1 賃金原資は有限! 社員の働きぶりに見合った形で配分する
2026年7月3日に「2026年春闘」の最終回答集計が公表され、日本企業の賃上げ率(平均賃金方式、定期昇給相当分を含む、加重平均)は
2024年、2025年、2026年と3年連続で5%超え
となりました(日本労働組合総連合会「2026年春闘第7回(最終)回答集計」)。
一方で、多くの中小企業では、人手不足と物価高等によるコスト増によって収益が圧迫され、「賃上げ疲れ」が顕在化しています。「もう、最低賃金に合わせるのが精一杯だ!」と、そんな悲鳴を上げる経営者の方々に対し、社労士である筆者が提案しているのは、
ベースアップのように全員一律に給料を底上げする設計を見直すこと
です。
生成AIをはじめとする技術の進展によって、かつて社員が担っていた定型業務の一部は、AI・RPA・チャットボットなどで代替可能になりつつあります。そんな状況にあって、業務内容や貢献度を問わない一律の底上げは、社員を「自分の時間を切り売りするだけの働き方」に甘んじさせ、自ら付加価値を生み出そうとする自立心を阻害するリスクがあります。
限られた賃金原資だからこそ、社員の働きぶりに見合った形で「適正に分配する」決断
が必要です。
この記事では、賃金の「一律底上げ」から「適正な分配」へと発想を切り替え、
ジョブ型・手当重視型・成果型などを組み合わせた、柔軟な賃金設計のポイント
を紹介します。まず自社の現状(固定費率・評価制度の有無・職務の明確さ)を棚卸しし、どの設計から着手するかを検討してみてください。
2 柔軟に賃金を動かしやすい設計の考え方
1)経営側から見た賃金の役割
賃金には、「人件費管理」と「社員のモチベーション管理」という2つの役割があります。総額人件費は、収益計画・労働分配率・生産性のバランスで決まり、個々の社員については、職務内容・成果・能力・役割を評価軸にし、等級・職務ランクごとの期待成果とのギャップで「賃金が高すぎる/低すぎる」を判断するのが基本です。
実務では、次の2つの視点で確認するとよいでしょう。
- 賃金水準の確認:同業他社の相場・社内分布との比較
- 価値の見える化:売上・利益貢献だけでなく、品質・生産性・マネジメント・専門性など、職務別に“価値指標”を定義する
2)賃下げとなる場合は「労働条件の不利益変更」のルールに注意
賃金の「一律底上げ」をやめ、「適正な分配」を行う設計に切り替えた場合、期待成果とのギャップによって「賃金が下がる(賃下げとなる)」社員が出てくることになります。ここで、避けて通れないのが、労働契約法の「労働条件の不利益変更」の問題です。
まず、賃金の支給ルールを「個別の労働契約」によって定めている場合、
会社は個別の労働契約の内容を勝手に変更することはできず、社員との合意が必須
です。
また、支給ルールを「就業規則(賃金規程など)」で定めている場合も注意が必要です。通常、就業規則は過半数労働組合(または過半数代表者)の意見を聴いた上で変更することができますが、変更が社員にとって不利益に働く場合、
社員の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性(業績悪化や職務変更など)、内容の相当性、労働組合等との交渉の状況などに照らして合理的な変更でないと無効
になります。特に、
賃金の場合は、評価制度と支給ルールが不透明なせいでトラブルになるケースが多いので、事前に社員に対し、変更内容の詳細を明示することが不可欠
です。
【社労士の実務メモ】
社労士として相談を受ける中でよくあるのが、「口頭で合意したから大丈夫」と思い込んでいるケースです。しかし、賃金の不利益変更は口頭合意だけでは法的に無効と判断されるリスクがあります。個別の労働契約で賃金のルールを決めている場合、書面(労働条件通知書や覚書)で個別に合意を取りましょう。
就業規則の改定については、一応、合理的な理由・対応であれば、個別の合意がなくても過半数労働組合(または過半数代表者)の意見を聴いた上で変更が可能ですが、賃金は社員の生活に直結する労働条件なので、やはり書面で個別に合意を取ったほうがよいです。なお、改定時は、労働基準監督署への届け出と、変更後の周知もセットで行うことが必須です。
3)柔軟に賃金を動かしやすい設計の考え方
日本企業の多くは、長く勤めればその分、基本給が増えていく年功的な制度を導入しています。しかし、基本給は一度金額を上げると下げにくい上に、賞与や退職金の算定基準になっていることも多いです。そのため、人の入れ替わりが少ない企業では、既存社員の高齢化に伴って、年々コストが膨らんでいきます。
対策として有効なのが、二層構造の設計です。具体的には、
- 基本給は生活保障・能力等級に応じた「安定部分(固定)」
