まだ日本で語れる人の少ない「iPaaS」を実現している会社。これからのビジネスを大きく変える「RPAの民主化」の原点には「思い」と「出会い」があった/岡目八目リポート

年間1000人以上の経営者と会い、人と人とのご縁をつなぐ代表世話人杉浦佳浩氏。ベンチャーやユニークな中小企業の目利きである杉浦氏が今回紹介するのは、嶋田 光敏さん(BizteX(ビズテックス)株式会社の代表取締役CEO)です。

今、盛んに注目されているDX(デジタルトランスフォーメーション)。嶋田さんが取り組まれていることは、いわば「究極のDX」「DXのあるべき姿」と言えるかもしれません。嶋田さんが法人向けにご提供されているRPAは、「誰もが簡単に自動化を実現できて、本業のスピードアップが図れるようにするもの」であり、ビジネスの進め方を大きく変えていく可能性を秘めているからです。

以降では、嶋田さんが取り組まれてきた「RPAの民主化」やiPaaS(アイパース。異なるアプリケーション同士を連携させるクラウドサービス)のサービス、それらをご提供するにいたる「思い」などをご紹介していきます。

1 「RPAの民主化」にチャレンジし続ける

嶋田さんが創業したBizteX社は、BtoBでRPAをご提供されています。同社のミッションや主な事業は、嶋田さんの言葉や同社資料をお借りすると次の通りです。

●BizteX株式会社でやっておられること(嶋田さんより)
当社は「オートメーションテクノロジーで新しいワークスタイルを実現する」をミッションに、国内初のクラウドRPA「BizteX cobit」、複数のシステムを連携しデータ統合/自動化を実現するiPaaS「BizteX Connect」を大手企業様にご提供しDXの推進を行っています。

BizteX社のプロダクト説明の画像です

(出所:嶋田さんご提供のBizteX社資料)

ここ数年でRPAは広く知られるようになりました。ただ、まだ「なんだか難しそう」「とてもコストがかかりそう」といったイメージがあるかもしれません。それに対して嶋田さんは、「誰でもすぐに安価で簡単に使えるRPAの実現=RPAの民主化」にチャレンジし続けておられます。その原点には、「RPAをもっと手軽に簡単に使えるようにすれば、多くの人の役に立つ」という思いがあるからです。

こうした思いを大切にして、形にされてきた嶋田さん。2017年からクラウドRPA「BizteX cobit」を始められ、リリース3年で作られたRPAのロボットは約3.7万台、約2000種類のクラウドサービスの自動化を行ってこられました。かなりすごい実績をお持ちです。「誰でもすぐに簡単に使える」というお考えはUIにも生かされており、グッドデザイン賞をはじめさまざまな賞も受賞されています。「難しいものを、誰でもすぐに簡単に使えるものに」は非常に大切な考え方だと思いますし、またそれを実現し続けておられるのは、本当に素晴らしいことですね。

嶋田さんの「RPAの民主化」はさらに進化してきています。今回、特に注目したいのは2020年5月リリースのiPaaS「BizteX Connect」です。この「BizteX Connect」はさまざまなアプリケーションと連携して自動化を図れるもので、「誰でもすぐに簡単に」をこれまで以上に進化させており、社会を大きく変えていく力を持つサービスだと感じます。すでに導入されている大手企業もおられます。

●BizteX Connectのサービスページ
https://service.biztex.co.jp/connect/

●ニュースリリース
iPaaS「BizteX Connect」、株式会社サイバーエージェントへ導入~iPaaS+クラウドRPAでSaaS連携や更なる業務効率化を支援~(2021年3月)
https://www.biztex.co.jp/posts/2021-03-17-233-news/

クラウドRPA「BizteX cobit」そして今回のiPaaS「BizteX Connect」を実現した背景には、嶋田さんのこれまでの歩みから築かれた「思い」と、素晴らしき仲間などとの「出会い」がありました。次章では、そのあたりを振り返ってみたいと思います。

2 「思い」と「出会い」。嶋田さんの起業までのストーリー

1)超原点は幼少のころの思い

今回、嶋田さんは、これまでの歩みを振り返るお話を色々とお聞かせくださいました。四国は香川県ご出身の嶋田さん、「やりたいことができずにモヤモヤした幼少期を過ごしたことが、今振り返れば起業につながる原体験です」と語ります。誰もが知る超有名なサッカー漫画を読んでサッカーを始めますが、小学校・中学校当時は、通っている学校にサッカー部がなかったのだそうです。サッカーがやりたいのに部活がない! まさに「モヤモヤした思い」です。

高校はサッカー強豪校に入り、今までやれなかったサッカーに取り組めた嶋田さん。最初はサッカー素人だったのでグラウンドのはじっこでリフティングするところからスタートし、高校3年生ではなんと副キャプテン&ベンチ入りするまでになったというから驚きです。この体験から「何もないところからチャレンジして上り詰める」「ゼロイチ」が好きになり、自信もついたとのこと。これぞ起業家精神の原点、とても貴重なお話です。

2)全国で営業ナンバーワンを達成していた時代

アパレルでの営業やサッカーコーチなどを経て、嶋田さんは「J-PHONE(当時)」で、地元四国にて中小企業向けに携帯電話などの通信商材を営業する仕事に就きます。この法人営業の経験で、「中小企業の働き方を変えること」「お客さまの役に立つこと」に喜びを感じるようになったといいます。その後、会社がVodafone、ソフトバンクに買収されていく中で、国内企業→外資企業→ベンチャー企業という変遷を、転職せずに辿ることができたことも嶋田さんにとっては良い経験になったようです。

Vodafoneがソフトバンクに買収されたのが、ちょうど嶋田さんが30歳のタイミングだったそうです。当時の嶋田さん、なんと営業成績で全国ナンバーワン! 300名くらい営業担当者がいた中での第一位ですので本当にすごいことだと思います。こうして自分で売上を作れるようになったことが自信につながり、嶋田さんは「将来自分も経営者になりたい」と思うようになりました。そこから、孫さんのような素晴らしい経営者の下で経営を学びたいと、自ら志願して東京へ転勤することとなるのです。東京では、起業につながる出会いが、嶋田さんを待っていました。

3)起業につながった大きな出会い

嶋田さんは東京で、孫さん主催のソフトバンクアカデミア、それからグロービス経営大学院でビジネスや帝王学などを学びます。ここでの「2つの出会い」がのちの嶋田さんの起業に大きく関わっています。

●出会いその1:孫さん、グロービス学長・堀義人さんの「名言」との出会い
・嶋田さんが特に好きな孫さんの名言

「自分の登る山を決めろ」
孫さんの込めた意味「自分がこの先、命を懸けて、人生を懸けて登る山を見つけられたら、半分成功したようなものだ」

・嶋田さんが特に好きな堀さんの名言

「志を語れ」
堀さんの込めた意味「学んだ知識を勉強で終わらせるのではなく、世の中でどう使うのかが大事だから、自分の課題感や、やりたいことをちゃんと語ることが大切」

嶋田さんは、孫さんの「登る山」と堀さんの「志」は同じものだと感じ、自分でも「登る山=志」を決めて歩いていこうと強く思ったそうです。起業に向けた決意が固まってきた背景には素晴らしい名言の後押しがあったということですね。今、起業を考えられている多くの方々にも非常に参考になる言葉だと思います。

●出会いその2:厳しく、そして熱く背中を押してくれた人物との出会い

嶋田さんの起業ストーリーを語るにはどうしても欠かせない1人の人物がいます。それは、株式会社ZENKIGENの代表取締役、野澤 比日樹さんです(以前、この「岡目八目リポート」でもご紹介させていただきました)。嶋田さんと野澤さんの出会いはソフトバンクアカデミアで、野澤さんは1期生で外部から入られ、嶋田さんは内部からの2期生として入っておられました。

2014年に40歳のタイミングでグロービス経営大学院を卒業された嶋田さんは、2015年には起業したいと思っていましたが、なかなか踏み切れずにいたとのこと。そこで登場するのが野澤さんです。2015年4月、嶋田さんは野澤さんから、

