1 そのM&A、本当に安全ですか?
少子高齢化による後継者不足を背景に、M&Aを使った事業承継が急速に広がっています。国も補助金や相談窓口を整備してM&Aを後押ししており、今では、中小企業の間でも「会社を将来につなぐための現実的な選択肢」になりつつあります。
一方で、悪質な業者により、M&Aを検討する中小企業の経営者が、深刻な被害に遭うケースも起きています。例えば、2024年には、
買収後に会社の資金などを抜き取り、経営者保証(社長個人の借金保証)も解除しないまま倒産させる
という事件が大きく報道されました。会社を売却した経営者は、会社を失っただけではなく、会社の借金だけが個人保証として残り、数億円規模の返済を背負うケースもあったそうです。
本来、M&Aは「会社と従業員を守るための手段」のはずです。しかし現実には「後継者問題を何とかしたい」「従業員の雇用だけは守りたい」という経営者の切実な思いにつけ込み、不安や焦りを利用する悪質な業者もいるのです。だからこそ、中小企業の経営者には、
「M&Aを進めるかどうか」だけでなく、「誰と進めるか」を慎重に見極める視点
が欠かせないのです。
自身が事業承継で詐欺被害者にならないために、この記事では、M&A詐欺の代表的な手口や、悪質な買い手・仲介業者を見分けるポイント、被害を防ぐために経営者が押さえておきたい実務上の注意点を紹介します。
2 M&A詐欺の主な手口 ─ 売り手が狙われる5つのパターン
1)資産の抜き取り+経営者保証の放置
冒頭でも紹介したケースで、被害がとりわけ深刻化しやすい手口です。
「あなたの会社を買い取って発展させます」と持ちかけて経営権を移転させた後、会社の預貯金や売掛金、有価証券などの価値ある資産を、自分たちが支配する別の会社などへ速やかに移します。資産を抜き取られた会社は資金繰りが行き詰まり、倒産に追い込まれます。
さらに、売買契約の段階で「銀行借入の連帯保証(社長個人の借金保証)は、会社を引き継いだ後にこちらで外します」と約束していても、会社が倒産した後にその約束が履行されることはありません。
経営者保証の解除は、お金を貸している銀行が同意しなければ、いくら譲渡(売却して経営権を渡すこと)の契約書に「保証を外す」と書いてあっても法的な効力は生じません。
結果として、会社を失った元の経営者の手元には、巨額の個人債務だけが残される
ことになります。
このような被害は、連帯保証を外すことを株式譲渡の前提条件にすることで回避することができます。M&Aの契約において、通常盛り込むべき条項をしっかりと盛り込んでいくことが重要です。
2)対価(売却代金)の未払い・踏み倒し
会社の経営権や株式を引き渡したにもかかわらず、約束されていた売却代金が支払われない手口です。「手続きの都合上、先に会社の譲渡手続きを行ってください。代金は来月に一括で支払います」といった条件や、分割払いの提案を持ちかけてきます。
売り手側が相手を信用して先に会社を引き渡してしまうと、譲渡が完了した途端に相手の態度が変わり、「後払い」の期日が来ても言い訳を繰り返して引き延ばしたり、音信不通になったりします。分割払いのケースでは、最初の1〜2回だけは支払い、油断させたところで支払いを止めて連絡を絶つという事例も見られます。
一度、会社の所有権や預金口座の印鑑などを渡してしまうと、法的な手続きで会社を取り戻すには膨大な時間と費用がかかります。その間に会社の中身が毀損されてしまうため、
代金を受け取る前に会社を渡すことは絶対に避ける
ようにしてください。
代金の支払条件についても、株式譲渡契約において明確に定め、対価の支払を受けた後に銀行預金通帳や実印などを引き渡すことが重要になります。
3)機密情報の抜き取り
最初から会社を買い取る意思がないのに、買い手を装って近づいてくる手口です。M&Aの交渉過程では、売り手は会社の経営状況や強みを説明するために、財務諸表(会社の経営成績や資産状況をまとめた書類)だけではなく、顧客リスト、技術情報、製造ノウハウ、従業員の個人情報といった最重要な機密データを開示することになります。
こうした開示されたデータそのものを目的として近づき、書類を一通り集めた後に「精査(詳しく調査)した結果、今回は買収を見送らせていただきます」と理由をつけて辞退します。
この手口には、ライバル関係にある同業他社が、自社の情報を盗み出すために偽の買収話を持ちかけてくるケースも含まれます。
盗まれた顧客リストを使って営業をかけられたり、技術を模倣されたりして、自社の市場価値を大きく落とされる危険
