があるものの、定額減税の効果は24年6月以降に散る形となりタイミングは遅れる。政策目的がデフレ脱却をより確かにするための消費喚起、であったのならば、一律給付金が迅速性、制度簡素化の双方の観点でベターだったように思われる。

戦略分野・イノベーション税制を新設、大企業向け賃上げ減税はインセンティブ強化

法人課税では新たに「戦略分野国内生産促進税制」が新設される。企業に重要物資への設備投資を促すものだが、従来の設備投資減税と異なるのは減税額を計算する際のベースが「投資」ではなく「生産」である点だ。投資時のみでなく生産に対しても減税措置を設け、重要物資の国内供給を促す。対象となる物資は電気自動車等(蓄電池)、半導体、環境負荷の少ない鉄鋼・基礎化学品・航空燃料。減税期間を10年間の長期に設定している点も大きな特徴だ。

もう一つ新設となるものが「イノベーションボックス税制」だ。24年度以降に取得した特許などの知的財産権の譲渡・貸付によって得た所得について30%の所得控除(損金算入)を認める。2025~2032年度までの7年間で行われ、こちらも期間が長期にわたる点が特徴である。従来から政府は財政政策の単年度主義の弊害是正を掲げ、政策スパンを長くとることで企業の予見可能性を高め、これを民間投資喚起の呼び水とすることを目指してきた。そうした路線に沿った2つの新税制である。

賃上げ減税(所得拡大促進税制)については3年延長(2024~2026年度)したうえで、大企業分を対象に適用要件を厳格化する。この税制は給与増加額の一定割合を税額控除できるものだ。資料2の通り賃金増加率(継続雇用者給与等支給額の増加率)に応じてより大きく控除率が変動する枠組みとし、企業に対してより高い賃上げを促す。また、中小企業分については5年間の繰越欠損の仕組みを設け、赤字を繰り越せるようにする。中小企業の多くが欠損法人(赤字)であり法人税納税がなく、減税効果が及ばない点に対応したものだ。黒字/赤字の波がある企業には有効だが、恒常的に赤字計上を続ける企業には効果が及ばない点は変わらない。

また、従来からある教育訓練の実施した際の控除率上乗せ措置に加え、女性活躍、子育て環境整備の要件(プラチナえるぼし、プラチナくるみん認定)を満たした場合の上乗せ措置が追加される。賃金以外にも教育訓練の充実や働く環境整備に対してインセンティブのある制度となる。

大企業の賃上げ減税改正前後の控除率

扶養控除は縮小路線明示の一方で決定は来年に。防衛増税の開始時期具体化は見送り

少子化対策として高校生期に児童手当の拡充が行われることに対応して、高校生期の扶養控除の縮小が明記された。所得税の控除を38万円から25万円に、住民税の控除を33万円から12万円に縮小する。控除を廃止した場合には、児童手当の増加を扶養控除廃止による増税が上回る世帯が高所得層において発生するが、児童手当の増額分をいずれの収入層でも上回らないように増税幅を抑えた形である。児童手当の拡充が少子化対策として行われることに配慮したものだが、児童手当増額分を減殺することにはなる。高所得者への恩恵が大きくなる控除から一律の手当へ、という方向性に沿ったものだが、結果として子育て世帯間での所得再分配の性格が強まり、少子化対策としての性格は薄れる形になっている。開始は2026年分以降の所得税(27年度分以降の住民税)とすることが想定されている。改正内容が明示される一方で、本決定は次回の税制改正に持ち越されることとなった。

また、昨年の大綱では防衛増税(所得税・法人税・たばこ税)の内容が明示され、実施時期を2024年以降のタイミング、としていた。今回大綱では「適当な時期に必要な法制上の措置を講ずる趣旨を令和6年度の税制改正に関する法律の附則において明らかにする」として、開始時期具体化は見送られた。所得税の定額減税を実施する一方で、所得税を含む恒久増税を実施すれば、定額減税が増税のためのバーターに映ってしまう点などを考慮したためと考えられる。