「嶋田さんはもう会社を辞めろ」

と言われたのだそうです。「嶋田さんは勉強もしているし、将来やりたいことを語っているが、1ミリもそれに向かって本気で行動していない。本気で行動するんだったら退路を断って(会社を辞めて)、もう起業したほうがいい。そうすると本当の意味で前に進める新しい扉が開く」と続けたという野澤さん。それを受けて、その場で「分かった、(同2015年の)6月までに辞める」と宣言した嶋田さんがまたすごいです……。

実際には、(2015年の)6月に上司に気持ちを伝え退職したのは同年10月だったそうですが、野澤さんの厳しくも熱い一言が、嶋田さんの初めの一歩、大きな決断につながったのは間違いありません。素晴らしいご関係ですね。どういうコミュニティにいて、どういう人と一緒に学び行動しているか。こうしたことが、起業家や経営者にとってとても重要なのだと改めて感じるエピソードです。

3 高い技術力の背景にも、大切な仲間との出会いがありました

起業以来、「RPAの民主化」に取り組まれてきた嶋田さんですが、最初は仲間を探すことからのスタートでした。嶋田さんいわく、「RPAはお客さまのシステムをレコーディングして自動化するもの。それは技術難易度の高い領域」です。BizteX社が高い技術力のもとに進化し続けられるのは、嶋田さんのやりたいことを形にできるエンジニアの方との出会いがあったからでしょう。

BizteX社の立ち上げ当初、嶋田さんは「エンジニアのナンパ」もしていたそうです。カフェに行き、隣でMacを開いてプログラミングしているエンジニアに「何のコードを書いてるの?」と話しかけたり……。全く知らない人、しかも自分とは得意な領域が明らかに違いそうな人に声をかけるのはかなり勇気がいると思いますが、そこはさすが、とにかく「方法を問わず、目的に向かってどんどんやっていく」タイプの嶋田さんです。

こうして嶋田さんは、現在取締役兼CTOをやっておられる袖山さんと当時の顧問をしてくださっていた方からのご紹介で出会います。嶋田さんが袖山さんと一緒に仕事をしたいと思ったのは技術力もさることながら、考え方が素晴らしいと思ったのだそうです。そのことがうかがえる袖山さんのエピソードを一つご紹介します。「CTOって何が大事だと思う?」という議論に対して、袖山さんが答えていた内容は下記の通りだったそうです。

    ●袖山さんの答えていた内容

    「(CTOに大事なことは)3つある。1つは技術力。2つ目はエンジニアが活躍する文化を作れること。3つ目が自分より優秀なエンジニアをハイアリングする力だ」

逆に、袖山さんは嶋田さんについて、次のようにおっしゃっているそうです。

    ●嶋田さんが、袖山さんから言われた「嶋田さんと組んだ理由」

    • 初めから壮大なことを言いつつ、事業計画や企画書をしっかり作っていたので、その両方があったことがとても良かった
    • (うまくいかないことも)いろいろあるけど、当時の4年前から言っていることが変わらないよね

お聞きしていると、ちょっと胸が熱くなりますね。やはり、経営がしっかりされていると仲間も盤石になっていくということなのだと改めて感じます。

4 今、BizteX社の注目は「iPaaS」という新しい分野のクラウドサービス

さて、こうして「思い」や「出会い」が源泉となっている嶋田さんたちBizteX社、すごいところはいくつもありますが、やはり「誰でもすぐに簡単に使える」にこだわっているところが大きな特徴です。この点について、同社の2つのメーンプロダクト、クラウドRPA「BizteX cobit」とiPaaS「BizteX Connect」それぞれに関して、嶋田さんは次のように言っておられます。

    ●嶋田さんによる2つのプロダクトの特徴

    1.クラウドRPA「BizteX cobit」:

    • このクラウドRPAを着想した当初の課題感としても、当時のRPAはオンプレミス型(社内で構築するようなタイプ)で、その分構築期間も長くて、(金額も)高くて、難しいというものでした。
    • それを誰でも使える「民主化」に持っていきたいと思ったので、クラウド型のサービスにして、URLからアクセスしたらすぐ利用が可能で、低コストで、UIも簡単で使いやすいというポジショニングを取りました。

    2.iPaaS「BizteX Connect」:

    • iPaaSは「Integration Platform as a Service」の略で、システムの持っているAPIを活用するものです。
    • 例えば、顧客情報がSalesforceに入っていて、その顧客情報を使ってクラウド会計のfreeeにログインして請求書を発行する、という業務があったとします。両方ともAPIがあるので、APIでこれらを連携しようとすると、エンジニアの方が早くても2~3週間かけてコードを書く必要があります。
    • しかし、これをiPaaS「BizteX Connect」を利用すればプロダクト上であらかじめSalesforceとfreeeのAPIを繋いでおくと、あとはBizteX Connect上でポチポチとクリックすれば両者のシステムを繋ぐことができる。
      そういうプロダクトです。

iPaaS「BizteX Connect」については、

「エンジニアが3週間くらいかかってコードを書いてAPI連携させるものが、BizteX Connectを使うと、エンジニアではない人でも10~15分でできる」

と表現するのが一番分かりやすいかもしれません。このすごさ。生産性が向上するどころではありません。ビジネスの進め方、かかわるプレーヤーなどが大きく変わる可能性があります。

iPaaS「BizteX Connect」は非常に技術レベルの高いプロダクトで、日本国内のスタートアップ界では、BizteX社ともう1社の合計2社しか持っていない技術なのだそうです。

iPaaSを説明した画像です

RPAとiPaaSの違いを説明した画像です

BizteX Connectを説明した画像です

(出所:いずれも嶋田さんご提供のBizteX社資料)

5 RPA業界の現状と今後

現在BizteX社では、さまざまなパートナー企業と組んで「どのお客さまに、どういう業務の自動化をご提供できるのか」を具体的に提示する取り組みを始めておられます。そのほうが、RPAや自動化という言葉だけを聞くよりも、お客さまが具体的に活用方法をイメージできるからです。こうして具体的な活用イメージが分かるようになり、大手企業だけでなく地方の中小企業などにも広く導入されていくようになれば、日本全体の生産性向上に大きく貢献していくことでしょう。

海外と日本のRPA業界の現状と今後について嶋田さんにお尋ねしたところ、次のようなご回答をいただきました。

    ●嶋田さんによる海外と日本のRPA業界の今後

    【海外】

    • 海外では、RPAの領域は日本よりかなり進んでいて、10年ほど前からRPAの会社が出てきています。
    • 特に欧米を中心に、RPAだけでなくSaaSも日本より早く広がっているので、それらのシステム間連携にAPIを使ったほうがいいのではないかというところで、日本よりも6~7年ほど早くiPaaSの領域に広がっています。

    【日本】

    • 日本では、ここ数年RPAが注目されていますが、BizteX社で手掛けている領域で言うと、今後3~5年くらいにかけてとても盛り上がると予想されています。特に地方の中小企業に関しては、これからというところだと思います。
    • 日本でも(海外と同様に)RPAが広がった後はiPaaSが広がってくるでしょうし、SaaSが広がれば広がるほど、API連携の必要性というものも出てくると思っています。
    • また、日本の状況をマクロで見た時に、「労働人口が減っている」「働き方を改善しなければいけない」「DXしなければいけない」となった時に、エンジニアのリソースというのがとても貴重な時代になります。このとき、iPaaSの領域(エンジニアがコードを書くことなく、誰でも10分でRPAが実現できる世界)が非常に重要になるでしょう。

日本ではまだあまり語れる人のいないiPaaSのお話などは、とても勉強になります。そして嶋田さんのお話をお聞きしていると、言葉だけが独り歩きをしがちなRPAやDXなどの本来の意味、「働くすべての人の効率化を図り、意欲的に気持ちよく働ける環境を実現する」ということが、とても腹落ちする気がします。

6 BizteX社が実現したい世界

最後に、嶋田さんに改めて「BizteX社がこれから実現したい世界」を聞いてみました。

    ●嶋田さんのご回答

    BizteX社はオフィスワークの定型業務をRPAで補い、貴重なエンジニアのリソースをiPaaSで補うことができるので、人が本当に時間と労力を使うべき「企画やアイデア」のところ、そしてエンジニアも本来やるべき「自社のサービスを創ること」に時間を割けるようになります。私たちはそれをお支えしたいし、これからその重要性が増してくると思っています。

時代を先読みし、それに加えてお客さまのやっていることも把握し、適したサービスをご提供してお客さま、ひいては日本全体の生産性向上に貢献していかれる。素晴らしいですね。今回、改めてこれからの時代を見据えた新しい仕組みの重要性・必要性を実感しましたし、これからの世の中に非常に役に立つ、世の中のためになることを率先して推し進められている嶋田さんたちを、心から応援したいと思います!