があります。
M&Aの情報を開示する場合には、秘密保持契約を取り交すことが不可欠です。また、重要な顧客情報に関しては、基本合意書(買収価格や取引手法などの基本的な条件について、当事者間で現時点の合意内容を確認するための文書)を取り交わした後に開示するなど、情報管理が重要となります。
4)仲介会社による不当な高額手数料
M&Aの手続きをサポートする仲介会社の中にも、不適切な業務を行う業者が存在します。健全な仲介会社であれば、売り手と買い手のマッチングを行い、無事に契約が成立した際に売買金額に応じた成功報酬を受け取ります。しかし悪質な業者の目的は、成約ではなく途中のプロセスで発生する手数料を得ることです。
具体的には、「あなたの会社を高く買いたいという候補者がいます」と提案し、
交渉を始めるための着手金として高額な費用を請求
します。その後は「買い手側が資料を検討中です」などと言い訳をして引き延ばし、進展がないまま毎月の定額費用(月額顧問料)を請求し続けます。
売り手側が不審に思い解約を申し出ると、契約書に小さく書かれた条項を盾に、
高額な違約金や中途解約手数料を請求
してきます。実在しない、あるいは買う気のない買い手を見せ球にして、手数料だけを徴収する手法です。様々な仲介会社が活動していますので、どの仲介会社と話を進めるのかを見極めることも重要となります。
5)M&Aブローカーによる詐欺
M&Aブローカーとは、自分たちでは専門的な仲介業務や法律の手続きを行わず、売り手や買い手の情報を集めて別の仲介会社に横流しし、紹介料を得る業者のことです。現在、M&Aの仲介業には特別な資格や免許が必須でないため、専門知識のない個人や不適切な目的を持つ者が参入しやすい環境にあります。
典型的な手口は、経営者に「私の人脈の中に、あなたの会社を今すぐ買いたがっている資産家がいる」などと持ちかけることです。そして、
「資産家と面会するためのセッティング費用」や「情報提供料」という名目で、最初に現金を要求
してきます。そして、お金を支払った後、ブローカーは「相手の都合が悪くなった」などと引き延ばしを始め、最終的には連絡が取れなくなります。
3 悪質な相手を見極める4つのチェックポイント
1)仲介会社は中小企業庁の登録機関か
中小企業庁は、悪質な業者の排除と健全な取引を推進するために「M&A支援機関登録制度」を設けています。これは、国の定めたルールや倫理基準を守ることを遵守事項とした仲介会社をデータベースに登録し、一般に公開しているものです。
検討している仲介会社がこの登録機関であるかどうかは、中小企業庁の公式ウェブサイトで検索できます。登録されている業者は、強引な勧誘の禁止や手数料の事前説明などが義務付けられているため、一定の信頼性の目安になります。ただし、登録されているからといって完全に安全とは言い切れないため、あくまで最低限の確認として活用してください。
2)買い手企業は実在するか・資金力はあるか
買い手候補が現れたら、その会社の実態を客観的に確かめる必要があります。会社の名前と住所を確認し、法務局で「商業登記簿謄本(会社の設立日や役員、目的などが書かれた公的な書類)」を取得してください。
もし設立されたばかりの会社であったり、住所がバーチャルオフィス(住所や電話番号をレンタルするサービス)であったりした場合は、実体のないペーパーカンパニーの可能性があります。また、決算書の開示を正当な理由なく拒む相手も、買い取るための資金力がない可能性が高いため注意が必要です。特に「代金は後で払うので、先に経営権を譲ってほしい」という要求は、絶対に受け入れてはいけません。
3)手数料の内訳と支払いタイミングが書面で示されているか
信頼できる仲介会社は、費用に関する説明を事前に行います。着手金、月額費用、そして契約が成立したときの成功報酬がそれぞれいくらになるのか、またどのような計算根拠でその金額になるのかを、最初の仲介契約書などにすべて明記します。
「費用は会社が売れた後でいいですから、まずは進めましょう」と口頭で説明しながら、書面にその旨の記載がない場合は注意が必要です。後から「業務に要した実費」などとして身に覚えのない請求をされる恐れがあります。また、実績や具体的な提案が示されていない段階で、最初に高額な着手金を要求してくる場合も要注意です。
4)「急かす・煽る」言葉が出てきたら立ち止まる
不適切な取引を迫る業者に共通する特徴は、売り手に冷静な思考時間を与えない点です。
- 「今すぐ決断しないと、この買い手は他の会社に行ってしまう」
