【労働条件の変更(2)】「労働協約」による労働条件の不利益変更

書いてあること

  • 主な読者:賃金引き下げなど、いわゆる「労働条件の不利益変更」を検討している経営者
  • 課題:労働協約の変更手続きの流れが分からない
  • 解決策:労働組合が組織され、労働協約を交わしている場合は、労働協約の変更によって労働条件を変更する。非組合員の労働条件を変更するには就業規則の変更も必要

1 労働組合がある会社が労働条件を変更する方法

会社の経営状況や働き方の変化などを理由に、労働条件を引き下げることを「労働条件の不利益変更」といいます。労働条件を変える場合、

労働組合がある会社なら、原則として「労働協約」の変更が必要

です。また、変更の際は

  • 労働組合との団体交渉などを、正しい手続きで進めること
  • 労働組合との交渉に失敗した場合の対応など、必要なポイントを押さえること

が大切です。以降で確認していきましょう。

2 労働協約とは?

労働協約とは、会社と労働組合が交わす書面の協定で、作成は任意です。労働協約に記載する事項は、労働条件(賃金、労働時間など)、組合活動(組合専従者、組合費の給与天引きなど)、団体交渉(交渉担当者、交渉手続きなど)などです。

労働協約の効力が及ぶ範囲は、

  • 原則:組合員のみ
  • 例外:労働組合が事業場(本社、支店など)の4分の3以上の社員で組織されている場合、組合員と非組合員

です。

労働条件は、労働協約、就業規則、労働契約のいずれかによって決まりますが、これらには、

「労働協約>就業規則>労働契約」という力関係

があります。そのため、就業規則や労働契約を変更しても、組合員には労働協約の労働条件が引き続き適用されます。つまり、

労働協約のある会社が組合員の労働条件を変える場合、まず労働協約を変更する必要

があるわけです。

なお、労働組合の組織率は減少傾向にあります。会社に労働組合がないようであれば、就業規則や労働契約の変更によって労働条件の不利益変更を行います。

3 労働協約による不利益変更の流れ

1)労働組合に対し、団体交渉を申し入れる

労働協約は、会社と労働組合の約束事なので、両者が合意しないと内容を変更できません。合意するには、労働組合と「団体交渉」をする必要があるので、まずは会社がその申し入れをします。申し入れの方法は労働協約などで定めます。例えば、「所定の書面を開催要望日時の○労働日前までに提出する」といった具合です。

申し入れの際は、労働条件の不利益変更を行う理由を明確にします。賃金引き下げを行う場合であれば、「業績が悪化している中で、全社員の雇用を維持するため」などが考えられます。

2)労働条件の不利益変更を行うことについて、会社と労働組合が合意する

労働組合との団体交渉を通して、労働条件の不利益変更を行うことについての合意を得ます。例えば、賃金引き下げを行う場合、団体交渉では次のような点がポイントになります。

  • 賃金引き下げの必要性を裏付ける資料があるか(会社の収益・支出、人件費の推移など)
  • 賃金引き下げの方向性は明確か(基本給を引き下げるのか手当の一部を廃止するのか、具体的にいくら引き下げるのかなど)
  • 賃金引き下げの内容は合理的か(例えば、社員の基本給は引き下げるが、経営者や役員の役員報酬は引き下げないというのは合理的と言いにくい)

団体交渉は1回で決着がつくとは限りません。例えば、賃金を引き下げることについては合意できても、その方法や引き下げ金額について反対意見が出ることなどがあります。そうした場合、ある程度労働組合の意見を尊重するなどして、妥協点を見つけていくことも必要です。

なお、団体交渉を繰り返しても、会社と労働組合が合意できない場合の対応については、第4章をご参照ください。

3)新しい労働協約を作成・締結し、組合員の労働条件を変更する

会社と労働組合が合意した場合、変更箇所や有効期間を確認しながら新しい労働協約を作成します。会社と労働組合それぞれの署名または記名押印があれば有効で、就業規則と違い、所轄労働基準監督署への届け出は不要です。なお、労働協約に決まった書式はありません。

4)就業規則または労働契約を変更し、非組合員の労働条件を変更する

労働協約を変更しても、基本的に非組合員には効力が及びません(事業場の4分の3以上の社員で組織されている労働組合を除く)。そのため、非組合員については、

  • 原則:就業規則を変更
  • 例外:就業規則と異なる労働条件で労働契約を交わしている場合、労働契約を変更

することによって、労働条件の不利益変更を行います。また、

労働協約や就業規則に定めのない労働条件を変える場合については、労働契約を変更

する必要があります(契約期間、契約の更新基準(有期の場合)、就業場所など)。

4 労働協約による不利益変更のポイント

1)労働組合との交渉に失敗した場合は、労働協約の解約を検討する

団体交渉を繰り返しても会社と労働組合が合意できない場合、労働協約の解約を検討するのも1つの方法です。具体的には、

  • 労働協約に有効期間(最長3年)の定めがある場合、期間満了の際に解約
  • 有効期間の定めがない場合、90日以上前に予告した上で解約(予告は、署名または記名押印した文書で行う)

します。

労働協約を解約した場合、労働条件の不利益変更は、就業規則または労働契約を変更して行います。

2)労働協約解約後の規律

労働協約が失効した後の措置について別段の合意がない場合、協約の効力は消滅しますが、新たな労働契約が成立したり、就業規則の合理的改訂がなされたりすれば、これらによって規律されることになります。

以上(2024年2月更新)
(監修 有村総合法律事務所 弁護士 渡邉和也)

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画像:tashatuvango-Adobe Stock

【朝礼】草履と下駄を履いて「ChatGPT」を始めよう

皆さん、おはようございます。今朝は、「不完全でも走り出す勇気」についてお話しします。

最近のイベントや展示会に行くと、「ChatGPT」など生成AIに関する出展が目白押しです。今、最も注目されている技術だと実感しますが、残念なことに、出展されているサービスはどれも今ひとつで、今後に期待といった感じです。

ここからが話の本題です。今の私の話を聞いてみて、皆さんはどう感じましたか? イベントに出展する会社は、貴重なリソースを割いて研究を重ね、必死でパートナーを探しています。すぐに結果が出るほど簡単ではないでしょうが、今後、課題を突破して素晴らしいサービスをローンチする可能性を秘めています。にもかかわらず、「なんだ、今ひとつなのか。だったら、まだいいや」と思った人がいたら残念です。

「草履片々、木履片々」(ぞうりかたがた ぼくりかたがた)という言葉があります。これは戦国武将である黒田官兵衛が、「毛利攻め」の最中に本能寺の変の知らせを受けて動揺した豊臣秀吉に伝えた言葉だとされます。その意味は、「片方に草履、もう片方に下駄を履いた不完全な状態でも、全力で走らなければならないときがある」というものです。この言葉があったからこそ、秀吉は世に伝わる「大返し」をして明智光秀を討てたのかもしれません。

ChatGPTに話を戻しましょう。これだけ注目されているのに、未だにChatGPTを触ったことがない人が多いようです。そうした人は、ごく限られた情報で知った気になり、「セキュリティや結果の精度の問題があるから、まだ触らない」と、もっともらしいことを言います。しかし、実際に触ってもみないで何が分かるのでしょうか? 今の課題は解決され、また新しい課題が出てくるというサイクルが急速に回っているというのに。

だからこそ、私たちは片方に草履、もう片方に下駄という不完全な状態でも走り出さなければなりません。しかも、スタートは早いほど好ましい。周囲はとっくに走り始めているのです。

それに、ChatGPTに限ったことではありませんが、どんなに待っても、物事が完璧になることはありません。「完璧だ!」と感じるのは、その時に皆さんが考える完璧になっただけであり、他人から見れば不完全です。それに次の瞬間に技術はさらに進み、完璧の定義も変わります。

とにかく、やってみる。そんなマインドが求められています。まずは、「失敗」を口癖にして、自分や周囲を否定することをやめましょう。新しい物事を進めるのは難しくて当たり前。皆さんが「失敗」と言っていることは、次につなげるための貴重な経験です。それは他人がお金を払ってでも体験したいことであり、皆さんは先んじて経験できているのです。

いかがですか。現状にとどまる危機感を覚え、前に進む勇気が湧いてきましたか? さぁ、一緒に進みましょう!

