安全運転義務違反(2022/02号)【交通安全ニュース】

活用する機会の例

  • 月次や週次などの定例ミーティング時の事故防止勉強会
  • 毎日の朝礼や点呼の際の安全運転意識向上のためのスピーチ
  • マイカー通勤者、新入社員、事故発生者への安全運転指導 など

交通ルールの遵守は、交通安全を確保するために必要なことですが、様々な交通違反により交通事故が発生しています。

特に安全運転義務違反は、多くの交通事故の背景に潜んでおり、重大事故につながりかねないたいへん危険な行為です。安全運転の義務を理解し、安全運転に努めることで交通事故の発生を防止しましょう。

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1.安全運転義務違反とは

(1)安全運転義務違反とは

ドライバーには、自動車の装置を確実に操作する義務と、周囲の状況を適切に確認・判断し安全に運転する義務があります。

つまり、ハンドル等の操作を誤ったり、相手への注意や状況判断が十分でないことで、事故を起こしたような場合、安全運転義務違反となります。

参考:道路交通法第70条(安全運転の義務)
「車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない」

(2)安全運転義務違反の割合

警察庁の統計(下のグラフ)によると、令和2年中に発生した原付以上の車両による交通事故のうち、安全運転義務違反が72%を占めており、いかに危険であるかが分かります。

逆にいうと、もしも安全運転義務に留意していれば、未然に防げた交通事故も多くあったということになります。

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(3)交通違反点数と反則金

安全運転義務違反には下表の違反点数と反則金が課せられます。反則金は車種別で異なりますが、大型車であっても原付であっても歩行者からすると危険であることに変わりありません。

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2.安全運転義務違反の内訳

令和2年中の安全運転義務違反の内訳を見ると、「安全不確認」、「脇見運転」、「動静不注視」、「漫然運転」、「運転操作不適」の5つが大半を占めています。

これを運転の「認知」、「判断」、「操作」のプロセスにあてはめて考えると以下の通りです。

①安全不確認(45%)・・・「認知」
前方、後方、左右の確認不十分で他車や歩行者等を見落とし事故に至るケース

②脇見運転(19%)・・・「認知」
脇見をして、前方への注意が不十分となり事故に至るケース

③動静不注視(14%)・・・「判断」
他車や歩行者等を認識しつつも、その動静への注意を怠ることで事故に至るケース

④漫然運転(11%)・・・「認知」
考えごと等をして運転への注意が緩慢になり事故に至るケース

⑤運転操作不適(9%)・・・「操作」
ブレーキの踏み間違え、ウィンカーの不使用、片手運転等で事故に至るケース

「認知」に関するものを合計すると75%を占めています。これは、誰にでもあるちょっとした油断や慢心が運転への注意をおろそかにし、事故の原因になりやすいことを表していると考えられます。

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3.安全運転を実践するための対策

安全運転義務違反での事故はすべてのドライバーに起こり得ると言えます。今まで大丈夫だったからといって油断や慢心は禁物です。絶対に事故を起こさないという心構えをしっかり持って、安全運転意識の維持向上に努めましょう。

  • 運転中は適度に緊張感を持ちながら運転に集中するよう心がけましょう。
  • 周りの自動車や歩行者等の動きを常に意識し、「かもしれない」の危険予測運転を心がけましょう。
  • 冷静な判断を持続できるよう体調に気を配り、十分な睡眠時間・休憩時間をとりましょう。

交通事故の加害者・被害者にならないよう、いま一度「安全運転義務」の観点から「運転」について振り返り、交通安全につなげてください。

以上(2022年2月)

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画像:amanaimages

「お手本」だった同業大手に会社発展の夢を託す/社長が語る 私はこうして後継者不在の問題を解決した(前編)

1 事業譲渡とは、会社の発展という「自分の夢」を託すこと

悩んだ末に会社の譲渡を決断して社長が最初に行ったのは、自らが事業のお手本としていた同業大手の社長に、会社を譲り受けてもらうための「直談判」。それは、「会社を存続、発展、成長させるという、自分の夢を実現してくれる人に会社を託したい」という思いからでした。希望がかなった今では、会社の明るい将来にワクワクする日々を過ごしています。

2 このまま「座して死を待つ」のは嫌だ!