中長期的な法人税率引き上げを示唆

今回の税制改正の特徴としては、短期的には家計向けの所得・住民税減税や企業向けの設備投資減税など減税措置が実施される一方で、中長期的には防衛増税や扶養控除の廃止などの増税措置が据えられている点である。

さらに今回大綱で、「今後、法人税率の引き上げも視野に入れた検討が必要」として中長期的な法人増税が明示されている点はインパクトがある。さらに「近年の累次の法人税改革は意図した成果を上げてこなかったと言わざるを得ない」と強いトーンで従来の法人減税路線を否定している。法人税増税の根拠として、①各種の租税特別措置と合わせ、投資や賃上げ還元に消極的な企業へのディスインセンティブを強化する観点、②世界的な法人税引き下げ競争の回避の潮流の下で、海外諸国が官民投資促進策の財源として法人税増税を選択している点などが挙げられている。財政当局としては、岸田政権の下で「新しい資本主義」を掲げ、脱炭素、防衛、少子化対策といった施策が歳出先行で進められるもと、法人税増税を財源確保のオプションとして据えたい意図があるのだと考えられる。将来に向けた地ならしであろう。基幹3税のうち、所得税は賃上げを求める中で明確な増税路線を示すことは難しいほか、消費税は社会保障財源としての紐づけを行ってしまったため、他政策の財源としては打ち出しにくい。消去法的な側面もあるが、法人税に対する風当たりは強まっていく可能性が高そうだ。

法人税率の引き上げが進む場合、租特の影響を除いても賃金還元を増やしうる要素は確かにある。人件費は企業会計では損金なので、人件費を増やせば最終利益が減って納める法人税は減る。法人税率引き上げは納税額を抑えるために利益を減らすインセンティブを高めることから、損金である賃金還元を増やす側面がある。しかし、企業が将来のキャッシュフローの減少を見込むことで賃金還元に対する慎重姿勢を強める面もあると考えられ、どちらが勝るのかは定かではない。一方で、素直に法人税増税がマイナス要因となるのは株価であろう。税引き後の当期純利益から拠出される配当の減少要因となる。教科書的なモデルでは株価は将来分も含めた配当総額の割引現在価値である。

論点化しなかったインフレ調整

11月の経済対策の議論の中で、野党からブラケット・クリープへの対応を求める声が挙がった。所得税や住民税は名目額で税率の境目が設定されており、インフレ進行のもとでは限界税率の上昇に伴う手取り額の実質的な目減りが進みやすくなる。今回改正で議論があるか注目していたが、盛り込まれなかった。

インフレ調整は、物価指数に対するスライドの仕組みを取り入れている公的年金給付などでは問題にはならないが、所得税のブラケットや児童手当の支給額など、名目額で「XX円」と決まっている制度の場合にはインフレに合わせて適当なタイミングで額を見直す必要が出てくる。長年、明確な物価上昇が生じなかったためこの点はさして問題にはならなかったが、物価上昇が今後定着するならば税・財政の各種制度のインフレ調整が改正議論の俎上に載ってくる可能性は高いと考えられる。

2024年度税制改正大綱・主な改正内容

以上(2024年1月)
(執筆 第一生命経済研究所 経済調査部)

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本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所調査研究本部経済調査部が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

「分かりやすい指示」が出せない上司に共通する致命的な勘違い

書いてあること

  • 主な読者:部下に合わせてレベルを落とすことに違和感を覚えている上司
  • 課題:「指示を理解できない部下の勉強不足!」というのは本当か?
  • 解決策:部下のレベルに合わせ、5W2Hで情報を整理して伝える