以上(2021年6月作成)

労働判例の読み方 社会福祉法人・青い鳥事件(正職員だけの産前・産後休暇の延長、有給制等の不合理)

(日本法令ビジネスガイドより)
この記事は、こちらからお読みいただけます。pdf

【朝礼】序二段から返り咲いた大関に学びたい「前向きさ」

私は大相撲が好きで、テレビで観戦することも多いのですが、大相撲に関心のない人にも、ぜひ知っておいてもらいたい力士がいます。それは照ノ富士(てるのふじ)関です。照ノ富士関は2021年の三月場所で見事に優勝し、大関、つまり横綱に次ぐ番付に昇進しました。

実は、照ノ富士関はそれ以前にも大関だった時期がありました。ところが、膝のけがや病気などで本来の力を発揮できなくなり、大関から陥落します。その後も負け越しや休場が続き、番付は下から2番目の序二段にまで落ちてしまいます。

大関まで上り詰めた力士は通常、大関から陥落したときや、幕下という「関取」でない番付に下がったときに引退します。相撲は実力がものをいう世界で、番付によって給料はもちろん、付け人と呼ばれる世話係の有無、食事の順番など、待遇が大きく変わります。大関まで経験した人であれば、絶頂期と比べて天と地ほど違う待遇を甘んじて受けるより、「元大関」という肩書で第二の人生を歩むほうが、自然な選択といえます。

特に照ノ富士関は、横綱になることだけを考えてきたので、夢をほぼ断たれた状態でもありました。何度も師匠に引退したいと伝えたそうですが、そのたびに慰留され、まずはけがや病気の治療に専念することにしました。やがて、膝を手術し病気も回復してくると、再び土俵に立つことを決断します。そして、序二段から再スタートし、約2年かけて大関に返り咲くことができたのです。

照ノ富士関が大復活できた1つの理由は、本人も感謝しているように、引退を慰留し続けた師匠や、番付を落としているときに入籍した奥様をはじめとする周囲の人の支えがあったからです。

ですが最も大きな理由は、どんな状況になっても頑張り通せた照ノ富士関自身の前向きさにあると思います。体が言うことを聞かない、横綱になるという目標からどんどん遠ざかる、待遇が悪くなる、これまでの支援者が少なからず去っていく。失っていくものを見ていたら、キリがありません。ですが照ノ富士関は、それでも応援してくれる人のほうを見て、「応援していてよかった」と言ってもらえるように頑張ったといいます。

けがや病気に対しても前向きに取り組みました。再発を防ぐために、膝の負担が大きい力任せの相撲を改めるとともに、病気の一因となった酒を絶ちました。そして次第に、低い番付からの昇進を2度経験するのは、「どんな大横綱でも味わったことのない楽しさを味わっているのかも」と考えるようになったそうです。

私たちも、仕事で失敗したり思い通りにいかなかったりして、「もう辞めたい」と思うことが何度もあるはずです。そんなときは、照ノ富士関のように、「こんな自分でも、まだ期待してくれている人がいる」「ピンチだけど、こんな経験は何度もできない」と前向きに考えたいものです。そうすれば、もう少し踏みとどまって頑張ってみよう、という気持ちになれるはずです。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

社長が語る 私はM&Aによる事業承継をこうして決断した

書いてあること

  • 主な読者:自社の事業譲渡や、他社の譲り受けによる業容拡大を考えている社長
  • 課題:M&Aの経験がないので、実際に経験している他社の社長の考えを聞きたい
  • 解決策:売り手も買い手も、譲渡対象の会社の中で、残したいものは何かを明確にしておく

1 「こんなはずではなかった」では済まされないM&A

事業承継の方法の1つにM&Aがあります。社内で後継者を見つけられない、自社だけでは存続が難しいといったケースはますます増えており、M&Aは事業承継の重要な選択肢となっています。現状では「うちには必要ない」という会社であっても、あらゆるリスクを想定すべき立場にある社長なら、M&Aの可能性は常に意識しておくべきでしょう。

M&Aは、会社と社員の将来を左右し、しかも一度踏み出すと簡単には後戻りできない、重大な決断です。売り手であっても買い手であっても、契約してから「こんなはずではなかった」では済まされません。その一方で、異なる会社が1つになるわけですから、リスクがつきものです。社長にとって、最も難しい経営判断の1つです。

この記事では、事業を譲渡した会社の元社長と、事業を譲り受けた会社の社長へのインタビューを紹介します。いつか同じ立場になることをイメージしながら、参考にしてみてください。

2 事業譲渡の事例:エネルギー業界の将来の激変を確信し決断

前身から数えて約100年続く家業はしっかりと利益を出しており、跡取り息子も経験を積んできている。そんなタイミングで他社に事業譲渡し、息子は譲渡先の会社の平社員に。それを決断したのは、婿養子である3代目社長――。それでも「後悔したことは全くない」と胸を張れるのは、業界の先行きを誰よりも徹底して調べ、家族、社員、顧客にとって最善の選択をした、という自負があるからです。

1)婿養子の3代目社長

吉原祐司さんが埼玉県入間市のプロパンガス販売会社「吉原燃料店」に入社したのは1982年のことでした。結婚を機にそれまでの勤め先を辞め、妻の実家・吉原家の婿養子となったタイミングでした。それから約30年、吉原さんは、創業社長である義父と、その弟で2代目社長となる義理の叔父の下、事業の拡大に貢献。2011年、54歳で満を持して3代目社長に就任しました。

社長就任の際、吉原さんは自身に2つの役割を課しました。1つは会社の業績を伸ばすこと。そしてもう1つは、次の社長を育てることです。もちろん事業譲渡は頭の片隅にもなく、3年前に入社した長男にバトンタッチするまでには5~10年ほどかかるだろう、と考えていたそうです。

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2)政府の電力自由化宣言が転機に

ところが、社長就任の直前に発生した東日本大震災が、エネルギー業界、そして吉原燃料店に大きな影響を及ぼします。発端は2013年、政府が震災を受けてスタートさせた電力システムの改革によって、3年後に電力小売事業への参入を全面自由化すると公表したことでした。「自社が関わる業界が変わろうとしているのに何もしないのは、経営トップとして間違っている」。吉原さんは、電力自由化に伴うエネルギー業界への影響を、独自に調べ始めます。

吉原さんの調査は徹底していました。調査対象は国内のみならず、電力自由化の先進地域である欧州にまで及びました。文献だけでなく、あらゆる「つて」を駆使し、積極的に人と会って情報収集しました。エネルギー政策に詳しい国会議員、プロパンガスの納入先だった横田基地の米軍関係者、SNSで知り合ったフランス滞在歴の長いフランス語通訳……。地元の入間市に頼み込んで、市内の祭事のために来日していたドイツの姉妹都市の市議らの時間を割いてもらい、現地のエネルギー事情についてのヒアリングも敢行しました。

3)エネルギー業界で生き残るために事業譲渡を選択

こうして集めた情報から吉原さんは、「電力が自由化されれば、電力、都市ガス、プロパンガスはすみ分けができなくなる」と分析。そこで生じた最大の懸念は、「エネルギー業界が統合されても、吉原燃料店は商流の川上にいられるかどうか」でした。

「下流にいるだけでは価格も決められず、商売として面白くないし、先細りになってしまう」と考える吉原さんは、自社が電力を供給できる方法がないか調べることにしました。大手電力会社に電力を融通してもらえないか相談したところ、「埼玉県全域をカバーできるくらいの規模がないと、卸先として認めてもらえない」ことを実感。それなら、自社の営業領域でない埼玉県東部をカバーしている同業者を買収できないだろうか。こうして吉原さんは、M&Aのセミナーなどに参加するようになりました。