以上(2024年1月)

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画像:Mariko Mitsuda

部下が生意気で悩む教育担当者のやる気を取り戻すアプローチとは?

書いてあること

  • 主な読者:新人や若手の教育に悩んでいる教育担当者を奮起させたい経営者
  • 課題:教育担当者にやる気を取り戻してもらうためにどうすればいいのか迷う
  • 解決策:「部下が生意気」「部下が自分を慕ってくれない」「自分には教える能力がない」など、教育担当者の悩みに応じてアプローチの方法が異なる。まずは、教育担当者の気持ちに寄り添い、何に悩んでいるのかをよく聞くこと

1 教育担当者の負担はますます重くなる

御社の教育担当者は、新人や若手の指導で壁にぶつかっていませんか?

今、会社にとって教育担当者は、これまで以上に大切な存在です。リモートワークなど新しい働き方が浸透している上に仕事の内容も高度化・複雑化し、社員の考え方や能力のバラツキが大きくなっているからです。

また、オンラインで教育する機会が増えると、熱量や温度感などを共有するのが難しい場面も出てきます。教育担当者の中には、伝えたいことがなかなか伝わらず悩む人もいるでしょう。こうしたことが色々と重なると、教育担当者は疲弊し、やる気を失っていくかもしれません。

そんなときこそ、教育担当者に対する社長のフォローが必要です。やる気というのは、闇雲に応援されたり、一方的にアドバイスを与えられたりしても湧いてきません。社長がまず心掛けるべきは、

教育担当者の気持ちに寄り添い、何に悩んでいるのかをよく聞くこと

です。

その上で、教育担当者の悩みに応じて、具体的なアプローチの仕方を考えます。以降では、3つのパターンを例に社長が教育担当者に働き掛ける例を紹介します。

2 部下が生意気?

1)社長と呆田(あきれた)さんの会話

やる気を失っている様子の教育担当者、呆田さんに、社長が話し掛けました。話をしているうちに、どうやら呆田さんは、「仕事ができないのに生意気な部下にあきれてしまい、お手上げの状態になっている」ことが分かりました。

社長:呆田君、いつもご苦労様。

   部下の教育は大変だね。

   呆田君の部下は、特に難しいと人事部も言っているからね。

呆田:本当ですよ。社長、なぜ、あのような社員を採用したのですか?

   何度言っても仕事を覚えないのに、自分の意見ばかり主張してきます。

   しかも、その主張が的外れなのですから、もうお手上げです……。

社長:まぁまぁ。気持ちは分かるが、まだ君の部下になって1カ月だ。根気強く頼むよ。

   今は色々な社員がいるから、社員の良い面を引き出す教育投資は欠かせないよ。

呆田:それは分かりますが、あまりにもレベルが低いですよ。

   もう私にできることは全部やりました。

   私以外に、もっと教育担当として適任の社員がいるのでは?

社長:……。

2)呆田さんへのアプローチ

今どき、呆田さんのような教育担当者は少なくないでしょう。簡単な仕事でさえ満足にできないのに自己主張が激しく、場合によっては上司の教え方が悪いと不満を漏らす部下がいます。教育担当者が「お手上げ」になってしまうのも分かります。

このケースでは、部下に問題があるのは明らかです。しかし、呆田さんも、部下の仕事のできなさ加減や生意気な物言いばかりに気を取られていて、視野が狭いようにも見受けられます。

人材不足の折、「ピカピカの新人」は期待しにくいです。となると、今どきの人材育成は、教育担当者が視野を広く持ち、それなりの時間をかけて部下の良いところを見つけ、伸ばしていかなければなりません。

呆田さんに対して、社長はどのようにアプローチするべきでしょうか。効果的なのは、

小さくてもよいので社長と一緒にできる仕事を与えること

です。社長の考えに触れることで、呆田さんの視野は広がるでしょう。

社長との仕事で、呆田さんはミスをするはずです。その際、頭ごなしに叱らず、呆田さんの話を聞き、ミスを取り返す方法を一緒に教え、ある程度任せます。これは、日ごろ呆田さんが行っている指導と同じはずなので、呆田さんは自分の教え方を再確認できます。

教育担当者としての経験が浅いと、短期的な成果、つまり部下の“成長の証し”をすぐに求めてしまいがちですが、人はゆっくりとしか育ちません。そのことを呆田さん自身が体験できる環境を社長がつくることが大切です。

3 部下が自分についてこない?

1)社長と寂椎(さみしい)さんの会話

やる気を失っている様子の教育担当者、寂椎さんに、社長が話し掛けました。話をしているうちに、どうやら寂椎さんは、「一生懸命に部下を指導しているのに、部下が自分を慕ってくれなくてさびしがっている」ことが分かりました。

社長:寂椎君、いつもご苦労様。

   部下の教育は大変だね。

   君、ちょっと元気がないんじゃないか?

寂椎:いや、なんというか……。

   私、部下に好かれる上司になろうと頑張ってるんですけど……。

   部下が私でなく、私の同僚の○○さんにばかり話を聞くらしくて、さびしくて……。

社長:なるほど、その気持ちは分からなくもないが、部下は寂椎君を慕っているはずだよ。

   寂椎君のように一生懸命な教育担当者はそうそういない。自信を持って!

寂椎:はぁ~。それなら、もう少し態度で示してくれてもいいと思います。

   最近はオンラインも多く、部下がさらによそよそしい気もします……。

   私ではなく、私の同僚のほうが教育担当として適任なのでは?

社長:……。

2)寂椎さんへのアプローチ

真面目な教育担当者ほど、寂椎さんのような感情になりがちです。寂椎さんには、自分の頑張りを部下に押し付けるつもりはありません。しかし、頑張った分だけ感謝してもらいたいのが人間というものです。

一方、このケースでは部下にも特に悪気はないのでしょう。部下としても、日ごろ、自分の面倒を見てくれる教育担当者に感謝をしているはずです。ただ、他の人の意見も聞いてみたいという思いがあるのも当然です。

一生懸命に教えているからこそ、教育担当者にはある意味、“自分色に染めたい”という感情があります。しかし、部下の成長を願うなら、さまざまな人の意見を聞いたほうがよいのは明らかで、ここに教育担当者のジレンマがあります。

寂椎さんに対して、社長はどのようにアプローチするべきでしょうか。まず行いたいのは、

社長が寂椎さんとその部下をオンラインの異業種交流会などに招待すること

です。

教育担当者と部下がセットで参加している状況であれば、社員教育などをテーマに部下に話を振ってみることで、寂椎さんが知りたがっている「自分の指導に対する部下の考え」を聞き出せるかもしれません。そこに日ごろの指導への感謝などがあれば、寂椎さんも自分の教え方を肯定できます。同時に、社長はこうした場で、寂椎さん自身がさまざまな人から意見を聞けるよう配慮します。そして、寂椎さんは教育担当者として優れているが、寂椎さん自身がもっと成長するためには、さまざまな人の話を聞くことが大切だということを理解させるのです。

教育担当者である自分の言うことを聞いてほしいのは当然です。しかし、どんなに一生懸命で、優れた教育担当者であっても、やはり考え方には偏りがあります。それを埋めるべく、たくさんの人と話をする大切さを体験させることが必要です。

4 自分は人に教えられる器ではない?