1 指示のポイントは上司が部下に合わせること

「何でこんなことも分からないの?」。意図した通りに部下に指示が伝わらず、イライラすることはありませんか? 上司と部下でありがちなこの問題。解決のコツは、

部下が求める内容を、部下が理解できるレベルに合わせて伝えること

にあります。こう言うと、

上司が部下に合わせたらレベルが下がるだけ

と指摘されそうですが、これは勘違いです。上司の皆さんは長い経験を積み、勉強もしてきたわけですから、その時点で部下とはビジネスパーソンとしての実力が大きく違います。実力が離れた上司の指示を受け入れている部下は、よほど優秀なのか、部分的に理解しているのか、分かったふりをしているのかのどれかでしょう。

上司が上司の言葉で伝えても伝わらないのは、ある意味で当たり前のことです。ですから、上司は、部下にとって分かりやすい指示とは何かを考え、実践する必要があるのです。

2 「自分基準」の減点主義をやめる

部下が求める内容を、部下が理解できるレベルに合わせて伝えるために、上司は「自分ならこう考えるのに、何で部下は……」「自分ならこう動くのに、何で部下は……」という、自分基準で部下を減点していくのをやめましょう。その上で部下を認めます。具体的には、

部下は部下なりに上司の指示を解釈し、工夫した結果、上司の指示と異なる進め方になったのかもしれない

というようにです。そして、穏やかに、部下の言動で改善すべきところを伝えていきましょう。

たったこれだけのことで、見違えるほど上司と部下のコミュニケーションが良くなることを実感できると思います。ただ、こうしたコミュニケーションを取るためには、上司にも相応の時間がかかります。改善前は、

自分の考えを示す

という、いわば一方通行のコミュニケーションでしたが、改善後は、

自分の考えを示し、相手の言動を理解し、差分を整理して伝える

ということになるからです。ですから、ある程度、部下の性格や成長に応じて接し方を変えていく必要があるでしょう。

3 伝えるためのテックニック

上司は、部下に5W2Hの報連相を要求しますが、同様に上司も5W2Hで指示を出しましょう。5W2Hとは、次のことを指します。

  • When:いつ。◯月◯日◯時まで落とし込む
  • Where:どこで。具体的な場所を示す。最近はオンラインもある
  • Who:誰が。中小企業の場合、部署よりも担当する「個人」を示す
  • What:何を。何に向き合っているのかを明確にする
  • Why:なぜ。その取り組みをする理由を明確にする
  • How:どうやって。方法論を明確にする
  • How much:いくらで。コストを明確にする。社内コストは軽視されがちなので注意

その上で、部下の理解度を確認するために、部下に指示の内容をメモ帳やホワイトボードに書き出し、説明してもらいます。書き出して説明してもらうことで、誤解や、理解が不十分な部分が明らかになります。

また、業務の内容によっては言葉で表現するのが難しかったり、伝わりにくかったりするものがあります。そこで、見本や参考になる資料を用意して、「資料Aに掲載されているデータを最新版に更新してほしい。グラフの体裁は資料Bと同じにしてほしい」などのように、部下とイメージを共有します。

以上(2024年2月更新)

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画像:Nuthawut-Adobe Stock

派遣労働者の実態

厚生労働省が公表した「令和3年度 労働者派遣事業報告書」によると、派遣労働者数は約209万人(前年度比8.6%増)となっており、派遣労働者の需要はますます増えているように見えます。

昭和60年に法制化された「派遣」という働き方は、現在では、企業、派遣労働者のそれぞれから広く認知され、世間に十分に浸透しました。

本稿では、厚生労働省が令和5年11月24日に発表した「令和4年 派遣労働者実態調査」の結果を紹介しながら、労働者派遣の現状や今後の見通しについて考察してまいります。

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派遣労働者の実態

厚生労働省が公表した「令和3年度 労働者派遣事業報告書」によると、派遣労働者数は約209万人(前年度比8.6%増)となっており、派遣労働者の需要はますます増えているように見えます。

昭和60年に法制化された「派遣」という働き方は、現在では、企業、派遣労働者のそれぞれから広く認知され、世間に十分に浸透しました。

本稿では、厚生労働省が令和5年11月24日に発表した「令和4年 派遣労働者実態調査」の結果を紹介しながら、労働者派遣の現状や今後の見通しについて考察してまいります。