そうこうしているうちに、2016年4月の電力自由化まで残り1年半を切り、吉原さんは決断を迫られます。「電力自由化まで5年から10年あれば、他社を買収して自力で生きていけるかもしれない。でも、もう時間がない。吉原燃料店を存続させて先細りになっていくよりも、次の扉に手をかけるべきだ。電力を供給できる会社に事業譲渡すれば、社員はその大きな会社で営業所長にも役員にもなるための道が開ける」。そして、2015年末、吉原さんは自社の事業譲渡先を探すため、M&A仲介会社に相談します。

4)譲渡先の決め手は、小回りが利き社員と顧客を大切にする社風

M&A仲介会社からは、同業の全国40社の候補が紹介されました。吉原さんはそこから8社に絞り、担当者と面談を行いました。

譲渡先を選ぶ第一の基準は、社員と顧客を守ってくれることでした。譲渡後3年間は社員の待遇や会社の定款などを変えないこと。そして従来の地元の顧客を不安にさせないだけの知名度と営業力を持ち、プロパンガスの安定供給ができることなども条件に加えました。

吉原さんが譲渡先に選んだのは、県内のプロパンガス販売大手で既に電力事業も手掛けているサイサン(さいたま市)。決め手は「波長が合う会社だった」ことでした。他の有力候補の会社に相談すると返答までに2カ月半かかる課題を、オーナー経営であるサイサンは、副社長が「それでいきましょう。取締役会はなんとかなるでしょう」と即答できる会社でした。規模は大きくても小回りが利き、“小売り商人”の考え方が残っている。また、経営理念に大家族主義、お客様第一主義を掲げ、社員と顧客を大切にする。これが、サイサンの社風が「合う」と感じた理由でした。

5)家族や社員への説明

婿養子である吉原さんが吉原燃料店の事業譲渡に当たり、どうしても理解を得ておきたかったのが、妻と義母(義父は既に他界)、2代目社長である義理の叔父、長男の4人です。

まず相談したのは、次期社長候補だった長男でした。後継ぎとして会社に引き入れた手前、猛反対されることも想定していたそうですが、意外にも「朝礼でも月に1、2回は話していたので、親父が電力自由化後の会社の在り方について研究していることは知っていた。それで自分でも調べてみたけど、親父に賛成だよ」と、すんなり承諾してくれたそうです。「うれしいという部分もあったけれど、自分がうまく育てたなと思った」と笑う吉原さん。現在、吉原さんの長男はサイサンの一社員として、埼玉県内の別の支店で働いているといいます。吉原さんは、「父親に遠慮して、サイサンに残り続ける必要はないと彼に話している。それでも積極的に勤めているのだから、自分なりの考えを持って働いているのだろう」と長男を気遣います。妻や義母も吉原さんの考えに理解を示してくれました。

最も説得に苦戦したのは、義理の叔父でした。既に会社の株は保有していませんでしたが、「叔父には理解してもらいたい」との思いが強かった半面、「15回くらい話をして、それでもなんとか容認してもらえる程度だろうと覚悟していた」といいます。電力自由化に関して自分で調べたことを説明し、「家族、社員、社員の家族のため、そして社員がつないでくれているお客様にとって、一番いい選択」「吉原燃料店よりも、吉原の家を守りたい。会社の名前を残さなくても、皆が幸せならいいはず」と力説する吉原さん。最初は「言いたいことは分かった。考えてみる」、ときには「ちょっと間をおこうや」と難色を示していた義理の叔父ですが、2カ月半ほどたった6回目の話し合いで、「電力自由化のことを自分でも調べたけど、あんたの言っていることもあながち間違ってねーな」と言ってもらえました。それを受けて吉原さんは2016年6月、譲渡契約に調印します。

社員へは、契約に調印した当日、新社長を伴って開いた夕礼の場で説明しました。吉原さんは、社員が安心し、さらに希望が持てるように、当面は給料やボーナスなどは変わらないことと、頑張れば支店長にもなれると話したといいます。

6)気遣いが重要な譲渡後の統合作業

譲渡後も吉原さんは既存の顧客が混乱しないよう、顧問として3年間会社に残りました。譲渡後間もない時期、何かあるたびに話しに来る社員たちに対して、吉原さんは「違うだろ」と目で合図をし、新社長のところに行くように促したといいます。それを繰り返すうちに、社員の足は徐々に新社長に向かうようになりました。

新社長も、吉原さんや社員を気遣ってくれました。吉原さんにはしばしば、「社員に話をするには、このような表現でよいでしょうか」などと相談してくれたといいます。これに対する吉原さんの答えは、常に「いいんじゃないでしょうか、そうしましょう」。吉原さんは、「私も新社長も、お互いに会社のために、取るべき立場を守った。(自分が)いい会社にしようと本気になれば、譲渡先もいい人を派遣してくれるものだと思った」と振り返ります。

吉原燃料店は2018年9月にサイサンに吸収合併され、サイサンの入間営業所となりました。それを見届けた吉原さんは、その後間もなく身を引くことを決意します。

7)「調べ尽くし、考え抜いて計画を立てる。あとは計画の操り人形になる」

吉原さんは、「事業を譲渡したことの後悔は一度もない。なぜなら、後になって『こんなはずじゃなかった』とならないように、『自分の計画の操り人形になった』から」といいます。

自分自身のマインドマップを作って、会社の今後に関する計画を立てる。そのために、事前にあらゆる手を尽くして情報を収集し、思い込みを排除する。揺るがぬ計画さえ立てられれば、後はぶれないし、後悔することもない。

吉原さんの決断に対して、「プライドがないのか」と中傷する人もいたそうです。しかし吉原さんには、全く気にする素振りはありません。「自分のプライドより、社員や社員の家族、お客様の幸せのほうが大事。お客様がいいなら、会社の名前も残さなくていい。そういう道筋を作れたことは、恥ずかしいことではないし、今でも誇れることです」

(取材協力 株式会社日本M&Aセンター)

3 事業譲り受けの事例:先代社長との10年間の交流で譲渡会社の「心」を承継

後継者不在で身売りを考えていた同業の本家を、分家が72年ぶりに統合。本家は江戸末期から続く老舗ですが、分家の義理の息子は本家の屋号の承継を断り、自社(分家)の利益拡大路線にまい進します。ところがその10年後、本家の屋号の存続を断った分家の義理の息子は、本家の8代目襲名を決意。その理由は、統合後に10年続けてきた本家の先代社長との対話を通じて、本家に受け継がれてきた循環型社会を基とする「江戸時代の哲学」の価値に気付き、自社で“承継”したいと考えたからでした。

1)事業モデルの転換で妻の実家の豆腐屋を立て直す

8代目染野屋半次郎こと小野篤人さんが、妻の実家が家族で経営する豆腐屋「染野豆腐店」で手伝いを始めたのは、1999年1月のことでした。当時25歳だった小野さんは、米国の雑貨の輸入販売代理店業を営む“若き実業家”でした。

ところが、染野豆腐店で製造を一手に担っていた義父が、結婚後わずか2カ月で急逝。義母からの頼みと、親戚からの「豆腐屋は年間で1000万円ぐらいもうかるらしいよ」という甘い言葉に誘われ、本業の空き時間を使って豆腐の製造を手伝うことにしました。当時は豆腐に関する知識は全くなく、「お金を稼げるならいいや」という感覚だったといいます。

しかし、蓋を開けてみると、実際の染野豆腐店は年商300万円程度。主要な販売先は学校給食向けでしたが、少子化の影響で「完全に落ち目」の状態でした。そこで小野さんは、それまでの事業モデルの転換を決意し、個人客に狙いを定めました。原料の大豆を外国産から国産に切り替えるとともに、味や安全・安心にこだわった独自の製法を研究し、一丁110円だった売価を200円に引き上げました。そして妻とともに、自家用車を使った移動販売を始めました。倉庫から引っ張り出してきた豆腐屋のラッパを吹き、自作のチラシを配るという昔ながらの集客方法でした。顧客の反応も良く、小野さんは「本業と違って製造直販なので、商品を開発すれば売り上げは上がる。やりようによってはもうかるのでは」と手応えを感じたといいます。

