(2021年6月3日可決)男性社員の「育児休業」を盛り込んだ改正育児・介護休業法

書いてあること

  • 主な読者:改正育児・介護休業法(2021年6月3日可決)の改正点を知りたい経営者
  • 課題:細かい改正点も多く、自社にとって重要なものが何かよく分からない
  • 解決策:「出生時育児休業」の新設をはじめ、4つの改正点を押さえる

1 改正育児・介護休業法(2021年6月3日可決)の4つの改正点

2021年6月3日、改正育児・介護休業法が国会で可決されました。今回の法改正では、男性社員の育児休業取得率(7.48%)が女性社員(83.0%)に比べ著しく低い(厚生労働省「令和元年度雇用均等基本調査」)ことなどを受け、男性社員の育児休業の取得促進に焦点が当てられています。また、有期雇用社員の育児・介護休業の取得要件緩和なども盛り込まれています。

改正点はさまざまですが、中小企業にとって重要なものは次の4つです。

  • 男性社員のための「出生時育児休業」の新設
  • 育児休業の再取得に関するルールの新設
  • 育児休業を取得しやすくするための環境整備の義務化
  • 有期雇用社員の育児・介護休業の取得要件緩和

以降でそれぞれのポイントを解説していますので、ぜひご確認ください。

2 男性社員のための「出生時育児休業」の新設

男性社員について、

子どもの出生後8週間以内に最大4週間まで取得できる「出生時育児休業」が新設

されます(2021年6月9日から1年6カ月以内に政令で定める日より施行)。

現行法でも、男性社員は子どもが原則1歳になるまで「育児休業」を取得できますが、出生時育児休業は育児休業とは別に取得できます。また、出生時育児休業は、

出生直後の多忙な時期に男性社員が配偶者をサポートするための制度

なので、育児休業とは幾つか異なるルールが設けられています。

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「1.休業の申し出」については、出生時育児休業の場合、原則休業開始の2週間前までに申し出ればいいため、男性社員は直前まで休業を取得するかどうかを熟考できます。

「2.休業期間」については、出生時育児休業の場合、出生直後の配偶者のサポートに重点を置いているため、育児休業よりも休業期間が短くなっています。

「3.休業中の就業」については、出生時育児休業の場合、労使協定を締結した上で出生時育児休業の開始前に男性社員と会社が個別に合意すると、休業中に男性社員を就業させることが認められます。

「4.休業中の賃金」については、出生時育児休業、育児休業共に賃金の支払い義務はありません。休業中の生活保障が気になるところですが、この点は所定の要件を満たせば、出生時育児休業給付金、育児休業給付金が支給されるので心配いりません(両者共に最大で賃金の67%相当を支給)。

「5.休業の分割取得」については、出生時育児休業、育児休業それぞれについて2回まで分割取得が認められるようになります。育児休業の分割取得については現行法には定めがありませんが、2021年6月9日から1年6カ月以内に政令で定める日より法制化されます。

3 育児休業の再取得に関するルールの新設

原則として、育児休業は子どもが1歳になるまでですが、例えば、子どもが1歳になっても保育所に入れないなど特段の事情がある場合、1歳6カ月まで延長できます。1歳6カ月まで育児休業を延長して同様の事情が起きた場合も、2歳まで延長が可能です。ただし、現行法では開始時点がそれぞれ1歳到達日の翌日または1歳6カ月到達日の翌日に限定されていました。

この点、改正法では、

配偶者が育児休業を取得している場合で、その終了予定日の翌日以前であれば「1歳から1歳6カ月まで」または「1歳6カ月から2歳まで」の任意のタイミングで育児休業を再取得

できるようになります(2021年6月9日から1年6カ月以内に政令で定める日より施行)。この育児休業の再取得は、分割取得(2回まで)とは別にカウントされます。例えば、男性社員が子どもが1歳6カ月になるまで育児休業等を取得する場合、前述の出生時育児休業の分割取得(2回まで)も含めると、図表2のように休業期間を実質5回に分割できるわけです。

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4 育児休業を取得しやすくするための環境整備の義務化

社員から、本人または配偶者が妊娠・出産したと報告があった場合、

社員に育児休業に関する制度について説明し、取得の意向を確認

することが義務付けられます(2022年4月1日施行)。厚生労働省へのヒアリング(2021年6月4日)によると、

「取得の意向を確認する方法については法令上特に定めがなく、書面を交わすことなどは現状求められていない」

とのことです。

また、上記の内容に加え、育児休業の申し出が円滑に行われるよう、次のいずれかの措置を講じることが会社に義務付けられます(2022年4月1日施行)。

  • 育児休業に関する研修の実施
  • 育児休業に関する相談体制の整備
  • その他育児休業に係る雇用環境の整備に関する措置(厚生労働省令で定めるもの)

5 有期雇用社員の育児・介護休業の取得要件緩和

有期雇用社員の育児・介護休業の取得要件のうち、

「同一の会社での雇用期間が連続1年以上」という取得要件が廃止

されます(2022年4月1日施行)。

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以上(2021年6月)
(監修 社会保険労務士 志賀碧)

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画像:aijiro-Adobe Stock

労働判例の読み方 社会福祉法人・青い鳥事件(正職員だけの産前・産後休暇の延長、有給制等の不合理)

(日本法令ビジネスガイドより)
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【朝礼】序二段から返り咲いた大関に学びたい「前向きさ」

私は大相撲が好きで、テレビで観戦することも多いのですが、大相撲に関心のない人にも、ぜひ知っておいてもらいたい力士がいます。それは照ノ富士(てるのふじ)関です。照ノ富士関は2021年の三月場所で見事に優勝し、大関、つまり横綱に次ぐ番付に昇進しました。

実は、照ノ富士関はそれ以前にも大関だった時期がありました。ところが、膝のけがや病気などで本来の力を発揮できなくなり、大関から陥落します。その後も負け越しや休場が続き、番付は下から2番目の序二段にまで落ちてしまいます。

大関まで上り詰めた力士は通常、大関から陥落したときや、幕下という「関取」でない番付に下がったときに引退します。相撲は実力がものをいう世界で、番付によって給料はもちろん、付け人と呼ばれる世話係の有無、食事の順番など、待遇が大きく変わります。大関まで経験した人であれば、絶頂期と比べて天と地ほど違う待遇を甘んじて受けるより、「元大関」という肩書で第二の人生を歩むほうが、自然な選択といえます。

特に照ノ富士関は、横綱になることだけを考えてきたので、夢をほぼ断たれた状態でもありました。何度も師匠に引退したいと伝えたそうですが、そのたびに慰留され、まずはけがや病気の治療に専念することにしました。やがて、膝を手術し病気も回復してくると、再び土俵に立つことを決断します。そして、序二段から再スタートし、約2年かけて大関に返り咲くことができたのです。

照ノ富士関が大復活できた1つの理由は、本人も感謝しているように、引退を慰留し続けた師匠や、番付を落としているときに入籍した奥様をはじめとする周囲の人の支えがあったからです。

ですが最も大きな理由は、どんな状況になっても頑張り通せた照ノ富士関自身の前向きさにあると思います。体が言うことを聞かない、横綱になるという目標からどんどん遠ざかる、待遇が悪くなる、これまでの支援者が少なからず去っていく。失っていくものを見ていたら、キリがありません。ですが照ノ富士関は、それでも応援してくれる人のほうを見て、「応援していてよかった」と言ってもらえるように頑張ったといいます。

けがや病気に対しても前向きに取り組みました。再発を防ぐために、膝の負担が大きい力任せの相撲を改めるとともに、病気の一因となった酒を絶ちました。そして次第に、低い番付からの昇進を2度経験するのは、「どんな大横綱でも味わったことのない楽しさを味わっているのかも」と考えるようになったそうです。

私たちも、仕事で失敗したり思い通りにいかなかったりして、「もう辞めたい」と思うことが何度もあるはずです。そんなときは、照ノ富士関のように、「こんな自分でも、まだ期待してくれている人がいる」「ピンチだけど、こんな経験は何度もできない」と前向きに考えたいものです。そうすれば、もう少し踏みとどまって頑張ってみよう、という気持ちになれるはずです。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