1 派遣労働者の就業情報

令和4年10月1日現在、派遣労働者が就業している割合は12.3%となっています。また、就業している派遣労働者数は「1~4人」(68.1%)、「5~9人」(16.8%)、「10~19人」(7.3%)といった分布となっており、全労働者数に対する派遣労働者の割合は4.0%となっています。

産業別にみると、「サービス業(他に分類されないもの)」が11.5%と最も高く、次いで「情報通信業」9.5%、「製造業」7.8%となっています。

また、派遣労働者を就業させている主な理由は、「欠員補充等必要な人員を迅速に確保できるため」が最も高くなっています。

派遣労働者を就業させる理由別事業所割合

(厚生労働省「令和4年派遣労働者実態調査」)

2 派遣労働者として働いている理由

派遣労働者について、派遣労働者として働いている理由(複数回答)をみると、「自分の都合のよい時間に働きたいから」が30.8%、「正規の職員・従業員の仕事がないから」30.4%の割合が高くなっています。

これを性別にみると上位2つは、女性は全体と同様となっているが、男性は「正規の職員・従業員の仕事がないから」31.0%、「専門的な技能等をいかせるから」23.3%となっています。

性、派遣の種類、派遣労働者として働いている理由別派遣労働者割合

(厚生労働省「令和4年派遣労働者実態調査」)

3 さいごに

労働者派遣という形態は、企業、派遣労働者ともに労働のタイミングをコントロールできるという面で、評価されていることが見て取れます。

いわゆる同一労働同一賃金の改正法により、派遣社員についても正規社員との間の「不合理な待遇差」の是正が進められました。このように派遣労働者を保護し、制度を健全に進展させる動きも断続的に進められています。

少子高齢化が加速している中、多くの企業が直面する深刻な人手不足の解消策の一つである労働者派遣。この制度がさらに発展していくには、派遣労働者でも業務に応じて納得できる賃金や待遇が得られ、業務に対して必要なスキルアップの機会が与えられることが、重要だと言えるでしょう。

※本内容は2023年12月14日時点での内容です。

(監修 社会保険労務士法人 中企団総研)

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画像:photo-ac

たった1つの質問で分かる。現場で交渉できる社員は誰だ?

書いてあること

  • 主な読者:現場で率先して交渉できる社員を育成したい経営者
  • 課題:言われたことを右から左に伝言するだけで、自らの意思がない
  • 解決策:「雇われ」のフレームを外す。その上で、目的を共有して成功を定義し、権限を与える

1 ほとんどの条件は交渉可能

意外と気付いていない人が多いのですが、

実は相手が提示してくるほとんどの条件は交渉可能

です。これを知っている一部の人は、後手に回ることがないように先んじて相手と交渉します。そして、互いに少しずつ譲歩し合いながら落としどころを探ります。交渉が進むほど積み上げられる合意事項も増えていくので、後から覆すことは難しくなってきます。

ですから、早い段階から社員が現場で交渉をしてくれたら、自社にとってもっと有利な条件を引き出せる可能性が高くなります。にもかかわらず、ほとんどの社員は現場で交渉をしません。そもそも、交渉するという意識がなく、

社長や上司から言われたことを相手に伝え、相手から言われたことを社長や上司に報告するだけ

というケースがほとんどです。では、どうすれば現場で交渉できる社員を育てることができるのでしょうか。その点をこの記事で明らかにしていきます。大切なのは、

ビジネスの目的を共有して成功の定義を社員に伝え、権限を与えて何度も交渉させること

です。

2 魔法の質問。これ1つでだいたい分かる

次のグラフを見せながら、社員に、

売り上げが欲しい。3つの事業のどれを選ぶ?