そこで小野さんは、豆腐屋に専念することを決意し、雑貨の輸入販売代理店業を廃業するとともに、新たな手に打って出ます。2004年2月に地元の取手駅(茨城県取手市)の駅ビルに店舗を出店し、同年4月に有限会社染野屋を設立して自らが社長に就きます。新店舗も予想通りに大成功し、月間の売り上げが400万円程度にまで急拡大しました。

2)「渡りに船」で本家を統合

売り上げを伸ばす染野屋が突き当たった課題が、生産能力でした。それまでは住居と隣接した工場で、家族だけで製造していました。これ以上の生産量拡大には、工場のスペースも人員も足りません。工場を新設したくても、法人化したばかりの零細企業が融資を得られる見込みもなく、「これ以上前に進めない状況」でした。

そんな折、同じ取手市内にある染野屋の本家筋に当たる豆腐屋「半次郎商店」が、身売りを考えているという話を耳にします。半次郎商店は1862(文久2)年創業の老舗ですが、後継者が不在で、主要な販売先であるスーパーマーケットからの売り上げも減少。経営者である7代目染野屋半次郎こと染野青市(せいいち)さんは、既に80歳を超えていました。本家と分家とは資本関係はありませんが、経営者同士は遠縁に当たり、分家で豆腐が足りないときは本家に融通してもらうなどの協力関係が続いていました。このため本家としても譲渡には乗り気で、話はトントン拍子に進みます。小野さんは染野屋を法人化して2カ月後の2004年6月、半次郎商店を引き継ぎました。染野豆腐店が分家となって72年ぶりとなる本家と分家の統合でした。

統合の内容としては、小野さんが半次郎商店の工場の機械設備を買い取り、工場自体は賃貸の形で借り受け、10人弱の従業員と顧客を引き継ぎました。遠縁ということもあり、外部の仲介者も入らず、当初は賃貸借契約書も作成しなかったといいます。

3)売り手を落胆させた、売り手と買い手の思惑の違い

「良縁」に見えた両家の統合ですが、7代目の青市さんと小野さんとの思惑は全く異なっていました。実は青市さんはかつて、一度息子に会社を引き継いだのですが、息子に若くして先立たれてしまい、不本意ながら再び染野屋半次郎を襲名した経緯があります。新たな後継者候補も見当たらず、「歴代の半次郎に顔向けできない」が口癖だったという青市さん。当時31歳だった小野さんからの統合話を、「ご先祖様の取り計らいでつなげてくれた」と喜んだそうです。

一方の小野さんにとっての半次郎商店は、自社より10倍ほどの生産能力のある工場と、10人弱の従業員を持っているという存在でしかありませんでした。自分で立てた売り上げ計画を達成させるために、半次郎商店は「使うしかない。これでまた、ガンガン攻められる」という感覚だったそうです。

統合の内容を話し合っていた際、小野さんは青市さんから、半次郎商店の屋号を残し、8代目染野屋半次郎を襲名するよう何度も頼まれましたが、「それはできません」と断り続けたそうです。小野さんは、「当時は自分のことしか考えていなかったので、自社のお客様が混乱することだけを懸念していた」と振り返ります。そんなときの青市さんは、もう1つの口癖である「長生きはするもんじゃないな」と漏らしていたそうです。

4)「今日からここは僕の工場なんですよ!」

統合後の小野さんは、旧「半次郎商店」に対して、染野豆腐店を成功させたのと同じ手法で「破壊的に変えていく」作業を進めます。原料は国産に、製法も自分で開発した方法を導入します。

工場を引き継いだ初日のことです。小野さんは、効率を高めるために当時も当たり前のように使っていたという「消泡剤」としての添加物を、投入しないように指示します。また、味を良くするために、一般的な豆腐よりも濃度の高い豆乳を作るように指導しました。

こうした見慣れない製法に、70年近い豆腐製造の実績を持つ青市さんは、「こんな濃い豆乳は炊けない」と異を唱えます。これに対して、血気盛んな小野さんは、吐き捨てるように言い返しました。「今日からここは僕の工場なんですよ!」。寂しそうな顔をして、黙って立ち去っていった青市さん。それ以来、小野さんのやり方に口を出すことはなくなったといいます。

「今思い出しても心が痛む」と振り返る小野さんですが、後になって、青市さんが周囲の人に、このように語っていたことを知らされたといいます。「あれ(小野さんのこと)は頑固だな。ただ、ああいうのじゃないと、任せられないな」

5)先代社長への月1回の「表敬訪問」を10年続けて“半次郎の心”を承継

一度は衝突したとはいえ、同じ取手市内の親戚筋であり、工場は青市さんの家と隣接もしています。そこで小野さんは、従業員からの勧めもあり、月に1回、青市さんを表敬訪問することにしました。とはいっても、相手は50年の年長者。当初は「表敬訪問するのはもっともな話だが、面倒臭い。話は1時間も続かないのでは」と思っていたそうです。

ところが、表敬訪問を重ねるたびに、小野さんは青市さんの話に魅了されていきます。第二次世界大戦中に、志願兵として参加した東南アジアの戦地での話、豆腐工場の燃料をまきからボイラー式に変えたときの話……。何より、経営者として30年以上の実績があり、同じ経営者という立場で、染野屋を盛り上げたいという思いを共有している相手と話ができることに、小野さんは喜びを感じました。いつしか2人は、世代を超えた「親友」の仲になりました。旧「半次郎商店」の従業員と小野さんとの間にトラブルらしいトラブルがなかったのは、2人の関係が親密になったことも影響していると、小野さんは思っています。

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青市さんとの会話を重ねることで生じた最も大きな変化は、「お金中心で物事を判断するキャピタリストそのものだった」という小野さんの考え方でした。「お金を稼ぐのは1つの正義だが、地球環境というお金に換算されていない資産を食い潰していては、地球という閉鎖された世界全体で見ると稼いだことにならない」。小野さんが感じていたキャピタリズムの矛盾点の解決策が、青市さんを通して感じた江戸時代にあると知ったのです。

「江戸時代の香りがする」。これが、小野さんが青市さんに抱いた印象でした。ご先祖様を常に意識し、伝統を重んじ、自分の欲得やお金で物事を判断しない。皆が助け合って生きていく「和合精神」の持ち主で、愛や思いやりに満ちあふれている。そんな青市さんの価値観は、環境破壊や廃棄物が限りなくゼロに近い“超循環型社会”を実現させた江戸時代の哲学そのものであり、それこそ「心が温かくなる“本物”のキャピタリズム」だと、小野さんは感じるようになりました。そして自然と、「染野屋半次郎という名を継ぎたくなった」といいます。

小野さんが8代目染野屋半次郎を襲名した2014年の暮れに、青市さんは96歳で息を引き取りました。最後に会った病室で、青市さんが笑顔で小野さんに語った最期の言葉は、青市さんのかつての口癖と真逆のものでした。「長生きはするもんだな。もう悔いはないよ。あとは任せたよ」

6)社風となって生き続ける“半次郎の心”

小野さんが青市さんとの会話を重ねた10年間は、染野屋が急成長を遂げた10年間でもありました。売り上げは、小野さんが豆腐屋に入った頃の約400倍の年間12億円程度まで増えました。小野さんは、「もし半次郎の哲学を承継していなければ、急成長はできたかもしれないが、成熟する前に弾けてしまったと思う」と話します。

今の成熟した染野屋には、「目指したのは江戸時代のとうふづくり」というスローガンがあり、「持続可能な社会の確立」が企業理念になっています。そして小野さんは、自身を「環境実業家」と形容して経営判断を行っています。

例えば、染野屋が開発した大豆由来の「SoMeat(ソミート)」は、森林破壊や二酸化炭素排出につながる肉の生産の代替とするために考案したものです。また、取引の可否を判断する際は、自社の損得だけでなく、取引先にとっても利益になるかを考えるよう、幹部にも徹底させているといいます。

小野さんは、「7代目はきっと、『やっと分かったか、若造』と思いながら見ていると思います。染野屋半次郎は僕が承継したのでなくて、彼が僕に承継させたのでしょうね」と、親友との思い出を懐かしみながら笑顔を見せました。

4 残したいものは何なのか

吉原さんは、会社を他人に譲渡してでも、従業員に将来の希望を残したいと考えました。小野さんは、工場と従業員を得るために本家を統合しましたが、後になって本当に受け継ぐべきものは先代が残した江戸時代の哲学だと気付きました。事業譲渡の際の評価額は大事な要素ですが、契約後に「こんなはずではなかった」と後悔しないためには、譲渡する側も譲り受ける側も、「残したいものは何なのか」を明確にしておくことが重要なのかもしれません。