社長が語る 私はM&Aによる事業承継をこうして決断した

書いてあること

  • 主な読者:自社の事業譲渡や、他社の譲り受けによる業容拡大を考えている社長
  • 課題:M&Aの経験がないので、実際に経験している他社の社長の考えを聞きたい
  • 解決策:売り手も買い手も、譲渡対象の会社の中で、残したいものは何かを明確にしておく

1 「こんなはずではなかった」では済まされないM&A

事業承継の方法の1つにM&Aがあります。社内で後継者を見つけられない、自社だけでは存続が難しいといったケースはますます増えており、M&Aは事業承継の重要な選択肢となっています。現状では「うちには必要ない」という会社であっても、あらゆるリスクを想定すべき立場にある社長なら、M&Aの可能性は常に意識しておくべきでしょう。

M&Aは、会社と社員の将来を左右し、しかも一度踏み出すと簡単には後戻りできない、重大な決断です。売り手であっても買い手であっても、契約してから「こんなはずではなかった」では済まされません。その一方で、異なる会社が1つになるわけですから、リスクがつきものです。社長にとって、最も難しい経営判断の1つです。

この記事では、事業を譲渡した会社の元社長と、事業を譲り受けた会社の社長へのインタビューを紹介します。いつか同じ立場になることをイメージしながら、参考にしてみてください。

2 事業譲渡の事例:エネルギー業界の将来の激変を確信し決断

前身から数えて約100年続く家業はしっかりと利益を出しており、跡取り息子も経験を積んできている。そんなタイミングで他社に事業譲渡し、息子は譲渡先の会社の平社員に。それを決断したのは、婿養子である3代目社長――。それでも「後悔したことは全くない」と胸を張れるのは、業界の先行きを誰よりも徹底して調べ、家族、社員、顧客にとって最善の選択をした、という自負があるからです。

1)婿養子の3代目社長

吉原祐司さんが埼玉県入間市のプロパンガス販売会社「吉原燃料店」に入社したのは1982年のことでした。結婚を機にそれまでの勤め先を辞め、妻の実家・吉原家の婿養子となったタイミングでした。それから約30年、吉原さんは、創業社長である義父と、その弟で2代目社長となる義理の叔父の下、事業の拡大に貢献。2011年、54歳で満を持して3代目社長に就任しました。

社長就任の際、吉原さんは自身に2つの役割を課しました。1つは会社の業績を伸ばすこと。そしてもう1つは、次の社長を育てることです。もちろん事業譲渡は頭の片隅にもなく、3年前に入社した長男にバトンタッチするまでには5~10年ほどかかるだろう、と考えていたそうです。

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2)政府の電力自由化宣言が転機に

ところが、社長就任の直前に発生した東日本大震災が、エネルギー業界、そして吉原燃料店に大きな影響を及ぼします。発端は2013年、政府が震災を受けてスタートさせた電力システムの改革によって、3年後に電力小売事業への参入を全面自由化すると公表したことでした。「自社が関わる業界が変わろうとしているのに何もしないのは、経営トップとして間違っている」。吉原さんは、電力自由化に伴うエネルギー業界への影響を、独自に調べ始めます。

吉原さんの調査は徹底していました。調査対象は国内のみならず、電力自由化の先進地域である欧州にまで及びました。文献だけでなく、あらゆる「つて」を駆使し、積極的に人と会って情報収集しました。エネルギー政策に詳しい国会議員、プロパンガスの納入先だった横田基地の米軍関係者、SNSで知り合ったフランス滞在歴の長いフランス語通訳……。地元の入間市に頼み込んで、市内の祭事のために来日していたドイツの姉妹都市の市議らの時間を割いてもらい、現地のエネルギー事情についてのヒアリングも敢行しました。

3)エネルギー業界で生き残るために事業譲渡を選択

こうして集めた情報から吉原さんは、「電力が自由化されれば、電力、都市ガス、プロパンガスはすみ分けができなくなる」と分析。そこで生じた最大の懸念は、「エネルギー業界が統合されても、吉原燃料店は商流の川上にいられるかどうか」でした。

「下流にいるだけでは価格も決められず、商売として面白くないし、先細りになってしまう」と考える吉原さんは、自社が電力を供給できる方法がないか調べることにしました。大手電力会社に電力を融通してもらえないか相談したところ、「埼玉県全域をカバーできるくらいの規模がないと、卸先として認めてもらえない」ことを実感。それなら、自社の営業領域でない埼玉県東部をカバーしている同業者を買収できないだろうか。こうして吉原さんは、M&Aのセミナーなどに参加するようになりました。

そうこうしているうちに、2016年4月の電力自由化まで残り1年半を切り、吉原さんは決断を迫られます。「電力自由化まで5年から10年あれば、他社を買収して自力で生きていけるかもしれない。でも、もう時間がない。吉原燃料店を存続させて先細りになっていくよりも、次の扉に手をかけるべきだ。電力を供給できる会社に事業譲渡すれば、社員はその大きな会社で営業所長にも役員にもなるための道が開ける」。そして、2015年末、吉原さんは自社の事業譲渡先を探すため、M&A仲介会社に相談します。

4)譲渡先の決め手は、小回りが利き社員と顧客を大切にする社風

M&A仲介会社からは、同業の全国40社の候補が紹介されました。吉原さんはそこから8社に絞り、担当者と面談を行いました。

譲渡先を選ぶ第一の基準は、社員と顧客を守ってくれることでした。譲渡後3年間は社員の待遇や会社の定款などを変えないこと。そして従来の地元の顧客を不安にさせないだけの知名度と営業力を持ち、プロパンガスの安定供給ができることなども条件に加えました。

吉原さんが譲渡先に選んだのは、県内のプロパンガス販売大手で既に電力事業も手掛けているサイサン(さいたま市)。決め手は「波長が合う会社だった」ことでした。他の有力候補の会社に相談すると返答までに2カ月半かかる課題を、オーナー経営であるサイサンは、副社長が「それでいきましょう。取締役会はなんとかなるでしょう」と即答できる会社でした。規模は大きくても小回りが利き、“小売り商人”の考え方が残っている。また、経営理念に大家族主義、お客様第一主義を掲げ、社員と顧客を大切にする。これが、サイサンの社風が「合う」と感じた理由でした。

5)家族や社員への説明

婿養子である吉原さんが吉原燃料店の事業譲渡に当たり、どうしても理解を得ておきたかったのが、妻と義母(義父は既に他界)、2代目社長である義理の叔父、長男の4人です。

まず相談したのは、次期社長候補だった長男でした。後継ぎとして会社に引き入れた手前、猛反対されることも想定していたそうですが、意外にも「朝礼でも月に1、2回は話していたので、親父が電力自由化後の会社の在り方について研究していることは知っていた。それで自分でも調べてみたけど、親父に賛成だよ」と、すんなり承諾してくれたそうです。「うれしいという部分もあったけれど、自分がうまく育てたなと思った」と笑う吉原さん。現在、吉原さんの長男はサイサンの一社員として、埼玉県内の別の支店で働いているといいます。吉原さんは、「父親に遠慮して、サイサンに残り続ける必要はないと彼に話している。それでも積極的に勤めているのだから、自分なりの考えを持って働いているのだろう」と長男を気遣います。妻や義母も吉原さんの考えに理解を示してくれました。

最も説得に苦戦したのは、義理の叔父でした。既に会社の株は保有していませんでしたが、「叔父には理解してもらいたい」との思いが強かった半面、「15回くらい話をして、それでもなんとか容認してもらえる程度だろうと覚悟していた」といいます。電力自由化に関して自分で調べたことを説明し、「家族、社員、社員の家族のため、そして社員がつないでくれているお客様にとって、一番いい選択」「吉原燃料店よりも、吉原の家を守りたい。会社の名前を残さなくても、皆が幸せならいいはず」と力説する吉原さん。最初は「言いたいことは分かった。考えてみる」、ときには「ちょっと間をおこうや」と難色を示していた義理の叔父ですが、2カ月半ほどたった6回目の話し合いで、「電力自由化のことを自分でも調べたけど、あんたの言っていることもあながち間違ってねーな」と言ってもらえました。それを受けて吉原さんは2016年6月、譲渡契約に調印します。