- 「この買収金額を提示できるのは、今週中だけである」
- 「情報の漏洩を防ぐため、他の専門家や家族にはこの話を一切秘密にしてほしい」
このような、決断を急がせたり、外部から孤立させようとしたりする文言が出た場合は、一度交渉を中断してください。M&Aは、雇用や経営権が関わる慎重な取引です。売り手側が、弁護士や税理士、中小企業診断士(経営コンサルタントの国家資格)といった外部の専門家に相談することを拒むような業者は信用できません。
4 被害に遭わないための4つの対策
1)弁護士を必ず起用する
M&Aの交渉を進めるにあたり、企業の法律問題に精通した弁護士を最初から自社の味方として起用することが、最大の防衛策となります。M&Aの取引では膨大なページ数の契約書が交わされますが、詐欺を働く業者は一般の経営者が見落としがちな細かい文言の隙間に、売り手が不利になる抜け穴を忍ばせています。
専門の弁護士をチームに迎えることで、契約書に隠されたリスクを徹底的に洗い出すことが可能です。例えば、経営者保証を確実に外すための条件交渉や、売却代金が支払われなかった場合の法的処置、機密情報が漏洩した際の損害賠償の取り決めなど、売り手の権利を守るための厳格な契約書へと修正させることができます。
「弁護士費用が高そうだから」と躊躇(ちゅうちょ)される方もいらっしゃいますが、万が一会社や資産を騙し取られた場合の計り知れない損失と比較すれば、必要な安全コストとして判断することが賢明です。
2)買い手の決算書を事前に確認する
M&Aでは通常、買い手側が売り手の会社を調査するデューデリジェンス(買い手が売り手の財務や法務のリスクを詳しく調べること)が行われます。しかし、「相手を調査する権利は、売り手側にも当然ある」という視点を見落としてはいけません。
買い手に資金力があるか不安な場合は、基本合意(売買の大枠についてお互いに合意する段階)に進む前の段階で、弁護士や公認会計士を通じて、民間信用調査会社に買い手企業の与信調査を依頼しましょう。また、金融機関を交えたスキームであれば、銀行が買い手の属性を事前に審査するため、詐欺被害を防ぐ強力なフィルターとなります。
前述のような専門家や金融機関を介す前に、前もって自身で取引の安全性を確かめる手段としては、買い手企業に対して直近2〜3期分の決算書の提示を求めてください。健全な経営を行っている買い手であれば、買収資金の裏付けを示すために財務状況の開示を拒むことはありません。もし相手が決算書の提示を頑なに拒んだり、「設立したばかりでまだ決算書がない」と言い訳をしたりする場合は、買収資金を持っていないか、実体のないペーパーカンパニー(中身のない形だけの会社)である可能性が高いと判断できます。
3)経営者保証の解除を「書面+銀行の同意」で確認する
手口の項目でも触れた通り、会社の連帯保証を外すためには、売り手と買い手の二者間でいくら約束しても意味がありません。必ず融資を受けている金融機関を交えた三者間での合意手続きを進める必要があります。
実務上の確実な対策としては、クロージング(譲渡代金の支払いと経営権の移転を行い、取引を完了させること)の日を、銀行から経営者保証の解除について正式な同意が得られた後、あるいは同時に設定することです。
「会社を譲渡した後に、買い手と一緒に銀行へ行って手続きをしましょう」という買い手側の提案に応じてはいけません。金融機関が同意するまでは経営権を渡さないという条件を売買契約書に明記して、確実なステップを踏むことが必要です。
4)「特定事業者リスト」を活用する
近年多発する不適切なM&A取引に対抗するため、業界団体や行政も対策を強化しています。その一環として、M&A支援機関協会(M&Aに関わる専門業者が集まる団体)が「特定事業者リスト」の運用を行っています。
このリストには、過去にM&Aの現場で著しく不適切な行為や詐欺的な行為を行ったと認定された企業の情報が蓄積されており、交渉を始める前に相手企業が登録されていないかを照合することができます。また、国の中小企業庁の公式ウェブサイトでも、悪質な事例の傾向や注意喚起の情報を随時更新して発信しています。
これらの公的な情報やリストを事前に確認し、少しでも不審な点がある業者とは最初から接触を持たないように心がけることで、トラブルに巻き込まれるリスクを大幅に下げることができます。
以上(2026年7月作成)
(監修 日比谷タックス&ロー弁護士法人 弁護士 福崎剛士)
pj30240
画像:thatinchan-Adobe Stock