1)社長と能不(のうぶ)さんの会話

やる気を失っている様子の教育担当者、能不さんに、社長が話し掛けました。話をしているうちに、どうやら能不さんは、「自分には能力が不足していて、部下を育てることには向いていないと思い自信を失っている」ことが分かりました。

社長:能不君、いつもご苦労様。

   部下の教育は大変だね。

   ん、どうした? 少し顔色が良くないよ。

能不:いえ、大丈夫です。

   ただ、実は私も社長に相談しようと思っていたことがあります。

   言いにくいのですが、私を教育担当から外してください。

社長:なぜ、そういうことになるんだい?

   能不君は一生懸命に頑張っているじゃないか。私も認めている。

   それなのに、一体、どうしたんだ?

能不:私には、うまく教えることができません。

   他の教育担当者に指導されている新人や若手はどんどん成長しています。

   このままでは部下に申し訳なくて……。

社長:……。

2)能不さんへのアプローチ

責任感の強い教育担当者ほど、能不さんのような感情になりがちです。責任感が強い分、部下に高いハードルを課し、また他の教育担当者やその部下と自分たちを比べてしまいます。

自分の部下に一番になってほしい気持ちはどの教育担当者にもあるでしょう。しかし、無理をし過ぎると部下への態度が厳しくなったり、自分自身が自信を失ったりしてしまいます。場合によっては、「自分は役立たずだ」とふさぎ込んでしまうかもしれません。

能不さんに対して、社長はどのようにアプローチするべきでしょうか。

まず、社長が、引き続き能不さんに教育担当を任せるか否かを判断

しなければなりません。能不さんの思いがエスカレートすると、自分の能力不足に悩み、離職を考えかねないからです。

引き続き能不さんに教育担当を任せる場合、

「教育担当者の能力の高さだけで、部下を成長させることはできない」ことを伝えます。同時に、「自分の能力の高低よりも、部下の性格とそれに合わせた教え方」を考えるほうが大事だと伝えます。

自分自身の教育担当者としての資質を疑うのは当然です。しかし、それは自分側の分析にすぎません。教育担当者と部下は、人間同士のぶつかり合いです。教育担当者は、自分のことよりも、部下のことを少しでも多く考えることが大切なのです。

以上(2024年2月更新)

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画像:fotofabrika-Adobe Stock

【労働条件の変更(1)】就業規則など労働条件を決める4つのルールと変更の考え方

書いてあること

  • 主な読者:賃金引き下げなど、いわゆる「労働条件の不利益変更」を検討している経営者
  • 課題:労働条件をどのように引き下げていいのか分からない
  • 解決策:「労働法規>労働協約>就業規則>労働契約」という力関係を理解し、適切な方法で労働条件の引き下げを進める

1 「労働条件の不利益変更」にはルールがある

会社の経営状況、働き方の変化などを理由に、

労働条件を引き下げることを「労働条件の不利益変更」

といいます。例えば、「業績が悪化したので、基本給を引き下げる」「仕事内容を基準にしたジョブ型の人事制度にしたいので、成果や仕事内容との関係性が薄い手当(住宅手当など)を廃止する」などがそうです。

ただし、労働条件を変えるには一定のルールがあり、会社が好き勝手に変更することできません。細かいルールは色々ありますが、まずは、

  • 労働条件は、4つの要素(労働法規、労働協約、就業規則、労働契約)で決定される
  • 4つの要素には、「労働法規>労働協約>就業規則>労働契約」という力関係がある

ということを知ってください。この記事では、この4つの要素の関係を図解していきます。

2 労働法規、労働協約、就業規則、労働契約の概要

1)労働法規

労働法規とは、労働に関する法令(労働基準法、労働組合法など)の総称です。会社と社員は労働法規の内容を守ることを前提に、労働条件を決定しなければなりません。

例えば、労働基準法に違反する労働条件を定めた労働契約は、会社と社員の合意があっても無効で、無効となった部分については労働基準法で定める基準が適用されます。

2)労働協約

労働協約とは、会社と労働組合が交わす書面の協定です。決まった書式はなく、会社と労働組合それぞれの署名または記名押印があれば有効です(届け出は不要)。

労働協約の効力は、基本的に組合員にしか及びません。ただし、労働組合が事業場(本社、支店など)の4分の3以上の社員で組織されている場合、その労働組合が会社と交わした労働協約の効力は、非組合員にも及びます。

3)就業規則

就業規則とは、賃金や労働時間など一定の労働条件をまとめた職場のルールブックです。社員数が常時10人以上の会社(実際は事業場単位)の場合、作成は義務です。

就業規則を作成・変更するには、社員の過半数で組織する労働組合(ない場合は社員の過半数を代表する者)の意見を聴いた上で(合意までは不要)、所轄労働基準監督署に届け出なければなりません。

4)労働契約

労働契約とは、会社と個々の社員が交わす契約であり、その基本原則は労働契約法、契約内容(労働条件)は労働基準法などで定められています。

3 効力の強いところからアプローチするのが基本

以上で紹介した4つの要素は「労働法規>労働協約>就業規則>労働契約」という力関係にあります。これを図で表すと次のようになります。

画像1

社員の労働条件は、労働協約、就業規則、労働契約のいずれかによって決まりますが、

どの場合も、労働法規に違反する労働条件は無効(労働法規が最優先)

です。

次に、「労働協約>就業規則>労働契約」という力関係があるので、労働条件を変える場合、

  • 労働協約がある会社は、労働協約を変更(効力が及ぶのは労働組合の組合員)
  • 就業規則がある会社は、就業規則を変更(社員数が常時10人以上の場合、作成は義務)

するというのが、基本的なアプローチになります。なお、このルールに照らすと、労働契約は最も効力が小さいことになりますが、例外として、

労働契約の労働条件が就業規則を上回る場合のみ、労働契約は就業規則に優先

します。ただし、労働協約との関係では、たとえ労働契約の労働条件が労働協約を上回っていても、労働協約が優先するので注意が必要です。

4 労働条件の不利益変更における力関係

簡単な例を挙げてみます。仮に労働協約、就業規則、労働契約の全てで、月給を30万円と定めていたとします。これを25万円に変更する場合、労働条件の不利益変更における力関係は次のようになります。

画像2

1)労働協約の変更

労働協約を変更すると、組合員の月給は25万円になります。ただし、非組合員の月給は30万円のままです。労働協約の効力は、基本的に組合員にしか及ばないからです(図表2「1.労働協約の変更」の「就業規則との関係」を参照)。ただし、例外として、労働組合が事業場(本社、支店など)の4分の3以上の社員で組織されている場合、その労働組合が会社と交わした労働協約の効力は、非組合員にも及びます。

2)就業規則の変更

就業規則を変更すると、非組合員の月給は25万円になります。ただし、組合員の月給は30万円のままです。組合員の労働条件については、労働協約が就業規則に優先するからです(図表2「2.就業規則の変更」の「労働協約との関係」を参照)。組合員の月給を引き下げるには、労働協約を変更しなければなりません。