社員へは、契約に調印した当日、新社長を伴って開いた夕礼の場で説明しました。吉原さんは、社員が安心し、さらに希望が持てるように、当面は給料やボーナスなどは変わらないことと、頑張れば支店長にもなれると話したといいます。

6)気遣いが重要な譲渡後の統合作業

譲渡後も吉原さんは既存の顧客が混乱しないよう、顧問として3年間会社に残りました。譲渡後間もない時期、何かあるたびに話しに来る社員たちに対して、吉原さんは「違うだろ」と目で合図をし、新社長のところに行くように促したといいます。それを繰り返すうちに、社員の足は徐々に新社長に向かうようになりました。

新社長も、吉原さんや社員を気遣ってくれました。吉原さんにはしばしば、「社員に話をするには、このような表現でよいでしょうか」などと相談してくれたといいます。これに対する吉原さんの答えは、常に「いいんじゃないでしょうか、そうしましょう」。吉原さんは、「私も新社長も、お互いに会社のために、取るべき立場を守った。(自分が)いい会社にしようと本気になれば、譲渡先もいい人を派遣してくれるものだと思った」と振り返ります。

吉原燃料店は2018年9月にサイサンに吸収合併され、サイサンの入間営業所となりました。それを見届けた吉原さんは、その後間もなく身を引くことを決意します。

7)「調べ尽くし、考え抜いて計画を立てる。あとは計画の操り人形になる」

吉原さんは、「事業を譲渡したことの後悔は一度もない。なぜなら、後になって『こんなはずじゃなかった』とならないように、『自分の計画の操り人形になった』から」といいます。

自分自身のマインドマップを作って、会社の今後に関する計画を立てる。そのために、事前にあらゆる手を尽くして情報を収集し、思い込みを排除する。揺るがぬ計画さえ立てられれば、後はぶれないし、後悔することもない。

吉原さんの決断に対して、「プライドがないのか」と中傷する人もいたそうです。しかし吉原さんには、全く気にする素振りはありません。「自分のプライドより、社員や社員の家族、お客様の幸せのほうが大事。お客様がいいなら、会社の名前も残さなくていい。そういう道筋を作れたことは、恥ずかしいことではないし、今でも誇れることです」

(取材協力 株式会社日本M&Aセンター)

3 事業譲り受けの事例:先代社長との10年間の交流で譲渡会社の「心」を承継

後継者不在で身売りを考えていた同業の本家を、分家が72年ぶりに統合。本家は江戸末期から続く老舗ですが、分家の義理の息子は本家の屋号の承継を断り、自社(分家)の利益拡大路線にまい進します。ところがその10年後、本家の屋号の存続を断った分家の義理の息子は、本家の8代目襲名を決意。その理由は、統合後に10年続けてきた本家の先代社長との対話を通じて、本家に受け継がれてきた循環型社会を基とする「江戸時代の哲学」の価値に気付き、自社で“承継”したいと考えたからでした。

1)事業モデルの転換で妻の実家の豆腐屋を立て直す

8代目染野屋半次郎こと小野篤人さんが、妻の実家が家族で経営する豆腐屋「染野豆腐店」で手伝いを始めたのは、1999年1月のことでした。当時25歳だった小野さんは、米国の雑貨の輸入販売代理店業を営む“若き実業家”でした。

ところが、染野豆腐店で製造を一手に担っていた義父が、結婚後わずか2カ月で急逝。義母からの頼みと、親戚からの「豆腐屋は年間で1000万円ぐらいもうかるらしいよ」という甘い言葉に誘われ、本業の空き時間を使って豆腐の製造を手伝うことにしました。当時は豆腐に関する知識は全くなく、「お金を稼げるならいいや」という感覚だったといいます。

しかし、蓋を開けてみると、実際の染野豆腐店は年商300万円程度。主要な販売先は学校給食向けでしたが、少子化の影響で「完全に落ち目」の状態でした。そこで小野さんは、それまでの事業モデルの転換を決意し、個人客に狙いを定めました。原料の大豆を外国産から国産に切り替えるとともに、味や安全・安心にこだわった独自の製法を研究し、一丁110円だった売価を200円に引き上げました。そして妻とともに、自家用車を使った移動販売を始めました。倉庫から引っ張り出してきた豆腐屋のラッパを吹き、自作のチラシを配るという昔ながらの集客方法でした。顧客の反応も良く、小野さんは「本業と違って製造直販なので、商品を開発すれば売り上げは上がる。やりようによってはもうかるのでは」と手応えを感じたといいます。

そこで小野さんは、豆腐屋に専念することを決意し、雑貨の輸入販売代理店業を廃業するとともに、新たな手に打って出ます。2004年2月に地元の取手駅(茨城県取手市)の駅ビルに店舗を出店し、同年4月に有限会社染野屋を設立して自らが社長に就きます。新店舗も予想通りに大成功し、月間の売り上げが400万円程度にまで急拡大しました。

2)「渡りに船」で本家を統合

売り上げを伸ばす染野屋が突き当たった課題が、生産能力でした。それまでは住居と隣接した工場で、家族だけで製造していました。これ以上の生産量拡大には、工場のスペースも人員も足りません。工場を新設したくても、法人化したばかりの零細企業が融資を得られる見込みもなく、「これ以上前に進めない状況」でした。

そんな折、同じ取手市内にある染野屋の本家筋に当たる豆腐屋「半次郎商店」が、身売りを考えているという話を耳にします。半次郎商店は1862(文久2)年創業の老舗ですが、後継者が不在で、主要な販売先であるスーパーマーケットからの売り上げも減少。経営者である7代目染野屋半次郎こと染野青市(せいいち)さんは、既に80歳を超えていました。本家と分家とは資本関係はありませんが、経営者同士は遠縁に当たり、分家で豆腐が足りないときは本家に融通してもらうなどの協力関係が続いていました。このため本家としても譲渡には乗り気で、話はトントン拍子に進みます。小野さんは染野屋を法人化して2カ月後の2004年6月、半次郎商店を引き継ぎました。染野豆腐店が分家となって72年ぶりとなる本家と分家の統合でした。

統合の内容としては、小野さんが半次郎商店の工場の機械設備を買い取り、工場自体は賃貸の形で借り受け、10人弱の従業員と顧客を引き継ぎました。遠縁ということもあり、外部の仲介者も入らず、当初は賃貸借契約書も作成しなかったといいます。

3)売り手を落胆させた、売り手と買い手の思惑の違い

「良縁」に見えた両家の統合ですが、7代目の青市さんと小野さんとの思惑は全く異なっていました。実は青市さんはかつて、一度息子に会社を引き継いだのですが、息子に若くして先立たれてしまい、不本意ながら再び染野屋半次郎を襲名した経緯があります。新たな後継者候補も見当たらず、「歴代の半次郎に顔向けできない」が口癖だったという青市さん。当時31歳だった小野さんからの統合話を、「ご先祖様の取り計らいでつなげてくれた」と喜んだそうです。

一方の小野さんにとっての半次郎商店は、自社より10倍ほどの生産能力のある工場と、10人弱の従業員を持っているという存在でしかありませんでした。自分で立てた売り上げ計画を達成させるために、半次郎商店は「使うしかない。これでまた、ガンガン攻められる」という感覚だったそうです。

統合の内容を話し合っていた際、小野さんは青市さんから、半次郎商店の屋号を残し、8代目染野屋半次郎を襲名するよう何度も頼まれましたが、「それはできません」と断り続けたそうです。小野さんは、「当時は自分のことしか考えていなかったので、自社のお客様が混乱することだけを懸念していた」と振り返ります。そんなときの青市さんは、もう1つの口癖である「長生きはするもんじゃないな」と漏らしていたそうです。

4)「今日からここは僕の工場なんですよ!」

統合後の小野さんは、旧「半次郎商店」に対して、染野豆腐店を成功させたのと同じ手法で「破壊的に変えていく」作業を進めます。原料は国産に、製法も自分で開発した方法を導入します。

