1 「防衛的な賃上げ」はもう限界?
約30年ぶりともいわれる高水準の賃上げが続いており、
99人以下の会社でも、2026年春闘の賃上げ率は平均3.24%
に達します(定昇相当分を除く。日本労働組合連合会「2026春季生活闘争 第6回回答集計結果」)。問題は、全ての会社に業績の裏付けがあるわけではなく、
既存社員の転職を防ぎ、新しい人材を採用するために賃上げする「防衛的な賃上げ」
が多いことです。実際、「人手不足倒産」が増えており、賃上げせざるを得ない状況かもしれません。
賃上げのインパクトを改めて考えてみましょう。仮に月給30万円の社員が100人いる会社が3%の賃上げをしたら、その影響は基本給だけで次のように大きくなります。
- 社員1人当たり:月額9000円、年間10万8000円
- 会社全体:月額90万円、年間1080万円
さらに、社会保険料、賞与、退職金にも影響がおよび、その影響額は約419万円になります。つまり、月給30万円の社員が100人いる会社が3%の賃上げをしたら、基本給が年間1080万円上昇するだけではなく、追加で約419万円の負担が生じるため、見た目以上にキツくなるということなのです。
こうした状況でご提案したいのは、
賃上げよりも少ない予算で社員の待遇を向上し、うまく回せば社内コミュニケーションが円滑になることも期待できるという福利厚生を活用したプランの導入
です。ここでは、「社員も会社もトクトク福利厚生プラン」と名付けます。
2 賃上げと福利厚生、コストはこれだけ違う!
「社員も会社もトクトク福利厚生プラン」では、先ほど例に挙げた年間1080万円を福利厚生に利用します。費用が福利厚生費として認められる場合、社会保険料、賞与、退職金に影響が及ばず、予算は年間1080万円で済みます。詳細は、図表1のシミュレーションの例を見てください。
(図表1)【賃上げ vs 福利厚生 コスト比較(月給30万円×100人・年間)】
| 項目 |
賃上げ(月9000円) |
福利厚生(月9000円) |
| 原資 |
1080万円 (9000円×12カ月×100人) |
1080万円 (同左) |
| 社会保険料(会社負担) |
+約162万円 (原資1080万円×約15%) |
増加なし |
賞与 (年2カ月分・基本給連動) |
+180万円 (9000円×2カ月×100人) |
増加なし |
退職金 (基本給連動)(注) |
+約77万円 (9000円×係数30÷35年×100人) |
増加なし |
| 合計(年間) |
約1499万円 |
約1080万円 |
(出所:日本情報マート作成)
(注)退職金は「退職時基本給×勤続年数係数」で算出する基本給連動型を想定しています。77万円は、賃上げ9000円に係数30を乗じた27万円を残り勤続年数35年で割った年間引当額の増加分に、100人を乗じたものです。
同じ月9000円でも、賃上げと福利厚生では年間約419万円のコスト差が生まれます。賃金が上がると、社会保険料は上がりますし、賞与や退職金が基本給に連動するタイプであれば、その分のコストも上昇します。ですが、福利厚生の場合、原則としてこの連鎖がないのです。
また、社員の立場でも、賃上げの代わりに福利厚生を実施することにはメリットがあります。賃金として受け取る場合、所得税と社会保険料が引かれるため、月9000円の賃上げでも実際に手元に残るのは約7000円前後です。ですが、福利厚生の場合、食事補助や健康診断補助などの現物給付は原則として非課税(給与課税の対象にならない)。つまり、9000円分の価値がそのまま社員に届くのです。
では、同じ予算で具体的に何ができるのか。ここまでは月9000円を例に話をしてきましたが、予算は会社それぞれです。そこで、
世にある福利厚生を、「月9000円まで」「月6000円まで」「月3000円まで」「月0円(無料)」の4つのランクに分けて14個紹介
します。
(図表2)【賃上げの代わりにどんな福利厚生ができる?】