「社長、サインしてください。会社の譲渡先を仲介するための契約書です」
「はい、します……。ちょっと待ってください」

後継者のいない自社の譲渡先探しをM&A仲介会社に依頼する契約書類。それらを目の前にして、豆腐の製造販売「山下ミツ商店」(石川県白山市)の山下浩希社長は、どうしてもサインができませんでした。結局、この問答はこの後、2年間繰り返されることになります。

「頭の中では、会社がこれからも続いていくには、この方法しかないのは分かっていた。しかし、やはり、他人に会社を渡すということに抵抗があったのかもしれない」。約3年前の自分を振り返って、山下さんは苦笑いします。

契約書類にサインをしたきっかけは、山下さんが人生の節目と考えていた60歳目前の59歳になった2020年秋、本を読んでいた際に目に留まった、ある言葉でした。

座して死を待つ

「これは、今の自分のことだ」。自分が高齢になって豆腐が作れなくなり、会社が誰にも見向きをされないまま消えていく。そんな光景が頭に浮かび、山下さんは決断しました。

サインをした後、山下さんはM&A仲介会社に1つの希望を伝えます。それは、まず山下さん自身が1社だけ、自社を譲り受けてくれないか相談してみることでした。その1社とは、山下さんが豆腐の移動販売のお手本にしていた同業大手「染野屋」(茨城県取手市)です。山下さんが染野屋の小野篤人社長に直接メールを送ったことで、山下ミツ商店の運命は大きく変わりました。

3 豆腐の製造販売に特化して急成長と挫折を経験

今から130年以上前の明治20年(1887年)、山下ミツ商店は食料・雑貨店として石川県白峰村(現・白山市)で創業しました。山下家が代々営んできた、当時は名前も特にない個人商店で、朝は豆腐作り、昼は食品や酒類販売など、朝6時半から夜8時まで開いている店でした。

店を長年切り盛りしていたのは、山下さんの祖母、ミツさんです。子供の頃からかわいがられ、大好きだったという祖母が80歳を過ぎ、「もう年だし疲れたからやめる」という言葉を口にしたことから、山下さんは家業の承継を決意。1985年10月、1年半勤めたスーパーマーケットを24歳で退職して6代目となり、社名には祖母の名前を付けました。「山下ミツ商店」です。

会社を成長、発展させるため、試行錯誤の末に山下さんが取った戦略は、自社で製造していた豆腐事業への特化でした。埼玉県内の同業者に教えを請い、国産大豆と天然ニガリを使った豆腐を学び、2年ほどかけて独自の製法を開発。1992年2月に完成した1丁1000円の豆腐「記まじめ!」シリーズのヒットにより、会社は急成長します。1995年4月に金沢市内のデパ地下に進出し、1997年12月の法人化を機に社員の雇用を開始します。2001年11月に増産のために工場を新設すると、売り上げは1億6000万円に達しました。「絶対に俺は伸び続ける」と、寝る間も惜しんで働いた30~40代でした。

ところが、2000年代後半になると、急成長の影の部分が表面化します。契約農家の大豆の不作と価格高騰、社員の待遇改善の必要性、そのための価格転嫁。最もダメージを受けたのは、デパ地下の店舗の売り上げが、デパート改装に伴う場所替えにより4割も減ってしまったことです。

社内の組織にもヒビが入っていました。「社員に対して、自営業者上がりだった自分たちと同じような、朝から晩までというむちゃな働き方を当たり前のように要求してしまった」ことで、後継者候補と見込んで頼りにしていた社員が、相次いで辞めていってしまったのです。

追い詰められた山下さんが選択したのは、以前から空いた時間に試して手応えを感じていた、トラックで豆腐を移動販売することへの「事業転換」でした。50歳を目前にした山下さんは、「もう他のものには目移りせず、あと10年を移動販売に懸ける」と腹をくくりました。

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4 残された最大の問題は後継者不在

倒産の危機を免れた山下さんにとって、残された最大の問題が、後継者不在でした。

問題を意識したきっかけは、50歳となった2011年に、やはり後継者が不在で悩んでいた6歳年長の知り合いの社長から、「自分の会社を、どのようにして周りの方に迷惑を掛けずに畳もうか考えている」と聞かされたことでした。山下さんは、「うちにも後継者がいない。自分も60歳くらいになったら、同じことを考えなくてはいけなくなる」と危機感を持ったといいます。

子供のいなかった山下さんにとって、後継者の最後の希望は妹の息子(甥(おい))でした。高校生の夏休みに小遣い稼ぎに移動販売を手伝っていた甥が楽しそうにお客さんと話す姿を見て、ひそかな期待をしていた山下さん。ですが、大学3年生になって就職活動を始めた甥に声を掛けることはできませんでした。当初は手応えがあった移動販売ですが、トラックの台数は2台のままで、新しい社員を雇っても、職場に定着しなかったり、交通事故などのトラブルを起こしたり。「成長している会社であれば誘えたのでしょうが、業績を伸ばす手段が分からない状態で、甥に背負わせることはできなかった」