工場を引き継いだ初日のことです。小野さんは、効率を高めるために当時も当たり前のように使っていたという「消泡剤」としての添加物を、投入しないように指示します。また、味を良くするために、一般的な豆腐よりも濃度の高い豆乳を作るように指導しました。

こうした見慣れない製法に、70年近い豆腐製造の実績を持つ青市さんは、「こんな濃い豆乳は炊けない」と異を唱えます。これに対して、血気盛んな小野さんは、吐き捨てるように言い返しました。「今日からここは僕の工場なんですよ!」。寂しそうな顔をして、黙って立ち去っていった青市さん。それ以来、小野さんのやり方に口を出すことはなくなったといいます。

「今思い出しても心が痛む」と振り返る小野さんですが、後になって、青市さんが周囲の人に、このように語っていたことを知らされたといいます。「あれ(小野さんのこと)は頑固だな。ただ、ああいうのじゃないと、任せられないな」

5)先代社長への月1回の「表敬訪問」を10年続けて“半次郎の心”を承継

一度は衝突したとはいえ、同じ取手市内の親戚筋であり、工場は青市さんの家と隣接もしています。そこで小野さんは、従業員からの勧めもあり、月に1回、青市さんを表敬訪問することにしました。とはいっても、相手は50年の年長者。当初は「表敬訪問するのはもっともな話だが、面倒臭い。話は1時間も続かないのでは」と思っていたそうです。

ところが、表敬訪問を重ねるたびに、小野さんは青市さんの話に魅了されていきます。第二次世界大戦中に、志願兵として参加した東南アジアの戦地での話、豆腐工場の燃料をまきからボイラー式に変えたときの話……。何より、経営者として30年以上の実績があり、同じ経営者という立場で、染野屋を盛り上げたいという思いを共有している相手と話ができることに、小野さんは喜びを感じました。いつしか2人は、世代を超えた「親友」の仲になりました。旧「半次郎商店」の従業員と小野さんとの間にトラブルらしいトラブルがなかったのは、2人の関係が親密になったことも影響していると、小野さんは思っています。

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青市さんとの会話を重ねることで生じた最も大きな変化は、「お金中心で物事を判断するキャピタリストそのものだった」という小野さんの考え方でした。「お金を稼ぐのは1つの正義だが、地球環境というお金に換算されていない資産を食い潰していては、地球という閉鎖された世界全体で見ると稼いだことにならない」。小野さんが感じていたキャピタリズムの矛盾点の解決策が、青市さんを通して感じた江戸時代にあると知ったのです。

「江戸時代の香りがする」。これが、小野さんが青市さんに抱いた印象でした。ご先祖様を常に意識し、伝統を重んじ、自分の欲得やお金で物事を判断しない。皆が助け合って生きていく「和合精神」の持ち主で、愛や思いやりに満ちあふれている。そんな青市さんの価値観は、環境破壊や廃棄物が限りなくゼロに近い“超循環型社会”を実現させた江戸時代の哲学そのものであり、それこそ「心が温かくなる“本物”のキャピタリズム」だと、小野さんは感じるようになりました。そして自然と、「染野屋半次郎という名を継ぎたくなった」といいます。

小野さんが8代目染野屋半次郎を襲名した2014年の暮れに、青市さんは96歳で息を引き取りました。最後に会った病室で、青市さんが笑顔で小野さんに語った最期の言葉は、青市さんのかつての口癖と真逆のものでした。「長生きはするもんだな。もう悔いはないよ。あとは任せたよ」

6)社風となって生き続ける“半次郎の心”

小野さんが青市さんとの会話を重ねた10年間は、染野屋が急成長を遂げた10年間でもありました。売り上げは、小野さんが豆腐屋に入った頃の約400倍の年間12億円程度まで増えました。小野さんは、「もし半次郎の哲学を承継していなければ、急成長はできたかもしれないが、成熟する前に弾けてしまったと思う」と話します。

今の成熟した染野屋には、「目指したのは江戸時代のとうふづくり」というスローガンがあり、「持続可能な社会の確立」が企業理念になっています。そして小野さんは、自身を「環境実業家」と形容して経営判断を行っています。

例えば、染野屋が開発した大豆由来の「SoMeat(ソミート)」は、森林破壊や二酸化炭素排出につながる肉の生産の代替とするために考案したものです。また、取引の可否を判断する際は、自社の損得だけでなく、取引先にとっても利益になるかを考えるよう、幹部にも徹底させているといいます。

小野さんは、「7代目はきっと、『やっと分かったか、若造』と思いながら見ていると思います。染野屋半次郎は僕が承継したのでなくて、彼が僕に承継させたのでしょうね」と、親友との思い出を懐かしみながら笑顔を見せました。

4 残したいものは何なのか

吉原さんは、会社を他人に譲渡してでも、従業員に将来の希望を残したいと考えました。小野さんは、工場と従業員を得るために本家を統合しましたが、後になって本当に受け継ぐべきものは先代が残した江戸時代の哲学だと気付きました。事業譲渡の際の評価額は大事な要素ですが、契約後に「こんなはずではなかった」と後悔しないためには、譲渡する側も譲り受ける側も、「残したいものは何なのか」を明確にしておくことが重要なのかもしれません。

以上(2021年6月)

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画像:インタビュー先から提供

【朝礼】あなたの努力に心から感謝しています

この数週間のうちに、仕事で立て続けにミスをした社員がいます。それは、我が社にとって重要なお客様の仕事でした。その社員は余計に落ち込んでいました。しかし、私はその社員のミスをとがめる気は全くありません。むしろ、そのミスは未来に花開くための価値ある失敗であり、これにへこむことなくチャレンジしてほしいと応援しているのです。

私がこう思うのは、その社員の努力を知っているからです。我が社がデジタル化を進めていることは、皆さんもご存じのはずです。その社員はこの方針を理解しているだけではなく、具体的な行動として勉強し、資格を取得し、実務に活かそうともがいています。

かつて私も同じことをしたので分かりますが、一定の立場になった社会人が働きながら勉強するのは本当に大変です。平日は残業があるなど、夜遅くでないと勉強ができません。休日も、プライベートの時間を削って勉強することになります。そうした努力を積み重ね、この社員は資格を取得したのです。素晴らしいです!

一方、資格の勉強と実践とは全く違います。勉強をして知識を得れば、いろいろと試してみたくなりますが、慣れないことをすればミスもします。真剣に取り組んだ結果のミスなら、それは「良いミス」です。人は良いミスを繰り返しながら成長し、プロフェッショナルになっていきます。その社員はそうした道を歩み始めています。

人が成長期に入るとオーラを発します。日ごろ、人の成長と本気で向き合っている人なら、すぐに分かります。実際、私と親交の深い経営者仲間は、私やその社員と30分ほどオンラインで話しただけで見抜きました。その経営者は私に聞いてきたのです。「あの社員、すごく成長した気がするけど、何かきっかけがあったの?」と。経営者仲間は、知り合いの成長を喜ぶと同時に、自分の会社でも取り入れられることがないかと思い、質問してきたはずです。それほどまでに、経営者にとって社員の成長はうれしいものなのです。

さて、人が成長期に入ると、【活動エンジン】のパワーが格段に上がります。その根本的な動力はどこから生まれてくると思いますか?

