「小説というものは自分で考えだして書くべきもので、『純文学』とか『大衆文学』とかいうふうに概念で分けて書くものではありません。わたしはそうした概念で小説を書こうとしたことは一度もありません」(*)
出所:「司馬遼太郎の世界」(文藝春秋)
冒頭の言葉は、
「自らに“枠”を設けず、仕事に取り組むことが重要である」
ということを表しています。
司馬氏の作品は歴史を題材としたものが多く、執筆の際は関連した資料を徹底的に読み込み、取材を行うのが常でした。司馬氏は1人で資料収集や取材を行っていましたが、その圧倒的な取材力に、資料収集や取材を担当するアシスタントがいるのではないかという質問を受けることが度々あったそうです。
司馬氏のような人気作家の場合、一度に複数の連載を抱えることも少なくありません。そのため、アシスタントを使わず、1人で資料収集や取材を行うのは骨が折れることでしょう。しかし、自分で資料に当たり取材を行うことで、考えがまとまったり、作品に登場する人物への理解が深まったりするとして、司馬氏はその過程を重視していました。
しかし、どれほど資料収集や取材を行っても、全ての事象を明らかにできるわけではありません。また、司馬氏は歴史家ではなく小説家です。史実を踏まえてはいるものの、作品中の人物描写などは司馬氏の創作によるものもあります。
担当編集者を長く務めた和田宏(わだひろし)氏は、次のような言葉を司馬氏の口癖として紹介しています。
「事実(ファクト)をいくら積み上げても、真実(トゥルー)には至らない」(**)
現代に生きる読者にとって、作中に登場する歴史上の人物は縁遠い存在ですが、膨大な資料や綿密な取材を経て生まれた司馬氏の創作には、リアリティーや説得力があり、読者は歴史上の人物を具体的にイメージできるようになります。
体験した出来事ではないにもかかわらず、司馬氏がリアリティーや説得力を持った作品を執筆することができたのは、自分の作品に関連のある本や資料を徹底的に収集し、読み込んだからでしょう。
また、司馬氏が自分のフィールドである歴史小説にとどまらず、現代小説や推理小説などに至るまで、さまざまな本や資料に関心を持ち、目を通していたことも見逃せません。たとえ、執筆中の作品に関係のない情報であっても、常にさまざまな情報のインプットを欠かさなかったからこそ、必要なときに十分なアウトプットができ、手掛ける作品の世界観に厚みが増したのではないでしょうか。
このような司馬氏の仕事への取り組み方は、作家に限らず多くの人にとって参考になるものです。
市場の成熟化に伴って、顧客ニーズが細分化し続けている現在、企業にとって大勢の顧客から支持される商品開発は難しくなっています。こうした中、企業に求められるのは、顧客の声を逐一拾うのではなく、フラットな視点で多面的に情報を収集し、顧客ニーズを先取りした商品を開発することです。
そのためには、過去や常識などの枠にとらわれない、柔軟な視点が必要です。経営者が率先して枠にとらわれない姿勢を示し、枠を取り払って仕事に取り組む社員を支援する仕組みを設けて、奨励しましょう。
ただし、社員にとって既存の仕事の枠を大きく外れることは勇気を伴うものです。当初から大きく外れることは難しくても、少しずつ枠から外れて成果を生む経験を積ませましょう。そうした成功を積み重ねることで、組織は枠を飛び越えて、新たな一歩を踏み出す勇気を得ることができます。
司馬作品には、読者の心をつかみ、夢中になってページを読み進めてしまう力があります。それは、司馬遼太郎という知の巨人による、たゆまぬ努力によって生まれたものです。一個人の力では巨人に及ばないとしても、組織として充実したインプットを実践し、枠を飛び越えて仕事に取り組むことができれば、顧客が心を躍らせる優れた商品を生むことができるでしょう。
【本文脚注】
本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載している内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしており、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴についても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではありません。
【経歴】
しばりょうたろう(1923~1996)。大阪府生まれ。大阪外国語学校(現大阪大学)蒙古語科卒。産経新聞社入社。1960年、作家に転身。作品は「梟(ふくろう)の城」「竜馬がゆく」など多数。
【参考文献】
(*)「司馬遼太郎の世界」(文藝春秋、2011年6月)
(**)「司馬遼太郎 この人この言葉」(文藝春秋、1997年3月)
「司馬遼太郎『街道をゆく』の思想」(関川夏央、小学館、2006年6月)
「司馬遼太郎が考えたこと 1~15」(司馬遼太郎、新潮社、2001年~2012年)
「司馬遼太郎という人」(磯田道史、プレジデント社、2014年12月)
以上(2026年6月作成)
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画像:日本情報マート



