5 何もしなければ、会社はなくなってしまう

山下さんが会社の譲渡に向けて動き出す決め手となったのは、2017年ごろ、親しかった金沢市内の同年代の社長が会社を譲渡して、同業大手の傘下に入ったことでした。

山下さんにとって、彼の会社は「仕事ができる社員がそろっていて羨ましい」存在でした。ところが、その社長から、「店長は育てられたけれど、跡を継げる経営者は育てられなかった。会社を存続させ、成長させるには、M&Aの話に乗るべきだと考えた」と打ち明けられ、ショックを受けます。当初は「M&Aで会社を譲渡することには、買収されるとか身売りするとかいうイメージがあり、彼の決断がすぐには理解できなかった」と言いますが、1年ほど考えるうちに、同様の選択をする会社が意外と多いことも分かりました。その頃には、毎日欠かさず行う祖母の墓参りの行き帰りに、「自分には子供がいないので、山下家はこれで終わる。会社もこのまま何も手を打たなければ終わってしまう。自分は何も残せなかったことになる」との思いが頭をよぎるようになっていました。

こうして山下さんは2018年、顧問税理士が所属する会計事務所のグループだったM&A仲介会社に、顧問税理士を通じて連絡しました。顧問税理士の全面協力の下、仲介会社の担当者は山下ミツ商店の強みや弱みまで子細に記した資料を、すぐに作成してきました。後は山下さんのサインを待つばかり。そして話は、2020年秋の「染野屋の小野社長に宛てたメール」につながっていきます。

6 「お手本」にしていた同業大手に傘下入りを直談判

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M&A仲介会社に譲渡先を仲介してもらう契約を結んだ山下さんは2020年11月、同業の染野屋の小野社長に、山下ミツ商店での半生と、後継者のいない会社の将来に対する不安をつづったメールを送りました。

山下さんにとって染野屋は、山下ミツ商店と同じコンセプトで、国産大豆と天然ニガリを使った豆腐を作り移動販売で成長を続けている、いわば移動販売のお手本というべき存在でした。山下さんは、まず染野屋の小野社長に相談した理由を、こう語ります。

「ただ会社と社員、工場を守るだけなら、譲渡先はどんな会社でもいい。でも、どういう会社に譲りたいかを考えたときに、その答えは染野屋さんでした。移動販売で多くの人にこの豆腐を食べてもらうという、自分ができなかったことを実現してくれるのは、染野屋さんしかないと思ったからです」

7 トントン拍子で譲渡が決まる

山下さんの思いは、小野社長の心を動かしました。約1週間後に2人で直接会って話すと、小野社長は最後に「真剣に検討します」と受け合ってくれました。

コロナ禍のため、小野社長をはじめとする染野屋の幹部が山下ミツ商店のオフィス、工場、移動販売のトラックなどをくまなく視察したのは、2021年5月になりました。ですが、その数日後に染野屋から「前向きに進めます」との連絡があると、トントン拍子で譲渡交渉が進みます。

譲渡に関する条件は、株式の譲渡額も含めて、染野屋が全て山下さんの希望をのんでくれたといいます。山下さんは、「染野屋に譲渡できたのは本当に運が良かった。もし小野社長に断られていたら、どんどん希望のハードルを下げることになって、豆腐のこだわりやブランド、会社そのものもなくなっていたかもしれない。まだ山下ミツ商店に価値があるうちに譲渡の話をしたことが重要だった」と語ります。

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8 「能力のある人材が来てくれた」

2021年10月、山下ミツ商店は染野屋の完全子会社となりました。山下さんは社長を退いて取締役会長となり、小野社長が山下ミツ商店の社長を兼務、染野屋の幹部が新たな役員に就きました。

調印を終えた直後に山下さんが自社の社員に説明した、「山下ミツ商店は、今までよりも、良い会社になります」という言葉は、山下さんの本心でした。「小野社長もトラックが10台になるまでは苦労したと聞きました。販売員を採用したら次の日に来なかったとか、毎月のようにトラックの交通事故のために警察署に行ったとか、小野社長は全部経験済みで、それをどのように克服するかも分かっているんです。そのノウハウを注入してもらえるのは、本当にありがたいと思っています」

説明の後、山下さんはある社員から、「社長も年を取っていき、いつまで豆腐が作れるのか心配していました」と告げられました。それを聞いて山下さんは、「社員に安心して働いてもらえていなかったことを知り、社長としての自分の鈍さ、無神経さ、至らなさにへこんだ」と言います。

染野屋の傘下となった山下ミツ商店では、社名も社員の待遇も豆腐の製法もブランドも変わっていません。その一方で、事務管理業務などは、副社長などが毎月来社して染野屋方式に変更しているといいます。また、売り上げに応じて販売員にインセンティブを付けたり、染野屋が開発した商品を販売したりするための準備も進めています。