私は、その社員の夢と会社の方針の一部がリンクし、明確な目的となったことだと思います。人は目的があると、進むべき道、やるべきことに迷わず努力を続けることができます。実際、その社員は、格上の人にも臆せず教えを請うています。それに、必要な勉強会などの費用を遠慮せずに会社に申請しています。今、その社員は「大変だけど、すごく楽しい」と感じているはずです。

皆さん、1週間に30分でもいいので、自分磨きの時間を持ってください。そして、考えてほしいのです。仕事でもプライベートでもよいので、「自分が成し遂げたいことは何なのか」と。皆さんが成長期に入るきっかけは、こうした問いにあるのです。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

オンライン上で口説く! 動機形成のコツをつかむ!:Web面接後編/2022年新卒採用必勝法〜優秀なコア人材を採用するなら今がチャンス〜(5)

超売り手市場から一転し買い手市場となったウィズコロナの今、採用のポイントは「量」ではなく「質」にシフトしています。不況期に採用投資が有効なのは、自社の未来を担っていく「優秀なコア人材」を獲得しやすいからに他なりません。この好機を逃さないために重要となる取り組みが“採用のオンライン化”です。中でもWeb面接のスキルを磨くことは不可欠です。
第3回第4回は、候補者が自社に合う人物かどうかを見極める「選考」について解説してきました。最終回の本稿では、採用面接のもう1つの役割である「動機形成」についてお伝えしていきます。
自社の魅力をアピールし、候補者の不安要素を取り除き、候補者が「入社したい」「この会社ならば、活躍できそうだ」と感じられるよう働きかける。動機形成は分かりやすくいうと口説き。オンライン上でどうやって口説けばよいのか、そのノウハウを解説させていただきます。

1 対面より内定承諾率が低い

Web面接での選考は難しい。こうした面接官の悩みが、実は先入観や偏見によるものであって、「構造化面接」というやり方を導入することによって見極めの精度が高まることは、本連載でお伝えしてきました。
対面面接に比べると、Web面接は会話のキャッチボールがしにくい。会話を円滑に進めるきっかけとなるジェスチャーやアイコンタクトといった「非言語的手がかり」が、対面面接と比べWeb面接では減少するからです。面接官からすると、会話が盛り上がりにくくなることで、見極めが難しいと感じがちですが実は逆で、客観的に言語的情報に集中することで見極めの精度は高まります。面接官のバイアスさえ取り除けば、Web面接は「選考」に向いている面接手法なのです。

しかし残念ながら、対面面接を受けた候補者より、オンライン面接を受けた候補者のほうが「内定承諾率が低い」という研究結果があります。企業の方から、「最近は内定を出してから承諾を得るまでの期間が長くなっている」という話も耳にします。“Web面接は見極めの精度が高まる=内定を出した学生は自社にフィットしている”はずにもかかわらず、相手に承諾してもらえない。ここにはどんな問題があるのでしょうか。

2 面接官に親しみを感じない問題

Web面接を受けた学生からは、「企業に魅力を感じにくい」といった声がよく上がります。これは、対面面接と比較してWeb面接の「動機形成」が弱いことを示唆しています。なぜか。実は、Web面接での動機形成の難しさも、“会話がしにくい”という特質が原因なのです。会話がしにくい→企業に対する魅力を感じない。あまりに唐突すぎる気もしますが、その背後には、人間の心理的なバイアスが機能しているのです。

ざっとまとめると、

  • Web面接では会話がしにくい
  • 人はうまくいかない時、その原因を他者に求めがち
  • Web面接で会話が盛り上がらないのは、面接官のせい

という心理的なメカニズムが、「学生の無意識」に働きかけてしまうのです。

例えば、面接において学生が自分の思うように話せなかった場合、「面接官の人当たりが悪かったからではないか?」「面接官の努力が足りなかったのではないか?」と考えてしまうのです。
印象が悪かった面接について尋ねると、面接官が自分に対して興味を持ってくれなかったという意見をよく聞きます。これも円滑な会話ができていないことで、“自分に対して興味を持っていない”と、原因を面接官側に求めてしまうからに他なりません。そんな状況で面接官に親しみなんか感じるわけがありません。

3 面接官の印象が大きい

そして厄介なのは、「面接官の印象」は極めて重要だということです。学生に企業への志望度が高まった要因を尋ねた調査でも、「面接官が与える印象が大きい」との回答が多く見られました。学生は企業の代表者としての面接官と接することで、「この会社はどんな会社なんだろうか」と推測しています。
動機が形成されていく=“この会社に入ったら自分がうまくやっていけそうだ”と感じていくプロセスだとすれば、入社後うまくやっていけそうかを判断する際に、“面接官が自分のことをちゃんと見てくれているか“という印象は非常に大事な情報となるはずです。
特に日本の採用においては、入社後の仕事内容がそこまで明確に決まっていないケースが多く、企業を選んでいく上での情報があまり揃っていません。結果として、より一層「面接官の印象」が重要視されるのです。
“面接官=企業の代表者”というイメージを持つ学生からすると、“面接官に親しみを感じにくい”は、その“企業に魅力を感じにくい”に直結します。つまり学生は就職する企業を選ぶ上で、面接官の印象に大きく左右されるわけです。

Web面接における会話のしにくさは、「選考」においては実はプラスに働いていたのが、「動機形成」においてはマイナスに機能してしまうことが分かりました。これまで対面で行っていたことをただオンラインに移行しただけでは、動機形成は非常に難しい。それどころか学生が、面接官を通して企業にネガティブな印象を持ってしまう可能性すらある。そうなると、Web面接において、どのように動機形成に取り組んでいくべきでしょうか。
対策の基本方針は極めてシンプルです。要は、学生がWeb面接においても“自分の能力を発揮できた”と感じられる環境を提供すること。これに尽きます。そうすれば(ある意味でお門違いな)面接官へのネガティブバイアスも発動されないわけですから。

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4 フィット感のフィードバック

Web面接で動機形成をするための対策は、大きく2つあります。
1つ目の対策は「フィードバック」です。中でも有効なフィードバックだとされているのが、フィット度合いが高いことを候補者に伝える手法です。正式には「パーソンオーガナイゼーションフィット」といい、採用面接においては候補者と企業がマッチしている状況を指します。つまり“あなたはうちの会社に合っているよ”ということを伝えるわけです。
これは「あなたはすごい」というように、単に良いところを褒めるフィードバックよりも効果的です。学生からすれば、入社後にうまくやっていけそうかを判断したいわけですから、たとえ自分はすごいと言ってもらえたとしても、その会社で能力を発揮できそうだと感じられなければ、うまくやっていけそう!とは判断できません。重要なのはあくまでも「相性」の問題なのです。

相性については、3つ種類があるといわれています。1つ目「類似度」。例えば、“うちの会社は穏やかな社風なので、あなたのような穏やかな性格には合っている”といったことです。2つ目は「候補者が求めていることと企業が提供できる」という相性。3つ目は、反対に「企業が求めることを候補者が持っているか」という相性。例えば、“うちの会社はこういう人を求めているんだ”と話した上で、“あなたにはそういうところがあるよね”と伝えてみたり。いずれにせよ、面接官から“あなたならうちの会社でうまくやっていけますよ”と、自社との相性を伝えることは、学生の動機形成に対して極めて効果的です。

5 面接官が自分の入社動機を語る

2つ目の対策は「候補者との信頼関係を形成すること」です。特に有効なのが面接官の自己開示。面接官は候補者にあたる学生に対していろいろ質問をします。これはある意味で学生への自己開示を求めているわけで、同時に面接官自身も積極的に開示していかないと、自己開示の程度が釣り合わなくなってしまう恐れがあります。分かりやすくいうと、学生が“自分だけ丸裸にされた”と感じてしまう状態です。こうした偏りは、ただでさえ面接官への親しみを感じにくいWeb面接では、良い状態とはいえません。

そして最も効果的な自己開示は、面接官が自分自身の入社動機を語ることです。採用面接というシーンであまりにパーソナルな自己開示をされても、学生からすると「ポカン」となってしまいます。なぜこの会社に入ったのか、という面接官の語りは、学生にとっても極めて有益な情報です。
その際に重要なのが「WHAT」ではなく「WHY」の視点。自分が共感した会社の理念やビジョンについていくら語っても、「自分の会社の好きなところ=WHAT」を語るだけでは、学生にとっては、それはただの会社説明にしか過ぎません。
「なぜその理念をいいと思ったのか=WHY」を付け加えて話すことで、自身の価値観を伝えることができます。生い立ちや経験をベースに形成されてきた価値観を自然な形で自己開示していく。これが「入社動機」を語る上での鉄則です。

フィードバックと自己開示。学生の能力発揮感を引き出しながら、面接官への親しみやすさを醸成していくことで、動機形成につなげていく。この2つはWeb面接の弱点を補う上で欠かせない対策です。