3)労働契約の変更

労働契約を変更しても、組合員も非組合員も月給は30万円のままです。組合員の労働条件については、労働協約が労働契約に優先し、非組合員の労働条件については、就業規則が労働契約に優先するからです(図表2「3.労働契約の変更」の「労働協約との関係」「就業規則との関係」を参照)。組合員と非組合員の月給を引き下げるには、労働協約と就業規則の両方を変更しなければなりません。

労働協約、就業規則、労働契約のそれぞれの変更手続きについては、次の記事をご参照ください。

00414 「労働協約」による労働条件の不利益変更

00415 「就業規則」による労働条件の不利益変更

00416 「労働契約」による労働条件の不利益変更

以上(2024年2月更新)
(監修 有村総合法律事務所 弁護士 平田圭)

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画像:Mathias Rosenthal-shutterstock

中小企業が知っておくべき「令和6年度税制改正大綱」のポイント

書いてあること

  • 主な読者:最新の税制動向をアップデートしたい中小企業の経営者、税務担当者など
  • 課題:中小企業に関係のある税制改正大綱のポイントだけ教えてほしい
  • 解決策:令和6年度税制改正大綱の中で中小企業に関係の深い項目を把握する

1 賃上げ促進税制の上乗せ措置の拡充や繰越控除制度の創設

賃上げ促進税制(中小企業版)とは、従業員の給与支給額(雇用者給与等支給額。以下「給与等」)を前年度より1.5%以上アップさせた企業や個人事業主を対象に、一定の税額控除を行う制度です。原則の税額控除率(15%または30%)に、上乗せできる控除率の追加のほか、要件が変更されます。また、その年に控除できなかった控除額について、5年間繰り越して控除できる制度が創設されます。

現行制度では、上乗せ措置を受けるためには教育訓練費のみの増加割合が要件となっていましたが、改正により、

教育訓練費の増加割合要件の緩和(10%から5%)と合わせて、教育訓練費の額が給与等の0.05%以上という要件が追加

されます。

また、

女性活躍推進支援や子育てサポートが進んでいるとして厚生労働省の認定を受けている企業については、追加で控除率を上乗せ(5%)できる

ようになります。

画像1

原則の税額控除率は従来と同じですが、追加された子育てサポートや女性活躍推進の認定要件を満たした場合は、税額控除額が最大45%(現行は最大40%)となります。この改正は、2024年4月1日から2027年3月31日までの間に開始する各事業年度において適用されます。

 

2 戦略分野国内生産促進税制の創設

半導体など一定の商品の販売量に基づいて計算された金額を税額控除できる制度(戦略分野国内生産促進税制)が創設されます。対象となる製品分野は、

半導体、電気自動車等(蓄電池)、鉄鋼(グリーンスチール)、基礎化学品(グリーンケミカル)、航空燃料など

です。

この制度の適用を受けるためには、

  • 青色申告書を提出している
  • 産業競争力強化法の改正法の施行日から2027年3月31日までの間に認定事業適応事業者となる
  • 産業競争力基盤強化商品生産用資産の取得等をして、国内にある事業の用に供している

の3要件を満たす必要があります。また、控除額はそれぞれ商品の仕様ごとに決められています。

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3 イノベーションボックス税制の創設

研究開発の成果(特許権など知的財産から生まれる一定の所得)に対して、30%の所得控除ができる制度(イノベーションボックス税制)が創設されます。

対象となる知的財産(特定特許権等)は、国内で研究開発を行った

  • 特許権
  • AI分野のソフトウェアに係る著作権

です。

また、取引先については、

  • 譲渡の場合は、居住者もしくは内国法人(関連者を除く)に対するもの
  • 貸し付けの場合は、上記のような限定はなく他の者(関連者を除く)に対するもの

とされています。この改正は、2025年4月1日から2032年3月31日までの間に開始する各事業年度に適用されます。

4 中小企業のM&Aに備えた準備金制度の拡充

M&A実施後に発生し得るリスク(買収企業に簿外債務の存在が見つかるなど)に備えるため、準備金を積み立てた場合に、その積立額を損金に算入することができる制度があります。

現行制度では、損金に算入できる準備金の積立額は投資額の70%が限度となる仕組みだけでしたが、改正により、一定の認定を受けた場合に、

  • その認定に係る特別事業再編計画に従って最初に取得をした株式等については90%
  • 上記1.に掲げるもの以外の株式等については100%となる新たな制度(以下「新制度」)

が加えられます。なお、株式等の取得価額が100億円超または1億円未満である場合などは対象外となります。

また、積み立てた準備金は、将来的に取り崩さなければなりません(益金として処理)。現行では、5年間の据え置き期間経過後、原則5年間で均等額の取り崩し(例えば2024年4月に準備金5000万円を積み立てた場合、2029年以降5年間にわたり、1000万円ずつ取り崩す)を行います。ただし、新制度により積み立てた準備金については、据え置き期間が10年間となります。

この改正は、産業競争力強化法の改正法の施行日から2027年3月31日までの間に認定を受けた株式等の取得に対して適用されます。

5 交際費等の損金不算入の緩和と中小企業特例の延長

交際費は、原則として損金に算入できません(損金不算入)が、一定金額以下の飲食代であれば交際費から除外され損金に算入できます。現行では1人当たり5000円以下が基準でしたが、改正により

1人当たり1万円以下に引き上げ

られることになりました。この改正は、2024年4月1日以後に支出する飲食費に適用されます。

また、中小企業が受けられる年800万円まで損金に算入できる特例については、適用期間が3年延長され、2027年3月31日まで延長されることとなりました。

以上(2024年2月)
(執筆 南青山税理士法人 税理士 窪田博行)

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画像:Bacho-shutterstock

【規程・文例集】「役員規程」のひな型

書いてあること

  • 主な読者:最新法令に対応し、運営上で無理のない会社規程のひな型が欲しい経営者、実務担当者
  • 課題:法令改正へのキャッチアップが難しい。また、内規として運用してきたが法的に適切か判断が難しい
  • 解決策:弁護士や社会保険労務士、公認会計士などの専門家が監修したひな型を利用する

1 役員規程とは

株式会社における役員とは、取締役、会計参与および監査役のことです(会社法第329条第1項)。役員が一定の規律の下でその役割を遂行していくためには、報酬や執務条件などをまとめた役員規程が必要です。役員規程の作成は法令で義務付けられていませんが、トラブルの未然防止などの観点から作成しておくのが望ましいです。注意点は、会社法などの関連法令や定款の定めなどと整合性を取ることです。最後に、「役員規程の作成で押さえておきたい会社法の事項(一部)」をまとめているので参考にしてください。

2 役員規程のひな型

各役員の有無などは会社の機関設計によって異なりますが、本稿では取締役会および監査役設置会社を想定し、一般的な内容の役員規程のひな型などを紹介します。実際にこうした規程を作成する際には、必要に応じて専門家のアドバイスを受けることをお勧めします。

【役員規程のひな型】

第1章 総則

第1条(目的)

1)本規程は、役員の就任・退任・執務条件・役員報酬などに関する基本的事項について定めるものである。

2)本規程に定める事項以外については、会社法などの各種法令、定款、株主総会および取締役会の決議に従うものとする。

第2条(役員の定義)

本規程における役員とは、株主総会で選任された取締役および監査役のことをいう。

第3条(役員の職位)

役員の職位は、次の各号の通りとする。

  1. 取締役会長
  2. 取締役社長
  3. 取締役副社長
  4. 専務取締役
  5. 常務取締役
  6. 取締役
  7. 監査役

第4条(適用範囲)

本規程は、原則として常勤役員に適用する。ただし、必要があるときは、本規程の一部を非常勤役員に準用することがある。

第2章 選任・就任

第5条(役員の選任)