(出所:日本情報マート作成)
図表2の施策は、次の基準で選んでいます。5つの基準全てを満たしていない場合もありますが、いずれにせよ、賃上げと比べてコスト面のメリットがある施策を選んでいます。御社で無理なく取り組めそうなものを検討してみてください。
- 現金ではなく現物・制度・サービスの形で社員に届けられること
- 社員への課税が発生しにくいこと(非課税枠のある給付を含む)
- 社会保険料・賞与・退職金が賃上げのように連動して増えにくいこと
- 中小企業でも実施できること
- 図表2の予算で実施できること
なお、実際は設計や運用方法によって、税務上の取り扱いなどが異なる場合がありますので、導入の際は、税理士などの専門家に相談することをお勧めします。
3 月9000円まででできること
1)食事補助(非課税枠フル活用)
社員のランチ代を会社が補助する「食事補助」を、非課税の仕組みをフル活用して設計します。2026年4月の改正で、食事補助の非課税枠が月3500円から7500円へ約2倍に拡大されました。この制度を活用すれば、1人当たり月7500円まで社員のランチ代を補助できます(食事の価額の半分以上を社員が負担する必要もあり)。非課税なので、所得税も社会保険料も引かれません。
例えば、福利厚生サービスを提供するHQ(東京都千代田区)は、街中の飲食店で専用カードをかざすと、補助を利用しながら食事が楽しめる「食事補助HQ」というサービスを提供しています。レシート管理などの証票チェックもサービス側が代行するため、会社の運用負担はほとんどありません。
2)「体験型」社員旅行
全社員が参加できる社員旅行を実施する施策です。「(レクリエーション旅行の場合)4泊5日以内で、社員の50%以上が参加すること」「(研修旅行の場合)業務に直接必要であること」などの要件を満たすと、会社が負担した旅費は非課税になります。金額の上限の定めはありませんが、一般的に1人当たり約10万円(年1回の実施なら、月換算約8300円)が目安のようです。
社員旅行自体は、昔からある定番の福利厚生ですが、最近は社員が集まって一緒に何かをする「体験型」の企画がトレンドになっています。例えば、旅行会社のエイチ・アイ・エス(東京都新宿区)は、野菜の収穫体験・農業研修・焚火を囲んでの星空ミーティングなどを組み合わせた法人向けプログラム「農泊&古民家ワークショップ」を提供しています。
3)アート・文化鑑賞補助
美術館・映画・演劇・コンサートなどの鑑賞費用を会社が補助する施策です。アート・文化鑑賞はリフレッシュにもなりますし、普段とは違う視点や発想が生まれることもあります。「自己啓発補助」など業務との関連性を持たせた設計にすると、非課税にできる会社負担費用として認められやすいようです。
例えば、不動産会社のユニスト・ホールディングス(大阪市西区)では、美術鑑賞やニュース購読などに係る費用を年間最大10万円まで補助する「自己啓発補助金」制度を実施しています(月換算で約8300円)。
4)選択制DC(選択制確定拠出年金)
賃金の一部を、企業型DC(企業型確定拠出年金)の掛金に振り替えることで、会社と社員の社会保険料負担を減らします。掛金に振り替えるか、そのまま賃金で受け取るかは社員が選択できます。
賃上げでは社会保険料が増えますが、選択制DCを活用して掛金に振り替えれば下がります。掛金として拠出する場合、運用方法によっては元本割れのリスクはありますが、掛金の拠出時・運用時・受取時に税制優遇を受けながら、将来の退職金を増やせる可能性があります。
4 月6000円まででできること
1)人間ドック補助・健康診断オプション補助
法定健診に加えて、人間ドックやオプション検査(胃カメラ・婦人科検診・腫瘍マーカーなど)の費用を会社が補助します。「全社員に受診機会がある」「受診者全員について会社が費用を負担する」などの要件を満たすと、会社が負担した健康診断費用は非課税になります。人間ドックの費用は医療機関やメニューによって異なりますが、年1回の実施の場合、1人当たり年間3?6万円(月換算で2500?5000円程度)が相場のようです。