6 ハイブリッド面接のすすめ

本連載は、新卒採用にWeb面接を導入していく意義や利点に着目し、面接の大きな役割である「選考」と「動機形成」をオンライン上でアップデートするためのノウハウをお伝えしてきました。だからといってすべてWebで行おうと主張しているわけではありません。新卒採用は数回の面接を経て内定を出していくことがほとんどなわけですから、全採用工程を見据えた上で、面接の手法を組み立てていく視点も必要となってくるでしょう。実際には、対面とWebをうまく組み合わせた「ハイブリッド面接」を志向していくべきです。
Web面接サービスを提供するHRテック企業が、「各選考プロセスにおいて、オンライン(=Web)とオフライン(=対面)のどちらでの実施を希望するか」を学生に聞いた調査があります。会社説明会や1次面接はオンラインでの実施希望が6割以上と、オフラインでの実施希望を大きく上回った一方で、最終面接においては、オフラインでの実施希望が6割となりました。
「面接機会を増やしてくれる」「選考では精度の高い見極めができる」という利点を持つWeb面接を採用初期に活用し、「自然な会話で動機形成につなげる」という利点を持つ対面面接を最終面接で活用する。先述の調査結果も踏まえると、こうしたハイブリッド型の面接構成が極めて合理的といえるでしょう。
いずれにせよ、いい人材を獲得するには、“採用活動に汗をかく熱量”と“学生に語り掛ける熱量”が欠かせません。最後の最後は「対面」のシチュエーションで熱く口説く。これも大いにアリだと思います。

以上

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2021年5月27日時点のものであり、将来変更される可能性があります。

※上記内容は、株式会社日本情報マートまたは執筆者が作成したものであり、りそな銀行の見解を示しているものではございません。上記内容に関するお問い合わせなどは、お手数ですが下記の電子メールアドレスあてにご連絡をお願いいたします。

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令和2年の交通事故死者数等の特徴と対策(2021/05号)【交通安全ニュース】

活用する機会の例

  • 月次や週次などの定例ミーティング時の事故防止勉強会
  • 毎日の朝礼や点呼の際の安全運転意識向上のためのスピーチ
  • マイカー通勤者、新入社員、事故発生者への安全運転指導 など

警察庁から公表されている「令和2年における交通事故の発生状況等について」によると、全体の死者数は減少傾向にあるものの、高齢者が占める割合が増加したことや歩行者・自転車乗用者の事故類型・法令違反の状況が示されています。
また、この状況を受けて令和3年の「本年の主な取組」もあわせて公表されていますので、この機会に確認いただき、日頃の安全運転に役立ててください。

1.交通事故死者数の推移と高齢者の割合

令和2年の交通事故死者数は、2,839人で昨年より376人減少し、警察庁が発表を始めた昭和23年以降の統計で最少人数となりました。

そのうち、65歳以上の高齢死者数は、1,596人で昨年より186人減少していますが、その割合をみると、0.8%増加し56.2%となりました。

画像1

※警察庁「令和2年における交通事故の発生状況等について」
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/jiko/R02bunseki.pdf
(2021.4.19.閲覧)

令和2年の交通事故死者数を事故状態別でみると、「歩行中」が1,002人で最も多くなっています。
そのうち、65歳以上の高齢者は、743人でその割合は74.2%と高い状況です。

画像2

2.交通事故の発生状況における主な特徴

(1)「歩行中」の交通事故死者数の特徴

道路横断中の死者数が約7割を占めます。(69.3%)
※65歳以上の高齢者では、その割合は75.6%と高まります。

・道路横断中の事故において、横断者側に横断違反や信号無視があった割合は過半を占めます。(51.8%)

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(2)「自転車乗用中」の交通事故死者・重傷者数の特徴

・自動車との事故を類型別にみると、出会い頭の事故が過半を占めます。(54.7%)

・自動車との出会い頭事故において、自転車側に法令違反があった割合は約8割を占めます。(78.0%)

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※警察庁「令和2年における交通事故の発生状況等について」
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/jiko/R02bunseki.pdf(2021.4.19.閲覧)

3.本年の主な取組

警察庁は「本年の主な取組」として以下の3点を掲げています。

  • ○ 歩行者の安全確保に向けた交通安全教育や運転者に対する指導取締り
  • ○ 自転車の遵法意識の向上に向けた交通安全教育・指導取締りの推進
  • ○ 生活道路における安全確保
※警察庁「令和2年における交通事故の発生状況等について」
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/jiko/R02bunseki.pdf(2021.4.19.閲覧)

≪ドライバーの皆さんへ≫

  • ◎予測運転の実践
    歩行者やランナーの急な道路横断や出会い頭での自転車の飛び出しにも対応できるよう常に周囲の状況を確認し、慎重に運転しましょう。
  • ◎思いやり・ゆずり合い運転の実践
    歩行者や自転車は、優先意識があったり、交通ルールを詳しく知らず法令違反をしてしまうことがあることを念頭に、常に冷静に、思いやりやゆとりをもって運転しましょう。

以上(2021年5月)

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画像:amanaimages

【朝礼】これからが、これまでを決める

「今の行動が未来を決める」
例えば、何かに本気で取り組めば成功の確率は高まりますし、失敗したとしても、その経験は非常に貴重です。逆に、今、何も本気で取り組んでいなければ未来は開けません。このことをもう一歩踏み込んで考えてみましょう。そうすると、今の行動が未来を変えるのなら、「今の行動は過去も変える力を持っている」ことに気付きます。

「これからが、これまでを決める」
これが、とても大事なポイントです。

何事もそうですが、新しいことに挑戦すると、リスクが高まります。会社経営でいえば、私の知り合いの経営者もたくさん失敗しています。ただ、この失敗とは、より良い未来を目指すために挑んだチャレンジの結果であり、称賛されるべきことです。にもかかわらず、失敗をした後の人々の言動には大きな違いが出てくるもので、そこが大きな分かれ道です。

失敗をすると周囲に迷惑をかけてしまいますが、迷惑をかけてしまった相手に真摯に謝罪する人がいます。こうした人は、過去の頑張りが前向きに評価され、未来に向けた新たなチャレンジの応援もしてもらえます。

一方、失敗を他人のせいにして言い訳ばかりする人もいます。こうした人は、「言い訳ばかりだ。どうせ思いも軽く、適当にやっていたのでは?」などと過去の努力が否定されます。次のチャレンジの応援もしてもらえないでしょう。

これは、今の行動で過去が肯定されることも否定されることもある例ですが、皆さんに伝えたい大切なポイントは、「今を真摯に生きていれば、過去の行動も評価され、応援が得られ、未来に向けた強力な推進力になる」ということです。

「失敗したくないから」という理由でチャレンジができない人を私はたくさん知っています。しかし考えてみてください。失敗した後も真摯に生きていれば、必ず次のチャレンジができるのです。私たちは、目先の成功や失敗にとらわれがちですが、むしろ大切なのは成功や失敗をした後といえるでしょう。

少し楽観的に、「たった今も人生の一瞬」と考えてみるとよいでしょう。人生は短く、できるだけ無駄な時間は過ごしたくありません。一方、人生は100年といわれるほど長く、今の失敗はほんの一瞬のことでもあります。要は「都合よく考えていい」ということです。今、当社は大きなチャレンジをしていますが、うまくいっている部分も、そうでない部分もあります。偶然の発見や出会いが想定外の出来事を引き起こしている面もあります。私は、こうした偶然や想定外を前向きに受け入れる懐の深さが重要であると考えています。

偶然や想定外はビジネスに限らず、皆さんが生きている間、起こり続けます。失敗を恐れず、それらとうまく付き合うことで、皆さんは過去を前向きに捉えることができ、未来に向けた強力な推進力を身に付けられるのです。

以上(2021年4月)

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「人」と「コスト」のファイナンス的考え方/経営者のためのファイナンス講座(3)

書いてあること

  • 主な読者:将来の意思決定に役立つファイナンス思考を身に付けたい経営者
  • 課題:会社の中で最も大きな割合を占める人にかかるコスト。人件費=給与と考えている人も多く、ファイナンスで必要な正確なコスト計算ができていない。
  • 解決策:社員の人件費(福利厚生費なども含める)を時給換算し、外部サービスの単価と比較することが大切

1 外部サービスを使いますか? 社員に頼みますか?