1)役員は、株主総会の決議によって選任される。

2)株主総会に提出する役員選任に関する議案の内容として、当会社が提案する役員候補者は、取締役会により決定する。ただし、監査役である役員については、取締役会は、監査役の過半数の同意を得た上で監査役候補者を決定する。

3)第2項の取締役会の推薦を得ようとする者は、法令および定款に定める役員の要件を備えている者でなければならない。

第6条(就任の承諾)

株主総会において役員として選任され、かつ役員に就任することを承諾した者は、速やかに役員就任承諾書を会社に提出しなければならない。

第7条(役員の就任日)

役員の就任日は、役員就任承諾書を会社に提出した日とする。

第8条(役員の任期)

役員の任期は、取締役については、選任後2年以内に終了する事業年度のうち、最終のものに関する定時株主総会の終結のときまで、監査役については、選任後4年以内に終了する事業年度のうち、最終のものに関する定時株主総会の終結のときまでとする。

第3章 退任

第9条(役員の退任)

役員は、次の各号のいずれかに該当するときは退任となる。

  1. 任期満了
  2. 辞任
  3. 解任
  4. 定年
  5. 死亡
  6. 資格喪失

第10条(辞任)

1)役員を辞任する場合は、6カ月前までに会社に届け出なければならない。

2)役員を辞任する場合は、業務の引き継ぎを完了しなければならない。

第11条(解任等)

1)役員の解任は、株主総会の決議によって行う。

2)取締役会は、役員として適性を欠くと判断した場合には、当該役員に対して辞任勧告を行うことができる。

第12条(資格喪失)

役員に、会社法または定款に定める欠格事由が生じた場合には、その資格を喪失する。

第4章 定年

第13条(定年)

1)役員の定年は、原則として次に定める通りとする。

  1. 取締役会長:○歳
  2. 取締役社長:○歳
  3. 取締役副社長:○歳
  4. 専務取締役:○歳
  5. 常務取締役:○歳
  6. 取締役:○歳
  7. 監査役:○歳

2)任期中に第1項の定年年齢に達した場合には、任期満了日まで定年を延長するものとする。

第14条(退任後の処遇)

1)退任する役員が、在任中、特に会社に対して貢献がある場合、会社は当該役員に相談役を委嘱することができる。

2)相談役の委嘱は、取締役会決議によって決定する。

3)相談役の任期は1年とする。

第5章 執務条件

第15条(執務時間)

1)執務時間は、別途定める「就業規則」(省略)第○条~第○条の定めに準じる。

2)第1項に定める時間帯に職務を執行できない場合でも、業務に支障が生じないように配慮しなければならない。

第16条(休日・休暇)

1)休日・休暇は、別途定める「就業規則」(省略)第○条~第○条の定めに準じる。

2)休日・休暇の際には、常に会社と連絡を取れるように努めなければならない。

第17条(会社への届け出)

第15条第1項に定める時間帯に職務を執行できない場合、および休暇の取得に際しては、事前に会社に届け出なければならない。ただし、緊急時などやむを得ない場合は、事後の報告で足りるものとする。

第6章 責務

第18条(役員の責務)

役員は、職務執行に当たって、次の各号の事項を遵守しなければならない。

  1. 法令・定款・社内規程、株主総会の決議、取締役会の決議に従って職務を遂行すること
  2. コンプライアンスに対する高い意識を持って適正に職務を遂行すること
  3. 善良なる管理者としての注意義務を守り、忠実にその責務を果たすこと
  4. 所轄する部門や業務を統括し、他部門との連携・協調に努めること

第19条(取締役の責務)

取締役は、職務執行に当たって、次の各号の事項を遵守しなければならない。

  1. 取締役会に出席して、職務執行状況について報告すること
  2. 会社に著しい損害を及ぼす恐れのある事実があることを発見したときは、直ちに、当該事実を監査役に報告すること
  3. その他、法令などで定められている事項を適切に遂行すること

第20条(監査役の責務)

監査役は、職務執行に当たって、次の各号の事項を遵守しなければならない。

  1. 取締役の職務執行を監査し、法務省令で定めるところにより、監査報告を作成すること
  2. 取締役が不正の行為をし、もしくは当該行為をする恐れがあると認めるとき、または法令もしくは定款に違反する事実もしくは著しく不当な事実があると認めるときは、遅滞なく、その旨を取締役会に報告すること
  3. 取締役会に出席し、必要があると認めるときは意見を述べること
  4. その他、法令などで定められている事項を適切に遂行すること

第21条(禁止および制限事項)

1)役員は、次の各号に定める事項をしてはならない。

  1. 職務上の地位を、手数料・リベートなどの収受のために利用すること
  2. 個人のために、会社の金品を使用したり、従業員を使用したりすること
  3. 会社の名誉や利益を毀損する行為をすること

2)取締役は、次の各号に定める事項に該当する場合は、取締役会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない。

  1. 取締役が、自己または第三者のために会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき
  2. 取締役が、自己または第三者のために会社と取引をしようとするとき
  3. 会社が、取締役の債務を保証するとき
  4. その他取締役以外の者との間において、会社と当該取締役との利益が相反する取引をしようとするとき

第22条(機密保持)

1)役員は、職務上知り得た会社の機密情報を、正当な理由なく社内外に漏洩してはならない。

2)第1項の規定は、役員退任後も遵守しなければならない。

第23条(賠償責任)

1)役員が、その任務を怠ったことによって会社に損害を与えた場合、会社に対して、その損害を賠償する責任を負う。

2)前項に定める責任は、役員退任後も免れない。

第7章 役員報酬および退職慰労金

第24条(役員報酬に関する事項)

1)役員報酬は、株主総会の決議で総額を決定し、具体的な配分は、取締役については取締役会、監査役については監査役の決議によって、それぞれ決定するものとする。

2)支給方法などは、別途定める「役員報酬規程」(省略)に定めるものとする。

第25条(役員退職慰労金に関する事項)

1)退任する役員に対しては、株主総会の決議により、役員退職慰労金を支給する。

2)支給方法などは、別途定める「役員退職慰労金規程」(省略)に定めるものとする。

第8章 雑則

第26条(改廃)

本規程の改廃は、取締役会において行うものとする。

附則

本規程は、○年○月○日より実施する。

3 役員規程の作成で押さえておきたい会社法の事項(一部)

役員規程の作成で押さえておきたい会社法の事項(一部)は以下の通りです。あくまで主な事項と当該事項に関連する主な条文のみを紹介したものであって、これら以外にも多くの事項が会社法において定められています。また、定款の定めは、各社によって異なるため、役員規程作成の際は注意しましょう。

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以上(2024年2月更新)
(監修 TMI総合法律事務所 弁護士 池田賢生)

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画像:ESB Professional-shutterstock

企業不祥事から見るガバナンス不全と内部通報制度の必要性について

主な読者:内部通報制度の導入やガバナンス態勢の構築に取り組む経営者様

ポイント:

  • 日本企業では不正やハラスメント内部通報体制が遅れている(未対応企業7割弱)
  • 消費者庁もついに1万社を対象に内部通報制度の実態調査に乗り出す
  • リスク管理、企業価値向上への内部通報制度の寄与
  • 機能する内部通報制度の5要件(リスクマネジメントの観点から)