と質問してみてください。お気付きと思いますが、この質問はとても曖昧です。きちんと答えるためには、社員が自ら仮説を立てて、一定の前提条件を設定しなければなりませんが、まさにここが非常に重要なポイントです。

画像1

この質問の答えによって、社員はおおむね3つのグループに分けられます。

画像2

グループ1は、自分が叱られないことしか考えていないので論外です。取り繕っているだけで、自主性がありません。グループ2は、「雇われ」の立場に慣れていて、自分で考えられなくなってきています。しかし、実力を備えていることもあり、教育する価値があります。グループ3は理想です。ポイントは、

  • 与えられた情報が全てではないこと
  • 自ら切り開こうとしていること

です。ただ、グループ3に該当する社員は既に現場で交渉しているはずですから、教育の対象となるのはグループ2の社員です。

3 「雇われ」の呪縛から解放する

グループ2の社員は、指示通りに動くことに慣れている、あるいはそうするように指示され、その指示に従っているだけです。つまり、「雇われ」の立場に慣れているのです。ここから一皮むけてもらうために、「言われたことだけをやる」「失点したくないのでチャレンジしない」といった意識を変える必要があります。

そのために経営者が行うべきことは、

  • 目的を丁寧に共有すること
  • 成功を定義すること
  • 権限を与えること

です。

まず、ビジネスの目的を丁寧に共有しましょう。前述した事業の選択の場合、「投資家に成長を印象付けるために売り上げが必要」「中期経営計画の中で、次世代の事業の柱を構築する」といったように伝えます。

目的を伝えても、「雇われ」の立場に慣れた社員は何をすればよいのか分からず、指示を待つだけです。そこで、成功を定義してあげましょう。例えば、「顧客Aとの取引を中期的に拡大し、売り上げを2倍にする。利益率が5%落ちても構わない」といった感じです。こうすることで、社員は自分がどこに向かい、具体的にどのような条件を勝ち取るべきかが分かります。

最後に、実行するための権限を与えます。そして、交渉することも社員の役割であることを教え、実際に交渉をしてもらいます。交渉に慣れていないと、自分の意見を押し通そうとするだけで局面が作れず、結果として物別れになります。この問題は経験を積むことでしか解決できないので、

失敗してもいいので交渉を続けさせる

ことが不可欠です。経営者が交渉する席に同席させることも効果的です。こうした育成をする中で社員に自主性が芽生え、自ら行動するようになっていくでしょう。

以上(2024年2月)

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画像:photo-ac

「心の病は脳のケガ」と表現するのは、呼吸で脳と心を整えることを教えてくれるパーソナルトレーナー兼マインドフルネスの専門家。強くて温かい、日本で2位にまでなった元プロキックボクサー/岡目八目リポート

年間1000人以上の経営者と会い、人と人とのご縁をつなぐ代表世話人杉浦佳浩氏。ベンチャーやユニークな中小企業の目利きである杉浦氏が今回紹介するのは、関根 朝之(せきね ともゆき)さん(株式会社マインドフルネス 代表取締役、株式会社hu-ReVo 代表取締役)です。

「身体が変われば、心も変わり、人生も変わった」

こうお話ししてくださった関根さん。関根さんはご自身のこの体験から、「まさにこれは【人間革命=ヒューマンレボリューション】だ」と感じ、ヒューマンレボリューションを略して「ヒューレボ(hu-ReVo)」という会社を立ち上げています。

関根さんは元プロキックボクサーです。現在はパーソナルトレーナーをしつつ、「株式会社マインドフルネス」を2022年8月に立ち上げ、自分自身の心に集中して向き合い続ける「マインドフルネス」を世に広めています。マインドフルネスを実践することで仕事のパフォーマンスが上がっただけではなく、人生との向き合い方も変わったという経営者がいます。また、社員の福利厚生にマインドフルネスを取り入れている例もあり、生産性の向上や離職率の低下などにつながっているそうです。

この記事では、関根さんがどのようにマインドフルネスで人生が変わったか、今後どのように広めていこうとしているかなどをまとめます。新しい年の初めに、すべての悩める経営者の方、自分を変えたい方、社員に元気になってもらいたい方に少しでもお役に立てればと思います。