以上(2021年6月)

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画像:インタビュー先から提供

【朝礼】あなたの努力に心から感謝しています

この数週間のうちに、仕事で立て続けにミスをした社員がいます。それは、我が社にとって重要なお客様の仕事でした。その社員は余計に落ち込んでいました。しかし、私はその社員のミスをとがめる気は全くありません。むしろ、そのミスは未来に花開くための価値ある失敗であり、これにへこむことなくチャレンジしてほしいと応援しているのです。

私がこう思うのは、その社員の努力を知っているからです。我が社がデジタル化を進めていることは、皆さんもご存じのはずです。その社員はこの方針を理解しているだけではなく、具体的な行動として勉強し、資格を取得し、実務に活かそうともがいています。

かつて私も同じことをしたので分かりますが、一定の立場になった社会人が働きながら勉強するのは本当に大変です。平日は残業があるなど、夜遅くでないと勉強ができません。休日も、プライベートの時間を削って勉強することになります。そうした努力を積み重ね、この社員は資格を取得したのです。素晴らしいです!

一方、資格の勉強と実践とは全く違います。勉強をして知識を得れば、いろいろと試してみたくなりますが、慣れないことをすればミスもします。真剣に取り組んだ結果のミスなら、それは「良いミス」です。人は良いミスを繰り返しながら成長し、プロフェッショナルになっていきます。その社員はそうした道を歩み始めています。

人が成長期に入るとオーラを発します。日ごろ、人の成長と本気で向き合っている人なら、すぐに分かります。実際、私と親交の深い経営者仲間は、私やその社員と30分ほどオンラインで話しただけで見抜きました。その経営者は私に聞いてきたのです。「あの社員、すごく成長した気がするけど、何かきっかけがあったの?」と。経営者仲間は、知り合いの成長を喜ぶと同時に、自分の会社でも取り入れられることがないかと思い、質問してきたはずです。それほどまでに、経営者にとって社員の成長はうれしいものなのです。

さて、人が成長期に入ると、【活動エンジン】のパワーが格段に上がります。その根本的な動力はどこから生まれてくると思いますか?

私は、その社員の夢と会社の方針の一部がリンクし、明確な目的となったことだと思います。人は目的があると、進むべき道、やるべきことに迷わず努力を続けることができます。実際、その社員は、格上の人にも臆せず教えを請うています。それに、必要な勉強会などの費用を遠慮せずに会社に申請しています。今、その社員は「大変だけど、すごく楽しい」と感じているはずです。

皆さん、1週間に30分でもいいので、自分磨きの時間を持ってください。そして、考えてほしいのです。仕事でもプライベートでもよいので、「自分が成し遂げたいことは何なのか」と。皆さんが成長期に入るきっかけは、こうした問いにあるのです。

以上(2021年5月)

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画像:Mariko Mitsuda

令和2年の交通事故死者数等の特徴と対策(2021/05号)【交通安全ニュース】

活用する機会の例

  • 月次や週次などの定例ミーティング時の事故防止勉強会
  • 毎日の朝礼や点呼の際の安全運転意識向上のためのスピーチ
  • マイカー通勤者、新入社員、事故発生者への安全運転指導 など

警察庁から公表されている「令和2年における交通事故の発生状況等について」によると、全体の死者数は減少傾向にあるものの、高齢者が占める割合が増加したことや歩行者・自転車乗用者の事故類型・法令違反の状況が示されています。
また、この状況を受けて令和3年の「本年の主な取組」もあわせて公表されていますので、この機会に確認いただき、日頃の安全運転に役立ててください。

1.交通事故死者数の推移と高齢者の割合

令和2年の交通事故死者数は、2,839人で昨年より376人減少し、警察庁が発表を始めた昭和23年以降の統計で最少人数となりました。

そのうち、65歳以上の高齢死者数は、1,596人で昨年より186人減少していますが、その割合をみると、0.8%増加し56.2%となりました。

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※警察庁「令和2年における交通事故の発生状況等について」
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/jiko/R02bunseki.pdf
(2021.4.19.閲覧)

令和2年の交通事故死者数を事故状態別でみると、「歩行中」が1,002人で最も多くなっています。
そのうち、65歳以上の高齢者は、743人でその割合は74.2%と高い状況です。

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2.交通事故の発生状況における主な特徴

(1)「歩行中」の交通事故死者数の特徴

道路横断中の死者数が約7割を占めます。(69.3%)
※65歳以上の高齢者では、その割合は75.6%と高まります。

・道路横断中の事故において、横断者側に横断違反や信号無視があった割合は過半を占めます。(51.8%)

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(2)「自転車乗用中」の交通事故死者・重傷者数の特徴

・自動車との事故を類型別にみると、出会い頭の事故が過半を占めます。(54.7%)

・自動車との出会い頭事故において、自転車側に法令違反があった割合は約8割を占めます。(78.0%)

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※警察庁「令和2年における交通事故の発生状況等について」
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/jiko/R02bunseki.pdf(2021.4.19.閲覧)

3.本年の主な取組

警察庁は「本年の主な取組」として以下の3点を掲げています。

  • ○ 歩行者の安全確保に向けた交通安全教育や運転者に対する指導取締り
  • ○ 自転車の遵法意識の向上に向けた交通安全教育・指導取締りの推進
  • ○ 生活道路における安全確保
※警察庁「令和2年における交通事故の発生状況等について」
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/jiko/R02bunseki.pdf(2021.4.19.閲覧)

≪ドライバーの皆さんへ≫

  • ◎予測運転の実践
    歩行者やランナーの急な道路横断や出会い頭での自転車の飛び出しにも対応できるよう常に周囲の状況を確認し、慎重に運転しましょう。
  • ◎思いやり・ゆずり合い運転の実践
    歩行者や自転車は、優先意識があったり、交通ルールを詳しく知らず法令違反をしてしまうことがあることを念頭に、常に冷静に、思いやりやゆとりをもって運転しましょう。

以上(2021年5月)

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画像:amanaimages

【朝礼】これからが、これまでを決める

「今の行動が未来を決める」
例えば、何かに本気で取り組めば成功の確率は高まりますし、失敗したとしても、その経験は非常に貴重です。逆に、今、何も本気で取り組んでいなければ未来は開けません。このことをもう一歩踏み込んで考えてみましょう。そうすると、今の行動が未来を変えるのなら、「今の行動は過去も変える力を持っている」ことに気付きます。

「これからが、これまでを決める」
これが、とても大事なポイントです。

何事もそうですが、新しいことに挑戦すると、リスクが高まります。会社経営でいえば、私の知り合いの経営者もたくさん失敗しています。ただ、この失敗とは、より良い未来を目指すために挑んだチャレンジの結果であり、称賛されるべきことです。にもかかわらず、失敗をした後の人々の言動には大きな違いが出てくるもので、そこが大きな分かれ道です。

失敗をすると周囲に迷惑をかけてしまいますが、迷惑をかけてしまった相手に真摯に謝罪する人がいます。こうした人は、過去の頑張りが前向きに評価され、未来に向けた新たなチャレンジの応援もしてもらえます。

一方、失敗を他人のせいにして言い訳ばかりする人もいます。こうした人は、「言い訳ばかりだ。どうせ思いも軽く、適当にやっていたのでは?」などと過去の努力が否定されます。次のチャレンジの応援もしてもらえないでしょう。

これは、今の行動で過去が肯定されることも否定されることもある例ですが、皆さんに伝えたい大切なポイントは、「今を真摯に生きていれば、過去の行動も評価され、応援が得られ、未来に向けた強力な推進力になる」ということです。

「失敗したくないから」という理由でチャレンジができない人を私はたくさん知っています。しかし考えてみてください。失敗した後も真摯に生きていれば、必ず次のチャレンジができるのです。私たちは、目先の成功や失敗にとらわれがちですが、むしろ大切なのは成功や失敗をした後といえるでしょう。