染野屋が作成した「山下ミツ商店5カ年計画」には、3年で北陸3県、5年で新潟県も含めた全北陸地方をカバーする方針が記載されているそうです。「やはり、スケールが違う。勘違いなのかもしれませんが、会社を譲渡したので染野屋の能力のある人材が山下ミツ商店に関わってくれて、これから会社として発展していくのだろうという気持ちでいます。私自身もワクワクしていますし、頑張らないといけないと思っています。なにより、小野社長が自信満々なのが心強い」。山下さんは目を輝かせて、夢の続きを語ります。

山下さんへのインタビューはこれで終わりです。後編では、ほぼ最年少社員にもかかわらず会社の跡継ぎ候補として手を挙げ、引き継ぎ直前の社長の急逝という不幸に見舞われながらも会社の承継に成功した、高田組の高橋純さんへのインタビューを紹介します(2022年2月8日公開予定)。

以上(2022年2月)

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画像:山下さん提供

【朝礼】人として一流を目指せ

昨今、SDGsという言葉を多く耳にするようになりました。利益至上主義だった私の若かった頃と比べると、たとえ民間の会社であっても、自社だけのことを考えるのではなく、共生社会を目指すべきだという風潮に変わってきています。この機会に、今まで私がずっと心に掲げてきた人生の目標をお伝えしたいと思います。それは、「ビジネスパーソンとしてだけでなく、一人の人間としても一流になる」ことです。

私が目指している一流の人間とは、「仕事だけがデキる人間」ではなく、「仕事もデキる人間」です。仕事の結果を出すことは重要ですが、それ以前に、まず「人として正しいと思うことを優先できる人間」こそ、一流だと思います。分かりやすく極端な例えで言えば、大事な仕事の待ち合わせに向かう電車の中で、倒れている人を介助できるか、会社の不正を発見したら、それを正すことができるか、といったことがあるでしょう。

人として一流を目指すために、私は日ごろから、自分が正しいと思う生き方ができているか顧みるようにしています。具体的には、他人にも自分にも嘘をついていないか、誰にでも誠実であるか、私利私欲だけに走っていないか、自分の身近な人たちである家族や同僚を大切にできているか、世の中の役に立てているか、自分たちの今の利便性だけを考えて、後世にその「つけ」を回していないか、次世代の人たちに胸を張ってバトンタッチできるか、といったことです。

私は、他人を評価する際にも、人として一流であるかどうかを基準にしてきました。どんなに偉い肩書を持っていて、大きなお金を動かせる人であっても、人間的に尊敬できないような人とは深いお付き合いをしてきませんでした。逆に、どのような職業、どのような年齢の人であっても、人として尊敬できるのであれば、親しくお付き合いし、応援できる部分は応援してきました。

このような評価の方法は、結果として会社経営の面でもプラスになったと思います。一流の人とのお付き合いの中からビジネスのやり方を学び、役に立ったことが少なからずありました。また、人として尊敬できない人がトップにいる会社と、取引をしていなくて助かったというケースがしばしばありました。

私自身は、まだまだ人として一流になれているとは思っていません。常に自らを顧みて、一流を目指し続けていく必要があると思っています。そして皆さんにも、人として一流になることを目指してほしいと願っています。自分の価値観をビジネスパーソンという枠にはめず、一人の人間として正しいと思うことを優先する生き方をしてください。

皆さんと一緒に、ぜひ「この会社には一流の人間がそろっています」と、胸を張って言える会社を目指しましょう。そのような会社こそ、社会との共生が重視される時代にふさわしいのだと思います。

以上(2022年1月)

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画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】徳川家康に学ぶ「本当の忍耐力」

皆さんにとってこの2年ほどはまさに「忍耐」が求められているのではないでしょうか。新型コロナウイルス感染症流行の影響で、仕事、私生活ともこれまで当たり前にできていたことがままならず、さまざまな苦労や戸惑いを感じていることも多いはずです。今日は、そんな皆さんに、徳川家康のエピソードを紹介します。

家康は、三河国(みかわのくに)を統治する松平家の嫡男として生まれました。当時の三河国は、東西を織田家、今川家という強大な勢力に挟まれており、松平家存続の方策として、家康は少年時代の多くを今川家の人質として過ごしました。しかし、家康は人質となった自分の運命を悲観することなく、学問や武術に真摯に取り組みました。そして、17歳の頃に初陣を飾った際は、今川義元(いまがわよしもと)を喜ばせるほどの戦功を立てます。