例えば、本日中に取引先から資料をオフィスまで届けてもらわなければならないときに、あなたならバイク便を使いますか? 社員に直接届けるよう頼みますか?

実際に、取引先の社員の方が私のオフィスに直接資料を届けに来たことがありました。往復1時間半かかるわけですが、事情を聞くと「バイク便だと3000円もして高いから」と返事が。確かに、郵便や宅配便の料金と比べれば、バイク便の3000円は高いです。しかし、今回のような郵便などでは間に合わないケースでは、ファイナンス上どう考えたらいいのでしょうか。

2 社員が直接届けるほうがコスト高になる

結論からいうと、社員が直接届けるほうがコスト高になることが多いのです。

まず、社員に支払っている給料を時給換算して考えてみましょう。中小企業の社員の1時間の働きには、約2000円程度のコストがかかります。中小企業の社員の平均年収(賞与含む)は411万円(厚生労働省「令和2年賃金構造基本統計調査」、男女計を基に算定)ですので、これを基に、1日の労働時間が8時間、月の労働日数を20日として計算します。すると、

411万円÷(8時間×20日×12カ月)=2141円/時間

となります。しかも、会社がこの人を雇うために必要なコストはこれだけではありません。会社は給料だけではなく、社会保険料(会社負担分)や福利厚生費、制服の支給代など社員に対する支払いがいろいろあります。社会保険料の会社負担分だけ考えても、給料の15%程度かかりますので、この分を考慮しましょう。実質的な時給は、2141円×115%=2462円となります。

もし、届けるのに往復1時間半かかるのであれば、バイク便の3000円と比較すると、社員が届けるほうがコスト高なのが分かります。社内には社員にしかできない業務があることを考えれば、バイク便を頼んでしまったほうがいいともいえます。

3 それでも社員に届けさせる理由

しかし、このような場合に、実際にはバイク便を使う会社は少ないのです。社員自身が「自分でもできることをわざわざお金を払って外に頼むなんてもったいない」と考えているからです。このように考えてしまうのは、お金が出ていくことに目が行き過ぎているためです。社員に届けてもらえば支払いは発生しないのに、バイク便を頼んだら支払いが発生する。確かに、バイク便ではお金を支払うことにはなりますが、社員は他の業務に当たることができます。

近年は、働き方改革や新型コロナウイルス感染症関連の対応を経て、以前よりも従業員の労働時間が限られてきています。その貴重な労働時間でどのような業務に当たってもらったらいいかを考えるのが、ファイナンス的にも重要なのです。その証拠に、棚卸専門会社の利用が以前より増えているのを感じます。小売業であれば必須の在庫棚卸のカウント作業を、外部に頼みます。もちろん、自社で行うこともできますが、社員の貴重な時間を最も有効な業務に充てたいと考える会社が増えたことの表れだと感じます。

このように、時代の変化を受けて、「自社でできるからやる」のではなく、「自社でやるべきことだけをやる」経営に変わりつつあります。この発想の転換には、実は先ほど説明したファイナンス的な考え方が存在します。

自社の場合の平均時給を一度計算してみるといいでしょう。そうすれば、時給換算でいくら以下のコストなら外部に依頼するといったように、経営者や管理職が判断しやすくなると思います。

4 レターパックの普及も、自社でやるべき業務に注目したから

ペーパーレス化が進んでいるとはいうものの、まだまだ紙でのやり取りが多く存在しています。最近は郵便物の送付に、切手が必要な紙封筒ではなく、レターパックという大型封筒をよく見かけるようになりました。赤や青で印刷されたボール紙製の大型封筒です。

これを使うことで、総務担当者の郵便・宅配便などの発送の手数を減らすことができます。分厚い資料を送る場合には、通常は計測や計量をして切手を貼る必要があります。従来は総務担当者の業務の1つでしたが、レターパックを使えば、レターパックの購入代金に郵送費が含まれていますので作業が楽になります。

5 お金を払って、社員の業務時間の価値を上げる

バイク便もレターパックも、自社の手数をかけない、または最小限にするという点で共通しています。これらサービスが近年普及したことは、偶然ではありません。先ほど述べたように労働時間が限られてきた結果、社員一人ひとりの生産性を上げざるを得なくなったことと整合するのです。

日本では最低賃金が定められていることや、一度決めた給料を下げるのが難しいことを考えると、社員の労働価値を最大化させる判断は必須です。できる限り貴重な自社の人材の時間は、必要性が高いことに充てるべきなのです。

6 人件費を圧倒的に下げた新たなビジネスも多い

このことは、自社のコスト削減につながるだけではなく、新たな事業を考えるヒントにもなります。

例えば、オフィスグリコという置き菓子は、お菓子の購入時に、商品の近くにある貯金箱に利用者自身がお金を入れる形式です。いわば、無人販売のお菓子版といえます。もちろん、中には料金を支払わずに商品を持っていく心ない人もいるようで、盗難によるコストも生じます。しかし、このコストを考慮しても、わざわざ人を配置して、管理やお金の受け取りをしないほうがファイナンス的には得なのだといいます。これなら、商品の補充や貯金箱からの集金だけしか、人件費がかかりません。つまり、人件費を最小限に抑えることこそが、この事業の鍵なのです。

都心部などで普及しているシェアサイクルやカーシェアも同じです。従来のレンタカーやレンタサイクルの貸出・返却時には人が対応していました。しかし、それを省くことで、拠点を増やして利便性を上げ、かつ低単価を可能にしています。

つまり、高い人件費に注目し、なるべくこれを下げるような事業を設計することで、従来にない事業のアイデアにつながります。

以上(2021年5月)
(執筆 管理会計ラボ 代表取締役 公認会計士 梅澤真由美)

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【2021年5月改訂】民法改正に伴うソフトウエア開発委託契約書の見直し 〜民法改正と契約書の見直し(12)

こんにちは、弁護士の柴田睦月と申します。シリーズ「民法改正と契約書の見直し」の第12回は、請負契約と委任契約・準委任契約の典型例の一つであるソフトウエア開発委託契約書について、契約書の内容をどのような観点から見直すべきかについて解説します。

1 請負契約に関する改正のポイントと対応策

請負契約では、受注者であるベンダーは、自らの裁量において仕事を遂行し、システムの完成等、仕事を完成させる義務を負います。

1)報酬の一部支払いの新設について

旧民法では、システム等の目的物を完成させない限り、ベンダーはユーザーに対して、請負契約に基づく報酬を請求できませんでした。これが改正民法では、ベンダーは、目的物が完成しなくても、ユーザーにとって価値があると認められる場合、未完成部分のみで報酬を請求できます(改正民法第634条)(以下、請負契約に関する改正点についての詳細は、本シリーズ第10回「請負契約」をご参照ください)。

改正民法では、「注文者が受ける利益の割合に応じて、報酬を請求することができる」とされています。「注文者が受ける利益の割合に応じて」との文言に関して、契約段階でより具体的に決めておくことで、紛争を予防することができるでしょう。例えば、法制審議会の検討では、仕事全体に占める出来高の割合を認定し、それに報酬額を比例させるという算定方法が参考になると考えられていました。

また、要した時間を基にして客観的な基準を設けておくという方法も考えられます。しかしながら、契約段階において、当事者間で具体的にどのように割合を決めるのが適当かについては、個別事情を踏まえての合意形成が必要となるため、これからの課題といえるでしょう。

2)バグがあった場合の対応に関する条文について

1.代金減額請求権の新設

システムにバグが生じた場合、そのバグが、システムの機能に軽微とはいえない支障を生じさせる上、遅滞なく補修することができないものであり、またはその数が著しく多く、しかも順次発現してシステムの稼働に支障が生じるような場合には、裁判例上、プログラムに瑕疵(かし)があるものと認められますが(東地判平成9年2月18日判タ964号172頁)、そのような場合であっても、旧民法では、明文上、代金の減額請求は認められておらず、判例上認められていたにすぎませんでした。