少し楽観的に、「たった今も人生の一瞬」と考えてみるとよいでしょう。人生は短く、できるだけ無駄な時間は過ごしたくありません。一方、人生は100年といわれるほど長く、今の失敗はほんの一瞬のことでもあります。要は「都合よく考えていい」ということです。今、当社は大きなチャレンジをしていますが、うまくいっている部分も、そうでない部分もあります。偶然の発見や出会いが想定外の出来事を引き起こしている面もあります。私は、こうした偶然や想定外を前向きに受け入れる懐の深さが重要であると考えています。

偶然や想定外はビジネスに限らず、皆さんが生きている間、起こり続けます。失敗を恐れず、それらとうまく付き合うことで、皆さんは過去を前向きに捉えることができ、未来に向けた強力な推進力を身に付けられるのです。

以上(2021年4月)

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画像:Mariko Mitsuda

「人」と「コスト」のファイナンス的考え方/経営者のためのファイナンス講座(3)

書いてあること

  • 主な読者:将来の意思決定に役立つファイナンス思考を身に付けたい経営者
  • 課題:会社の中で最も大きな割合を占める人にかかるコスト。人件費=給与と考えている人も多く、ファイナンスで必要な正確なコスト計算ができていない。
  • 解決策:社員の人件費(福利厚生費なども含める)を時給換算し、外部サービスの単価と比較することが大切

1 外部サービスを使いますか? 社員に頼みますか?

例えば、本日中に取引先から資料をオフィスまで届けてもらわなければならないときに、あなたならバイク便を使いますか? 社員に直接届けるよう頼みますか?

実際に、取引先の社員の方が私のオフィスに直接資料を届けに来たことがありました。往復1時間半かかるわけですが、事情を聞くと「バイク便だと3000円もして高いから」と返事が。確かに、郵便や宅配便の料金と比べれば、バイク便の3000円は高いです。しかし、今回のような郵便などでは間に合わないケースでは、ファイナンス上どう考えたらいいのでしょうか。

2 社員が直接届けるほうがコスト高になる

結論からいうと、社員が直接届けるほうがコスト高になることが多いのです。

まず、社員に支払っている給料を時給換算して考えてみましょう。中小企業の社員の1時間の働きには、約2000円程度のコストがかかります。中小企業の社員の平均年収(賞与含む)は411万円(厚生労働省「令和2年賃金構造基本統計調査」、男女計を基に算定)ですので、これを基に、1日の労働時間が8時間、月の労働日数を20日として計算します。すると、

411万円÷(8時間×20日×12カ月)=2141円/時間

となります。しかも、会社がこの人を雇うために必要なコストはこれだけではありません。会社は給料だけではなく、社会保険料(会社負担分)や福利厚生費、制服の支給代など社員に対する支払いがいろいろあります。社会保険料の会社負担分だけ考えても、給料の15%程度かかりますので、この分を考慮しましょう。実質的な時給は、2141円×115%=2462円となります。

もし、届けるのに往復1時間半かかるのであれば、バイク便の3000円と比較すると、社員が届けるほうがコスト高なのが分かります。社内には社員にしかできない業務があることを考えれば、バイク便を頼んでしまったほうがいいともいえます。

3 それでも社員に届けさせる理由

しかし、このような場合に、実際にはバイク便を使う会社は少ないのです。社員自身が「自分でもできることをわざわざお金を払って外に頼むなんてもったいない」と考えているからです。このように考えてしまうのは、お金が出ていくことに目が行き過ぎているためです。社員に届けてもらえば支払いは発生しないのに、バイク便を頼んだら支払いが発生する。確かに、バイク便ではお金を支払うことにはなりますが、社員は他の業務に当たることができます。

近年は、働き方改革や新型コロナウイルス感染症関連の対応を経て、以前よりも従業員の労働時間が限られてきています。その貴重な労働時間でどのような業務に当たってもらったらいいかを考えるのが、ファイナンス的にも重要なのです。その証拠に、棚卸専門会社の利用が以前より増えているのを感じます。小売業であれば必須の在庫棚卸のカウント作業を、外部に頼みます。もちろん、自社で行うこともできますが、社員の貴重な時間を最も有効な業務に充てたいと考える会社が増えたことの表れだと感じます。

このように、時代の変化を受けて、「自社でできるからやる」のではなく、「自社でやるべきことだけをやる」経営に変わりつつあります。この発想の転換には、実は先ほど説明したファイナンス的な考え方が存在します。

自社の場合の平均時給を一度計算してみるといいでしょう。そうすれば、時給換算でいくら以下のコストなら外部に依頼するといったように、経営者や管理職が判断しやすくなると思います。

4 レターパックの普及も、自社でやるべき業務に注目したから

ペーパーレス化が進んでいるとはいうものの、まだまだ紙でのやり取りが多く存在しています。最近は郵便物の送付に、切手が必要な紙封筒ではなく、レターパックという大型封筒をよく見かけるようになりました。赤や青で印刷されたボール紙製の大型封筒です。

これを使うことで、総務担当者の郵便・宅配便などの発送の手数を減らすことができます。分厚い資料を送る場合には、通常は計測や計量をして切手を貼る必要があります。従来は総務担当者の業務の1つでしたが、レターパックを使えば、レターパックの購入代金に郵送費が含まれていますので作業が楽になります。

5 お金を払って、社員の業務時間の価値を上げる

バイク便もレターパックも、自社の手数をかけない、または最小限にするという点で共通しています。これらサービスが近年普及したことは、偶然ではありません。先ほど述べたように労働時間が限られてきた結果、社員一人ひとりの生産性を上げざるを得なくなったことと整合するのです。

日本では最低賃金が定められていることや、一度決めた給料を下げるのが難しいことを考えると、社員の労働価値を最大化させる判断は必須です。できる限り貴重な自社の人材の時間は、必要性が高いことに充てるべきなのです。

6 人件費を圧倒的に下げた新たなビジネスも多い

このことは、自社のコスト削減につながるだけではなく、新たな事業を考えるヒントにもなります。

例えば、オフィスグリコという置き菓子は、お菓子の購入時に、商品の近くにある貯金箱に利用者自身がお金を入れる形式です。いわば、無人販売のお菓子版といえます。もちろん、中には料金を支払わずに商品を持っていく心ない人もいるようで、盗難によるコストも生じます。しかし、このコストを考慮しても、わざわざ人を配置して、管理やお金の受け取りをしないほうがファイナンス的には得なのだといいます。これなら、商品の補充や貯金箱からの集金だけしか、人件費がかかりません。つまり、人件費を最小限に抑えることこそが、この事業の鍵なのです。

都心部などで普及しているシェアサイクルやカーシェアも同じです。従来のレンタカーやレンタサイクルの貸出・返却時には人が対応していました。しかし、それを省くことで、拠点を増やして利便性を上げ、かつ低単価を可能にしています。

つまり、高い人件費に注目し、なるべくこれを下げるような事業を設計することで、従来にない事業のアイデアにつながります。

以上(2021年5月)
(執筆 管理会計ラボ 代表取締役 公認会計士 梅澤真由美)

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画像:pixta

【朝礼】浦島太郎の結末は本当に「バッドエンド」なのか

今朝は、皆さんもご存じの浦島太郎の昔話について話をしたいと思います。

私は子供の頃から、浦島太郎の結末に違和感を覚えていました。亀を助けるという善い行いをしたはずの浦島太郎が、最後にひどい仕打ちを受けるからです。竜宮城にいた間に何百年もタイムスリップしてしまい、家があった場所は荒れ果てていました。両親が心配で帰ってきたのに、会うこともできません。揚げ句の果てに、土産にもらった玉手箱を開けると老人になってしまい、踏んだり蹴ったりです。子供ながらに「なんて理不尽な結末なんだ」と思いましたし、「この昔話から、何の教訓が得られるのだろうか」と疑問にも感じました。ですが、「もし今の時代に浦島太郎のような人がいたら」と考えると、教訓を得られるばかりか、必ずしもこの昔話はバッドエンドではないのではないか、とも思えてきます。

私が浦島太郎の昔話で教訓にしたいのは、「心の若さ」についてです。自分の家が荒れ果て、両親を含めて知人が全くいなくなってしまったことを悟った浦島太郎は、絶望し、自暴自棄になって、乙姫から「絶対に開けないで」と言われていた玉手箱を開けてしまいます。確かに、今まで自分が築いてきた人間関係や生活の場を失ってしまうのは、本当にショッキングなことです。