ちなみに、労働政策研究・研修機構が3000人の会社員に対して実施したアンケートでは、
人間ドック補助は、「会社員が必要だと思う福利厚生」の1位(38.8%)
になっています。
2)慶弔見舞金
従業員に結婚・出産などの祝事があったり、病気や天災・火災などの災害に見舞われたりしたときに、一時金を支給します。中小企業総合研究所の調査によると、51~100人の会社の場合、慶弔見舞金の支給相場は
- 結婚祝金 :(平均値)3万3824円、(最頻値)2~3万円台
- 出産祝金 :(平均値)2万1774円、(最頻値)1万円台
- 弔慰金 :(平均値)3万6818円、(最頻値)2~3万円台
- 被災見舞金:(平均値)5万4000円、(最頻値)6~10万円台
- 傷病見舞金:(平均値)3万3500円、(最頻値)1万円台
となっています。
定番の福利厚生ですが、金額によっては他社との差別化も可能です。例えば、運送会社の高潮産業(北海道苫小牧市)は、結婚祝金10万円、出産祝金100万円(第1子から)と、相場よりも高い金額を設定していて、それを採用広報にも活用しています。社員100人の会社で年間3?7人が対象とした場合、月換算で約2800?5600円の予算感です。ただし、慶弔見舞金は社会通念上相当な金額であれば非課税となりますが、高額すぎると給与課税の対象になることがあるので、金額設定は税理士などに確認しながら進めましょう。
5 月3000円まででできること
1)24時間ジム法人プラン
24時間いつでも使えるジムを法人契約し、会社が費用を負担して社員に無料開放します。「健康のためにジムに行きたいけど、続けられる気がしない」という社員も、24時間営業で予約不要、仕事帰りや早朝でも立ち寄れるというのであればハードルが下がります。
例えば、ティップネス(東京都千代田区)が運営する24時間ジム「FASTGYM24」には、社員数が100人以下の場合、月会費4万4000円の定額で全店利用できるプランがあります。社員数100人であれば、1人当たり実質約440円です。個人で契約するよりも格安でジムに通えるようになります。
2)メンタル相談窓口(外部)
外部のカウンセリングサービスと契約し、社員が24時間チャットや相談窓口を利用できるようにします。産業医などがいない中小企業でも、こうしたサービスを社内に周知しておくと、万が一社員がメンタルヘルス不調になっても、早期に対応できる可能性が高まります。
例えば、こころのげんき(岐阜県岐阜市)は、従業員400人未満の会社に対し、年間管理料3万3000円(月換算約2750円)で事業場外相談窓口サービスを提供しています(実際にカウンセリングを利用した場合は1時間当たり1万2100円が別途かかります)。
3)置き社食サービス
冷蔵・冷凍惣菜、パン、お菓子などをオフィスに設置し、社員が軽食を楽しめるようにします。お腹が空いたとき、ちょっと手が届くところに食べ物があるというシンプルなものです。野菜スティック・惣菜・スムージーなどの健康的な軽食を置くようにすれば、社員の健康改善にもつながります。
また、置き社食サービスを実施している事業者に頼めば、補充・管理も業者が行ってくれます。例えば、KOMPEITO(東京都品川区)が提供する「OFFICE DE YASAI(オフィスでやさい)」は、栄養バランスを考えたメニューを週1回のペースで補充してくれる置き社食サービスで、1品100円から利用できます。1日1品100円なら、20営業日で月額2000円の利用になります。
4)ベビーシッター割引券(国の補助制度活用)
国の補助制度を活用して、子育て中の社員にベビーシッター割引券を配布する施策です。 会社は1枚70円(中小企業の場合)で割引券を購入し、社員に配布します。社員が使うと、ベビーシッター費用が1回当たり最大4400円引きになります。こども家庭庁が運営する「企業主導型ベビーシッター利用者支援事業」を活用したもので、社会保険の適用事業主であれば規模を問わず申し込めます。