1 日本における内部通報制度の課題について

2000年代前半の企業不祥事をきっかけにガバナンス態勢の構築の必要性が高まり、様々な法改正や仕組が導入され、昨年は公益通報者保護法や個人情報保護法の改正、パワハラ防止法の施行等によって法的には厳格化されましたが、昨今の有名企業による企業不祥事で、ガバナンス態勢が機能していないことが露呈することになりました。中古車販売のビッグモーターや日大アメリカンフットボール部の事件でも内部通報等への対応に不備があり、ジャニーズ事務所の性加害問題や宝塚歌劇の長時間労働やハラスメント等では人権問題に関連した不祥事が隠蔽されてきました。今後、求められるガバナンス態勢を確保し、企業価値の向上や不祥事の防止に繋げるには、やはり経営者や役員等がリスクに真正面から向き合い、適切にリスクを管理し、危機に対応する覚悟を持つことが求められます。

実際に、デロイトトーマツグループの調査では、不正やハラスメントの内部通報に対し、日本企業は他のアジア太平洋地域の企業に比べ反応が鈍い傾向があることが示され、パーソル総合研究所の就業者4000人に聞いた調査では、社内相談・通報窓口が「ある」もしくは「あった」と答えた人は40.3%にとどまり、帝国データバンクの全国約2万7000社の調査では、公益通報者保護法に「対応している」のは19.7%にとどまり、「対応していない」企業は66.4%にのぼっており、実効性に課題がある実態が浮かび上がっています。

こうした状況を受けて、消費者庁は上場企業約4000社を含む国内1万社を対象に、アンケートを送付して内部通報体制の実態を調査し、通報に対応する担当者の有無や内部規定の策定等の状況を尋ねる予定です。また、消費者庁への内部通報に関する問い合わせも多く、専用ダイヤルへの相談は22年度に3174件、23年度も4~9月の6カ月で1602件となり、事業者が取り組むべき内容や制度の意義をわかりやすく伝える動画教材、法律で策定が義務付けられている内部規定のサンプルなどをホームページで公開する予定となっています。

公益通報者保護制度への対応

(出所:帝国データバンク「公益通報者保護制度に関する企業の意識調査(2023年11月30日)」)
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/p231113.html

2 内部通報制度と公益通報者保護法

内部通報制度とは、企業内部の問題を知る従業員から、経営上のリスクに係る情報を可及的早期に入手し、情報提供者の保護を徹底しつつ、未然・早期に問題把握と是正を図る仕組みです。目的は、自浄作用の発揮とコンプライアンス経営を推進し、安全・安心な製品・役務の提供と企業価値の維持・向上を図ることであり、公益通報者保護法においても設置が求められています。尚、公益通報者保護法は、自動車のリコール隠しや食品偽装など、消費者の安全・安心を損なう企業不祥事が、組織内部からの通報を契機として相次いで明らかになる中で、事業者の法令遵守を推進し、国民の安全・安心を確保するために2006年に施行されました。

しかし、その後も企業の不祥事が後を絶たず、内部通報制度が機能していない実態から、2022年6月に3つの目的を実現するために改正されました。目的の一つ目は、事業者自ら不正を是正しやすくすると共に、安心して通報を行いやすくすること、2つ目は行政機関等への通報を行いやすくすること、3つ目は、通報者がより保護されやすくすることです。

また、この法改正では大きく6つの改正点がありましたが、1つ目が組織への義務化であり、従業員300名超の規模の組織に内部通報制度の導入と内部通報対応業務従事者を定める事が義務付けられました。2つ目は、罰則規定の追加であり、組織に対しては企業名の公表等の行政罰、内部通報担当者の守秘義務違反には刑事罰が科されることになりました。3つ目は保護要件の拡大であり、氏名等を申告すれば行政通報も保護対象となり、報道機関等への外部通報の制約も緩和されました。4つ目は、通報主体が拡大して退職者や役員が保護対象に加わった事であり、5つ目は通報対象事案が拡大して対象通報に行政罰の対象事案が追加されたことです。最後の6つ目は保護内容の拡大であり、解任された役員の会社への損害賠償請求が可能となり、逆に公益通報をしたことを理由とした会社からの損害賠償請求が禁止となり、通報者の保護が更に強化されました。

公益通報者保護法改正の概要

(出所:ARICEホールディングスグループ作成)

3 内部通報制度を活用した企業価値の向上

公益通報者保護法に基づいた機能的な内部通報制度の導入は、継続的なリスクアセスメントという位置付けにおいて企業のリスクマネジメントに大きく貢献し、企業価値の向上をもたらします。具体的なリスク管理への効用としては、まず企業のリスク管理体制があり、リアルタイムでリスク情報が上がってくる仕組みを作ることで、自浄作用を働かせ、早期にリスクへの対応が可能となります。次に内部通報制度が機能することで、誰かに通報される可能性があるという認識が生まれ、不正行為や違反行為を抑制する機能が働くと考えられます。3つ目に経営陣の管理義務や注意義務、内部統制システム構築義務を果たすことになるため、株主代表訴訟等のトラブルの回避にも繋がることが想定されます。最後の4つ目は社外への通報の抑制であり、内部通報制度の構築によって社内に通報するという仕組みを作っておくことで、不要な外部への告発を抑制し、企業のブランドや信用を守ることが可能になります。また、企業価値への効用としては、まず内部通報制度を構築し、健全な経営を目指すことで、企業風土の改善につながり、従業員へのモチベーションアップが期待できますし、取引先やお客様、求職者等のステークホルダーからの信用力の増大がもたらされ、企業価値を高めることにもつながります。

内部通報制度を活用した企業価値の向上

(出所:ARICEホールディングスグループ作成)

4 リスクマネジメントとして機能する内部通報制度の5要件

しかし、リスクマネジメントとして機能する内部通報制度を構築し、企業価値の向上を実現するには、単に法律の要件を満たしているだけではなく、その運用において以下の5つのポイントを抑えることが重要だと考えられます。まず1つ目が、内部通報制度の意義や目的の共有であり、公益通報者保護法に基づき、内部通報制度の目的や重要性が周知されている事が求められます。具体的には、経営トップのコミットメントとして、内部通報制度の意義や重要性・役割のみならず、通報者に不利益を与えないことや通報に関する秘密保持の徹底、利益よりも企業倫理を優先すること等を共有する事が求められます。2つ目は、環境整備です。内部通報規程を策定し、通報窓口や責任者、通報対象者や通報対象事実、利益相反の排除等のルールを明確にすると共に、通報の利便性を向上させ、通報者の不安を排除し、運用実績を開示する等の工夫が必要です。3つ目は、適切な運用です。通報に対する安心感を醸成する為に、通報の受領や進捗の通知、通報対応の検証・点検を行い、適切な資源配分や予算に基づいて担当者の配置や教育・研修等を行うと共に、必要な権限を付与することも重要です。また、従業員にも協力義務を課し、人事考課の対象とすることで運用への意欲や士気を高めることが可能になります。4つ目は通報者の保護です。機密保持の重要性を通報者も含めて共有し、匿名通報の受付や違反者に対する措置を明確にし、通報者の探索の禁止や専用回線の設置、調査の工夫や情報管理の徹底を行うことも重要です。最後の5つ目は、その他の措置ということで、自主的に通報を行った場合の処分減免措置であるリニエンシー制度や報奨制度の導入、不利益の有無や是正措置の状況の確認と継続的な改善や教育、理解度を把握してフォローアップする仕組みやステークホルダーと内部通報の運用状況を共有する仕組み作り等が考えられます。

リスクマネジメントとして機能する内部通報制度の5要件

(出所:ARICEホールディングスグループ作成)

以上(2024年1月)

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画像:polkadot-Adobe Stock


提供:ARICEホールディングスグループ( HP:https://www.ariceservice.co.jp/
ARICEホールディングス株式会社(グループ会社の管理・マーケティング・戦略立案等)
株式会社A.I.P(損保13社、生保15社、少額短期3社を扱う全国展開型乗合代理店)
株式会社日本リスク総研(リスクマネジメントコンサルティング、教育・研修等)
トラスト社会保険労務士法人(社会保険労務士業、人事労務リスクマネジメント等)
株式会社アリスヘルプライン(内部通報制度構築支援・ガバナンス態勢の構築支援等)

大河ドラマ「光る君へ」で注目の紫式部。源氏物語に込めた想いが分かる一言とは?