しかし、改正民法では、上記のような瑕疵が見つかった場合には、旧民法上も行うことのできた瑕疵修補請求、解除、損害賠償請求に加え、ユーザーがベンダーに対して代金の減額を請求できることが明文化されました(改正民法第636条、第563条、第562条、第559条)。

特にこの代金減額請求権については、「その不適合の程度に応じて代金の減額を請求することができる」と改正民法で規定されていますが、実際にユーザーから代金の減額を請求される場面を想定すると、「不適合の程度」をどのように数値化するかという点で、ベンダーとの間で主張が食い違うことが考えられます。報酬の一部支払いと同様に、この点を契約段階で明確にしておくことが紛争予防の観点からは望ましいでしょう。個別事情を踏まえて、どのような基準で「不適合の程度」を客観的に算出するとして契約書を作成すれば、将来の紛争を予防できるのかという点については、契約当事者が検討すべき今後の課題といえますが、予測可能性を担保するという観点からすると、次のような方法が考えられます。例えば、要件定義作成業務、外部設計書作成業務、ソフトウエア開発業務(内部設計からシステムテストまで等)、ソフトウエア運用準備支援業務、というように段階的に一括して委託を受けた場合であれば、どの段階に不適合の原因があったかによって、減額の割合の上限を決めておくという方法です。

第●条(代金減額請求権)
ユーザーは、本件成果物に不適合があった場合、当該不適合の割合に応じて報酬の減額を請求することができる。ただし、以下に定めるフェーズごとの上限を超える割合で減額を請求することはできない

代金減額の上限を示した画像です

また、次のように代金減額請求のプロセスを規定しておくことも、一定程度有用です。代金減額の割合そのものを一義的に定めるものではありませんが、ユーザーは手続きを踏む過程で不適合につき検証することが必要になるので、むやみな減額請求を防止する効果が期待できます。

第●条(代金減額請求権)
本件成果物に不適合があった場合、ユーザーは、ベンダーに対して不適合の内容を書面に通知した上、相当の期間を定めて追完の催告をし、その期間内にベンダーが正当な理由なく追完を行わない場合には、不適合の割合に応じて、報酬の減額を請求することができる。ただし、当該不適合がベンダーの責めに帰すべき事由によるものである場合に限る。

2.期間制限の長期化

ユーザーがバグ等に気付くのは、ベンダーからシステムの引き渡しを受け、受入検査を実施したときと、実際にシステムを使ってみた後であることが圧倒的に多いでしょう。旧民法では、目的物に瑕疵が見つかった場合、瑕疵担保責任を追及できる期間は、引き渡されたときまたは仕事完成時から1年以内とされていました(旧民法第637条)。これが改正民法では、契約不適合を知ったときから1年以内という定めになり(改正民法第637条)、システムが納品されてから、実際に瑕疵が見つかるまでの期間は、期間制限の進行がスタートしないことになります。

この点、旧契約が改正法と齟齬(そご)がある場合には、改定の要否を確認する必要があります。他方で、ユーザーが長期間放置していたのに、ある時点になって責任を追及することはベンダーにとって酷な場合もあり得ますので、修補請求をできる期間は引き渡しから最大5年以内とする制限も同時に設けられています。

実際には、ユーザーが、瑕疵を発見してから1年近くもクレームを言わず稼働を続けていながら突如修補の要求をした場合に、ベンダーがこれに応じなくてはならないということも、ベンダーの負担が少なくないと思われます。また、一般的にソフトウエアのバグは稼働開始から1年程度で出尽くすことが多いといわれています。そこで、ベンダーの立場では、次のように修補の要求に応じる期間を、瑕疵の発見時と検収合格時を起算点にしてそれぞれ規定しておくことが望ましいでしょう。

第●条(瑕疵修補)
ユーザーが、本件成果物の瑕疵を発見したときから○カ月以内に請求した場合、ベンダーはこれを補修する。ただし、ベンダーは、瑕疵の修補を、本件成果物の検収合格時から○年以内に限り行う。

3.瑕疵の修補を請求できる場合の限界

旧民法では、「瑕疵が重要でない場合において、その修補に過分の費用を要するときは」瑕疵の修補を請求することができないと規定されていました(旧民法第634条第1項但書)。そもそも修補に過分の費用を要する場合には、修補による履行が物理的には可能であったとしても、履行が法律上不能であると評価され、損害賠償の請求のみが認められる余地がありますが、当該条文の規定により、請負の場合には、たとえ修補に過分の費用を要したとしても、修補が物理的に可能である限り、重要な瑕疵については修補を行わなくてはならないという結論が導かれ得ることとなっていました。

しかし、このように請負人に過大な履行義務を負わせることは合理的でないと考えられたため、改正民法では、他の契約類型と同様に、履行(瑕疵修補)を請求することができる場合の限界を、履行請求権の一般原則に委ねることとなりました。

改正民法では、「債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは」履行の請求をすることができないと規定されています(改正民法第412条の2)。極論すると、「債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能である」とまではいえない場合には、費用が莫大にかかったとしても、ベンダーは修補に応じなければならないという結論になってしまいかねません。しかし、報酬額をはるかに超すような金額の費用を要する場合にまで修補に応じることは取引上の社会通念に照らして不能といえるようにも思われます。実際に瑕疵修補請求が問題となる場面では、当該ケースが「契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能である」場合に該当するのかという点が、解釈に委ねられることになりますから、例えば次のように当該契約において「契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能である」といえるのは具体的にどのような場合であるかを契約書で定めておくと、将来の紛争解決に資することとなるでしょう。

第●条(瑕疵修補請求)
本件成果物に瑕疵が生じた場合、ベンダーは、当該瑕疵を修補しなくてはならない。ただし、当該瑕疵の修補に、○○円以上の費用を要する場合はこの限りではない。

また、ユーザーの立場からは、次のように明記して、費用が過分であるため履行不能に該当すると解釈されて修補を拒まれるリスクを下げることも検討するべきでしょう。

第●条(瑕疵修補請求)
本件成果物のうち○○に関して不具合が見つかった場合、ベンダーは、費用にかかわらず当該不具合を補修して、ユーザーに引き渡す。

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2 準委任契約に関する改正のポイントと対応策

システムエンジニアに一定の行為や作業を委託する契約等は、「準委任契約」と呼ばれ、原則として、システム完成自体は必ずしも要求されず、依頼された仕事を遂行することが契約上の義務の内容となります。

1)成果完成型の新設について

改正民法では成果完成型と呼ばれる類型が導入されました(改正民法第648条の2)(詳しくは、本シリーズ第11回「委任契約」をご参照ください)。この成果完成型準委任契約では、ベンダーは、ユーザーに対して、請負契約と同様に仕事の完成に対する報酬を請求できます。この成果完成型を採用する場合には、次のように、契約上でその旨を定めておく必要があります。

第●条(報酬)
1 ベンダーが、第●条に定める事務の履行によって同条に定める成果物(以下、「本件成果物」という)をユーザーに引き渡した場合、ユーザーはベンダーに対して、○○円を報酬として支払う。
2 前項に定める報酬は、第●条に定める検収に合格後、○日以内に支払う

なお、改正民法では、成果完成型準委任契約の報酬は、引き渡しと同時とされていますので、報酬の支払日を契約上で定めなかった場合、ユーザーは、引き渡しと同日に報酬を支払わないと債務不履行となってしまいます。そのため、特にユーザーは、実際に支払うことが可能な日付をあらかじめ特定して記載しておくようご留意ください。

2)一部報酬請求に関する改正について

履行の途中で委任が終了した場合、旧民法では、ベンダーに帰責事由がない場合に限り、既にした履行の割合に応じて報酬を請求することができました(旧民法第648条第3項)。これが改正民法では、受任者(ベンダー)に帰責事由がある場合でも、一定の場合に、履行した部分の報酬を請求できることになりました(改正民法第648条第3項)。請負契約における一部報酬請求と同様に、「既にした履行の割合」をどのように算定するのかが明確になるように契約書に記載をすることが有用です。


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民法改正と契約書の見直し

以上

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