1 まずは、「マインドフルネス」を知ってみましょう

関根さんがマインドフルネスを広めるために行っている活動は、セミナーや講演会、執筆、パーソナルジムの運営、ライフコーチなどさまざまです。関根さんの活動はとても幅広く、これは多くの人から必要とされていることの表れだといえます。

株式会社マインドフルネスのホームページでは、「マインドフルネス」とは、スポーツ選手が極めて高い集中力を発揮している「ゾーン」のような状態に入るためのトレーニング方法の1つ、と紹介されています。同社のホームページには、マインドフルネスがどのように効果をもたらしてくれるかが記載されています。

●「マインドフルネスとは」がまとめられている株式会社マインドフルネスのホームページ

「マインドフルネスとは」

(出所:株式会社マインドフルネスホームページ)

マインドフルネスを実現するための1つの方法が「超呼吸法」です。関根さんが提唱し、自ら実践しているもので、著書「1日中、最高のコンディションが続く! 脳を鍛える超呼吸法」も出ています。

実際に関根さんに呼吸法を教えてもらった経営者に聞くと、とても簡単、かつ実際に気持ちが落ち着き、フラットな意識になれるということでした。毎朝、起きてすぐに実践したり、自分がイライラしていると感じたら実践したりと、人によって取り組み方はさまざまです。「超呼吸法」はとても簡単で、今日からでも取り組めます(マインドフルネスと呼吸について、関根さんが教えてくださったことを後半に改めてご紹介します)。

●関根さんの著書
https://www.amazon.co.jp/dp/4046058277

関根さんの著書

(出所:株式会社マインドフルネスホームページ)

ところで、なぜ、関根さんはマインドフルネスにたどり着いたのか。それを次章で振り返ってみたいと思います。

2 「身体が変われば、心も変わり、人生も変わった」

●関根さんのプロフィール

関根さんのプロフィール

(出所:株式会社マインドフルネスホームページ)

元プロキックボクサーである関根さん。自身の原点は「幼少期にいじめられっ子だったこと」だと振り返ります。

関根さん曰く、小学生のころは内気でいじめられっ子だったそうです。さらに、進学した中学校は先生が心の病になってしまうほど荒れていて、関根さんは当時の不良から目をつけられていじめにあいます。今では考えられませんが、右手の中指に鉛筆を刺され、それが刺さりっぱなしで今も残ったままになっているそうです。

辛い日々が続き、中学2年のころには眠れない、学校へ行きたくないという状態で頭痛も止まず、1カ月入院したこともあるそうです。「もう、生きていたくない……」とまで思い詰めますが、仏教徒の先輩に出会い、その言葉に救われ、なんとか前を向きます。

高校に進学した関根さんは、「強い自分になりたい」という一心で柔道を始めます。ただ、その思いが強すぎて、腕立て伏せ2000回、睡眠4時間という無茶なトレーニングをします。そんな生活を続けるうちに体が悲鳴をあげ、右腕が伸びなくなってしまったそうです。この経験から関根さんは、筋肉や睡眠について学ぶようになります。

大学に進学した関根さんは、キックボクシングを始めます。大学3年生のときにアマチュア・フェザー級と、ライト級の2階級でチャンピオンになり、その後もプロキックボクサーとして活躍し、日本2位にまでなります。華々しい活躍ですが、ある試合で瀕死の重傷を負ってしまいます。なんと肋骨2本、眼窩底(がんかてい)、鼻、頬骨を骨折。こんな状態でも、「死んでも勝つ」という思いで試合に臨み、一回もダウンせず、結局、判定で引き分けになります。

試合後、関根さんは意識を失い、ICUで目を覚まします。死を意識したそのとき、関根さんは次のように考えたそうです。

「そうして死を考えたときに、そのときの僕はキックボクシングっていう夢中になれるものもある。応援してくれる家族や仲間もいる。充実していたけれど、本当は何がしたいのだろう、と。
そう考えたときに、昔はいじめにあって、本当に辛くて死にたかった。生きていてつまらなかった。でも、そんな僕を励まし続けてくれた仏教徒の先輩がいた。僕は、そういう人になりたいと思ったんです」