- 手当・成果給は役職手当・職務手当・インセンティブなど、業績や役割の変化に応じて調整できる「柔軟部分(変動)」
として設計します。職務・成果・手当などの「変動要素」を増やすことで、働きぶりに応じた配分調整がしやすくなります。
以降で柔軟に賃金を動かしやすい設計の例をいくつか紹介します。
3 賃金設計の例:ジョブ型
1)ジョブ型の基本イメージ
ジョブ型とは、職務記述書(ジョブディスクリプション)によって仕事内容・責任範囲を明確に定義し、そのジョブ(役割)の市場価値・社内価値に応じて賃金を設定する設計です。
あらかじめ決められた職務要件を「満たしていること」を前提に賃金を支払い、要件を満たせなくなった場合にはジョブグレードを下げ、対応する賃金レンジに移行します。
例えば、次のようなイメージです。
- 営業職:担当売上規模や新規開拓の有無に応じてグレード1~3を設定し、担当規模が縮小した場合にはグレードを見直す
- 経理・バックオフィス職:日常経理のみ/月次決算まで/決算・資金繰り・予算管理まで、と担当範囲に応じてグレードを分ける
- 現場リーダー・監督職:担当人数・ライン数などマネジメント範囲を職務要件として定義し、組織変更に応じてグレードを調整する

(出所:筆者作成)
2)導入時の注意点
ジョブ型という考え方自体はそこまで新しいものではありませんが、実際にジョブ型を導入している中小企業はいまだに少数派です。中小企業の場合、社員一人ひとりが担当する業務が広く、いわゆる「なんでも屋」になりやすいからです。
そのため、多くの中小企業はジョブ型の代わりに、能力評価に基づいて社員の賃金を決定する「職能型」を導入しています。しかし、この職能型も、「なんでも屋」になりがちな社員の能力をどう評価するかが難しく、結局年功的な評価(「○年勤めているのだからこのぐらいはできるだろう」という、上長の主観的な評価)に陥りやすいという側面を持っています。
「なんでも屋」が多いために職務定義が難しく、「誰が何の責任を負っているか」が分かりにくい。この問題が解決されないままジョブ型を導入しても、かえって混乱を招きます。
この問題を解決する上でのポイントは、
- コア業務と周辺業務を分ける:コア業務に対してジョブグレードを定義し、周辺業務は付随業務として扱う
- 段階的に導入する:いきなり全社員をジョブ型にせず、管理職・専門職など職務が比較的明確な層から始める
です。特に「職能型」から「ジョブ型」に変えるときは、
「能力評価を完全に捨てる」のではなく、「職務要求を満たすための能力」という形で位置づけ直す
のが現実的です。また、賃金レンジの移行時には、既得権の扱いと移行後の昇給余地をどうするかで揉めやすいです。移行措置(経過措置)と丁寧な説明プロセスを事前に設計しておきましょう。
【社労士の実務メモ】
ジョブ型への移行で最もトラブルになりやすいのは、「新制度では現在の賃金が維持できない社員」への対応です。社員にとって不利益な変更になるため、受け入れられないケースもあるでしょう。
実務上は、一定期間(例:2~3年)は現行賃金を保証する調整給を設ける手法がよく使われます。調整給は「新制度の賃金レンジと現行賃金の差額を埋めるもの」として位置づけ、昇給や賞与の原資を優先的に充てることで段階的に解消していく設計が一般的です。
また、ジョブディスクリプションは作成して終わりではなく、年1回以上の見直しを就業規則や運用ルールに明記しておくことが、後々の紛争リスクを下げる上で重要です。
4 賃金設計の例:手当重視型
1)手当重視型の基本イメージ
基本給は生活保障・安定性という性格が強く、一度上げると法的にも心理的にも下げにくい「固定費」として機能します。
一方、役職手当・職務手当・資格手当・インセンティブ手当などは、要件を満たさなければ支給停止にできるため、「役割が変わった」「業績が変わった」際に比較的柔軟に調整しやすい要素です。
具体的な手当の設計イメージは次の通りです。
1.役職手当
管理職としての責任範囲(マネジメント範囲・部門規模など)を明確に定義し、その役割を担っている間に限って支給します。
2.職務手当
ジョブ型の考え方と組み合わせて活用するもので、特定の職務(プロジェクト責任者・専門業務など)に就いている間だけ支給します。
3.インセンティブ報酬
業績目標・KPI達成・プロジェクト完遂・改善提案などの成果に対して、賞与・一時金・成功報酬といった形で短期的に支給します。
2)導入時の注意点
賃金全体に対する手当比率が高すぎると収入の変動が大きくなり過ぎて、生活不安や離職リスクを高める可能性があります。基本給と手当のバランス設計が重要です。
また、「手当を減らせばいつでもコスト削減できる」という発想だけで設計すると、社員から「都合のいい調整弁」と見なされ、モチベーション低下や不信感につながります。