やがて、織田信長が義元を破ると、家康は故郷である三河国に帰り、信長と同盟を結んで大名として成長していきます。順調に勢力を拡大していた家康ですが、信長の死後、その家臣であった豊臣秀吉に従うことを余儀なくされ、故郷から遠く離れた関東への領地替えを命じられてしまいます。当時の関東は荒れ放題で、あまり良い土地ではなかったそうですが、家康はこの領地替えを受け入れ、土地開発に真摯に取り組み、力を蓄えていきます。

そして、秀吉の死後、家康は10年以上の年月を費やして豊臣家を滅ぼし、73歳になって、ようやく天下を統一します。人生50年といわれたこの時代に、高齢になっても天下を取ることを諦めなかった家康の忍耐力には、類いまれなるものがあるといえるでしょう。

なぜ家康は、これほどまでに苦難に耐えることができたのでしょうか? さまざまな意見があると思いますが、私は家康が「苦難をつらいものではなく、むしろチャンスとして捉えていたからではないか」と考えています。例えば、人質として自由のなかった少年時代については、「自由が制限されている分、自分を律して鍛えるチャンス」と思っていたのかもしれません。秀吉から関東への領地替えを命じられた際も、「自分を荒れた土地に移して秀吉が安心している今こそ、力を蓄えるチャンス」と考えていたのかもしれません。

思い通りに仕事ができないときというのは、必ずやってきます。そんなときこそ、「これまでの自分を変えるチャンス」だと思ってください。仕事の進め方を見直す、勉強し直して知識を蓄えるなど、できることはいくらでもあります。ただ苦難が過ぎ去るのを待つのではなく、苦難の向こうにある、手に入れたい未来をつかむために、水面下で自分を磨き続ける。それが「本当の忍耐力」であると、私は考えます。

以上(2022年1月)

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画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】「三年寝太郎」という生き方を再評価する

けさは、昔話の「三年寝太郎」について、私が感じていることを話したいと思います。三年寝太郎の話の内容は幾つか説があるようですが、最も知られている話を大まかに言うと、3年間寝続けていた男が、川の流れを変えることで、干害で苦しんでいた村を救った、というものです。

恐らく江戸時代の農村が舞台の話だと思いますが、もし現代に寝太郎のような人物がいたとしたら、皆さんはどのように感じるでしょうか?

万が一我が社に寝太郎のような社員がいた場合、3年も寝続けられる状況にしないでしょう。すぐに結果を出すことが求められているこの時代に、3年かけないと結果が出せないような社員は、なかなか受け入れることができません。

ですが、私はすぐに結果を出すことが求められる今のような時代こそ、寝太郎の話に見習うべき点があるのではないかと思っています。例えば、3年間という長い年月をかけて、一つのことを考え続けた根気です。少し結果が出ないと諦めてしまうことが多い中で、長期的な視野に立って、それだけの情熱と信念をもって取り組むことは大切だと思います。

また、寝太郎は自分の幸せではなく、世の中をより良く変えていくために3年間を費やしたという、公共心です。SDGsが注目され、共生社会を目指さなければならない今こそ、自分の損得だけで物事を判断しない寝太郎のような考え方を見習うべきではないでしょうか。

実は、研究者のような人たちは、ある意味で寝太郎のような長期的な時間軸と公共心をもって取り組んでいるといえます。研究者と寝太郎の唯一といっていい違いは、寝太郎は寝続ける前に、「私は干害で苦しんでいる村人たちのために、解決策を考える時間がほしい」と打ち明けなかった点です。もし寝太郎がクラウドファンディングをしていれば、それなりの資金が集まったのではないでしょうか。

そして、私が何より感じているのは、結果的にかもしれませんが、寝太郎という人間の生き方を受け入れた社会の寛容性の素晴らしさです。今の医学で診断すると、かつては真面目な働き者だった寝太郎が一日中寝ているのは、うつ病を患ったためにそうせざるを得なくなってしまった、という説もあるようです。それはさておき、さまざまな事情で社会に適応することが難しい人は、少なからずいます。そういった人たちを温かい目で支えられる社会になればいいと思いますし、我が社もさまざまな意味で「人に優しい」会社でありたいと思っています。

私は、皆さんに寝太郎になってもらいたいとは思いませんが、長期的な視点で物事を考えること、情熱と信念をもって一つのことを続けること、世の中を良くしたいと考える気持ちなど、見習ってほしいことがたくさんあります。そして私も、少し長い目で皆さんの成長を見守れるような、「人に優しい」経営者でありたいと思います。

以上(2021年12月)

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画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】共進化を促す存在になろう