日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々(みちみち)しく詳しき事はあらめ

紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代中期の作家で、2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公でもある、日本文学を代表する一人です。貴族・藤原宣孝(ふじわらののぶたか)の妻だった彼女は、あるとき夫を病気で失い、悲しみを紛らわすため、恋多き皇子・光源氏(ひかるげんじ)のストーリー「源氏物語」を書き始めます。

幼い頃から漢文や歴史書を読みこなすなど、教養にあふれていた彼女の文才は、多くの人を引き付け、やがて彼女は宮中に招かれます。そして、時の権力者・藤原道長(ふじわらのみちなが)の娘で、天皇のきさきである彰子(しょうし)の世話係を務めながら、源氏物語を書き続けるのです。

冒頭の言葉は、源氏物語の中で光源氏がある女性に対して言ったせりふで、「歴史書に書かれていることは、世間の出来事のほんの一部にすぎない。本当に大切なことは、物語の中にこそ詳しく書かれている」という意味です。架空の人物のせりふですが、紫式部自身の「物語」に対する思いをよく表した言葉でもあります。

紫式部が活躍する以前から、日本には「竹取物語」のようにさまざまな物語がありました。ただ、彼女は、竹の中から見つかったかぐや姫が月に帰るようなおとぎ話ではなく、もっと人々の現実的な生活や心情を描きたいと考えていました。幼くして母を亡くしたり、夫が他の女性に懸想(けそう)してしまったりと、つらい経験を重ねてきた紫式部は、自分の人生や心に抱えるものを投影できる場を求めたのです。それが源氏物語でした。

紫式部は、人付き合いが苦手で目立つことを嫌うなど、意外とネガティブな一面があったようですが、やがて彼女はにぎやかな宮中で、宮仕えと作家の兼業というハードな生活を送ることを選択します。それは、皇子である光源氏をよりリアルに描くには、彼女自身が宮中の様子をよく知らなければならないと考えたからです。実際、彼女は壮年期の光源氏の人物像を考えるに当たり、自分の雇い主である藤原道長をモデルにするなど、宮中での生活を大いに物語に活かしたようです。

紫式部の物語に懸ける思いは、経営者の会社に懸ける思いにも通じるものがあります。会社が人々から愛されるには、まず経営者自身の中に「事業を通して社会にこんなことを成し遂げたい」という強い思いがなければいけません。そして、熱意だけでなく、会社のステージに合わせて足りないものを貪欲に吸収していく度量がなければ、会社は成長していきません。心理的に新しい技術や価値観を受け入れにくいときもありますが、そこを乗り越えていくことが大切です。

1000年を超えてなお人々に愛される源氏物語。その人気は、物語に投影された紫式部の熱意と、それを十分に読者に伝えるために行われた宮仕えという“緻密な取材”に裏打ちされたものであるといえるでしょう。

           

出典:「源氏物語(5)現代語訳付き (角川ソフィア文庫)」(玉上琢弥、KADOKAWA、2014年12月)

以上(2024年1月)

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IT導入補助金2024のご紹介

中小企業等を支援する国や自治体の補助金・助成金事業では、雇用・人材開発・IT補助・コロナ支援など幅広いジャンルの支援があります。
本レポートでは、おすすめの補助金・助成金について支援の内容や対象条件、申請方法等についてわかりやすく紹介します。

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2024年度税制改正大綱のポイント~短期的にはデフレ脱却優先の減税措置、中長期的には法人増税を示唆~

(要旨)

  • 政府は2024年度税制改正大綱を閣議決定。大枠としては①企業向け減税を筆頭に「新しい資本主義」の趣旨である官民一体投資路線を強化、②短期的には所得・住民税の定額減税をはじめデフレ脱却のための減税措置を優先、③一方、扶養控除廃止や法人増税の示唆といったように、将来の増税方針が並ぶ形となっている。
  • 所得・住民税の4万円の定額減税は所得制限が加えられる形に。開始時期は2024年6月だが、月の税額が減税額に満たない場合には翌月以降に繰り越される。一定の所得者でも扶養家族が多く減税総額が多い場合には、2024年6月に減税額すべてを引ききれないケースは相応にあると考えられる。減税による消費押し上げ効果もその時期は散ることになりそうだ。
  • 企業向け減税が新設。「戦略分野国内生産促進税制」は重要物資への投資ではなく「生産」にインセンティブを付与する減税に。「イノベーションボックス税制」は知的財産から得た所得の一定割合の損金算入を認める。それぞれ10年、7年の長いスパンで実施され、企業の予見可能性を高めることで投資を促すことを目指す。賃上げ減税は大企業向けでより高い賃上げ率を求める形に要件が厳格化される。
  • 高校生期の扶養控除は維持/縮小/廃止の3案で議論が進められていたが、縮小でまとまった。いずれの所得層でも児童手当による収入増を控除縮小による増税が上回らないように設計される。防衛増税は2024年からの実施は見送られた。
  • 大綱では今後の法人増税を示唆。「新しい資本主義」の下で脱炭素や防衛、子育て、経済安保などの施策が歳出先行で実施される中、将来の財源確保のオプションとして法人税が挙げられた形。所得税・消費税の増税ハードルはより高く、法人税への風当たりは強まりそうだ。
  • 今回は議論されなかったが、ブラケット・クリープへの対応など税・財政のインフレ調整は今後論点になりうる。物価・賃金の上昇が定着するならば、名目額で定められた制度はその額を定期的に見直す必要が生じてくる。

2024年度税制改正大綱閣議決定:短期減税/長期増税

政府は令和6年度税制改正大綱を閣議決定した。様々な改正が実施されることになるが、マクロ経済目線では、①企業向け減税の新設を筆頭に「新しい資本主義」で掲げる“官民一体投資重視”の姿勢を継続、②短期的にはデフレ脱却を優先する形で減税措置が中心に、③一方で、所得・住民税における扶養控除の縮小、中長期的な法人増税の示唆、防衛増税など、中長期的には増税によって減税・歳出先行のバランスを整える、といった考えのもとで改正が志向されていると整理できる。

定額減税+給付金で家計を下支えへ、制度設計は複雑化

11月決定の総合経済対策でも示されていた通り、24年6月から家計向けに所得税・個人住民税の定額減税(計4万円、扶養家族がいる場合には一人当たり4万円増額)が実施される。納税のない住民税非課税世帯への給付金(補正予算で措置済み)のほか、納税額が減税額に満たない世帯についても1万円単位での給付金を予備費で措置する方向だ。

また、定額減税については所得制限の実施有無が論点となっていた。所得1805万円超(給与所得者なら年収2000万円超)の際には定額減税の対象外とすることとされた。源泉徴収の給与所得者について、月の源泉徴収額が減税額に満たない場合には翌月以降から残額を減税する形となる。扶養家族が多い場合などは減税額全てを開始月の2024年6月に引ききることができず、7月以降に減税完了が遅れるケースが生じてくることになる。一定の前提を置いて終了時期を試算したものが資料1だ。ある程度の所得があっても扶養家族が多い場合には減税額が大きくなり、6月に引ききれないケースが生じる。所得・住民税の定額減税規模は3.5兆円程度だが、一部については時期が後ずれすることから、所得減税による消費押し上げ効果に関しても時期が散ることになりそうだ。