使わない月があっても会社の損失にはならず、必要なときだけ使ってもらえばいいので、気軽に導入できます。承認事業主への登録は全国保育サービス協会のウェブサイトから申し込めます。
5)自分で選ぶ高機能チェア(一時金型)
入社時や設備更新のタイミングで、社員が自分の体に合ったオフィスチェアを選び、会社がその費用を負担します。腰痛や肩こりが減れば、集中力も変わってきますから、特にデスクワークの多い会社には効果的かもしれません。
例えば、ゲーム会社のグラニ(東京都港区)では、入社3カ月記念の福利厚生として、社員がチェアコンシェルジュと一緒に毎日使用する椅子を選べるマイチェア制度を実施しています(上限20万円)。20万円の椅子というと非常に高価ですが、中小企業であれば40万円未満(2026年3月31日までに購入したものは30万円)のものは全額即時償却できる「少額減価償却資産の特例」が使え、会社の法人税対策にもなります(ただし、1年間で総額300万円という上限あり)。
6 月0円(無料)でできること
1)推し活・推しロス休暇
好きなアーティストのライブや推し活関連のイベントに合わせて特別休暇を取得できるようにする施策です。推しの結婚・グループ脱退などの「推しロス」に対応した休暇をセットで設けるケースもあります。追加コストはゼロ、就業規則に一行加えるだけで導入できます。
例えば、ゲーム制作会社のジークレスト(東京都渋谷区)は2017年から「推しメン休暇」を導入し、年1日の特別休暇を付与しています。
2)昼寝(パワーナップ)推奨制度
昼休みや空き会議室を利用して仮眠を取ることを会社が認めます。12~15時ぐらいの時間帯に15?30分の仮眠を取ることを「パワーナップ」といいますが、これには集中力の向上やストレス軽減などの効果があるといわれています。
例えば、インターネットインフラ事業などを提供するGMOインターネットグループ(東京都渋谷区)は、「ライトダウンした落ち着いたお昼寝スペース」「渋谷の街並みを一望できるソファタイプのお昼寝スペース」の2種類を用意し、社員が利用できるようにしています。ただ、施策自体は、専用スペースを設けなくても会議室を「仮眠OK時間」として開放するだけで始められます。
3)社員全員でカードゲーム
社内会議の終わりや懇親会などで、社員同士の交流を深めるためのゲームを実施します。おすすめのものを1つ紹介します。
【社内のおすすめゲーム「ito(イト)」】
1~100の数字が書かれたカードを1枚ずつ引き、自分の数字を言わずにテーマに沿った言葉だけで表現し合うゲームです。例えば3人でテーマが「好きな食べ物」の場合、カードが「15」の人は「バナナ」、「50」の人は「ラーメン」、「90」の人は「焼肉」などと言葉で表現します。3人が話し合って「15→50→90の順だろう」と予想し、その通りに並べられたら成功です。
好きなものの感覚は人によって違うので、例えば「そんなにラーメンが好きなの?」など、会話の中で、普段の仕事では見えない「その人のこだわり」や「意外な一面」が分かり、お互いの人となりをもっと深く知ることができます。
ここまで紹介してきた14の施策に共通するのは、「会社が社員に何を与えるか」を選び取れるという点です。賃上げが「他社がやっているから、うちもやらざるを得ない」という防衛的な対応である一方、福利厚生は会社が意図を持って設計できます。社員の健康を守る、心を守る、社会との接点をつくる、自分らしくいられる時間をつくる??何を重視するかは、会社の価値観そのものを映し出します。
防衛的賃上げから一歩踏み出し、福利厚生を経営戦略として考える。多くの中小企業がその段階に差しかかってきています。
以上(2026年7月作成)
pj00826
画像:日本情報マート