しかし私は、もし彼に「心の若さ」があったのなら、たとえ一度は絶望したとしても、新たな人生を踏み出せたのではないかと思っています。

なぜなら、浦島太郎ほどではないにせよ、現代の私たちも、世界の大きな変化を味わっているという点で、似通った部分があると思うからです。

皆さんご存じのように、今、世界の大きな変化は、仕事のやり方や仕事で使うツールだけでなく、生活様式にまで及んでいます。私たちは、日々の変化に関心を持ち、変化に合わせて自分も変わろうとしていかなければ、あっという間に変化に取り残されてしまう状況にあります。今ほど新しいものを受け入れる「心の若さ」が必要な時代は、あまりないと思います。

確かに、これまでの生き方を変えるという行為には必ず苦痛が伴います。ですが、見方を変えれば、新たな世界を知ることができるチャンスでもあるわけです。そう思えるかどうかが、「心の若さ」と「老い」の分かれ目ではないでしょうか。

浦島太郎は残念ながら、「自分の知らない世界=絶望」と考えたまま、新たな時代で生きる決心ができませんでした。老人の姿になってしまったのは本来悲しいことですが、私には、「老いた心」を持った若者でいるより、心と同程度の年齢の肉体になったほうが、むしろ幸せだったかもしれない、とすら思います。

一方、今を生きる私たちは、心も肉体も若い、玉手箱を開ける前の浦島太郎です。心持ち次第でどんな世界にも行くことができます。常に自分自身の「心の若さ」をチェックし、変化を受け入れられる心を持ち続けるようにしましょう。

以上(2021年4月)

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画像:Mariko Mitsuda

【オーナー企業必読】利益ではなく内部留保に法人税が課される「留保金課税制度」とは

書いてあること

  • 主な読者:オーナー一族で経営を行っている資本金等1億円超の会社経営者など
  • 課題:一定のオーナー企業には内部留保に対して法人税が課される
  • 解決策:資本金等が1億円以下ならば適用外であることや、設備投資を行うなどして過度な内部留保を減らすといった対策がある

1 社内に残ったお金に課税する「留保金課税制度」とは

留保金課税は、オーナ一やその親族などが支配している一定の会社(以下「特定同族会社」。詳細は後述)のみに追加で課税される法人税の仕組みで、利益そのものにではなく、社内に留保されたお金(以下「内部留保」)に対して課税されます。

一般の会社では、利益が出た場合に株主に対して配当を行いますが、特定同族会社では、利益の配当を受け取る株主はオーナーやその親族自身です。配当所得には所得税が課税されますが、配当の時期を遅らせたり、全く配当を行わずに内部留保したりすることで所得税を納めずに、自身が経営する会社でお金を使うことができるようになります。このように、一般の会社と特定同族会社とで、課税の公平がとれないという観点から設けられた特例です。

この特例は、通常の税金対策とは違った視点が必要です。オーナー企業の経営者はまず、この特例が自身の会社に適用されるかどうか確認するようにしましょう。

2 内部留保が課税される特定同族会社とは

特定同族会社とは、次の要件の全てに当てはまる会社です。

  • 資本金の額等が1億円を超えていること。ただし、資本金の額等が1億円以下であっても、資本金の額等が5億円以上の会社に100%支配されている(完全支配関係にある)など、大会社と一定の支配関係にある会社を含む
  • 被支配会社であること
  • 上記2.の判定の基礎となる株主グループの中に被支配会社に該当しない会社が含まれているときは、その会社を除いて判定しても被支配会社に該当すること

被支配会社とは、会社の株主の1人と同族関係者(株主の親族である個人だけでなく、その株主が50%超の持株割合などを有する他の会社も含まれます)が、その会社の発行済株式総数の50%超を保有している会社をいいます。

少々分かりにくいのですが、簡単に言うと、オーナーとその親族や、オーナーの支配力の強い会社だけで過半数超の持株割合を占めている場合には、おおよそ特定同族会社に該当することになります。なお、持株割合の判断には複雑なケースも含まれることから、税理士などの専門家に確認するようにしましょう。

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3 そもそも内部留保とは

内部留保とは、利益から税金・配当金などを支払った後に会社に蓄積されたものです。実際の計算で使う内部留保と完全に一致はしませんが、貸借対照表「純資産の部」の「利益剰余金」をイメージするとよいでしょう。

内部留保という言葉から、会社に現金預金をため込んでいるような印象を受けるかもしれませんが、現金預金とは全く別物です。例えば、製造機械などの固定資産を購入した際(全額現金払いとします)には、現金預金は購入金額の全額が差し引かれますが、利益の計算では購入金額の全額は差し引かれず、減価償却費として毎年購入金額の一部が差し引かれます。そのため、購入金額と未償却部分の差額が、現金預金と利益では一致しません。

4 留保金課税制度への税務対策

資本金の額等が5億円以上である会社による完全支配関係がある場合などを除けば、留保金課税制度に対する最も有効な対策は、資本金の額等を1億円以下にすることです。これにより、中小企業者等の法人税率の特例(年800万円以下の所得について、軽減税率が適用されます)などの優遇措置を受けられるといった副次的な効果も見込まれます(これらの中小企業向け各租税特別措置の適用を受けることができるかどうかについては、別途検討が必要です)。ただし、資本金は税務面だけでなく、経営上さまざまなシーン(資金調達や取引前の与信調査など)で重要になる項目です。資本金の減額については、税務以外の専門家も交えて慎重に検討するようにしましょう。

また、設備投資を行うことにより内部留保金を減少させることも対策の1つです。ただし、設備投資は耐用年数にわたって減価償却費として費用化されるものなので、支出金額の全額が支出年度の内部留保金額からマイナスされるわけではない点に注意しましょう。

5 参考:留保金課税の計算

留保金課税の計算は非常に複雑であるため、ここでは参考として紹介します。

留保金課税に対する法人税は次の算式により計算されます。

留保金課税に対する法人税=(当期留保金額-留保控除額)×特別税率

1)当期留保金額

留保金課税の課税標準のベースとなるのは、当期の所得等の金額のうち留保された金額です。この留保金額は次の算式により計算されます。

留保金額=(所得等の金額のうち留保した金額)-{(当期の所得に係る法人税額)+(地方法人税額)+(その法人税額に係る道府県民税・市町村民税の額)}

1.所得等の金額のうち留保した金額

法人税申告書別表四の48「所得金額又は欠損金額」欄の、「留保」欄の金額です。

具体的には、まず、その事業年度の所得の金額に、受取配当等の益金不算入額、繰越欠損金の損金算入額等を加算して「所得等の金額」を求めます。

この「所得等の金額」から、その事業年度中に行った利益の配当により支出した金額、及び役員給与の損金不算入額、寄附金の損金不算入額、交際費等の損金不算入額、法人税額から控除される所得税額等の社外流出項目を減算して、「所得等の金額のうち留保した金額」を算出します。

2.当期の所得に係る法人税額

その事業年度の所得の金額に、税率(本則23.2%)を乗じて算出した法人税額(法人税申告書別表一(一)の2欄「法人税額」)から、所得税額の控除額・外国税額の控除額(法人税申告書別表一(一)の13欄「控除税額」)等を減算して、「当期の所得に係る法人税額」を算出します。

3.地方法人税額

上記2.で求めた法人税額に税率(10.3%)を乗じて、「地方法人税額」を算出します。

4.その法人税額に係る道府県民税・市町村民税の額

上記2.で求めた法人税額に税率(10.4%)を乗じて、「その法人税額に係る道府県民税・市町村民税の額」を算出します。

2)留保控除額

留保金額から差し引く留保控除額は、次の金額のうち最も多い金額となります。

  • 積立金基準額=期末資本金額×25%-期首利益積立金額
  • 所得基準額=所得等の金額×40%
  • 定額基準額=20,000,000円×当期の月数/12

3)課税留保金額

課税留保金額=当期留保金額-留保控除額

4)留保金課税に係る税額

留保金課税に係る税額=課税留保金額×10%

以上(2021年5月)
(執筆 南青山税理士法人 税理士 山嵜浩平)

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