定額減税の完了時期の試算

既に指摘されているように、家計向け還元策は定額減税と非課税世帯や低所得世帯への給付を組み合わせた複雑な制度設計となっている。足もとで個人消費の低迷がみられる中、消費の下支え策を打つことには一定の理があるものの、定額減税の効果は24年6月以降に散る形となりタイミングは遅れる。政策目的がデフレ脱却をより確かにするための消費喚起、であったのならば、一律給付金が迅速性、制度簡素化の双方の観点でベターだったように思われる。

戦略分野・イノベーション税制を新設、大企業向け賃上げ減税はインセンティブ強化

法人課税では新たに「戦略分野国内生産促進税制」が新設される。企業に重要物資への設備投資を促すものだが、従来の設備投資減税と異なるのは減税額を計算する際のベースが「投資」ではなく「生産」である点だ。投資時のみでなく生産に対しても減税措置を設け、重要物資の国内供給を促す。対象となる物資は電気自動車等(蓄電池)、半導体、環境負荷の少ない鉄鋼・基礎化学品・航空燃料。減税期間を10年間の長期に設定している点も大きな特徴だ。

もう一つ新設となるものが「イノベーションボックス税制」だ。24年度以降に取得した特許などの知的財産権の譲渡・貸付によって得た所得について30%の所得控除(損金算入)を認める。2025~2032年度までの7年間で行われ、こちらも期間が長期にわたる点が特徴である。従来から政府は財政政策の単年度主義の弊害是正を掲げ、政策スパンを長くとることで企業の予見可能性を高め、これを民間投資喚起の呼び水とすることを目指してきた。そうした路線に沿った2つの新税制である。

賃上げ減税(所得拡大促進税制)については3年延長(2024~2026年度)したうえで、大企業分を対象に適用要件を厳格化する。この税制は給与増加額の一定割合を税額控除できるものだ。資料2の通り賃金増加率(継続雇用者給与等支給額の増加率)に応じてより大きく控除率が変動する枠組みとし、企業に対してより高い賃上げを促す。また、中小企業分については5年間の繰越欠損の仕組みを設け、赤字を繰り越せるようにする。中小企業の多くが欠損法人(赤字)であり法人税納税がなく、減税効果が及ばない点に対応したものだ。黒字/赤字の波がある企業には有効だが、恒常的に赤字計上を続ける企業には効果が及ばない点は変わらない。

また、従来からある教育訓練の実施した際の控除率上乗せ措置に加え、女性活躍、子育て環境整備の要件(プラチナえるぼし、プラチナくるみん認定)を満たした場合の上乗せ措置が追加される。賃金以外にも教育訓練の充実や働く環境整備に対してインセンティブのある制度となる。

大企業の賃上げ減税改正前後の控除率

扶養控除は縮小路線明示の一方で決定は来年に。防衛増税の開始時期具体化は見送り

少子化対策として高校生期に児童手当の拡充が行われることに対応して、高校生期の扶養控除の縮小が明記された。所得税の控除を38万円から25万円に、住民税の控除を33万円から12万円に縮小する。控除を廃止した場合には、児童手当の増加を扶養控除廃止による増税が上回る世帯が高所得層において発生するが、児童手当の増額分をいずれの収入層でも上回らないように増税幅を抑えた形である。児童手当の拡充が少子化対策として行われることに配慮したものだが、児童手当増額分を減殺することにはなる。高所得者への恩恵が大きくなる控除から一律の手当へ、という方向性に沿ったものだが、結果として子育て世帯間での所得再分配の性格が強まり、少子化対策としての性格は薄れる形になっている。開始は2026年分以降の所得税(27年度分以降の住民税)とすることが想定されている。改正内容が明示される一方で、本決定は次回の税制改正に持ち越されることとなった。

また、昨年の大綱では防衛増税(所得税・法人税・たばこ税)の内容が明示され、実施時期を2024年以降のタイミング、としていた。今回大綱では「適当な時期に必要な法制上の措置を講ずる趣旨を令和6年度の税制改正に関する法律の附則において明らかにする」として、開始時期具体化は見送られた。所得税の定額減税を実施する一方で、所得税を含む恒久増税を実施すれば、定額減税が増税のためのバーターに映ってしまう点などを考慮したためと考えられる。

中長期的な法人税率引き上げを示唆

今回の税制改正の特徴としては、短期的には家計向けの所得・住民税減税や企業向けの設備投資減税など減税措置が実施される一方で、中長期的には防衛増税や扶養控除の廃止などの増税措置が据えられている点である。

さらに今回大綱で、「今後、法人税率の引き上げも視野に入れた検討が必要」として中長期的な法人増税が明示されている点はインパクトがある。さらに「近年の累次の法人税改革は意図した成果を上げてこなかったと言わざるを得ない」と強いトーンで従来の法人減税路線を否定している。法人税増税の根拠として、①各種の租税特別措置と合わせ、投資や賃上げ還元に消極的な企業へのディスインセンティブを強化する観点、②世界的な法人税引き下げ競争の回避の潮流の下で、海外諸国が官民投資促進策の財源として法人税増税を選択している点などが挙げられている。財政当局としては、岸田政権の下で「新しい資本主義」を掲げ、脱炭素、防衛、少子化対策といった施策が歳出先行で進められるもと、法人税増税を財源確保のオプションとして据えたい意図があるのだと考えられる。将来に向けた地ならしであろう。基幹3税のうち、所得税は賃上げを求める中で明確な増税路線を示すことは難しいほか、消費税は社会保障財源としての紐づけを行ってしまったため、他政策の財源としては打ち出しにくい。消去法的な側面もあるが、法人税に対する風当たりは強まっていく可能性が高そうだ。

法人税率の引き上げが進む場合、租特の影響を除いても賃金還元を増やしうる要素は確かにある。人件費は企業会計では損金なので、人件費を増やせば最終利益が減って納める法人税は減る。法人税率引き上げは納税額を抑えるために利益を減らすインセンティブを高めることから、損金である賃金還元を増やす側面がある。しかし、企業が将来のキャッシュフローの減少を見込むことで賃金還元に対する慎重姿勢を強める面もあると考えられ、どちらが勝るのかは定かではない。一方で、素直に法人税増税がマイナス要因となるのは株価であろう。税引き後の当期純利益から拠出される配当の減少要因となる。教科書的なモデルでは株価は将来分も含めた配当総額の割引現在価値である。

論点化しなかったインフレ調整

11月の経済対策の議論の中で、野党からブラケット・クリープへの対応を求める声が挙がった。所得税や住民税は名目額で税率の境目が設定されており、インフレ進行のもとでは限界税率の上昇に伴う手取り額の実質的な目減りが進みやすくなる。今回改正で議論があるか注目していたが、盛り込まれなかった。

インフレ調整は、物価指数に対するスライドの仕組みを取り入れている公的年金給付などでは問題にはならないが、所得税のブラケットや児童手当の支給額など、名目額で「XX円」と決まっている制度の場合にはインフレに合わせて適当なタイミングで額を見直す必要が出てくる。長年、明確な物価上昇が生じなかったためこの点はさして問題にはならなかったが、物価上昇が今後定着するならば税・財政の各種制度のインフレ調整が改正議論の俎上に載ってくる可能性は高いと考えられる。

2024年度税制改正大綱・主な改正内容

以上(2024年1月)
(執筆 第一生命経済研究所 経済調査部)

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