これが一つのきっかけとなり、「ヒューレボ(hu-ReVO)」を立ち上げるに至ったのです。

ここまで関根さんの凄まじい歩みを振り返ってきましたが、ご本人はとても穏やかです。自分自身の辛い経験を乗り越え、自分で心と身体も強くしてきた「本物の強さ」を感じずにはいられません。関根さんは次のように語っています。

「心技体というように、身体や技術だけではなく、心も大事。そうして色々と勉強して行き着いたのがマインドフルネスです。
『世界中の億万長者がたどりつく「心」の授業』という本の中でも言われていますが、地位も名声も富も得た世界の大富豪やハリウッドスターなどが、継続的な幸せにたどり着けない。そこで一部の人がインドへ修行に行き、出会う、それがまさにマインドフルネスです」

次章では、こうしてたどり着いたマインドフルネスと呼吸法について、関根さんが教えてくれたことを紹介します。

3 人間が唯一、コントロールできる身体の動きは「呼吸」。そして心の病は「脳のケガ」

「マインドフルネスは、教育・ビジネス・医療の場面で認められています。医療・脳科学・心理学・神経医学のエビデンスもあるものです」と関根さん。

実際、マインドフルネスは世界的に広まっています。

  • ニューヨークの学校で、毎日授業として取り入れている
  • コロナ禍のときも、オンライン授業でも取り入れられた
  • イギリスでは1500校以上で取り入れられている
  • 学校で取り入れたら、子どもたちのメンタルと脳の状態が良くなり、いじめが減った上に、学力は向上している
  • 刑務所でマインドフルネスを導入したら、再犯率が下がった

関根さんは次のように言います。「ビジネスでも、ウェルビーイングの観点から、マインドフルネスを取り入れるシリコンバレーの企業がある。一方、日本では小中高生を含め自殺が多い。もし、家庭でのDVによって社会的健康、精神的健康が損なわれていることが原因であるなら、家族のメンタルや脳の状態を良くしないと子どもをケアできない。また、原因不明の頭痛に悩まされている経営者の方がいて、人間ドックでも病院でも何も問題ないと言われる。そこで自律神経の状態を計測したら、ものすごく乱れていた。マインドフルネス呼吸瞑想は、これらの状況の改善にも役立つ」

交感神経や副交感神経、内臓器官などは、人間が自分でどうにかしてコントロールできるものではありません。

「ただ、唯一、呼吸は自分でコントロールできます。呼吸にアプローチすることで、脳も身体も、心もリラックスできるのです。呼吸を意識することで、さまざまなことを解決できると確信しています」

と語る関根さん。呼吸について、次のように教えてくれました。

「自律神経は、日中は脳が活性化されて交感神経が優位、夜になると副交感神経が優位に切り替わってリラックスモードに入るというのが、本来の状態です。
これが、夜まで仕事をしていたりストレスが高い状態が続いていたりすると、夜でも交感神経が優位なままになってしまいます。寝ていても交感神経が優位で、脳が休まっていない。寝ていても途中で目が覚めてしまったりして睡眠の質も悪い。
日本人は、睡眠偏差値(睡眠の質×時間で計測)が低い傾向にあります。そうすると、精神的不調、身体的不調をきたし、パフォーマンスも下がってしまいます。
しかし、寝る前にマインドフルネス呼吸瞑想をすれば、それだけで副交感神経を優位にすることができるのです。
例えば、サウナもある意味マインドフルネスといえるでしょう。スマホもないし脳を休められる。ただ、サウナはお金がかかります。一方、呼吸はその場で簡単にできます」