手当の要件・評価指標・支給停止条件を事前に明示し、評価制度と連動させることで、「納得できる変動」にすることがポイント
です。
【社労士の実務メモ】
手当設計で見落とされがちなのが、割増賃金(残業代)の計算基礎への影響です。役職手当や職務手当は、原則として割増賃金の基礎となる「通常の労働時間の賃金」に算入する必要があります(労働基準法第37条)。
「管理職だから残業代は不要」と判断していたケースでも、実態として管理監督者に該当しないと判断されると、未払い残業代のリスクが生じます。
手当を新設・変更する際は、割増賃金の計算への影響と管理監督者の要件を必ず社労士に確認した上で、就業規則に反映させてください。
5 賃金設計の例:成果・変動報酬型
1)成果・変動報酬型の基本イメージ
成果・変動報酬型は、文字通り「業績や成果に連動して、報酬が変わる」という賃金設計です。大きなメリットは、賞与(ボーナス)の原資配分と直接連動させやすい点にあります。基本給の変更は手続きも心理的ハードルも高いですが、賞与は「今期の業績・成果に応じた配分」として社員にも説明しやすいです。
「まずは賞与を成果連動に切り替える」ことから始め、運用に慣れてから基本給の見直しなどへと段階的にシフトしていく中小企業が多いです。実務では、基本給レンジ・昇給テーブルに加えて、賞与テーブルやインセンティブ報酬を成果指標に連動させる手法が一般的です。
「総額人件費のうち、固定的に支給する賞与(最低保証部分)と変動部分(成果連動賞与+インセンティブ)を分ける」ことで、業績や個人の成果に応じた柔軟な調整が可能
になります。
具体的な仕組みの例を3つ紹介します。
1.評価ランク別賞与テーブル
賞与については「一律何カ月分」とするのではなく、基準賞与額を定めた上で、個人評価係数と会社の業績係数を掛け合わせて支給額を決める方法があります。
例えば、基準賞与額を「基本給の2.0カ月分」とし、個人評価係数をS=1.30、A=1.15、B=1.00、C=0.85、D=0.60と設定した場合の評価ランク別賞与テーブルのイメージは次の通りです。

さらに、会社全体の業績に応じて業績係数を0.8~1.2の範囲で設定すれば、原資総額をコントロールしながら、成果に応じたメリハリのある配分が可能になります。
2.ポイント制報酬
プロジェクト完遂・改善提案・資格取得などの行動・成果にポイントを付与し、年間ポイント合計に応じてインセンティブ額を決める仕組みです。
例えば、1ポイント=100円として、年間1000ポイント(10万円)を上限とするポイント制を設計します。
- プロジェクト完遂:1件当たり200ポイント
- 改善提案の採用:1件当たり50ポイント
- 業務に直結する資格取得:1件当たり200ポイント
といったルールをあらかじめ定めておきます。
年間の合計ポイントに応じてインセンティブの額を決めれば、「どの行動が評価されるのか」「どれくらい頑張ればどの程度の報酬になるのか」が見えやすくなります。
3.チーム成果連動型
チーム成果連動型の賞与は、まず「会社全体の業績に応じた賞与原資」を決め、そのうえで部署ごとの売上比率や達成度に応じて「部署別賞与枠」を配分する設計が実務上取り入れやすい方法です。
例えば、会社全体の賞与原資が2000万円、部署Aの売上構成比が30%・達成度120%の場合、
基準枠600万円(=賞与原資2000万円×30%)×達成度係数1.2=720万円
を部署Aの賞与枠とします。その上で、部署内では評価ランクに応じてS=1.3、A=1.1、B=1.0、C=0.8といった係数を設定し、リーダーが評価結果に基づいて枠内で配分します。こうすることで、チーム全体の成果と個人評価の両方を反映した運用が可能になります。
2)導入時の注意点
次の点に注意が必要です。
- 短期成果に偏りすぎない:長期的な育成・品質・安全などが犠牲になるため、定性的な評価項目とのバランスが重要
- 評価と報酬の連動を明確に説明する:「何を頑張れば報われるのか」が見えないと、制度への不信感につながる
【社労士の実務メモ】
成果連動賞与を導入する際、「賞与は会社の裁量で支給するもの」と思っている経営者は多いですが、就業規則や雇用契約書に「賞与○カ月分を支給する」などの支給を約束する文言がある場合、それは固定的な支払い義務として扱われるリスクがあります。
成果連動賞与に切り替えるなら、就業規則の賞与条項を「業績・評価に応じて支給することがある」という裁量型・業績連動型の文言に改定することが先決です。
また、評価結果と賞与額の対応表(賞与テーブル)は、社員への説明資料として開示するとともに、就業規則の別規程(賃金規程・賞与規程)に根拠を持たせておくことで、後々の「言った・言わない」トラブルを防げます。
以上(2026年7月作成)
pj00832
画像:ChatGPT