「壁を越えるのはちょっと苦しいけれど、越えればそこには必ず新しい世界がある」(*)
出所:「絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ」(NTT出版)
冒頭の言葉は、
「困難を乗り越える強い意志が、新しい世界をもたらす」
ということを表しています。
少年時代から漫画雑誌への投稿で注目を集めていた石ノ森氏は、高校卒業後に上京し、後に有名になる藤子不二雄(藤本弘(ふじもとひろし)氏と安孫子素雄(あびこもとお)氏の合作ペンネーム)氏、赤塚不二夫(あかつかふじお)氏など、多くの若手漫画家が住むアパート「トキワ荘」で本格的な作家生活を始めました。
当時の日本は高度経済成長期にあり、急速に経済発展を遂げていました。同時に漫画の人気は次第に高まっていき、石ノ森氏の元にも次々と仕事の依頼が舞い込むようになりました。日々漫画を描くことに追われて忙しく過ごす中で、石ノ森氏はふと「このまま漫画家として生活していっていいのだろうか」という疑問を抱くようになりました。仕事の依頼に応じて漫画を描き続ける日々を送っているうちに、石ノ森氏は「自分は漫画に引きずられているのではないか」と感じるようになり、将来に対する漠然とした不安が芽生えてきたのです。
悩み続けた石ノ森氏は、ふと思い立ち、自身を見つめ直すために世界一周旅行に出かけることにしました。当時の日本では海外旅行は自由化されておらず、個人での観光はほとんど不可能でした。しかし、石ノ森氏は出版社による取材という形で多額の借金をし、海外へ旅立ったのです。海外でさまざまな体験を経た石ノ森氏は、帰国後、借金を返済するために再び漫画を描き始めました。そのとき、自身の中に変化が起こっていることに気付きました。以前は漫画を描くだけで頭が一杯だったのに対し、旅から帰ってきた後は、自身を客観的に見ながら漫画を描けるようになっていたのです。
かつて、石ノ森氏は、自分では満足がいく作品を描いても読者からの評判が芳しくないことにいら立ちを感じていました。また、「自分は漫画家には向いていないのではないか」と思い悩み、小説家や映画監督を目指そうと考えたこともありました。
しかし、一時的に漫画から離れたことにより、石ノ森氏は改めて自分がプロの漫画家であることを自覚し、そして自分の作品を読んでくれる読者のことを意識するようになりました。それ以来、「漫画家としてこうあるべき」という固定観念を捨て去り、「面白い漫画を描こう」という前向きな気持ちを抱くようになったのです。
後に、石ノ森氏は、漫画を「無限の可能性を持つメディア」という意味の「萬画」と呼び、漫画の表現力によって無限の可能性を追求しました。石ノ森氏は、著書の中で若者に向けたメッセージとして次の言葉を残しています。
「人生で一番大切なことは、何かを成し遂げるために、自分自身を乗り越えることだ」(**)
石ノ森氏は、漫画を心から愛し、漫画に対する強い情熱を持っていたからこそ、壁を乗り越えることができました。そして、さらにさまざまな方向に枝を張り巡らせ、漫画の可能性を追求しました。
経営環境が日々めまぐるしく変化する昨今、ビジネスにおいてはさまざまな壁が存在し得ます。時として、それらを乗り越えるのは容易ではないかもしれません。しかし、その壁の向こうには、きっと素晴らしい景色があります。そして、さらに枝をあちこちに張れば、その景色はより一層広がりを持ちます。困難を乗り越える強い意志と、そこから生まれる好奇心が、経営者の目前に更なる新しい世界をもたらすのです。
【本文脚注】
本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載している内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしており、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴についても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではありません。
【経歴】
石ノ森章太郎(1938~1998)。宮城県生まれ。1954年、投稿作「二級天使」が『漫画少年』に掲載される。1964年、「サイボーグ009」の連載を開始。1971年、「仮面ライダー」の連載を開始。
【参考文献】
(*)「絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ」(NTT出版、2004年12月)
(**)「心に響く名経営者の言葉 決断力と先見力を高める」(PHP研究所、2014年8月)
「心を揺さぶる名経営者の言葉 人を動かし、時代を変えた」(PHP研究所、2014年8月)
以上(2026年8月更新)
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画像:日本情報マート
