今、心身の健康のために睡眠の質の向上が注目されていますが、そのためにも呼吸法が大事なことが分かります。

また、実際に始業の5分前や会議の5分前にマインドフルネス瞑想呼吸の時間を取り入れている企業もあるそうです。たった5分の取り組みで社員の気持ちが落ち着き、ストレスが緩和され、離職の防止につながるかもしれません。何より、社員が毎日楽しくイキイキと働けるようになれば、これほど素晴らしいことはありません(呼吸法のやり方は、関根さんの著書「1日中、最高のコンディションが続く! 脳を鍛える超呼吸法」に載っています)。

関根さんは、「脳のケガ」という言い方をします。

「うつ病やパニック障害といった精神的な病は、『脳のケガ』だと僕は思っています。その人が弱いとかそういうことではなく、脳のケガなので、誰でもなるものなんです」

「脳のケガ」という言い方には、とても救われる思いがします。ケガをしたら、呼吸を意識することで、自分でコントロールしてリカバリーを試みる。そういう方法があると知っておくだけでも、安心につながるのではないでしょうか。

4 関根さんがこれから実現していきたいこと

マインドフルネスと、それを実践する呼吸法を広めようと、セミナーや研修、執筆、インタビューなど幅広く活動されている関根さん。そこからさらに一歩進み、新たな試みがスタートします。それは、「マインドフルネスの資格をつくる」こと、「マインドフルネス認定講師育成講座」です。

「日本ではまだまだマインドフルネスが普及していないのが実情です。これまで、僕はマインドフルネスを日本で広めるためにセミナー開催など日本全国で活動してきましたが、1人でできることには限界があります。
身体のことも含め、マインドフルネスを複合的に教えられる人材は不足していると感じています。今、人的資本経営が盛んに求められているので、そういう意味でも、ウェルビーイングの観点から身体的・精神的・社会的健康、この3つの健康について話せる人を増やすために、資格をつくり、仲間をつくっていこうと考えています」

「マインドフルネス認定講師育成講座」を学ぶと、マインドフルネスを人に伝える先生になることができます。長年、定性的にも定量的にも研究を重ねてきた関根さんのノウハウをすべて学べる、これはすごいことです。誰かの役に立ちたいと思っている方は、もしかしたらマインドフルネスを通じてそれが実現できるようになるかもしれません。

●株式会社マインドフルネスの「マインドフルネス認定講師育成講座」について
https://mind-fulness.jp/service3/

ちなみに関根さんは、地元が埼玉県の戸田市だそうですが、戸田市長も関根さんのセミナーを聞いて戸田市の教育にウェルビーイングの観点からマインドフルネスを導入していこうと考えているそうです。

これまでも関根さんは、ボランティアで教育現場向けにマインドフルネスのセミナーをしてきています。

「教育機関では、僕は子どもよりも親や先生の脳や心の状態を良くしたほうがいいと思っています。ですので、教育機関でセミナーをやるときには、必ず保護者の方へお声がけくださいと言っていますし、子どもたちよりも、保護者の方々や先生に向けて(セミナーを)やっている面があります」

と関根さん。「こうして、企業などビジネスの現場と、教育の現場の両方にマインドフルネスを浸透させられたら、心の病や自殺が減ると思いますので」と続けます。また、セミナーをやる際には(関根さんは医師ではないので)、医学博士や東大准教授など呼吸器官の専門家、プロフェッショナルな方に内容を監修してもらったりもしているそうです。

関根さんは、筋トレもヨガもキックボクシングもでき、身体も心も両方ケアできるパーソナルジムの運営も行っています。

そんな関根さんに今後の展開を伺ったところ、次のように話してくれました。

「マインドフルネスの資格、セミナー、パーソナルジム。そしてボランティアとして話をする教育現場。身体の面については自分よりも知識のある先生方に協力していただきながら、ウェルビーイングの観点から、マインドフルネス、身体的・精神的・社会的健康を多くの人に伝えていけたらと思っています」

強くて温かい関根さん。お話をお伺いしているだけで前向きで爽やかな気持ちになれます。これからの時代、関根さんの活動が、本当にますます多くの場所で求められることと実感します。お話、有り難うございます!

以上(2024年1月作成)