おはようございます。今日は、約300万年前に起きたとされる「アメリカ大陸間大交差」という現象の話から始めたいと思います。

元来、北米大陸と南米大陸は別々の大陸の一部でした。それが分離して単独の大陸となり、約300万年前に陸続きになりました。こうして、2つの大陸の動物たちが互いに行き来できるようになった結果、北米大陸出身の動物は多くが生き残り、生存領域を広げる動物もいた一方、南米大陸出身の動物の多くは絶滅したとみられています。

2つの大陸の動物たちの運命を分けたのは、それまでの生存競争の質の違いでした。北米大陸はユーラシア大陸とつながっていた時期が長く、外来の強敵との生存競争を繰り広げる中で進化し、競争力を高めてきました。

一方の南米大陸は孤立している時期が長かったため、北米大陸ほどの激しい生存競争はありませんでした。その差が、陸続きになったときに明確に現れたのです。

話は現代に移りますが、人類を襲った新型コロナウイルスは、久しく動物界の頂点に立っている人類に対して、生存競争を挑んできた強敵だと見ることもできます。ある生物が繁栄していると、それを捕食したり、寄生したりする生物が現れるのは、当然の現象なのです。

これに対して人類は、ワクチンや特効薬の開発の他、「3密」の回避など生活スタイルを変化させることで、強敵に打ち勝とうとしています。

進化した強敵に打ち勝つために自分たちも進化することなどを「共進化(きょうしんか)」といいます。人類は、新型コロナウイルスに打ち勝つために、共進化をしている最中なのです。

広い意味での共進化は、実は私たちも日々実践している身近なものです。ライバルとの切磋琢磨(せっさたくま)や、課題の克服と言い換えれば分かりやすいでしょう。同業他社との競争で、我が社は新商品や新サービスを開発し、新たな販路を開拓しています。同業他社が新基軸を打ち出せば、それを研究して取り入れることもしています。

皆さん一人ひとりも、同じように共進化をしてきたはずです。同僚や、同業他社の同じ部門に優秀な社員がいれば、彼らのやり方を見習い、彼らを超えられるように努力をしてきたでしょう。業務上、足りない知識や技術があれば、人から聞いたり本を読んだりして補ってきたはずです。

これからの皆さんに私が期待するのは、自ら積極的に進化して、同僚たちの共進化を促すことです。同僚や同業他社に合わせて共進化するだけで満足せず、自分が社内や業界内の生存競争の質を高める、という気概を持ってください。

経済の地殻変動が激しい今の時代、他の大陸と陸続きになる、つまり他業種や他地域、新興企業などとの競合が急に始まっても不思議ではありません。生存競争の質を高めておけば、新たな強敵に打ち勝ち、生存領域を広げることもできます。皆さんの一層の奮起に期待します。

以上(2022年1月)

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画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】北条義時に見習う「位負け」しない気概

私の今年の目標は、「位(くらい)負け」をしないことです。これまで私は、取引先の人と会話をする際、役員クラスの人や一部上場企業の社員を「格上」と感じて、どうしても緊張してしまい、気後れするという悪い癖がありました。そんな「位負け」のような状態になってしまうと、自分のペースで会話をすることができず、会社として主張すべきことを伝えられなかったこともありました。今年こそ、どのようなときも「位負け」をしない気概を持ちたいと思います。

「位負け」をしないために私が見習いたいと思っているのが、今年の大河ドラマの主人公にもなっている北条義時(ほうじょうよしとき)です。義時のことをインターネットで調べたところ、思った以上にすごい人だったことが分かりました。

義時は鎌倉幕府の第2代執権で、当時の幕府で実質的な最高権力者になった人です。今からほぼ800年前の1221年(承久3年)、後鳥羽上皇を中心とした朝廷との戦い「承久の乱」に勝利し、武士を中心とした時代の幕を開けました。

日本の歴史上の大きな転換点として、承久の乱は3本指に入る出来事といわれています。なぜなら、それまでは天皇や上皇による朝廷が持っていた絶対的な権力を、武士のものにしたからです。あとの2つの転換点とされる明治維新や第二次世界大戦後の民主化は、黒船などの外圧や敗戦に促される形での変化ですので、外圧なしに変化をもたらした承久の乱のすごさが分かると思います。

承久の乱が起きた当時、朝廷の権威は絶対的でした。武士は朝廷あっての存在であり、鎌倉幕府も征夷大将軍が朝廷から任命されることによって、存在が認められていました。

ですから、朝廷の中心にいた後鳥羽上皇から名指しで追討命令を宣告された義時は、最初はとても狼狽(ろうばい)したといわれています。しかし、義時は武士のリーダーとして鎌倉幕府を守らなければならない立場。姉の北条政子の支援もあり、朝廷という権威に「位負け」しませんでした。義時は、兵を率いた息子の泰時に、「天皇自ら兵を率いてきた場合は降伏せよ。ただし、都から兵だけを送ってくるのであれば力の限り戦え」と命じ、最終的には朝廷軍を打ち破って「前代未聞の下克上」を果たしたのです。これは、朝廷が絶対だった当時の「常識」から考えると、非常に勇気のいる決断だったに違いありません。

今は、「大企業だから立場が上」「役員だから偉い」ということではなく、その企業、その人の実力が問われる時代です。当たり前のことですが、フェアな取引をしている企業同士、対等な立場で話をすることに何の問題もありません。格上に感じる人と話をするプレッシャーだって、朝廷が絶対だった義時の時代を思えばささいな問題です。

このように自分を励まして、今年は「位負け」をしないように頑張ります。もし取引先の人に会う前に私が青い顔をしていたら、「承久の乱を思い出せ」と声をかけてください。

以上(2022年1月)

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画像:Mariko Mitsuda

同一労働同一賃金の対応状況

「パートタイム・有期雇用労働法(以下、同法)」に基づく同一労働同一賃金が、中小企業に対しても適用されましたが、各企業の取組はどの程度まで進んでいるのでしょうか。本稿では、企業が同一労働同一賃金で求められることを簡単にお伝えしながら、その対応状況についての調査結果を概観し、お伝えいたします。

1 企業が求められること

同法では、正社員と非正規雇用労働者(短時間労働者・有期雇用労働者)の間の不合理な待遇差の解消(いわゆる「同一労働同一賃金」)として、以下のことが求められています。

①同じ企業で働く正社員と非正規雇用労働者との間で、基本給や賞与、手当、福利厚生などあらゆる待遇について、不合理な差を設けることが禁止されます。

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※職務内容とは、業務内容+責任の程度をいいます。

②事業主は、非正規雇用労働者から、正社員との待遇の違いやその理由などについて説明を求められた場合は、説明をしなければなりません。

2 各企業の対応状況

独立行政法人 労働政策研究・研修機構が実施した「同一労働同一賃金の対応状況等に関する調査」の結果が、2021年11月に公表されました。以下に、その結果を抜粋してご紹介します。

「同一労働同一賃金ルール」への対応(雇用管理の見直し)状況

「同一労働同一賃金ルール」への対応(雇用管理の見直し)状況

待遇要素毎の具体的な見直し内容
(「必要な見直しを行った・行っている、または検討中」として待遇面の見直しを挙げた企業のうち)

待遇要素毎の具体的な見直し内容

「パートタイム・有期雇用労働者」に対する「正社員(無期雇用フルタイム労働者)」との待遇差や理由にかかる説明状況
~待遇差が「不合理ではない」ことについて

待遇差や理由にかかる説明状況

※すべて『独立行政法人 労働政策・研究機構「同一労働同一賃金の対応状況等に関する調査」結果』より

以上のように、対応が必要なことのうち、不合理な差に対する対応が完了している企業はおよそ5割、待遇差や理由が説明できると回答している企業はおよそ6割であり、それ以外の企業が、対応中あるいは対応が進んでいない状況であることが見て取れます。

3 おわりに

具体的な見直し内容を見るに、取扱いをマイナス方向で検討する事例もありますが、これには不利益変更に該当する要素もあります。いまだ対応方法にお悩みの企業や、取扱い変更時や待遇差の説明について自信を持てない企業は、専門家の助言を受けるなどし、いち早く対応することが望まれます。

※本内容は2021年12月13日時点での内容です

(監修 社会保険労務士法人 中企団総研)

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【朝礼】自分の中に潜む“虎”を飼いならそう

明けましておめでとうございます。今年のえとは「寅(とら)」です。そこで、今日は動物の虎にまつわる話として、中島敦(なかじまあつし)氏の小説「山月記(さんげつき)」を紹介します。

山月記の舞台は、今から約1300年前の中国です。主人公の李徴(りちょう)は大変な秀才で、若くして役人になりますが、とてもプライドが高く、自分よりも能力の低い上司に仕えるのが嫌で、役人を辞めてしまいます。その後、李徴は詩人として身を立てようとしますが、彼の詩は世間から評価されませんでした。生活が苦しくなった李徴は、詩を諦めて再び役人になりますが、かつての同僚が自分より高い地位に就いていることなどに耐えられず、行方をくらましてしまいます。

その1年後、袁慘(えんさん)という李徴のかつての友人が、ある林の中で1匹の虎に出合います。その虎は、行方不明になっていた李徴その人でした。李徴は袁慘の前で、自分が虎になってしまった理由をこう話します。「自分は詩人として身を立てたいと思いながら、誰かに教えを請うたり、友人と競って腕を磨いたりしてこなかった。もしも自分に才能がないと分かってしまったらと思うと怖かったし、一方で、自分は優れているという自負もあったから凡人と交わりたくなかった。この『尊大な羞恥心』が猛獣、つまり虎だったのだ」。最後に李徴は、自分が人の心をなくして完全に虎になる前に林から出ていくよう袁慘に言い、二度とその姿を現さなくなります。

李徴の言う「尊大な羞恥心」、これは何も特別なものではありません。皆さんも「上司や先輩に怒られるのが怖くて、質問できない」「本当は知らないことについて、つい知ったかぶりをしてしまう」「旧来のビジネスの進め方にこだわって、新しい方法を受け入れようとしない」といった経験があるはずです。誰だって自分の無知をさらけ出すのは怖いことです。しかし、知らないことを放置すれば、それ以上の成長はありませんし、事故にもつながりかねません。

ですから今年は、「知らないことは知らないと、はっきり言える環境」をつくっていきましょう。どんな初歩的なことでも分からなければ質問し、質問を受けた人は丁寧に対応してください。これは新入社員や若手だけでなく、上司も含む全社員へのお願いです。私も含め、誰一人完璧な人間はいません。入社時期や役職に関係なく、全員が全員の無知を受け入れられるようになりましょう。

ただし、注意してほしいことがあります。それは「羞恥心を忘れない」こと。よく同じ質問を何度も繰り返す人がいますが、そうした人は「分からなければ、また質問すればいい」と軽く考え、相手の言ったことを理解する努力をしていない場合があります。羞恥心のせいで行動できないのは問題ですが、知らないことを恥と思う感覚をなくしたら、人は成長しません。皆さんの中に潜む羞恥心という“虎”は、退治すべき存在ではなく、上手に飼いならしていくべきものなのです。

以上(2022年1月)

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画像:Mariko Mitsuda

【朝礼】任せる責任、任される責任

日ごろから私は皆さんに、「次工程はお客様」ということを繰り返し伝えています。仕事は1人で進めるものではありません。たとえ社内であっても、次工程を担当する人が進めやすいように考えて仕事をしてください。アウトプットの方法もしかり、スケジュールもしかりです。

「次工程はお客様」とは、つまり、「次工程も自分事として考える」、ひいては「一連の仕事全体を自分事として考える」ということに他なりません。皆さんはこのことを、本当に理解できているでしょうか。残念ながら私にはそうは思えません。「次工程に移ったら自分はもう関係ない」と考えている人が多いように感じます。

例えば、自分の担当分が終わり、次工程を担当する人に仕事を任せた後、皆さんはどうしていますか。スケジュール通りに進んでいるか把握しようとしていますか。困ったことが起きてはいないかどうか、確認しているでしょうか。

スケジュール通りに進まなかったときやトラブルが発生したときなどに、皆さんは「私はちゃんとやりました」と言うことがあります。それに対して次工程がうまく進められていないことを把握していたか尋ねると、「確認していません」「それは次の担当に任せています」と答えたりしますが、それでは「ちゃんとやった」ことにはなりません。仕事は、誰かに任せたらそれで終わりではありません。任せる側には、任せた後の進捗を確認し、完了まで見届ける責任があるのです。

一方、任される側にも、同じだけ責任があります。任される側の責任は、第一に任された仕事をしっかり進めることですが、それだけではありません。予定通り進捗しているかどうか、問題が発生していないかどうかなどを、自分のほうから任せてくれた人に報告や相談をし、知らせる責任があるのです。

また、任されることがあらかじめ分かっているのなら、「自分は次工程だから」と黙って待っているだけでは問題です。前の工程がうまく進められているかどうか、もしそうではないなら手伝えることはないか、先に調整しておける部分はないかを確認しなければなりません。ただ待つのではなく、仕事を任されるために必要な準備をするのも、任される側の責任です。

このように、仕事は、任せる側にも任される側にも責任があります。どちらも重要な責任です。両方がそれを果たして初めて、仕事が完了するということを肝に銘じてください。

皆さんは日々、任せる側と任される側、どちらの立場にも立つでしょう。大切なのは、どちらの立場であっても「声を出すこと」です。両方が声を出し、状況を知らせたり確認し合ったりしていれば、仕事は回っていくはずです。

仕事ではチームワークが大切です。チームワークは、任せる側と任される側のそれぞれが、まず自分の責任を果たした上に成り立つものだということを忘れてはならないのです。

以上(2022年1月)

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画像:Mariko Mitsuda